(以下の文章は実在の人物をモデルにしたフィクションです虚構です妄想です丸っきりの嘘八百です。念のため)
(あと、ついでに申し添えますと長いです一気に全部読もうと思うと疲れます容量で言えば63KB)
(そんな感じですが、まあ、よろしく)
1. ~大往生 死ぬがよい~
筐体にコインを投入してから、20分ほどが経過した。
『銀の鷹』と名付けられた戦闘機は、私の手に操られるがままに、襲いかかる敵機を撃破し尽くしてきた。
エンディングまで残されたステージは、あとひとつのみ。
現在、背景は黒一色に染められている。
つい先ほどのステージまでは、場面に合わせてヴァリエーション豊かなBGMが途切れることなく流れ続けていたのだが、それも止まってしまった。無明と無音に閉ざされた空間の中を、なおも前方から急襲してくるザコ敵を蹴散らしながら、私は静かに進んでいく。
だが、もの寂しさは感じない。
むしろ最終決戦を前に、血が沸き立つような高揚を覚える。
この静寂は、決してバグや筐体の不調などによるものではない。あらかじめ基盤内にプログラミングされた、立派な「演出」の一端なのである。その意味は、苛烈な防衛網を見事に突破し、ステージの末尾に到達した瞬間に理解することができるだろう。
やがて、視界が開ける。
気が付けば、巨木の立ち並ぶジャングルの中に私は居た。
相変わらず、BGMは止まったままだ。
熱帯性のスコールに混じり、ミサイルとレーザーの雨が降り注ぐ。
だが一発とて、熟練の操縦者たる私を捕えることはできない。
(いよいよだ)
ステージ行程の約3分の1ほどを過ぎたあたりで、まるでスピーカがようやく己の仕事を思い出したかのように、ラストステージのテーマ曲が流れ始める。
モニタ上で繰り広げられている凄惨な戦いとは対称的に、そのメロディーラインは抑揚が効いており、穏やかだ。
それでいて、近づきつつある終幕を予感させる厳粛さも同時に包含されている。
その印象を一言で表現するなら……「幻想的」と言うのが適当だろう。
実に不思議な魅力を持つ曲である。
聴く度に、私の鼓膜は熱く震える。
左から右へと絶えず送られてきた画面のスクロールが、止まる。
背景は、延々と続くジャングルを遥か上空から見下ろす構図に変わる。
スコールが止み、空に虹が浮かぶ。
木々の合間から、大量の鳥が飛び立つ。
凶兆だ、と思った次の瞬間……最後にして最強の敵が、画面の下部からのっそりと姿を現す。
海の生き物であるマンボウを模したその巨大武装戦艦は、視界からジャングルの緑が消える高度まで急上昇して行く。
我が『銀の鷹』は、迷わずにそいつを追う。
じわじわと荘厳な雰囲気を増していたBGMは、ここでちょうど最も盛り上がる箇所……すなわち「サビ」を迎える。
ステージ序盤に曲が流れなかったのは、決戦開始のタイミングにサビを持ってくるために仕組まれた計算だったのである。
美しい、と慨嘆する。
ゲームという表現様式の、とりわけシューティングという分野において、プレイヤーを感動させるために最も重要なのは「音楽」と「演出」である。
それらふたつの要素が、ここでは見事に融和し、互いを引き立てあっている。
本当に、美しい。
ひたすらに、素晴らしい。
私がこのゲームに出会ってから約7年が経つが、作品中に篭められている製作者の魂は、今なお色褪せることは無い。
そして、この最終局面に辿り着くたびに、私は強く思うのだ。
(『ゲームクリエイター』という言葉は、『芸術家』という言葉と同義なのではないか)
ラストボスが、内蔵する兵器の限りを尽くした猛攻を開始する。
だが、その攻撃パターンは、これまでに何十回もなぞってきたものだ。前回のプレイから1週間ほどのブランクがあるものの、倒し方は頭ではなく指が覚えている。撃破は、最早たやすい。
それでもなぜ、飽きもせずに同じ相手と何年も闘い続けているのかと言えば、それはやはり決戦前の「空気」が好きだからだ。
有名ブランドの大吟醸に舌を浸した時に覚えるような極上の酩酊を、味わいたいがためだ。
(終わった、な)
