南南東からの木漏れ日がベールやカーテンのように波打っている。
巷に「魔法の森」と呼ばれるこの森林にはあまり風が吹かず、今日も蒸している。
人は寄り付かず妖精ばかりの森だが鳥はいるらしく、どこかからカァカァとカラスのさえずりが聞こえてくる。
向こうから1個の人形が現れる。自身の頭ほどもある大きな赤リボンを髪に結び、青い長袖ワンピースの上から赤リボン止めのケープレット、腰元に前掛けエプロンを巻いている。アリス マーガトロイドがいつも自身に伴わせている手縫いの人形だった。ケープレットとスカート裾のフリル仕上げが湿った空気の中でふわりと揺れて、ブラウンの牛革靴がその足元で艶やかに輝いていた。
それは自身の背丈ほどもあるパイン材造りの小さな籠を両手に握ってぶら下げている。ピンクと白のギンガムチェックのハンカチーフを底敷き代わりに敷いていて、その上に二つ折りにして官製ハガキ大にされた紙切れが1枚置かれている。その紙はクッキングシートのように薄くおぼろげな質感をしているが、特有の艶のある耐水処理は見られない。外見はただの白紙だが、裏面から硬筆で何かを書いたらしい、微かな筆跡がその表面に浮かんで見える。
黒い丸マークが2つあるだけで目がある訳ではないが、この人形は恐らくまっすぐ前を向いていて、樹木をかわすため蛇行はしているものの、歩くよりも早く、走るよりもゆっくりしたくらいの速さで、概ね直線状に森の中を飛行している。
森の奥からやってきたこの人形は、間もなく森の奥へと飛び去ろうとしている。
「ねぇねぇ!あれなんだろ?」
「妖精、じゃなさそうだね。」
「よし、見に行ってみよう!」
前触れもなくどこかから声が聞こえる。ヒソヒソと内緒話を打ち明けるような3色の声が、あの人形の背後、かつとても遠い所から聞こえてきた。
しゃむ、しゃむと、若草を食むような柔らかい足音が聞こえて、人形の背後に3匹の少女が現れた。サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイア。この森に住み着くいたずら大好き三妖精だった。
少女たちは人形を取り囲もうと回り込む。しかし人形はそれに気づかないのか、妖精を一切気に掛けず前進する。
おのずと3匹は取り囲みながらに歩き出した。サニーミルクが後ろ歩き、ルナチャイルドが反復横跳びかカニのような横歩きで、人形を見上げながら話し合った。
「なんだ、ぬいぐるみじゃん。なんで浮いてんだろ?」
「この子たしかアリスの人形だよ!だから浮いてるんだ!」
「でもアリスいないね。なにしてんだろうこいつ、1人で。」
三妖精は時計回りに回っていた。かわりばんこに人形の前に出るたび、一言だけコメントを残して右の仲間と交代する。そんなことも気にせず水平飛行をする人形を中心軸に、彼女等はまるで古いテーマパークや遊園地にある、メリーゴーランドかなにかのように回っていた。
「このぬいぐるみ、反応しないね、あたしたち見えてるくせに。」
「ちょっかいかけてみようよ!きっといいことあるよ!」
「ったってなにすりゃいいんだよぉ。つついてみる?」
誰も答えなかった。そこから1周するまで、3匹は皆一言も発することなく人形の正面を次に託し、おのおのに違う面持ちで、人形を見上げていた。静まり返った空気をサニーミルクが破った。
「おい、ぬいぐるみ!なにしてんだよ!」
2匹の好機の瞳がサニーミルクと人形の間の何もない空間に注目した。
しかし人形は答えなかった。聞こえているのかすら分からないくらいに反応せず、いつまでも変わらず、ふよふよと浮いていた。
サニーミルクは他の2匹と顔を見合わせ、物足りなげな面持ちで再び人形を見上げた。
「こっち見ないね?なんでだろ!」
スターサファイアが大きく首を傾げながらそう言って笑った。
次にルナチャイルドはまじまじと人形を見上げ、つま先立ちでその籠の中を覗き込む。すると彼女は目を少し大きく開いて、「あれ?」とつぶやいた。
「こいつ、かごの中になんか紙入れてるぞ。ちょっと読んでみよう。」
ルナチャイルドはそう言うと人形のぶら下げる籠の中へと手を伸ばした。
人形はその手に気付き、それを見た。そしてすぐさま空高くへ飛び上がり、木編み籠にルナチャイルドの手が届かなくなる高さまで浮かんで、そこで静止した。
黒い2つのマークで、人形はルナチャイルドを睨みつける。
ルナチャイルドは何かを感じ取ったのか人形のその視線を、次いで自身の周辺と2匹の仲間を見回して、再び人形へ視線を戻した。そこにいる全員の息が詰まる。
人形は籠から右手だけを離して、そのひらを開いてルナチャイルドに向けた。そこにエネルギーが集まってまばゆく光る。ルナチャイルドの瞳孔が大きく開いた。
