Coolier - 新生・東方創想話

渡る浮世に一休み

2008/07/06 17:42:08
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 三途の川のほとり。
 岸辺を埋め尽くすように、赤く紅く咲き誇る彼岸花は水面にその花弁を散らし、柔らかな流れがそれを包み込む。川のいたるところには、船頭のいない紅い小船がたゆたい、青き河水に一層の彩りを加える。

 禍々しく、時には不気味にすら覚えるその光景は、ひどく幻想的で美しかった。

 そんな情景を尻目に、目に今にも零れ落ちんと涙を溜め込み、豪快にあくびをかく人影が一つ。赤い髪に赤い髪飾り、赤い瞳を宿した長身の少女。傍らに抱いた、先のくねり曲がった鎌が印象的だ。川から少し離れた木陰に、どっと腰を下ろし、空をぼんやりと眺めている。
 少女の名は、小野塚小町。その鎌が象徴する死神である。ただ死神といっても、西洋的な、黒いローブにしゃれこうべの面の人に死を運ぶそれとは、全く違う。容姿からしても、極めて和風的な青を基調にした装束で、腰には銭をあしらった腰巻、スカートに下には、足袋に下駄というものだ。手にした鎌も魂を刈り取るためのものではなく、客を喜ばせるための模造品である。

 客と言ったのは、彼女の死神としての仕事が三途の川の渡し守であり、れっきとした第三次産業労働者であるからである。ここでの客とは、死人のことである。この世を去った者の霊を、三途を通して、冥土に引導を渡す。それが彼女の仕事である。というからには、やはり人を死に誘う意味でやはり死神であった。

 生まれる者があれば、死ぬ者もまたあるように、コウノトリの仕事と同じくらい死神も多忙な職業である。
 ただし彼女は、少々サボり癖があるようだ。中有の道の出店に遊びに行ったり、無縁の塚にやってきた妖精と雑談したり、薄く木漏れ日さす木の下で午睡を洒落込んだりするといった具合に。では今もそうか、というと若干事情が異なる。今回に限って言えば、彼女はサボろうとしてサボってはいない。むしろ通常の行いから見れば、先ほどまでは業務をしっかりこなしていた。此岸の岸辺に陣取り、霊を冥土に渡すべく、船の前で立ちながら客待ちをしていた。だが、待てど暮らせど霊は来ない。つまり彼女はとても暇だったのだ。

「せっかく今日もやる気だったんだが、まあ、客が来ないんじゃしょうがない」

 小町はそう一人言い訳して、木にもたれかかり一休みする。「も」に強いアクセントがかかっていたことは気のせいではない。

 難を言うとすれば、客が来ようが来まいが店番はするものであるのだが、もともと意欲には薄い性分のゆえ、そのような殊勝な考えは、彼女の頭の中には最初から存在していない。

 ふと頬を撫ぜる風が、妙にくすぐったい。このように風を感じたのいつ以来か、小町はそう思案する。

「正直、去年は忙しすぎたからなぁ」

 幻想郷で起こった60年目の花の異変。膨大な数の霊が此岸にたまり、花に身を寄せ、季節はずれの大開花が起こった。花に浮かれた妖怪や妖精、半人半霊やらメイドに巫女、魔法使いまで現れて大層賑やかだったと、思い起こす。
 普段は、マイペースかつ油売りな彼女にとってみれば、その仕事量は明らかに許容量を越えていた。そのことで閻魔様に叱られて、変にかわいい鳴き声をお気楽な幻想の住民共に聞かれてしまったことは、小町史上最大の失策であった。変にネタに豊富な幻想郷縁起などにみょんな鳴き声を挙げる江戸っ子死神と記載されやしないかと不安に思っているのは、花も恥じらう乙女だからである。

 そしてそんな受難を乗り越えて、最近になってやっと霊の数も落ち着き、普段の怠惰な彼女に戻ってきたというのだ。あせくせ働く質ではない彼女は、去年の自分を称えて褒めてやりたくらいだと思っている。ちなみに、閻魔様はそれが当然だと思っているということは、内緒でもなんでもなく、小町自身も周知のことだ。

