視界が赤に染まったのち、青を経て紫色へと移っていく。
あぁ、次は何色に変わるんだ?
そんなのんきなことを考えるのは脳が起こした防衛反応由来の現実逃避なのだろう。数瞬後にやってくる痛みと衝撃を想像しないための。
「ニ時間で十万のバイト?」
「そうそう。気になるか?」
友人はいかにも聞いて欲しそうな顔でこちらの返答を待っている。癪に触るがたしかに気になる内容だったので勿体ぶらず早く教えろ、と返した。
「最近出ただろ?完全自動運転車。あれに乗って指定された場所を回るだけでいいんだとさ。その上なにか事故が起きれば追加で報酬が貰えるらしい」
「ちなみに依頼主はメーカーとは一切関わり無し」
うさんくさすぎる・・・それって何かの隠語なんじゃないか?
「だからお前に行ってみて欲しいんじゃないか。どうせ今も金欠なんだろ?」
好奇心と金銭への欲求で安易に動くのはやめておけばよかった。そう思わせるのに十分な痛みが私を襲う。
どうやらこの車はガードレールを突き破り崖下まで落ちたようだ。ショックで未だに目がチカチカする。身体は鉄で殴られ続けているように痛い。
それに加えて妙なものまで見てしまった。依頼主に連絡しなければ。
そう思い携帯電話を取り出すと同時に友人から電話がかかってきた。
「お、どうだ調子は。言い忘れたけどその場所出るらしいぜ。幽霊?違う違う、赤いオーブみたいなやつらしい」
今しがたそれらしきものを見た挙句事故ったことを伝えると友人はそれ以降ずっと笑って話にならなかった。
怪奇現象などまるで信じていなかったが実際に見てしまうと自分の脳みその出来を疑うか今までの常識を捨てるかの二択を迫られるのだから恐ろしい。
そしてその二択から逃れる方法があるとしたら理屈を捏ねて理由をつけるか忘れることだけだろう。
だから私もそうして安心を得ることにした。
先ほどの赤いオーブはただの・・・そう光の加減や機器の乱れを引き起こす太陽風やらが関わってるに違いない。
それなら他の人間が見ていることも納得ができる。これで良い。
依頼主にも電話をかけると開口一番、正確な現在地を聞かれたのでアプリで調べそれに答えた。
するとわかりました、帰りは気をつけてくださいとそのまま切られてしまった。まるで事故の詳細の話を拒むように。
疑念と不信感が募ったがとにかくこんな場所では助けすら呼べないので鬱蒼とした森を歩き、道を探すことにした。
森は異世界。よく聞く例えだ。
昔から暗い森には形容できない何かを感じていた。昼でも夜のようなこの場所を一種の異世界と呼ぶのは良い例えだと思う。
ただ、そんな中で一つ、余計に目につくものがあった。蠢く薄い影のようなものがあちらこちらに見えるのだ。
頭を打って目が少しおかしくなっているのかもしれない。
不気味ではあるがじきに治るだろう、と意識から外した。
そのまま余計な事を考えないようにしながら森を歩いていると人工物らしき物が見えた。
神社だ。かなり古いものだろう。使われた材木の様子がそれを物語っている。
しかし、ここしばらくは手入れされてないようにも見えた。それでも目印としてはいいかもしれない。
そう思い携帯電話を取り出し地図を確認した・・・のだが圏外だった。
これではまるで意味がない。
かといってすぐに歩き出す気分にはなれなかった。
それなら少し休憩をしよう。
境内の中へと踏み入り、賽銭箱に小銭を投げ入れる。場所代がわりだ。
そして拝殿前の石段に腰をかける。ひんやりとしていてずいぶんと気持ちが良かった。
十数分後、そろそろ行こうかと立ち上がろうとした時、私はあるものに気づいた。
神社から見える景色の一部に“綻び”が見えたのだ。それはカメラレンズの歪みのようだった。
近づいて確かめてみたい。そう思ってしまった。
その綻びには触れることが出来た。だから私は底の見えないその隙間を広げ、探ってしまった。
“眼“があった。
こちらを覗く”赤い眼“が。
私は恐怖を感じるより早く飛び跳ね、後退りした。まるで錯視が解けたように視界が切り替わっていく。あの綻びの隙間だけではない。
それらは元から木々の影に、神社の軒下に、私の背後に、あらゆる隙間に存在していたのだ。
そう。あのオーブのような何かも。
それは石の影で蠢く蟲達よりも遥かに悍ましく、耐え難い嫌悪感を私の腹の底から引き摺り出した。
今までとはまるで違う、論理など組み立てられない漠然とした恐怖がぬらりと私を包んでくる。
眼が、幾千の血走った眼が私を視ている!いや、違う!”私が“視ているのだ。このもはや自分の物とも思えぬ忌まわしい眼で!
