「私は出身は四国の奥の方の山ん中でね。農家の一人っ子だったんですよ。
狭い谷筋の両脇の、山裾がちょっと平らになったところにへばりつくように家が並んで、集落になって、その間に田畑が広がっている、昔ながらの……なんて言っても、今の人にはちょっと想像できませんかね、はは。家族で農業やってるような時代があったんですよ。そういうところの生まれです。もう60年以上も前のことになりますがね。
その頃は、まだ村中に小さな祠だの、神社だのがいくつも残ってましてね、よくお供え物がしてありました。カップ酒とか……ご存じないでしょうかね。まあ、安酒ですわ。このバーの立派なカクテルなんかよりよっぽど出来が悪くて、手っ取り早く酔えて、まずくって、あの頃はそんなことちっとも思わなかったけど、いいもんでしたな。旧型酒だなんだと言いますけれど、やっぱり本当に昔の思い出ってやつにはね、敵いませんわ。いやはや、老人の戯言ですな。ええ、それでですね、まあ、だから、そうやって祀られていたうちの一人だったんだと思いますよ、彼女は。
毎年秋になると、どこからかやってくるんです。ふと気が付いたらそこら辺をふらふら歩いててね。田んぼの間の小道を走る軽トラの荷台にちょこんと腰掛けていたりするわけです。本人は山から降りてくるのよ、なんて東の方を指さしてましたけどね、どうでしょうかね。そして秋の終わりが近づくと、ええ、11月のおしまいくらいですね、するりといなくなってしまう。
綺麗な人でしたよ。ちょうどそちらのお嬢さんのような美しい金髪でね、帽子にはブドウの髪飾りが留めてあって、いつだって紅葉と銀杏の色の服を着ていました。ははは、口だけじゃどうしたってわかりませんわな。そうだと思ってね、彼女の絵を持ってきたんです。簡単なものですけどね。ええ、用意がいいでしょう。これです。──これが私の記憶にある通りの彼女です。どうです、よくできてるでしょう。私が描いたんですよ。そうですか、驚きましたか。ははは、ありがとうございます。これでもね、若いころは画家を目指してたんですよ。絵なんてね、ずいぶん描いとらんかったんですが、最近隠居の身になりましてね、それでまた、火が付いたって次第で。ああ、そちらは差し上げますよ。ちょっとしたお礼です。
それで、毎年秋になるとやってくる、と言いましたがね、正しくは彼女がやってきたから秋になった、ってことだったんでしょうな。実際、彼女が現れるとみるみる木々は色づいて、田んぼもね、お辞儀をするように一斉に穂を垂れました。それで、いなくなった途端に、狙いすましたかのように葉は落ちていくわけですから。
いえ、別段不思議だとは思いませんでしたね。なにしろ私が赤ん坊のころからずっと彼女は傍にいたんです。ええ、私は長いこと地元しか知らなかったわけですからね、当たり前のもんだと、つまり他所にもね、どこだってこういう子がいるんだろうと、そう思ってました。私が物心つく前から遊び相手になってくれてましたからね。追いかけっこをしてどろんこに、とかね。いや、泥まみれだったのは私だけでしたな。向こうは裸足で田んぼだろうとお構いなしに入っていって、でもぬかるみにちっとも足を取られないんです。まるで重さなんてないように駆け回って、それで、服には泥跳ねの一つだってつかないで……その方が、よっぽど私には不思議でした。
あの頃は、地方の過疎化と高齢化が一番騒がれていた時代ですから、私の集落にも子供なんてもうほとんどいなくって、村中探しても、私の他にはひとりだけ安田さんとこの兄ちゃんってのがいたけど、ひと回りも年が離れてたからそれほど仲は良くなくってね、ええ、それで全部でした。そのあと新しく子供が生まれたなんて話もとんと聞かないままに、人口集約政策であの辺はみーんな無人になっちゃいましたから。つまり、私があそこで生まれ育った最後の世代ってことになるんでしょうね。そういう環境だから、彼女は良き遊び相手でね。ちっちゃいころは秋が楽しみでしたよ。普段はひとりでその辺ほっつきあるくしかないわけですから。あっちでもきっとそのことを気にかけてくれててね、秋になるとまず私に会いに来て、私にだけは別れの挨拶を欠かさなかった。
