私は今、とても困惑している。
目の前のそいつがなにを言っているのか理解できない。
なんだって?
『フランちゃんの翼のクリスタル、食べてみたいの!』
って言った?
言ったよね?
とりあえずいろいろツッコミどころが多すぎるが、今日の頭から整理しよう。
落ち着け、まだ慌てる時じゃない。
慌てる時なのはこいつが私の翼からこの輝く結晶をもごうとしはじめた時だ。
その時私はこのそれなりに長い生のなかでも初めての必死さを見せるだろう。
それどころかこいつを消し飛ばすことも厭わない。
いや、そんな物騒なことを考える暇があれば冷静になろう。
落ち着け、心を無にして悟りを開け。
深呼吸だ。
……よし。落ち着いた。
さて、整理だ。
まず私は夜、何時ごろかは忘れたけど、いつも起きている時間に普通に起きた。
うん、異常なし。
そして寝ぼけたまま周りを見渡すと、こいつ、古明地こいしがいた。
うん、異常あり。
さて、開始2秒で異常が現れた。
でも問題はこの異常がどう私のこの生まれて以来最大の危機に繋がるかだ。
そのためには、ここで早々に決断してはいけない。
続行。
そして古明地こいしは恐るべきことに私の目の前にいた。
目の前というのは比喩ではなく、本当に私の視界には古明地こいししか入っていなかった。
鳥肌が立ったのを記憶している。
大丈夫。異常ありだ。
しかし主観が入っている、これは慌てている証拠だ。
落ち着き、対処を考え、穏便に済ます。
これこそが私、フランドール・スカーレットとしての、偉大なる吸血鬼としての冷静さで、誇りであるはずだ。
さあ、客観的に行こう。
続行。
私はそれを受けて、咄嗟に自己防衛の意か、または野生の本能で、古明地こいしの顔面を、
殴った。
古明地こいしがいることは異常だが、私の行動は異常なし。
続行。
古明地こいしは拳が当たり華麗に後ろに仰け反った。
いや待て、こんなに刻んで整理していくのに意味があるのか?
大切なのは因果関係だ。もう少し飛ばそう。
それで対処ができない状況になってしまうのなら、もう一度具体的に想起すれば良い。
それを踏まえて、続行。
その後も私は古明地こいしに攻撃をしたがある程度はかわされ、時間が経って冷静になり、対話が始まった。
古明地こいしはまずおはようと挨拶の言葉をかけてきたので、私はおはようと答えてやった。
いくらか内容のない雑談をした。
ここは関係がない。省こう。
そして私に関する話題が始まった。
確か、こんな風だったはずだ。
『ところで、フランちゃんのその翼って、翼っぽくない形してるよね』
『まあ、うん』
『そのクリスタルってキラキラしてて、なんかキャンディーみたいだよねー』
『キャンディー?ああ、言われてみればそうかもね』
『それでさそれでさ、私が今日ここにきた用件とも関連するんだけど』
『うん、用件は気になってた』
『私、フランちゃんの翼のクリスタル、食べてみたいの!』
ここまでが今日の出来事であり、人生最大の危機に直面するまでだ。
さて。
どうも対処が思いつかない。
では様子を見るしかない。
大丈夫。
冷静になれただけでも、この回想には意味があったと言えるだろう。
ここまでを約5秒ほどで思考できたことから、人とは危機的状況に陥った時は意外と本気を発揮できて、しかもその本気はえげつないものらしいということも分かった。
「……え、なに言ってるの?」
「だからー、フランちゃんのそのクリスタルをさ、こうやってもいでー」
こいしは私の翼に手を伸ばす。
条件反射で避けてしまった。
こいしは不機嫌そうに少し頬を膨らまして、
「……こう、ぱくっと」
と言って、目には見えないキャンディーを口に放り込むような仕草をする。
それだけ見ると悔しくもかわいらしいものだが、実際は微塵もかわいらしくない。
「私の翼食べられたら困るんだけど…」
「でもさ、結局それって無くても飛べるんじゃない?無くても困んなくない?」
「それは……」
そうかもしれない。
私だってこんな奇妙な形の翼があるから飛べているのだとは微塵も思っていない。
姉のコウモリのようなあの翼だって、無くても飛べるのではないだろうか。
「……飾り羽かもしれないけどさ、でもこの結晶無くなったらさ、なんていうか、インパクトないっていうか、妖怪らしい風貌で、誰も見たことがない、分からないっていうのに、恐怖すると思うんだよ。だから、威厳を示すためには、必要だと思うんだよね」
私にしては気の利いた言い訳ではないだろうか。
こんなかわいらしい、魔法少女チックな翼に威厳もなにもないと思うけど。
「でもさ、真の強者ならさ、外見のどうこうには頼らずに、ただ存在するだけでみんなを震わせるような、そんな存在感こそが大事なんじゃない?」
「う……」
納得してしまいそうだ。
駄目だ。屁理屈に過ぎないし、ここで折れたらこいつに私の身体の一部を喰われる。
負けるな私。
「……と、というかさ。飾り羽を食べるって、服飾品を食べるってことで、それ私の服食べたいって言ってるのとおんなじだと思うんだよね」
「フランちゃんの服、じゅるり」
イカれてる。
なんだこの異常者は。
こんなやつ私の友達じゃない。
こんなやつ知らない、つまみだせ。
そもそもなんでここにいるんだ。
美鈴仕事しろ、後で咲夜にチクってやる。
刺されてしまえ。
「いや、無理……」
まずい。
本音が出てしまった。
異常者を刺激するのは、得策とは言えないだろう。
取り繕わなければ。
「あーもう!フランちゃんはああいえばこういう、こういえばああいうで、私の願いなんて聞いてくれないんだねっ!この意地悪!鬼!悪魔!魔女!」
「意地悪はともかく吸血鬼だし悪魔の妹だし魔女だし全部間違ってはないんだよね」
相手が感情的になったからと言って感情的になっては、話にならない。
どんな時でも冷静に。
「落ち着いてこいしちゃん。とりあえず、私のお姉様を呼んでくるからさ、」
「ぱくっ」
……ふむ。
油断していた。
人生最大の危機、無事到来。
こいしは、ベッドに向かい合って座っていた、私の、不用心にも広げていた翼(閉じておけばよかった)に、そこに左右で合計16個付いている輝く結晶のひとつ、これから忘れることはないであろう桃色に、飛びついて、もぐこともせずに、そのままぱくっと口に入れた。
翼と繋がっている丸いビーズみたいな部分から、結晶の一番下、尖っているところまで、ぱくっと一口で。
そして翼の枝のような部分を軽く掴んで固定しながら、桃色の結晶を翼から完全に分離させてしまった。
要は。
要は、私のこの翼の結晶は、無残にもこの古明地こいしに喰われてしまったということだ。
「…ぁ、あぁっ…ああぁ…!」
その瞬間、絶望からか、ひどい倦怠感のような何かが渦巻く。
こいしはその間に距離を取り、結晶を笑顔で堪能している。
「こ、…この…このぉっ…!この、サイコパス…!異常者、め…!」
ショックで、うまく舌が回らない。
ゆ、許せない。
許せない、許せない、許せない、許せない、許せない許せない許せない許せない許せない!
