Coolier - 新生・東方創想話

始まる未来

2011/03/31 05:33:51
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冬が明け、草花が芽吹きつつもまだ寒さの残る春の朝。その寒さ故か、地上には雪が融け切らず残っている。
そこに、一つの寺があった。それはかつて、おそらく名のある僧が治めていたのだろうと思わせる、なにか威厳を感じさせるような雰囲気をかもし出していた。
しかしそれは名残であり、実際には今にも朽ちて倒れてしまいそうな、風除けも雨除けもままならない荒れに荒れた寺だった。
その寺に一人、寅丸星は佇んでいた。憂いを帯びた顔、微動だにしないその人物は、傍から見れば悟りを開くため修行している修験者を思わせる。
しかし彼女は、むしろ悟りなどとは真逆な感情に囚われていた。
彼女は本来毘沙門天の代理であり、自分の私利私欲で動いてよい存在ではない。
まして、人間の味方であり妖怪ではない自分が、人間によって封印された人物のことで思い悩んでいるなどということは本来あってはならないことだった。
……違う。人間によってではない。あの御方は、私が封印をしたようなものだった。
見殺しは罪に問われないとでもいうのか。お前はあの時あの御方を救えたのではないのか。私はいったいどんな顔で、あの御方に会えばいいのだ――


寅丸をここまで悩ませるきっかけになったのは、つい先程、あの御方と一緒に地底に封印されたはずのかつての仲間達が私の寺にやってきたことだった。
話によると、なんでも地底で大規模な間欠泉に伴った事件があり、そのドサクサにまぎれて地上にでてきたらしい。
その仲間の一人であるムラサいわく、「まぁ地底暮らしもそれなりに楽しかったけど、地上に出れる機会があるのなら出ないわけにはいかなかったわ」とのこと。
そして彼女は、「私達誓ったの。絶対聖を助け出すって。今度は私達が聖に恩返しするんだって」と寅丸に向かって言い放った。
ムラサからすれば、それは「貴女も一緒に助けにいこう」という意味をこめた、単なる協力要請にすぎなかったのだろう。
しかし、寅丸はその言葉を聞き黙り込む。そして彼女に「少々時間がほしい、そんなにとらせないから」と頭を下げた。

ムラサは最初「は?」とでもいうような顔をした後、疑問を通り越して怒りになったのか、睨みつけるように寅丸を見た。
それは当然だろう、彼女達は千載一遇のチャンスを経て地上に進出し、これはもう神、いや仏が聖を助けろと言っているに違いないと意気揚々としていたところだったのに、わざわざ私が水をさしてしまったようなものなのだ。
しかも寅丸は彼女らと同じくあの御方――聖に救われ、その思想に賛同した身。ムラサは二つ返事で承諾すると思っていたに違いない。
ムラサはさらに寅丸に食ってかかろうとしたが、今まで二人の話をじっと聞いていた一輪が止めに入った。
おそらくこちらの気持ちを察してくれたのだろう、彼女は真面目で思慮深いところがある。
「寅丸は聖に対して思うところがあるのでしょうね。焦らず彼女が頷いてくれるのを信じて待ちましょう?」と一輪がムラサを説得する。
ムラサは「……一輪は変に優しいんだよ」と少々ふて腐れたように視線を外した。一応は待ってくれるようだ。
私とてそんなに待たせる気はない。ただ、ちょっと踏ん切りがつかないだけなのだ。
そして一輪が「明日の朝、また来るわ」と言い残し、ムラサ達と帰っていった。


正直なところ、私は聖に会いたくないわけがなかった。自慢ではないが、聖を想う気持ちなら誰にも負けない自信がある。
ああだから私は毘沙門天の代理なのだからそういった邪な思いを持ってはいけないというか想いに勝ち負けなんかあるわけないしそもそも聖は恩人なのであって――
考えれば考えるだけ深みにはまり、そして結局は最初の考えに行き着いてしまう。“聖に合わせる顔が無い”という後ろめたい考えに。
聖に会いたい。聖は皆に愛されているから私だけが独占することができないことは分かっているけど、それでも私の傍らに寄り添ってくれればと何度願ったことか。
もし聖を助けることができたなら、たとえ厚顔無恥と罵られようとも聖の傍に――ああなのに、聖を愛しているのに私は見殺した……見殺した……大切な人を目の前にして、わたしは聖を見殺した!





