Coolier - 新生・東方創想話

失楽園 後編

2011/09/30 18:00:09
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 渋谷駅から徒歩300メートル足らずのところに、一軒のあまり大きくない本屋がある。そこで早苗はある本を探していた。特に珍しいものではない小説のひとつである。
 彼女はその本が非常に好きだった。いくらか多すぎる性的な描写をのぞけば、その小説は人々の孤独や寂しさ、誤解や生への苦痛をほんとうによくあらわしていると彼女は思っている。

《あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分のあいだにしかるべき距離を置くこと》

 それは中学時代の早苗の生き方そのものだった。
 
 その本はすぐに見付かった。村上春樹の『ノルウェイの森』。早苗は、赤地に深緑の細い文字で表題が入った上巻の表紙を手に取り、それを懐かしく眺めた。
 はじめてこの本を読んだのは、彼女が中学二年生の頃だった。そのとき彼女は同級生との付き合いをなるべく避けていた。それには色々な要因があるけれど、多くは小学校の頃、彼女が受けた嫌がらせの類が、同じ中学に進学した半数のクラスメイトと共に、引き継がれてきたからだった。だから彼女は慰めを求めるように読書に耽った。小学生の頃、やはり本の中に逃げ場を求めたように。そして、その中で出会った一冊が『ノルウェイの森』だった。
 今、それは早苗の本棚にはない。でも彼女はそれをもう一回読みたかった。それで、手に取った上下巻二冊の文庫本を、レジへ持って行こうとして、ふと足が止まった。霊夢のことを思い出したからだ。

 この東京の一角で、なお自分と霊夢を繋ぐものがあるとすれば、それはもはや文庫本二冊分のささやかな空白しかないのではないか、と早苗はふと思った。それはあまりに細く、心許ない繋がりだ。けれどもその空白は、確かに早苗と霊夢を繋いでいる。それゆえに、その空白はいとおしい。できればもっとかたちある形見のような繋がりが欲しかったと、早苗はこの街に来て、もう何度とそう思ったか知れないけれど、でも、すべてはあんまりに唐突だったから、それは仕方のないことだった。
 この些細な空白を埋めてしまえば、私と霊夢を結び付けるものは、もう何もないかも知れない。けれど、そうなってしまえば、私が確かに彼女と会い、彼女の隣で熱いお茶を飲み、彼女にその二冊の本を手渡したことを、一体誰がどうやって証明しようか。……きっと何もなくなるに違いない。他の大事な証拠がすべて消えてしまった今となっては、なおさらだ。
 だから、こんな些細な繋がりでもいい。それが私と霊夢をずっと結び付けてくれるなら。きっと霊夢の手元には、あの過剰なまでに現実的で、その場にそぐわない二冊の本が今もあるだろう。
 私の側に小さな空白があって、彼女の側に同じくらい小さな過剰がある限り、少なくとも私は霊夢との繋がりを確かに感じていられる。

 ……早苗はそう思い、その二冊の本を元の位置に戻した。
 結局、彼女はそこでは何も買わなかった。そうして空調の効いた小世界を抜け、ふたたび東京の夏空と乱立する巨大なビル群、そして街路を埋め尽くす人々のところへと出た。目が眩みそうだった。すべてのものが、今にも熱でどろどろに溶けてしまわないのが、むしろ不思議に思えるくらい暑い。その癖、どの存在も揺らぐ気配はない。
 この街は全部があまりに強固すぎる、と早苗は感じた。それに反して記憶はあまりに儚いことを、彼女は恨まないわけにはいかない。太陽の光とアスファルトの反射熱で、たちまち溶けて消えてしまいそうな思い出たちを必死になって大事にしていることが、ここにいると何だか馬鹿らしく思えてしまう。

 それから早苗は渋東シネタワーのかたわらを通り、渋谷の109へと向かった。通称をマルキューという。特徴的な鉄色の円柱型ビルは、どこか大きなビール缶がそびえているかのような印象を与える。その両脇を逆L字型のふたつの建物が挟んでいる姿が、何だか要塞みたいだと早苗は思った。
 マルキューの中は女性向けの洋服店や雑貨店などばかりで、対象の年齢層は高校生や大学生程度のものばかりだった。
 早苗がそこに一度足を踏み入れてみたいと思っているのには、理由があった。彼女は失った高校時代を、こんな些細なかたちでもいいから、埋め合わせたいと思っていたのだ。
 でも、何だか私は空白に引きずられてばかりだ、と早苗はふと自嘲気味に思った。そして、やや緊張しながらその建物の中へと入った。
 空調の涼やかな空気に乗って、女性の店員に独特の黄色い喧騒が飛び交っていた。そうして、どこかイミーテションじみた華美さに満たされている空間は目に痛い。
 それらに取り囲まれた早苗はさっそく、自分がこの場にひどくそぐわないことを思い知らされた。



   □



 早苗の住む守矢神社の移転先である山のふもとに、一社の神社があった。その神社は、早苗たちが引っ越してくるよりもかなり古くからあるらしく、その地でその神社の存在を知らない者は皆無だった。にもかかわらず、神社の外形はみすぼらしく、あまり見栄えがよくない。しかも、何の神さまがおわしているのかさえ、よく分からない。おまけに仕えている巫女もひとりしかいない。神社の名を博麗神社といい、巫女の名を霊夢といった。

 早苗は霊夢が苦手だった。彼女が今まで見てきたどの同性、同年齢のタイプにも、霊夢は属していなかった。だから霊夢が何を好み、何を嫌い、何をもって自分の満足や幸せとしているのかも、早苗にはまったく見当が付かない。
 同じ年齢の多くの少女のように、お洒落に興味を示すというふうでもない。それでいて霊夢の身なりはいつも清潔だった。何か心密かにかがやかしい空想を抱いているという様子もなく、けれども実際的で金銭に異常な執着を見せるわけでもない。そうして、早苗のクラスの女子たちがそうだったように、他人のあらゆることに好奇心を持っている様子さえもなかった。しかも同じくらい、自分自身に対しても無頓着そうだった。
 本を読み、勉強するのが好きかといえば、そうでもなく、折り紙つきの怠け者かと思えば、毎朝神社の境内の掃除は欠かさず行っていた。唯一、趣味らしいものといえば、神社の裏の縁側でお茶を飲みながら、空を眺めるということくらいである。
 それで早苗は、この霊夢というのは仙人の類か何かかしらんとさえ思ったこともあった。しかも、神や妖怪の類が跋扈するこの幻想郷では、その推測はあながち間違っているようにも思えず、そうして見ると霊夢はほんとうに仙人みたいだった。
 とにかく霊夢は、早苗の知る他の女の子たちとはまったく違っていた。彼女にはそれがひどく気味が悪かった。新種の生物を見る気分だった。かつて早苗自身がまわりの人たちに、同様に奇異の目で見られていたことは、今やすっかり棚に上げていた。
 月日が経ち、それなりに早苗と霊夢との付き合いの回数がふえるにつれ、両者の関係は深まるどころか、むしろ早苗は霊夢をますます遠巻きにした。彼女は自分には理解できない秩序で動いているこの巫女が、まったく好きになれなかった。
 霊夢はひどく勘が鋭かったから、自分が避けられていることも、うすうす気付いているだろうと、早苗は見当を付けていた。でも、それで文句が来るわけでもなかった。早苗にとってはそれで充分だった。理解できない人に不用意に近付いて傷付けられるより、適当な距離を置いておく方がずっと気楽だった。
 そうして春はとうに過ぎ、夏も間もなく終わろうとしていた。


 既に掃除を終えた早苗は、筵に寝そべって小説を読んでいた。山の上ということもあり、とにかく娯楽の少ないところだったから、本棚にある本たちは貴重な存在だった。
 江戸時代の文明程度の上に、申し訳みたいに独自のものを継ぎ足したみたいな技術、文化水準も、彼女がこの移転先をいまいち好きになれない理由だった。何が楽園だ、と早苗は秘かにせせら笑ってさえいた。

「いいところじゃないか。なるほど、向こうに較べて、文明の利器なんかは全然程度が低いけど。でも、こういう場所だからこそ、神と人間が共存できるんだろうねえ」と、諏訪子が以前、早苗に言ったことがある。
「そうですね」と、そのときはそう言ったものの、本心は違っていた。

 面倒なところにつれて来られてしまった、というのがいつわらざる本音だった。楽園はちょうど彼女の元いた場所と正反対だった。神さまに優しく、人間にはいささか厳しかった。
 ただ、山頂のために気温は涼しく、夏とはいえ窓から吹いてくる風だけで充分に暑さはしのげた。まぁ、そこだけは良いところかな、と彼女もそれはまんざらでもなかった。
 風鈴がときおり可愛らしく鳴った。つられて窓の方を見ると、青々とした空は水面みたいに澄み、積乱雲がそのおもてを優雅に泳いでいる。暢気な光景だった。じっとしていると時間の感覚が消え去りそうなくらい、何もかもが勝手気ままだ。目をつむっていると、ほのかに草木が風にそよぐ音さえも聞こえた。
 そういえば、向こうにいたときと較べて全然忙しさを感じなくなったと、早苗は移りゆく雲の切れ端を眺めながら、ふと思った。そもそも、どうして向こうでは、日々があんなに忙しく思えたのだろうか。どこにいても時計が付いて回る所為か、それとも夏休みの宿題の所為なのだろうか。
 何でもいいか、と彼女はじきに考えるのが馬鹿らしくなった。そうして、襲い来る眠気に抵抗する気もなく、午後の時の流れに身をまかせて、ひと眠りしようと思った。部屋の襖が開けられたのは、その矢先だった。

「おや、寝てたのかい」と神奈子が、横になっている早苗を上から見下ろす恰好で言った。
「今から寝ようとしているんです」と、早苗はやや眠たげな声で答えた。
「そうか。それは済まないね」と、神奈子はまったく済まなくなさそうだった。
 早苗は嫌な予感がした。もう私はこれから寝るんです、邪魔しないでください、ということを言外に伝えるために、彼女はわざと小さく寝返りを打った。けれども、その努力は徒労に終わった。
「うん、まだ寝ていなかったのならちょうどいい。お前、どうせ夕飯の買い出しに、ふもとの里まで行くんだろう? ならついでに、お前の友だちに渡して欲しいものがある」
「は……」と、早苗は最初から神奈子の言葉を無視しなかったのを悔いた。「友だちって誰のことですか?」
「そりゃあ、博麗神社の霊夢だよ」、神奈子は何を当然のことを、と目を丸くした。
「……別にあのコ、友だちじゃないですよ。……ていうか、それは今渡さないといけないものなんですか?」
「うーん……まぁそうだな。なるべく早ければ早い方がいいだろう。賞味期限もあることだし」と神奈子は、早苗の予想外にぶっきらぼうな返答に、やや戸惑った。

 賞味期限?、と早苗はいぶかしく思った。

「……まさか饅頭を渡してこいとかいうんじゃないでしょうね」
「ご名答だよ、早苗」と、神奈子。
「そんなのご自分で手渡しに行けばいいじゃないですかぁ。保護者同士のご近所付き合いじゃないんですしぃ」と、早苗は拗ねた声を出した。
「何を言う。ご近所付き合いは大事だぞ。せっかく分社を置かせてもらっていることだしね。実際、あの博麗神社にある分社のおかげで、どれだけ信仰を集めるのが容易になったことか。……それに、その分社のご神体を包む白布を新しいものに交換して欲しいというのもあったしね。こういうのは早苗の役目だろう?」
「まあ……そうですね」

 早苗は、あの分社のことを持ち出すなんて卑怯だ、というのは口には出さなかった。とはいえ、気が進まないことに変わりはなかったけれど。
 そんな彼女の未だ不満そうな顔を見て、神奈子が困ったように言った。