スタッフロールを見届けた後、私はコントロールパネルの隅に置いておいたビール缶を手に取り、残っている中身を一気にあおった。
今回のプレイのために、わざわざコンビニエンスストアで買って持ち込んだ一杯だ。
とっくに炭酸が抜けきっていたが、それでもやけに喉に沁みた。
この一杯は勝利の美酒であると同時に、末期の酒でもある。
20世紀最後の日である今日は、私が愛し続けたこのゲームセンターの閉店日なのだ。
敷地は世辞にも広いとは言えず、置いてあるゲームはひと時代昔のものばかり。
見た目から団塊世代と推察される老店長がたったひとりで切り盛りする、歴史の流れからはみ出した店だった。
それでも……いや、だからこそ、私は時々無性にここを訪れたくなった。
一般に、アーケードゲームの命は短い。
どんなに爆発的な人気を誇ったタイトルであっても、短くて数ヶ月、長くても1年以内には別の新作に取って代わられ、ゲームセンターから撤去されることになる。
さらに、ゲームセンターの中には「流行の波」というものが存在する。
その波の形は、時によって落下するブロックを組み合わせるパズルゲームだったり、対戦型格闘ゲームだったり、あるいは音楽に合わせてボタンを叩くリズムゲームだったり。
とにかく、変遷が目まぐるしい。
だから、どんなに素晴らしい完成度を誇る作品であっても、メーカー側が波に乗る器用さを持ち合わせていなかった場合、それは結局日の目を見ぬまま消えてしまう場合が多い。
私の愛する、古き良き「シューティング」の名作群……つまり発売された時期が何年も前で、あまつさえジャンル的にも流行から遥か遠くに離れている者たちは、現在ゲームセンターの表舞台から放逐され続けている。
だから。
初めてこの店を見つけた時には、ひどく驚いた。
あれは確か数年前の、まだ就職して間もない頃だ。
学生時代とは一味違う新たなホームグラウンドを「開拓」すべく、友人達を誘ってそれまで馴染みのなかった飲み屋街に繰り出した時のことだった。
ハシゴに継ぐハシゴの末、財布に突っ込んでおいた初任給がそろそろ心もとなくなり、ひとまず解散の流れとなった後、単身帰途につく途中で……ここを見つけたのだ。
いや、正しくは「迷い込んだ」と言うべきか。
酔いに方向感覚を狂わされたまま、駅を目指そうとして見慣れぬ裏道をぐるぐると流浪しているうちに、『ワンプレイ50円』と書かれた年代ものの看板が目に映ったのである。
(ゲーセンか?)
こういう古ぼけた小規模店には、時代に取り残された中古基盤が多く流れ着いている場合が多い。
(もしかしたら、何か珍しいゲームに出会えるかもしれない)
私はいささかの期待を胸に、薄暗い店内へと吸い込まれていった。
果たして、そこは別天地だった。
恐らく、多くの人にとっては単なる場末のゲーセン、せいぜい暇つぶしの場でしかないのだろうが……私にとっては、紛うことなき『楽園』だった。
青春を捧げた名作群が集う情景をひと目見た瞬間、私は乏しい財布の中身を一気に両替機へと注ぎ込んだ。
その日から、私は足繁くここに通うことになった。
大通りに建つ煌びやかな『アミューズメントスポット』は、最新・流行の大型筐体を次々と取り入れることに忙しい。
品揃えの回転は目まぐるしく、せっかく気に入ったゲームがあっても、次に訪れた時にはもう消えている可能性が高い。
対してこの『楽園』の中では、一度表舞台から消えた作品がひっそりと余生を送っている。
筐体の中身が入れ替わることは滅多になく、いつ訪れても、かつて私の愛した(そして今でも愛し続けている)ゲームたちが私を待っていてくれる。
せっかく憧れのゲーム会社に就職しながらも、仕事の上では本当に作りたいゲームを作る機会をまるで得られずにいた私にとって、それがどれだけ心の癒しとなったか。
本当に、私は恵まれていたのだ。
……1ヶ月前、店の入り口に「年末をもって閉店します。長い間のご愛顧ありがとうございました」と書かれた張り紙が現れるまでは。
世間は不景気の渦に飲み込まれてしまっている。
