優雅な動作でお嬢様がプリンを皿ごと放る。泥のように遅く感じられる時間の中、華々しく開く戦いの幕。目を見開く妹様、告げられる無慈悲な言葉。
「このプリン欲しくば掴み取りなさい! ただし床に叩きつけられる運命にあるソレを掬い取れるものならば!」
傾き落ちる皿、震えるプリン。伸ばされた手、そして……。
私の脳裏に瞬く記憶。なぜこうなったのか、それは数分前のこと。
「くっくっく……」
午後三時、夜の女王たる我が主は今日も上機嫌。
十数日ぶりに訪れた曇天の下で最近のお気に入りである、私こと十六夜咲夜が丹精こめて作ったカスタードプディングを女児そのものな動作で堪能している。
太陽が隠れてかつ雨も降っていない日中と言うのは主にとって格別の時間であるらしく、その間は特に寛容で従者である私に対しても褒美を下さることが多い。
わざと子どもっぽくプリンを食べているのもその褒美のひとつであり、普段はもっと妖艶な様子で舌鼓を打っていたりするのでギャップがさらに私を背徳の深遠へと誘う。
いつからかロリータコンプレックスをこじらせてしまっている私だが、悪魔の館ではその程度の逸脱はむしろ歓迎される節があるのだ。しかも、そんな悩みを相談した相手にして主の客分である魔女などは、その性癖の極上な味わい方や制御方法に至るまでレクチャーしてくれる始末。快方へ向かうどころか悪化の一途を辿りお嬢様への心酔を深める要因となっている。
ともあれ、魔女の入れ知恵のおかげで取り乱さず瀟洒な仮面を保持できる鉄壁の変態に成り下がったゆえに、お嬢様の過剰な幼女サービスにも眉ひとつ動かさず脳裏に焼き付けておける。
少し幸福ないつもどおりの時間。それは前回の曇天の日から訪れた日常の変化であり、私もお嬢様も嬉しい日々が続いている。
先日、今のようにプリンを味わうお嬢様に虫の居所が悪かった妹様が通りがかるなり喧嘩を売ってしまい、派手に火花を散らしたのだ。その時は主の求めに応じて場を離れたものの実質的な力量差を鑑みるに妹様が優勢だった。
先の展開を危ぶみ主の能力(失礼ながら本人の口ぶりほど万能には思えない乱数調整のような力だと私は推測している)が活きるようにと、イレギュラーになりえる黒白のネズミを誘導したり暗躍したのだが、一体どういう経緯か最終的に姉妹間の仲が好転したのである。
今までは館の者を遠ざけていた節のある妹様が普通に振る舞うようになり、しかもお嬢様に甘えるのである。これには私も内心でガッツポーズ。さすが我が主、どのように運命をいじくり回せば一触即発爆弾妹からシスコン姉ラブ妹へのシフトチェンジがあんな短時間で可能なのか。人の身である私には知りえぬことながら賞賛と畏敬を星のごとく浴びせたい。
そんなわけで主に対する忠誠心もあふれんばかりに急上昇中なので、俄然ヤル気が満ち満ちて料理の手の込み具合や瀟洒さも三割増しである。さらに言うなら可愛さ余って精力百倍である。
と、余計なことを考えていると視界の隅、テラスの入り口から妹様が軽い足取りでこちらに歩んでくるのが映った。私が会釈と共に挨拶を告げようとすると、それより一呼吸早くお嬢様が芝居がかった声を上げる。
「『っくっく、それにしてもこの桜色の艶やかさと生地の柔らかさよ。まるでフランの紅潮した頬のようだわ』」
それは妹様が先日に噛み付く原因となった最初の台詞であり、お嬢様は今どこか悪戯っぽい笑みを浮かべている。背中を向けたまま小芝居を始める姉に妹様は気分を害した様子も無く、ちょっと恥じらいに頬を染めて息を吸う。
「『何を気持ちの悪い事を言っているのかしら、お姉さまは。ついに頭の中まで砂糖菓子になってしまったの?』」
妹様の口からも先日の台詞。そのままお嬢様の背後へと近づいて、その手元を覗きこむ。
お嬢様がにこやかに振り向きながら、妹様の頬に白魚のごとく美しい指を這わせる。
「『ご機嫌よう、マイシスター。思考は至って正常。見ての通りフランを堪能しているのさ』」