しかし、秋ってのはただでさえ短い季節ですよ。当時の私にとってはなおのことです。だから、小学校に上がるくらいの頃ですかね、彼女が暇を告げに来た時に一度、もっと長く滞在するよう頼みこんだんですよ。頼んだっていうとなんだか印象がいいですけれど、要は泣きながらだだをこねたんですな。どこにもいかないでくれ、ずっとここにいてくれってね。彼女は困ったように笑って、こう言いました。私はね、なにかを変えることは大得意だけれど、自分が変わるっていうのはひどく苦手なのよ。なにしろ、変わらず巡る季節を司ってるんですもの。ねえ君、考えてごらんなさいよ。私が一年中ここにいたら、ここの暮らしは全部めちゃくちゃになってしまうわ。なんてことをね、噛んで含めるように。それだって当時の私では半分も理解できませんでしたけれど、やっぱりどこか飲み込めるものはあって、そこでようやく、私と彼女はぜんぜん違う生き物だって気づいたんですね
ただ、それでも翌年から彼女は数日早く来て、数日遅く帰ってくれるようになりました。だから郷里だけは、紅葉の色づくのが早かった。
違ったと言えばね、彼女は村の外には出られなかった、いや、出たがりませんでした。私が誘っても、この村の外には行かないわって。そういう古い約束があるんだとかなんだとかで。無理強いしたって、私はそういう存在なのよって頑固に言うばかりでした。
いえ、信じていないと見えないとか、そういう話ではなかったですな。むしろ見えない人は村の中にしかいませんでした。というのも、彼女をあんまり怒らせてしまうと、見えなくなったんですよ。まあ、大抵のことは許してくれましたから、見えない人はほとんどいませんでした。つまり少しはいたってことですがね。さっき言った安田さんとこの子も見えない人でした。なんでも祭りの日に、社に手ひどいイタズラをしたとか何かでね。その見える見えないが、あるいは我々が疎遠だった理由の一つかもしれません。とにかく、少なくとも私の前で彼女が本気で怒ったことは一度もなかった。
そういうわけで、他所の人が村にやってきてもまず見えていたはずです。幾度か聞かれましたよ。あれはどこの娘だって。でも彼女が神様であるとか、そういう話はけして外には広まらなかった。私もね、ああ、彼女みたいなのは他にいないんだって、小学校に上がって、他所の子供たちとの付き合いが生まれてようやく気が付いて、それから心の中で決めたんです。彼女のことは絶対秘密にしておこうって。なぜでしょうね。子供なら自慢したがるような気もしますがね。まあ、きっと誰かにとられるのが嫌だったんでしょうな、私にとってはただ一人の姉のような存在でしたから。
村の人らもね、別になんにも言いませんでしたね。というよりも、みんな彼女とはある種、線を引いていたようなところがありました。なんていったらいいんでしょうかね。おお、今年もいらっしゃったぞって感じで、挨拶とかはしていましたけど、仲良く世間話をするような間柄じゃなかった。みんなアキガミ様って呼んでましたね。漢字にすれば秋の神でしょうかね、はは、安直ですよね、そう思います。私だけは姉ちゃんって呼んでました。さっきも言いましたけど、姉代わりの存在だったんですよ。一人っ子でしたからね。兄弟ってもんに憧れがありましたし、それだけ距離も近かった。それと比べると、やっぱり私より上の世代にはどこか、畏れて敬っているような雰囲気がね、ありましたよ。まあじい様ばあ様ばかりでしたからね、まだ信仰ってのに厚かったんでしょうかね。私はそうでもなかった。さりとて彼女の力を疑ったこともありませんでしたから、言ってしまえば、宗教とか、そういう古いものが急速に力を失って、科学世紀に突入していく、ちょうどその隙間のところにいたんですね。過渡期だからこそ、生まれた態度だったのかもしれません。私も当時は若い考え方の世代だったってことですよ、これでもね。
彼女はなにくれとなく面倒を見てくれましたから、私もずいぶん懐きました。普通はね、子供の遊びってのは上と下が一緒に遊ぶ中で伝えられていくもんなんでしょうけれど、言ったとおりの状況だったから、私は全部彼女から教わりました。ネズミギ……こっちでは何というんでしょうかね、ちょっとわかりませんが、とにかく草笛に使う木です。その綺麗に音が出る葉っぱの選び方とかね。彼女が作った竹とんぼは実によく飛びました。私も結構器用な方でしたがね、勝てたためしがなかった。
