Coolier - 新生・東方創想話

竹林の二羽

2008/12/10 22:25:55
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迷いの竹林の奥深く、人目を忍ぶように建つ屋敷…永遠亭。
今日もまた、薬師・八意永琳の腕を頼る里の人間がやって来る。

「患者さんウサよー」

幼い声と共に、引き戸が開かれる音がし…その暢気な調子とは対照的な、切羽詰った様子を感じ
させる喧しい足音がそれに続く。

「せ、先生は…八意先生は居ますか!?」

引き戸を開いた少女を突き飛ばさんばかりの勢いで永遠亭に駆け込んだその男は、まるで何かに
追い詰められたような顔で辺りを見回す。その腕には、何枚もの布に包まれた、年端も行かない
幼い子供が抱かれている。額にじっとりと汗をかき、顔は赤く呼吸は荒く…素人目にもすぐに、
具合が良くないことが見て取れる。

「どうしました?」

やがて男の前に、1人の女性が小走りで姿を現した。幻想郷では他に見かけない、異国の雰囲気
を感じさせる衣服に身を包んだ彼女…鈴仙・優曇華院・イナバは、頭の上に大きな兎の耳を揺らし
ながら、男に近づく。

「あ、あのっ…う、ウチのチビが、今朝から凄い熱で…薬を飲ませても、全然、それで…!」
「落ち着いてください、すぐに師匠のところに案内しますから」

半ばパニック状態に陥っている男をなだめながら、鈴仙は男の腕から子供を受け取る。
彼女はそのまま踵を返し、すぐさま永琳の部屋へと向かおうとして…。

「…っ」

1度、入り口を振り返る。そこには、さきほど引き戸を開けた少女、因幡てゐと…もう1人。
その向こうに立っている、赤と白の服を着て…長く、輝くように白い髪をした女性の姿があった。

「…てゐ、妹紅さんのことお願いね」
「あいさー」

そう言い残して、鈴仙は足早に屋敷の奥へと掛けて行く。背後で、てゐともう1人の女性が何か
会話をしているらしい声が聞こえたが…それはすぐに、後に続いた男の乱暴な足音に掻き消され
てしまった。





「師匠、急患です!」
「聞こえてるわ、入りなさい」

短いやり取りの後、鈴仙は長い廊下に並んだ障子の1つを開く。赤と青を基調とした独特の衣装
に身を包んだ妙齢の女性…八意永琳その人が、落ち着いた様子でそれを招き入れる。

「今朝から発熱が引かないそうです。一応、薬は飲ませたらしいですが…」
「どれ…ちょっと、診せてくれる?」

開けっ放しの障子の外で不安げに様子を窺うことしか出来ない男の視線を他所に、2人は迅速に
子供の診断を進めていく。手で熱を測り、眼球の様子や舌、喉の状態を観察して…ものの数分で、
その一連の作業は既に終了していた。

「一応、ただの風邪だけど…この歳の子供にとっては、少し症状が重いみたいね」
「蓮華の薬…は、子供には強すぎるでしょうか?」
「んー…まぁ、どの道そこまでじゃないかしらね。こっちはなんとかするから、氷嚢と布団と…」
「たらいと手拭いですね、隣ですぐに用意します…ちょっと、失礼しますね」

状況の解かっていない人間には追い付けない会話を交わした後、鈴仙は立ち尽くす男の隣を抜け、
屋敷の裏手に位置する台所に向かった。

氷嚢に氷と水を入れ、たらいに水を汲んで手拭いを浸し、それを永琳が診察を続ける部屋の隣に
運ぶ。押入れから布団を取り出し、てきぱきと病床の準備を終えた頃…こちらもこれ以上ない程
迅速に仕事を終えた永琳が、子供を抱えて姿を現す。

「しばらくは、ゆっくり寝かせてあげてください。薬が効いてくれば、じきに熱も引きます」
「え…あ、は、はい…?」

何が何だか解からないうちに診察と投薬が済まされ…あとは、ゆっくり眠って熱が引くのを待つ
ばかり、という段になってようやく男が我に返る。

「あ、あの…それで、私はどうすれば…?」
「傍で、ちゃんと見ていてあげてください。私は、隣に居ますから…何かあったら」

はぁ、と気の抜けた返事をした後…男は何かに気が付いたように、慌てて頭を下げた。穏やかに
微笑みながら、男の感謝の言葉を素直に受け取って…永琳は、傍らに控えていた鈴仙の顔を見る。

「お疲れ様、こっちは大丈夫だから…そうね、頼れる自警団様に、お茶でもお出しして」

瞬間…鈴仙は、自分の胸が、ほんの微かに高鳴るのを感じた。

「…はい。では…失礼します」

そう言って軽く会釈し、鈴仙は部屋を後にした。
廊下を進む足取りは…普段よりも、ほんの少しだけ軽いような気がした。





「失礼します…って、あれ?」

お茶の乗った盆を手にした鈴仙が、居間へ続くふすまを開く…が。

「おー、お疲れー」
「お疲れウサー」

中庭に面した明るいその部屋で卓についていたのは、彼女が思っていた人物では無かった。
そこに居たのは、てゐともう1人。さきほど眼にした女性と同じ長髪でも、こちらは艶やかな
黒髪を持ち、上等な着物に身を包んだ女性…永遠亭の主、蓬莱山輝夜だった。

「姫様、帰ってたんですか?」

永い間屋敷に引き篭もりがちだった輝夜も、月の追っ手から身を隠す必要が無いと知った頃から
だろうか、割とまめに屋敷を出て、里に足を運ぶようになった。何か、これといった目的がある
わけでもない…というか、永い人生の目的を探す意味もあって屋敷の外に眼を向けているのかも
知れない。それはそれで良い傾向だ。今日も朝から出掛けていたのだが、どうやらそれほど長居
はせずに引き返してきたらしい。