あの日お嬢様は頬ではなく手元のプリンをつつきながらだったので、妹様はこう返すのだ。
「『……プリンじゃない』」
形だけの不満げな言葉とは裏腹に、頬を撫でる指に擦り寄りながら妹様はくすぐったそうに目を細める。かわいい。
「『その通り。しかして妹よ、私は嘘を吐かない。これはスペイン語でflanというのよ。だから私はこれが特にお気に入りなのさ』」
そう告げて本日最高のドヤ顔を披露しながら妹様の顔を引き寄せて軽く頬に接吻。小芝居からの親愛表現、なんともスマートな手管である。
「『なんでも良いけどお姉さまばかりズルいわ。私に半分ちょうだい』」
妹様もソレに習い敬愛する姉へキス。もちろん台詞も完璧。十数日前の出来事はこの展開まで読んでお嬢様が台詞を誘導していたのではないかと思えるくらいだ。
我が主の底知れない先見の明と愛くるしさに見惚れていると、妹様がふとこちらを向いて口を開く。
「日中も起きているようになったら、なんだかお腹がすくのが早くなった気がするわ。咲夜、私にも何か食べ物を――」
私が即座に恭しく頭を垂れようとしたところで、意地悪く目を光らせたお嬢様がまたも割り込む。
「――『ダメよ。あなたには十分な量の食事が振る舞われているはず。飽食の罪は甘美だけれど私から楽しみを奪う事は許されないわ』」
小芝居を続行するかのように先日の台詞を続ける姉に、妹様が首をかしげて向き直る。
「お姉さま? なんだか変なこと考えてない?」
お嬢様はしたり顔で頷き、手元のプリンを皿ごと持ち上げる。
「うふふ、ねぇフラン。ちょっとあなたの困った顔が見たくなったのでゲームをしましょう」
「えぇ!? すごく嫌な予感がするわ。お姉さまの今の顔、不思議の国のアリスに出てくるチャシャ猫をホラーテイストに仕上げましたってくらい不穏で不気味よ」
私的には御褒美を下さるときの顔に近いので、刑を言い渡すハートの女王様みたいといった感想だったのだが、妹様はなかなか独特な感性をお持ちなので興味深い。
ともあれ、お嬢様は楽しそうに胸を張って口を開く。
「お姉さまへの言葉遣いには気をつけなさいと常々言ってるでしょうに。ともあれ、ルールは簡単。このプリンをあげるから食べなさい。その後なら好きな物を咲夜に作らせるわ。でも食べられなかったら私がフランを食べるわ」
左手を小さく揺らして、掴んだ皿の上で震えるプリンをお嬢様は妹様に見せ付ける。妹様は猫のように細めた目でそれを追って、疑問を挟む。
「それってどういう意味……?」
その言葉への返答と言わんばかりに、優雅な動作でお嬢様がプリンを皿ごと放る。とっさに私は能力を使い引き延ばした時間の中へ。
そして華々しく開く戦いの幕。目を見開く妹様、告げられる無慈悲な言葉。
「このプリン欲しくば掴み取りなさい! ただし床に叩きつけられる運命にあるソレを掬い取れるものならば!」
傾き落ちる皿、震えるプリン。伸ばされた手。
「なっ!? お姉さまもったいない!」
妹様が吸血鬼ならではの身体能力で自分の右後方へと落ちる皿を指先にかろうじて掴む。お嬢様と密着していた上体をひねり、姿勢が崩れながらもそれは成功したかに見えた。
「くっくっく、傲慢さは大妖怪の義務よ可愛いフラン! そんなもの私は咲夜に何度でも作らせればいいのさ! さあスプーンも付けてあげましょう」
お嬢様は容赦なく皿に向かいスプーンを射出。空気を引き裂き不気味な飛翔音をあげながら匙は妹様の指に直撃。妹様もさるもの、突き抜ける衝撃だけで皿が割れそうだが上手く手首のスナップでベクトルをずらして対応。
それでもさすがに皿のふちが指から滑り零れ落ちる。
再び始まるプリンの自由落下。今度は妹様も容赦しないことを決めたのか、崩れた姿勢のまま飛び込むように素早く右手を床に着くと、逆立ちしながら両足でお嬢様に浴びせ蹴り。左手は器用に皿の落ちる先へ回って柔らかな手の平を広げる。
お嬢様が上体を仰け反らせて蹴撃をいなす。それだけで飽き足らず魔力を固めた紅い針弾でプリンを射貫かんと一投。