「ほらほら、年頃の娘がそんな顔をするもんじゃないさ。それに歳の同じもの同士、色々と積もる話もあるだろう。……買い出し代の余りは、好きにしていいから」

 この最後の提案は非常に効果を上げた。早苗はゆっくりと身体を起こした。

「仕方ないですねー……。ま、そういうことなら行きます。最近、商店街の近くに素敵な喫茶店を見付けたんです。露店みたいな感じじゃなくて、ちゃんとした喫茶店なんです。しかもちょっとお洒落目の」
「はぁ」と、神奈子は急に饒舌になった早苗に、思わず苦笑を洩らした。
「それでですねー、そこのカフェ・オレがなかなかどうして美味しいんですよ。あれはドトールのより美味しいですね、きっと。あと、そこのチーズケーキも絶品なんです。でも、そもそもどこからチーズを仕入れているんでしょうね。自家生産かしらん?」と、早苗はそんな神奈子には目もくれず、巫女装束へと着替えながらのべつ幕なしに喋っていた。
「だいたいわけが分からないんですよ。ここってテレビもパソコンもないし、炊事場はシステム・キッチンなんかとは程遠いような原始的なものですし。かと思えば、洒落た喫茶店だの、羊皮紙や和紙に和綴じじゃなくって普通に印刷した紙の本とかもあったりするんですよ。まったく意味不明ですよ」
「早苗、私の言った用事は覚えているだろうね」と、神奈子は思わず心配そうに言った。
「はいはい、霊夢さんに渡し物をして、分社のお掃除、それから夕飯の買い出しでしょう。そんな言われた傍からものを忘れる程、私もボケてはいません」と、早苗は本来の快活さを取り戻していた。
「さて準備完了です。行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい」と、神奈子は玄関先で早苗を見送りながら、やれやれ、やっぱり年頃の娘はよく分からん、と心密かにため息をついた。
「あ、日焼け止め塗るの忘れてた。ついでに文庫本も」と、出ようとした矢先、早苗はまた部屋の奥へと引っ込んでしまった。
「本は要らないだろう」
「喫茶店で読むんです。文庫本の素晴らしいところは、出がけ先に簡単に持っていけるところですから。いわばキリスト教徒における十字架みたいなものです。どこでも欠かせないんです」
「だからって二冊も持って行かなくても」
「もうすぐ上巻を読み終わるんですよ。だから下巻も一緒に持って行くんです。じゃ、神奈子さま、行ってきますね」

 そう言って、早苗は今度こそ出て行った。
 やれやれ、と神奈子はその後ろ姿を見送りつつ、再度ため息をついた。
 よく馴らされた境内の玉砂利の上に、陽光が滴々と降り注いでいた。夏草の匂いが強く香っていた。8月もそろそろ終わろうかというのに、まるでまだ夏半ばみたいだった。

 一礼し、早苗が境内の中へと入ってゆくと、縁側で霊夢がお茶をすすっている姿があった。湯飲みから湯気が立っているのが、遠目からでも分かる。ひと目見て、このくそ暑いのによくも、と早苗は呆れる思いがした。

「あら、珍しいわね。何か用?」と、先に霊夢の方が声をかけた。
「ええ、神奈子さまから分社の掃除などを頼まれてですね。あ、そうそう、これは神奈子さまからのお土産です」と、早苗は挨拶もそこそこに、肩からかけている紺のトートバッグから、四角い饅頭の包みを取り出し、それを霊夢に手渡した。
「あら、ありがと。あんたのとこの神さまも、たまには気が利くのね」と、霊夢が言った。
 
 褒めているんだか、いないのだか、よく分からない反応だな、と早苗は思った。あまり深く考えないことにした。それから、一応分社の掃除をする許可を取った彼女は、鞄から道具の類を引っ張り出してさっそく作業に取りかかった。作業はすぐに終わった。
 

 額や首筋にまとわる汗を装束の袖で拭いながら、縁側へと戻った早苗は、妙な光景を目にした。霊夢が、何か珍しい虫でも観察するような興味深げな態度で、かたわらにある早苗の鞄を、指先でつついたり撫でたりしているのである。

「何やってるんですか……」と、早苗は思わず言った。
「は、あ、いや……」と霊夢は、何だか悪いことをしているのを見咎められた子どもみたいな声を出した。早苗の足音も耳に入らない程、鞄に夢中になっていたらしい。「その、ごめん……」
「いや、別に怒ってはないですけど」と、早苗は言った。

 空気がちょっぴり他人行儀な居心地の悪さを帯びた。面倒なことになりそうだ、と思った彼女は、先手を打つことにした。

「それ、そんなに珍しいですか? 私が元いたところでは、結構ありふれたデザインなんですけど。あ、でもこのデニム地はちょっと可愛いと思いません? 私、この生地が気に入って買ったんですよね」
「へぇ……」と、霊夢はちょっと困ったような顔をした。早苗の言うことの半分も分からなかったのに違いなかった。

 早苗も困っていた。さっさと帰り支度をして、買い出しへと行き、それから余った時間を優雅に過ごすという心づもりだったのが、霊夢が鞄をもの珍しそうになおも検分しているために、なかなか支度ができないでいた。それでも、一方で誇らしさも芽生えていた。
 この目の前にいる、何に対してもなおざりな興味しか示さないと思っていた人間が、自分の所有物に対して並々ならない関心を抱いていることは、早苗の自尊心を満足させた。彼女はやや気をよくした。そして、その上機嫌に乗せられて、霊夢の傍に腰を下ろした。

「ねぇ、これ何か色々なものが入っているみたいだけど、何が入ってるの?」と、霊夢が好奇心に抗しきれずに言った。
「ああ、それはですね……」と早苗も得意になった。
 彼女は手品師が帽子からハトや国旗を取り出す具合に、鞄から携帯用ウェット・シートや開閉式の手鏡、さらには充電の切れたiPodなど、様々なものを取り出しては霊夢を驚かせた。けれども一番霊夢の興味を惹いたのは、早苗が最後に取り出して見せた二冊の文庫本だった。
「何……、『ノルウェイの森』……?」と、霊夢は目を細めた。
「そうです。私が元いたところでは、誰でも一度はこのタイトルを耳にしたことがあるというくらいに有名な小説です。ちなみにノルウェイというのは、ここから遥か遥か遠くにある北ヨーロッパのスカンジナビア半島西半にある立憲君主国なのですが、ノルウェイの森、だと意味が変わってビートルズ……といっても分からないですよね。まぁ、その、非常に有名な音楽グループの、ちょっと擦れた感じのクールな曲のことなんですよ。それで、この本はその曲からタイトル名を拝借したのです」

 早苗は受験時代の知識などを総動員して、そう説明した。それから、急に思い出したみたいに、「I once had a girl……」と、ノルウェイの森の歌詞を口ずさみはじめた。
 そのかたわらで霊夢は未知の情報に混乱していたけれど、やがて雲雀のように唄っている早苗に、「ちょっと読んでみていいかしら?」と言い、その返事を待たずにページを開いた。
 しばらく霊夢はむずかしい顔をしたまま、適当にページを繰っていた。そして、よく分からないといったふうに首を傾げていた。
 早苗は黙ってそんな霊夢の横顔を見るともなく見ていた。彼女の髪は黒くつややかで、肌が健康的に白いことに、早苗はじきに気付いた。そして、もしちょっと控えめに化粧をして、服装も清楚な感じにまとめたら、彼女は間違いなく異性たちの目を惹くだろうとか、そんな他愛もないことを考えていた。

「バルザックって何?」と霊夢が唐突に口を開いた。
「フランスという、ノルウェイに程近い国の昔の作家です。読んだことないですけど」と早苗は答えた。
「ゴールデン・ゲート・ブリッジってのは?」
「海の上にまたがっている赤くて馬鹿でかい橋です」
「へぇ、海の上を。何か素敵そうね。……想像もできないけど。じゃあ、このワルツ・フォー・デビーってのは?」
「世界でもっとも美しい曲のひとつです。ここで聴かせられないのが残念ですね」と、早苗は打てばひびく鐘みたいに次々に質問に答えながら、ふとあることに気付いた。

 どうやら霊夢はもの珍しいカタカナを質問の種としているらしかった。ということは、いずれ返答に困るような言葉について訊かれることは、容易く予想できた。そして早苗の予想はすぐに的中した。

「ねぇ、じゃあこの……」

 早苗はちょっと霊夢に意地悪したい気持ちが湧き起こり、卑猥な部類に属する語を、わざと婉曲に、けれどそれと分かるようにはっきりと示唆した。そうして、霊夢の耳元が見る見る赤くなっていくのを見、早苗は内心で大いに笑い転げながら言った。

「おやおや、ちょっと意外です。霊夢さんもそういうことに興味がおありなんですねぇ」

 すると霊夢は俯いたまま口を真一文字に結んで、黙りこくってしまった。機嫌を損ねてしまったかと早苗は少し危惧した。けれどもそれは杞憂だった。

「別に……。私だって普通の女の子だし」と霊夢はぽつりと言った。
「はぁ」と早苗は意外な答に、かえす言葉がなかった。
「こういう言い方すると、嫌味と受け取られるかも知れないけど」と霊夢は慎重に口を開いた。「でも私は、少なくとも普通の女の子でいたかったの。普通に両親がいて、ときどき怒られたりもするけど、でもそれなりに愛情を注がれて。それで、学校っていうんだっけ? そこへ行って他の人たちと勉強したりして。で、同じ歳くらいの男の人を好きになったりして……。早苗のいた世界では、こういうのは普通のことなんでしょ?」
「……確かに普通ですね。でも、その普通はすごく幸せなことですよ。実際にその幸せをつかめる状況に生まれても、その幸せから遠く離れて過ごすことを余儀なくされている人がどれだけいることか」と、早苗は自分の経験から、思わずそう言った。
「そうね。私の思い描く普通って、すごく贅沢なのかも知れないわ。まるで海みたいに」
「海?」
「ここには海がないのよ。大きな湖はあるけどね。だから海なの」
「実際には見えないし、近付くこともできない、ということですか」
「そう。……この小説には海がでてくる?」
「ありますよ。下巻の最後の方に出てきます」と、早苗は深緑色の表紙の本を霊夢に手渡した。
「へぇ……どんなふうに書いてあるのかしらね」

 霊夢は夢見るような口調だった。その声の余韻が、会話の小休止を生んだ。

「あの、霊夢さんのご両親は何をしていらっしゃるのですか?」と、ふいに早苗は思わず疑問が口を突いて出た。口にして、ひどく後悔した。
「さあね。私、里子だったから。物心付いたときから既にそうだったし、私はほんとうの両親の顔は知らないの。あんまり興味もないけどね」

 霊夢は答え方はあっさりしたものだった。そして、申し訳なさそうな早苗の顔を見て、「別に気にしてないわよ」と言った。「その里親の夫婦は子どもができない家庭だったみたいだから、私は実の子のように可愛がられたわ。というと、いかにもありふれたお話みたいだけど。でも本当よ。そういう意味では、変則的ではあるけど私は、ある部分では私の望む普通の幸せを享けたわけね」

「今は、その里親の方々は何を……?」
「私がこの神社の巫女になってから一年後に、二人共亡くなってしまったわ。別に病気とかじゃなくて、寿命でね。……ところで」と、霊夢は早苗の方を向いた。「あんたの家族はどんな人たちなの? もちろん、あの神さま以外の。あんた、まさかあの二柱の神さまのどちらかのお腹から産まれたわけじゃないんでしょ?」

 早苗は苦笑して、それから自分の家族のことを明かした。最初は上手く言葉が出て来ず、説明するのに苦労した。感覚のある一点が、知らないあいだに硬直していたみたいだった。でも、話すにつれ、その硬直は、やがて冷えきっていた身体がだんだんと熱を帯びるようにほぐれてきた。
 自分には母の他に父と兄、それから祖母がいたこと。父と兄は物心が付くか付かないかのうちに亡くなったこと。死んだ原因はよく分からないということ(これは半分嘘だった)。でも自分は祖母に可愛がられていたため、寂しくはなかったこと。祖母の死のちょうど一年後、二柱の神さまに出会ったこと。そして、母親を置いて、自分は二柱の神さまと共に、この地へと来たのだと伝えた。
 そこまで早苗が話し終ると、霊夢がちょっとだけ眉をひそめた。

「え、お母さんを置いてきたの?」
「ええ……。神奈子さま曰く、つれて来るのは無理なのだとか。何でも存在が、あまりに現実的すぎるために」
「ふぅん。確かに、ごく普通の人だったんなら、こっちに来るのは無理かもね。でも、早苗はどうしてあの二柱にそこまで忠実なの? ……これは純粋な興味なんだけど」と、霊夢がふいに、早苗の目を覗きこんで来た。