「ん、今さっきね」

一応、自分とてゐと妹紅の3人分用意してきたお茶を、とりあえずそこに居る2人の前に置き
…鈴仙は、ここで待っているはずと期待していた彼女の姿を探す。

「それで…妹紅さんは?」

藤原妹紅。さきほど、ちらりとその姿を眼にした…この迷いの竹林で、里から永遠亭にやって
来る人間を妖怪から護衛する役目を買っている、自警団の女性。この永遠亭と、特に輝夜とは、
いろいろと因縁の深い人物だ。

「私が帰ってくるってんで、先にお暇したんだってさ」

はぁ、と大袈裟に溜め息を吐きながら、輝夜は苦笑した。

「何も、お客の護衛しに来てくれたときまでドンパチしようって気は無いんだけどねぇ…」
「今回も、帰りはあたしが送ってくようウサねー…あー、めんどい…」

鈴仙も、2人にならって腰を下ろす。姿勢を正して正座をし、何気なく中庭を見遣って、お茶
を一口啜り…ほぅ、と息を吐いた。

「…そう、ですか」

誰へとも無く、ぽつり、とそんな言葉が漏れる。

「何、妹紅になんか用事でもあったの?」
「え?あ、いや、別に…ただ…」
「ただ?」
「いつもお客さんの護衛をして頂いてますし、お茶の1つでも、と思ってたんですが…」

鈴仙の真面目な返答に、しばし沈黙して…輝夜は思わず、噛み殺したような笑い声を漏らして
肩を震わせた。

「くく、あいつが、ウチの居間でのんびりお茶ねぇ…似合わないったら無いわ」
「…そうでしょうか?」
「でもまぁ、最近は前よりもだいぶ丸くなったウサ」
「それもそうだけどね…ああ、そうだ。里の団子屋で買ってきたんだけど、食べる?」
「え?あ…はい、じゃぁ、せっかくなので…」

そんな会話を交わしながら、しばし居間で談笑する。平和な時間が過ぎていく。
そして、ややあって。

「…っと、そろそろ戻ろうかしらね」
「まだ帰らないようなら、あたしも一旦戻るウサ」

輝夜は優曇華の盆栽の世話をしに行き、てゐは帰りに客を送っていくまで竹林のウサギ達と遊ぶ
と言って出て行き…残された鈴仙は、3人分の湯飲みと団子の皿を片付けた後、再び永琳の部屋
へと向かった。
途中、さきほどの男がすっかり元気になった子供を連れて帰ろうとするところにすれ違った。
男は頻りに鈴仙に頭を下げ…来る途中で護衛をしてくれたあの方は居るか、と尋ねた。彼女が
先に帰ったことを告げると、男は、彼女にも礼を言っておいて欲しいと告げ、また頭を下げた。
まだ近くに居るはずのてゐに、男が帰るので里まで送っていくように、という旨を伝えて…鈴仙
は永琳の部屋に辿りつく。
子供の治療が無事済んだことを聞かされ、互いに一言労いの言葉を交わして、布団やら氷嚢
やらを片付ける。
夕刻が来て、やがて夜が訪れ…今日もまた、永遠亭の1日はつつがなく過ぎて行く。



◇          ◇          ◇



何時からだろうか。
彼女の姿を見る度に、彼女のことを考える度に。
こうして…胸が締め付けられるような、感覚を覚えるようになったのは。

実を言うと、私はまだ妹紅さんとほとんどまともな会話をしたことが無い。
少し前までは…彼女が姫様と毎日のように本気の殺し合いを続けていた頃は、姫様の仲間だと
みなされて敵視されていたし。最近のように、どんな心境の変化があったのか、永遠亭に来る
お客さんの護衛をしてくれるようになってからも、玄関で顔を合わせる程度だった。
今日のように、師匠に言われてお茶を出そうとしたこともあったけれど…大抵は、やはり今日
と同じように、姫様を避けるようにしていつの間にか帰ってしまう。珍しく彼女がここに残り、
居間でてゐと世間話なんかをしているときがあっても…そういうときに限って、師匠の手伝い
に駆り出されたりして。結局今まで1度も、ゆっくり腰を落ち着けて話をしたことが無い。
だから私が知っている彼女の情報は、師匠や姫様に、てゐ、それから彼女に護衛をして貰った
お客さんから伝え聞いたことだけだ。

昔、姫様に求婚した彼女の父親が恥をかかされたのがきっかけで姫様を憎むようになったこと。
姫様への嫌がらせの一環で手にした蓬莱の薬を飲んでしまった為に、と同じ不老不死の身体を
手に入れたこと。その後、外の世界で各地を転々と移り住みながら暮らし、ある日この幻想郷
に流れ着いたらしいこと。そして、姫様と再会して以来、永遠に終わらないであろう殺し合い
を続けていたこと。
それと、これは姫様も不思議に思っていたことなのだが…急に熱が冷めたかのように姫様の命
を狙うのを止めて自警団のような役目を買って出たこと。ただしその後も、件のスペルカード
ルールに則った腕試しのような喧嘩を、度々姫様に挑んできているということ。護衛の仕事が
無く、竹林をぶらぶらと散歩しているときにてゐと出会うと、よく世間話をしていること。
また、自警団としての彼女の姿は、訪れる患者さん達の方がよく教えてくれる。
基本的には無愛想だし、彼女自身について何か尋ねても、自分のことはほとんど何も教えては
くれないが…こちらが身の上話をするときは、喜んでその話を聞いてくれるということ。
そして、何より…妖怪に対抗する術を持たない里の人間にとっては、彼女が本当に心強い存在
であるということ。

そんな、断片的な情報と、そこから得た印象。それが…私の中にある、彼女の全てだ。
それなのに。話をしたこともないし、本当はどんな人なのかも解かっていないはずなのに。
私は…こうして彼女のことを想い、心惹かれている。
自分は彼女の本当の姿なんて1つも知らない。あるいは、他の誰かから聞いた話を自分に都合
の良いように解釈して、心の中に彼女の理想像を造り上げているだけなのかも知れない。
そう、頭では理解していても…湧き上がる感情を塞き止めることは、出来なかった。
理屈ではない、感情。抑えきれない、思慕。
これが所謂…恋、というものなのだろうか。
彼女は自分と同じ女性だが、それでも、恋慕というものは存在し得るのだろうか。私には経験
が足りないので、よく解からないが。