わ、私の、私の!大切な、大事な翼が、傷つけられて、
大事な翼?
大事?
どうして?
あの翼に思い入れとかあったっけ?
どうせあれがあろうとなかろうと恐らく飛べるだろうし、ひとつだけ結晶を喰われて歯抜けみたいになってしまうのは気になるが、別に見た目もそこまで気に入っていたわけではないし、なんならこのやたら横に広い翼は邪魔と感じていたはずなのに?
それなのに。
なんだ、なんなんだ。
なんだこの、翼の結晶を一つ失っただけにしては大きすぎるこの喪失感は?
分からない。
分からないけど、だけどとりあえず。
私にとっては大事だったんだ。
それでいい。理由なんか、それだけで充分すぎるくらいだ。
失って気づく大切さ。
それだったんだ。
それでいい。
理由なんてどうでもいい。
この翼は、お姉様が、
お姉様?
なぜそこでお姉様が出てくる?
出てくるとしたら、もう顔も曖昧にしか覚えてない母では?
母と父、もう覚えていないが、お姉様と翼が違いすぎるとは思っていた。
もし遺伝とかだとしたら、相当母と父の容姿は違っていたんだろうなあとは思った。
そもそも私に母っていたっけ。
いや、いた、いたはずだ。
一人で生まれたような気はしない。
そもそも関係ない、今このことは関係ない。
お姉様が出てきたのだって、頭が混乱していただけだろう。
その混乱に陥った私の頭を、急速に現実に引き戻すやつの声。
「なんか、不思議な味でおいしい!キャンディーみたいっていったけど、本当にキャンディーみたいにとけて消えちゃった!」
その瞬間私は失敗に気づいた。
混乱している場合ではなかった。
即座に吸血鬼の反応速度と身体能力を見せつけるべく、やつのもとに向かい、吐き出させればよかった。
どうにかなるかは分からないが。
しかしこの倦怠感。
絶望感、喪失感、不快感。
とてもじゃないが動けたものじゃない。
やつは呑気に味のレビューを続ける。
「なんだか、元気出てきた!幸せな感じする!ねえねえ、もう一つ食べていい?」
目にハートマークが浮かんだかの如しやつのその瞳を見て、
そして私はなにも考えられなくなった。
やつが、こいしが、次々に私の結晶を食していくその様を、指先すら動かせないその身体で、病んだ瞳で、感じた。
その度に『少し苦くて悲しい味』とか、『胸がいっぱいになってくる』とか言って、時折、私を見て『どうしたの?』とかほざいていたが、それすらも病んだ瞳で見つめることしかできなかった。
こいしは動かなくなった私の体を抱きしめたり、ぶんぶん振ってみたり、変顔したりしたが、それすらどうでもよかった。
なにも感じられない。
怒りすらも芽生えない。
悲しみすらも覚えない。
どうしてだ?
ひとつ結晶を失うごとに感じる、何か大きなものが欠けていく感じ。
心が弱くなる感じ。
どうして、どうして、どうして?