私が聖と出会ったのは、妖怪達が生息し力無き人間どもを拒絶する、ある有名な山の中だった。
そこは普段は魑魅魍魎が騒ぎ、遊び、人間を攫ったりからかいに出向いたりと各々好き勝手に楽しく暮らしているのだが、最近どうにも山の妖怪達の表情が芳しくなかった。
この山で暮らし、あまり人里に下りていかない私は、彼らに事情を聞くことにした。
彼ら曰く、「とある尼が、毘沙門天をこの山の近くの寺に奉ろうとしている」らしい。
我ら妖怪にとって、魔を払い人を導くとされる毘沙門天は敵である。
しかもその力は強大で、半端な妖怪では太刀打ちできないだろう。
このままでは借金取りに怯える住民のように、妖怪が山の隅でふるえながらひっそりと暮らしていかなければならないことだってあり得てしまう。
私は悩んだ。悩んだところでどうにかなるわけではないが、それでも悩まずにはいられない。
妖怪の中には、住む山を変えようかという者や、その尼を殺してしまえばいいと言うものもいた。
私は彼らをなだめたり気を静めたりしてきたが、このままでは妖怪は今まで通りの暮らしが儘ならなくなる。いったいどうすれば――

そうこう数日悩んでいるうちに、ある日元凶があちらからやってきた。
その尼は自らを聖白蓮と名乗った。
グラデーションのかかった美しい髪、穏やかな印象を見た者にもたせる柔和で整った顔、そしてなにより、そう、それがこの女をただの尼ではないと思わせる最大の理由なのだが、傍目にも解る強大な力を持っていた。
駄目だ、この女は信用ならない。私はそう結論づけた。
そもそも容姿や体型が男を誘う色香を帯びている時点で尼として問題がある気がするが、そんなことよりもあの若さであれほどの力を秘めている人物を信用できるはずがなかった。
例えるなら、とんでもない大金を手に店にやってきた子どもを見て、大人達はこれはなにかあるぞと勘繰らないはずがないようなものだ。
さらにその疑いに拍車をかけたのが、彼女が口走ったある言葉だった。
「私はあなたがたに危害を加える気はありません。私は人も妖怪も平等に生きられる世界を望んでいるだけなのです」
言うに事欠いてそんなことを。人間が妖怪を駆逐したがっていることを私はよく理解しているし、それに僧侶はその妖怪退治の専門家ではないか。
今日日村の子どもでももうちょっと面白いウソを吐くだろう。本気で言っているのだとすれば、よほど崇高な聖者かよっぽど酔狂な愚者のどちらかだ。私の見立てでは後者だが。
そしてその愚者は妖怪達をざっと眺めたあと、「貴方がこの山で一番まともな妖怪ね」と言いながら私に近寄ってきた。
「私は貴方に提案があって参りました。毘沙門天の弟子になり、一緒に信仰を集めませんか?」
まごうことなき宗教勧誘だった。ただ、神仏を崇拝しろというよりはその代理となって崇拝されろということなので少々勝手が違ってくるが。
私がその言葉にうろたえていると、周りにいた妖怪達は、寅丸さんなら信用できる、寅丸さんなら毘沙門天になっても我々を退治しにくるはずはないと、なにか勝手に盛り上がっていた。
断れる気配がまるでない。あの尼はこちらを見ながら微笑を携えていた。
私の頬がひきつる。もしかしてこれらを見越してこの尼は皆の前でこの提案を持ちかけたのだろうか。もしそうだとしたら私はこの女の見解を改めなくてはならない。
しかし、だ。私はまだこの女を信用してはいない。もしかしたら、ただ妖怪を利用するために提案してきたかもしれないのだ。
私はとりあえず咳払いを一つし、真面目な面持ちのつもりでこの尼に問いかけた。
「話は分かりました。たしかに私が毘沙門天の代理となれば、人間と妖怪双方に利益があるでしょう。しかし、貴女が本当に妖怪のためを思って言っているという保証はない。ならばその証拠を見せてください」
目の前の尼はキョトンとした表情で、
「証拠……ですか?それは例えばどのような?」
私は、ああこれでは悪役は自分だなと思いながら、
「簡単なことですよ、貴女の肉を我々に差し出してください」
と妖怪らしい恐怖を感じさせるような笑顔でそう言った。
「肉……ですか?」
「ええそうです。まあ対価とでも思ってください。妖怪が人間の提案にただ肯いているだけというのは少々癪なのですよ。貴女が生贄となるのなら、それを飲み込んでやってもよいと言っているのです。
それに……仙人や僧侶の肉は大層美味と評判でね、一度くらいは私も食してみたいと思っていましたので」
もちろん今私が尼に言ったことは全て嘘だ。
この女の言葉はお為ごかしに聞こえる。自分だけこっそり甘い汁をすすろう……と思っているのならこんな取引に応じるはずがない。
しかし本心から妖怪と人間の共存を望んでいるのなら、別に自分が死んだって構わないはずだ。
自分が死んでも約束を守ってくれるのなら――彼女がそういった精神の持ち主ならば、死など躊躇う必要がない。
私が知りたいのはその心だった。あの尼は力を持っている。あの力を手に入れるには、我々が想像もつかないような過酷な修行をしたに違いない。
そうやって身に付けたものを全て無にすることと、妖怪と人間が共存できる世界を天秤にかけ、後者を選ぶような人間なのかどうか試したかった。
まあもっとも、自分の命を第一としない人間などいるわけないが。
とにかく、私は本心を隠したまま、目の前の尼を挑発した。
「どうされたのですか?そういえば貴女が帰依している仏の前世に、自らを虎に喰わせた者がいるそうじゃないですか。貴女はどうな……!?」
私は絶句した。この尼はおもむろに服を脱ぎ始めたのだ。
「なな……なにをしているのですか!!」
「このようなことがあなたがたにとって良いことには思えませんが……それであなたがたの気が晴れるというのなら、よろこんでこの身を譲りましょう」
正直驚いた。言葉がでてこないくらい驚いた。この尼は本当に……?
…………いや、まだだ。ただのポーズという可能性だってある。実際今怖気づいているのは私じゃないか。あの女は今心の中でほくそ笑んでいるかもしれない。
ここで引いたら私の負けだ。こちらのペースに引き戻さねば。
尼は、もう上半身に何も纏っていなかった。それ以上脱ごうとするのを、私は冷静を装った顔で静止させた。
「上だけで十分ですよ。虎はね、相手の喉を一噛みにして殺すのです。……さて、もう心の準備はお済ですか?」
「ええ、貴女が望む時に、いつでも」
この尼はなにも恐れていない。私がなにもしないと高をくくっているのか……?
私は尼の首筋に歯をあてた。その瞬間、尼の身体がかすかに跳ねた。
ゆっくりと、ゆっくりと牙を喰い込ませる。尼の蓮のような白い肌に、美しく赤い一本の線が滴り落ちる。さあ白状するなら今のうちだぞ、その本性を現せ!