…ともかく。
次に、彼女が永遠亭を訪れたときは。
せめて…一緒にお茶でも啜りながら、面と向かって話がしてみたい。
ほんの少しでもいい。彼女と同じ時間を、過ごしてみたい。

そんな、もう何度目になるか解からない、ほんの些細な期待を胸に秘めながら。
虫の音だけが遠く響く部屋の中…私は、穏やかな睡魔の引力に引かれ、眠りに落ちていった。



◇          ◇          ◇



数日後の、昼下がり。人の方向感覚を狂わせる景色が広がる、迷いの竹林の奥深く。
位置的には永遠亭からそう遠くは離れていない場所で、大きな籠を背負い、大きな鍬を担いだ
鈴仙が、辺りをきょろきょろ見回しながら何かを探して歩いている。

「…ふぅ」

永琳に言われて薬の材料になる草花や茸や虫を探すついでに、旬の味覚の筍探し。普段、薬草
の類の採集は永琳自身が自らの足で行っていたのだが…最近はようやく、鈴仙にもその仕事を
任せて貰えるようになった。薬の材料に対する目利きを、それなりに信頼して貰えた、という
ことだろうか。ちなみに本人は、今日は里で診察や治療に必要な物を集めてくるとかで、今朝
から屋敷を空けている。
輝夜も、別に永琳にについていったわけでもないのだろうが、揃って屋敷を出て行った。今日
も、ぶらりと里を散策してくるのだろう。

「あんまり遅くなってもいけないし…今日は、帰ろうかしら」

誰へとも無く独りごち、籠を背負い直す。永琳も輝夜も里に行っているし、かと言って、あの
てゐがまさか留守番なんて面倒で退屈な役目を買ってくれるはずもない。人間の里はそれほど
大きくないので、永琳が里へ降りればすぐにその噂も広まるだろうから、永遠亭に昨日のよう
に急患が担ぎ込まれることはまず無いと思うが…それでも、あまり長い間留守にはしたくない。
薬の材料は十分に採った、あとは、近くにあればもう1つくらい筍を採って帰ろうか…などと
思いながら、鈴仙はぐるりと竹林の風景を見渡す。
そして。見える範囲の地面にそれらしい姿が見当たらないことを確認し、今日のところは素直
に屋敷へ引き返そう…と、そう思ったとき。

「…っ?」

空中で交錯し平衡感覚を狂わせる竹が生い茂る竹林の中…視界の端に、ちらりと、緑の景色に
映える紅白の人影が映った。
それが見えた方向に、視線を向ける。今度こそ、その両眼が…彼女の姿を、捉える。

「あ…っ…」

思わず、声が漏れた。それと同時に、彼女も、鈴仙の姿に気づく。
そこに居たのは、竹林を散歩中の妹紅だった。

「あ」

見知った姿を見つけた妹紅も、鈴仙と同じような声をあげる。
彼女に気づかれ、彼女の意識が自分に向いている…そのことを意識した途端、ついさっきまで
平静そのものだった鈴仙の心に、緊張が走った。
そんな鈴仙の些細な動揺などお構いなしに、妹紅は鈴仙に歩み寄る。

「ええと…あれだよな。永遠亭の、永琳の弟子で、確か、れい…せん…?」

額に指を当てながらその名前を思い出そうとする妹紅に、鈴仙は緊張した様子で返事をする。

「あ…れ、鈴仙・優曇華院・イナバ、です」
「ああ、それだ。思い出した」

名乗りながら軽く会釈する鈴仙を不躾に指差しながら妹紅は言う。鈴仙は彼女に名前を教えた
覚えは無かったが…てゐとはよく竹林で世間話などをすると聞いているし、そこで鈴仙の名前
を聞いていたのだろうか。

「あの、ええと…いつもお世話になってます、護衛のこと…」
「ん?ああ…いや、まぁ、別にこっちが好きでやってることだから」

彼女はそう言うが、その言葉に突き放すような印象は無い。さっぱりしたその物言いは、彼女
の持つどこか凛々しい雰囲気を際立たせているように思えた。
まるで不意打ちのように巡って来た、彼女と会話するチャンス。それなりに広大なこの竹林で
思いがけず振って沸いたかのようなその幸運に…鈴仙は、どぎまぎしながら次の言葉を探す。
それは、前々から心の隅で小さく願っていた機会だったのだが…いざこうして本人を目の前に
すると、舌が上手く回らない。
次に掛ける言葉を決めかねて…傍から見れば、ただ妹紅の姿に無言で見惚れているように見え
なくもない鈴仙の様子に、妹紅本人は気付いているのかいないのか。

「で…今日は、筍採りか?」
「え?」

まじまじと見つめられながらそう言われ、鈴仙は自分の姿を見下ろす。普段通り、幻想郷では
珍しい意匠の衣服だが…手には鍬、背中には大きな竹の籠。手は土で汚れていて、お世辞にも
綺麗な格好とは言えない。

「えっ、あ、いや…これはその…」

その格好で彼女の前に居るのがどうにも恥ずかしくなって、鈴仙はにわかに慌て始めた。妹紅
の言葉に他意は無かったし、別に弁明するようなことでもないのだが…想いを寄せている相手
の前では、少しでも素敵な格好で居たいというのが乙女心、というかなんというか。

「ああ、そうだ」

その様子にも気付いているのかいないのか。妹紅は、何かを思い出して声をあげる。

「輝夜の奴、今日は居るか?」
「え…姫様、ですか?」

彼女が喧嘩を吹っかけに輝夜訪ねてくることも、最近は珍しくなくなった。それも、最近は傍
から見れば気楽なスポーツの誘い程度の印象になってきたし…おそらく、本人達もその程度の
つもりで挑んでいるのだろう。ただし…1度始まってしまえば不死の身体を持つ者同士、互い
に相手を殺すつもりで挑める、遠慮も容赦も無いその弾幕勝負の壮絶さは他を圧倒する。
だが…残念ながら今日、輝夜は永遠亭を空けている。