動かない頭を無理やり動かそうとして、余計になにも分からなくなる。
そうしているうちに、ふと思いついたように、彼女は少し暗い顔をして出ていってしまった。
部屋にひとり取り残された私は、少しだけ目を動かして、なにも無くなった両翼が視界に映ったのを最後に、徐々に意識が朦朧として、
「ねえ、フランちゃんのお姉ちゃん」
「……あら。フランのお友達かしら」
フランが以前に目の前の少女のような風貌の人物のことを話していたような気がする。
時に楽しげに、時に呆れたように、時に困ったように、時に愛おしむように語っていた気がする。
声をかけられるまでいたことに気づかなかったが、それは私がこの本にそれだけ集中していたということだろうか。
これからは来客にもすぐに対応できるように、気を配らなくては。
「どうしたの?」
「フランちゃんがね、動かなくなっちゃったの…」
「……?」
喧嘩して弾幕でも打ったのだろうか。
でも特に音は聞こえてこなかったし、フランは最近割と冷静な気もする。喧嘩になるようなことをするだろうか。
「なんだか、すごく元気がなさそうで、全然動いてくれないの……」
「そう……なの。少し、見にいくわ。一緒に来る?」
「うん。私、フランちゃん心配!」
私達は、フランの部屋に足を運んだ。
そこで私が妹の姿を目にした時、私は気を失いそうになった。
むしろどうして彼女を直視できているのだろう。
壁に寄りかかった、『変わり果てた』彼女の姿。
「……ぇ、…どうして…?」
私は答えが返ってくることはないであろう問いを発する。
「…あの、」
私がフランに駆け寄り、その変わり果てた翼を確認していると、彼女が声を発した。
「あの、ごめんなさい…あのね…それ、食べちゃったの…」
「……え?」
「えっと…お、美味しそうで、食べちゃったの…そしたら、元気、無くなっ、って。う、ぅ、…っ、っく、うぅ…ふ、ランちゃ、ぁっ…」
彼女はそう告げて、泣き出してしまった。
それで彼女に意識が向けられると共に、今まで目に入らなかったのが不思議なくらいだが、『三つ目の瞳』が目に入る。
そうだ、思い出した。
この少女は、あの地底の異端の覚ではないだろうか。
瞳を潰した、……古明地こいし。
しかし。
古明地こいし、この少女は、友人がこんな状況に陥っても心配して泣き出すような感性を持つ少女ではないし、こんな状況に陥っても姉を呼びにいくような論理性を持ち合わせた少女でもない。
瞳を潰し、心も空っぽになったはずで、行動は自分にも予測がつかないはずなのだ。
いや、『はず』であったかもしれないが、でも私は今の彼女の一言で、全てを察した。
ああ、だからか。
そう思った。
いや、部屋に入った時点で大方全てを悟り切っていたが、わずかな『そうであって欲しくない』という思いは、残念ながら結ばれなかったようだ。
「……そう。後は、もう大丈夫よ。あなたは、もうお帰りなさいな。フランが元気になったら、教えてあげるから」
「…ぅ…う、っ…やく、そくだよ…!教え…、てね…!…ぅ、ぅう…っ」
そうして、彼女は泣きながら部屋を出ていった。
私は彼女が遠くに行ったことを確認した上で、私は未だ動かないフランの体を抱き上げ、歩き出した。
フランと同じくらい動かない彼女の元へ。
相変わらずいつもの定位置の席に座り本を読む彼女、私の親友パチェの元に行き、テーブルを向かいにした席にフランを無理やり座らせる。
なんだかだらしのない座り方になってしまったので、人形にポーズを取らせるように、無理やり手足を動かして行儀良い感じに座らせようとしたが、残念ながらうまくはいかなかった。
「どうしたのよ、レミィ……あぁ」
我が親友は物分かりがいい。
フランのその『姿』を見て、すぐに気づいたようだ。
「どうしてかは分からないけど、そう……面倒なことになったのね……」
それでも本から目を離さない。
「えぇ。まあ理由はもうこの際いいのだけど、これ、どうにかできる?」
「できるけれど……」
そこでようやく本から目を挙げ、フランの両翼に目をやる。
「まさかそれ、全部無くなるとはね…結構、作るの難しいのよ」
「そう……、ごめんなさい。人形使いも、呼んだ方がいいかしら?」
「そうね、お願いするわ。やっぱり、アリスがこの類の魔法には一番長けているのは、事実だし」
「分かったわ。今から呼ぶから、準備をしておいてちょうだい」
私は、愛すべき妹のために、自ら曇天の中の鬱屈な森へと足を踏み入れた。
「えぇ?そうなの?」
人形使い、アリス・マーガトロイドの反応は、思っていたよりなんだか腑抜けた感じだった。
「……そんなことがあるのね。まさか、食べちゃうなんて…、ねぇ……」
「私も予想外だったわ…これからは、あの友達にも目を配らないとね」
「まぁ、確かにこれから何するか分からないけれど、後のことはいいわ。とりあえず、今をどうにかしましょう」
「えぇ、お願いするわ」
アリスは数体の人形を引き連れて、空へ飛び立つ。
私もそれを追い、共に館へと向かった。
アリスと初めて協力したのは、どれくらい前かわからないかなり前。
アリスと共に、私の気持ちよりはいくらか晴れやかな曇天を舞いながらぼんやりと考える。
数百年前だったような、数年前だったような。
やっぱり数百年前な気がする。
それくらい前に、フランドールは気を病んだ。
どうやら私達が思っていた以上に、地下室という空間は辛いらしい。
今になっては好んであそこにいる傾向が高いけれど、昔は意外とそうでもなかった。
あれでも活発な妹だった。
しかしいろいろ危ういところが多すぎた。
何かあれば物を壊すし、何もなくても物を壊す。
少し感性も違うし、やはり危ういところが多かった。
そして、苦渋の決断で、私達はフランを地下室に閉じ込めた。
閉じ込めたと言っても、鍵なんて破壊しようと思えば破壊できるのだから、全く閉じ込められていないけれど、彼女にとって問題はそこではなかったらしい。
つまり、『いつでも脱出できるけどみんなに必要とされていない』と感じざるを得ないその状況が、強いストレスだったようだ。
いつでも脱出できるのにわざわざ閉じ込めておくというのは、『出てきて欲しくない』という意思表示。
今まで仲良くしていた人から、出てきて欲しくない、必要としていないと伝えられるに値し、でもそれを直接言われることはない環境。
それが幼きフランドールには、気を病むに十分すぎるストレスだった。
彼女は動かなくなった。
微動だにしなくなった。
澄んだ美しい紅の瞳は、ぼんやりとした瞳になって、
ふわふわと柔らかい輝く金髪が、風に舞うこともなくなって、
私とお揃いだった翼は、ストレスでぼろぼろになった。
そうだ。
フランドールの翼は、元々は私と同じようなコウモリを彷彿とさせる翼だった。
しかし、私達の想定外だった強いストレス環境によりぼろぼろになっていき、解決策を見つける頃には、もうほとんど翼は破れてしまった。
薄くなっている、ほのかに紅い部分は床に落ち、今のフランの翼の枝のような部分に当たるところだけが残った。
その無惨な姿に、あの時は即座に気を失った。
ごめんなさい。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめ
取り返しのつかない事態に陥ってしまったことに、これまででも最大の自責の念に駆られ、自害しようと思った。
でもフランは、私が死ぬことなんて求めていない。
私が、どうにかしなくちゃ。
助けなきゃ。
私は日々、パチェの図書館に入り浸った。
正解を求めて、探し続けた。
パチェも、何も言わずに協力してくれた。
そして見つけたのが、人形に関する魔法の文献。
より人間に近く、自ら意思を持って動く、自律人形の研究。
その中に、『感情を注ぐことではないか』というような記述があり、感情を注ぐための魔力の籠った魔法石の研究も成されていた。
私達はその時に、アリスに協力を願った。
アリスは快く受け入れてくれた。
そして私達はその後も様々な文献を読み漁り、『魔法石』の作り方を確立した。
アリスが中心となり、ひとつの翼につき8つ、左右で16個の『魔法石』は完成した。
空色には、好奇心を。
黄緑には、若々しい感性を。
黄色には、弾けるような元気を。
橙色には、淑女らしい振る舞いを。
桃色には、恋の心を。
紫色には、憂鬱な心を。
青色には、悲劇の心を。
彼女の本来の性格に近づけるため、空色だけはふたつ作って、そしてそこからが問題だった。
これをどうやって与えよう?
