わたしがその舞台劇を見たのは郷で一番の芝居小屋で、祝祭のような熱気がそうさせた、夢っぽい具体さと細部の記憶を持っている。しかも(観劇の思い出がたいていそうであるように)やけに記憶に焼きついているのは、観劇後に外へと出た時の暮れた空や、自分たち以外がひっそり静まり返った世界の佇まいといったものへの、戸惑いの方だ……そこに連れ合いがいれば、相手の表情や、その人が演目に満足したかどうかの機微、帰り道はどこまで送っていけるだろうかという期待ばかりになる。しかし、今はまだその段階を語るべきではない。この時のわたしには連れ合いが――たまたまの連れ合いがいた、という前置きだけだ。
開演前、客席に腰を下ろしたわたしは、何度も手元のパンフレットに目をやった。劇の舞台となる時代の文化・社会背景などを補足して、観客の不安に寄り添うよう作られている数ページの冊子を、どういう表情で読んでいたのか、自分でもわからない。
「どんな演目になるでしょうか」
と、隣の席の女性に話しかけられた。わたしはパンフレットに書かれていて、読めばわかるそのままの情報を初対面の彼女に語った。
・天界で起きた事件を描いた歴史劇であること。
・とある一族の、上昇と落下の物語であること。
・群集劇であり、特定の主演俳優がいないこと。
個人の感情を軽率に一般化する事は愚かだが、どれも観客を困惑させるには充分な要素だろうとわたしは思った。彼女にもそう言った。その表明だけが唯一自分の意見のように思われた。
やがて開演のブザーが鳴り、幕が開いた。曖昧な記憶に基づいた逐時的な描写は愚かで無益な行為だろうが、それでも多少の状況説明は必要だろう。
最初の幕の第一場、板付きの場面にうずくまる十数人の演者たちは、舞台に設置された祠を扇状に取り巻き、言祝ぎをあげている、丸い背中と腰つきの集合だった。ひとりひとり、それぞれの骨格や肉付きを持っているはずの人々だが、身につけているブラウスやスカートの統一によって、人格までも統一化されるように感じる――それは服装だけでなく、儀式的な所作や発声によるところも大きい。儀式の中で役目を持っているらしい者が立ったり、移動したり、座ったりといった行為があるにもかかわらず、個性は常に殺されていた。
「官給服だったんです。身分の低い女官たちの」と女性はささやいたが、彼女の補足をわたしは無視してしまった。舞台上で劇的な演出が行われたのだ。
女官たちによって、祠が開かれると、その内部には祀られた神霊がうずくまるように収納されていた。演者には目隠しと猿轡がつけられていて、たしかに祀られたきりの神霊とはそういうものだろうか、とわたしは思った。
盲目にされ舌を抜かれていた神霊を、女官たちはそれぞれ身につけている羽衣――真っ白な一反の織物――で、ぐるぐると巻いていった。やがて巨大な一抱えの繭になったそれを、数人がかりで運んでいく。その段になってようやく、無個性な女官たちの中にも、引率し采配する立場の女官長とでも言うべき者がいた事が明らかになる。他の者が舞台からはけていった後で、彼女は舞台の上下を行ったり来たり、あちこち探してから嘆息する。儀式のどさくさの中で、地上人と戯れながら脱け出した女官がいたのだ。
「そういう事がよくある時代でした。貧しい竜宮の使いなんかだと、特に」
暗転した暗闇の中で女性が言った。
「やがて地上の生活に飽きて、こぶつきで戻ってくるのまで含めてね」
続く場面は彼女の言に従うように進行していったが、冒頭で脱走した女官についてきたこぶは、更に蔓がずるずるつながっていて、あまりに大きかった。愚かな天女を誑しこんだ地上人は、一族まで引き連れて天界へとやってきたのだ。
「……さすがにこれは脚色ですね。比那名居一族は名居守に縁のある者で、その流れで天人に列されたので」
しかし脚色の理由にも見当がつく。天人の末席についた比那名居一族は、更に下に置かれている下級女官たちと繁く交わるようになったからだ。彼らは雲上の人となっても、なにか特別立派になったわけではなかった。かえって、所属する社会の下層に甘んじるほかなくなった。これは地上から天界に駆け上がった一族の物語であると同時に、貧しい下位の天女達の物語でもあったし、それは両者の繋がりから展開していくものだった。
彼らは大村守という天人に仕えた。おそらく大村神社の祭神に比定されるべき、地震を担う者だろう。そもそも比那名居一族はこの郷の要石を管理する神官一族だったが、仕事ぶりがはかばかしくなかったためか、地震は頻繁に起きた。大村守は(天人の典型がかならずそうであるように)在地型の行政官僚ではなかったので、現地に新たな神官を派遣して対応した。後に名居守として祀られるようになる名居一族だ。当然、名居守はなゐの神――地震の神に通じる。そうした経緯を眺めてみると、降って湧いたどころか、もとよりこの郷の要石を護っていたはずの比那名居一族は、元々は当地における名居氏の主流だったのではないだろうか。だが不手際があり、別流の名居氏が派遣された(名居という姓についても、いわゆるうから――血縁を有した族的関係ではなく、天界の官僚制度に基づく擬制的関係に由来しているかもしれない)。ひとつの土地にふた筋の同氏が根付けば、区別をつけなければならない場合もある(ヒナをある種の接頭語と理解すれば、比那は万葉仮名で鄙を意味する場合がある。 “志豆延波。比那袁於幣理。(古事記 下巻 雄略天皇)”……地方の、片田舎の、土着の方の名居氏を表したのかもしれない)。ふたつの一族には通婚などもあったかもしれないが、同化することはなく、名居一族と比那名居一族は区別され続けた。