私は無様に、不合理に全身の筋肉を弛緩させ地に伏した。
そしてゆっくりと、厭になるほど優しく瞳の中の更に恐ろしいモノに手を引かれていた、その時だった。
鈴の音を鳴らすような、声が聴こえた。
「嬉しいわ。まだこんなに怯える人間がいるなんて。でも・・・ただの人間が結界暴きなんて感心しません」
鈴がまたコロリ、と
「知っているでしょう?幻視よりも幻聴が先ということを。耳は閉じることが出来ない」
彼女は元からそこに居たかのように目の前で佇んでいた。金色の光をその髪に携えて。
「その瞳、差し上げますわ」
意識が、途切れた。
気づいた時には私は地べたに転がり、消えゆく夕日と古い街灯の光に照らされていた。もはや混乱する気力すら残っていない。
縋るように携帯電話を取り出すと地獄に仏か、電波が繋がっていたので友人に助けを求めることが出来た。
時計は午後五時を指している。
友人は怪しい仕事を紹介して後ろめたい気分もあったのかすぐに来てくれた。そして何も聞いてはこなかった。
見知った街まで送ってもらった私は報告と報酬の受け取りに向かうことにした。指定された日時をとうに過ぎ、車すら無くなってしまったが。
それでもこんな目に遭ってただ働きだけは受け入れがたく、すぐにでも現金を受け取り自分を納得させたかった。
指定の場所は公共の建物のように小綺麗な建物だった。
担当者は私の引き攣った顔を見るとまるでそれで確認は済んだとばかりに報酬の入った封筒を指差し手に持った機器で何やら打ち込み去っていった。
会話すらさせないのか。
すれ違いざまに覗き込んだその画面にはK局宛てとだけ書かれていた。
手にしたその封筒は想像よりもずっと重く、かえってそれが私の不安を掻き立てた。
臭い。胡散臭い。
私は一体、何をやらされたんだ?
自動車メーカーが試験運転のために依頼したわけでもなく、なぜあの場所を見回らせたのかも自動運転車である必要も全てが覆い隠されて分からない。あの土地は一体どういう場所なんだ?私が見た、恐ろしい目は、あの少女は?
考えるほどに深まる疑念と恐怖を抱えながら帰路につく。妖しげな紫の空、電柱の影、揺れる木々。全てが不気味で不吉に見えた。
そして家に着いてからも、あの少女の事を友人にも依頼主にも話さなかったことは正しかったのかという考えが頭から離れなかった。
そうして吐き出すことで楽になれたのでは無いだろうか。
しかしそれを考えるたびにあの娘の笑みが頭をよぎり、そして私は気づいた。
どこまでも不吉でどこまでも美しかったのだ。あの少女が。あの笑みが。だから私は誰にも話そうとしなかったのだ。
忌まわしい不安と恐怖を抱えたままいつもより早くベッドに横たわり瞼を閉じる。
閉じていくその視界の端には蠢く、ものが
ーーーその瞳、差し上げますわ
夜はもう降りきっていた。
あぁ、次は何色に変わるんだ?