 早苗は、その霊夢のとび色の目に直視され、まごついた。何か嘘やごまかしを許さないような視線だった。けれども、何をどう答えたらいいのか分からなかった。そもそも、どうして私はあの二柱に付いて来たのだろうと、彼女はこの期に及んで自問した。
 母親とあまり上手くいっていなかった所為か。でも、そんないさかいは、今となっては取るに足りないことに思える。……私はそんな一過性のことで母を置き去りにしたのか。いや、そうじゃない。
 蝉が思い出したようにじりじりと鳴きはじめ、音の振動があたりに充ちた。風が吹き、庭先の小さな花がそよと揺れた。一輪だけ取り残されているように咲いている花が、あたかも目を逸らそうとしてきた罪過の化身のように、重々しくうなだれている。早苗はそれを見ているのが辛くなってきた。
 彼女は分かっていた。自分がどうして、こんなにまで二柱に忠実であるかを。でも、その理由を霊夢には告げられなかった。言えば間違いなく軽蔑されるだろうから。
 早苗はほんの一時間前には霊夢のことを友だちではないとさえ言っていたのに、今この瞬間、霊夢に軽蔑されるのを何よりも恐れていた。早苗は自分を軽蔑した。

「まぁ、いいけど」と、早苗が答えないので霊夢が言った。「でも私には分からないな。たとえ巫女を辞めてでも母親と暮らす方を選ぶわね、私なら」

 そう言うと、霊夢はふいに立ちあがった。

「話に夢中になって、お客様にお茶を淹れるのを忘れていたわ。ちょっと待ってて」

 霊夢が奥に引っ込んでいるあいだ、早苗は懲罰にじっと耐えるかのように、もの思いの静けさと地面から湧き出ているかのような熱の中で、じっと動かなかった。そして考えていた。考えはまとまらなかった。やがて思考はいつもの場所に落着いた。仕方ない。すべては取り返しの付かないことだ、と。
 仕方ない、はいつの間にか早苗の心のうちの口癖のようになっていた。彼女にとって、それは魔法の言葉だった。父と兄の死をあとから振り返るとき、小学校でいじめに遭ったとき、自分は母に嫌われていると思い見なしていたとき、そして、何もかもを棄て、ここへ来たときである。
 ……仕方がない。何かを選んで、後悔しない人なんていないんだし、と早苗が心の中でそう自分に言い聞かせたとき、霊夢が空の湯飲みを手に戻って来た。しかもご丁寧に、お茶菓子まで添えて。お茶菓子は水ようかんだった。

「はい、お待たせ」と、霊夢は早苗の湯飲みに、熱い緑茶をたっぷり注いだ。

 ちょっとばかり冷たいお茶を期待していた早苗は、立ち上る湯気に裏切られた心地になった。でも、飲まないわけにはいかなかった。湯飲みに触っていると、それだけで熱が伝わってくる。

「熱っ」と思わず早苗は口走った。
「そりゃあね。ゆっくりと冷ましながら飲みなさないね。舌を火傷しないように」と、言いつつ霊夢は小刀で水ようかんを丁寧に切り分けた。

 そして楊枝をふたつ刺し、一方を早苗にすすめた。早苗はすすめられるに従い、一口大の羊羹を口に入れた。口に甘みが広がる。そうして茶を舌にころがす。

「美味しいですね」と早苗は素直に言った。「それに、暑い日に熱いお茶を飲むというのも、なかなかいいものですね」
「でしょう。それに冷たいお茶だと、すぐに飲んでしまうから、ゆっくり腰も落ち付けられないわ」と霊夢は満足そうな表情をした。「で……お願いがあるんだけど」
「何です?」と、早苗はふたつ目の羊羹を頬張りながら、彼女の頼みごとを受け入れる他ないことに気付いた。
「あのね……その本を私に読ませてくれないかしら? その……ノルウエなんとかっての」
「はぁ……構いませんよ」と早苗は想像のほかやすい頼みごとに、むしろ拍子抜けする思いだった。
「え、そんなにあっさり許可してくれんの?」と霊夢は目を丸くする。
「いいですよ。何なら下巻も。私はもう何度も何度も読み返していますので。霊夢さんが望むなら差し上げたって構わないくらいです」

 すると霊夢は喜ぶどころか、反対にためらうような顔色になった。

「そう。ならお言葉に甘えて遠慮なくって言いたいところだけど……さすがに何か悪い気がするわね」
「じゃあ、こうしませんか」と、早苗が人差し指を空へ立てる。「私がここへ来るときは、必ずお茶と一緒にお茶菓子を添える、というのは」
「いいわね。それなら遠慮なく私ももらうわ。ただし、あんたがこの本をもし読み返したくなったら、そのときは私、ちゃんと返すから」と、霊夢も快く承諾する。
 
 それからなおも二人は他愛ない話題に興じた。秋が深まるより先に、親交の度は葉が紅く色づくように深まった。会話は、早苗が夕飯の買い出しの任を思い出すまで途切れることがなかった。

「じゃあ私、夕飯の買い物を言い付けられているので、これにて」と、早苗。
「ええ、また来なさいよ」と霊夢は縁側より立ち上がって言う。
「今度は時間があるときに、里のカフェにでも行きましょうか。ああ、でもまた緑茶にようかんの組み合わせというのも魅力的ですね。何にせよ、次が楽しみです。……それじゃ、何か用入りのときは手紙でも寄越してください。ええ、それでは。私は買い物のたびに山から下りて来ますからね。また、近いうちに会えるとは思いますけれど」……


 霊夢からの手紙は、早苗が思っていたよりもずっと早くに来た。封筒には五枚の便箋が入っている。うち四枚は、本を譲ってもらったことへのお礼と、読後の感想などが細々とした丁寧な筆致でしたためられていた。他の一枚には、分からなかった言葉や文化に対する質問などが、これも細かな字でびっしりと書かれていた。
 早苗はその手紙を何度も読み返した。そうして、質問に対しては丁寧に答えることとした。とはいえ、中には彼女自身でさえ、よく分からないものや、立ち入って説明しづらいものなどもあったけれど。
 返信をしたためている際、早苗はふと、あの本の中にも登場人物同士が何度となく手紙のやりとりをする場面があったことを思い出した。それが彼女を暗い気持ちにした。手紙のやりとりは、その末路において片方の自殺によって、あっけなく幕を閉じるからだ。
 私たちのこの手紙の交信にも、既にそのような悲惨な結末が予定されているのだろうか。せめて、そうならないことを祈ろう。そう思い、早苗はそのことについては一切触れないことにした。
 返信の文面をしたためるのに、早苗は随分と思い悩み、なかなか筆が進まなかった。思い起こしてみれば、大抵の連絡は今までメールで済ませてきたから、手紙を書くこと自体が、早苗の生涯の中では稀なことに属していた。それでも、筆が先へ進まないあいだ、じっと霊夢のことを考えるのは楽しかった。
 ふと、霊夢からの手紙の一節を思い出した。

《多くのことが、私には分からないことだらけで、とても新鮮でした。地名や、外の世界の本屋など想像もつかないものが次々と登場してくるのですから。私にとって、それらは何と幻想的に映ることでしょう。早苗にとっては、それらはとうに見飽きたものかも知れませんが。
 映画館というものの存在は、実は一度だけそういうものがあるらしいという噂は耳にしたことがありました。だから、その場面に来たときは、ああ、これが、あの、と何だか感慨深く思ったものです。とはいえ、あの場面はあんまりだと思います。でも私は、外の世界には、ポルノ映画以外の素晴らしい映画もたくさんあることと信じています。他に外の世界では、どういう映画があるのか教えてくれたら嬉しいです。早苗の好きな映画は何ですか? ……いつか私も、映画が見られる日が来ることを心待ちにしています。これは私の勘ですが、そういう日は思っているよりもずっと早くに来るような気がしているのです。》
 
 それで早苗は、自分が元いた世界の名誉を挽回するために、一般的な映画やさらには自分の好きな映画についてのことを、たくさん書いた。喜劇王チャップリンについては結局どう書きあらわしたらよいか分からなかったので、シルクハットに髭をたくわえた男の挿絵を加えることとした。これで充分伝わるはずだ。
 さらに他の一節のことも。

《……けれど、私がとても感銘を受けたのは、自分の知らないことよりも、むしろ外の世界の人々もまた、自分たちと同じような苦しみを味わっていることを知ったときでした。いや、もしかすると私たち以上に苦しんでいるかも知れません。人の死は悲しく、人を無意識のうちに傷付けるのも悲しいことです。そして、少しでも弱味を見せれば、たちまち私たちもひどく傷付いてしまいます。そういうことは結局、どんな世界に生きていようと、変わらないのかも知れません。
あなたは私を悩みの少ない女の子だと思っているかも知れません。そう思うのも無理のないことです。でも、私には私の宿業(と書くと、何だか大袈裟ですね)があり、私なりにそれに苛まれつつ生きているということは、知っていて欲しいと思います。だから、あの小説の中に何度も述べられている、「強く生きること」を決意する場面には、とても胸を搏たれました。できれば、私も強くありたいと望んでいるのですが、なかなか上手くいきません。それにむしろ、私は主人公のように強くあろうとするよりは、誰かに守られたいと思わないでもありません。この小説に登場する女性たちのように。あるいは、理不尽なくらいのわがままを言い、それでもそのすべてを黙って受け入れてくれる友人などがいたら、素敵ですね。私も、自分が頼んで他人に買ってきてもらった苺のショート・ケーキを「ふん、こんなのもう食べたくなくなっちゃったわよ」って言って、窓の外に放り投げたくなることが、ときどきありますから。……早苗は、どうですか? 私のこの気持ち、分かってもらえるでしょうか? といっても、早苗は私以上に何度もこの本を読んでいるのですから、きっと理解してくれることでしょう。
何だか随分と赤裸々に語ってしまった気がしないでもないですが、どうか許して下さい。》

 その一節を読んだとき、早苗は不思議な親近感が湧き起った。
 霊夢が見事に察していたように、早苗は彼女のことを悩みの少ない、自由気ままな女の子だと思い込んでいた。けれど、幻想の集まるこの楽園における、博麗神社の巫女という役割の持つ意味を考えてみれば、その思い込みがどんなにか浅薄なものであるか、気付いてもよさそうなものだと、早苗は今になって思う。
 うつつと幻想の境い目に位置するあの神社と、霊夢。彼女はまるで現実から夢へと至る間際にやって来る、まどろみのようでさえあった。自分をそんなはかない存在だと認識しつつ、なお平然と振る舞っている彼女の心情を思い、早苗は恥ずかしくなった。
 早苗はもう知っていた。「どうしてあの二柱にそこまで忠実なの?」という霊夢の問いに対する自分の答えを。そして、それを口に出せなかったわけをも。彼女は決して二柱に忠実だったわけではない。幼少のころに抱いていた、神奈子と諏訪子への純粋な信仰は、時を経るにつれて、まったく別のものに変わっていた。
 彼女は神に選ばれた、奇蹟さえ起こすことのできる、特別な自分を愛していた。だから、彼女がもっとも恐れていたのは、神奈子と諏訪子と離れ離れになることによって失われてしまうかも知れない、特別な自分だった。それは、クラスの誰にも真似できない私。
 早苗はいつからか、神さまを通じて自分の自尊心を信仰していた。霊夢が苺のショート・ケーキを窓から放り投げたいと思っている一方で、彼女は自分の手元にある苺のショート・ケーキに恋々としていたのだ。それを自覚したとき、自分ながら浅ましい、と早苗は思い、自嘲した。
 それを思い切って、霊夢に告白しようかと考えた。が、結局は書かないことにした。ほらね、私ときたらどこまでも卑怯だ、と早苗は情けなくなった。でも、これでいいのかも知れない。……
 目を逸らしていたものを自認すると、早苗の気持ちはむしろ晴れやかになった。
 ふと窓へと視線を投げた。夏の空が昼間の余韻を残し暮れなずんでいる。透明感のある青がつややかで、みずみずしい。
 そうしているうち、当初手紙に書こうと思っていたことは全部没にしていまい、代わりにこの楽園へ来て自分が見付けた様々のことを、早苗は心の趣くままに書き付けることにした。たとえば空のことを書いた。

《ここに来てはじめて知りました。夏の夜空がこんなにも涼しげな表情であることを。霊夢さんは海を想像も付かないと言っていましたね。海は、夏の夜空とよく似ています。このことは、海に色々と縁のある私が保証します》
 
 それから人々のことなども。

《ここの人たちには驚かされます。皆が皆、親しくなり打ち解けた途端、何の打算もなく好意を寄せてくれるのですから。この前、夕飯の買い出しに行ったとき、野菜や魚などを店の人からたくさんおまけしてもらい、果ては買い物袋に入り切らない程になったのです。色々と値切り交渉などにも挑戦してみました。ここに来て、買い物がちょっとだけ上手くなったような気がします。