劇中でも、比那名居一族は、ある種の劣等感を名居一族に抱いていた事が語られる。その感覚は個人的なものではなく、一族を挙げての末代まで続くコンプレックスと言うべきもので、血族間で継承されて醸成されてきたもののようだった。
隣の席の説明したがりの彼女は、舞台上の解釈を正しいとも否とも言わない。
物語は進行しているが、大村守を始めとした上流の天人たちには、一言のせりふも無かった。舞台的な身振りと視線の振り分けだけで、全て事足りるといった風情だ。先頃天人に引き上げられたばかりの名居守ですら、そんな天人ぶりがはやばやと板についている。しかし比那名居一族の人々は、お喋りで、下級女官をたくみに口説いては雲の中で戯れることもあるような、野卑で地上っけが抜けない変わり者たちだった。
荒っぽい連中には荒っぽい仕事を――、と他の天人たちも思ったのかどうか。比那名居一族は荒事専門の軍事氏族として活動した。そんな荒事の典型が大ナマズを封じて天帝に献じた逸話であり、劇中盤の山場となる素晴らしい場面だったが、大立ち回りの前に起きた事がわたしを考え込ませていた。
大ナマズの征討に際して、彼らは天帝から剣を受け取ったのだ。もちろん、剣や斧鉞のたぐいを、符節として下賜されることに違和感はない。しかし場面が異様だった。天帝は下級女官にすぎない竜宮の使いを使者に立てて、天人たちの議会を飛び越えた大きな権限を、さしたる立場もないこの一族に与えたのだ。
「……天帝から宝剣まで渡される事は異例だったんですよ」
彼女がぽつりと呟いたが、わたしにはそれ以前のおどろきがあった。天帝の存在が劇中で提示されたのは、この時が初めてだったのだ。この御方の存在はあきらかに(演出意図としても)隠されていた。剣を賜ったときの一族の戸惑いは、観客の反応の近似だった。雲の上のさらにまた高みに、別の層の雲が御座しますと聞いても、ほとんどの人々はただそれだけの事と聞き流してしまうだろう。天帝はその程度の存在だった。この御方は天人たちの上に立ちながら、それでいて一切の重みを感じさせていなかった。
竜宮の使いについても考え直す必要がある。わたしは彼女たちがなんであるか、まったく知らない。従来、竜宮の使いはすべてが天人に属し、天人はみな天帝に属するという見方が大前提になりすぎていた。だが竜宮の使いの中には、身分こそ低けれど天帝に直属する者が少なからずいたのではないか。その立場のために、見かけ上の地位は無くとも(むしろ見過ごされるような身分だったからこそ)、天帝自身にとっては天人以上に近い者たちだったのではないか。
検討すべき問題は多いが、そのために劇の進行を妨げてはならない。
もちろん天帝には目論見がある。下級の天女たちいわく、この御方は天界において最高の権能を持つ存在だが、実態はあらゆる細則によって臣たる天人どもに実権を奪われ、目や舌を抜かれたも同然の状態だ。この現状は不健全である。少なくとも天帝自身はそう思い、かねてより頼りとする者を求めていて――そして発見した。
もっとも、それは比那名居一族だけではなかったが。
そもそも天界の人事というものは、きわめて形式主義的だ。天人の群臣らが朝に出仕し議事を執り行い、議論の結果を奏上して、天帝に決裁を求めるといったプロセスを経る必要がある。誰しも何もかも好き勝手にできるわけではないのだ。だが、今回に限っては形式主義にもわずかな抜け穴があった。大ナマズの征討にあたっては軍を動かす必要があるが、本質は地鎮である。地鎮は軍事ではなく祭事だ。祭事の人事権だけは(これとて政治的綱引きに左右されることが多かったが)天帝自身が握っている。その祭事にあたって宝剣を下賜し、事実上の節刀とする事で、形式上は祭事でありながら天帝が軍事に介入できる先例を作った。
比那名居一族が征討使に抜擢される裏で、そうした事が起きた。絵図を描いたのは大村守と名居守だ。
この一族は、どんなに舞い上がってみても劣等感という鎖から逃れられない運命だったらしい。ふとしたきっかけで内情を知った(彼らは粗野であっても、社会の機微を理解できない者たちではなかった)。彼らが手に入れたものは、表面上の名誉と褒賞の宝剣(劇中では節刀をそのまま賜ったようになっているが、脚色上の簡素化か単純な誤りだ。それとは別な物で、緋想の剣という名でおそらくもっとも著名だろう)だけだ。慰めといえる軍功すら大村守や名居守の目利きの正しさの証明になってしまえば立つ瀬がない(幸か不幸か、彼らの軍事的才能は高かった。走狗としての才能だが)。
そこで現状を受け入れ、たとえ名居守の下であっても諾々と仕事をこなし、気長に、執拗に下剋上を狙う事ができれば、それはそれで良かったのかもしれない。しかし、そのようにおとなしい一族なら、走狗としてすら見出されなかっただろう。彼らは荒っぽく、逸り気で、なにより自分自身を抵当に入れて鉄火場に張る勇気を持った人々だった。