「すいません…姫様、今日はちょっと里の方に出掛けてるんです」
「ああ、永遠亭の医者が里に降りて来てる、って話は聞いてたけど…なんだ、輝夜もか」

やはり、永琳が里へ降りればそれなりの噂にはなるらしい。

「なんだか、最近肩透かしが多いな…」

妹紅はぼやきつつ、つまらなそうに口を尖らせる。鈴仙は、輝夜のことが少し羨ましくなった。

「じゃぁ…帰ってきたら、近いうちにまた殺しに行くから、って言っといてくれるか?」
「はい、帰ったら伝えておきますね」

物騒極まりないそんなやり取りも、今よりももっと熾烈で殺伐としていた過去の2人の関係を
身近で眼にしてきた鈴仙にとっては、穏やかにすら感じられるものだった。
と。そこまでの、一頻りの会話を終えて…鈴仙は、ハッ、と気付く。
しまった。これでは完全に、このまま会話を切り上げて、別れの挨拶をする流れではないか。

「ああ…えっと、それじゃぁ」

妹紅も次に何を言おうか迷っているようにぽりぽりと頬なんかを掻いているが…このままでは、
それじゃぁまた今度、なんて挨拶を交わしただけでお別れになってしまう。
こんな偶然でも無ければ、これまでまともに会話も出来なかったのに。また今度、だなんて、
そんな都合の良い機会が何時になったら巡ってくるものか。
今呼び止めなければ、きっとこれからずっと、彼女に話し掛ける勇気など出せない。鈴仙の中
に、そんな根拠の無い、しかし焦燥感を煽るには十分過ぎる確信めいたものが浮かぶ。

「また、今度な。輝夜によろしく…」

ほんの少しだけ、話を続けるべきか迷うように逡巡した後。結局、別れの挨拶を告げてその身
を翻した…彼女の、背中に向かって。

「あ…あのっ…!」

鈴仙は、自分でも驚くほど必死な、上擦った声で呼び掛けた。
遠ざかりかけた彼女が、ぴくり、と立ち止まり…ややあって、こちらを振り向く。

「その…えっと」
「…っ?」

再びその瞳に見つめられ、胸を高鳴らせながら。鈴仙は、精一杯の言葉を紡ぐ。

「あの、い、今…お暇、ですか?」
「ん?まぁ…案内する客も居ないし、暇だな」

舌と喉が、瞬く間に渇いていく。まるで、一世一代の愛の告白でもするかのように…というか、
好意を寄せている相手を家に招こうとしている鈴仙にとっては実際それに近い事態なのだろう、
緊張と不安と、期待のボルテージが上がっていく。

「あの、だったら…」

そして鈴仙は、妹紅に気付かれないように1度呼吸を整えて…心を決めた。

「よかったら…ウチで、お茶でもどうですか?」
「…へ?」

意外そうな顔で、妹紅が聞き返す。
しまった、何か妙なことを言ってしまっただろうか。ろくに話したことも無い相手に急にお茶
に誘われるなんて、迷惑だったろうか。しかし、そもそもそうでもしないと話をすることすら
出来ずに関係は変わらないわけで…などと、瞬間的に湧き上がった様々な想いが、渦を巻いて
鈴仙の頭をあっという間に占拠する。冷静な思考が、出来ない。

「いえ、その、何というか…いつも、姫様が居ると、先に帰ってしまわれますし」
「あー…うん、やっぱり、あいつが居るトコでゆっくりするのも、なんだかな…」
「で、でしたら、今日は姫様も居ませんし。それに、その、以前からずっと…」

あたふたと無駄な手振りをしながら、鈴仙はなんとかして…常々胸中に抱いていたその想いを
口にする。

「いろんな人達から、妹紅さんのお話を聞いて…1度、お話してみたいな、と…」

最後は消え入るような声で、そう呟いて…鈴仙は、思わず視線を伏せる。
そのまま、しばしの沈黙。竹林を風が抜けていく微かな音だけが、さらさらと響く。
そして、ややあった後。

「そっか…じゃ、まぁせっかくだし、邪魔するかな」
「っ!」

鈴仙の慌てぶりとは裏腹に、妹紅は至極あっさりとそう返す。

「そういや、てゐの奴とは割と話すけど…あんたとは、こうやって話すの初めてだっけか」
「え…あ、はい。いつも、なんというか…すれ違ってる、というか」
「まぁ、助手も忙しいんだろうしな…ってか、今日はついてってなくていいのか?」
「えっと…今日は、治療で出掛けてるわけではないんです。私は、こっちで別の仕事を…」
「へぇ…あ、そうだ」
「はい?」
「あんたのこと、なんて呼べばいいかな?鈴仙か、優曇華院か…それとも、イナバか?」
「あ、ええと…それじゃぁ、れ、鈴仙、って呼んでください」
「そっか。んじゃ…よろしくな、鈴仙」

妹紅の返事のお陰で緊張の糸が解れたようで。2人の会話は、さきほどまでのぎくしゃくした
様子が嘘のように…まぁ、原因はほとんど緊張しっ放しだった鈴仙にあったのだが…ごく自然
に、交わされていく。
2人は、談笑しながら竹林を歩き…やがて、辿り着いた永遠亭の玄関を潜っていった。




「…はい、お待たせしました」
「ん、どうも」

居間で行儀悪く胡坐をかいて、先にくつろいでいた妹紅の下に、鈴仙がやってきた。
2人分のお茶が乗った盆を卓に置き、ふすまを閉める。

「しかし、何時来ても眺めが良いな、ここは」

片手で湯飲みを持ち、熱いお茶を一口啜って妹紅は言う。その態度には、なんというか、客人
らしい遠慮のようなものはあまり感じられない。輝夜が留守の時には、てゐとここで世間話を
することもあるようだし、もう慣れているのかも知れない。
その、肩肘を張らないというかなんというか…まるで、気心の知れた友人と居るような彼女の
態度が、鈴仙には少し嬉しかった。