 私がまだ小さかった頃、昔は外の世界にもそういう人たちがいっぱいいたものです。でも、いつの間にかそういう人たちは、姿を消してしまいました。居場所がなくなってしまったのです。寂しいことです。どんな世の中でも、強大な多勢が勝ち、弱い無勢はその住処を追いやられてしまうものですが、この楽園がそうならないことを祈ります》

 そして、最後にこう書いた。

《あのとき、霊夢さんとゆっくりお話しして以来、この世界のことが少しずつ好きになってきました。また手紙を書きます。水ようかんはとても美味しかったです。近々、また会いにゆきます。今度はどんなお茶請けが出て来るのか、ちょっぴり楽しみです。でも、あんまり豪華なのだと食べるのに気後れしてしまいますから、気を使ってくれなくて構いません。さようなら。お元気で。》



   □

「さようなら。お元気で。」

 早苗は霊夢への手紙の末尾に、いつもそう書いた。書くとき、早苗は常に胸のうちでは再会を予定していた。だから突然の別れは、その文句の中に微塵も含まれていなかったはずだった。さよならだけが人生だと謳った詩人の言葉が、たとえ真実であるにせよ。……

 早苗は、その後およそ二年半のあいだ取り交わした手紙のことを考えながら、コーヒーを飲んでいた。
 結局、私の中に何が残ったのだろう。その期間は私にとっての何だったのだろうと、彼女は、はかない想いに捉えられた。それは舌先にかすかに残り、やがて消えるコーヒーの苦みのようなものでしかなかった気がする。あの楽園の記憶は、まだ早苗にとっては苦いものだった。
 彼女はシロップとミルクを、コーヒーの中に注いだ。そうして飲むと、やや甘過ぎた。シロップは半分くらいでよかったと彼女は後悔した。苦い思い出も、いずれこんなふうに甘美になる時がやがて来るのだろうという、漠然とした予感を抱きながら。……

   □



 玄関戸の転げるような響きを耳にして、諏訪子はようやく早苗が帰って来たのを知った。彼女は仰向けになっていたので、続いて起った忙しない足音を、後頭部へのかすかな振動と共に聞いていた。ややあって襖が開いた。諏訪子は襖の方へ頭を向けていたので、早苗の顔がさかしまに見えた。

「ただいま戻りました、神奈子さま、諏訪子さま。遅くなって済みません。すぐに夕飯の支度をしますね」
「うん、おかえり。支度はそんなに急がなくていいよ。ひどく空腹を持て余しているわけでもなし。もっとも、諏訪子のやつはどうか知らないけどね」と、神奈子が言った。
「なんだよ、それじゃあ私だけが、空腹に今にも泣き出しそうな、いやしんぼみたいじゃないか」と、諏訪子は言った。
「いや、そこまでは言ってないけど」と、神奈子。
「いえいえ、私が遅くなったのが悪いのです。すぐに食事にしますから」と、早苗が殊勝げにに言う。
「また霊夢のところに行っていたのかい」と、諏訪子が訊いた。
「ええ、そうですけど」と、早苗は頷く。
「あんまり関心しないね」
「どうして」と言ったのは、早苗ではなく神奈子だった。「いいことじゃないか。同じ年頃の女の子同士が心ゆくまで話し合うことに、何の問題があるんだい」
「へぇ? お前の口からそんな言葉を聞くとは思わなんだ」と、諏訪子の口調はたちまち冷笑の色を帯びた。
「私の方こそ、お前がどうしてそんなに突っかかって来るのかが理解できないね。お前だって知っているだろう? 早苗が小学校、中学校の頃と寂しい思いをしてきたのを。そして、その責任の一端は私たちにもあるということを。だから、私は早苗にそういう友人ができたことに、安堵しているんだ。それが分からないのかい?」と、神奈子はやや声を荒げた。

 けれども諏訪子は相変わらず冷ややかな態度のままだった。
 そして、「同業他社だろう」とひと言だけ言った。それに対して神奈子は何も言わず、渋面をつくっていた。さらに諏訪子はたたみかける。

「それに、今さら母親ぶって、いかにも早苗のことを心配していましたと言わんばかりの、その態度もいかがなものかと思うよ、神奈子? それとも、それはお前なりのせめてもの罪滅ぼしの積りなのかね」
「諏訪子」と、神奈子が凄んだ。

 それで諏訪子はようやく口をつぐんだけれど、依然として冷然とした表情はそのままだった。部屋に険悪な空気が流れた。
 重苦しい沈黙の中、口を開いたのは早苗だった。彼女は遠慮がちに、小さな声で言った。

「あの……では、私はお夕飯の支度をしてきますね」

 二柱はそれぞれ頷くだけで、相変わらず黙っている。諏訪子は座布団に頭を乗せ、仰向けに寝転んだまま、じっと天井に目を向けていたし、神奈子の方は苦々しそうに口元を結んで、テーブルの上に組んだ両腕を預けたまま、もの思いに沈んでいるみたいだった。
 早苗はそれで返事を求めず、この険悪な静けさをうち壊すことを恐れるかのように、そっと襖を閉め、ひとり台所へ向かった。

 炊事をしている最中、早苗は気が気ではなかった。彼女は、自分が内心に思い抱いていることを、誰かに見透かされることを恐れていた。だから、諏訪子のあの態度を前にしているとき、早苗は胸のうちでは相手の前から一刻も早く立ち去りたいと、そればかり考えていた。あの神さまは、何か勘づいているのだろうか。早苗は菜箸を動かしながら、それが気がかりだった。
 何気なく早苗は袖で頬のあたりを拭った。うっすらと煤が付いていた。彼女はさっと蒼ざめた。まるで犯罪者が証拠の血痕を消すように、早苗は袖の煤を慌てて水で洗い落とし、それからまだ頬のあたりに煤汚れが残っていないかどうかを、入念に確かめた。心臓がいやに早鐘をうっていた。そうして、もし神奈子か諏訪子のどちらかが、この小さな黒い汚点と自分の内心に抱え込んでいる懸念との関係に気付いたとしたら、厄介なことになるかも知れない、と思った。焦りと怖れが、早苗の心配をひどく誇張していた。
 それから、気がかりは他にもある。諏訪子が口にした「罪滅ぼし」という言葉である。それが発せられたとき、神奈子は途端に色をなした。その表情はしっかりと早苗の網膜に記憶されている。
 罪滅ぼしとは何だろう、一体何が罪なんだろう。それが、早苗の内心に抱いている疑問と無関係であるとは、彼女にはどうしても思えなかった。だから、問い質すならまさに今夜しかないと、彼女はあらためて意を決した。
 それにしても、この地へと出立する前日になって神奈子さまが「何か訊きたいことはあるか?」とやさしく問うてくれたとき、どうして私は訊くべきことを尋ねなかったのだろう。問題や遺恨を、あの場で清算しなかったのだろう。清算した上で、しかるべき距離を置かなかったのだろう……。
 それら後悔が早苗の上に累々とのしかかって来る。でも今さら悔やんでも遅かった。仕方がなかった。すべての距離を置く行為は単なる逃避の言い訳にすぎなかったと早苗が悟ったときには、物事は否応なく彼女の目の前に横たわり、彼女はその解決を迫られていた。まるで誰かが裏で巧妙に糸を引いいている舞台の上で、体よく踊らされているような心地がした。とはいえ、エプロンを身に付け、菜箸を片手に盛り付けをする早苗に今できることといえば、あの険悪によどんだ雰囲気の食卓の上に、食事の皿を並べることくらいだったけれど。
 その日の味付けは普段に較べて随分と濃かった。けれども、誰も何も言わず、黙々と食べた。早苗は食欲がないような気がしていたのに、結果的にいつもより多く食べてしまった自分に、驚き、呆れた。


 食後になり、夜が更けても早苗はなかなか自分の考えを行動に移せず、ひとり煩悶していた。小説を読む素振りをしながら、彼女はときどきかたわらの神さまたちを偸み見た。
 神奈子は燗酒をやっていた。杯を重ねるごとに顔はほんのり色よくなり、傍目にも上機嫌になっていた。早苗はそんな神奈子に対し、厳しい質問を投げかけるのは、不意打ちをするみたいで、ひどくためらわれた。それにせっかくの興を台無しにするようで、いっそう気が引ける。
 諏訪子の方はといえば、こちらも神奈子の上機嫌が伝染したのか、お伽草子を開いて、ときおり声を上げて笑っていた。食事前の険悪な空気が嘘のように穏やかだった。
 早苗はそんな中で、自分だけが大真面目に悩んでいるのが情けなかった。いっそこの空気に身をまかせ、すべてを忘れてしまおうかと思った。実際、そうした方が楽になるのに違いない。でも、それでは以前と何も変わらない。早苗の決意は固かった。

「どうした、早苗? 難しい顔をして」と、神奈子が言った。
「はぁ……いえ」と早苗はあいまいな返事をした。
「また難しい本でも読んでいるのかい? あんまり本ばかり読んでいてはよくないよ。本の中には難しいことがたくさん書いてあるかも知れないが、本の中には決して世の中というものはないのだからね。それより、星を眺めたり、人々とお喋りをした方がずっと益になる」

 神奈子の説教じみたもの言いに、早苗は苦笑した。

「酔っていらっしゃるのですか」
「まさか」
 会話はそこで途切れた。その静けさを縫うように、虫や蛙の鳴き声が遠音にした。初春らしい、賑やかな夜更けだった。
「気を付けろよ、神奈子。早苗のやつ、そのうち難しいことをあれこれ考えた挙句、お前に神学者みたいな議論を仕かけて来るかも知れないよ」と、諏訪子が冗談を言った。
「そんなこと……」と、早苗はうろたえた。
「ははは、それならそれで一向に構わないけどね、私は」と、神奈子はおう揚に笑い、早苗の方に杯を突きだした。「どうだい、一杯」

 早苗は下戸だったが、断るのはいかにも不調法に思われたので、

「頂戴します」と丁重に受け取り、ウォッカでもあおるような調子で一気に飲み干した。熱いものが一気に胃から全身へ駆け巡る心地がした。
「おやおや、早苗は相変わらず酒の飲み方を知らなさ過ぎるね」と、諏訪子が可笑しそうに言った。「もう18なんだから、いい加減、酒の飲み方くらい心得ておくべきだと思うよ」

 早苗は、他ならない諏訪子にそれを言われ、反撥のひとつもしようかと思った。けれど、気のきいた文句のひとつも浮かばなかった。

「お酒は20歳からです、あと2年猶予がありますよ」と、彼女は月並みなことを言った。
「はいはい」と諏訪子はそれを軽くあしらった。
 けれども早苗は軽口を言いながらも、かすかに襲い来る酩酊に、勇気づけられた。
「そう言えば、以前から疑問に思っていたのですけれど……」
「うん?」と、神奈子。
「ここに来る際、どうやって一瞬で神社ごと、ここへ移って来れたのかということが、私には以前からずっと不思議で堪らなかったのですが。だって、あのとき私は何も加勢していないじゃないですか。それで、どうやって結界を越えたんです」
「うつつと幻想を分かつ結界をいかにして越えたか……。神の手にかかれば、容易いことだよ。ましてやここには二人もいることだしね。もともと条件は充分に揃っていた。加えて、外の世界で信仰が薄れていたことが、この神社の存在そのものを非常に危うくしていたが、それが却って幸いしたものらしい」と、神奈子は酔いの為にいく分か饒舌になっていた。「私たちの場合は、祝詞を唱えればそれで事足りた。本来、祝詞は巫女が神に捧げるもので、神がそれを聞き入れなければ、効果はあらわれない。……が、その聞き入れる神が他ならない私たち自身なのだから、事はずっと容易というわけ」
「自給自足みたいなもんだね」と、諏訪子が口を挟んだ。
「聞き入れる……神ですか」
「そうそう、だから早苗の場合、それは私か、もしくは神奈子に限られるわけだけど」と、諏訪子は妙に釘を刺す言い方をする。
「まぁ……そうだね。ああ、ちなみに祝詞自体はすごく簡単なものだよ」と、神奈子はそれを朗唱してみせた。
 早苗は神経を集中して、それに聴き入っていた。そして、「こうですか」とそれを復唱した。
「うん。もっとも、早苗はそれを使う機会がほとんどないだろうけど」と、神奈子が頷いた。