比那名居一族は竜宮の使いを利用した。女官の中でもより一段低い立場にある彼女たちは、一族の地上的な魅力に惹かれがちで、気脈を通じている者もいた(劇中、比那名居一族は男性的な側面が一貫して強調されている。そして一族の女性はほとんど現れず、女性的な役割は竜宮の使いたちが担った。劇としては妥当な扱いだろうが、隣で観ている彼女はどう思っただろう。教えてはくれなかった)。これまで女を口説き落としたり軍を鼓舞するばかりだった比那名居一族の舌が、奸智に長けた中傷に使われた。彼らは説く。天帝に味方しつつも利用してもいる、大村守や名居守といった天人たち……彼らとていずれは増長し、あの御方からまたしても権限を奪っていくに違いない。すべての歴史は円環構造を有していて、結局は元の木阿弥になってしまうものだ、どうにかしなければならない、と。
興味深いことに彼らは、そうした歴史の逃れられない円環軌道から、自分たちや竜宮の使いだけを、天界の理から外れて閃光する彗星であるとして例外化した。明らかな詭弁であるにもかかわらず、修辞と弁論が力を持った――天帝に直属する竜宮の使いたちも、天人に対する不信がまったく無いわけではなかったのだ。
そして変事が起きた。以下にそのあらましを記すが、劇的な展開のために正確な歴史が(これまで以上に)犠牲になっているおそれがある。しかし劣等感を抱えたまま功成った新興一族と、低い身分ながら天帝に仕えた女たちの末路にはふさわしいかもしれない。
あるとき、竜宮の使いが大地震の予兆を奏上した(よく知られるように、彼女たちの役目のひとつだ)。そこでふたたび大ナマズの征討が計画されて、比那名居一族に軍権が還任された。もちろんすべて謀略の内だが、計画と行動はきわめて大胆、事前の発覚がなかったのが奇跡のようだった。しかし観客はさほど不思議には感じない。比那名居一族の結束の強さを知っていたからだ。
軍権を掌握した比那名居一族は、たちまち禁軍を動かして、宮中の大臣たちを監禁した。面白かったのは、この場面の大立ち回りに竜宮の使いまでが加わった事だ。彼女たちは官給の羽衣を使って、重臣たちの手足を縛り、目隠しをし、口に猿轡を噛ませて無力化した。
「色々と使いでのあるモノなんですよね、羽衣って」
久々に彼女が呟いた。
こうして比那名居一族は名居守への(身勝手で独り善がりな)復讐を果たそうとするが、すんでのところで竜宮の使いの女官たちに止められる。この場で死の穢れは避けるべきで、流血があれば統制下にある禁軍とて命令に忠実ではなくなるだろう、と。
処断が先延ばしになった不満はあるが、まだやりようはある。流血を忌むという建前にしたところで建前でしかなく、毒を使うなり病に仕立てるなり、天帝に上訴して賜死を授けさせるなり、どうとでもなるだろう。そう考え、御簾の前まで押しかけて、このたび起こった変事について釈明した。天帝を侮り軽んじ続けてきた天人たちの罪についても讒訴した。
天帝は御簾の向こう側にいた(この御方はお声だけの役だ。間違いなくそこにいるが、けっして姿を現すことはない)。比那名居一族に感謝し、その行動力を褒めつつも、どこか冷淡だ。なにより他の天人に対する処断を認めなかった。そして、確かに最近のまつりごとは多少混乱していたが、御自らの与党である大村守や名居守どころか、先頃対立していた他の群臣どもも、すべて赦すつもりだと言う。天界は常にそうした事の繰り返しだったのだと。
天帝の権能を後ろ盾に決起した比那名居一族は、気がつけばその決定に抗えなくなっている。
すべての臣を赦すと、天帝が勅を下す決断をした結果、比那名居の人々――私心によって狼藉騒ぎを起こした不良天人の一族――は、宙ぶらりんでぽつんと取り残されたようになった。その間も省庁の掌握(軍事力を背景にした恫喝と屈服)は進んでいたが、もはや意味をなさない。しかし、天帝はきっとこんな身勝手を起こした自分たちすら赦すのだろう。
御座所から退いた比那名居一族は、なおそばに付き従っている竜宮の使いに、そんな事を呟いた。自由気ままな彗星である事を自認していた彼らは、いつの間にか天帝の引力に呑まれ、天界を取り巻く円軌道に組みこまれつつあった。
一方の竜宮の使いはというと、そんな事は達観している。いつもの事だったからだ。嘆く比那名居一族に対して、冷めきった態度で、今回の事を賞されて乱暴さえも赦されるならば、それで良いではないかと言った。比那名居一族の人々はそんな割りきった精神構造を有していなかった。状況が煮詰まった今では、赦される事さえ彼らにとって最悪の事態だった。
天帝を害するような失言まで、彼らは女たちの前で口走ってしまった(逆恨みに逆恨みを重ねて、ついに天帝まで恨んだのだとも解釈できるが、わたしはそうは思わない。単に天界を回転させる引力から逃れたいばかりに、口をついて出た嘆きにすぎないのだろう)。それが致命的な破綻になる。女たちは彼らの同志ではなく、天帝そのものに仕える者たちだった。
たたみかけるような展開ではなく、古典演劇的な四拍半の間があった後、竜宮の使いの一人が、下賜の剣を抜き去るように奪い取った。もちろんのこと、軍権の象徴が奪われてしまえば、比那名居一族など取るに足らない天人の末席にすぎない。
舞台が暗転した後も、男の怒号と女の悲鳴が聞こえた。右往左往、真っ暗闇の舞台上を、白い影は剣を抱えて走った。それが縫殿寮に逃げ込んだというせりふの後、照明がつき、舞台上で明転が始まった。女官が逃げ込んだ縫殿寮は、縫いあげたばかりの真っ白な羽衣が幾重にも干されている、布の迷宮として舞台上では表現された。血まみれの竜宮の使いは――追われている間に傷をつけられたらしい――自らの羽衣を真っ赤に汚しながらも、その迷路を巧みにかいくぐり、追手を振り切って寮に駆け込む。そして中で縫製作業をしていた女孺たちに匿われた。比那名居一族もあとを追って寮に乗り込んでくるが、天界の下級女官たちは官給服によって無個性を規定されているので、まったく見分けがつかない。床に点々とした血痕を発見しても、なにぶん女所帯だし、裾に月が立つのは不意の事もあるのでと女たちに突っぱねられる。比那名居一族は、もはやこの一場面の無理を押し通す力すら持っていない。