数秒の間に50発近い光弾が人形の右手のひらより撃ち放たれ、そのほとんどがルナチャイルドに直撃した。光弾はルナチャイルドに着弾後その身体内で瞬く間に炸裂して、間もなく彼女は1回休みになった。
降りかかる無数の弾幕を一身に浴びたルナチャイルドだったものは、自身の足元に抵抗虚しく崩れ落ち、驚愕の表情のまま、今も全身の傷口から無数の煙を立ち昇らせて半透明になっている。
人形は右手を籠の取っ手に戻し、何事もなかったかのように森の向こうへ進んで行った。
飛び去って行く人形の後ろ姿と、横たわるルナチャイルドが透明感を帯びているのを、2匹の妖精は傍観していた。2匹は互いに顔を見合わせると、もう一度惨事の現場へと目を向けた。
「あーあ。」
「ちょっかい!かけないようにしよっか!」
そう言うと2匹は肩を並べて歩き出し、足元をルナチャイルドに透けさせながら、人形の後を追いかけた。
木々とキノコが少しずつ減ってきて、開けた土地にたどり着いた。枝葉に覆われていた空が姿を現し、辺りが一気に明るくなった。遠くの青空に入道雲が覗き、雑草が茂る広場の中央に一軒の戸建てが見えてきた。無垢材造りの格子窓、うっすらヒビのはえた漆喰壁、おにぎりを並べたような三角屋根には、明るい緑色の釉掛けがされたマルセイユ瓦が敷き詰められて、その上にはうっすらと黄ばんだ砂埃がかかっていた。瓦屋根の軒先に黒ずんだ白の板看板が掛けられて、それには黒ペンキで「霧雨魔法店」の5文字が力強くハケ塗りされていた。
「なぁんだ、魔理沙ん家じゃん!」
「アリスに愛想でも尽かしたのかな?」
木製で白塗りの、所々朽ちた柵が戸建ての周囲を囲んでいる。玄関先の柵には同じく白塗りで木板づくりの簡素な扉が設けられている。それは妖精や雑草と同じ程度の高さがあり、人形はそれをそのままの高度で飛び越えて、2匹の妖精は扉を開けて通過した。
柵扉を超えて石段を1段登った先に、わずかに松ヤニニスの剥げ落ちたぶ厚い木造扉が1つあって、人形はその目の前で静止する。2匹の妖精もその背後で立ち止まる。
人形は籠から右手を離すと、玄関扉の中央をドンドンドンとテンポよく3度叩いて、数秒待った。
返事がない。扉の向こうからは何も聞こえなかった。ノックに反応するような誰かの声も、何かが動くような物音さえも、一切、家の中からは聞こえなかった。
人形はゆっくりと右に首を傾げた。
次いで人形は玄関扉の緑青がかったブロンズ製のノブに手を掛けて前後に押し引きした。しかしレバーは下がるものの扉はガタガタとわめくばかりでほとんど動かず、開くことは決してなかった。
人形はゆっくりと左に首を傾げた。
「留守なんじゃない?」
サニーミルクが扉脇の窓ガラスに身を乗り出し、室内を覗き込もうと試みる。
人形はノブから手を離すと少し離れ、右手のひらを前に向けると、無数の光弾を扉の中央に打ち込んだ。
扉はノブと2つの蝶つがいの3点から千切れて吹き飛び、粉々になって砕け散った。
閉ざされた玄関口が開放された。
「わぁ~お!」
人形が開け放たれた玄関から屋内に入る。その後をスターサファイア、次いでサニーミルクもついて入る。
「うぇ!なにこのにおい?」
入室後すぐ、2匹の妖精は鼻をつまんだ。耐えられる程度だが室内には鼻を突く刺激臭が立ち込めている。
家の中はぎりぎり足の踏み場がある程度に片付いており、そこかしこに日本語ではない冊子類や前時代の精密機械が積み上げられている。人形はその上を飛び越えて先へ進むが、スターサファイアは目をきらめかせてそれらを見回し、すぐ手を伸ばして物色を始めた。
スターサファイアの背中をまたいですぐの窓際に、卓上をある程度整頓させた作業机が置いてある。その上にはガラス器具を組み立てて設けられた何らかの実験設備と、その試薬類が並べられている。試薬類が充填されたガラス瓶には、糊付けされた再生和紙に黒の付けインクで、読める程度に走り書きしてラベリングが成されていた。
人形はその作業机の前も通り過ぎる。しかしそれを追って細い通路を直進していたサニーミルクは机上の器具に気を取られ、人形の追跡を諦めて見物した。
スターサファイアが食卓テーブルの隅に申し訳なさそうに設置された、打ちかけの単色タイプライターを掘り起こす。彼女は「おぉ~」と声を漏らしながらそれに近寄ると、小文字アルファベットの数多のキーを滅茶苦茶に打ち鳴らして改行レバーを1スライドさせ、終いには給紙ローラーの調節ダイヤルをぐるりと回してガイドバーに固定されていた半紙を引き抜いた。スターサファイアは引き抜いた紙をまじまじと眺め、それに満足するとタイプライター上にそっと置いて室内の見学を再開した。
サニーミルクが整然と並べられた試薬類を指差ししてその内容物を注視する。黄色い塊の入ったガラス瓶、液体の入った褐色瓶、水か何かの入った無色の瓶。そしてその次にある白色粉末の詰まった瓶を指し示すと、指を止めてそれを取る。「精製硝安」と書かれたラベルを見てサニーミルクは首を傾げる。蓋を開いて臭いをかぎ、中の白い粉末を指先につけて舐めてみる。