普通に食べさせてもいい。
しかし私は、身に付けさせることを提案した。
あんな枝切れが背中に刺さったような翼は、正直不恰好だと思っていた。
あれをどうにかしたい。
そこで私は思いついた。
翼に吊るす。
二人はその発想に驚いてもいたが、同時に賛同もしていた。
私達は翼に『心』を入れた。
そうしてフランドール・スカーレットは、再び感情を取り戻し、動くようになり、
あふれる好奇心を取り戻し、
若々しい感性を取り戻し、
弾けるような元気を取り戻し、
淑女らしい振る舞いで日々を過ごし、
今日も何かにときめいて、
今日も何かに憂鬱で、
今日も何かに悲しむようになった。
それが、最初。
同じことをする。
フランに心を入れる。
絶対に。
私達が館についたころには、その決意はより堅いものになった。
「さあ。始めましょうか」
パチェは、到着と同時に本を閉じた。
まずは材料を揃える。
術式の確認。
順序の確認。
また、前回から細かい点を修正して。
そして、魔法を唱える。
『 』
私には聞き取ることのできない、魔法使いの言葉。
その言葉で、心を創る。
『 』『 』
私には何も分からない。
だとしても、フランを救う、救ってみせる。
『 ……!』
目の前が眩い光に包まれ、そして後には、16個の石が残った。
「……よし。完成ね。」
アリスは満足げな顔をする。
「実は少しだけ実験としても参加したんだけど、結構有用な実験になったわ。ありがとうね」
アリスはそう言うが早いか、帰ってしまった。
早速実験の結果を人形に応用でもするのだろうか。
単純に逃げたのかもしれない。
とにかく私とパチェはその輝く結晶を手にして、地下室へ向かう。
あの時の光景がフラッシュバックされる。
「…ぅ、……」
気絶しそうになった。
気を強く持て。
もう少しで、妹を救える。
「じゃ、つけちゃいましょう」
パチェは何もないかのように、翼に魔法石を取り付ける。
違和感のないように、前と同じ順番で。
あっけないくらいに、その作業は黙々と、着々と行われていく。
「最後にこの空色で……」
好奇心が、彼女の心に加えられる。
「……全部、間違いないわよね。これであとは、しばらくしたら適合が完了して、魔法が作用するはず」
「ええ、そうね……。ありがとう、パチェ」
「なんてことないわ、レミィ」
フランが目を覚ます前に、私達は地下室から出る。
アリスにも礼を言わなくては。
「あ……そういえば」
元気になったら教えると、あの古明地こいしと約束していた。
正直ことの発端である彼女に教えたくはないが。
こいしはあの石を食べて、私に伝えるあたりで適合が終わったらしい。
それで彼女は、心を、論理性を、自我を、取り戻したのだろう。
「やれやれ……姉にどう伝えるかね」
こいしの姉は、突然感情と論理性と自我を帯びた妹を前に困惑しているだろう。
「とはいえ、このことは公にしたくないし、心を読まれてはたまらないから、こいしを通して伝えさせましょう」
全てが、丸く収まっていく。
これを機に、少しはフランと遊ぶようにしよう。
そんなことを考えながら、私は菓子折りを手にした。
「ふふふ、今回はすっごく良い実験だったわ」
独り言をして、人形と共にお茶を入れる。
「あれはもう、ほとんど自律人形だもの」
そう言いながら、今日の実験を思い出す。
前回不完全だった部分が補修されて、彼女の創られたココロは完璧になった。
創られた完璧なココロを持つ、人形になった。
あの少女はなかなか私の人形に近い容姿を持っているし、美しい。
どうにかして家に招き入れることはできないだろうか。
もっと実験をしてみたい。
お茶をすすりながら、私は少しだけフランドールに意識を向ける。
人形が今何をしているかの確認。
目には、彼女の眼を通した光景が浮かぶ。
「あら、楽しそう」
フランドールは、友人と思われる少女と、笑って仲良く遊んでいた。
たしか、覚の少女だ。
魔理沙と異変を解決した時の、地底の。
覚には、彼女のココロって読めるのかな。
あの少女は、瞳を潰したが、姉の方はどうだろう。
その実験もしたい。
笑っているのは覚の少女だけではなく、フランドールの方もらしい。
朗らかに、笑っていた。
偽りのココロで、笑っていた。
目の前のそいつがなにを言っているのか理解できない。
なんだって?
『フランちゃんの翼のクリスタル、食べてみたいの!』
って言った?
言ったよね?