 だから、このようにだらだらとするのは久しぶりだった。

「というか、あの変な異変のおかげで、朝ちゃんと起きて仕事にいくとか。どうしたよ、あたい」

 ふぁう~、と所在無げに吐き出した息とともに、意識も一緒に空に投げだされた。

「よし、昼寝だ」

 腕を枕に、木にさらに深くよりかかる。葉の間から差し込む幽かな薄い陽の光に、抱かれるようにまどろみかけた小町の目は、その時確かに見てしまった。視界の片隅、それでも一度視野に入れば意識せざるを得ないわけで・・・・・・

「げっ、客だ」
 
一瞬、無視してそのまま寝てやろうかと思った小町だったが、流石にそこまで薄情ではない。ただ、せっかく夢の世界に飛翔しようというところを、いきなり足を掴まれて、顔から土を食わされたのだ。小町は、若干機嫌が悪かった。

 運悪く死神に見初められてしまった霊は、あっちへこっちへと始終落ち着かない様子で、赤い河川敷を漂っている。中有の道へ辿る森へ戻ろうと迷ったり、川の方へ向かったりとせわしない。その霊は小町に気づいた様子も無く、ただ周囲をうろつくばかりであった。



「そこのお前さん、この船に乗るのかい?」

 だから、ぶっきらぼうに言い放つ小町を見て、霊は体を硬直させて、中空に静止してしまった。一瞬であるが、背中が逆立ったように見えた。背後から声をいきなり声をかけられて驚いてしまったようだ。霊は――霊に正面があるのかどうかわからないが――小町の正面に向き直る。なにか言いたげに霊は体を宙に躍らせて、なんとか意志を伝えようとしている。その意を汲み取ったように、小町は口を開く。長年、三途の船頭をやっていれば、霊との意志の疎通はお手の物になるらしい。

「死人に口無しってやつさ。まあ、でも言いたいことはわかる。此処にきて聞く質問は一つぐらいなもんだ。ここは、三途の川のほとり、そしてあたいは三途の一級水先案内人、小野塚小町さ」

 ほれぼれするほど完璧に決まった名乗り口上。堂々とした態度でちらりと霊を見やる。
 しかし、霊の方の反応はいまいち芳しくない。というより、憤慨している様子だった。

「およ。違うのかい。なんだい。盛大な勘違いしちまったじゃないか。あぁかっこわるぅ。くすん。ん、なに。後ろからいきなり声をかけるな。心臓が止まりそうだって。いやいや、あんたな」

 うなだれる小町を、居心地悪そうにしていた霊がしかたなく慰める。肩のあたりに優しく触れて、子どもをあやすように。その仕草は妙に上手であった。

 擁護する形になるが、先ほど述べたように死神はその生業上、ある程度霊の意志がわかる。それは小町も同じである。ただ、此処を訪れる霊の第一声(?)は大体、ここはどこ、あなたは誰、だから、いつものように答えてしまうのも無理はない、はずだ。

 小町は、顔を上げて呟く。しおらしく覇気の無い声であり、天狗が近くにいるならば、霊に慰められる死神として、間違いなく一面を掻っ攫ったことであろう。

「あんた、いいやつだね。渡し賃安くしとくよ」

 三途の川を渡るには、金が要る。渡し賃というのはそれだ。多く払えばその分だけ早く、彼岸の岸に着くことができ、少なければなかなか岸に着かない。それどころか、川を渡りきれず、地獄に落とされることもある。正に、地獄の沙汰も金次第である。
 では、金持ちなら全員無事渡れるか、というと実はそうではない。死神に払う金は、他人が自分のために使ってくれる財産の合計である。ゆえに、誰からも慕われる善人ならば、早く川を渡ることができる。逆を言えば資産家であっても、あくどい卑劣な手段を使って金儲けをした者なら、誰からも想われることはなく、船から突き落とされるということだ。
 このような仕組みを作った誰かさんは自分の立場でモノを考えていたのだろうか、と疑問に思えるのだが、的を射た仕組みであることは間違いなかろう。したがって、小町が言う渡し賃の割引は、意味などない。しかし、残念なことに小町はその事に気づいていない。閻魔様に叱られる材料になるということも気づいていない。合掌。