「うわぁにがい」
サニーミルクはぐいと顔をしかめて瓶の蓋を閉め、その1個前にあった褐色瓶を窓外の光に透かして手首の動きで揺さぶった。ラベルには「純硝酸」と書いてある。
人形は妖精を無視して玄関をまっすぐ進み、突き当りまでたどり着いた。そこには収納箱を兼ねた作業台とそれに併設された器具洗浄槽、更にその手前壁際には簡素な加熱炉が設けられている。壁面にはいくつもの器具やふき取り布、簡易照明が吊り下げられ、傍らには大きな収納棚が設置されている。
人形はこの作業台の中央に籠を置き、自身もそこに降り立った。その壁際には大小さまざまなガラス瓶が並べられている。いずれも無色ガラスで瓶の形状や蓋の材質に違いがあり、すべてに別々の素材が充填されている。どの瓶にもラベルは貼られていない。人形はそれらを見回した。
端から順に淡紅色の粉末、白い粉末、黒い粒子と白い粒子の混合物、赤と緑の繊維質な線状粒子がそれぞれ入った2つの瓶に、加熱変性処理が成された植物種子が大きな瓶に詰められて、その隣には擦り合わせ蓋が抽出口を兼ねている特殊な形状のガラス瓶に充填された、透き通らないが透明感のある暗赤褐色の液体があった。
人形はこの暗赤褐色の液体を選んだ。
人形が液体の入った瓶を持ち上げて籠に入れる。液体の粘度はとても低く、3分目まで注ぎ込まれたそれは人形が持ち上げる空中で右に左に揺れている。
ハンカチーフの上に降ろすと、入れ替わりに2つ折りの紙切れを取り出して作業台の端に置いて、人形は再び籠をつかんでゆっくりとした動作で浮かび上がった。
この時ささやかな風でも発生したのか、白紙は作業台から横に流れて、水垢の浸みるばかりで水気のない器具洗浄槽の中へと落ちていった。
人形がガラス器具の組み立てられた作業机の後ろを通り過ぎる。
サニーミルクはその上にあったもう1つの褐色瓶から摘み立ての木綿のような物質を1つつまみ上げて眉をひそめる。
人形は玄関先の種々雑多な品々が積まれた食卓テーブルの脇を通り過ぎる。
スターサファイアは3冊の巨大な本と2ブロックの耐火レンガの向こうに真っ赤なミニピアノを見つけたため、鍵盤まで指が届かないかと身を乗り出し、腕を伸ばしていた。飛べばいいのに。そうこうしているうちに、バタつかせたつま先に何かが当たったため、彼女はピアノのことを一旦忘れて足元の何かに目をやった。
屋内に取り残した2匹の妖精に目もくれず、人形は扉のない玄関口から戸建ての外へと帰って行った。2匹の妖精もまた、人形が家を出て行ったことなど気づいてすらいない様子で、家屋の中を漁っていた。
スターサファイアが食卓テーブルの下を見る。彼女がつま先で突いたものは、一抱え程度のさほど大きくない、蓋については上から被せているだけの、やっつけ作りの手製木箱だった。
蓋を持ち上げて中を覗き込む。途端にスターサファイアはその両瞳をキラキラと輝かせて、持ち上げた蓋をどこかよく分からない方向へと投げ捨てると、木箱の両端をがしりと掴んだ。
その中には直径3cm、長さ25cm程度、ウルシ果由来の粗抽出蝋を入念に浸み込ませた、クラフト紙製の円筒包みが数十本近く並べられていた。
スターサファイアはすぐさまこの木箱を抱え上げると、軽やかな足取りでサニーミルクの元へ駆け寄った。
サニーミルクは作業机の1番端の試験管立てに、コルク栓で封じた上に精製蝋で覆って密閉した無色ガラスの試験管が1本だけ置いてあったために、それをつまみ上げて天上に掲げ、中に7分目まで注ぎ込まれた無色の液体を覗き込んでいた。試験管にはテープのように細長いラベルが貼られていて、そこには横書きで「ニトログリセリン」と書き記されていた。
「みてみてサニー!ビスケットみたいなのが何ロールもあるよ!ちょっと細いけd」
すぐそばまで駆け寄って高々と木箱を掲げるスターサファイアを後目に、サニーミルクは試験管内の液体を指先の力でくるりと素早く振り交ぜた。
森の中の少し開けた空中を、籠をぶら下げた1個の人形が浮かんでいる。だんだんと木々もキノコも増えてきて、明るい空も枝葉に隠れて見えづらくなってきた。
人形の後方、木々の隙間からわずかに見える青い空に、突如真っ黒なキノコ雲が高くまでぽわんと昇り、次いで涼しげな追い風ととてつもない爆発音がその背後へと襲いかかった。セミロングの髪がひとたまりもなく巻き上がったが、人形は振り返ることもなく、ただ前だけを向いて、家路を急いだ。