とりあえずいろいろツッコミどころが多すぎるが、今日の頭から整理しよう。
落ち着け、まだ慌てる時じゃない。
慌てる時なのはこいつが私の翼からこの輝く結晶をもごうとしはじめた時だ。
その時私はこのそれなりに長い生のなかでも初めての必死さを見せるだろう。
それどころかこいつを消し飛ばすことも厭わない。
いや、そんな物騒なことを考える暇があれば冷静になろう。
落ち着け、心を無にして悟りを開け。
深呼吸だ。
……よし。落ち着いた。
さて、整理だ。
まず私は夜、何時ごろかは忘れたけど、いつも起きている時間に普通に起きた。
うん、異常なし。
そして寝ぼけたまま周りを見渡すと、こいつ、古明地こいしがいた。
うん、異常あり。
さて、開始2秒で異常が現れた。
でも問題はこの異常がどう私のこの生まれて以来最大の危機に繋がるかだ。
そのためには、ここで早々に決断してはいけない。
続行。
そして古明地こいしは恐るべきことに私の目の前にいた。
目の前というのは比喩ではなく、本当に私の視界には古明地こいししか入っていなかった。
鳥肌が立ったのを記憶している。
大丈夫。異常ありだ。
しかし主観が入っている、これは慌てている証拠だ。
落ち着き、対処を考え、穏便に済ます。
これこそが私、フランドール・スカーレットとしての、偉大なる吸血鬼としての冷静さで、誇りであるはずだ。
さあ、客観的に行こう。
続行。
私はそれを受けて、咄嗟に自己防衛の意か、または野生の本能で、古明地こいしの顔面を、
殴った。
古明地こいしがいることは異常だが、私の行動は異常なし。
続行。
古明地こいしは拳が当たり華麗に後ろに仰け反った。
いや待て、こんなに刻んで整理していくのに意味があるのか?
大切なのは因果関係だ。もう少し飛ばそう。
それで対処ができない状況になってしまうのなら、もう一度具体的に想起すれば良い。
それを踏まえて、続行。
その後も私は古明地こいしに攻撃をしたがある程度はかわされ、時間が経って冷静になり、対話が始まった。
古明地こいしはまずおはようと挨拶の言葉をかけてきたので、私はおはようと答えてやった。
いくらか内容のない雑談をした。
ここは関係がない。省こう。
そして私に関する話題が始まった。
確か、こんな風だったはずだ。
『ところで、フランちゃんのその翼って、翼っぽくない形してるよね』
『まあ、うん』
『そのクリスタルってキラキラしてて、なんかキャンディーみたいだよねー』
『キャンディー?ああ、言われてみればそうかもね』
『それでさそれでさ、私が今日ここにきた用件とも関連するんだけど』
『うん、用件は気になってた』
『私、フランちゃんの翼のクリスタル、食べてみたいの!』
ここまでが今日の出来事であり、人生最大の危機に直面するまでだ。
さて。
どうも対処が思いつかない。
では様子を見るしかない。
大丈夫。
冷静になれただけでも、この回想には意味があったと言えるだろう。
ここまでを約5秒ほどで思考できたことから、人とは危機的状況に陥った時は意外と本気を発揮できて、しかもその本気はえげつないものらしいということも分かった。
「……え、なに言ってるの?」
「だからー、フランちゃんのそのクリスタルをさ、こうやってもいでー」
こいしは私の翼に手を伸ばす。
条件反射で避けてしまった。
こいしは不機嫌そうに少し頬を膨らまして、
「……こう、ぱくっと」
と言って、目には見えないキャンディーを口に放り込むような仕草をする。
それだけ見ると悔しくもかわいらしいものだが、実際は微塵もかわいらしくない。
「私の翼食べられたら困るんだけど…」
「でもさ、結局それって無くても飛べるんじゃない?無くても困んなくない?」
「それは……」
そうかもしれない。
私だってこんな奇妙な形の翼があるから飛べているのだとは微塵も思っていない。
姉のコウモリのようなあの翼だって、無くても飛べるのではないだろうか。
「……飾り羽かもしれないけどさ、でもこの結晶無くなったらさ、なんていうか、インパクトないっていうか、妖怪らしい風貌で、誰も見たことがない、分からないっていうのに、恐怖すると思うんだよ。だから、威厳を示すためには、必要だと思うんだよね」
私にしては気の利いた言い訳ではないだろうか。
こんなかわいらしい、魔法少女チックな翼に威厳もなにもないと思うけど。
「でもさ、真の強者ならさ、外見のどうこうには頼らずに、ただ存在するだけでみんなを震わせるような、そんな存在感こそが大事なんじゃない?」
「う……」
納得してしまいそうだ。
駄目だ。屁理屈に過ぎないし、ここで折れたらこいつに私の身体の一部を喰われる。
負けるな私。
「……と、というかさ。飾り羽を食べるって、服飾品を食べるってことで、それ私の服食べたいって言ってるのとおんなじだと思うんだよね」
「フランちゃんの服、じゅるり」
イカれてる。
なんだこの異常者は。
こんなやつ私の友達じゃない。
こんなやつ知らない、つまみだせ。
そもそもなんでここにいるんだ。
美鈴仕事しろ、後で咲夜にチクってやる。
刺されてしまえ。
「いや、無理……」
まずい。
本音が出てしまった。
異常者を刺激するのは、得策とは言えないだろう。
取り繕わなければ。
「あーもう!フランちゃんはああいえばこういう、こういえばああいうで、私の願いなんて聞いてくれないんだねっ!この意地悪!鬼!悪魔!魔女!」
「意地悪はともかく吸血鬼だし悪魔の妹だし魔女だし全部間違ってはないんだよね」
相手が感情的になったからと言って感情的になっては、話にならない。
どんな時でも冷静に。
「落ち着いてこいしちゃん。とりあえず、私のお姉様を呼んでくるからさ、」
「ぱくっ」
……ふむ。
油断していた。
人生最大の危機、無事到来。
こいしは、ベッドに向かい合って座っていた、私の、不用心にも広げていた翼(閉じておけばよかった)に、そこに左右で合計16個付いている輝く結晶のひとつ、これから忘れることはないであろう桃色に、飛びついて、もぐこともせずに、そのままぱくっと口に入れた。
翼と繋がっている丸いビーズみたいな部分から、結晶の一番下、尖っているところまで、ぱくっと一口で。
そして翼の枝のような部分を軽く掴んで固定しながら、桃色の結晶を翼から完全に分離させてしまった。
要は。
要は、私のこの翼の結晶は、無残にもこの古明地こいしに喰われてしまったということだ。
「…ぁ、あぁっ…ああぁ…!」
その瞬間、絶望からか、ひどい倦怠感のような何かが渦巻く。
こいしはその間に距離を取り、結晶を笑顔で堪能している。
「こ、…この…このぉっ…!この、サイコパス…!異常者、め…!」
ショックで、うまく舌が回らない。
ゆ、許せない。
許せない、許せない、許せない、許せない、許せない許せない許せない許せない許せない!