小町は頬を弾いて、なんとか立ち直った。気を取り直して小町は霊に問う。その様子の変わりように些か霊は驚いたようだった。

「はてさて、あんたどうして死んだんだい?」

 返答などを期待していない問いかけであった。何故なら彼らは喋れないからだ。それでも小町が尋ねるのは、半ば形式化してしまったサービスに、話の種を咲かすため、そして彼女自身がお喋り好きだからである。しかし詰まる所、話すのは小町のみであるが。

 霊は、口が無いので体全体をもごもごと動かしているが、一向に音は発せられない。その様子を見咎めて、霊を宥める小町。

「あぁあぁ。別に話そうとしなくていい。私が勝手に見るだけだから」
 
 そう言って小町は、恐らくは霊の顔あたりを真正面から覗き込む。

 地獄の閻魔は、死人の生前の行いを知るために浄破璃を使用している。しかし、死神にはそのような用具など持たされているはずもなく、長年培った洞察眼と読心術で生前の様子を把握する。浄破璃ほどの精度はないものの、死因の特定や生活環境の推察はできる。死因の判断は自殺者を見極めるための必須事項でもある。だからこそ、彼女には見えた。

「あんた。正確にはまだ死んでないね。そうね。だからやけに身体的だったのか。性別は男で年齢は三十代。妻子ありで、六人家族。どうだ、当たってるだろ」

 霊は体をはっと上昇させた後、静かに首を縦に振った。無いものを振るというのだから、非常に器用なものである。

「死因のほうは、大分入り組んでるな。どれどれ」
 
 そう言うと小町はさらに、その赤い瞳で男に深く潜り込んだ。

******

 農村の中の一軒家の中に男の家族がいる。こざっぱりとしたと言えば、聞こえはいいが、要するにほとんど何もない部屋の中で男は寝かされていた。節くれだち爪の間が黒ずんだ大きな手、まだ若いというのに、苦労が刻まれた顔の小じわが痛々しい。
 男を囲む家族の服装は、継ぎ接ぎされた麻の着物で、土くれによって大分汚れていた。指をくわえて男を見つめる小さな目には、男がどのような状況にあるのかわかっていないようだ。兄弟たちの中でも年長の姉と兄は母親同様、男を見守っている。母親の胸元には生まれたばかりであろう赤子が抱かれていた。
 かまどには、蜘蛛の巣が張っていることから、長い間米を炊いていないことがわかる。収穫の季節を迎えているというのに、穀物、野菜の類はお慰め程度の大きさのつぼの中に大事に保管されているだけだった。
前年の花の異変の後だからか、反動的に今年の作物の収穫は思った以上に少なく不作のようであった。

 寝かされた男の体は傷だらけで間に合わせのボロ布を包帯がわりに巻かれている。ところどころ毛布にも血が滲んでいる。明らかに素人に扱える範囲を越えた怪我であるが、医者を呼ぶ金も無いらしく家族だけで看護しているようだ。男の意識は、幽明の境を行ったり来たり彷徨っている。

 小町はさらにあたりを見渡すと、土がついたつるはしが転がっているのを見つけた。その傍らには、量的には少ないものの石炭の欠片が入った馬穴が置かれている。

(鉱山発掘か。使われていない坑道での落盤事故は跡を絶えないしな)

 小町は推察する。

 作物の収穫に期待できない以上、何か収入源になるものを探さなくては、冬を乗り越えられない。金のない男が取った行動は、放棄された坑道から石炭を発掘して生活の足しにしようとしたらしい。そして、運悪く落盤に巻き込まれ致命傷を負った。後ろめたい行動からか、周囲の住民には援助を要請できない。そして今に至る、と小町は判を押した。