ただでさえ寄る客の少ない店だし、いつかはそんな日も来るのではないかと前々から懸念はしていたのだが。
それがこうして現実化してしまうのは、やはり。
大きな衝撃、だった。
最後のワンコインは、豪華絢爛(だと個人的に思っている)なるラインナップの中でも、特に気に入っているタイトルを選んで投入しよう。
そして、悔いの残らないプレイを行おう。
あらかじめ立てていたその目標は、今、達成された。
心地良い疲労感を覚えながら、筐体から離れる。
自動販売機コーナーへ足を向け、先ほど空にしたビール缶を備え付けのゴミ箱へ放り込む。
腕時計を見れば、風営法によって定められた閉店時間までもう幾ばくも無い。
周囲を見渡してみる。
まず、カウンターの内側で居眠りしている老店長の姿が目に付いた。
いつ来ても、彼はこうして船を漕いでいるか、あるいはつまらなそうな顔でスポーツ新聞を読んでいるかのどちらかだった。
仕事らしい仕事をしている様子はついぞ見ることが出来なかったが、それでもこの店でゲームをプレイしていてレバーやボタンの不調に悩まされた記憶が一切無いことを考えると、実は私の知らない間に様々な気配りを仕込んでおいてくれていたのかもしれない。
次に、カウンターと反対方向に目を向ければ、やはり見慣れた顔がゲーム筐体にかじりついている。
彼は私と同様、この店の数少ない常連のひとりである。
半年ほど前から、ちょくちょく遭遇するようになった。
お互い名前も素性も知らず、言葉を交わした事もない仲ではあるが、私は彼に対しなんとなく親近感を覚えていた。
彼の見た目の年齢は私より少し若いぐらいだが、遊ぶゲームのジャンルはシューティングに偏っている。
恐らく、何気なしにこの店を訪れ、何気なしにシューティングをプレイしてみて、そして、つい、うっかり、その魅力にハマってしまったのだろう。
ここに通うようになった最初の頃こそ、その腕前はお世辞にも褒められたものではなかったが、それでも最近の上達ぶりは目覚しく、簡単にゲームオーバーを迎えることはほぼなくなってきている。
店内の雰囲気は、普段と全く変わらない。
もうひとりの常連氏がプレイしているゲームのBGM以外、余計な音は全く聞こえてこない。
明日にはこの空間が消えて失くなることが信じられないぐらい、穏やかに時間が流れていく。
「あー」
常連氏が突如発した小さな叫び声が、静謐とした空気を破る。
筐体のスピーカからは、自機の爆発音が連続して漏れ始めた。
彼が対峙しているモニタに目をやれば、そこには真夏のスコールのごとく降りしきる弾、弾、弾。
恐ろしいほどの密度。
震えるほどの速度。
その嵐を巻き起こしているのは、一匹の「蜂」だ。
身を炎に包んだ蜂型の兵器が、それまで無傷のまま残っていた常連氏の残機を次々に爆殺していく。
ほどなくして、画面には「CONTINUE?」の文字が表示された。
このゲームについては、私もよく知っている。
発売時期は4、5年ほど前だったろうか。
いわゆる『弾幕系シューティング』という用語をゲーム業界に定着させた、名作中の名作だ。
その内容は至ってシンプルである。
操作に用いるのは、1本のレバーと2つのボタンのみ。
プレイヤーに求められるアクションも、極めて少ない。
すなわち、「撃つ」そして「避ける」。
その2つのアクションだけで、このゲームの全編は成り立っているのだ。
しかし、操作こそ取っ付き易くあるものの、ゲームの難易度は決して低いとは言えない。
敵軍が浴びせてくる弾幕は、常に画面全体を覆い尽くす。
そして最後の敵として立ちはだかる「燃える蜂」に至っては、「最終鬼畜兵器」という肩書き通りの猛攻で、プレイヤーを深く絶望させてきた。
かつてシューティングゲーム界のカリスマ(あるいは悪夢)として、多くのゲーマーから畏怖された「蜂」。
それは時代を越え、またしても一人の挑戦者を葬り去ったのだ。
軽く舌打ちを漏らした後、常連氏は店の出口へと向かった。
その寂しく丸まった背中を見ていたら、
「惜しかったですね」
口をついて、そんな言葉が出た。
ゲームセンター内で見ず知らずの相手に声をかけるなど、初めてだ。