わ、私の、私の!大切な、大事な翼が、傷つけられて、
大事な翼?
大事?
どうして?
あの翼に思い入れとかあったっけ?
どうせあれがあろうとなかろうと恐らく飛べるだろうし、ひとつだけ結晶を喰われて歯抜けみたいになってしまうのは気になるが、別に見た目もそこまで気に入っていたわけではないし、なんならこのやたら横に広い翼は邪魔と感じていたはずなのに?
それなのに。
なんだ、なんなんだ。
なんだこの、翼の結晶を一つ失っただけにしては大きすぎるこの喪失感は?
分からない。
分からないけど、だけどとりあえず。
私にとっては大事だったんだ。
それでいい。理由なんか、それだけで充分すぎるくらいだ。
失って気づく大切さ。
それだったんだ。
それでいい。
理由なんてどうでもいい。
この翼は、お姉様が、
お姉様?
なぜそこでお姉様が出てくる?
出てくるとしたら、もう顔も曖昧にしか覚えてない母では?
母と父、もう覚えていないが、お姉様と翼が違いすぎるとは思っていた。
もし遺伝とかだとしたら、相当母と父の容姿は違っていたんだろうなあとは思った。
そもそも私に母っていたっけ。
いや、いた、いたはずだ。
一人で生まれたような気はしない。
そもそも関係ない、今このことは関係ない。
お姉様が出てきたのだって、頭が混乱していただけだろう。
その混乱に陥った私の頭を、急速に現実に引き戻すやつの声。
「なんか、不思議な味でおいしい!キャンディーみたいっていったけど、本当にキャンディーみたいにとけて消えちゃった!」
その瞬間私は失敗に気づいた。
混乱している場合ではなかった。
即座に吸血鬼の反応速度と身体能力を見せつけるべく、やつのもとに向かい、吐き出させればよかった。
どうにかなるかは分からないが。
しかしこの倦怠感。
絶望感、喪失感、不快感。
とてもじゃないが動けたものじゃない。
やつは呑気に味のレビューを続ける。
「なんだか、元気出てきた!幸せな感じする!ねえねえ、もう一つ食べていい?」
目にハートマークが浮かんだかの如しやつのその瞳を見て、
そして私はなにも考えられなくなった。
やつが、こいしが、次々に私の結晶を食していくその様を、指先すら動かせないその身体で、病んだ瞳で、感じた。
その度に『少し苦くて悲しい味』とか、『胸がいっぱいになってくる』とか言って、時折、私を見て『どうしたの?』とかほざいていたが、それすらも病んだ瞳で見つめることしかできなかった。
こいしは動かなくなった私の体を抱きしめたり、ぶんぶん振ってみたり、変顔したりしたが、それすらどうでもよかった。
なにも感じられない。
怒りすらも芽生えない。
悲しみすらも覚えない。
どうしてだ?
ひとつ結晶を失うごとに感じる、何か大きなものが欠けていく感じ。
心が弱くなる感じ。
どうして、どうして、どうして?