 手当てはできるところまで済んでいる。あとは、男の意志が強く生きたいと願えば、蘇生の確率が半々になるといったところか。

******

 そうして小町は、男の精神の中から帰還した。

「んで。あんたどうする? 逝くの?」
 
 小町は問う。しかし、男は何も答えない。男はまっすぐに視線を受け止められず、思わず体をよじる。

「死ぬなら止めやしないよ。それは自殺じゃない。事故だ。だからあたいは止めはしない」
 
「逝くなら乗りな。一つ言っとくと、片道切符だから途中下車はできないよ」

 しばらく男は考え込むようにしてふらふらと漂った後、小町の背に従い船に乗った。二人が歩いたことで起きた風が彼岸花を微かに揺らす。

「一命様、ご案内」

 船はゆっくりと此岸の岸を離れ、三途の大海に身を漕ぎ出した。赤い彼岸の花が共に小町の船と川を下っていく。隆起した岩がところどころに突き出し、悪魔の牙を思わせた。

 船を漕ぐ小町は、押し黙ったまま、ただ前を見ている。対する男も船の中心付近に身を落ち着かせ口を開くことは無い。いつもの小町であれば、相手が口を挟まないことを良いことに、矢継ぎ早に喋繰りまくり、霊を困らせるものなのだ。しかし、今は小町は、口を真一文字に結んで、話す気配すらなかった。
 結局のところ、小町は男が死ぬことに対して納得していなかった。自殺しようとしている者なら叩き返そうと常々思っている小町だが、今回の男の場合はそうもいかない。かといって何も言わず送ることが良いことなのだろうか。小町は悩んでいた。

 船の周りを迷霧が包む。あたりの景色は川霧に阻まれ、白い視界を残して小町と男を閉じ込める。
 小町は男の気持ちがわからないわけではなかった。このまま息を吹き返したとしても、貧しい生活から抜け出せることにはならない。ましてや、自分は怪我を負ってしまっている。事態は悪化するばかりで、好転は望めない。いずれ冬が訪れる中で、働き手を失った家族は生きていけるはずもない。ともすれば、このまま三途を下ったとしても、それは死ぬ時期が早まっただけであり、結果は変わる事は無い。男としてみれば、自分の子どもが死んでいく様を見たくはない。ならば一足先にあの世に急いでも許されることではないか。

 でも、それでも小町は釈然としなかった。それは、男に同情したからか、もともとの江戸っ子気質の血がそうさせるのかはわからない。唯一つ言えるのは小町は、おせっかいだったということだ。

「これから言うのは独り言だし、もともとお前さん喋れないしな。まあ、冥土の土産だと思って聞くのも一興だな」

 突如口を開いた小町に、男は静かに無い耳を傾ける。

「一応私は、職業として渡し守をやっているんだ。つまり慈善事業でもなんでもないということだ。だから、冥土逝きの船賃もきちんといただくことになってる。それがこれ」

 小町は船を漕ぐ手を休め、懐から巾着袋を取り出した。ゆったりと船は速度を落とし、共に下る花の船はやはりゆったりと前方へ流されていく。取り残されたように浮かぶ船の上で、小町は続ける。

「この中には、死んだやつの財産が貯まるようになってる。なんでそうなってんのか、何ていうのはお偉いさん方に聞いてくれ」

 そして小町は、巾着袋の中身を男の前にぶちまけた。船底を叩く金属音は、霞の中に吸い込まれるようにして消えていった。散らばったそれらは、そのほとんどが銅銭であり、たまに銀銭が混じっていた。金銭はひとつもなかった。

「これがお前さんの全財産。あんたが人にどれくらい想われているかがこれでわかる。これは、あんたのために使ってくれる他の人の財産の合計だからさ」

 散蒔かれた金を見て、男はうなだれた。お世辞にも、その財産の額は多いようには見えず、金銭の一枚もないのだから当然の反応と言えた。小町は散らばった銭を拾い、また巾着に戻す。そして慰めるように言う。

「農民の一生涯で貯まる銭なんて、これくらいが普通さ。考えてもみろ。あんたの周りに裕福な奴がどれだけいるか。人が誰かのために自分の幸せを犠牲にすることは、すごく難しいもんだ。そんだけ集められれば充分さ。あこぎな真似してた大商人の財産が、債権手形だった時なんて腹抱えて笑ったもんよ。どうやって取り立てにいけっていうの。まあ、それに比べれば、あんたは全うな生き方をしてたわけだよ」

 小町はひと息ついてから、続きの言葉を紡ぐ。

「それに」

 小町は言いながら巾着の中から、色とりどりの花の冠と、いくつかのどろだんごを取り出す。花の輪もだんごも形は悪く、子どもの手製のものであることが伺えた。しかし、金目のものを持たない子ども達にとっては、それは紛れも無い財産であった。そしてそこには不恰好でありながら、大切に込められた想いが確かに在った。

「こんなに愛されてる」

 それを小町が言い終わると同時に、靄がかかった景色を振り払うような強い叫びが、男に響いた。男の家族が男の名を、父を必死に叫んでいる様子が、視界を覆う白を塗りつぶして、男の心に映し出された。