「自慢の庭ですからね。まぁ、手入れも大変ですけど」
「そういや、庭の手入れって鈴仙がやってんのか?気にしたこと無かったけど…」
「だいたいは。最近、気が向いたときは姫様も手伝ってくださいますけど」
「え、輝夜が?庭の手入れ!?」
「ええ。盆栽の世話を始めてから、庭の手入れにも少し興味を持つようになったみたいで」
「はぁー、あいつがねぇ…なんつーか、変われば変わるもんだな、人間ってのは」
「ふふ…そうですね」

鈴仙も一口、お茶を口にする。優しい薫りが、心を落ち着けていく。

「でも…変わったと言えば、妹紅さんだって」
「ん?私が?」

不意にそう言われ、妹紅が中庭をのんびりと眺めていた視線を鈴仙に向けた。

「少し前のお2人を知っていれば、誰だってそう思いますよ」
「あー…まぁ、そりゃそうか」

妹紅は苦笑し、頬を掻いた。本当に…あの頃、修羅の如く輝夜との殺し合いを続けていた妹紅
の姿を見て、誰が今の彼女の姿を想像できようか。

「まぁその、なんだ…いろいろ、迷惑掛けたな、あの頃は」
「あ、いえ…まぁ、お2人にもいろいろあったと聞いてますし」
「いろいろ…って言っても、何百年も恨みっ放しってのも、我ながらどうかと思うよ」

そう言って、妹紅は自嘲するように笑った。
そして。その横顔に…鈴仙はふと、あることを思い出す。

「あの、そういえば…ずっと、不思議だったんですけど」
「うん?」

輝夜と妹紅の過去については、輝夜からあらましだけなら聞いていたが。
その後のことで…1つ、解からないことがある。

「どうして…突然、姫様との殺し合いを止めたんですか?」

そう。そのことについては…当の輝夜も、不思議に思っていた。

「あぁ…そのことか…」

その問いに、妹紅は難しそうな顔をして視線を落とす。瞬間、もしかすると何かまずいことを
聞いてしまったのではないか、という不安が、鈴仙の脳裏を過ぎる。永遠亭を訪れる患者達も、
彼女は自身のことについて多くを語らないと言っていた…彼女は、自分のことを詮索されるの
を嫌う性質なのかも知れない。

「あ…い、いえその、別に、無理に聞こうとか、そういうつもりは…」
「うん?ああ、いやいや、別に話すのが嫌ってワケじゃなくてさ」

しかし、まるで彼女を家に誘う前に逆戻りしてしまったかのようににわかに慌て始めた鈴仙の
言葉を、妹紅はあっさりと制した。ひとまず、自分の所為で妹紅に嫌な思いをさせたわけでは
ないらしいことを察し、鈴仙は額に浮いた汗を拭いながらほっと胸を撫で下ろす。

「ちょっと、苦手なんだよ…他人とか世間のことじゃなくて、自分のことを話すってのは」
「そう…なんですか?」
「まぁ、でも…そうだな。なんで、あいつを殺すのを止めたのか、って言ったら…」

しばし自分の気持ちを表現する言葉を探すように、顎に手を当てて思案した後…妹紅は、自分
でもそれが正しい答えなのか自信が無さそうな口調で、返事をする。

「特にきっかけがあったわけじゃないけど…強いて言えば、疲れたから、かな?」
「疲れた…ですか?」

想像していたよりもずっと単純なその答えに、鈴仙はきょとんとして首を傾げた。

「なんて言うか…何百年も、いつか輝夜に復讐してやろう、って思って生きてきたけどさ」
「………」
「その、憎しみだけを糧にして生きてくのって…結構、しんどいんだよ」

重みのある言葉で、妹紅は…かつての自分が経験した、そんな心境の変化を語る。

「あいつと再会した頃は、それまで積もってきた恨みつらみが爆発してたんだけど…」
「けど…今は、違う?」
「ああ。一頻り暴れて、冷静になってみたら…こう、そこまでの恨みかな?っていうか」

現に妹紅と輝夜との関係の変化を目の当たりにしてきた鈴仙にとって、その言葉はすぐに納得
できるものだった。なるほど…最近でも輝夜にたびたび勝負を挑む妹紅だが、そこには、以前
のような激しい憎悪の感情は感じられなくなったように思う。
輝夜に会わないうちは、言わば盲目的に募らせてきたのだろうが…思わぬ再開を果たし、1度
熱を発散して冷静さを取り戻してみたら、時の流れが遺恨を風化させていたことに気付いた。
そんなところだろうか。

「ウン百年も経てば…知らず知らずのうちに、恨みも薄れてたってことかね」

どこか遠い場所に思いを馳せるように眼を細め、妹紅は笑った。

「ここへの護衛やってるのも…憎しみとは別の支えが、欲しいからなのかも知れないな」
「………」

その言葉を聞きながら…鈴仙は近頃の輝夜の様子を思い出していた。憎しみという、それまで
自分を突き動かしていた原動力を失った彼女も、また…未来永劫続いていく時間を如何にして
過ごしていくべきかを、思い悩んでいるのだ。竹林で里の人間達を護衛する役目を買って出た
のも、自分がすべきことは何かを考えた末に彼女が導き出した、1つの答えだったのだろう。
鈴仙は、胸の奥につかえていたものが1つ綺麗になったような、そんな気がした。

「そういう、ことだったんですね…」

そして…少しだけ、得をした気分になる。

「…ふふっ」
「ん…どうかしたか?」

患者達から妹紅の話を聞いたときには、彼女は自分のことを話したがらないと聞いていたし、
さっきも彼女自身が、自分のことを話すのは苦手だと言っていたが…こうして話してみれば、
案外気楽に自分のことを話してくれるではないか。