遊んでいるばかりじゃだめだ、これからは学問もしなきゃ、ってんで、学校の勉強だって見てくれましたよ。神様に国語算数ができるのか、なんて思うでしょうけどね、これがどうして、なかなかの教え上手だったんですよ。おかげか結構成績は良かったんです。もしかしたらそっちのご利益もあったのかもしれませんな。世話焼きな人でした。
まあ、お節介なのはいいことばかりじゃなくってね、修学旅行の前の日におしかけてきて、ふたりで荷造りする羽目になったのは閉口しました。やたらに心配性なもんだから、畳の上にばあっと物を広げて、これは入れたの、あれは持っていかないの、村の外に行ったら私は守ってあげられないよ、なんて調子ですから、私は随分うるさがりました。それを言うなら冬春夏はどうなんだって話でしょう。
ああ、絵もね、始めたきっかけは彼女なんです。一人の間が暇でしょうがないって訴えたらね。じゃあ絵でも描いたらいいじゃない。私はこの村の秋しか見られないんだから、君が他の季節の景色を描いて、見せてちょうだいよ、なんていうんです。それで拙いながらに夏に食べたスイカだの、道を歩いていた野良犬だのを描き溜めて、翌年渡したら非常に喜んでくれました。ええ、それですっかり私もその気になって、ずっと描いてばっかりでね、それからは毎年、秋の初めの展覧会がお決まりになりました。彼女はどんな絵でも好みましたね。本当に何でも。鶏小屋のスケッチですら、手放しに誉めてくれたもんです。一緒に、絵になりそうな景色を探し回ることもありました。彼女に眺めのよいところに連れて行ってもらってね、夏にはきっとここから青田が綺麗に見えるだろうとか、あれこれ話し合って。それだけで半日くらいは簡単に過ぎて行ってしまったものです。
それで、本業、っていうと変ですがね、五穀豊穣の神様としてのご利益も確かだったと思いますよ。うちの集落は実りがいいってのがちょっとした自慢でね。特に豊作だった年は彼女も得意げでした。私に向かってしきりに、精一杯胸を張って、どれほど自分が頑張ったかってのをめいっぱい主張してきてね。でも当時の私にそんな話をされても、収穫がどれほど農家にとって切実な問題なのかって、根っこのところではやっぱりわかりっこないですからね。漠然と、きっと凄いことなんだろうとは思いましたけどね。彼女は時折、山ブドウだのアケビだのをお土産に持ってきて、食べさせてくれることがあって、私からしたらそっちの方がよっぽどありがたいことでしたよ。
ただそうですな、なにしろ神様ご本人がいらっしゃるわけですからね、うちの村では収穫を祝う秋祭りが一番大きな祭事だったんです。彼女を神輿に載せて集落中を練り歩いて、それから神社で舞を奉納したりするんですな。その間の彼女は、いつになく背筋もしゃんとして、眼も恐ろしいくらい真剣でしたよ。
その後、どういう由来なのかはわかりませんがね、夜になると、家ごとにその年とれた稲を一束ずつ出しあって、それで小さな平べったい餅を作るんです。それを彼女に捧げて、食べてもらうんですな。その所作が美しかった。本堂の真ん中にちょこんと正座して、片手で餅をそっと取り上げて、ゆっくり、静かに食べるんです。一年の内で、その日だけは誰でも本堂に入って良くてね、といっても小さな建物で、しかも半分は彼女のために空けてましたから、残りの狭い空間にみんなでぎゅうぎゅう身を寄せて、でも喋りもせずにじいっと彼女の様子を見てるんです。彼女の方でもね、音なんかちっとも立てないで、小さく口を開けて、月がだんだん欠けるみたいに、するする食べていってしまう。白熱電球にぼんやり照らされた彼女の横顔を、今でもはっきり覚えています。神々しいってのはああいうのをいうんでしょうな。
だからその時だけは、やっぱり特別な存在だったかもしれません。でも普段はただの気のいい姉ちゃんでした。一年ごとに私の方も背が伸びて行って、彼女はそんなに上背はありませんでしたから、中学のころにはもう私の方が大きかったくらいですけどね、でもやっぱり姉ちゃんって感じでしたね。ずっと、それは変わらなかった。まあ、きっと実際は今の私なんかよりもずっとずっと年上だったでしょうからね、当たり前ですかね。もう私は息子も娘も独り立ちして、あの頃の私らと同じ年頃の孫だっていますがね、でも記憶の中の彼女はいつだって年上の顔をしています。