 そして次に見えたのは、懐かしき日々の光景。

 優しい妻の声。男の周りをはしゃぎながら駆け回る子ども達。里から少し離れた山並みの中の小さな村落、新緑の匂いが鼻をくすぐるように感じられた。

 水滴に反射して映された幻想は男を捉えて離さない。

 決して華やかではない婚礼があった。たいして振舞うものもなかったが、そこには、皆の笑顔があった。
 難産で苦しむ妻をただ見守ることしかできなかった。お産のあまりの激しさに気を失ってしまった。目が覚めた時、妻は呆れたように笑っていた。子どもを抱いた腕の暖かさは、今も忘れることはできない。父親としての自覚が芽生えた瞬間だった。長子の誕生以来気絶しなくなった。
 成長を見守る親として、子どもを眺めていた。時には叱りもしたけれど、目の玉に入れても痛くないほど、子ども達が愛おしかった。
 貧しい暮らしの中でも家族が一丸になって、ここまでやってこれた。そう、できるならばこのあともずっと。

 それらは、ありありと流れる、男自身の活動写真であった。掠れた遠い日の幻影は、されど男にはしっかりと見えていた。
 そして男は光を見た。迷霧の中でも揺るがない、岸の灯台の光を。

 小町は身じろぎ一つせずに佇む男を訝しげに覗っていたが、男の変化を見取りぎょっとした。形のない霊が、人を象っていたのだ。火の点った双眸には、男の決意が湛えられていた。
 小町が目をこすり、もう一度男の姿を見つめなおした時には、元通りの霊の姿がそこにあった。けれども、先程の男とは何かが違っていた。男の色が変わったと形容すべきか。

 小町が声をかけようと、男に手をかけようとしたその時、男は意を決したように船から飛び降りた。もともと浮いているものだから、そのまま来た道を辿れば岸に着けると思ったのだろう。が、その考えは浅はか過ぎた。ここは三途の川であり、その川に浮かべるのは死神の船のみ。男の体は重力に従い、水面へと落下した。

 その様子に反応して小町は鎌を拾い上げ、男の体が着水するより早く、その鎌で魂を空にさらった。

「やれやれ、無茶するねぇ。途中下車はできないって言ったろ」

 鎌にすくわれた男は、しばらくじたばたしていたが、少しして申し訳なさげにおとなしくなった。
 鎌に絡まった男を解いて、船に降ろして小町は言う。

「でも、途中下車はできんが、出発駅なら戻ることはできる」
 
 小町は櫂を持ち直し、舳先を反転させた。小町の表情は晴れ晴れとした秋空を思わせた。
 船を漕ぎながら、ふと小町は空を仰いで、詩を奏でる。憧景にまとわりついた狭霧もいつの間に晴れ渡り、小町によく通る声が三途に響いた。

「生き急いだって何の得もないさ。ほら、かの有名な一休だって言ってるだろ。
 “有漏路(うろじ)より 無漏路(むろじ)へ帰る 一休み” ってね。あたいだったら思い切り休んでから逝くね」

 有漏路とは、この世。無漏路とは、あの世。その橋をいつかは渡ることになる。だからこそ、ちょっとばかし休んでいったっていいのではないか、というのが小町の言い分であろう。

 停滞した淀みを脱するように船は再び動き出す。すれ違う彼岸花を辿っていけば、此岸の岸に着くだろう。船は川を遡る。その内に見慣れたこの世の果てが視認できるようになった。そして船は徐々に岸辺に近づき、果たして船着場に船を着岸させた。

 男が船を降りる前に、小町は男を呼び止める。

「そういえばさっきの冠とだんごだけど、換金しないと使えないからなぁ。あたいが買い取ってやるよ」

 小町は別の巾着を取り出し、落ちている銭を集め直した巾着の中身を移して男に渡した。巾着は、銭がすれる小気味良い音を出して膨らんでいる。加えて、小町は走り書いた紙切れも中に入れる。異変で知り合った兎の師匠である医者への紹介状だ。

「まぁ、金がないんじゃ一休みなんて言ってられないしな。金は金だから、これでなんとか冬を越せるだろう。ただ、使った分は必ず戻しておけ。じゃないと、いずれ此処に来たとき困ることになる」