こうしたやりとりの間に、宝剣は縫殿寮を脱出して、天女たちの手を伝いながら天帝の元に戻った。同時に比那名居一族の変心も明らかになり、監禁中の群臣は拘束を解かれる。天帝は戒厳下の全軍に向けて解散命令を触れ回るべく、竜宮の使いの羽衣に勅命を記して託す。この使者が天界の全域に放たれるに至って、比那名居一族が失敗した事実が内外に知れ渡った。
最終場、劇の主人公にしてはあっけない退場だが、比那名居一族は地上へと逃亡した事が、大村守と名居守の会話の中で(ここで初めて彼らは言葉を発する)、置くように語られる。彼らは感情の薄い天人たちには珍しく、比那名居一族の暴走を惜しむ。当たり前といえば当たり前だが、彼らはあの一族を自分たちの一派の頼りになる人々と、心から信頼していたのだ。
最後に、天帝の裁量によって、この騒動の当事者はみな赦される事が示唆されて、幕が下りる。
「面白かったです」
帰り道、わたしと彼女は肩を並べて歩きながら、今しがたの演目について語り合った。
「ちょっとした事実関係の錯誤はありましたが、劇は劇ですからね。ほんとうの事なんて脇に置いておけばいいじゃないですか」
そう言い放つ事で、彼女はわたしの追及に待ったをかける。この女性が竜宮の使いであるのは間違いなかった。もしかすると、実際の事件でもなにか役目を持っていた一人だったのかもしれない。
だとすれば、わたしの想像は彼女にどう思われるだろうか。
あの劇の終盤、比那名居一族が起こした政変について、小さなものから大きなものまで、いくつか疑問点がある、とわたしは言った。おそらく劇の脚色のために犠牲になった部分だろうし、それによって物語の面白さが損なわれたわけではないのも確かだが、あなたはどう思っただろうかと。
・天界の宮中では、おそらく帯剣は許されていないだろう。よって、女官が宝剣を奪う劇的な場面には相当の脚色が含まれている(死穢を忌むというせりふから、この予想はまず外れていないと思う)。
・比那名居一族は、本当に純粋な劣等感のみで変を起こしたのか(もちろん、まったく無かったとは言えない。しかし積極的に焚き付けた者がいたのではないか)。
・なにより、なぜ天帝はみなみなを赦す事にしたのか――というより、なぜ赦す事ができたのか(答えはわかっている。変が終わった時、この御方が天界の全ての軍権を掌握していたからだ)。
彼女は苦笑いしながらわたしの話に付き合ってくれた。わたしは自身の推論――これは天帝自身による軍事クーデターで、竜宮の使いは常にそれに従い、比那名居一族は利用されたにすぎない――までは言わなかったが、彼女には伝わったのだろう。そのまま羽衣でいなすように話を逸らされて、答えの代わりにふたつの事を教えてくれた。
「別に、わたしたち竜宮の使いって、天帝にそこまで忠誠があったわけではないんですよ。普段は雲間でのんびりしているのが好きだし、政治に巻き込まれるのはみんな大嫌いでした。あの頃は……ちょっとおかしかったんでしょう。今はもう、あんな不思議な団結はわたしたちにはありません。大結界騒動とか色々とありましたしね」
もうひとつの事は、比那名居一族のその後についてだった。
「一族すべてが地上に脱出できたわけではなかったんです。ほとんどの人たちは逃れる暇もないまま、天界に留まるしかなくって、かといって特別に処罰があるわけでもなく……相変わらず軍事を任されていました」
天界に留め置かれた比那名居氏は、不良天人と一部向きからは揶揄されつつも、天人の中に馴染む事に努め、その後も功を積んだという。
では、もう一方の、ふたたび地上に下った比那名居氏はどうなったのか。
「赦されました」
わたしの尋ねに、彼女は一言だけ答えた。赦されてまた天界に戻ったのだろうか、それとも赦されただけで地上にはりついたままなのだろうか……。
地に下った比那名居氏の子孫たちについて、わたしは考えた。もしも劇の通り、彼らが鬱屈した感情を血族間で醸成していたとしたら、それは今日に至るまで続いているだろう。名居守に抱いていた劣等感のみならず、一度は天界への侵入を果たした一族の神話が、余計にコンプレックスをこじらせる要因になっているかもしれない。それは本人の気質とはなんら関係のないものだろうし、その血の妄執を今では克服している――あるいはできる――のかもしれないが、それでも、心ならずも、胎の奥底に重く堆積し続けている……。
そんなふうに思いを巡らせていると、竜宮の使いはいつしかふわりと宙に舞っていた。
「まあ、あの方々はそんな呪い、あったところで振り切ってしまわれるのではないですか」
彼女がそんな口をきいた事で、わたしは少し悲観的な気分になった……彼らの子孫が赦されて天界に上昇したところで、息苦しいだけだろうと思ったからだ。しかも天界の比那名居氏は、もはや他の天人そっくり、無口で、上品で、洗練された人々になっているのだ。しかし彼女は、比那名居一族の子孫は乗り越えられるだろうとも感じているらしい。
どのみち、ただの劇の観客でしかないわたしの、これ以上の思案や詮索は余計なのだろう。比那名居一族への憐憫は不要だ。