 早苗も、そうですねと素直に言った。そうして、ふいに黙り込んだ早苗に対し、今度は神奈子の方が質問した。

「霊夢とはいつもどんな話をしているんだい?」
「別に……大したことは話していないですよ。でも、ときどき二人で互いに本を貸し合ったりするんです。だから、大抵は互いに感想を言い合ったりしていますね」
「恋人の話などはしないのかい。たとえばどんな男性が好きか、とかさ」と、好奇心たっぷりに神奈子は早苗の目をのぞき込んだ。
「しませんよ、そういうのは」と、早苗はやや照れくさそうに、そっぽを向いた。
「年頃の娘が、つまらないねぇ」と、神奈子が嘆息する。
「今日なんて、能面の話をしていたくらいですよ。あれの表情が不気味だって」

 すると横で聞いていた諏訪子が、突然声を上げて笑いだした。

「はは、そりゃ傑作だ。神奈子、お前が期待するふうに早苗が色気づくのは、まだもう少し先の話になりそうだね。能面だってさ、ははは……」
「そんなに笑わなくても」と、早苗は苦笑いを浮かべた。
「で、帰宅したとき、顔に煤みたいなのが付いていたのは、霊夢のところの納屋に顔でも突っ込んだのかい? 能面は納屋にあるだろう。あ、いや神楽面か」と、諏訪子はなおも笑いながら言う。
「ええ……気付いていたのですね」と、早苗は驚いた。
「へぇ、私はちっとも気付かなかったな」と、神奈子はのんきに杯を重ねた。
「お前はいつでも鈍すぎるんだよ。きっと、いずれ足をすくわれるさ」と、諏訪子。
「そうかね」と、神奈子は酔いも手伝って相手にしなかった。

 早苗の意志はふたたびくじけそうになった。けれども彼女は春のすみれ色の、淡く澄んだ空気を思い出すと、ふたたび決意が胸のうちを風のように駆けめぐるのを感じた。それに最悪の場合に至るとは、まだ決まったわけではない。彼女は秘かにそう考えた。

 むしろ、何も変わらずに明日は来るだろう。父と兄を亡くした翌朝にも、やはり変わらずカレンダーがめくられたように。そのとき、早苗は幼心に山のすそにきらめく朝陽に対して、泣きたくなるような悔しさを感じたものだった。それは長く降り続いた雨が止んで、久方ぶりに見えた陽の光だった。まわりの大人たちは朝陽を見てこう言った。

「おお、やっと青空が見えた。やはりお天道さまを見るのは実に気持ちのええものだなぁ。生き返るような心地がする」と、一人の男が言った。

 そして、早苗がいるのにも気付かず、彼は続けてとなりの男に言った。

「それにしても、守矢神社のところの旦那とせがれの事故は、不幸なことだが、仕方のないことだな。ああいう事故は何せ、毎年何万件も起きとるんだから……」、と。

 朝の陽ざし以上に、その言葉は幼い早苗を深く傷付けた。でも、今はむしろ逆だった。
 今の彼女は、いつも通り朝陽が昇り、何事もなかったかのように翌日がはじまることを強く望んでいた。自分の問いかけひとつなどでは、揺るぎさえもしない強固さ。それこそが、今の早苗にとってはもっとも切実な頼みの綱なのだ。――かつて彼女を傷付けたものこそ、彼女が望んでいるものだった。

 他愛ない話をしながら、早苗はそれでもかすかな緊張を抑えられなかった。そして何の前触れもなく、「そういえば」と、まるでもののついでに思い出したかのように彼女は言い、気軽な口調で切り出した。

「以前から気になっていたことがあるのですが……」
「なんだい?」と、神奈子はやさしい声を出した。
 けれど、早苗はふいに黙り込んでしまい、困ったような顔をした。ためらいの色が表情にあらわれていた。彼女は伏目がちになり、何かの暗示をそこに探すかのようにたたみの上に視線を注いでいた。
「いえ……やっぱり止めておきます」と、やがて早苗は小さな声で言った。

 神奈子は驚いたように、目を丸くした。

「何をそんなにためらっているんだい。遠慮することなんかない」
「でも……あんまり面白くない話ですから。それに神奈子さまや諏訪子さまを、不快にしてしまうかも知れません……」と、早苗の申し訳なさそうな声。
「何を今さら。私は早苗が何を言おうと怒ったりはしないし、ちょっとやそっとでは機嫌を損ねたりしないさ。色々なことにいちいち腹を立てていては、神さまなんて務まらないよ。なあ、諏訪子」と、神奈子は赤い頬を、かたわらの小さな神へ向ける。
「もちろんだよ、早苗。私も神奈子も、ちょっとやそっとのことで騒ぐ程には未熟者ではないからね。……それに、今さら気を使って何になるよ」と、諏訪子も励ました。
「はあ、そうですね」と、二柱につり込まれるように、思わず早苗も微笑した。「でも、ほんとうに面白くない話ですよ。暗い話かも知れません」
「いいから、いいから」と、神奈子はじれったそうに先をうながす。
「神奈子さま、父が生きていたころ、私によくこう言ってくださいました。『二柱の神さまがいつも私たちを見守ってくれている』と。それをご存じでしたか」

 意外な問いかけに、神奈子は驚いた。が、早苗の様子が真剣なのを見て、重々しく頷いた。

「ああ、もちろん、知っているともさ。早苗の父親の家系は代々私たちに手厚い信仰を奉げてくれたし、また信仰を絶やさぬ為に力を尽くしてくれたこともね。……しかし、早苗の父が亡くなったとき、早苗は随分と幼かったはずだが……」
「はい。まだ五つのころでした」
「それでも、父親の言葉を今でも憶えているのか。感心だねえ」と、神奈子が言う傍で、諏訪子が声を潜めて言った。「へぇ、あいつも案外役に立っていたとはね」

 それを耳にした神奈子は、咎めるように諏訪子の方を見、それから今の言葉を早苗に聞こえていなかったかを懸念した。どうやらその心配はないらしかった。早苗の表情は相変わらず、自分の考えだけに意識を集中しているみたいだった。その早苗は、おずおずと言った。

「それで……父の死因は事故だと、母から聞きましたが……」
「うん」
 神奈子はそれで、早苗が何を問おうとしているのかが分かった。でも、どんなふうに語るべきかまでは、さすがの神奈子といえども判断ができなかった。酩酊が判断力を鈍らせていた。
「早苗の言いたいことは分かるよ」と、神奈子は神妙に言った。「そして、これはお前にとっても、そして私たちにとっても非常にデリケートな問題だ」

 もの言いの丁重さから、傍目には酩酊の気配は認められない。なおも神奈子は言う。

「お前の父親は残念ながら、風祝としての才能がまったくとっていい程なかった。ほんとうに、まったく。その母親――早苗にとってはおばあちゃんだが――が稀に見るくらいの逸材であったにもかかわらずね。それで、私たち二柱は心密かに失望していたものだ」

 神奈子はため息をついた。
 早苗は身じろぎもせず、真剣に聞き入っていた。視線だけで目の前の神さまを射殺そうとしているかのように、まばたきひとつしなかった。

「早苗には分からないかも知れないが、才能のない風祝というものは――というより神と人との媒介役のすべてにこれは当てはまるのだけれど――思っているよりもずっと深刻なんだ。そういう人が昔にも何人か輩出されているんだ。天才と同じくらいの割合で、出来損ないというものが世に出る。こいつはどうしようもないんだ。本人にとっても神さまにとっても悲劇なのさ」と神奈子は、自分のもの言いが、大胆になってきているのには気付いていないみたいだった。
「歴史的にみても、神と交感能力のない神職者、聖職者というものが、どんなことをやっているのか、早苗にも分かるね? 神の言葉を聞けないということは、一面においてはメリットでもあるんだ。つまり、己の言葉をあたかも神の言葉であるかのように語ることで、無垢な人々を教唆し、偽の信仰へと容易に陥れることもできる。まず、私たちはそれを懸念した。というのも、過去に何人かそういう風祝がいたものだから」

 早苗は黙って聞いていた。けれど、胸の内には様々な感情がせめぎ合っていた。
 神奈子はそれに気付かず、先を続けた。口調はいっそう大胆になっていった。

「だが、私たちは安堵もしていたのだ。というのは早苗、お前が素晴らしい才能の持ち主であることが、ひと目で知れたからさ。まさにお前の祖母の幼いころもそうだったが、才能が隔世遺伝していたんだ。私たちはこれで胸をなで下ろしたものさ。いずれ、その才能に誰かが気付くだろうからね。だから、私たちはお前の祖母が早苗に目を付けるずっと以前から、早苗のことを見守っていたんだよ」

 喋り疲れたのか、神奈子はそこで言葉をいったん切った。そして、銚子から杯に何杯目かの酒を注ぎ、それをひと口に飲んだ。

「あんまり飲み過ぎない方がいいよ」と、諏訪子が言った。どことなく気の抜けた声だった。
「分かっているさ」と、神奈子もやはり力ない声で言う。
下層で秘かに準備されていた静けさが、ふいに浮き彫りになった。早苗だけはずっと黙り通していた。彼女は促すように、神奈子に目で合図をした。
「ああ、うん、どこまで話したか……そうそう、早苗の才能の話だ。だが、ここでも不都合なことが起った。その一方、お前のお兄さんは父親に似て才能がまったくなかったんだ。しかも困ったことに、どうやら父親は早苗ではなく兄の方を、神職者として世継ぎにする積りだったらしい。――私たちは頭を抱えたものだ、切実に。ただでさえ、世相の成りゆきから信仰が薄れてきているのに、この上さらに大切な氏子たちを正しい信仰から遠ざける気だろうかとね」
「父と兄が死んだ日は雨で……風が非常に強い日でしたね」と、早苗がふいに口を開いた。「しかも、予報よりも遥かに激しい、局所的な雨だったとか」
「母親は、早苗にそんなことまで教えていたのかい」と、神奈子はどこか投げやりな言い方をした。「そうだよ。察しの通りさ。お前の父と兄とがつれ立って出て行ったとき、私は紛れもない好機だと思った。だが早苗、これだけは分かって欲しい。私たちも必死だったのだ。そしてまた、これはお前の為でもあったのだよ」
「私の為……」

 その言葉を反芻したとき、早苗はやりきれなくなった。怒りよりは諦めにも近い感情が、彼女の心を失望させた。何が、私の為だったのだろうか、と。

「早苗」と、諏訪子がいつになくやさしく口を挟んだ。「確かに神奈子のやり方はいく分乱暴だし、結果的には早苗を随分と傷付けてしまったことだと思う。だが、考えてもみてくれ。才能のない嫡男が一方にあり、才能溢れる妹が一方にあるとき、どんなに血で血を洗う事態に陥るかを。そういう人間の醜い争いを私たちはいく度も目の当たりにしてきた。私たちは早苗がそんな争いに巻き込まれるのを見たくなかったんだよ」
「はぁ」と、早苗は力なく反応した。

それは一体いつの時代の話なのだろう。それは私たちの家族と何の関係があるのだろう。すべての言葉が海の向こうに住む人々の言葉と同じように、早苗の耳にむなしく響いた。それに、もし兄と自分との立場が真逆だったら、この二柱はためらいもなく私を殺したのだろうかと考えると、彼女はいっそう慄然とした。

「早苗」と、神奈子が言った。

 それが早苗には、判決を待つ罪人の覚悟の言葉のように聞こえた。もう一方の神さまは、傍聴席でわれ関せずと言わんばかりの態度に見える。でも早苗は、誰かを裁く積りなどなかった。気力もなければ、正義感もなかった。
 きれいに掃除をした積りの部屋を改めて見回したとき、それがさっきよりも却っていっそう雑然としているのを見たときに人が感ずるような、白々しいまでの馬鹿馬鹿しさが、今の彼女の心境だった。もう一度掃除をする気にはなれない。

「そうですか……。でも、今となっては仕方ないですよね」

 早苗はめっきり歳を取ったような気がした。

「分かってくれるのか。早苗、ありがとう。感謝するよ」と、神奈子は胸をほんとうに撫で下ろしたようだった。
「いえ……。答えが聞けて私も良かったです。すっきりしました。じゃあ、お休みなさい」と、早苗はそう手短に言い、寝室を兼ねた自分の部屋へと下がった。

 二柱は彼女のうしろ姿から、何も読み取ることはできなかった。


 気味の悪いくらいに寛大な裁判官が部屋を去ると、室内は不安をかき立てるように静まり返った。何度となく訪れた静けさの中でも、もっとも薄気味悪い静けさだった。
 神奈子は器用な手付きで銚子をひっくり返し、杯に最後の一杯を注いだ。そして、それを大事そうにちびちび飲みつつ、沈思黙考していた。