 男は深々と頭を下げた。そう見えたのはきっと気のせいではないだろう。小町がにかっと笑うと、それに応えるような男の控えめな微笑みを幻視できた。

「さあ、早く行ってやんな。みんなあんたを待ってるんだ。いつか、また来るその日までせいぜい達者にな」

 小町がそう言うと、男は一礼して中有に道に戻っていった。薄れゆく男の体は、陽の光に照らされて次第に消えていった。

「ふう」

「越権行為に無断譲渡。バレたら死ぬな、あたい」


 気づけば、大分陽が傾いてみた。南中はとうに過ぎており、これから夕方へ向けて太陽が沈んで行く。小町はおもむろに髪留めを外し、男から買い取った花の冠をかぶる。陽に照らされて尚紅い髪が、風になびいて香りを飛ばす。

「ん、そういえばお昼がまだだった」

 ふと、思い出したように呟いて、小町は先ほど昼寝をしようとした木の根元に座り込んだ。小町は竹の葉包みの弁当を取り出して、紐を解く。あたりに海苔のにおいが広がっていく。小町の手の包みには、丸々大きなおむすびが二つ乗っていて、転がり落ちそうな勢いだった。

「では、いただきます」

 むにゃむにゃと口上を述べて手を合わせ、早速おむすびにかぶりつく。

「うんやっぱり、おむすびにはしっとりの海苔が格別に合うわ~」

「そうですか。私はパリッとした巻き立てのおむすびが好きなんですが」

「いやいや、おむすびは、柔らかくなった海苔が最高のお供って。
 げっ! 四季様!」

 小町は思わず手にしたおむすびを取りこぼし、ころころころりんとどこか知らない穴の中に落ちる前に、声をかけたその人物は、すばやくおむすびを受け止めた。硬直する小町を気にする風もなく、その人物はおむすびをついばむ。

「中身は梅ですか。実に貴女らしいが、私は昆布が好きなのです」

 白と黒のコントラスト、その思考を咀嚼するように、誠に優しそうに頷く。ちなみに彼女がそんな顔を小町は向けることは無い。

 あっけに取られていた小町は、自分のおむすびを食べられていることに気づいて、口を尖らす。

「ってなに人のおむすび食べてるんですかっ! それに四季様の嗜好も聞いてませんから」

 返してください、と小町は、四季と呼ばれた緑髪の少女の手からおむすびを奪い取る。そしてひと息に口に詰め込んだ。案の定、喉に詰まらせ苦しそうに胸を叩いて飲み下す。
 
「自業自得とはこのことですね」

 幽かな微笑みは皮肉をこめて。
 
 胸を叩きつ、背中から叩いてもらいつ、おむすびを飲み下した小町は、やっと核心に触れられた。

「四季様はなんでこちらに?」

 小町の質問に、大袈裟なため息をついて少女は返答する。

「ふう。まったく貴女は、私が来るたび来るたび同じ質問を何度繰り返しているか知っていますか?
 そうあなたは、少しなまけすぎる。このままでは・・・・・・」

 と、ここで長い説教が始まる。小町を叱り付ける彼女こそが、小町の上司にして閻魔、楽園の最高裁判長、四季映姫・ヤマザナドゥ、その人だった。なるほど、金飾りがついた頭巾は威厳を象徴しているし、肌に張り付いたように着こなした法衣はその人柄を体現していた。まだ幼さの残る少女の顔に、強さを満たした瞳が鎮座し、何者にも負けない屈強な意志が備わっていることがわかる。二人の関係を表すには、よれよれの衣服に熱い火のしというのがよく似合う。

「こほん、私が此処に来たのは、貴女が今日もサボっていないか確認するためです。」

 「も」には一際強いアクセントがついていた。映姫は続ける。

「今日は、霊が一人も私の元に来ませんでした」

「それだけで、ですか?」

「狼少年と言う話は知っていますか?」

 小町には返す言葉が見つからなかった。否、あるにはあった。ただ「質問を質問で返してはいけないというのは、四季様がおっしゃっていました。それに狼少年の例えは少し違うような」なんて言おうものなら、さらに説教追加になるに違いない。それも体罰ありで。