なによりわたしは竜宮の使いの彼女とまた会いたいと思っていて、その気分を相手に伝える事の方が重要な気がしてきている。
地上に落とされた比那名居氏の娘が、やがて天界のあり方を変えてしまうだなんて、誰も、夢にも、思っていない。
開演前、客席に腰を下ろしたわたしは、何度も手元のパンフレットに目をやった。劇の舞台となる時代の文化・社会背景などを補足して、観客の不安に寄り添うよう作られている数ページの冊子を、どういう表情で読んでいたのか、自分でもわからない。
「どんな演目になるでしょうか」
と、隣の席の女性に話しかけられた。わたしはパンフレットに書かれていて、読めばわかるそのままの情報を初対面の彼女に語った。
・天界で起きた事件を描いた歴史劇であること。
・とある一族の、上昇と落下の物語であること。
・群集劇であり、特定の主演俳優がいないこと。
個人の感情を軽率に一般化する事は愚かだが、どれも観客を困惑させるには充分な要素だろうとわたしは思った。彼女にもそう言った。その表明だけが唯一自分の意見のように思われた。
やがて開演のブザーが鳴り、幕が開いた。曖昧な記憶に基づいた逐時的な描写は愚かで無益な行為だろうが、それでも多少の状況説明は必要だろう。
最初の幕の第一場、板付きの場面にうずくまる十数人の演者たちは、舞台に設置された祠を扇状に取り巻き、言祝ぎをあげている、丸い背中と腰つきの集合だった。ひとりひとり、それぞれの骨格や肉付きを持っているはずの人々だが、身につけているブラウスやスカートの統一によって、人格までも統一化されるように感じる――それは服装だけでなく、儀式的な所作や発声によるところも大きい。儀式の中で役目を持っているらしい者が立ったり、移動したり、座ったりといった行為があるにもかかわらず、個性は常に殺されていた。
「官給服だったんです。身分の低い女官たちの」と女性はささやいたが、彼女の補足をわたしは無視してしまった。舞台上で劇的な演出が行われたのだ。
女官たちによって、祠が開かれると、その内部には祀られた神霊がうずくまるように収納されていた。演者には目隠しと猿轡がつけられていて、たしかに祀られたきりの神霊とはそういうものだろうか、とわたしは思った。
盲目にされ舌を抜かれていた神霊を、女官たちはそれぞれ身につけている羽衣――真っ白な一反の織物――で、ぐるぐると巻いていった。やがて巨大な一抱えの繭になったそれを、数人がかりで運んでいく。その段になってようやく、無個性な女官たちの中にも、引率し采配する立場の女官長とでも言うべき者がいた事が明らかになる。他の者が舞台からはけていった後で、彼女は舞台の上下を行ったり来たり、あちこち探してから嘆息する。儀式のどさくさの中で、地上人と戯れながら脱け出した女官がいたのだ。
「そういう事がよくある時代でした。貧しい竜宮の使いなんかだと、特に」
暗転した暗闇の中で女性が言った。
「やがて地上の生活に飽きて、こぶつきで戻ってくるのまで含めてね」
続く場面は彼女の言に従うように進行していったが、冒頭で脱走した女官についてきたこぶは、更に蔓がずるずるつながっていて、あまりに大きかった。愚かな天女を誑しこんだ地上人は、一族まで引き連れて天界へとやってきたのだ。
「……さすがにこれは脚色ですね。比那名居一族は名居守に縁のある者で、その流れで天人に列されたので」
しかし脚色の理由にも見当がつく。天人の末席についた比那名居一族は、更に下に置かれている下級女官たちと繁く交わるようになったからだ。彼らは雲上の人となっても、なにか特別立派になったわけではなかった。かえって、所属する社会の下層に甘んじるほかなくなった。これは地上から天界に駆け上がった一族の物語であると同時に、貧しい下位の天女達の物語でもあったし、それは両者の繋がりから展開していくものだった。
彼らは大村守という天人に仕えた。おそらく大村神社の祭神に比定されるべき、地震を担う者だろう。そもそも比那名居一族はこの郷の要石を管理する神官一族だったが、仕事ぶりがはかばかしくなかったためか、地震は頻繁に起きた。大村守は(天人の典型がかならずそうであるように)在地型の行政官僚ではなかったので、現地に新たな神官を派遣して対応した。後に名居守として祀られるようになる名居一族だ。当然、名居守はなゐの神――地震の神に通じる。そうした経緯を眺めてみると、降って湧いたどころか、もとよりこの郷の要石を護っていたはずの比那名居一族は、元々は当地における名居氏の主流だったのではないだろうか。だが不手際があり、別流の名居氏が派遣された(名居という姓についても、いわゆるうから――血縁を有した族的関係ではなく、天界の官僚制度に基づく擬制的関係に由来しているかもしれない)。ひとつの土地にふた筋の同氏が根付けば、区別をつけなければならない場合もある(ヒナをある種の接頭語と理解すれば、比那は万葉仮名で鄙を意味する場合がある。 “志豆延波。比那袁於幣理。(古事記 下巻 雄略天皇)”……地方の、片田舎の、土着の方の名居氏を表したのかもしれない)。ふたつの一族には通婚などもあったかもしれないが、同化することはなく、名居一族と比那名居一族は区別され続けた。
劇中でも、比那名居一族は、ある種の劣等感を名居一族に抱いていた事が語られる。その感覚は個人的なものではなく、一族を挙げての末代まで続くコンプレックスと言うべきもので、血族間で継承されて醸成されてきたもののようだった。