「そんなに思い沈むことはないさ」と、諏訪子がふいに言った。
「どうしてだい?」と、神奈子。
「賭けの勝敗はとうに着いているからさ」
「賭け?」

 わけが分からない、と神奈子は首を傾げる。が、諏訪子はそれに答えず、

「本当にここは素敵な楽園だと思うよ」と、皮肉たっぷりの口調で言った。

 相変わらず、神奈子には釈然としない。
 諏訪子は大袈裟にため息をついた。

「お前はほんとうに鈍感だね。でも、まあいいや、そこがお前の長所でもあるのだからね」

 諏訪子の表情には、見る見るうちに冷笑が広がっていく。それから、終に耐え切れないとばかりに彼女は笑いをひとしきり吐き出したあとで、興醒めした顔をしている神奈子に向って滔々と喋りはじめた。

「賭けというのは、実に簡単なことさ。早苗をこちら側に引き付けていられるかどうか、という話なんだ。何故って、もし彼女が風祝を辞め、自由の身になりたいと望めば、たちまち私たちは人間たちとの媒介を失うわけだからね。そう、本来であれば」
「じゃあ、賭けに勝ったというのは、この地で新たな信仰を得た今、もう早苗は不要だということかい?」と、神奈子は気色ばんだ。
「そうじゃないさ」と、諏訪子はそれを押し止める。「早苗には利用価値がまだまだたくさんあるよ。勝ったというのは、つまり、この楽園の地に来たとき、早苗は風祝という役割を実質的に放棄できなくなったことを意味しているんだよ。だってそうだろう? あいつは普通の高校生になることより、風祝であることを自分で選んだのだからね。そして、その恩恵をそれなりに享受している。だったら、今さらどんな理由があろうとも、その立場を棄てられるはずはないのさ。うん、人間ってのは、実に扱いやすくていい……」
「まわりに堅固な柵が張り巡らされたから、首輪は不要になったというわけか」と、神奈子は苦々しい声で言った。
「へぇ、お前にしては鋭いじゃないか。そうだよ、大当たりだよ。ご名答だ、神奈子。早苗が文句のひとつも言わずに、私たちに従ってここへ来た瞬間から、私たちは勝っているんだ。首輪がなくとも結構。負ける気づかいはないというわけ」と、諏訪子は楽しそうに言う。
「私は早苗をそんなふうに扱った積りは一度もないがな」と、神奈子が言った。
「ああ、それで結構。お前はそうやって、これまで通り早苗の親代わりみたいな顔をしてくれていればいいさ。むしろそっちの方が事ははかどるだろうからね。私は私で、思う存分やらせてもらうよ」

 可笑しみを堪え切れないとばかりに、諏訪子は歯のあいだから笑みを洩らして、盗み聞きされる気づかいもなく、声を大にして言った。

「早苗にはまず強くなってもらわないとね。それで、あの博麗神社の巫女と仲違いさせてやろう。敵陣の要地を乗っ取るのは、戦略の基本だからね。いや、まずは他の主だった連中を互いに敵対させることが先かな? 何せ皆が皆、己の自尊心と矜持と、勢力のことしか頭にない連中だからね。欲得ずくめな連中なれば、人間も神も妖怪も変わりはしない。ちょっと早苗が大きくなった程度のものだ。ああ、楽しみだよ。安穏と暮らしている連中にさ、原始的な恐怖を叩き込むってのは。私が信仰されていた時代というのはそうだった。それがふたたび実現される。幻想的で素敵な楽園は、さらにいっそう素敵な楽園となるわけだ……」――

 毛布にくるまりながら、早苗はさっきの神奈子の言葉をひたすら反芻していた。彼女の胸は今や悲しみでいっぱいになっていた。恐怖と怒りで、身体がのたうち回りそうだった。そして、すべての選択をひどく後悔していた。心はひどくかき乱され、とても眠れそうにない。
 彼女は、出立の前日に母からもらったお守りのことをふいに思い出した。押し入れにしまってある制服のポケットに、それはいつも入っていた。それは容易に見付かった。早苗は、まるで祈るように、そのお守りを両手に抱いてふたたび床へ潜った。でも、祈る神は容易に見付からなかった。この期に及んで、一体何を信頼し、何を信仰すればいいのだろうか。
 それでも早苗はすがる思いで、お守りをにぎり締めたまま、目をつむった。そうして、彼女は無意識のうちに神奈子に教えてもらった祝詞を唱えながら、何か幸せな出来事を思い出そうと努めた。そのうち、まどろみの波が来て、早苗の意識をさらった。彼女は夢へ沈み込んだ。
 
 夢はどこか憶えのあるものだった。夢の中で、早苗はヒスイ色の石を拾った。足元には、同じようにヒスイ色をした海が延々と広がっている。ふと空を見上げると、太陽さえもヒスイ色の光を放ち、空は澄んだ薄い海緑色に染まっていた。
 異様な光景に早苗は目まいがした。そして、誰に命令されたわけでもないのに、早苗はヒスイの石を、ヒスイ色をした太陽の光にかざした。すると石のヒスイ色が溢れだし、すべての視界はいっそう濃い海緑色に染まった。光に意識を奪われたのは、つかの間のことだった。
 ふと早苗がまわりを見わたすと、すべての色彩は見慣れたものへと変わっていた。空は青く、陽光は白い。海だけが変わらず海緑色に染まっている。そして、手元にあった石は、忽然と消え失せていた。でも、夢の中の早苗は、むしろそれに安堵を覚えた。肩の重荷を降ろした心地だった。穏やかな波の音がしていた。
 一人海に足を浸けたまま、早苗は、これこそが自分の望んでいた平穏無事な世界であることを、唐突に確信した。ああ、そのことに気付くまでに、どれだけ時間を要したことだろう、と彼女は嘆息まじりに思った。そうして、気分が良くなって、思わず水平線の彼方に向って大声を出した。でも声は出なかった。代わりに太陽の白い光が、さっきよりも激しさを増したような気がした。それは気の所為ではなかった。太陽の白い光が今度は早苗の視界を覆った。それが陶酔的に心地好かった。ずっと、ここにこうしていたいと思える程に。……


「そろそろ起きなさい早苗。いくらまだ授業がはじまってないからって、あなたちょっと寝過ぎよ。そんなふうじゃ、大学生活がはじまっても単位を落としてばかりで、じきに留年が決まってしまうわよ」
「は……」と、その声で早苗は目が醒めた。懐かしい声だと思った。
「どうしたの、目に涙が溜まっているみたいよ。嫌な夢でも見たのね」と、また懐かしい声。
 ほんとうに嫌な夢だと早苗は思った。そして、開きかけた眼をいったん閉じ、それからふたたびゆっくりと開いた。目の前には母の顔があった。早苗は自分の目を疑った。
「お母さん、何でいるの……?」と、思わず早苗は呟いた。
「あらあら、まだ寝ぼけているのね。顔を洗って来なさい」と、その母親はしっかりと口を開いて言った。
「何で……」

 そう言うと、ふいに早苗の両頬に、母親の手が触れた。久しく味わったことのない感触だった。記憶にある母の手の感触よりも皺が増えているのに、早苗はすぐに気付いた。

「きっと私が死ぬ夢でも見たのかしらね。だとしたら縁起でもないわ。でも大丈夫よ、早苗。私はまだ生きているし、きっと当分は死なないから。両親の方はもうどっちも年寄りだから、明日にでも死んじゃうかも知れないけど」

 母は笑いながら、かなり大胆な冗談を言った。でも早苗にとっては、すべてが冗談にしか思えなかった。彼女はひどく混乱したまま洗面所へ行った。そうして水道の蛇口を捻り、井戸水とは違いあまり清浄な肌触りではない水で顔を洗った。それでも未だ、今が夢の続きではないとは、にわかに信じられなかった。タオルで顔を拭いたあとも、早苗はしばらくぼうっとして窓の外などを眺めていた。
 そこには無数のマンションが並び、見下ろせば電線が延々と張り巡らされ、地面はことごとくアスファルトで舗装されている。太陽さえもどこか人工的に感ぜられる。
 かつて小学生のときに何度か、母方の両親の住まうこの東京郊外のマンションを訪ねたことがあったのを、早苗は今になって突然思い出した。そして、彼女は急に何かに促されるのようにして、さっきまで自分が寝ていた部屋へと駆け込んだ。
 未だ布団が敷きっぱなしになっている部屋は、けれども神社の離れ家にあった自分の部屋と、おそろしいまでに似通っていた。まるで何もかもがはじめからそこにあったかのように、すべてが自然だった。あたかもずっと以前から、早苗がここで暮らしていたかのように。彼女にはそれが逆に恐ろしく不自然だった。
 彼女は手当たり次第に机の引き出しやら本棚やらを、次々と引っかき回した。ほとんどものが昨日と変わりなかった。変わったことといえば、見慣れない大学の入学案内の冊子が机の上に置かれていたことである。
 霊夢からもらった手紙はすべて忽然と消え失せていた。彼女はそれが信じられず、何度も何度も部屋中を探し回った。でも駄目だった。彼女は呆然となった。昨日までのあの日々は、ただの夢に過ぎなかったのかと思うと、胸が締め付けられた。そうして彼女は自分の記憶を疑った。昨日までのことが単なる夢であるなら、今も頭の中に鮮明にある日々の思い出は、一体何だというのだろうか、と。
 ふと早苗は、絶望的な気持ちで本棚をあさった。すると、いくら探しても『ノルウェイの森』だけがどうしても見付からなかった。彼女は力なくその場にくずおれた。そうして、昨日までのことは、やっぱり夢ではなかったのかも知れないと、その二冊分の空白を見て思い直した。淡い確信が彼女の胸にきざした。
 それが分かると、早苗は急に寂しくなった。胸の内に文庫本とは較べようもない程の大きな空白が生まれ、そこから悲しみや喪失感が、防ぎようもなく激しく溢れてきた。彼女は枕に顔をうずめ、声を殺してひたすら泣いた。望んだものを得たと同時に、彼女は失ったものの大きさを知ったのだった。



   □



 買い物と見物を終えた早苗は、建物の七階にある喫茶店へ入った。各フロアをくまなく充たしている喧騒から逃れて、彼女はほっと深いため息をついた。ひどく神経が疲れていた。
 喧騒から遮断され、温かみのある茶色の家具で統一されている内装の店内に腰を落ち着けたとき、早苗はようやく少しだけ生き返ったような心地になった。彼女は曲木椅子に身体を沈め、注文したコーヒーが来るのを待っていた。そのあいだ、店の入口の方から聞こえて来る人々のざわめきや客寄せの声を、彼女は聞くともなしに聞いていた。まるで潮騒の音を聞くようだった。それらは遠く、むなしい。

 結局、早苗は目的のひとつだった鞄を買わなかった。目に入るものどれもがあまりに安っぽい華美さで覆われているように見えたからだ。そういうものを持ち歩くのにふさわしい年齢を、彼女は自分でも知らないうちに、とうに通り越していた。早苗はこんなところで、自分がもはや子どもではないことを思い知らされた。代わりに、彼女は黒の整髪料のほかに、茶色のものも買ってみた。見回せば、同じくらいの年齢の女性たちの多くの髪色は、黒ではなくむしろ茶色の方が多かった。それに影響されてのことだった。でも、果たして似合うだろうか。ヒスイ色の髪を持つ早苗はやや懐疑的になった。
 やがて熱いコーヒーが運ばれてきた。夏の真昼時に縁側で飲んだお茶の美味しさを知ってから、早苗は夏でも平気で熱い飲み物を口にするようになっていた。でも、できればコーヒーよりも緑茶が飲みたかった。白いカップから立ち上る季節はずれな湯気を見るたびに、彼女は霊夢のとなりで飲んだお茶の味を思い出す。それを口にすることは、もう二度とないだろう。そうして色々なことを思い出すうちに、早苗は懐かしさで胸がいっぱいになった。
 彼女はコーヒーに砂糖もミルクも入れずに飲んだ。コーヒーは後悔の味をしていた。ひどく苦かった。けれどもその苦さもやがて慣れると、いつしか苦味の中にほのかな甘みがあることが、彼女にも分かってくるだろう。とはいえ当の早苗には、まだそういうことを考える程の余裕はなかった。
 ふいに、霊夢と交わした最後の会話のことがゆくりもなく思い出された。