といってね、別に折り目正しいとか、そういうわけでは無かったですね。むしろお転婆で破天荒なところがありました。高校の、1年生くらいでしたかね。彼女と村を歩き回っていたら、とある祠の前にカップ酒と菓子パンが一袋お供えしてあって、彼女はそれを見て、これ貰っちゃおうよ、なんて言いだしたんです。それはないだろうと止めても、いやいや、これは私を祀る祠でしょ、てことは私に対するお供えじゃん、じゃあ、私がもらって何が悪いのよ!ってんで聞かないで、ぐびぐびやりだすわけです。ほんとに彼女が祀られてたのかも定かじゃないんですけれどね。そのうちに、カップを私にも差し出してきて、ほらあなたも飲みなさい、一緒に飲まなきゃつまらないじゃない、って誘ってくるんです。当時は未成年の飲酒はまだ違法でしたからね、全くとんでもない神様もいたもんです。ま、神様に人の法なんて関係ありませんか、ははは。
それで、私もまあ、興味を持つ年頃ですから、結局はありがたく頂いてね。けれどこれがとんでもなくまずかった。妙に甘ったるくってねえ。さっきも言ったように、安酒ですから。それにすぐ悪くなる。度数も結構強かったはずですからね。とにかく、最初に飲むような酒じゃないんですよ。けれど彼女が実に面白そうに、あなたにはまだ早い酒ね、なんて言うもんですから、私も意地になってね、乾ききって、こっちもやっぱり全然美味しくないパンと一緒に流し込む、そんな要領で飲み続けるんです。彼女もそれを見て、嬉しそうな顔で私からひったくって飲む。それをまた私が奪い返して、なんて風にね。だから私の初酒は、菓子パンを肴にカップ酒を神様と回し飲みってことになります。どうですか、なかなかいないでしょうね、こんな人は。
さりとて、それだけならまあ、よくあるヤンチャ話で済むんでしょうが、この話には続きがありましてね。なにってその後、私は盛大に腹を壊したんですよ。悪酔いしたのがいけなかったのか、お供え物が古かったのかわかりませんけどね、すっかり寝込んでしまって、それで彼女が治療の為に呼ばれてね。ええ、そうです、当時はまず彼女に頼ったんです。今なら、というより当時ですら世間様には神頼みの前に病院にいけって怒られたでしょうけどね、私の故郷にはまだそういう習いが生き残っていたんです。病気に限らず、秋に起こった問題ごとだったらなんでも彼女に相談していましたよ。それで実際、まあ大抵のことはなんとかしてくれたわけですしね。その日も神妙な顔をしながら我が家にやってきて、何やら呪文みたいなのをぶつぶつ呟いて、妙に大きな葉っぱを私の腹に押し当てたりしていました。けれど、これでよし、もう変なもん拾って食うんじゃないわよ、なんて言われた日にはね、治してもらったってなんだか釈然としなかったですわ。原因を作ったのはあっちなんだから、壮大なマッチポンプです。
あれですな、ちょっと真実味のある拝み屋のようなもんですよ。ええと、拝み屋っちゅうのはですね。昔は、まあ大抵女性なんですがね、どこの集落にもそういう、口寄せとかその類の宗教的なことを生業としている人がいたんですよ。私のところにもいました。独身のばあ様でね、どういう経緯かはとんとわかりませんけど、村はずれの、不動明王を祀ってるプレハブみたいな小屋に住んでいて、だからみんなお不動さんって呼んでいました。頭は丸めてましたけど、といってもマジナイやってるようなところはついぞ見ませんでしたね。普段はあちこちの祠の手入れとか、そういうことをやっていたようです。ははあ、やっぱり知りませんか。ご出身はどちらの方で? ああ、東にはあまりいなかったというような話も聞きますからね、東京にはなかったかもしれませんね。それに、私が生まれたころだって、もう既にほとんど残っていなかったようですから。