木々とキノコが少しずつ減ってきて、開けた土地にたどり着いた。枝葉に覆われていた空が姿を現し、辺りが一気に明るくなった。遠くの青空に入道雲と黒いキノコ雲が覗き、指の長さ大に刈り揃えられた芝生平野の中央に、一軒の戸建てが見えてきた。コハク系ニスで滑らかに表面処理された木組みの雨戸、経年劣化のヒビ割れがすべて塗り埋められた真っ白な漆喰壁、母屋には八角柱型の展望塔が併設されていて、天然スレート製の真っ黒なトンガリ屋根には、真南からの太陽光が目が眩むほどに反射している。雑草を刈り取ってウッドチップを敷き詰めた一本道は所々ほころんで土が露出し、柵などを介さずに玄関口まで続いている。
舗装道の中央を飛び石段を1つ超えた先に、コハク被覆のツヤが光るぶ厚い木造扉が1つあって、人形はその目の前で静止した。
人形は籠から右手を離し、玄関扉の中央をトントントンとテンポよく3度叩いた。
「はーい!」という高いトーンの声が向こうから聞こえる。光沢ある真鍮製の玉形ノブがぐるりと回って玄関扉が外側に開く。その隙間からフライ返しを上に向けたアリス マーガトロイドが顔を見せ、にっこりと笑って声を掛けた。
「おかえりなさい、ちゃんと借りて来れた?」
アリス マーガトロイドの頭上には1個の人形が浮いている。それは腰元まであるストレートブロンドに真っ赤な無地のワンピース、黒の布靴下をまとった人形で、気を付けのような直立の姿勢を取っている。見下ろすような高い位置から、この人形は外の人形を2つの黒マークで、音も発さずじっと見つめていた。
外から帰った人形はアリス マーガトロイドをまっすぐに見て、大きく縦にうなずいた。続いてギンガムチェックの敷かれた手さげ籠を手前に向けて差し出した。籠の中では特殊な蓋のガラス瓶に充填された暗赤褐色の液体がぐわりぐわりと波打っていた。
「ありがとう!切らしちゃってたから焦ったわ。さぁ、中に入ってちょうだい。」
アリス マーガトロイドがにこやかにガラス瓶を受け取り、扉を大きく開けて人形を家の中に入れさせた。
赤服の人形はくるりと振り返り高度を下げて、すぐそばにある小物机の端に着陸して、壁に背を当て静かに座った。
帰ってきた人形は空の籠を家屋の奥にある収納棚の一角に置き、アリス マーガトロイドの傍らまで飛んで行って、左肩の後ろあたりに留まった。
アリス マーガトロイドは瓶をテーブルの上の小皿に置くと、炊事場でフライ返しとフライパンを手早く洗って乾燥棚に立て、再びテーブルに戻って椅子に座った。
テーブルには既に食事が用意されていた。厚さ1.5cmの食事用パンが1枚、サニーサイドアップのベーコンエッグが2玉、グリーンサラダの小鉢1皿に、パセリの浮かんだコーンスープ1杯、そしてよく水冷されたストレートアイスティーがポット1本と、空のティーカップが1組あった。そのすぐそばの小皿の上に、暗赤褐色の液体の入ったガラス瓶が置いてある。
ポットからカップにティーを注ぎ、アリス マーガトロイドは両手を合わせて「いただきます。」と静かにつぶやいた。傍らの人形がそれにあわせて会釈した。彼女は早速フォークで卵を切り分け、そこにガラス蓋の抽出口から暗赤褐色の液体を注ぎかける。その1片をフォークで突き上げて、自身の口にそれを運んだ。
「うーん、ちょっと焼きすぎたかしら?」
もぐもぐとそれを静かに咀嚼し、アリス マーガトロイドが人形に向かって首を傾げた。人形も同じ方向に自身の首を傾げて返し、それを見たアリス マーガトロイドはにっこり笑った。
次の瞬間、アリス マーガトロイドの左前方にある壁が爆発的な轟音と共にはじけ飛び、砕け散った瓦礫と粉塵が部屋一杯に舞い上がった。とてつもない量の塵煙が爆風と共に家屋の隅隅まで充満し、屋内での視界が一時完璧に遮断された。
ざらつく煙が徐々に薄れて室内の様子が見えてきた。白いハンカチーフで口元を覆ったアリス マーガトロイドが、大きく開いた、しかし鋭い瞳を自身の目の前に向けている。彼女の背後には、おのおのが手に武器を、あるいは素手のまま身構えた数十体もの人形が集結し、同じく自分たちの正面を注視している。壁を爆散させた何かは、今もぶ厚い塵芥に覆いこまれて隠れている。徐々に、徐々にそれは沈み、その正体が現れるのを、誰しもが息を張り詰めて待ち望んでいた。
煙が晴れ、トンガリ帽子、ブロンドのロングと、自身の背後で杖のように突き立てた藁の箒、それと共に左手に握ったくしゃくしゃの手紙が、そして右手でまっすぐ前方へと突き付けられたミニ八卦炉が見えてきた。煙の中から現れたのは、既にアリス マーガトロイドに向けて攻撃態勢を整えた、霧雨 魔理沙の姿だった。
固く食いしばった白い歯をむき出しに眉間にしわを寄せ、下まぶたを赤く腫らせたギラギラと光る黄色い眼でアリス マーガトロイドを睨み返して、霧雨 魔理沙は喉が張り裂けんばかりの大声で怒鳴り上げた。
「おいアリスてめぇ!たかが醤油借りてぇごときでよくも人ん家吹き飛ばしてくれたな!どうしてくれるんだ!」
おわり