そのときは、それが最後の会話になるなんて、早苗は思いもしなかった。けれど、今こうして思い返してみれば、晩春の中に潜むほのかな夏の気配のように、別れの予感が漂っていたような気がする。あるいは、既に別れたあとだから、そんなふうに感じられるだけかも知れない。早苗は、自分が少々懐かしさに惑わされすぎていると思った。

 戒めの為に、彼女は苦いコーヒーを、ひと口飲んだ。……




 早苗が霊夢を訪ねたその日は、冬の冷気が鳴りをひそめ、春の穏やかさが空気いっぱいに充ちている、清々しい午後だった。桜はつぼんでいる。庭の楡はもう緑の羽根をうち広げ、涼しそうな木陰がそこかしこに落ちていた。
 早苗が縁側に顔を出すと、そこに霊夢の姿はなかった。湯飲みだけが、置き去りにされたように、ぽつんとあった。湯飲みの中は空だった。底の方にかすかに残りがあることからして、どうやらさっきまで茶が入っていたものらしい。何か用事ができて、いっとき席をはずしたのだろう。
 早苗は縁側に座り、霊夢を待つことにした。その積りだったのに、一人でいると妙に落ち着かない。隣に湯飲みだけあって、持ち主だけいないというのは、亡き人の面影を偲んでいるような心地になって、どうにも寂しい。
 残してきた母は、毎日こんな想いをしているのだろうかと、彼女はふいに考えた。そうして胸が詰まった。じっとしていると、ますますやりきれなくなりそうだった。
 一か月くらい前までは日々の瑣事に忙殺されて、母親のことはほとんど思い出すこともなかったのに、ここ数日の彼女は何事かにつけて母のことを考えては、そのたびに感傷的になった。
 おもむろに立ち上がり、早苗は誘われるように庭を散策した。すると納屋の方から物音がした。泥棒がものを漁っているような音だった。嫌な予感がして、早苗が音のする方へ慎重に足を運ぶと、見慣れた紅白の巫女装束の後姿が見えた。早苗はほっとした。
 足音に気付いた霊夢は、ふと背後を振り返った。

「あら、早苗。びっくりしたじゃない、ひと声かけてくれても」
「何をしているの……」と、早苗は思わず情けない声を出した。
「うん?」と、霊夢は罪のない表情で首を傾げた。「久々にこれを外に出していたの。蔵に仕舞いっ放しだと、カビが生えてしまうでしょ」
 そう言うと、霊夢は手に持った箱をかざして見せた。うっすらと埃に覆われているのが、春の日差しを浴びて余計に目立っていた。けれど、埃の量からして、年単位で長く仕舞い込んでいたのではないことが分かる。

 霊夢は顔をしかめながら、上ぶたをはずした。

「面ですね」と、早苗が言った。
「そう。あんたのところにもあるでしょ」と、霊夢は頷いた。
「でも、これは……」と、早苗はそのお面をよく見ると、たちどころに違和感を抱いた。

 面の総称は古楽面という。その古楽面のうち、神楽を舞う為に用いるものを神楽面といい、能を舞う際に用いるものが能面と呼ばれるのである。狂言の際には狂言面が用いられる。そうして、早苗や霊夢に馴染み深いのは、神楽面である。

「能面……、泥眼ですね」と早苗は、白い女の面をしげしげと眺めた。
「そう、泥眼ね。誰の作かはよく分からないけれど」
「でも、どうしてこれをわざわざ納屋から持ち出そうとしたのです?」
「別に他意はないわよ。ただ、何となくね……」と、霊夢はあいまいな口調になった。
「何となく?」

 すると霊夢は眉根を寄せ、少し考え込むような表情をした。そして言った。

「何ていうか、そのお面を眺めているとさ、何か色々と考え込んでしまうのよ。そしてときどき思うのよね。ああ、私ももしかしたら、知らず知らずのうちにこんな顔しているのかも知れないなってね」

 そう言われてみて、早苗は改めて箱の中に収められている面を、じっと眺め入った。
 女の面はふっくらした卵型の顔かたちに、広い額を持っている。目は重くたるみ、嫉妬の激情があかあかと静かに燃えているようにも見えれば、一方で自分の情けなさに今にも涙を流しそうにも見える。白目の部分は緑がかった金色をしており、見る者に恐怖心をかき立てるような鮮やかさが妖しくひらめいている。お歯黒を覗かせている口元は、今にも呪いの言葉を吐きかけて来そうだ。それなのに、眺めているうちに、やっぱり涙する女の口のように見える。
 早苗は言うに言われぬ感情が胸のうちに湧き上がるのを感じた。人目をはばからず泣き濡れたいと思っていながら、矜持の為に敢えて涙を見せない女の顔を、そこに見る気がした。

「それをじっと見ているとね、つり込まれそうで恐くなるの」と、霊夢がふいに横から言った。

 それで早苗ははっとしてわれに返った。

「確かに、目を離すと祟られそうな恐さはありますね」
「ううん、そうじゃないのよ」と、霊夢は首を横に振った。「私が恐いといったのは、私が無自覚なうちに溜め込んでいる色々な感情のことよ。じっと他人の前で、普段通りの顔で振る舞っていれば振る舞っている分だけ、おもてに出せない感情は溜まっていく一方だから」

 霊夢はそう言いながら、泥眼の入った箱を持ったまま縁側へと腰かけた。早苗も後に続き、隣に座った。

「難しいのはね」と、霊夢はまた話を再開した。「そういう感情と、どこで、どうやって向き合うかなの。だって、いつかはその感情、悲しみとか苛立ちとかを吐き出さなくちゃならないでしょう。放っておいたら、それこそ暗い感情の手につかまれて、ずるずると深いところまで落ちていきそうになるもの」
「それで、その面を眺めるのですか? まるで毒をもって毒を制しているみたいですね」
「そう。これを眺めているとさ。あー、私最近無理しているのかな、とか考えてしまうの。きっと知らないあいだに、この泥眼みたいに怒っているのか、泣いているのか、自分でもよく分からない顔に近付いているんだろうって」
「そして、自分では笑顔をつくれていると思い込んでいる……」
「うん」と、霊夢は頷いた。

 ふと春めいた風が心地よく流れた。
 霊夢は黙って立ち上がったかと思いきや、奥から早苗の分の湯飲みを手にして戻って来た。そして熱い茶を注いだ。早苗はそれをありがたく頂戴した。程良い苦味が幸せだった。

「あんたも気を付けなさい」と、霊夢が唐突に口を開いた。
「何がです?」と、早苗は尋ねた。
 すると、霊夢は何も言わず、ただお面の表面をこつこつと指で叩いていた。そうして、疲れたような声で呟いた。
「あんたも、私と同じような気がするから」
「顔で笑って、心で泣いて?」
「ええ。……女は辛いわ」と、霊夢は苦笑した。

 早苗が守矢神社の境内に足を踏み入れたとき、日はまだ沈み切っていなかった。日が落ちるのが遅くなったと彼女は感じた。そうして、頭の中にはさっきの霊夢との会話がまだはっきりと尾を引いていた。
 彼女は何となく、そのまま玄関戸を開けずに、足音を忍ばせながら、自宅代わりにしている社務所のまわりをぐるりと迂回して、裏庭の納屋の方へと向かった。納屋のある方面は、早苗自身の部屋に面している。だから足音を二柱に聞かれる心配はない。
 埃っぽい納屋の戸をゆっくり開け、しばしその薄暗い中に頭を突っ込むと、やがて目的のものが見付かった。霊夢のところにあったのと同じような箱である。中には面が入っているはずだ。早苗は神楽面しかまともに見たことがなかったから、自分の神社に所有してある能面のことはほとんど知らない。ただ、早苗の何代か前の神職が相当の観劇狂いで、自分でも能面を蒐集し、その為に一時期ひどく身を持ち崩して、神さまたちをもほとほと困らせたことがあったということを、当の神さまから聞いていたに過ぎなかった。だから、早苗は実際に所有している面を見るのははじめてだった。
 彼女は箱のひとつをおそるおそる開いた。そして慄然とした。箱の中身はよりにもよって「小町老女」だった。
 小町老女は、絶世の美女にして六歌仙の一人、小野小町の晩年の顔をかたどったものである。時の流れと様々な苦悩にさらされて、かつての美しい顔は見る影もなく皺だらけである。けれど、細く垂れ下がった目尻などから、かすかに美女だったころの面影が感ぜられないでもない。口は乞食みたいに哀れっぽく開けられている。
 面は諦めと悲しみをたたえている。同時に、若かりし時代を懐かしむような憧憬の色も見え、しかもその奥では老醜への受容がしっかりと根を張っているのが見て取れる。
 その面は老いの醜さと、哀れさと、そして美しさとをすべて体現していた。
 早苗は、哀れな老婆の顔を見ているうちに、幼い頃、祖母が枕元でしてくれた物語を思い出した。その物語は彼女の記憶の中で、未だ鮮明さを失ってはいなかった。なぜなら、世にも美しい歌人である小町が、年老いて見るも無残な姿に変わり果てる話は、幼い早苗がもっとも嫌った話のひとつだったからだ。

 若く美しい小町は言い寄る男たちにすげなくするうちに、やがて美貌は老いによって失われ、終には百歳の高齢にして乞食となり、放浪生活を強いられる。その果てに小町は、若きころに百夜通いをしてまで彼女に求婚し、報われずに悲嘆の中で死んだ深草少将の霊にとり憑かれる。そして、少将がかつて味わった地獄をわれとわが身に受けながら、良心の呵責と後悔との中で、小町は凄絶な最期を遂げる。

 美しい過去にすがり、その美しい過去の亡霊と後悔とに憑かれて死んだ小町の物語は、後悔のかたちは違えども、今の早苗にとっては切実なものに感じられた。
 仕方ない、と自分を偽り続けた果ての姿を、彼女は目の前に見る気がした。いや、もう既に、自分はこんな表情をしているのかも知れない。そう思いながら、彼女はなおもしばらく小町老女をじっと見ていた。自分の運命と、偽り続けてきた想いとを見ていた。
 やがて彼女はおもむろに箱にふたをして、面をそっと納屋に戻した。そして、庭から表玄関のある境内の方へと戻った。玉砂利が哀れな音を立てた。


 ふと、早苗は空を見上げた。
 春めいた夕空は、胸に秘めた恋慕の情がかき立てる甘い疼きにも似た、淡い仄かなすみれ色に滲んでいた。そうして、あかあかと燃える落日が、遠くまでつらなる峰々を翳らせている様は絵画的であり、けれども地平線の彼方でじっと息を潜めている藍色の宵闇は、早くもこの美しい光景の終わりを予感させている。……
 彼女はまばたきひとつすることなく、その光景に見入っていた。まばたきをすれば、たちまち眼前の光景のすべてが泡と消えてしまいそうなはかなさが、彼女をとらえて離さなかった。
 突然、早苗は大きく深呼吸をした。すみれ色の清浄な空気が、肺に充ちるのを感じた。胸がすみれ色でいっぱいになった。そうして、彼女は頭が今までになく澄みわたるのを感じた。思えば、早苗はいつも恒久的なかたちでの幸せを望んできた。でも、それは終に一度も叶わなかった。けれども今の彼女にはその理由が分かる気がする。
 幸せも、人も、何もかも、このすみれ色の空のように時が移ろうにつれて、やがては変化してしまうものなのだ。そう思ったとき、彼女の中にひとつの決意が生まれた。
 出立の前日、神奈子に訊こうとして、終に臆病さから質問しなかったことを、早苗は秘かに引きずっていた。訊けば、何か嫌な事態に陥る予感はあった。それでも、訊かなければならない。それに、彼女の予感が正しければ、父と兄は偶然に死んだのではないはずだった。……あの悪意に充ちた風が彼女の耳にふいによみがえってきた。
 やがて早苗は口をきつく結んで、玄関戸をゆっくりと開けた。
 その背後で、空は既に暗くなっていた。……


 ……そうして、今ここでコーヒーを飲むにまで至ったのも、自分が選んだことの結果であると、早苗は充分に知っている。でも、今の彼女には自身の顔が、「小町老女」のような表情になっているのではないか、という懸念をぬぐい去ることはできなかった。追憶はいまだ早苗の胸を焦がしていた。
 そのコーヒーもやがて飲み終わり、彼女はお金をはらって店を出た。