自分で自分の衝動的な行為に驚いていたら、相手もやっぱり驚いた表情で私の方を振り返った。
「いつも、最後の最後で、やられるんです」
一瞬の間を置いてから、彼は悔しそうな口調で応えた。
「有終の美を飾りたかったんですけどねぇ。このゲーム、他のゲーセンじゃ全然見かけないんだよな」
それだけ言い残して、彼は足早に店を去って行った。
彼の体重を受けて開いた自動ドアが、深夜の寒風を店内に誘う。
私は、いつのまにか自分の酔いがすっかり醒めてしまっていることに気付いた。
同時に、終電の時間が差し迫っていることにも。
20世紀最後の年は、こうして暮れた。
2. ~浮き世から捨てられし彼等~
見渡す限り紅一色の視界。
自分以外に何も無い世界。
血の色の霧に包まれたこの場所で、私はひとり、私の『想い人』を待つ。
私は、彼の顔を知らない。
声すらも聞いたことが無い。
それでも、彼が私を惚れさせるに足る人間だということは、昨日の時点で予知している。
永かった。
まこと、望む『運命』をたぐり寄せることは難しい。
私たちと同じような心の空白を持ち、なおかつ私たちのような存在に同調してくれるであろう人間は、なかなか見つけることができなかった。
日に日に薄れ行く我が『能力』を惜しげもなく全方位にバラ撒き、もしこのまま誰も引っかからなかったらどうしようという恐れと必死に闘いながら、やっとここまで辿り着いたのだ。
ああ、早く会いたい。
そして、さっさと用件を済ませてしまわねば。
「午前3時」
お抱えのメイドから借りて来た銀時計の針を見て、ひとり呟く。
私の『能力』が示した運命的な出会いは、まさに今、成就しようとしている。
「おーい、そこに誰かいるのか?」
不意に、背後から声が聞こえてきた。
振り向く。
濃霧をかきわけながら、こちらに向かってくる影がある。
「あー、よかった! このまま誰にも会えず、さまよい続けるだけだったらどうしようかと」
最初はぼんやりとした黒い輪郭に過ぎなかった彼は、近づくに連れて次第に人間らしい色と形をまとう。
そして私の目の前に立った時点で、眼鏡をかけた痩せ気味の男性として、はっきり認識することができた。
「無用な心配だったわね。こうして出会うことは『運命』に他ならないのだから」
彼の瞳を覗き込む。
その表面は、現在己の置かれた立場を理解していないが故の不安で、情けなく揺れている。
だが、その奥にあるもの……魂の本質とでも言うべき部分を見抜くならば、彼が高い知性と強い意志、それに呆れるほどの遊び心!の持ち主だということが読み取れる。
ああ、まさにこいつこそが、私の待ち望んでいた存在なのだ。
「ふふん。思ってたよりずっといい男だねえ」
「え? あ……そりゃ、どうも」
彼はかなり戸惑っているようだ。
まあ、そりゃそうだろうさ。
訳もわからずこんな不気味な場所に連れて来られて、しかも私みたいなラヴリーガールにいきなり賛辞を捧げられたのだから。
「ところで君、ちょっと聞きたいんだけど」
「貴方の問おうとしている質問を、私はすでに『知っている』。だからサクサク答えてあげるわ」
ますます怪訝な表情を見せる彼。
もっとからかってやりたい衝動が湧いて来たが、残念ながら逢瀬の時間はそれほど長く許されているわけではない。
「まず、私の名はレミリア・スカーレット。西欧の出身。見た目はどうあれ、ただの乳臭いガキだと思ってもらっちゃ困る。そして、ここは『夢と現の境界』。いけすかない私の友人に、魔法を操るのがやたら得意な奴がいてね。この怪異な空間は、そいつと私の合作ってわけ」
「ちょっと待って、ええと……何?」
「私は、すでに幻想の存在となってしまっている。一方、貴方は現実の中であくせく生きている。互いに触れ合うには、こうするしかなかったのよ」
「いや、だから……」
「結論から言う。力を貸して欲しい。貴方の持つ、『芸夢を創る程度の能力』を」
彼は、気も狂わんばかりの勢いで目を白黒させた。
だがいかに哀れもうと、もはや彼の疑問にいちいち答えているヒマはない。