「それで様子を見に来てみれば・・・・・・本当に霊がいませんね。えぇ、死人が出ないというのは喜ばしいことですが」

 映姫は、四面を一瞥すると、小町に視線を移す。

「今日は誰も来ていないんですね?」

 射抜くように向けられた瞳が、小町を突き刺す。怯まないように踏ん張るが、汗を流してしまっては拙い。高鳴る鼓動をおさえつつできるだけ平静を装わなくてはならない。
 風が一層強く吹いた。小町の髪に憑いた瘴気を振り払い、束ねていない炎髪が揺れる。

「はい、今日は誰も来ていません」

 その言をしかと聞きとげた映姫は、小町に背を向け川岸に歩き出す。映姫の問答から解放されて小町は、丹から溜め込んだ空気を吐き出した。声は震えていなかったはずだ、大丈夫バレていないと、小町は自分に言い聞かす。
 小町の緊張が弛緩し始めたその時、映姫は振り返らずに詠う。

「 “雨降らば降れ 風吹かば吹け” 句ではなく短歌ですよ。小町」

 ぷっと吹き出したのは小町。そういえば花の輪しっぱなしっだったしな~、と思いながら頭をポリポリとかく。自分の抜け目の甘さが滑稽だった。

 表情を見えないが、映姫もまた笑っていると、そう思えた。だから小町は映姫に駆け寄って横に並ぶ。

「知ってたんだったら言ってくださいよ」

「どちらの時、ですか?」

「できれば問答が始まる前から。正直怖かったんですから」

「私としては、横から無粋な真似をしたくなかっただけですが、結びを忘れてはいけませんよ」

「すみません」

「どっちの意味で、ですか?」

「ではせっかくなので、どちらにも、です」

「せっかくは余計ですね。
 それにしても、貴女にぴったりの詩ですね」

「伊達に寝てばっかりじゃないですから」

「木の下なら、早く悟りを開いて欲しいものです」

「皮肉ですね」

「とんちです」

 一休だけに、と小さく付け加える。映姫はしてやったりという表情でこちらを流し見ている。正直面白くもなかった冗談だが、小町はおかしそうにけらけら笑っていた。

 川辺に降り立った二人の少女。見つめる先は遥か彼岸。それぞれの想いは違えど、見据える先は一緒だった。

「さて、私は冥土に帰りますが、この分じゃ今日は霊は来そうにないですね。
 ああ、小町。今日は貴女の船で還ります」

「どういう風の吹き回しですか?」

「いえ、ただの気まぐれです」

 返答を待たず、船に乗り込む映姫。小町は、急かされるように船尾に立つ。

「一名様~、ご案内~」

 緩やかな清流を乱す波紋を作りながら、小舟は前に進む。櫂が水面を押す。押された水が宙に出される。そして水面の揺らぎが、弾いた水を包み込む。しかし、不思議なことに音は立たない。そのような静けさがしばらく続いた後、風が吹けば散らされそうな芯の弱い声で、映姫が口を開いた。

「あの男のように誰かに想われることは、とても素晴らしいことですね。

 ねぇ小町。私達閻魔は、三途を渡らないんです。けれどもし、渡ることがあるなら、私は渡りきることができるでしょうか? 私は閻魔として人を、妖怪を想ってきました。けれど、その逆は。私は誰からか想われるのでしょうかね?」

 映姫は小町の顔を見ないようにして、縁から川を眺める。その横顔から覗けた映姫の瞳は、歳相応の幼い目をしていた。何かに押し潰されそうな、そんな目だった。

「ふふ、何をいってるんでしょうかね、私は。小町、今のは忘れてください」

 永い永い時の中で、忘れては思い、気付いては否定する。生きるものとして当然でありながら、誰よりも心強くあろうとした中で生まれた小さなささくれ。今までは誰にも零さない弱音を、今日は零してしまった。そして、それを聞いてくれる者がいた。

 小町は、被っていた冠を映姫のそっと頭に乗せる。後ろから子どもを抱きしめる母親のように。角ばった山のような映姫の頭巾に不釣合いな花の冠が、とても可愛らしい。

 振り返った映姫の瞳に、小町の瞳が重なり合う。小町の瞳は真剣だった。

「お父さんって、子どもに対して厳しくしちゃうものなんですよね。でもお父さんは案外小心者だからいちいち悩んじゃう。また下らぬことで怒ってしまったって。子どもに嫌われていないかって。でも、子どもはお父さんのおっきな背中を見て育つんですよ。だからどしっと構えていてください。あの男だってそうだったでしょう。映姫様はお優しいですから、きっとみんなが想っていてくれていますよ」