妹様が逆立ちを維持したままプリンを受け止める予定で開いていた左手の中に魔力を注ぎ、何かを掴み取る。破れかぶれに能力で爆砕してしまうのか、一瞬だけそう思ったが先日の騒動の後にパチュリー様が語ったことを思い出す。
それは戦場になり無残な姿を晒してしまっていたテラスの修理の手配を終えて、定刻通りにパチュリー様に夜の紅茶をサービスしに行った時のことだった。偏屈なこの客分が珍しく上機嫌そうだったので、なにか良いことでもございましたかと問うと。
『これを御覧なさい』
魔女は机の上のテディベアを手に取り私に見せてきた。それは確か数日前に妹様の部屋にお届けした物で、その時との違いは足が無くなり下腹部分に焼け焦げと小さな裂傷が刻まれていることだろうか。
それは妹様が? と分かりきった質問をすると、彼女は教師然とした態度で頷く。これも様式美、ちょっとした日常会話を楽しむコツである。
『妹様は本当に狂っているわね。彼女の言うとおりであるならばあの能力はとっくに最大限まで制御されているわ。あの子、これを私に見せたとき言ったのよ。足だけを壊そうとしたけど失敗したってね』
たしかにこれでは失敗ですね、と私は指でクマの裂傷を押し広げながら答えた。
『では咲夜。貴女なら爆弾を十数個使って、同時に爆発させることによって互いの衝撃を上手に殺しながら特定の部位だけを爆破できるかしら?』
その言葉で合点がいった。つまり、妹様はクマの足だけを崩壊させるべく能力でそれをやってのけて、破壊の規模をここまで小さく出来るほど精密な能力運用が出来るのだ。
『恐らく、あの子にとっては失敗でも、これは単純にどの『目』をどのタイミングで爆破していっても理論上これ以上に正確な破壊は出来ないというだけだわ。それをあの子は一瞬で計算して行使できるのだから本当に化け物じみているわね』
割とどうでもいいと思っていた内容だったのだが、意外にも鮮明に思い出せたその解説。そしてそれを裏付けるように妹様の手が握られて、空気が複数個所で爆ぜる。
連続した衝撃に皿が立て続けに揺れ、プリンともども跳ね上がるが、互いに離れることは無く見えない手で持ち上げられるかのように御二人の頭上ほどまで浮き上がる。
もちろん先ほど投擲された針弾は足元に突き刺さるだけ。姉妹が素早く視線を交差させる。
お嬢様が虫でも払うかのように右手を頭上のプリン目掛けてなぎ払い、それと同時にその回転運動で左足を突き出して妹様の床に突いた左手を刈り取ろうとする。
もちろんそうはさせじと妹様は両足で挟むようにお嬢様の右手首をホールド。手を刈り取ろうとする電光のような足払いを、床から手を離し跳ね起きることで回避。足で手首を挟んだままなので、そのまま力任せに足が床へと下ろされると手首が引っ張られたお嬢様がつんのめる。
妹様は油断無く右手でお嬢様を牽制しながら左手で頭上のプリンをホールドしようとするが、お嬢様も逆さまの姿勢で妹様の左手首めがけて両足を挟み込む。
互いに両足と片手が塞がり、空いた片手で刺突や殴打を繰り返すが驚いたことに互角。力と速さで勝る妹様に駆け引きと技術で上回るお嬢様。
意外にも集中しているときの我が主の手管は美鈴が時折見せる老練な武技を彷彿とさせる鮮やかさで、鬼そのものを具現化したような妹様の攻勢を凌ぎ打ち返す。
そうこうする内にプリンを乗せた皿は一進一退を続ける両者の腕の高さを通り過ぎ、腰元まで落下する。
妹様の顔に浮かぶ焦り顔。お嬢様も余裕と言うわけでは無いのだろうが優勢からか不敵な笑みを色濃くする。
御二人の動きを見るに、多くの言葉を交わしたわけではないのに変身や足で皿に触れるなどの淑女にあるまじき動作は暗黙の了解で禁じられているように思える。そんな説明は無かったし普段ならやりかねないのだが、親交を深めるための遊戯だという意識が互いにルールを空気で感じさせているのだろう。