……『あいつ』に感づかれる前に、全てを済ませてしまわねば。
「私の能力なんて、聞こえこそ良いが実際はたいしたものじゃあない。人は生まれながらにして無限の可能性を持つ……なんて利口ぶった格言があるが、そんなもん大嘘だ」
相手の顔を見上げてばかりでは、首が疲れる。
身長差をゼロにするために軽く浮かび上がり、彼の首筋に私の腕を回して、そして耳元で囁く。
「私の眼をもってしても、見える運命の道はせいぜい数本程度。できること言えば、そのうちどれか1本を選べるってだけのこと。たとえ全ての道の先に待っているのが行き止まりだと分かっていても、私は選ばなきゃいけなかった。それでもって、選んだからには進むしかなかったんだよ」
一呼吸おく。
なんだか、異様に喉が渇いてきた。
彼の内に秘められたポテンシャルが、私の官能を刺激しているのだ。
「けれど、貴方は違う。貴方なら……行き止まりの壁を壊して、その先に道を築くことができる。自分の望む方向へと、思うがままに道を伸ばすことができる」
ぐいっ。
彼の首根っこを私の唇へと強引に寄せる。
彼は抵抗したが、膂力にかけては私の方が遥かに上だ。
「惜しいかな、あんたはまだ己の力の使い方が分かっていないようだね。だから、契約しよう。あんたが素敵な設計図を描けるように、私が最高の材料を用意してあげる……ふふ、あははは、なんとも麗しいタッグじゃあないか!」
「も、申し訳ないんだけど、さっきから何を言ってるのか……」
「ここに漂っている霧は、そのまま私の血肉でもある。さあ、もっと深く息を吸って。今のところ、私自身は貴方と同じ時を生きることはできない。それでも私の『能力』は、必ず貴方の助けとなるわ」
「ここは日本じゃないのか? 日本語を喋ってください頼むから」
「世間の奴らが忘れ去り……さらに貴方自身も忘れかけている希望を、もう一度プレゼントするって言ってるのよ。お互い、損になる契約じゃあない。だから……ね?」
そして私は、彼の首筋に契約の証を遺すべく牙を突き立て……
『レミリア・スカーレット! そこまでですっ!』
期待に反し、私は熱い動脈血のうねりを味わうことができなかった。
代わりに口の中を満たした霧は、ただ冷たいだけで何の味わいもなく、私の舌先はまるで凍りついたみたいに強張った。
そして、次に私を待つ『運命』のことを思うと、舌だけではなく背筋も寒くなり……
『今すぐ、その人間を解放なさい! さもなくば、法に則り地獄の刑罰を受けてもらいますよ!』
地の底から、まだ若い(けれど威厳に満ち溢れた)女の声が響いてくる。
その声に呼応するかのように、私が一生懸命に造り出した霧はどんどん地に吸い込まれていき、辺りの視界は一気に開けた。
ああ、ここにはもう何も無くなってしまった。
体から魔力が抜けていく。
どこまでも続く真っ白な平面の上に、私たちは居る。
「く。スキマ女が冬眠している季節なら、なんとかなるかと思ったんだけど……よもや、あんたが直々に出てくるとは」
『天網恢恢疎にして漏らさず、いわんや我が細密なる監視のネットワークをや。大結界に不審な揺らぎが検知されたと聞き、探ってみれば……なんとまあ、こんな可愛らしい蝙蝠がかかるとは』
「ちきしょうめ、こんなに早く発覚するとは思わなかったわ。流石の地獄耳だねぇ!」
『あなたは七曜の魔女と共謀し、決して侵さざるべき境界を踏み越えましたね? それも、極めて身勝手な理由で』
「身勝手、とはご挨拶。私は誰よりも、幻想郷の明日を思って……」
『問答無用!』
その怒号が、あまりにもエンマチックで迫力にあふれていたせいで。
「きゃんっ!」
しまった……夜の王たる私としたことが、どこぞのサボり魔みたいに情けない声をあげてしまった。
ちなみにそのサボり魔ときたら、いつのまにか私の立ち位置から10メートルほど離れたところにいて、私の慌てぶりをニヤニヤしながら観察している。
そして彼女の足下には、真っ青な顔でうずくまっている彼がいる。
彼の口は、まるで深酔いした者が吐瀉するかのように、紅霧を吐き出し続けていた。