 気恥ずかしくなった小町は言い終わるやいなや、視線を宙に泳がせる。きょとんとしたまま、映姫は自身に例えられた言葉を反芻する。

「おとう、さん?」

 再度映姫に向き直った小町は自信ありげに宣言した。

「そうお父さんです。幻想郷の守護者である八雲のスキマをお母さんにするなら、映姫様はお父さんです。」

「彼女と結婚するなんて全く以って考えられませんが。では、博霊は?」

「んあ、えーっと。離婚したその後やって来た継母って感じですか。そしてあたいは、継母にいぢめられるかわいい娘ですね」

 胸の前で手を組み目をうるうるさせて可憐な少女を演じる小町を見て、映姫の頬はほころんでいた。小さな花弁が花開くように、たおやかに。それを見届けて小町は満足そうに頷く。

「かわいい娘と、愉快な幻想の住人は映姫様を見て育ってますよ。だから、映姫様がそんな心配をする必要なんてないです」

 その言葉を肯定するかのように、小町の腰の巾着の膨らみが、想いの程を雄弁に物語ってくれていた。形状はばらばらな方向に突き出ていることから、一風変わった想いの形であることは間違いない。やはり幻想郷の住人は愉快である。

「でも、寂しいこと言ってくれますね。こんなにも近くにあたいがいるのに。例え誰からも映姫様が想われてなくても、あたいがすんなり渡しきってみせますよ」

 言って小町は、自分の髪飾りを巾着の中にそっと手向けた。あえて直接的な言い方を避けたのは、恥かしかったから。でもそれは、違う含みを生む訳でもあった。

「まるで、私を早く冥土逝きにさせたいように聞こえます」

 けれど、映姫もそんな小町をわかっているから、冗談交じりで軽くお返しする。最後にそっと「ありがとう」と添えて。

「えぇ。映姫様、おもい、ですから」

 いらないことを言ってしまったと思ったが手遅れだった。映姫は少し考え込むふしを見せた後、少し呆れたように嘆く。その顔はうっすら紅潮していた。

「台無しです」
「きゃん」

 手にした笏で小町の頭を叩くと、その音はやけに軽かった。

 二人分の笑い声が響く三途の川を、紅い花が下って行く。
 小町より頭一つ分背が低い映姫の髪は緑色。それに重なる小町の乱れ髪が赤い色。
 小舟に乗った彼岸の花が咲(わら)いながら、川を下っていった。
 はじめまして、すずしろと申します。

 今まではROM専門でしたが、他の方の作品を見てるうちに自分でも書きたくなってしまったしだいです。これからも投稿できたらしていきたいと思いますので、どうぞよろしくおねがいいたします。 

 ということで、小粋な死神と閻魔さまのお話でした。
 
 セリフでお気付きかもしれませんが、これは石鹸屋様の『HIGAN BABY~TELL ME』を元ネタにして書かせていただきました。快く、許可をだしてくださったhellnian様および石鹸屋様には、今一度ここでお礼申し上げます。ありがとうございました。

 さて、今回の作品、自分設定が多すぎて本当に申し訳ないです。求聞史記での河原の記述と異なっていたりとか、自分のイメージで書いてしまったところも多々あります。
 
 あと、あの男が見た霧の中の情景は、映姫さまが浄玻璃を使って見せています。つまり最初からお見通しだったわけですね。こんなことしちゃいけないはずですが、粋な裁量してもいいじゃないと思うのが私のげんです。って、たまらんなあ、オイ!
 
 では、石鹸屋様の『HIGAN BABY~TELL ME』を聞きながら。
すずしろ
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コメント



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13.無評価すずしろ削除
↑はなんで文字化けしているのかなぁ?
というこれは私だけでしょうか?
14.100名前が無い程度の能力削除
ほろりと来ました。これでこそ小町。
素晴らしいSSをありがとうございます。
16.70名前が無い程度の能力削除
なんだか紫×映姫が見たくなってきた・・・!
22.80Admiral削除
すっきりとした読後感でした。
ご馳走様です。