巷に「魔法の森」と呼ばれるこの森林にはあまり風が吹かず、今日も蒸している。
人は寄り付かず妖精ばかりの森だが鳥はいるらしく、どこかからカァカァとカラスのさえずりが聞こえてくる。
向こうから1個の人形が現れる。自身の頭ほどもある大きな赤リボンを髪に結び、青い長袖ワンピースの上から赤リボン止めのケープレット、腰元に前掛けエプロンを巻いている。アリス マーガトロイドがいつも自身に伴わせている手縫いの人形だった。ケープレットとスカート裾のフリル仕上げが湿った空気の中でふわりと揺れて、ブラウンの牛革靴がその足元で艶やかに輝いていた。
それは自身の背丈ほどもあるパイン材造りの小さな籠を両手に握ってぶら下げている。ピンクと白のギンガムチェックのハンカチーフを底敷き代わりに敷いていて、その上に二つ折りにして官製ハガキ大にされた紙切れが1枚置かれている。その紙はクッキングシートのように薄くおぼろげな質感をしているが、特有の艶のある耐水処理は見られない。外見はただの白紙だが、裏面から硬筆で何かを書いたらしい、微かな筆跡がその表面に浮かんで見える。
黒い丸マークが2つあるだけで目がある訳ではないが、この人形は恐らくまっすぐ前を向いていて、樹木をかわすため蛇行はしているものの、歩くよりも早く、走るよりもゆっくりしたくらいの速さで、概ね直線状に森の中を飛行している。
森の奥からやってきたこの人形は、間もなく森の奥へと飛び去ろうとしている。
「ねぇねぇ!あれなんだろ?」
「妖精、じゃなさそうだね。」
「よし、見に行ってみよう!」
前触れもなくどこかから声が聞こえる。ヒソヒソと内緒話を打ち明けるような3色の声が、あの人形の背後、かつとても遠い所から聞こえてきた。
しゃむ、しゃむと、若草を食むような柔らかい足音が聞こえて、人形の背後に3匹の少女が現れた。サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイア。この森に住み着くいたずら大好き三妖精だった。
少女たちは人形を取り囲もうと回り込む。しかし人形はそれに気づかないのか、妖精を一切気に掛けず前進する。
おのずと3匹は取り囲みながらに歩き出した。サニーミルクが後ろ歩き、ルナチャイルドが反復横跳びかカニのような横歩きで、人形を見上げながら話し合った。
「なんだ、ぬいぐるみじゃん。なんで浮いてんだろ?」
「この子たしかアリスの人形だよ!だから浮いてるんだ!」
「でもアリスいないね。なにしてんだろうこいつ、1人で。」
三妖精は時計回りに回っていた。かわりばんこに人形の前に出るたび、一言だけコメントを残して右の仲間と交代する。そんなことも気にせず水平飛行をする人形を中心軸に、彼女等はまるで古いテーマパークや遊園地にある、メリーゴーランドかなにかのように回っていた。
「このぬいぐるみ、反応しないね、あたしたち見えてるくせに。」
「ちょっかいかけてみようよ!きっといいことあるよ!」
「ったってなにすりゃいいんだよぉ。つついてみる?」
誰も答えなかった。そこから1周するまで、3匹は皆一言も発することなく人形の正面を次に託し、おのおのに違う面持ちで、人形を見上げていた。静まり返った空気をサニーミルクが破った。
「おい、ぬいぐるみ!なにしてんだよ!」
2匹の好機の瞳がサニーミルクと人形の間の何もない空間に注目した。
しかし人形は答えなかった。聞こえているのかすら分からないくらいに反応せず、いつまでも変わらず、ふよふよと浮いていた。
サニーミルクは他の2匹と顔を見合わせ、物足りなげな面持ちで再び人形を見上げた。
「こっち見ないね?なんでだろ!」
スターサファイアが大きく首を傾げながらそう言って笑った。
次にルナチャイルドはまじまじと人形を見上げ、つま先立ちでその籠の中を覗き込む。すると彼女は目を少し大きく開いて、「あれ?」とつぶやいた。
「こいつ、かごの中になんか紙入れてるぞ。ちょっと読んでみよう。」
ルナチャイルドはそう言うと人形のぶら下げる籠の中へと手を伸ばした。
人形はその手に気付き、それを見た。そしてすぐさま空高くへ飛び上がり、木編み籠にルナチャイルドの手が届かなくなる高さまで浮かんで、そこで静止した。
黒い2つのマークで、人形はルナチャイルドを睨みつける。
ルナチャイルドは何かを感じ取ったのか人形のその視線を、次いで自身の周辺と2匹の仲間を見回して、再び人形へ視線を戻した。そこにいる全員の息が詰まる。
人形は籠から右手だけを離して、そのひらを開いてルナチャイルドに向けた。そこにエネルギーが集まってまばゆく光る。ルナチャイルドの瞳孔が大きく開いた。
数秒の間に50発近い光弾が人形の右手のひらより撃ち放たれ、そのほとんどがルナチャイルドに直撃した。光弾はルナチャイルドに着弾後その身体内で瞬く間に炸裂して、間もなく彼女は1回休みになった。