「いえ、別に…ただ」
「ただ?」
「妹紅さんって、あんまりご自分の話はされないと聞いていたので…少し、嬉しくて」

それが、なんだか…自分だけが知っている秘密のように思えて。本当は、少しどころか無性に
嬉しくて…思わず、笑みが零れてしまう。

「…まぁ、そういえば、基本的にはほとんど話さない…かな、うん」

妹紅は、鈴仙に言われて初めてそのことに気がついたようだった。

「さっきも、苦手だって言ってたのに」
「いや、苦手には違いない…はず、なんだけど」

それを指摘されたのが気恥ずかしかったのか。妹紅はぽりぽりと頬を掻き、視線を天井に向け
…やがて、話題を切り替える。

「まぁ、なんだ…私の話は、この辺にしてさ。鈴仙のことも、ちょっとは聞かせてくれよ」
「え…私の、ですか?」

不意に話を振られ、鈴仙は少しだけ面食らった。

「ああ。そういえば私、なんだかんだで月の話とかほとんど知らないんだ」

一瞬、鈴仙はその言葉を意外に思ったが…考えてみれば妹紅は、輝夜と同じ不死の身であると
いうだけで月の都とは関係が無いし、永遠亭の面々の中で交流があるのもてゐだけだ。輝夜は
もちろん、永琳とも親しく話をしている姿は見たことがないし…月の都のことを知らないのも、
当然の話か。月の都展覧会でも、確か顔は見かけなかったように思う。

「そうなんですか、じゃぁ…さて、何から話したらいいでしょうか…」
「そういや、月にも都ってのがあるんだろ?どんなトコなんだ?」
「月の都ですか、そうですねぇ…」

1度湯飲みを傾けて、やや間を置いてから…鈴仙は、語り始める。
月の都のことや、月の民のこと…それらを話し終えてからは、自分がこの幻想郷にやって来て
から、永遠亭の2人に出会うまでのこと。1つ語るごとに、様々な場面を思い出しながら続く
鈴仙の言葉に、妹紅は時折相槌を打ちながら興味深そうに聞き入っていた。
こちらが身の上話をすると、喜んで聞いてくれる…鈴仙は、永遠亭を訪れた患者達から語って
聞かされた妹紅の姿を、思い出していた。
会話は、ついさっきまでの緊張が嘘だったかのように、軽やかに弾む。
永遠亭の、穏やかな昼下がりが過ぎていく…。



ふと気がつくと、庭の景色は薄っすらと茜色に染まり始めていた。

「っと…もう、こんな時間か」
「え?あ、本当ですね…何時の間にか…」

植木の影が細長く伸びる様を眺めながら、妹紅は空になった湯飲みを卓に置く。

「それじゃ…そろそろ、お暇しないとな」
「あ…そう、ですか…」

不意に妹紅の放った言葉に、鈴仙は思わず自分でも情けなくなるような声を漏らした。そんな
様子を知ってか知らずか…妹紅は、鈴線に穏やかな笑みを向ける。

「お茶、美味かったよ。ご馳走様」
「あ…い、いえ、お粗末様でした…」

少しだけ頬を赤らめて答える鈴仙を横目に、妹紅は席を立つ。鈴仙がそれに続き、どちらから
ともなく足を踏み出す。

「いや、いろいろ面白い話も聞けたし、楽しかったよ」
「こ、こちらこそ…お話できて、良かったです」

妹紅に何か言われるたびにこそばゆい気分になりながら…鈴仙は、あと少しで彼女と居られる
時間が終わってしまうことに、名残惜しさを感じていた。もう少しだけ彼女と居たい、という
気持ちの表れか、その足取りは、自然と重くなる。それでも、玄関までの道のりは短い。

「それじゃ。輝夜にも、よろしく…」

あっという間にたどり着いた玄関で、鈴仙に背を向け、土間に降り、履物を履いて。
そう挨拶して去ろうとする妹紅の背中に…鈴仙は、小さく呼びかけた。

「あ…あの」
「…うん?」

妹紅が振り返り、2人の視線が重なる。しばし、沈黙の時間が流れる。
ほんの少しだけ逡巡してから…鈴仙は、いつの間にか僅かに乱れていた呼吸を整えて、言った。

「よ、良かったら…また、お暇なときにでも、いらしてくださいね」
「…っ…」

傍から聞けば、ただの社交辞令のような挨拶。しかしそれは…こうしてやっと知り合えた妹紅
に向けた、鈴仙の、心の底からの想いだった。

「…~~~っ」

まるで妹紅をここへ誘ったときのように頬を赤く染める鈴仙の顔を、ほんの一瞬、きょとんと
した表情で見つめてから…妹紅は、笑顔で答える。

「…ああ、今度また邪魔するよ」
「っ!」

鈴仙の表情が、パッ、と明るくなった。

「は…はい、お待ちしてますね!」
「ん。それじゃ、長居して悪かったな…またな、鈴仙」
「はい、では…お、お気をつけて」

またな、という何気ない言葉が無性に嬉しくて舞い上がったような気分になり、つい、護衛の
仕事をしている妹紅には不要の言葉を掛けてしまった。ははは、と面白そうに笑って…妹紅は
鈴仙に見送られながら、永遠亭を後にした。

自分も玄関先に出て、その姿が完全に見えなくなるまで妹紅を見送って。
やがて…茜色の竹林を見つめていた鈴仙は、ほぅ、と息を吐く。

「…っ…」

心の奥に、言い知れない充足感を感じながら…鈴仙は、屋敷の中へ引き返していった。



◇          ◇          ◇



「ただいまー…」

鈴仙と解かれてから、たっぷり時間を掛けて竹林を当て所なく歩き回り…辺りがすっかり暗く
なった頃、妹紅は自分の住処へと帰り着いた。
永遠亭と比べれば質素な、しかし割と造りの家屋。その戸を開いて、どこか気の抜けたような
挨拶と共に踏み込んだ先には…この家の、もう1人の住人が待っていた。

「ああ、おかえり。今日は、少し遅かったな」

机に向かい小難しそうな本と向き合いながら筆を執っていた、妹紅と同じように長い髪をした
女性…上白沢慧音は、明日の寺子屋の準備を中断して、妹紅に歩み寄る。入り口からそのまま
繋がった居間に上がり、妹紅はすぐに、畳の上に寝転がる。

「で、今日の勝負はどうだったんだ?」
「んー…いや…」
「なんだ、今回はお前の負けか?」

妹紅と輝夜との事情を知っている慧音は、当たり前のようにそう問い掛けた。しかし、妹紅の
反応は芳しくない。慧音は、妹紅が輝夜に負けて機嫌が悪いのだと誤解し、困ったような顔で
小さく笑った。
しかし、妹紅はどこかやる気の無い声でそれを否定する。