すんでのところで私から彼を取り上げたのは、あの厄介な能力を持つ死神に違いない。
思わず舌打ちが漏れる。
『如何に高き志があろうと、道を成すため非道に手を染めるなど本末転倒、愚の骨頂! 決して看過はできません! そう、あなたは少し……幼稚すぎる!』
「……な、なんとでも言うがいいさ。そんな耳タコの説教で諦めるレミリア様じゃないわ!」
『私たちが本来あるべき姿を失い、最悪の場合存在そのものが無と帰す危険性があってたとしても……ですか?』
「衰亡した姿を晒したまま、みっともなく足踏みを続けるよりはマシだっ!」
『人の世が有為転変であるからこそ、貴方たちは行き場をなくしたのでしょう? 『変化』も『進歩』も存在しない永遠不朽の楽園で、穏やかな余生を過ごすことの何が不満なのです?』
「しゃらくさい! 確かに最初のうちこそ、この平和な生活に感謝もしたさ! でもね、ひたすら静止と沈黙ばかりが続くだけの毎日なんて、死ぬより退屈なんだよ!」
『よろしいですかレミリア。今の幻想郷は、ヒト対アヤカシの絶妙なパワーバランスによって支えられているのです。人間は適度な恐怖心をもって妖怪と接し、妖怪もまた分別ある食欲をもって人間を襲う。それは賢者たちが叡智を絞り、千年以上に渡って試行錯誤を繰り返した末に辿り着いた、究極の結論なのです』
「他人の終着点を、勝手に決めるな! 私の行く道、私の未来を、お前なんかに左右されてたまるかよ!」
『なんとも聞き分けの無い。そうやって『進歩』と『変化』を急げば急ぐほど、あなたたち夜の種族は存在の危機にさらされると言うのに。いったい、何度教えれば理解できるのですか?』
「ふん! 何億回聞かされようと、従うつもりはないね!」
悔しいが、こいつの言うことはいつだって筋が通っている。
でも、ここで退いたら、『私』が『私』でなくなってしまう。
私が呼び込んだ人間の顔を、ちらり、横目でうかがってみる。
彼はじっと、実に真摯な視線をもって、私の顔を見つめていた。
よく目に焼き付けておけ、人間。
勝てないと分かっていても、私は決して抵抗を諦めない。
『あなたのように身勝手な子どもが、恣意的に恐怖と混乱を撒き散らす。それはかえって、人間たちが妖怪を否定し克服しようとする心に繋がるでしょう』
「そうして妖怪が駆逐されてしまえば、これまで保ってきた人口のバランス……人間が増えたり死んだりするペースが崩れ、ヤマザナドゥ様の肩書きに傷が付くわよねぇ」
『なっ』
「なんだかんだ言って、それが一番恐ろしいんだろ?」
淀みなく流れていた弁舌の河が、一瞬だけだがせき止められた。
私は、なおも反撃を試みる。
「あーあーあーあー! これだから事なかれの官僚主義って奴は!」
『こざかしいことを。いくら温情ある閻魔王とて、我慢には限度があるのですよ?』
「だったら、そのまま頭の血管をブチ切ってくたばるがいい! 行き止まりの向こうにある明日を見るためなら、私は何度だって……」
『いいえ、順逆の理を弁えぬ愚策なぞ、今回限りで潰えさせます』
急に相手の声のトーンが落ちたと思ったら、目の前がパッと暗転した。
高所から落ち、そのまま地面に叩きつけられたかのような衝撃に襲われる。
「ぐっ、貴様ぁ!」
『下らない揚げ足の取り合いは、これにて終了です。さあ、左道によって乱されし天地の理よ、再び太極のままに』
「主体性を捨て、時代とやらに流されるだけの生き方に! 何の意味がぁっ!」
『お黙りなさい。夢は夢に、現は現に。今こそ、白黒はっきり付けさせてもらいます!』
閻魔の宣言に続き、どこからか死神の嘲笑が聞こえてくる。
「悪いねぇ吸血鬼の嬢ちゃん。この人間の記憶に、あんたとのランデヴーは一切残らないってさ」
これ以上ないくらい強く、下唇をかみ締める。
私は……私たちは、どうあっても灰色の世界に生きねばならないのか。
古傷の痛みを、抱えたままで。
嫌だ。
そんなこと、認められるものか。
確かに私たちは『忘れられた種族』だ。
それでも、生きる限りこのままずっと孤独と停滞の檻に囚われたままだなんて……そんな運命、絶対に許せない!