隣の席の説明したがりの彼女は、舞台上の解釈を正しいとも否とも言わない。
物語は進行しているが、大村守を始めとした上流の天人たちには、一言のせりふも無かった。舞台的な身振りと視線の振り分けだけで、全て事足りるといった風情だ。先頃天人に引き上げられたばかりの名居守ですら、そんな天人ぶりがはやばやと板についている。しかし比那名居一族の人々は、お喋りで、下級女官をたくみに口説いては雲の中で戯れることもあるような、野卑で地上っけが抜けない変わり者たちだった。
荒っぽい連中には荒っぽい仕事を――、と他の天人たちも思ったのかどうか。比那名居一族は荒事専門の軍事氏族として活動した。そんな荒事の典型が大ナマズを封じて天帝に献じた逸話であり、劇中盤の山場となる素晴らしい場面だったが、大立ち回りの前に起きた事がわたしを考え込ませていた。
大ナマズの征討に際して、彼らは天帝から剣を受け取ったのだ。もちろん、剣や斧鉞のたぐいを、符節として下賜されることに違和感はない。しかし場面が異様だった。天帝は下級女官にすぎない竜宮の使いを使者に立てて、天人たちの議会を飛び越えた大きな権限を、さしたる立場もないこの一族に与えたのだ。
「……天帝から宝剣まで渡される事は異例だったんですよ」
彼女がぽつりと呟いたが、わたしにはそれ以前のおどろきがあった。天帝の存在が劇中で提示されたのは、この時が初めてだったのだ。この御方の存在はあきらかに(演出意図としても)隠されていた。剣を賜ったときの一族の戸惑いは、観客の反応の近似だった。雲の上のさらにまた高みに、別の層の雲が御座しますと聞いても、ほとんどの人々はただそれだけの事と聞き流してしまうだろう。天帝はその程度の存在だった。この御方は天人たちの上に立ちながら、それでいて一切の重みを感じさせていなかった。
竜宮の使いについても考え直す必要がある。わたしは彼女たちがなんであるか、まったく知らない。従来、竜宮の使いはすべてが天人に属し、天人はみな天帝に属するという見方が大前提になりすぎていた。だが竜宮の使いの中には、身分こそ低けれど天帝に直属する者が少なからずいたのではないか。その立場のために、見かけ上の地位は無くとも(むしろ見過ごされるような身分だったからこそ)、天帝自身にとっては天人以上に近い者たちだったのではないか。
検討すべき問題は多いが、そのために劇の進行を妨げてはならない。
もちろん天帝には目論見がある。下級の天女たちいわく、この御方は天界において最高の権能を持つ存在だが、実態はあらゆる細則によって臣たる天人どもに実権を奪われ、目や舌を抜かれたも同然の状態だ。この現状は不健全である。少なくとも天帝自身はそう思い、かねてより頼りとする者を求めていて――そして発見した。
もっとも、それは比那名居一族だけではなかったが。
そもそも天界の人事というものは、きわめて形式主義的だ。天人の群臣らが朝に出仕し議事を執り行い、議論の結果を奏上して、天帝に決裁を求めるといったプロセスを経る必要がある。誰しも何もかも好き勝手にできるわけではないのだ。だが、今回に限っては形式主義にもわずかな抜け穴があった。大ナマズの征討にあたっては軍を動かす必要があるが、本質は地鎮である。地鎮は軍事ではなく祭事だ。祭事の人事権だけは(これとて政治的綱引きに左右されることが多かったが)天帝自身が握っている。その祭事にあたって宝剣を下賜し、事実上の節刀とする事で、形式上は祭事でありながら天帝が軍事に介入できる先例を作った。
比那名居一族が征討使に抜擢される裏で、そうした事が起きた。絵図を描いたのは大村守と名居守だ。
この一族は、どんなに舞い上がってみても劣等感という鎖から逃れられない運命だったらしい。ふとしたきっかけで内情を知った(彼らは粗野であっても、社会の機微を理解できない者たちではなかった)。彼らが手に入れたものは、表面上の名誉と褒賞の宝剣(劇中では節刀をそのまま賜ったようになっているが、脚色上の簡素化か単純な誤りだ。それとは別な物で、緋想の剣という名でおそらくもっとも著名だろう)だけだ。慰めといえる軍功すら大村守や名居守の目利きの正しさの証明になってしまえば立つ瀬がない(幸か不幸か、彼らの軍事的才能は高かった。走狗としての才能だが)。
そこで現状を受け入れ、たとえ名居守の下であっても諾々と仕事をこなし、気長に、執拗に下剋上を狙う事ができれば、それはそれで良かったのかもしれない。しかし、そのようにおとなしい一族なら、走狗としてすら見出されなかっただろう。彼らは荒っぽく、逸り気で、なにより自分自身を抵当に入れて鉄火場に張る勇気を持った人々だった。
比那名居一族は竜宮の使いを利用した。女官の中でもより一段低い立場にある彼女たちは、一族の地上的な魅力に惹かれがちで、気脈を通じている者もいた(劇中、比那名居一族は男性的な側面が一貫して強調されている。そして一族の女性はほとんど現れず、女性的な役割は竜宮の使いたちが担った。劇としては妥当な扱いだろうが、隣で観ている彼女はどう思っただろう。教えてはくれなかった)。これまで女を口説き落としたり軍を鼓舞するばかりだった比那名居一族の舌が、奸智に長けた中傷に使われた。彼らは説く。天帝に味方しつつも利用してもいる、大村守や名居守といった天人たち……彼らとていずれは増長し、あの御方からまたしても権限を奪っていくに違いない。すべての歴史は円環構造を有していて、結局は元の木阿弥になってしまうものだ、どうにかしなければならない、と。