降りかかる無数の弾幕を一身に浴びたルナチャイルドだったものは、自身の足元に抵抗虚しく崩れ落ち、驚愕の表情のまま、今も全身の傷口から無数の煙を立ち昇らせて半透明になっている。
人形は右手を籠の取っ手に戻し、何事もなかったかのように森の向こうへ進んで行った。
飛び去って行く人形の後ろ姿と、横たわるルナチャイルドが透明感を帯びているのを、2匹の妖精は傍観していた。2匹は互いに顔を見合わせると、もう一度惨事の現場へと目を向けた。
「あーあ。」
「ちょっかい!かけないようにしよっか!」
そう言うと2匹は肩を並べて歩き出し、足元をルナチャイルドに透けさせながら、人形の後を追いかけた。
木々とキノコが少しずつ減ってきて、開けた土地にたどり着いた。枝葉に覆われていた空が姿を現し、辺りが一気に明るくなった。遠くの青空に入道雲が覗き、雑草が茂る広場の中央に一軒の戸建てが見えてきた。無垢材造りの格子窓、うっすらヒビのはえた漆喰壁、おにぎりを並べたような三角屋根には、明るい緑色の釉掛けがされたマルセイユ瓦が敷き詰められて、その上にはうっすらと黄ばんだ砂埃がかかっていた。瓦屋根の軒先に黒ずんだ白の板看板が掛けられて、それには黒ペンキで「霧雨魔法店」の5文字が力強くハケ塗りされていた。
「なぁんだ、魔理沙ん家じゃん!」
「アリスに愛想でも尽かしたのかな?」
木製で白塗りの、所々朽ちた柵が戸建ての周囲を囲んでいる。玄関先の柵には同じく白塗りで木板づくりの簡素な扉が設けられている。それは妖精や雑草と同じ程度の高さがあり、人形はそれをそのままの高度で飛び越えて、2匹の妖精は扉を開けて通過した。
柵扉を超えて石段を1段登った先に、わずかに松ヤニニスの剥げ落ちたぶ厚い木造扉が1つあって、人形はその目の前で静止する。2匹の妖精もその背後で立ち止まる。
人形は籠から右手を離すと、玄関扉の中央をドンドンドンとテンポよく3度叩いて、数秒待った。
返事がない。扉の向こうからは何も聞こえなかった。ノックに反応するような誰かの声も、何かが動くような物音さえも、一切、家の中からは聞こえなかった。
人形はゆっくりと右に首を傾げた。
次いで人形は玄関扉の緑青がかったブロンズ製のノブに手を掛けて前後に押し引きした。しかしレバーは下がるものの扉はガタガタとわめくばかりでほとんど動かず、開くことは決してなかった。
人形はゆっくりと左に首を傾げた。
「留守なんじゃない?」
サニーミルクが扉脇の窓ガラスに身を乗り出し、室内を覗き込もうと試みる。
人形はノブから手を離すと少し離れ、右手のひらを前に向けると、無数の光弾を扉の中央に打ち込んだ。
扉はノブと2つの蝶つがいの3点から千切れて吹き飛び、粉々になって砕け散った。
閉ざされた玄関口が開放された。
「わぁ~お!」
人形が開け放たれた玄関から屋内に入る。その後をスターサファイア、次いでサニーミルクもついて入る。
「うぇ!なにこのにおい?」
入室後すぐ、2匹の妖精は鼻をつまんだ。耐えられる程度だが室内には鼻を突く刺激臭が立ち込めている。
家の中はぎりぎり足の踏み場がある程度に片付いており、そこかしこに日本語ではない冊子類や前時代の精密機械が積み上げられている。人形はその上を飛び越えて先へ進むが、スターサファイアは目をきらめかせてそれらを見回し、すぐ手を伸ばして物色を始めた。
スターサファイアの背中をまたいですぐの窓際に、卓上をある程度整頓させた作業机が置いてある。その上にはガラス器具を組み立てて設けられた何らかの実験設備と、その試薬類が並べられている。試薬類が充填されたガラス瓶には、糊付けされた再生和紙に黒の付けインクで、読める程度に走り書きしてラベリングが成されていた。
人形はその作業机の前も通り過ぎる。しかしそれを追って細い通路を直進していたサニーミルクは机上の器具に気を取られ、人形の追跡を諦めて見物した。
スターサファイアが食卓テーブルの隅に申し訳なさそうに設置された、打ちかけの単色タイプライターを掘り起こす。彼女は「おぉ~」と声を漏らしながらそれに近寄ると、小文字アルファベットの数多のキーを滅茶苦茶に打ち鳴らして改行レバーを1スライドさせ、終いには給紙ローラーの調節ダイヤルをぐるりと回してガイドバーに固定されていた半紙を引き抜いた。スターサファイアは引き抜いた紙をまじまじと眺め、それに満足するとタイプライター上にそっと置いて室内の見学を再開した。
サニーミルクが整然と並べられた試薬類を指差ししてその内容物を注視する。黄色い塊の入ったガラス瓶、液体の入った褐色瓶、水か何かの入った無色の瓶。そしてその次にある白色粉末の詰まった瓶を指し示すと、指を止めてそれを取る。「精製硝安」と書かれたラベルを見てサニーミルクは首を傾げる。蓋を開いて臭いをかぎ、中の白い粉末を指先につけて舐めてみる。