そんなのんきなことを考えるのは脳が起こした防衛反応由来の現実逃避なのだろう。数瞬後にやってくる痛みと衝撃を想像しないための。
「ニ時間で十万のバイト?」
「そうそう。気になるか?」
友人はいかにも聞いて欲しそうな顔でこちらの返答を待っている。癪に触るがたしかに気になる内容だったので勿体ぶらず早く教えろ、と返した。
「最近出ただろ?完全自動運転車。あれに乗って指定された場所を回るだけでいいんだとさ。その上なにか事故が起きれば追加で報酬が貰えるらしい」
「ちなみに依頼主はメーカーとは一切関わり無し」
うさんくさすぎる・・・それって何かの隠語なんじゃないか?
「だからお前に行ってみて欲しいんじゃないか。どうせ今も金欠なんだろ?」
好奇心と金銭への欲求で安易に動くのはやめておけばよかった。そう思わせるのに十分な痛みが私を襲う。
どうやらこの車はガードレールを突き破り崖下まで落ちたようだ。ショックで未だに目がチカチカする。身体は鉄で殴られ続けているように痛い。
それに加えて妙なものまで見てしまった。依頼主に連絡しなければ。
そう思い携帯電話を取り出すと同時に友人から電話がかかってきた。
「お、どうだ調子は。言い忘れたけどその場所出るらしいぜ。幽霊?違う違う、赤いオーブみたいなやつらしい」
今しがたそれらしきものを見た挙句事故ったことを伝えると友人はそれ以降ずっと笑って話にならなかった。
怪奇現象などまるで信じていなかったが実際に見てしまうと自分の脳みその出来を疑うか今までの常識を捨てるかの二択を迫られるのだから恐ろしい。
そしてその二択から逃れる方法があるとしたら理屈を捏ねて理由をつけるか忘れることだけだろう。
だから私もそうして安心を得ることにした。
先ほどの赤いオーブはただの・・・そう光の加減や機器の乱れを引き起こす太陽風やらが関わってるに違いない。
それなら他の人間が見ていることも納得ができる。これで良い。
依頼主にも電話をかけると開口一番、正確な現在地を聞かれたのでアプリで調べそれに答えた。
するとわかりました、帰りは気をつけてくださいとそのまま切られてしまった。まるで事故の詳細の話を拒むように。
疑念と不信感が募ったがとにかくこんな場所では助けすら呼べないので鬱蒼とした森を歩き、道を探すことにした。
森は異世界。よく聞く例えだ。
昔から暗い森には形容できない何かを感じていた。昼でも夜のようなこの場所を一種の異世界と呼ぶのは良い例えだと思う。
ただ、そんな中で一つ、余計に目につくものがあった。蠢く薄い影のようなものがあちらこちらに見えるのだ。
頭を打って目が少しおかしくなっているのかもしれない。
不気味ではあるがじきに治るだろう、と意識から外した。
そのまま余計な事を考えないようにしながら森を歩いていると人工物らしき物が見えた。
神社だ。かなり古いものだろう。使われた材木の様子がそれを物語っている。
しかし、ここしばらくは手入れされてないようにも見えた。それでも目印としてはいいかもしれない。
そう思い携帯電話を取り出し地図を確認した・・・のだが圏外だった。
これではまるで意味がない。
かといってすぐに歩き出す気分にはなれなかった。
それなら少し休憩をしよう。
境内の中へと踏み入り、賽銭箱に小銭を投げ入れる。場所代がわりだ。
そして拝殿前の石段に腰をかける。ひんやりとしていてずいぶんと気持ちが良かった。
十数分後、そろそろ行こうかと立ち上がろうとした時、私はあるものに気づいた。
神社から見える景色の一部に“綻び”が見えたのだ。それはカメラレンズの歪みのようだった。
近づいて確かめてみたい。そう思ってしまった。
その綻びには触れることが出来た。だから私は底の見えないその隙間を広げ、探ってしまった。
“眼“があった。
こちらを覗く”赤い眼“が。
私は恐怖を感じるより早く飛び跳ね、後退りした。まるで錯視が解けたように視界が切り替わっていく。あの綻びの隙間だけではない。
それらは元から木々の影に、神社の軒下に、私の背後に、あらゆる隙間に存在していたのだ。
そう。あのオーブのような何かも。
それは石の影で蠢く蟲達よりも遥かに悍ましく、耐え難い嫌悪感を私の腹の底から引き摺り出した。
今までとはまるで違う、論理など組み立てられない漠然とした恐怖がぬらりと私を包んでくる。
眼が、幾千の血走った眼が私を視ている!いや、違う!”私が“視ているのだ。このもはや自分の物とも思えぬ忌まわしい眼で!