まるで数百年前から仲むつまじく過ごしてきた姉妹のように思えて、口元がほころびそうになった私だが、ひとつ重大なことを思い出して口を開く。
「あ、申し訳ございません。他のスイーツはご用意できるのですがプリンは材料の問題で今日は品切れでございます」
我が主の述べるとおり傲慢な振る舞いは主として当然。私も作り直せと言われればむしろ御褒美。しかし、材料が無いものは仕方ないのでした。これは迂闊、今夜はお仕置きをいただけるやも知れません。
さっきから能力で自身を加速することによって姉妹の攻防を拝見していたので、その速度のまま発せられた私の発言は常人には聞き取れなかったでしょうが、吸血鬼である我が主はそれをしっかりと聞き分け驚愕の表情を浮かべる。
「マジで!? フランちょっとストップ待って今日は私プリン食べるって決めてたのよ舌がもうプリンの気分に――」
動揺した姉に、妹様が悪戯な光を宿した両目で即座に告げる。
「――あら奇遇ねお姉さま! 私も同じ気分よ!」
動きが止まった瞬間を的確に感じ取った妹様は、隙ありとばかりにお嬢様の足首を叩いて両手の自由を得ると、力任せの掌打を胴体の中心に打ちつけて敬愛する姉をテラス横断弾丸ライナーとして壁まで射出。
そのまま妹様がついにプリンの皿を手に掴み取る。しかし先ほどの攻防の合間にひっそりと時間を掛けてお嬢様が練り上げていた攻性魔術が、キャンセルのタイミングを失して暴発。やけくそな量の弾幕を頭上から降り注がせる。
妹様は咄嗟に前方へダイブロールしてプリンを守りつつも弾幕の圏外へと圧倒的なスピードで飛び出すかに思えたが、弾幕は不自然な軌道で散らばり途中で角度すらランダムに変更し始める。
逃げ切れないと悟った妹様は体制を戻しながら弾幕を迎撃し始めるがプリンを守りながらでは無理な動作が取れず徐々に追い詰められていく。煌く鮮血のような針弾がプリンに掠っただけで、恐らく柔らかなその身を散らしてしまうだろう。
妹様の顔が真剣に引き締まり、手足や全てを破壊する能力をフル回転。
しかし、その集中力が弾幕のみに注ぎ込まれている瞬間を狙ってお嬢様が死角から急襲。まるで受け渡されたかのような鮮やかな手つきでプリンの皿をスリ盗ると、使い魔の蝙蝠を椅子にして優雅にプリンを一口。
これにはさすがの妹様も可愛らしい柳眉を歪めて鬼の形相。弾幕迎撃のために織り上げていた魔方陣の角度を変えて敬愛する姉に向けると内包された銀弾を高速射出。
さらには先ほどまで対処していた弾幕の雨を、お嬢様を盾にするように背後に回って凌ぎ始める。
「うげっ!?」
一瞬前までの余裕の表情から一転。可愛らしい口からアレなうめき声を上げるお嬢様。盾にされるところまでは予想の範囲だったのか自身が生み出した弾幕を防ぐ位置に小さな魔方陣が複数展開されていたのだが、いかんせん妹様のばら撒いた銀弾が放つ剣呑さは致命的だった。
咄嗟にスプーンを左手のプリン皿へと避難させて、空いた右手に妖力で生み出した細剣を握り素早く銀弾を捌き始める。
ちょっと昔に御戯れでフェンシングごっこを十年ほどやっていた、とは魔女の言であるが、なるほど優雅な剣さばきは堂に入ったものである。
感心する私の視線に気付いたのかドヤ顔でさらに動きを加速するお嬢様。段々と楽しくなってきたのかもしれない。魔方陣から吐き出される銀弾をこのまま全て叩き落としてしまいそうな勢いだ。
しかし、熱中するあまり大切なことをお忘れではないでしょうか我が主よ。その左手にホールドされていたはずの皿は親愛なる妹君の手中へと滑り込んでおり、その妹君は下僕の狼を椅子代わりにプリンを堪能中であらせられます。
それから三秒ほど経った頃、銀弾は全て弾き飛ばされ、残っていた六割程度のプリンは妹様の御口に運び込まれてしまったのである。
優雅に振り向き細剣を床に突き立て一礼したお嬢様。顔を上げてから違和感に気が付かれた様子で親愛なる妹君のニヤニヤ笑いを見返して一言。
「咲夜。今日のおやつは和菓子の気分だったのよ。用意して頂戴」
「――御意に」