話が逸れました。さて、彼女と村の付き合いがいつなくなったかってのは、もうわからないですね。私が村を出ていってからはね、そんな話家族とはしなかった……というより、実家とは折り合いが悪かったんですよ。私はさっきも言ったけど画家になりたくってね。東京にあった専門学校に行くつもりだったんです。でも親は反対しましたよ。地元の国立大学に行けってね。本音を言えば農家を継いでほしかったんでしょうが、もうそんなことはとても言えないような時代でしたからね。親は2人とも大学に行かないで田んぼやってたわけで、ある意味では一番、未来のないことをわかっていたでしょうから。だからせめて息子には大学を出て、そして地元に残ってほしい……ってことだったんでしょうね。まあ、今となってはそういう親心もわかりますがね、当時はね。そんなこと言われたって反発するばかりですよ。それで、高校卒業と同時に、勢いそのままに家飛び出しちゃって。ずいぶん連絡すら取らなかった。ようやくまともに話せる関係になったころにはボケてなんにもわかんなくなっててね。ははは。皮肉ですわな。でもまあ、彼女は村がなくなるまで、ずうっと来ていたはずです。
そう、だから私が彼女と最後に会ったのは高校3年生の時の秋ってことになります。それで、もうなんとなくお気づきかもしれないですがね、私は当時彼女のことが好きだったんです。はは、恥ずかしながらね。ある意味で幼馴染みたいなもんでしたからね。今思えば当然のなりゆきでしょうかね。でも、直接想いを伝える勇気がどうしてもなくってね。ラブレターまで書いたんですよ。今となっては笑い話ですけど、当時は真面目くさって思いの丈を便せん一枚に詰め込んで、それに彼女の絵を同封しましたね。まあ、青かったんですな、いろいろと。よく言えば、ロマンチストだったってことです。ははは、美化しすぎですか。
でもそれも渡せなくって。なにしろ、私は来年から東京に出るつもりだったしね。それに相手は、なんといいますか、普通の女の子じゃないわけですから。つまりその、身分違いの恋なんて言うと大げさですかね。でもやっぱり、そういう意識はありましたよ。あるいは単にフラれるのが怖かっただけかもしれませんけどね、とにかく、渡せなかったんです。
それで足踏みしているうちに秋も暮れて、紅葉もすっかり茶色くなっちゃって、どうしようもない気持ちになってね、用水路の上に架けてある、橋とも呼べないようなちっちゃなコンクリの足場に腰かけて、夕暮れに飛びまわる赤トンボをぼーっと眺めてたんです。そしたら彼女がふいっと隣に腰を下ろしてきて、どうしたのよって聞いてくるんですよ。でもまさか、貴女のことで思い悩んでるんだとはね、言えないでしょう。ですから、好きな子がいるんだけど、どう接したらいいかわからない、なんてことを言ったわけです。実際女の子との関わりなんてろくすっぽないわけですから、それもあながち嘘じゃなかったわけで。
そしたら、彼女少し考えてから、じゃあ私とデートの練習をしようじゃないか、って言いだしてね。それからあれよあれよという間に、次の日に一緒に出掛けることになりました。行き先は、2時間くらいかかるところにあるフジグラン、ああ、いわゆるショッピングモールってやつですな。最近はもうありませんかね。ほう、東京の方はまだ、ええ、そうですか。とにかく、あの頃はちょうど流行ってましたからね、あそこもできたばかりだったと思います。
ショッピングモールでデートなんて、今思えばおかしな話ですけれど、でも当時の私にとっては都会とおしゃれの象徴でしたからね、それなりに緊張しましたよ。
ええ、彼女はちゃんと来ました。彼女が村の外に出るのを見たのはそれが最初で最後です。そりゃ驚きました。ただ、なにより驚いたのはね、彼女の装いです。なにって、普段はね、さっきお見せしたような、むしろ西洋の方の民族衣装にありそうな服だったんですよ。けれどその日は今風の、といっても半世紀前の今風ですけどね、ははは。そんな服装で、そちらの方がね、意外でした。モスグリーンのカーディガンなんか羽織っちゃってね。聞けば今時の子とデートするつもりなんだったら、私も今っぽい恰好をしなきゃとかなんとか。いやはや、一体どうやって用意したんでしょうかね。こればっかりは今でも謎です。手を繋いでもね、別にそんなことは、それまでだっていくらもありましたけど、その日だけは妙にどぎまぎしたもんです。