動かない頭を無理やり動かそうとして、余計になにも分からなくなる。
そうしているうちに、ふと思いついたように、彼女は少し暗い顔をして出ていってしまった。
部屋にひとり取り残された私は、少しだけ目を動かして、なにも無くなった両翼が視界に映ったのを最後に、徐々に意識が朦朧として、
「ねえ、フランちゃんのお姉ちゃん」
「……あら。フランのお友達かしら」
フランが以前に目の前の少女のような風貌の人物のことを話していたような気がする。
時に楽しげに、時に呆れたように、時に困ったように、時に愛おしむように語っていた気がする。
声をかけられるまでいたことに気づかなかったが、それは私がこの本にそれだけ集中していたということだろうか。
これからは来客にもすぐに対応できるように、気を配らなくては。
「どうしたの?」
「フランちゃんがね、動かなくなっちゃったの…」
「……?」
喧嘩して弾幕でも打ったのだろうか。
でも特に音は聞こえてこなかったし、フランは最近割と冷静な気もする。喧嘩になるようなことをするだろうか。
「なんだか、すごく元気がなさそうで、全然動いてくれないの……」
「そう……なの。少し、見にいくわ。一緒に来る?」
「うん。私、フランちゃん心配!」
私達は、フランの部屋に足を運んだ。
そこで私が妹の姿を目にした時、私は気を失いそうになった。
むしろどうして彼女を直視できているのだろう。
壁に寄りかかった、『変わり果てた』彼女の姿。
「……ぇ、…どうして…?」
私は答えが返ってくることはないであろう問いを発する。
「…あの、」
私がフランに駆け寄り、その変わり果てた翼を確認していると、彼女が声を発した。
「あの、ごめんなさい…あのね…それ、食べちゃったの…」
「……え?」
「えっと…お、美味しそうで、食べちゃったの…そしたら、元気、無くなっ、って。う、ぅ、…っ、っく、うぅ…ふ、ランちゃ、ぁっ…」
彼女はそう告げて、泣き出してしまった。
それで彼女に意識が向けられると共に、今まで目に入らなかったのが不思議なくらいだが、『三つ目の瞳』が目に入る。
そうだ、思い出した。
この少女は、あの地底の異端の覚ではないだろうか。
瞳を潰した、……古明地こいし。
しかし。
古明地こいし、この少女は、友人がこんな状況に陥っても心配して泣き出すような感性を持つ少女ではないし、こんな状況に陥っても姉を呼びにいくような論理性を持ち合わせた少女でもない。
瞳を潰し、心も空っぽになったはずで、行動は自分にも予測がつかないはずなのだ。
いや、『はず』であったかもしれないが、でも私は今の彼女の一言で、全てを察した。
ああ、だからか。
そう思った。
いや、部屋に入った時点で大方全てを悟り切っていたが、わずかな『そうであって欲しくない』という思いは、残念ながら結ばれなかったようだ。
「……そう。後は、もう大丈夫よ。あなたは、もうお帰りなさいな。フランが元気になったら、教えてあげるから」
「…ぅ…う、っ…やく、そくだよ…!教え…、てね…!…ぅ、ぅう…っ」
そうして、彼女は泣きながら部屋を出ていった。
私は彼女が遠くに行ったことを確認した上で、私は未だ動かないフランの体を抱き上げ、歩き出した。
フランと同じくらい動かない彼女の元へ。
相変わらずいつもの定位置の席に座り本を読む彼女、私の親友パチェの元に行き、テーブルを向かいにした席にフランを無理やり座らせる。
なんだかだらしのない座り方になってしまったので、人形にポーズを取らせるように、無理やり手足を動かして行儀良い感じに座らせようとしたが、残念ながらうまくはいかなかった。
「どうしたのよ、レミィ……あぁ」
我が親友は物分かりがいい。
フランのその『姿』を見て、すぐに気づいたようだ。
「どうしてかは分からないけど、そう……面倒なことになったのね……」
それでも本から目を離さない。
「えぇ。まあ理由はもうこの際いいのだけど、これ、どうにかできる?」
「できるけれど……」
そこでようやく本から目を挙げ、フランの両翼に目をやる。
「まさかそれ、全部無くなるとはね…結構、作るの難しいのよ」
「そう……、ごめんなさい。人形使いも、呼んだ方がいいかしら?」
「そうね、お願いするわ。やっぱり、アリスがこの類の魔法には一番長けているのは、事実だし」
「分かったわ。今から呼ぶから、準備をしておいてちょうだい」
私は、愛すべき妹のために、自ら曇天の中の鬱屈な森へと足を踏み入れた。
「えぇ?そうなの?」
人形使い、アリス・マーガトロイドの反応は、思っていたよりなんだか腑抜けた感じだった。
「……そんなことがあるのね。まさか、食べちゃうなんて…、ねぇ……」
「私も予想外だったわ…これからは、あの友達にも目を配らないとね」
「まぁ、確かにこれから何するか分からないけれど、後のことはいいわ。とりあえず、今をどうにかしましょう」
「えぇ、お願いするわ」
アリスは数体の人形を引き連れて、空へ飛び立つ。
私もそれを追い、共に館へと向かった。
アリスと初めて協力したのは、どれくらい前かわからないかなり前。
アリスと共に、私の気持ちよりはいくらか晴れやかな曇天を舞いながらぼんやりと考える。
数百年前だったような、数年前だったような。
やっぱり数百年前な気がする。
それくらい前に、フランドールは気を病んだ。
どうやら私達が思っていた以上に、地下室という空間は辛いらしい。
今になっては好んであそこにいる傾向が高いけれど、昔は意外とそうでもなかった。
あれでも活発な妹だった。
しかしいろいろ危ういところが多すぎた。
何かあれば物を壊すし、何もなくても物を壊す。
少し感性も違うし、やはり危ういところが多かった。
そして、苦渋の決断で、私達はフランを地下室に閉じ込めた。
閉じ込めたと言っても、鍵なんて破壊しようと思えば破壊できるのだから、全く閉じ込められていないけれど、彼女にとって問題はそこではなかったらしい。
つまり、『いつでも脱出できるけどみんなに必要とされていない』と感じざるを得ないその状況が、強いストレスだったようだ。
いつでも脱出できるのにわざわざ閉じ込めておくというのは、『出てきて欲しくない』という意思表示。
今まで仲良くしていた人から、出てきて欲しくない、必要としていないと伝えられるに値し、でもそれを直接言われることはない環境。
それが幼きフランドールには、気を病むに十分すぎるストレスだった。
彼女は動かなくなった。
微動だにしなくなった。
澄んだ美しい紅の瞳は、ぼんやりとした瞳になって、
ふわふわと柔らかい輝く金髪が、風に舞うこともなくなって、
私とお揃いだった翼は、ストレスでぼろぼろになった。
そうだ。
フランドールの翼は、元々は私と同じようなコウモリを彷彿とさせる翼だった。
しかし、私達の想定外だった強いストレス環境によりぼろぼろになっていき、解決策を見つける頃には、もうほとんど翼は破れてしまった。
薄くなっている、ほのかに紅い部分は床に落ち、今のフランの翼の枝のような部分に当たるところだけが残った。
その無惨な姿に、あの時は即座に気を失った。
ごめんなさい。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめ
取り返しのつかない事態に陥ってしまったことに、これまででも最大の自責の念に駆られ、自害しようと思った。
でもフランは、私が死ぬことなんて求めていない。
私が、どうにかしなくちゃ。
助けなきゃ。
私は日々、パチェの図書館に入り浸った。
正解を求めて、探し続けた。
パチェも、何も言わずに協力してくれた。
そして見つけたのが、人形に関する魔法の文献。
より人間に近く、自ら意思を持って動く、自律人形の研究。
その中に、『感情を注ぐことではないか』というような記述があり、感情を注ぐための魔力の籠った魔法石の研究も成されていた。
私達はその時に、アリスに協力を願った。
アリスは快く受け入れてくれた。
そして私達はその後も様々な文献を読み漁り、『魔法石』の作り方を確立した。
アリスが中心となり、ひとつの翼につき8つ、左右で16個の『魔法石』は完成した。
空色には、好奇心を。
黄緑には、若々しい感性を。
黄色には、弾けるような元気を。
橙色には、淑女らしい振る舞いを。
桃色には、恋の心を。
紫色には、憂鬱な心を。
青色には、悲劇の心を。
彼女の本来の性格に近づけるため、空色だけはふたつ作って、そしてそこからが問題だった。
これをどうやって与えよう?