「うわぁにがい」
サニーミルクはぐいと顔をしかめて瓶の蓋を閉め、その1個前にあった褐色瓶を窓外の光に透かして手首の動きで揺さぶった。ラベルには「純硝酸」と書いてある。
人形は妖精を無視して玄関をまっすぐ進み、突き当りまでたどり着いた。そこには収納箱を兼ねた作業台とそれに併設された器具洗浄槽、更にその手前壁際には簡素な加熱炉が設けられている。壁面にはいくつもの器具やふき取り布、簡易照明が吊り下げられ、傍らには大きな収納棚が設置されている。
人形はこの作業台の中央に籠を置き、自身もそこに降り立った。その壁際には大小さまざまなガラス瓶が並べられている。いずれも無色ガラスで瓶の形状や蓋の材質に違いがあり、すべてに別々の素材が充填されている。どの瓶にもラベルは貼られていない。人形はそれらを見回した。
端から順に淡紅色の粉末、白い粉末、黒い粒子と白い粒子の混合物、赤と緑の繊維質な線状粒子がそれぞれ入った2つの瓶に、加熱変性処理が成された植物種子が大きな瓶に詰められて、その隣には擦り合わせ蓋が抽出口を兼ねている特殊な形状のガラス瓶に充填された、透き通らないが透明感のある暗赤褐色の液体があった。
人形はこの暗赤褐色の液体を選んだ。
人形が液体の入った瓶を持ち上げて籠に入れる。液体の粘度はとても低く、3分目まで注ぎ込まれたそれは人形が持ち上げる空中で右に左に揺れている。
ハンカチーフの上に降ろすと、入れ替わりに2つ折りの紙切れを取り出して作業台の端に置いて、人形は再び籠をつかんでゆっくりとした動作で浮かび上がった。
この時ささやかな風でも発生したのか、白紙は作業台から横に流れて、水垢の浸みるばかりで水気のない器具洗浄槽の中へと落ちていった。
人形がガラス器具の組み立てられた作業机の後ろを通り過ぎる。
サニーミルクはその上にあったもう1つの褐色瓶から摘み立ての木綿のような物質を1つつまみ上げて眉をひそめる。
人形は玄関先の種々雑多な品々が積まれた食卓テーブルの脇を通り過ぎる。
スターサファイアは3冊の巨大な本と2ブロックの耐火レンガの向こうに真っ赤なミニピアノを見つけたため、鍵盤まで指が届かないかと身を乗り出し、腕を伸ばしていた。飛べばいいのに。そうこうしているうちに、バタつかせたつま先に何かが当たったため、彼女はピアノのことを一旦忘れて足元の何かに目をやった。
屋内に取り残した2匹の妖精に目もくれず、人形は扉のない玄関口から戸建ての外へと帰って行った。2匹の妖精もまた、人形が家を出て行ったことなど気づいてすらいない様子で、家屋の中を漁っていた。
スターサファイアが食卓テーブルの下を見る。彼女がつま先で突いたものは、一抱え程度のさほど大きくない、蓋については上から被せているだけの、やっつけ作りの手製木箱だった。
蓋を持ち上げて中を覗き込む。途端にスターサファイアはその両瞳をキラキラと輝かせて、持ち上げた蓋をどこかよく分からない方向へと投げ捨てると、木箱の両端をがしりと掴んだ。
その中には直径3cm、長さ25cm程度、ウルシ果由来の粗抽出蝋を入念に浸み込ませた、クラフト紙製の円筒包みが数十本近く並べられていた。
スターサファイアはすぐさまこの木箱を抱え上げると、軽やかな足取りでサニーミルクの元へ駆け寄った。
サニーミルクは作業机の1番端の試験管立てに、コルク栓で封じた上に精製蝋で覆って密閉した無色ガラスの試験管が1本だけ置いてあったために、それをつまみ上げて天上に掲げ、中に7分目まで注ぎ込まれた無色の液体を覗き込んでいた。試験管にはテープのように細長いラベルが貼られていて、そこには横書きで「ニトログリセリン」と書き記されていた。
「みてみてサニー!ビスケットみたいなのが何ロールもあるよ!ちょっと細いけd」
すぐそばまで駆け寄って高々と木箱を掲げるスターサファイアを後目に、サニーミルクは試験管内の液体を指先の力でくるりと素早く振り交ぜた。
森の中の少し開けた空中を、籠をぶら下げた1個の人形が浮かんでいる。だんだんと木々もキノコも増えてきて、明るい空も枝葉に隠れて見えづらくなってきた。
人形の後方、木々の隙間からわずかに見える青い空に、突如真っ黒なキノコ雲が高くまでぽわんと昇り、次いで涼しげな追い風ととてつもない爆発音がその背後へと襲いかかった。セミロングの髪がひとたまりもなく巻き上がったが、人形は振り返ることもなく、ただ前だけを向いて、家路を急いだ。