デートの中身の方は、まあ大したことはしませんでした。お互い金も、欲しいものもロクにありませんでしたからな。ぐるぐる歩き回って、ウィンドウショッピングってやつですわ。途中にあったドーナツ屋の、期間限定商品だかなんかを食べて、はは、彼女は口の端にクリームなんかくっつけて、あんなに綺麗に餅を食べてた人ですから、今思うと妙な話です。他には、ゲームセンターに行って、クレーンゲームで何百円か無駄にして、エアホッケーを幾度かやりましたね。彼女はたいして上手じゃなくって、負けるたびにもう一度、もう一度って挑んできて、それだけでずいぶん時間を使いました。……それから晩飯はチェーンの回転寿司で済ませて、あとは帰るだけ。今思えば、初デートのプランとしては落第でしょうな。まあ、女心なんてこれっぽっちもわからん年頃ですから。でも私は楽しかった。彼女も、すっかり楽しんでくれているように見えました。それだけでその時の私には十分だったんです。
きっとあっちでは私の気持ちにすっかり気が付いていたと思いますよ。彼女は私なんかよりずっと聡かったんですから。隠し事なんてできた試しがなかった。
それからはもうなんにもありません。結局告白なんてできないままで、間もなくその年も彼女が別れを告げに来て、それきりですわ。彼女はまた来年なんて言ってくれましたけどね、こっちとしてはね、もう東京に行くって決めてましたから、泣きそうなのをぐっとこらえてね。おう、またなって返して。男のつまらん意地ってやつです。ええ、上京のことは言わなかった。言えなかったんです。そうですね、あの時言えばよかったと、ずっと思っています。今だってそうです。それで、何が変わったわけでもないでしょうがね。
おふたりは、もう少し飲みますか。──そうですか。いえ、私はもう十分頂きましたから、お水だけ。
長々とつまらん思い出語りをしてしまいましたが、私の話はこれですっかりおしまいです。今となっては、私の住んでいた村も、彼女が祀られていた祠も、ふたりで出かけたショッピングモールも、全部きれいになくなってしまいました。彼女の写真も、昔は何枚かありましたけれど、遷都の時分にこっちに越してきたどさくさに紛れて失くしてしまいましたから、この話を証明できるようなものは、もう何もありません。
けれど、何もかもが変わってしまいましたけれど、彼女だけは今でも毎年、ちょうど今くらいの時期には山から降りてくるはずです。きっとそうです。──いいえ、消え去ったりしているはずがない。彼女はまだ、あそこに住んでいますとも。だって、ねえ、お嬢さんがた。人の営みがあろうがなかろうが、秋は変わらず訪れるものでしょう?
それでですね、私が本当に言いたかったことは、実はそこなのです。つまり、おふたりがもし私を信じてくださって、そして興味がおありなら、ぜひ彼女に会いに行っていただきたいのです。なに、別段理由とか、用事なんてものはありません。ただ、この年になって、彼女が確かにいるということを誰かに知っておいてほしいと、なんとなくそう思うようになったのです。もちろん、その気になってくださるのなら、場所はお教えしますとも。実を言えばね、さきほどの絵はその為にお渡ししたんですよ。
私ですか。行きたいのはやまやまですがね、今更、合わせる顔が無いのです。それに、私にはもう見えないでしょうからな、はっはっは」
地方に住む少年の青春が垣間見えたようでした
穣子様も神秘性を維持したまま地域に溶け込んでいてさすがでした
おじいさんの思い出話の合間合間にある、話し相手にかけるセリフで聞き手のいる語りなのだと常に感じられ、聞き手への語りかけを挿入するタイミングの上手さに感動しました。
これまでの同一作者の作品は、蓮子やメリー目線の話であり、語彙力や漢字力(?)の高めの、日常生活よりも難解な小説で目にするような鋭い言葉選びの文章でしたが、今作はおじいさんの語り・おじいさんの視点で話が進んでいく中で、前作ほどの鋭さがなく、(セリフなので当然ではあるのですが)日常生活で聞き馴染んだ言葉ばかりで構成されており、改めて作品への繊細なこだわりを感じました!
面白かったです!!