興味深いことに彼らは、そうした歴史の逃れられない円環軌道から、自分たちや竜宮の使いだけを、天界の理から外れて閃光する彗星であるとして例外化した。明らかな詭弁であるにもかかわらず、修辞と弁論が力を持った――天帝に直属する竜宮の使いたちも、天人に対する不信がまったく無いわけではなかったのだ。
そして変事が起きた。以下にそのあらましを記すが、劇的な展開のために正確な歴史が(これまで以上に)犠牲になっているおそれがある。しかし劣等感を抱えたまま功成った新興一族と、低い身分ながら天帝に仕えた女たちの末路にはふさわしいかもしれない。
あるとき、竜宮の使いが大地震の予兆を奏上した(よく知られるように、彼女たちの役目のひとつだ)。そこでふたたび大ナマズの征討が計画されて、比那名居一族に軍権が還任された。もちろんすべて謀略の内だが、計画と行動はきわめて大胆、事前の発覚がなかったのが奇跡のようだった。しかし観客はさほど不思議には感じない。比那名居一族の結束の強さを知っていたからだ。
軍権を掌握した比那名居一族は、たちまち禁軍を動かして、宮中の大臣たちを監禁した。面白かったのは、この場面の大立ち回りに竜宮の使いまでが加わった事だ。彼女たちは官給の羽衣を使って、重臣たちの手足を縛り、目隠しをし、口に猿轡を噛ませて無力化した。
「色々と使いでのあるモノなんですよね、羽衣って」
久々に彼女が呟いた。
こうして比那名居一族は名居守への(身勝手で独り善がりな)復讐を果たそうとするが、すんでのところで竜宮の使いの女官たちに止められる。この場で死の穢れは避けるべきで、流血があれば統制下にある禁軍とて命令に忠実ではなくなるだろう、と。
処断が先延ばしになった不満はあるが、まだやりようはある。流血を忌むという建前にしたところで建前でしかなく、毒を使うなり病に仕立てるなり、天帝に上訴して賜死を授けさせるなり、どうとでもなるだろう。そう考え、御簾の前まで押しかけて、このたび起こった変事について釈明した。天帝を侮り軽んじ続けてきた天人たちの罪についても讒訴した。
天帝は御簾の向こう側にいた(この御方はお声だけの役だ。間違いなくそこにいるが、けっして姿を現すことはない)。比那名居一族に感謝し、その行動力を褒めつつも、どこか冷淡だ。なにより他の天人に対する処断を認めなかった。そして、確かに最近のまつりごとは多少混乱していたが、御自らの与党である大村守や名居守どころか、先頃対立していた他の群臣どもも、すべて赦すつもりだと言う。天界は常にそうした事の繰り返しだったのだと。
天帝の権能を後ろ盾に決起した比那名居一族は、気がつけばその決定に抗えなくなっている。
すべての臣を赦すと、天帝が勅を下す決断をした結果、比那名居の人々――私心によって狼藉騒ぎを起こした不良天人の一族――は、宙ぶらりんでぽつんと取り残されたようになった。その間も省庁の掌握(軍事力を背景にした恫喝と屈服)は進んでいたが、もはや意味をなさない。しかし、天帝はきっとこんな身勝手を起こした自分たちすら赦すのだろう。
御座所から退いた比那名居一族は、なおそばに付き従っている竜宮の使いに、そんな事を呟いた。自由気ままな彗星である事を自認していた彼らは、いつの間にか天帝の引力に呑まれ、天界を取り巻く円軌道に組みこまれつつあった。
一方の竜宮の使いはというと、そんな事は達観している。いつもの事だったからだ。嘆く比那名居一族に対して、冷めきった態度で、今回の事を賞されて乱暴さえも赦されるならば、それで良いではないかと言った。比那名居一族の人々はそんな割りきった精神構造を有していなかった。状況が煮詰まった今では、赦される事さえ彼らにとって最悪の事態だった。
天帝を害するような失言まで、彼らは女たちの前で口走ってしまった(逆恨みに逆恨みを重ねて、ついに天帝まで恨んだのだとも解釈できるが、わたしはそうは思わない。単に天界を回転させる引力から逃れたいばかりに、口をついて出た嘆きにすぎないのだろう)。それが致命的な破綻になる。女たちは彼らの同志ではなく、天帝そのものに仕える者たちだった。
たたみかけるような展開ではなく、古典演劇的な四拍半の間があった後、竜宮の使いの一人が、下賜の剣を抜き去るように奪い取った。もちろんのこと、軍権の象徴が奪われてしまえば、比那名居一族など取るに足らない天人の末席にすぎない。
舞台が暗転した後も、男の怒号と女の悲鳴が聞こえた。右往左往、真っ暗闇の舞台上を、白い影は剣を抱えて走った。それが縫殿寮に逃げ込んだというせりふの後、照明がつき、舞台上で明転が始まった。女官が逃げ込んだ縫殿寮は、縫いあげたばかりの真っ白な羽衣が幾重にも干されている、布の迷宮として舞台上では表現された。血まみれの竜宮の使いは――追われている間に傷をつけられたらしい――自らの羽衣を真っ赤に汚しながらも、その迷路を巧みにかいくぐり、追手を振り切って寮に駆け込む。そして中で縫製作業をしていた女孺たちに匿われた。比那名居一族もあとを追って寮に乗り込んでくるが、天界の下級女官たちは官給服によって無個性を規定されているので、まったく見分けがつかない。床に点々とした血痕を発見しても、なにぶん女所帯だし、裾に月が立つのは不意の事もあるのでと女たちに突っぱねられる。比那名居一族は、もはやこの一場面の無理を押し通す力すら持っていない。