木々とキノコが少しずつ減ってきて、開けた土地にたどり着いた。枝葉に覆われていた空が姿を現し、辺りが一気に明るくなった。遠くの青空に入道雲と黒いキノコ雲が覗き、指の長さ大に刈り揃えられた芝生平野の中央に、一軒の戸建てが見えてきた。コハク系ニスで滑らかに表面処理された木組みの雨戸、経年劣化のヒビ割れがすべて塗り埋められた真っ白な漆喰壁、母屋には八角柱型の展望塔が併設されていて、天然スレート製の真っ黒なトンガリ屋根には、真南からの太陽光が目が眩むほどに反射している。雑草を刈り取ってウッドチップを敷き詰めた一本道は所々ほころんで土が露出し、柵などを介さずに玄関口まで続いている。
舗装道の中央を飛び石段を1つ超えた先に、コハク被覆のツヤが光るぶ厚い木造扉が1つあって、人形はその目の前で静止した。
人形は籠から右手を離し、玄関扉の中央をトントントンとテンポよく3度叩いた。
「はーい!」という高いトーンの声が向こうから聞こえる。光沢ある真鍮製の玉形ノブがぐるりと回って玄関扉が外側に開く。その隙間からフライ返しを上に向けたアリス マーガトロイドが顔を見せ、にっこりと笑って声を掛けた。
「おかえりなさい、ちゃんと借りて来れた?」
アリス マーガトロイドの頭上には1個の人形が浮いている。それは腰元まであるストレートブロンドに真っ赤な無地のワンピース、黒の布靴下をまとった人形で、気を付けのような直立の姿勢を取っている。見下ろすような高い位置から、この人形は外の人形を2つの黒マークで、音も発さずじっと見つめていた。
外から帰った人形はアリス マーガトロイドをまっすぐに見て、大きく縦にうなずいた。続いてギンガムチェックの敷かれた手さげ籠を手前に向けて差し出した。籠の中では特殊な蓋のガラス瓶に充填された暗赤褐色の液体がぐわりぐわりと波打っていた。
「ありがとう!切らしちゃってたから焦ったわ。さぁ、中に入ってちょうだい。」
アリス マーガトロイドがにこやかにガラス瓶を受け取り、扉を大きく開けて人形を家の中に入れさせた。
赤服の人形はくるりと振り返り高度を下げて、すぐそばにある小物机の端に着陸して、壁に背を当て静かに座った。
帰ってきた人形は空の籠を家屋の奥にある収納棚の一角に置き、アリス マーガトロイドの傍らまで飛んで行って、左肩の後ろあたりに留まった。
アリス マーガトロイドは瓶をテーブルの上の小皿に置くと、炊事場でフライ返しとフライパンを手早く洗って乾燥棚に立て、再びテーブルに戻って椅子に座った。
テーブルには既に食事が用意されていた。厚さ1.5cmの食事用パンが1枚、サニーサイドアップのベーコンエッグが2玉、グリーンサラダの小鉢1皿に、パセリの浮かんだコーンスープ1杯、そしてよく水冷されたストレートアイスティーがポット1本と、空のティーカップが1組あった。そのすぐそばの小皿の上に、暗赤褐色の液体の入ったガラス瓶が置いてある。
ポットからカップにティーを注ぎ、アリス マーガトロイドは両手を合わせて「いただきます。」と静かにつぶやいた。傍らの人形がそれにあわせて会釈した。彼女は早速フォークで卵を切り分け、そこにガラス蓋の抽出口から暗赤褐色の液体を注ぎかける。その1片をフォークで突き上げて、自身の口にそれを運んだ。
「うーん、ちょっと焼きすぎたかしら?」
もぐもぐとそれを静かに咀嚼し、アリス マーガトロイドが人形に向かって首を傾げた。人形も同じ方向に自身の首を傾げて返し、それを見たアリス マーガトロイドはにっこり笑った。
次の瞬間、アリス マーガトロイドの左前方にある壁が爆発的な轟音と共にはじけ飛び、砕け散った瓦礫と粉塵が部屋一杯に舞い上がった。とてつもない量の塵煙が爆風と共に家屋の隅隅まで充満し、屋内での視界が一時完璧に遮断された。
ざらつく煙が徐々に薄れて室内の様子が見えてきた。白いハンカチーフで口元を覆ったアリス マーガトロイドが、大きく開いた、しかし鋭い瞳を自身の目の前に向けている。彼女の背後には、おのおのが手に武器を、あるいは素手のまま身構えた数十体もの人形が集結し、同じく自分たちの正面を注視している。壁を爆散させた何かは、今もぶ厚い塵芥に覆いこまれて隠れている。徐々に、徐々にそれは沈み、その正体が現れるのを、誰しもが息を張り詰めて待ち望んでいた。
煙が晴れ、トンガリ帽子、ブロンドのロングと、自身の背後で杖のように突き立てた藁の箒、それと共に左手に握ったくしゃくしゃの手紙が、そして右手でまっすぐ前方へと突き付けられたミニ八卦炉が見えてきた。煙の中から現れたのは、既にアリス マーガトロイドに向けて攻撃態勢を整えた、霧雨 魔理沙の姿だった。
固く食いしばった白い歯をむき出しに眉間にしわを寄せ、下まぶたを赤く腫らせたギラギラと光る黄色い眼でアリス マーガトロイドを睨み返して、霧雨 魔理沙は喉が張り裂けんばかりの大声で怒鳴り上げた。
「おいアリスてめぇ!たかが醤油借りてぇごときでよくも人ん家吹き飛ばしてくれたな!どうしてくれるんだ!」
おわり
かわいらしいお使いの裏で阿鼻叫喚が起きていて楽しかったです
魔理沙は硝酸なんて作って何する気だったんだ