春は私の右側面を強打した。
もう少しだけ詳しく説明すれば、大学に入学したての頃、私が交差点を渡っている時に右側からものすごい速さで春が飛び込んできたのだ。
春に思いっきりぶつかった私は、折り重なるように倒れこんだ。
痛たたた……
少しクラクラしつつ相手を確認すると、私の上にのっかっているのはどうやら人間らしい。
もぞもぞと動いたその人物は私と目が合うや否や、ブロンドの髪を整えつつ飛び起き、水飲み鳥のように何度も頭を下げた。
「ごめんなさい!本当にごめんなさい!急いでいたもので……っと、というわけで失礼します!」
春の嵐は一瞬で過ぎ去った。声をかける暇さえなかった。私は走り去る背中を唖然と見つめる事しかできなかった。
もちろん春とは我が相棒、マエリベリー=ハーン。これが私とメリーの出会いであり、秘封倶楽部の始まりである。
ここで彼女を春と呼んだのには理由がある。
私の高校生活は、ここで語ることを良しとしないほど悲惨なものだった。
なぜあんなことになってしまったのだろうか。いや、理由を知ることができたら幾分か楽だったのかもしれない。
そんな私にとって、大学とは救いの最終手段ともいえた。
大学へ行けばきっと私は…….
そんな私の毎日に、メリーが飛び込んできたのだ。
彼女と出会ってから世界は変わった。18年目にやっと、やっと迎えた春だった。
秘封倶楽部としての毎日は目が回るほど忙しかった。
メリーと一緒に上品蓮台寺を探索し、メリーと一緒に幻想郷について話し、メリーと一緒にヒロシゲで東へ、メリーと一緒に月面旅行について語り、メリーと一緒に衛星トリフネに、メリーと一緒に善光寺へ――
過去と比べて、忙しすぎる毎日となった。
それでも楽しかった。今が人生の絶頂。そう言える確信があった。
よかった。メリーと出会えて、本当によかった。
あの日から幾度の春と夏と秋と冬が過ぎ、4回生として正月を迎えた。
今年の新春も、私の家にて二人で過ごした。
1月3日の昼にメリーは自宅へ帰ることになった。帰り際に玄関まで見送る。
次の春から私は院生として大学に残る。メリーは社会人となるらしい。
つまり、これが大学生の秘封倶楽部として迎える最後の正月である。
そう思いつつ靴を履いているメリーの姿を見ると、もう二度と会えないのではないかと錯覚した。
「メリー、次のサークル活動はいつにしようか。」
「え、普段は決めてないのに急にどうしたの。」
こういう時はボロがでる。
「いや、えっと、そうね。また面白そうなことがあったら呼ぶわ。」
「じゃあまた。」
メリーがドアに手をかける――
「ねえ。」
不意に声が出た。震えていたかもしれない。それを隠すために矢継ぎ早に次の言葉を。
「秘封倶楽部は、今年で終わりなのかな。」
少しの沈黙。まさかここで終わりを告げられるのではないか。私は少し狼狽したが、メリーは戸を閉じて私に正対し、ニコリと私に微笑んでいた。
「なに言ってんの。この世にオカルトが存在する限り秘封倶楽部は永久に不滅だわ!私と蓮子の距離が遠くなっても、ずっとね。」
期待してた通りの言葉。
それでも、心の霧がすっきり晴れるようだった。
「そ、そうよね。なに感傷的になっちゃてるんだろ私。じゃあ、また。」
そうだ。秘封倶楽部は解散することなんてない。永遠に。
私はマエリベリー=ハーンに依存してしまっているのかもしれない。いや、それでもいい。
依存してようが、メリーさえいればもうそれだけでいい。
毎日が楽しいのだ。毎日が輝くのだ。メリーさえいればそれだけで。
もう二度と昔のようになりたくない。
遠ざかる背中を見つめつつ、私はメリーにそっと手を伸ばした。
患者Uは4年前に〝ここ〞へ移された。
曰く、大学1回生の春に交差点を渡っている途中、右方向からトラックにはねられ全身を強打。命に別状は無かったが昏睡状態が続いた。
当日の内に京都警視庁が事故現場で〝結界暴き〞の痕跡を発見。国は即座に彼女を保護観察下に置いた。
事故から四日目の夕方に意識を回復。が、人の呼びかけに反応しない、独り言をたびたび呟く、一人しかいない独房で歩き回る、などおかしな行動を繰り返すように。
当時の記録には「境界に接触したことによる狂人化」と残っているが、これらの行動は今でも続いている。
結局彼女は、この事故を表舞台から隠すために、また結界についての重要な観察対象として、〝ここ〞つまりは長野のサナトリウムへ移送されたのだ。
入院当日からの彼女の様子は我々職員によって記録されている。
特に虚言に関する記録はその内容の濃さから詳しく記してある。
上品蓮台寺を探索し、ゲンソウキョウについて話し、ヒロシゲで東へ、月面旅行について語り、衛星トリフネに、善光寺――
これらの一見無関係に聞こえる独り言の数々は1つだけ繋ぎとめる人物があった。
「マエリベリー=ハーン」
職員はその人物を調べ、探し続けた。だが、彼女の親類にも、大学にも、それどころか京都の住民名簿にも、その人と思しき人物は存在しておらず……。
正体は、4年経った今でも未だ謎である。
目覚しが鳴る。深夜2時、院内巡回の当番の時間だ。
病院内の地下の最奥部。湿気でひんやりとしたそこに、彼女の窓の無い薄暗い病室がある。
覗き窓から中を覗くと、彼女は何も無い空間へ手を伸ばしていた。
彼女の眼には何が映っているのだろうか。マエリベリー=ハーンがそこにはいるのだろうか。
天井から吊るされた白熱電球に、病的に荒れた黒髪と、骨と皮だけの腕は照らされ、影は揺れていた。
いつか彼女の異常行動は無くなるのだろうか。もし無くなったとしても彼女はどうなるのか。
それは、末端である我々に知る由も無い。
こういう不条理ものもいいですね。Uの今後が気になります。
起きて絶望するのか、また精神世界?で4年間をループさせるのか。
メリーはもしやイマジナリーコンパニオン?
彼女は何のために現れたのか。
凄くオカルトチックな作品でした。
上の方もおっしゃってますが、これは長編にもってこいの題材だと思います。次回も楽しみにしています。
前半と後半があまりにも関係なさすぎるので、前半に伏線を張ると良いと思います。
次作品に期待してます。
もう少し深く長く出来る可能性のあるお話ですが、今回の長さでも色々考えれて面白かったです。
どうでもいいですが冒頭が伊坂幸太郎氏の重力ピエロの冒頭と被って見てえたのは私だけでしょうか。
と書いたらコメ1さんが既に指摘されていましたね。