(忘れるな人間っ! ただ嘆いてばかりいたって何も始まらないんだ! 自分の望む居場所を失ったなら、もう一度自分の手で築いてみせ……)
思いっきり叫んだつもりだった。
が、自分の声だと言うのに、自分の耳にすら聞こえてこなかった。
(おのれ。私の力が及ぶのも、ここまでか)
真っ暗なままだった視界に、だんだん光が戻ってきた。
かすかな紅茶の香りが、鼻腔をくすぐる。
これから私は、もと居た場所……つまり、絹のシーツに覆われたベッドの上に戻らねばならない。
そこにはきっとパチェの首根っこを捕まえた閻魔が待ち構えていて、地獄の説教フルコースを振舞ってくれるに違いない。
ううう、憂鬱だ。
……けど。
(道は、確かに示した。あとは、あんた達次第だ。頼んだよ)
『外』への、復帰。
その悲願を達成するための道は、絶たれた。
だが……見ていろ閻魔。
そして、幻に惑う恐怖と愉悦を忘れた外界人ども。
私には、せめて一矢報いるための切り札がまだ残っているのだから。
3. ~私自らが出る!!~
ただひたすら、キーボードを叩き続ける。
昨日も今日も、そして明日も同じことの繰り返しだ。
それが私の生業である以上、作業自体にいくら虚しさやつまらなさを感じようとも、やめるわけにはいかない。
(ゲームクリエイターとは、地上で最も崇高な職業……だと思っていたんだけどなあ)
私が20世紀のゲーム納めとしてプレイした、あの名作シューティング。
そのシリーズを開発元として、全国のゲームセンターに大きな感動をもたらしてきた企業こそが、現在の私の勤務先である。
入社試験のクライマックス、つまり面接官との対峙においても、私は何ら臆することなくあのゲームの素晴らしさ、およびあのゲームを生み出した企業の精神を褒めて褒めて褒めまくった。
もちろん、その言葉には阿諛だの追従だの、そんな不純な要素は一切含まれていない。
自分が常日頃ゲームと向き合う上で考えてきたことをひたすら喋っただけなのだから、楽と言えば楽な面接ではあった。
しかる後、私のやや情熱的に過ぎる意気込みが通じたのか、それとも一緒に提出したオリジナルのシューティングゲームが認められたのか、私は今、念願かなってゲームクリエイターの御座に腰を据えることができた。
しかし、だ。
私はまだ、『シューティング』にカテゴライズされるゲームの製作に、携わることができずにいる。
ここ半年ばかり私が引き込まれている製作チームは、『3Dアクション』を専門とする部署だ。
そして多分、この仕事を終えた後もなお、私は己の希望(と言うより、もはや渇望と言っていい)を満たすことはできないだろう。
なぜなら、『シューティング』の時代は、もうとっくの昔に終わってしまっているからだ。
認めたくないことだが、それ厳然たる事実だ。
私たちにとって、ゲーム製作とは趣味ではなく仕事である。
私たちが所属しているのは、ただの仲良しサークルではなく企業である。
ゆえに、私たちは何よりも金銭的な利潤・利益を追求していかなければならない。
消費者の購買欲をそそるゲームのみを、市場に送り込んでいかなければならない。
ならば、最早プレイ人口が枯渇寸前のジャンルなど……
基本的なシステムについては20年前から変わり映えがなくて、難易度は意地悪なまでに高くて、何度も何度もミスしながらパターンを覚えることを遊び手に強いるような、あの昔ながらの『シューティング』などと言うものは、我々「プロ」が手がけるには値しないものなのだ。
ああ、そうだ。
私はプロになってしまったのだ。
だから昨日も今日も、そして恐らくは明日も明後日も未来永劫、自分の本心とは180度違ったプログラムを打ち続けなければならない。
私が愛した時代は死んだ。
私はこれから始まる時代に、必死になってしがみついていかなくてはならない。
(シューティングで遊びたい! シューティングを遊ばせたい!)