見事な負け惜しみと共に妹様の頭をちょっと乱暴に撫でたのだった。
「このプリン欲しくば掴み取りなさい! ただし床に叩きつけられる運命にあるソレを掬い取れるものならば!」
傾き落ちる皿、震えるプリン。伸ばされた手、そして……。
私の脳裏に瞬く記憶。なぜこうなったのか、それは数分前のこと。
「くっくっく……」
午後三時、夜の女王たる我が主は今日も上機嫌。
十数日ぶりに訪れた曇天の下で最近のお気に入りである、私こと十六夜咲夜が丹精こめて作ったカスタードプディングを女児そのものな動作で堪能している。
太陽が隠れてかつ雨も降っていない日中と言うのは主にとって格別の時間であるらしく、その間は特に寛容で従者である私に対しても褒美を下さることが多い。
わざと子どもっぽくプリンを食べているのもその褒美のひとつであり、普段はもっと妖艶な様子で舌鼓を打っていたりするのでギャップがさらに私を背徳の深遠へと誘う。
いつからかロリータコンプレックスをこじらせてしまっている私だが、悪魔の館ではその程度の逸脱はむしろ歓迎される節があるのだ。しかも、そんな悩みを相談した相手にして主の客分である魔女などは、その性癖の極上な味わい方や制御方法に至るまでレクチャーしてくれる始末。快方へ向かうどころか悪化の一途を辿りお嬢様への心酔を深める要因となっている。
ともあれ、魔女の入れ知恵のおかげで取り乱さず瀟洒な仮面を保持できる鉄壁の変態に成り下がったゆえに、お嬢様の過剰な幼女サービスにも眉ひとつ動かさず脳裏に焼き付けておける。
少し幸福ないつもどおりの時間。それは前回の曇天の日から訪れた日常の変化であり、私もお嬢様も嬉しい日々が続いている。
先日、今のようにプリンを味わうお嬢様に虫の居所が悪かった妹様が通りがかるなり喧嘩を売ってしまい、派手に火花を散らしたのだ。その時は主の求めに応じて場を離れたものの実質的な力量差を鑑みるに妹様が優勢だった。
先の展開を危ぶみ主の能力(失礼ながら本人の口ぶりほど万能には思えない乱数調整のような力だと私は推測している)が活きるようにと、イレギュラーになりえる黒白のネズミを誘導したり暗躍したのだが、一体どういう経緯か最終的に姉妹間の仲が好転したのである。
今までは館の者を遠ざけていた節のある妹様が普通に振る舞うようになり、しかもお嬢様に甘えるのである。これには私も内心でガッツポーズ。さすが我が主、どのように運命をいじくり回せば一触即発爆弾妹からシスコン姉ラブ妹へのシフトチェンジがあんな短時間で可能なのか。人の身である私には知りえぬことながら賞賛と畏敬を星のごとく浴びせたい。
そんなわけで主に対する忠誠心もあふれんばかりに急上昇中なので、俄然ヤル気が満ち満ちて料理の手の込み具合や瀟洒さも三割増しである。さらに言うなら可愛さ余って精力百倍である。
と、余計なことを考えていると視界の隅、テラスの入り口から妹様が軽い足取りでこちらに歩んでくるのが映った。私が会釈と共に挨拶を告げようとすると、それより一呼吸早くお嬢様が芝居がかった声を上げる。
「『っくっく、それにしてもこの桜色の艶やかさと生地の柔らかさよ。まるでフランの紅潮した頬のようだわ』」
それは妹様が先日に噛み付く原因となった最初の台詞であり、お嬢様は今どこか悪戯っぽい笑みを浮かべている。背中を向けたまま小芝居を始める姉に妹様は気分を害した様子も無く、ちょっと恥じらいに頬を染めて息を吸う。
「『何を気持ちの悪い事を言っているのかしら、お姉さまは。ついに頭の中まで砂糖菓子になってしまったの?』」
妹様の口からも先日の台詞。そのままお嬢様の背後へと近づいて、その手元を覗きこむ。
お嬢様がにこやかに振り向きながら、妹様の頬に白魚のごとく美しい指を這わせる。
「『ご機嫌よう、マイシスター。思考は至って正常。見ての通りフランを堪能しているのさ』」
あの日お嬢様は頬ではなく手元のプリンをつつきながらだったので、妹様はこう返すのだ。