 エスカレーターに乗り、フロアを降りていく最中、彼女はずっとあの幻想に充たされた小世界のことを考えないわけにはいかなかった。それは今でも、彼女にとって夢のような現実だったから。そうして、それが完全に夢でないとは言い切れない。
 どうしてか、今日に限って記憶は、早苗の胸に疼くような不安を与えていた。まるで何か得体の知れない声に誘われているようだった。
 彼女はそれに従いたい欲求を感じた。甘美な誘惑だった。それに、夢と現実が記憶の中でこんなにまでに近しい間柄にあるのだから、その境界をふたたび越えることは、彼女には容易なことに思える。けれど一方で迷いもあった。自分の選択を反古にしてしまうことへの迷いである。
 もう一度、夢に身をゆだねたい欲求と現実とのあいだで、彼女は苦悶していた。そうこうしているうちに、エスカレーターは彼女を一階へと運んでいく。
 ふと、開け放たれた建物の出入り口から、かすかな光が洩れ出ているように見えた。彼女はそこに確信を見た。夢みたいな奇蹟への確信を。さっきまで早苗の胸を苦しめていたためらいも、今は消えていた。

 彼女はその目に見、その耳に聞く気がした。あの建物のしきいを跨いだとき、霊夢がひと言、「おかえり」と声をかけてくれる姿を。早苗には、朱色の鳥居越しに見る青空が、すぐそこに迫っている気がした。そうして、夏風が偲ばれる。
 心臓が鳴っていた。誘惑に心はよろめきそうだった。けれど早苗の足取りは確かだった。もう一度、あの場所へ行くのだ、という想いが彼女を突き動かしていた。でも、あの場所にも名前があったはずだ。そう、名前が。
 ふと早苗はうろたえた。その名と記憶が、彼女をその場所と結び付けてくれるはずなのに、名前が思い出せない。そうするうちに、さっきまで確かだった記憶も、まるで指から砂がこぼれるように消えていく。早苗はその記憶を必死にとどめようとする。むしろさらに奥深くに踏み入ろうとする。けれども思い出そうとするたびに、記憶は彼女を拒む。そして記憶は抜け落ちていく。そのせめぎ合いに、早苗は頭痛を覚えた。
 それでも彼女の足は入口へと向かう。彼女の心と無関係に、足だけが確乎として動く。入口が近付く。早苗は焦った。焦るにつれ、頭の痛みがますますひどくなる。何か警鐘のような痛みが反復される。それは彼女の記憶の探求をいっそう阻む。だが彼女は進む。足の歩みと同様、記憶のもっとも深いところを踏査する。……でも、何故こんなことを?
 疑念は無駄になる。ただ一念のみがある。名前を思い出さないといけない。その場所の名を。ふたたびそこへ行く為に!
 扉が近付く。記憶は錯綜し、混迷をきわめる。
 頭痛はひどくなる。目まいがする。
 
 早苗はもはや祈らんばかりだった。

 霊夢にもう一度会いたい。もう一度だけでいいから。


 願わくば、……もう一度、奇蹟が起きてくれれば……




 ――彼女の目に光が飛び込んだ。……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………












































































 

















 ……早苗の目の前には、東京の狭い青空が広がっていた。

 目まいを起こすような眩惑も、とうに消えていた。彼女は取り残されたような気持ちになった。ふと、上を見上げると冴え冴えとした青空を区切るように、ひと筋の飛行機雲が走っていた。それが白い蛇の尾に見えた。早苗はそれをしばらく眺めていた。まるで手を伸ばしても決して届くことのない幻想を夢見るかのように。……
 けれど、彼女の心からは少しだけ後悔が消えていた。なぜならこの境遇を望んだのは、ほかならない自分なのだから、と彼女は自分にそう言い聞かせた。そうして、もう二度と空を見上げなかった。
 まわりの人たちの歩調は、相変わらず早い。いや、それだけではない。車の速度も建物が壊され、新しくつくられる速度も、何もかもが目まぐるしい。

 この街は、思い出を振り返り、懐かしむにはちょっとばかりすべてのものが早すぎた。

 早苗はその速度に自分の歩調をしっかりと合わせていた。彼女はその速度に慣れることが何よりも大事なことだと自覚していた。でも、それらはいずれ時が解決してくれるだろう。霊夢や二柱の思い出が、今よりもずっと遠ざかってしまうことと引き換えに。
 けれども、早苗はもうこだわらなかった。あと数年して、夢のような記憶が、指のあいだから砂粒みたいにすっかり零れ落ちてしまっていたとしても、彼女は後悔しない積りでいた。もう夢にすがって生きてはいけないから。

 早苗は気分を変える為に、美容院へ行くことを思い付いた。髪を切れば、ちょっとでも気が変わるかも知れない、と思ったからだ。それに彼女は未練と決別したかった。
 iPhoneで付近の美容院を検索しているうちに、夏休みがまだ半月ばかり残っていることに思い当った。早苗は休暇に入ってひと月ばかり、高校時代の勉強の遅れを取り戻す為に来る日も来る日も勉強ばかりしていたのだ。
 それでも、せっかくの休みを勉強に潰してしまうにはもったいない気がした。でも、今さら何をしたものだろう。彼女ははたと途方に暮れてしまった。
 ふいに涼しい風が吹き、早苗の髪をゆらした。ああ、そうだ、海へ行こう、と彼女はそう心に決めた。たちまちよみがえった幼い頃のささやかな思い出が彼女を慰めた。それに、色々なものを失ってしまったけれど、もしかしたら、また海の神さまには会えるかも知れない。その考えは彼女を少しだけ慰めてくれた。

 ああ、それでも、まだ、やっぱり……。

 彼女の中にはなおも苦悩があった。でも、その苦悩は、膨大な群衆をも呑み込み、しかも誰ひとりに対してさえ一顧だにしないこの街の中では、限りなく些細なものだった。
 突然、日差しがいっそう強くなったように思われた。早苗は白昼夢に遭ったように小さくよろめいた。見知らない人が早苗の横を早足で通過しながら、舌打ち混じりに小さく呟いた。

「くそっ、のろのろ歩きやがって。邪魔くせぇ」
 
 その雑言はしばらくのあいだ、早苗の耳に残って離れなかった。
 


東京の夏は、まだ当分続きそうだった。……


最後まで読了して頂いた読者の皆様、ありがとうございました。
おるふぇ
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コメント



0.690簡易評価
2.無評価名前が無い程度の能力削除
i-phonじゃなくiPhoneじゃないですか?
10.100愚迂多良童子削除
どうやって早苗は現実に戻って来たんだろう・・・その間約三年の間、母親の記憶はどうなっているんだろうか。何かしら別の記憶で埋められているのか。
ひょっとすると、ベッドの中での祝詞に二柱が応えたのかな。諏訪子の台詞は、早苗を自らの意思で現実に帰すために、敢えてああ言う悪どいことを聞かせたんじゃないかと思った。家族を奪ってまで早苗を幻想郷に連れて来た罪悪感がそうさせたんじゃないか、とか。幻想郷で信仰を得て、早苗を風祝として縛り付けておく必要も、もうありませんし。
個人的にはもう少しだけ、早苗と霊夢が親しくしている描写があると猶良かったです。
1Q84を読んで、どうにも合わないと感じて倦厭していましたがノルウェイの森だけでも取り敢えず読んでみようかな・・・

>>足元をすくわれるさ
足を
>>「老女小町」
ここだけ小町老女じゃなく老女小町になっています。
どちらが正しいのかは分かりませんが、特別な意図が無い限り表記は統一されたほうが良いかと思います。
12.90名前が無い程度の能力削除
これは早苗の決断の物語なんだなと思いました。
「楽」を失った園にそれでも留まるのか、あるいは現に戻るのか。
きっとどちらにしてもつらい思いをしていくのでしょう。
それでも自ら結論を出した早苗に、私は深く祈ろうと思うのです。
13.100名前が無い程度の能力削除
悲しいお話でした。
14.90可南削除
早苗は楽園から追放されたのでしょうか。もしくは。ある種の複楽園の話なのかもしれません。
抜け落ちていた場面に色々と考えさせられる作品だと思いました。
面白かったです。ありがとうございました。
15.無評価名前が無い程度の能力削除
もう一度ゆっくり読み直しますね。それから評価させてください。
そそわで、「かしらん」なんて言葉は初めて見ました。ちょっとテンションあがりました。
「失楽園」なんて題名でハッピーエンドじゃないだろうなと思ってましたが、やっぱり。
16.100とーなす削除
いろいろ考えさせてくれる話でした。

早苗さんに対する、微に入り細を穿つ描写が良かった。丁寧に一つずつ、早苗さんの成長し、変化していく環境と思考が描かれていて、それゆえに物語にすっと入っていくことができました。もちろん、早苗さんが、現代社会を生きるわたしたちに近い存在として描かれている所為もありましたが。
17.100夜空削除
この物語を読んで突きつけられたものはなんだろう?と考えた時に、たぶん自分だったら「無常」と答えてしまいそうです
もはや早苗には産まれた最初から一切の夢や希望の類すら用意されていない=それが今生きてるこの現代として突きつけられたような……。
前編からすでになぜかうしろめたく、どこか罪を背負って引きずって歩いてる感じが、作中の小説を書いたかの人の世界観かと思いました
あの読んだ後、脱力感と言うか虚無感みたいな、何にも残らない、置いてけぼり、どうしたらいいのと問うても、何も応えてくれない
正直途方にくれてしまいます。失われた幸せが幻想なんて絶望、すてきだと思います。とても素晴らしい作品を本当にありがとうございました
21.90四四四削除
人はどこかに所属する事を強いられていると思います
二つの世界、どちらにも所属できそうにない早苗にとって、楽園があったかと言われると否
でも、神の真の姿を知らなければ、幻想郷は楽園に見えていたかもしれません
現実に戻った早苗が見るものは幻想郷よりも汚いものなんでしょうね
早苗があちらに行く話の中でも独自の観点から掘り下げられていて面白かったです

気になった部分としては、早苗自身を掘り下げる話であるのに、早苗の感情が直に読み手へと伝わってこないままに淡々と進んでいく事
人間らしい苦悩を訴える上で、やっぱり感情が伴わないのは勿体無いなと
綺麗すぎる文はある意味で味気ないのかもしれません

長文失礼いたしました
22.70非現実世界に棲む者削除
「失楽園」の意味が漸くわかりました。
それにしても個人的にすごく悲しいお話です。
これから霊夢との他愛ない会話がつづくのかなーと思ったらいきなり外の世界へシフトしてしかも霊夢や二柱との思い出が消えてしまうだなんて・・・。
もうやりきれない気持ちでいっぱいになりました。 ←(作者への批判ではないです)
色々と思うところがある慈愛に満ちた作品だったと思います。
長文失礼いたしました。
23.100名前が無い程度の能力削除
こういう話もいいね。
読めることができて良かった。ごちそうさま
28.100R巡音削除
これが早苗さんのトゥルーエンドだとしか思えなくなった……
伏線もしっかり回収、凄く良い作品でした!
29.100終身名誉東方愚民削除
なんと言うか自分まで喪失感に溢れる作品でした。今思えば全体的に早苗の内面をどこか遠巻きに客観的に見ているようなのは、
彼女の内面が定まってないというか、迷いがあったからなのかなと思いました。とはいえ、最後は生きる世界と在り方を決めることができたのですから、色々思うところはありますが、一先ず彼女にとってはこれから先後悔しない限りはいい事だったのかなと思いました。
霊夢が早苗の母と同じく再開をほのめかすような事を言っていたのが気になる…もしかしてまだこれは最後の結論でないとか?
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辛いです。環境が変わっても、幸せを感じ取れないことがなんとも……
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祖母以上の拠り所のなかった早苗が、神様然として己のため巧みに早苗の必要性を説いてくる神奈子ではなく、その身を案じてくれた諏訪子の一言で幻想郷へ行くと決断するシーンで泣いてしまった
後編で諏訪子の真意が明らかになったものの、あれはある種「一貫した破滅願望」であって、前編で「私たちは消えるさだめにある」と言ったのは早苗の善意や同情心に訴えかけるような打算的なものではなかったように思う

「お前たちは間違った選択をした」ということをどうしても伝えずにはいられないとき、人がその「間違った選択」を半ば自暴自棄的に、より過剰に遂行することで非難とするように、諏訪子もまた、「今更早苗の身を案じているような面してる偽善的なクソ野郎」と「何が正しいか、何が幸せかもろくすっぽ考えず重大な決断を下してしまった馬鹿」に対しそういった面を出さずにはいられなかったのではないか
そう思えてならない