こうしたやりとりの間に、宝剣は縫殿寮を脱出して、天女たちの手を伝いながら天帝の元に戻った。同時に比那名居一族の変心も明らかになり、監禁中の群臣は拘束を解かれる。天帝は戒厳下の全軍に向けて解散命令を触れ回るべく、竜宮の使いの羽衣に勅命を記して託す。この使者が天界の全域に放たれるに至って、比那名居一族が失敗した事実が内外に知れ渡った。
最終場、劇の主人公にしてはあっけない退場だが、比那名居一族は地上へと逃亡した事が、大村守と名居守の会話の中で(ここで初めて彼らは言葉を発する)、置くように語られる。彼らは感情の薄い天人たちには珍しく、比那名居一族の暴走を惜しむ。当たり前といえば当たり前だが、彼らはあの一族を自分たちの一派の頼りになる人々と、心から信頼していたのだ。
最後に、天帝の裁量によって、この騒動の当事者はみな赦される事が示唆されて、幕が下りる。
「面白かったです」
帰り道、わたしと彼女は肩を並べて歩きながら、今しがたの演目について語り合った。
「ちょっとした事実関係の錯誤はありましたが、劇は劇ですからね。ほんとうの事なんて脇に置いておけばいいじゃないですか」
そう言い放つ事で、彼女はわたしの追及に待ったをかける。この女性が竜宮の使いであるのは間違いなかった。もしかすると、実際の事件でもなにか役目を持っていた一人だったのかもしれない。
だとすれば、わたしの想像は彼女にどう思われるだろうか。
あの劇の終盤、比那名居一族が起こした政変について、小さなものから大きなものまで、いくつか疑問点がある、とわたしは言った。おそらく劇の脚色のために犠牲になった部分だろうし、それによって物語の面白さが損なわれたわけではないのも確かだが、あなたはどう思っただろうかと。
・天界の宮中では、おそらく帯剣は許されていないだろう。よって、女官が宝剣を奪う劇的な場面には相当の脚色が含まれている(死穢を忌むというせりふから、この予想はまず外れていないと思う)。
・比那名居一族は、本当に純粋な劣等感のみで変を起こしたのか(もちろん、まったく無かったとは言えない。しかし積極的に焚き付けた者がいたのではないか)。
・なにより、なぜ天帝はみなみなを赦す事にしたのか――というより、なぜ赦す事ができたのか(答えはわかっている。変が終わった時、この御方が天界の全ての軍権を掌握していたからだ)。
彼女は苦笑いしながらわたしの話に付き合ってくれた。わたしは自身の推論――これは天帝自身による軍事クーデターで、竜宮の使いは常にそれに従い、比那名居一族は利用されたにすぎない――までは言わなかったが、彼女には伝わったのだろう。そのまま羽衣でいなすように話を逸らされて、答えの代わりにふたつの事を教えてくれた。
「別に、わたしたち竜宮の使いって、天帝にそこまで忠誠があったわけではないんですよ。普段は雲間でのんびりしているのが好きだし、政治に巻き込まれるのはみんな大嫌いでした。あの頃は……ちょっとおかしかったんでしょう。今はもう、あんな不思議な団結はわたしたちにはありません。大結界騒動とか色々とありましたしね」
もうひとつの事は、比那名居一族のその後についてだった。
「一族すべてが地上に脱出できたわけではなかったんです。ほとんどの人たちは逃れる暇もないまま、天界に留まるしかなくって、かといって特別に処罰があるわけでもなく……相変わらず軍事を任されていました」
天界に留め置かれた比那名居氏は、不良天人と一部向きからは揶揄されつつも、天人の中に馴染む事に努め、その後も功を積んだという。
では、もう一方の、ふたたび地上に下った比那名居氏はどうなったのか。
「赦されました」
わたしの尋ねに、彼女は一言だけ答えた。赦されてまた天界に戻ったのだろうか、それとも赦されただけで地上にはりついたままなのだろうか……。
地に下った比那名居氏の子孫たちについて、わたしは考えた。もしも劇の通り、彼らが鬱屈した感情を血族間で醸成していたとしたら、それは今日に至るまで続いているだろう。名居守に抱いていた劣等感のみならず、一度は天界への侵入を果たした一族の神話が、余計にコンプレックスをこじらせる要因になっているかもしれない。それは本人の気質とはなんら関係のないものだろうし、その血の妄執を今では克服している――あるいはできる――のかもしれないが、それでも、心ならずも、胎の奥底に重く堆積し続けている……。
そんなふうに思いを巡らせていると、竜宮の使いはいつしかふわりと宙に舞っていた。
「まあ、あの方々はそんな呪い、あったところで振り切ってしまわれるのではないですか」
彼女がそんな口をきいた事で、わたしは少し悲観的な気分になった……彼らの子孫が赦されて天界に上昇したところで、息苦しいだけだろうと思ったからだ。しかも天界の比那名居氏は、もはや他の天人そっくり、無口で、上品で、洗練された人々になっているのだ。しかし彼女は、比那名居一族の子孫は乗り越えられるだろうとも感じているらしい。
どのみち、ただの劇の観客でしかないわたしの、これ以上の思案や詮索は余計なのだろう。比那名居一族への憐憫は不要だ。
なによりわたしは竜宮の使いの彼女とまた会いたいと思っていて、その気分を相手に伝える事の方が重要な気がしてきている。
地上に落とされた比那名居氏の娘が、やがて天界のあり方を変えてしまうだなんて、誰も、夢にも、思っていない。
あとがき…wそうきたか…
あと、この衣玖さんは映画を一緒に見に行きたくはないタイプ