「『……プリンじゃない』」
形だけの不満げな言葉とは裏腹に、頬を撫でる指に擦り寄りながら妹様はくすぐったそうに目を細める。かわいい。
「『その通り。しかして妹よ、私は嘘を吐かない。これはスペイン語でflanというのよ。だから私はこれが特にお気に入りなのさ』」
そう告げて本日最高のドヤ顔を披露しながら妹様の顔を引き寄せて軽く頬に接吻。小芝居からの親愛表現、なんともスマートな手管である。
「『なんでも良いけどお姉さまばかりズルいわ。私に半分ちょうだい』」
妹様もソレに習い敬愛する姉へキス。もちろん台詞も完璧。十数日前の出来事はこの展開まで読んでお嬢様が台詞を誘導していたのではないかと思えるくらいだ。
我が主の底知れない先見の明と愛くるしさに見惚れていると、妹様がふとこちらを向いて口を開く。
「日中も起きているようになったら、なんだかお腹がすくのが早くなった気がするわ。咲夜、私にも何か食べ物を――」
私が即座に恭しく頭を垂れようとしたところで、意地悪く目を光らせたお嬢様がまたも割り込む。
「――『ダメよ。あなたには十分な量の食事が振る舞われているはず。飽食の罪は甘美だけれど私から楽しみを奪う事は許されないわ』」
小芝居を続行するかのように先日の台詞を続ける姉に、妹様が首をかしげて向き直る。
「お姉さま? なんだか変なこと考えてない?」
お嬢様はしたり顔で頷き、手元のプリンを皿ごと持ち上げる。
「うふふ、ねぇフラン。ちょっとあなたの困った顔が見たくなったのでゲームをしましょう」
「えぇ!? すごく嫌な予感がするわ。お姉さまの今の顔、不思議の国のアリスに出てくるチャシャ猫をホラーテイストに仕上げましたってくらい不穏で不気味よ」
私的には御褒美を下さるときの顔に近いので、刑を言い渡すハートの女王様みたいといった感想だったのだが、妹様はなかなか独特な感性をお持ちなので興味深い。
ともあれ、お嬢様は楽しそうに胸を張って口を開く。
「お姉さまへの言葉遣いには気をつけなさいと常々言ってるでしょうに。ともあれ、ルールは簡単。このプリンをあげるから食べなさい。その後なら好きな物を咲夜に作らせるわ。でも食べられなかったら私がフランを食べるわ」
左手を小さく揺らして、掴んだ皿の上で震えるプリンをお嬢様は妹様に見せ付ける。妹様は猫のように細めた目でそれを追って、疑問を挟む。
「それってどういう意味……?」
その言葉への返答と言わんばかりに、優雅な動作でお嬢様がプリンを皿ごと放る。とっさに私は能力を使い引き延ばした時間の中へ。
そして華々しく開く戦いの幕。目を見開く妹様、告げられる無慈悲な言葉。
「このプリン欲しくば掴み取りなさい! ただし床に叩きつけられる運命にあるソレを掬い取れるものならば!」
傾き落ちる皿、震えるプリン。伸ばされた手。
「なっ!? お姉さまもったいない!」
妹様が吸血鬼ならではの身体能力で自分の右後方へと落ちる皿を指先にかろうじて掴む。お嬢様と密着していた上体をひねり、姿勢が崩れながらもそれは成功したかに見えた。
「くっくっく、傲慢さは大妖怪の義務よ可愛いフラン! そんなもの私は咲夜に何度でも作らせればいいのさ! さあスプーンも付けてあげましょう」
お嬢様は容赦なく皿に向かいスプーンを射出。空気を引き裂き不気味な飛翔音をあげながら匙は妹様の指に直撃。妹様もさるもの、突き抜ける衝撃だけで皿が割れそうだが上手く手首のスナップでベクトルをずらして対応。
それでもさすがに皿のふちが指から滑り零れ落ちる。
再び始まるプリンの自由落下。今度は妹様も容赦しないことを決めたのか、崩れた姿勢のまま飛び込むように素早く右手を床に着くと、逆立ちしながら両足でお嬢様に浴びせ蹴り。左手は器用に皿の落ちる先へ回って柔らかな手の平を広げる。
お嬢様が上体を仰け反らせて蹴撃をいなす。それだけで飽き足らず魔力を固めた紅い針弾でプリンを射貫かんと一投。