「や、今日は、輝夜の奴留守にしててさ…」
「留守?じゃぁ、こんな時間まで何をしていたんだ?」
「ちょっと…お茶飲んできた。鈴仙と」

その名前を聞き、慧音は微かに笑みを浮かべた。

「ああ…お前がいつも言ってる、永遠亭の助手か?」
「…いつも言ってる、ってワケでもないだろ?」

そこでようやく、妹紅はぼんやりと天井を眺めていた視線を慧音に向けた。心なしか、その頬
が赤みを帯びているような気がする。

「自分が思ってるよりも話してると思うぞ。たぶんあの、てゐって兎の話と同じくらい」
「…そうか?」
「ああ。それだけ気にしておいて声も掛けられないんだから、奥手というかなんというか…」
「ば、っ…奥手って、お前、変なこと言うなよ…」
「変な意味で取るかどうかは、お前次第だ」
「…むぅ…」

からかうように笑って、慧音は再び机に戻る。

「…で、その助手と、どんな話をしてきたんだ?」
「ん?ああ…まぁ、特にこれってこともないけど。ちょっと、身の上話とか…」

何気ない問い掛けへの妹紅の返事に、慧音は意外そうな顔で、本から視線を上げた。

「身の上話?相手のか、お前のか?」
「鈴仙のことも聞いてきたし…まぁ、聞かれたから私の話もしてきたけど…」
「なんだ、珍しいじゃないか、お前が誰かに自分の話をするなんて」

鈴仙に言われたのと同じようなことを言われ、妹紅は、今日自分が鈴仙と話したことを改めて
思い返す。確かに…今まで、護衛の途中に誰かに自分のことを聞かれても、多くを語ったこと
は無かったはずだ。他人の話を聞くのは好きだが、自分のことを話すのは慣れていない。

「まぁ…そもそも普通の奴には、私の身の上なんか話しても理解出来ないだろうしな」

妹紅は、思い当たったことを何の気なしに口にし、そしてそこから考えを巡らせる。
外の世界では、不老不死だということが周りに知られれば無用の混乱を招くと思い自分の過去
を語ろうとはしなかったし、長い間同じ場所に留まればその不自然さが悟られてしまうと思い、
放浪の日々を送ってきた。この幻想郷では、外の世界では考えられない存在が当たり前のよう
に許容されていることは、解かってはいるが…それでも、里の人間に自分の過去を語る気には
なれない。外の世界での抵抗が、まだ尾を引いているのだ。
その点で、同じ不老不死の身であり、自分の過去に深く絡んでいる輝夜が暮らしている永遠亭
の面々には、自分のことを語る抵抗が少ないのは事実だ。既にある程度事情を知っている相手
になら、今更そんなものを感じる必要も無い。
だが…本当に、それだけだろうか?

「ふふ…本当に、それだけか?」

妹紅の脳裏に浮かんだ疑問と、慧音の声が同調する。
確かに、そういう意味で鈴仙に自分のことを話すことに抵抗が無かったのは事実だろう。現に、
妹紅はてゐと話をするときにも似た、ある種の気安さのようなものを感じていた。
だが…そこにはもう1つ、同じく永遠亭の住人であるてゐと話をしているときには感じたこと
のない、別の想いがあったように思う。

「…うーん…」

それは…単に聞かれたから話した、という受動的なものではなく。

「そうだな…なんて言えばいいんだろうな…」
「…っ?」
「なんか、こう…鈴仙と、話してて…もっと…」

もっと、能動的な…自ら鈴仙に自分のことを語りたくなるような、そんな想い。

「…私のこと、知って貰いたかった…って、いうかさ…」

と、そこまで考えて。

「…ん?」

ようやく…自分の口が、無意識のうちに頭の中を言葉に出していたことに気付く。
ハッとして、慌てて上体を起こすと…机に向かいながら視線だけはこちらに向けて、にやにや
と笑いながら、慧音が自分を見つめているのが見えた。

「…いやはや、よもや妹紅の口から、そんな言葉が出るとは」
「…あ、いや…今のは、その…」
「何、別に恥ずかしがるようなことじゃない…誰かを好きになるというのは、良いことだぞ」

眼を細めてくすくすと笑いながら、慧音は楽しそうに言う。

「な、っ…お前、やっぱりそういうこと…っつーか、なんでそういう話になるんだよ!」
「何をそんなに必死に否定する必要がある?」

慧音としては、悪戯心でからかうつもりこそあれ、妹紅の気持ちを馬鹿にする気は無いのだが
…自分自身でもまだ受け入れられないその気持ちを言葉にされて、半ばパニックのような状態
になった妹紅には、慧音の言葉の裏に隠れた真意は届かない。

「もしかすると、相手が同じ女だから気が引けているのかも知れないが…」
「だから、別にそういう話じゃ…!」
「私は、どんな相手であれ恋愛というものは成立すると思うぞ?」
「~~~ッッッ!?」

恋愛、という直球の言葉まで出されて、ついに恥ずかしさも限界に来たのか。妹紅は寝転んだ
状態からバネ仕掛けの人形のように跳ね起き、どすん、と大袈裟に畳を踏みしめ…真っ赤な顔
で、慧音を睨んだ。
しまった、やり過ぎたか…と慧音が思った頃には、時既に遅し。

「…いやまぁ、そこまで怒らなくても…」
「うるさい!もう、寝るッ!!」

妹紅はそう言い捨てて、解かり易いくらいに不機嫌な様子の足音を響かせながら足早に慧音の
眼の前を通り過ぎて、居間を出て行った。とは言え、寝室は襖1枚挟んですぐ隣の部屋なので、
遠くへ行くことも閉じこもることも出来ないのだが。
ぴしゃり、と襖の閉じられる音が響いたきり、辺りはしんと静まり返る。