私は無様に、不合理に全身の筋肉を弛緩させ地に伏した。
そしてゆっくりと、厭になるほど優しく瞳の中の更に恐ろしいモノに手を引かれていた、その時だった。
鈴の音を鳴らすような、声が聴こえた。
「嬉しいわ。まだこんなに怯える人間がいるなんて。でも・・・ただの人間が結界暴きなんて感心しません」
鈴がまたコロリ、と
「知っているでしょう?幻視よりも幻聴が先ということを。耳は閉じることが出来ない」
彼女は元からそこに居たかのように目の前で佇んでいた。金色の光をその髪に携えて。
「その瞳、差し上げますわ」
意識が、途切れた。
気づいた時には私は地べたに転がり、消えゆく夕日と古い街灯の光に照らされていた。もはや混乱する気力すら残っていない。
縋るように携帯電話を取り出すと地獄に仏か、電波が繋がっていたので友人に助けを求めることが出来た。
時計は午後五時を指している。
友人は怪しい仕事を紹介して後ろめたい気分もあったのかすぐに来てくれた。そして何も聞いてはこなかった。
見知った街まで送ってもらった私は報告と報酬の受け取りに向かうことにした。指定された日時をとうに過ぎ、車すら無くなってしまったが。
それでもこんな目に遭ってただ働きだけは受け入れがたく、すぐにでも現金を受け取り自分を納得させたかった。
指定の場所は公共の建物のように小綺麗な建物だった。
担当者は私の引き攣った顔を見るとまるでそれで確認は済んだとばかりに報酬の入った封筒を指差し手に持った機器で何やら打ち込み去っていった。
会話すらさせないのか。
すれ違いざまに覗き込んだその画面にはK局宛てとだけ書かれていた。
手にしたその封筒は想像よりもずっと重く、かえってそれが私の不安を掻き立てた。
臭い。胡散臭い。
私は一体、何をやらされたんだ?
自動車メーカーが試験運転のために依頼したわけでもなく、なぜあの場所を見回らせたのかも自動運転車である必要も全てが覆い隠されて分からない。あの土地は一体どういう場所なんだ?私が見た、恐ろしい目は、あの少女は?
考えるほどに深まる疑念と恐怖を抱えながら帰路につく。妖しげな紫の空、電柱の影、揺れる木々。全てが不気味で不吉に見えた。
そして家に着いてからも、あの少女の事を友人にも依頼主にも話さなかったことは正しかったのかという考えが頭から離れなかった。
そうして吐き出すことで楽になれたのでは無いだろうか。
しかしそれを考えるたびにあの娘の笑みが頭をよぎり、そして私は気づいた。
どこまでも不吉でどこまでも美しかったのだ。あの少女が。あの笑みが。だから私は誰にも話そうとしなかったのだ。
忌まわしい不安と恐怖を抱えたままいつもより早くベッドに横たわり瞼を閉じる。
閉じていくその視界の端には蠢く、ものが
ーーーその瞳、差し上げますわ
夜はもう降りきっていた。
蠢く視線たちが不気味でした