妹様が逆立ちを維持したままプリンを受け止める予定で開いていた左手の中に魔力を注ぎ、何かを掴み取る。破れかぶれに能力で爆砕してしまうのか、一瞬だけそう思ったが先日の騒動の後にパチュリー様が語ったことを思い出す。
それは戦場になり無残な姿を晒してしまっていたテラスの修理の手配を終えて、定刻通りにパチュリー様に夜の紅茶をサービスしに行った時のことだった。偏屈なこの客分が珍しく上機嫌そうだったので、なにか良いことでもございましたかと問うと。
『これを御覧なさい』
魔女は机の上のテディベアを手に取り私に見せてきた。それは確か数日前に妹様の部屋にお届けした物で、その時との違いは足が無くなり下腹部分に焼け焦げと小さな裂傷が刻まれていることだろうか。
それは妹様が? と分かりきった質問をすると、彼女は教師然とした態度で頷く。これも様式美、ちょっとした日常会話を楽しむコツである。
『妹様は本当に狂っているわね。彼女の言うとおりであるならばあの能力はとっくに最大限まで制御されているわ。あの子、これを私に見せたとき言ったのよ。足だけを壊そうとしたけど失敗したってね』
たしかにこれでは失敗ですね、と私は指でクマの裂傷を押し広げながら答えた。
『では咲夜。貴女なら爆弾を十数個使って、同時に爆発させることによって互いの衝撃を上手に殺しながら特定の部位だけを爆破できるかしら?』
その言葉で合点がいった。つまり、妹様はクマの足だけを崩壊させるべく能力でそれをやってのけて、破壊の規模をここまで小さく出来るほど精密な能力運用が出来るのだ。
『恐らく、あの子にとっては失敗でも、これは単純にどの『目』をどのタイミングで爆破していっても理論上これ以上に正確な破壊は出来ないというだけだわ。それをあの子は一瞬で計算して行使できるのだから本当に化け物じみているわね』
割とどうでもいいと思っていた内容だったのだが、意外にも鮮明に思い出せたその解説。そしてそれを裏付けるように妹様の手が握られて、空気が複数個所で爆ぜる。
連続した衝撃に皿が立て続けに揺れ、プリンともども跳ね上がるが、互いに離れることは無く見えない手で持ち上げられるかのように御二人の頭上ほどまで浮き上がる。
もちろん先ほど投擲された針弾は足元に突き刺さるだけ。姉妹が素早く視線を交差させる。
お嬢様が虫でも払うかのように右手を頭上のプリン目掛けてなぎ払い、それと同時にその回転運動で左足を突き出して妹様の床に突いた左手を刈り取ろうとする。
もちろんそうはさせじと妹様は両足で挟むようにお嬢様の右手首をホールド。手を刈り取ろうとする電光のような足払いを、床から手を離し跳ね起きることで回避。足で手首を挟んだままなので、そのまま力任せに足が床へと下ろされると手首が引っ張られたお嬢様がつんのめる。
妹様は油断無く右手でお嬢様を牽制しながら左手で頭上のプリンをホールドしようとするが、お嬢様も逆さまの姿勢で妹様の左手首めがけて両足を挟み込む。
互いに両足と片手が塞がり、空いた片手で刺突や殴打を繰り返すが驚いたことに互角。力と速さで勝る妹様に駆け引きと技術で上回るお嬢様。
意外にも集中しているときの我が主の手管は美鈴が時折見せる老練な武技を彷彿とさせる鮮やかさで、鬼そのものを具現化したような妹様の攻勢を凌ぎ打ち返す。
そうこうする内にプリンを乗せた皿は一進一退を続ける両者の腕の高さを通り過ぎ、腰元まで落下する。
妹様の顔に浮かぶ焦り顔。お嬢様も余裕と言うわけでは無いのだろうが優勢からか不敵な笑みを色濃くする。
御二人の動きを見るに、多くの言葉を交わしたわけではないのに変身や足で皿に触れるなどの淑女にあるまじき動作は暗黙の了解で禁じられているように思える。そんな説明は無かったし普段ならやりかねないのだが、親交を深めるための遊戯だという意識が互いにルールを空気で感じさせているのだろう。
まるで数百年前から仲むつまじく過ごしてきた姉妹のように思えて、口元がほころびそうになった私だが、ひとつ重大なことを思い出して口を開く。