普通に食べさせてもいい。
しかし私は、身に付けさせることを提案した。
あんな枝切れが背中に刺さったような翼は、正直不恰好だと思っていた。
あれをどうにかしたい。
そこで私は思いついた。
翼に吊るす。
二人はその発想に驚いてもいたが、同時に賛同もしていた。
私達は翼に『心』を入れた。
そうしてフランドール・スカーレットは、再び感情を取り戻し、動くようになり、
あふれる好奇心を取り戻し、
若々しい感性を取り戻し、
弾けるような元気を取り戻し、
淑女らしい振る舞いで日々を過ごし、
今日も何かにときめいて、
今日も何かに憂鬱で、
今日も何かに悲しむようになった。
それが、最初。
同じことをする。
フランに心を入れる。
絶対に。
私達が館についたころには、その決意はより堅いものになった。
「さあ。始めましょうか」
パチェは、到着と同時に本を閉じた。
まずは材料を揃える。
術式の確認。
順序の確認。
また、前回から細かい点を修正して。
そして、魔法を唱える。
『 』
私には聞き取ることのできない、魔法使いの言葉。
その言葉で、心を創る。
『 』『 』
私には何も分からない。
だとしても、フランを救う、救ってみせる。
『 ……!』
目の前が眩い光に包まれ、そして後には、16個の石が残った。
「……よし。完成ね。」
アリスは満足げな顔をする。
「実は少しだけ実験としても参加したんだけど、結構有用な実験になったわ。ありがとうね」
アリスはそう言うが早いか、帰ってしまった。
早速実験の結果を人形に応用でもするのだろうか。
単純に逃げたのかもしれない。
とにかく私とパチェはその輝く結晶を手にして、地下室へ向かう。
あの時の光景がフラッシュバックされる。
「…ぅ、……」
気絶しそうになった。
気を強く持て。
もう少しで、妹を救える。
「じゃ、つけちゃいましょう」
パチェは何もないかのように、翼に魔法石を取り付ける。
違和感のないように、前と同じ順番で。
あっけないくらいに、その作業は黙々と、着々と行われていく。
「最後にこの空色で……」
好奇心が、彼女の心に加えられる。
「……全部、間違いないわよね。これであとは、しばらくしたら適合が完了して、魔法が作用するはず」
「ええ、そうね……。ありがとう、パチェ」
「なんてことないわ、レミィ」
フランが目を覚ます前に、私達は地下室から出る。
アリスにも礼を言わなくては。
「あ……そういえば」
元気になったら教えると、あの古明地こいしと約束していた。
正直ことの発端である彼女に教えたくはないが。
こいしはあの石を食べて、私に伝えるあたりで適合が終わったらしい。
それで彼女は、心を、論理性を、自我を、取り戻したのだろう。
「やれやれ……姉にどう伝えるかね」
こいしの姉は、突然感情と論理性と自我を帯びた妹を前に困惑しているだろう。
「とはいえ、このことは公にしたくないし、心を読まれてはたまらないから、こいしを通して伝えさせましょう」
全てが、丸く収まっていく。
これを機に、少しはフランと遊ぶようにしよう。
そんなことを考えながら、私は菓子折りを手にした。
「ふふふ、今回はすっごく良い実験だったわ」
独り言をして、人形と共にお茶を入れる。
「あれはもう、ほとんど自律人形だもの」
そう言いながら、今日の実験を思い出す。
前回不完全だった部分が補修されて、彼女の創られたココロは完璧になった。
創られた完璧なココロを持つ、人形になった。
あの少女はなかなか私の人形に近い容姿を持っているし、美しい。
どうにかして家に招き入れることはできないだろうか。
もっと実験をしてみたい。
お茶をすすりながら、私は少しだけフランドールに意識を向ける。
人形が今何をしているかの確認。
目には、彼女の眼を通した光景が浮かぶ。
「あら、楽しそう」
フランドールは、友人と思われる少女と、笑って仲良く遊んでいた。
たしか、覚の少女だ。
魔理沙と異変を解決した時の、地底の。
覚には、彼女のココロって読めるのかな。
あの少女は、瞳を潰したが、姉の方はどうだろう。
その実験もしたい。
笑っているのは覚の少女だけではなく、フランドールの方もらしい。
朗らかに、笑っていた。
偽りのココロで、笑っていた。
冒頭の賢いのにどこかアホっぽいフランちゃんの混乱ぶりに笑ってましたが一気にそこから闇の深い話へ切り替わってびびりました。そういう方向に向かうのか……!
楽しめました。良かったです。
フランのあれって食べられたんだ
斬新な発想をかわいらしく書きつつも衝撃的な真実とのギャップにドキドキしました
次の作品をとても楽しみにしています
ご馳走様でした。面白かったです。