「…少し、からかい過ぎたか」

ぼそり、と小さな声で呟き、慧音はやれやれと頭を振る。それが、大人気なく妹紅をからかい
続けてしまった自分に対するものなのか、そんなことで子供のように臍を曲げる妹紅に対する
ものなのかは、解からなかった。
しばし、部屋に沈黙が立ち込め。やや間を置いた、後。

「まぁ、からかったのは悪かったが…私も、素直に嬉しいとは思っているんだがな」

慧音は、ふすまの向こうに聞こえるように、少し大きな声で独り言を呟く。

「私は…憎しみに駆られ、それだけを支えに生きていた頃の妹紅の姿を、知っているから」

返事は無い。しかし、慧音の言葉を遮る怒声も聞こえては来ない。

「だから、それ以外に…生きる目的を、生きていたいと思える理由を、見つけてくれたなら」

風が吹き、コトリ、と入り口の戸がほんの微かな音を立てた。

「私は、心から喜ぶし…応援も、するからな」

そう言って…慧音はふすまの向こうからの返事を待たずに、再び本と向き合って、筆を動かし
始める。さらさらと髪の上を筆が滑る音と、衣擦れの音が小さく響く。
迷いの竹林の夜は、今日も静かに更けていく。



◇          ◇          ◇



…慧音の独り言が終わってから、どれくらい経っただろうか。
隣の居間から襖の隙間を通じて漏れ出た光の筋が、古い天井に薄っすらと線を引いているのを、
ぼんやりと眺めながら…私は慧音の言葉を思い出して、物思いに耽っていた。

1番始めはただ、永遠亭で助手として働く彼女の姿を眼にして、なんとなく気になった…と、
それだけのことだったように思う。それから、てゐと話をするようになって彼女のことを少し
ずつ知っていって、永遠亭に行ったことのある里の人間からも、優しい彼女の評判を聞いて…
いつの間にか私は、甲斐甲斐しく患者達に尽くしている彼女に、心惹かれるようになっていた。
そもそもは、里の人間との交流から自分の生きる道を模索する目的で始めた護衛も…いつしか
私の中で、永遠亭に脚を運ぶ為の、彼女の姿を見る為の口実に変わっていった。

この気持ちが『恋愛』だと、慧音は言った。
正直な話、私も自分の想いがそれに近い類のものなんじゃないかとは思っていた。思っていた
からこそ…あんまりあけすけに私の心を言い当てた慧音の言葉にも、あんなに動揺した。
私は今まで、他人よりもずっと長く生きてきたけれど…恋なんてものを経験するのは初めての
ことだから、自分のこの気持ちにどう対処すればいいのか解からない。慧音も言っていた通り、
相手が鈴仙だということに…同じ女だということに、不安も感じる。
ただ…今日の出来事が、それこそ舞い上がるくらいに嬉しかったのも確かだ。
迷いの竹林で彼女に出会って、何気ないふりをして名前を聞いて。そのまま永遠亭に誘われて
…ゆっくりお茶を飲みながら、彼女に自分のことを知って貰って、彼女のことを教えて貰って。
別れ際には、また来て欲しい、なんて言葉まで掛けて貰って。
内心凄く緊張はしていたけど…それでも、今日という1日は、決して大袈裟な表現じゃなくて、
まるで夢のような時間だった。
この幸福な想いの源が、彼女に…鈴仙に対する恋慕でなければ、一体他の何だと言うのだ。
私は、鈴仙に恋をしている。考えるだけで恥ずかしくなってくるが、それはきっと、揺るぎよう
のない事実なのだろう。

…今はまだ、自分の気持ちを認めるのが、そして、それを彼女に打ち明けるのが怖い。
だけど…何も、今すぐにこの想いにけりをつける必要は、無いだろう。
彼女は、また会いたいと言ってくれた。拒否されたわけじゃない。好きなときに会いに行って、
何度でも同じ時間を過ごして…少しずつ気持ちを積み重ねていって。いつか、自分の中にある
この想いと、正面から向き合えるようになったら…そのときは、決着をつけよう。
他にもいろいろと不安なことはあるし、一筋縄ではいかないだろうけど…大丈夫。長い時間を
耐えることには、もう、慣れているから。

独り、布団の中でそんな決意を固め。
それから…さっき思わず怒鳴ってしまったことは、明日ちゃんと慧音に謝ろう、なんてことを、
頭の隅で考えながら。
ゆっくりと眼を閉じて…私の意識は、いつしか緩やかに収束していった。



◇          ◇          ◇
 


煌々と光る月の下、人を惑わす竹林に抱かれて。
互いに恋し心惹かれながら、いつか幸せな時が来ることを夢見ながら。
月の兎と火の鳥は、今日も、静かな眠りに落ちていく。
初めての投稿になります。

鈴仙と妹紅は、互いに互いを気にしつつもなかなか話しかけるきっかけが掴めなくてやきもきしてるといいな、とか。
そんな妄想を、迸らせてみました。

…未だに、登場人物の過去や人物同士の関係について把握し切れていない部分も多く、お見苦しい点もあったかと存じますが。
最後までお付き合いくださった方いらっしゃいましたら、誠に有難うございました。
かづき
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コメント



0.1210簡易評価
6.80名前が無い程度の能力削除
もこうどんとは新しい
7.100煉獄削除
鈴仙と妹紅のこの穏やかな時間の流れがたまらなく素敵です。
ただ、惜しむらくはもう少しセリフと地の文章の間に若干の行間を
あけてあると読みやすくて良いですよ。
9.無評価かづき削除
>煉獄さん
ご指摘ありがとうございました。修正しました。
11.100名前が無い程度の能力削除
新ジャンル”もこうどん” 応援しますよー!!
20.90名前が無い程度の能力削除
こ、これは初恋の味だ・・・!
幸せになってもらいたいと思いつつ、
やっぱり避けられない別れの日に想いを馳せるのもまたよし。
もこうどん、うめえ。
22.100名前が無い程度の能力削除
なんかニヤニヤしたw
29.100名前が無い程度の能力削除
二人ともかわいいですね~。
初恋らしい初々しさがたまらない作品でした。
これからも頑張ってください!