「あ、申し訳ございません。他のスイーツはご用意できるのですがプリンは材料の問題で今日は品切れでございます」
我が主の述べるとおり傲慢な振る舞いは主として当然。私も作り直せと言われればむしろ御褒美。しかし、材料が無いものは仕方ないのでした。これは迂闊、今夜はお仕置きをいただけるやも知れません。
さっきから能力で自身を加速することによって姉妹の攻防を拝見していたので、その速度のまま発せられた私の発言は常人には聞き取れなかったでしょうが、吸血鬼である我が主はそれをしっかりと聞き分け驚愕の表情を浮かべる。
「マジで!? フランちょっとストップ待って今日は私プリン食べるって決めてたのよ舌がもうプリンの気分に――」
動揺した姉に、妹様が悪戯な光を宿した両目で即座に告げる。
「――あら奇遇ねお姉さま! 私も同じ気分よ!」
動きが止まった瞬間を的確に感じ取った妹様は、隙ありとばかりにお嬢様の足首を叩いて両手の自由を得ると、力任せの掌打を胴体の中心に打ちつけて敬愛する姉をテラス横断弾丸ライナーとして壁まで射出。
そのまま妹様がついにプリンの皿を手に掴み取る。しかし先ほどの攻防の合間にひっそりと時間を掛けてお嬢様が練り上げていた攻性魔術が、キャンセルのタイミングを失して暴発。やけくそな量の弾幕を頭上から降り注がせる。
妹様は咄嗟に前方へダイブロールしてプリンを守りつつも弾幕の圏外へと圧倒的なスピードで飛び出すかに思えたが、弾幕は不自然な軌道で散らばり途中で角度すらランダムに変更し始める。
逃げ切れないと悟った妹様は体制を戻しながら弾幕を迎撃し始めるがプリンを守りながらでは無理な動作が取れず徐々に追い詰められていく。煌く鮮血のような針弾がプリンに掠っただけで、恐らく柔らかなその身を散らしてしまうだろう。
妹様の顔が真剣に引き締まり、手足や全てを破壊する能力をフル回転。
しかし、その集中力が弾幕のみに注ぎ込まれている瞬間を狙ってお嬢様が死角から急襲。まるで受け渡されたかのような鮮やかな手つきでプリンの皿をスリ盗ると、使い魔の蝙蝠を椅子にして優雅にプリンを一口。
これにはさすがの妹様も可愛らしい柳眉を歪めて鬼の形相。弾幕迎撃のために織り上げていた魔方陣の角度を変えて敬愛する姉に向けると内包された銀弾を高速射出。
さらには先ほどまで対処していた弾幕の雨を、お嬢様を盾にするように背後に回って凌ぎ始める。
「うげっ!?」
一瞬前までの余裕の表情から一転。可愛らしい口からアレなうめき声を上げるお嬢様。盾にされるところまでは予想の範囲だったのか自身が生み出した弾幕を防ぐ位置に小さな魔方陣が複数展開されていたのだが、いかんせん妹様のばら撒いた銀弾が放つ剣呑さは致命的だった。
咄嗟にスプーンを左手のプリン皿へと避難させて、空いた右手に妖力で生み出した細剣を握り素早く銀弾を捌き始める。
ちょっと昔に御戯れでフェンシングごっこを十年ほどやっていた、とは魔女の言であるが、なるほど優雅な剣さばきは堂に入ったものである。
感心する私の視線に気付いたのかドヤ顔でさらに動きを加速するお嬢様。段々と楽しくなってきたのかもしれない。魔方陣から吐き出される銀弾をこのまま全て叩き落としてしまいそうな勢いだ。
しかし、熱中するあまり大切なことをお忘れではないでしょうか我が主よ。その左手にホールドされていたはずの皿は親愛なる妹君の手中へと滑り込んでおり、その妹君は下僕の狼を椅子代わりにプリンを堪能中であらせられます。
それから三秒ほど経った頃、銀弾は全て弾き飛ばされ、残っていた六割程度のプリンは妹様の御口に運び込まれてしまったのである。
優雅に振り向き細剣を床に突き立て一礼したお嬢様。顔を上げてから違和感に気が付かれた様子で親愛なる妹君のニヤニヤ笑いを見返して一言。
「咲夜。今日のおやつは和菓子の気分だったのよ。用意して頂戴」
「――御意に」
見事な負け惜しみと共に妹様の頭をちょっと乱暴に撫でたのだった。
面白かったです。