心の声が口から飛び出すのを必死に抑えながら、埃っぽい開発室の中で、私はひたすらにキーボードを叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩きまくって……
製作は大詰め、納期は間近。
急に襲いかかってきた息苦しさに耐えられなくなって……私は衝動的に、キーボードの上へ突っ伏した。
奇妙な世界で、奇妙な子どもに会った。
で。
何か重要なことを思い出した。
ような。
気がする。
同僚に肩を揺らされ、私は浅い眠りから覚醒する。
「お疲れだね」
そう言って虚ろに笑う同僚の顎は、不精ひげでびっしりと覆われている。
恐らく、私自身の顔も大変に見苦しいものになっていることだろう。
この開発室の中に、疲れていない者などいない。
ふと窓の外に目をやると、すでに空が白み始めていた。
やれやれ、これで家に帰れなくなって3日目か。
首を少し傾けると、ごきりと鈍い音がした。
「で、お疲れのところを大変恐縮なんだけど」
同僚はなおも、抑揚の無い声で私に語りかける。
……嫌な予感がした。
「これ、目を通しておいてね」
A4版の薄い紙束を手渡される。
その表紙に書かれた「仕様の変更について」という文字を見て、ただでさえ憂鬱な私の気分はさらなる深淵へと突き落とされた。
「嘘でしょ? これ、夢でしょ?」
祈るような気持ちで、そう同僚に聞いてみたが、
「いや、バリバリの現実だから」
一蹴された。
やれやれ、余計な作業が一気に増えてしまった。
まったく、このカンヅメの生活から抜け出せるのはいつの日……
「っつ!」
ぶつくさ言いながら紙束のページを開こうとして、縁で指を切ってしまった。
じわじわ、皮膚の切れ目から血が滲み出す。
なぜだろう。
私は、その傷口から目が離せない。
血の色。
濃い赤。
流れる血。
真っ赤な血。
紅?
「ぐわはははははははは!」
急に爽快な心持ちになって、私は大口を開けて笑った。
その途端に室内の空気が緊迫し、同僚たちの驚愕に満ちた視線が、一斉に突き刺さってくる。
だが、それがどうした?
私は今、最っ高にハイって奴だ!
「お、おい。何がおかしいんだよ」
仕様変更の通知を渡した同僚が、恐る恐る尋ねてくる。
「分かったんだ!」
「分かった? 何が?」
「仕事でゲームを作れないなら、純然たる『遊び』として作ればいい!」
「……は?」
ああ、なんでこんな簡単なことに今まで気づかなかったんだ僕はバカだそうだそうだよ『商業』じゃなくて『同人』の領域内でならいくらでも自分の想うがままの世界が創れるじゃないか。
学生の頃の自分は、あんなに自分勝手にゲーム製作を楽しんでいたじゃないか。
どうして、あの感覚を今まで忘れていたんだろう。
うん、ありゃ滅茶苦茶に楽しかったよなあ。
昔の自分にできて、今の自分にできないはずがない。
おお、おお、頭の中で強烈に明るい光が閃く。
海底火山の噴火の如く、意識の奥底から猛然とアイデアが噴出してくるぞ!
血の色。
濃い赤。
紅の霧。
忘れられたモノたちが、ひっそりと暮らす場所。
湖のほとりに立つ、妖しい洋館。
巫女と魔女が殴りこむ。
華麗にして乱暴な闖入者たちの前に立ちはだかるのは……幼きデーモンロード!
紅い夜。
紅い月。
蝙蝠の黒い翼が、ばさりと広がる。
幣帛を握る巫女の手に、力がこもる。
箒にまたがる魔女が、不適に笑う。
飛び交うのは、針。
札。
光線。
妖弾。
それはいわば、遊戯性の最も華やかな結晶。
真夏の夜の空を鮮やかに彩る、最高に無駄だからこそ最高に美しい花火だ!
「やるぞっ!」
天上に向けて、握り拳を突き出す。
仕事と同人活動の両立、それがとても険しい道だということは知っている。
睡眠時間を削る生活は、辛いぞ?
CD-ROMのプレス代は、安くはないぞ?
さらに、そうまでして創ったゲームが、世の中に受け入れられるという保障など全く有りはしないんだぞ?
……それがどうした。
例えこの先、どんな障害が待ち構えていようと、今の私にみなぎるパトスを遮ることなど不可能だ。
誰もやろうとしないことだからこそ、やるんだ。
皆が忘れていることだからこそ、蘇らせる。
意義などない。
けど、意地ならある。
行動の切欠なんて、それだけで充分!
ああ、本当に晴れやかな気分だ!
「ふふ、ふっふっふっ」
「……はい、デスマーチの病に罹患した者が、また出ました。ええ、ええ、ですからいつも通り、黄色い救急車を一台……」
「ふふふふふ、ふふふのふ、ンフフ」
必死の形相でどこかに電話している同僚を脇目に、私は薄暗い笑いを漏らし続けた。
(続く)
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