……………………違う。この尼は恐れていないわけじゃない。だってこんなにも細い肩が震えてるし、目にだってあんなに涙を溜めて――――
私はいつのまにか、この女性から口を放していた。
私が愚かだった。彼女は本当は怖がっていた。だがそれでも、それこそ自分の命すらも超えた信念によって彼女は動いていた。
何故私は疑ってしまったのだろう。何故初めから信じてあげなかったのだろう。私はなんて浅はかな生き物なのだろう――

「申し訳ございません……貴女を試すようなことをしてしまった……貴女はそんなにも我らの事を考えていたのにもかかわらず……!私はっ……!」
私は地に額を擦りつけて謝った。許してもらおうなどとは思っていない。私は単なる自己満のためにこの方を追い詰めてしまったのだ。
しかしそんな私に、この尼公は菩薩のような笑顔で手を差し伸べてくれた。
「よいのです。違う者同士が分かり合うのは難しい……貴女が私を疑うのは当然でしょう。でも、私達は分かり合えた。今はそれがなによりも嬉しいわ。私を分かってくれてありがとう、寅丸」
「聖……!」
私が出会った僧侶は、紛れもなき崇高な聖者だった。










私が毘沙門天の弟子となって数ヶ月がたった。毘沙門天は半ば黙認の形で私を弟子にし、さらに一人の部下までつけてくれた。
名はナズーリンという。少々斜に構えた態度と、偶に値踏みされているような視線を感じるのが気になるが、まあ概ね優秀な部下だ。
今彼女は布教と資金調達を兼ねて、各地に出てもらっている。
人々のもとに赴き、触れ告げてまわるのは部下の仕事だし、彼女の配下のネズミ達は里の外れで少々“つまみ食い”をしているようだから、あまり寺にいてもらっても困る。人食いネズミがでる寺なんてだれも来たがらないだろうし。
その寺だが、今、私達はお寺の中で悟りを啓くため修行をしていた。
私達とはもちろん、私と聖のことだ。
聖白蓮。私が毘沙門天の弟子になったのは聖が推薦したからだった。
聖は賢く聡明で、さりとて人を憎まず疑わず、優しさと温かさで包み込んでくれるような……まさしく聖母といったお方だ。
里の人間たちにも「聖様」と呼ばれ親しまれている。
ナズーリンは何故か少々警戒してるようなのだが、それは彼女の用心深い性格故だろう。杞憂もいいとこなのに。
まあとにかく、そんなお方が今私の隣で、あえてもう一度言うが私の隣で、瞑想しているのだからたまらない。
私としてはナズーリンも外にやったし、束の間のひと時を聖と一緒に楽しもうと思っていたのだが、聖いわく「悟りを啓くその日まで、ご一緒に頑張りましょう」とありがたいお言葉を頂戴してしまったため、今こうして瞑想に耽っている次第だ。
私はチラリと薄く開けた横目で聖を眺める。
いつも柔らかな微笑みを絶やさないその顔は、今は凛々しく研ぎ澄まされ、まるで氷像のような儚げな美しさがあった。
おそらく顔の前で手を振ろうが耳元で愛を囁こうが、今の聖は微動だにしないだろう。
……だ、だったら、その、口と口が、触れ合ったりしても、聖は気付かないのではないか?そうだ仮に気付いたとしても聖はこれぐらいで動揺するのですかそれでは悟りへの道のりはまだ長いですねハッハッハーとでも言えば誤魔化せる!
よしそれでいこうと自分の顔を聖の顔に近づけた瞬間、
「星」
「は、はぃ!なんでしょう聖!」
「心が乱れていますよ。それではいつまでたっても悟りを啓くことなど叶いません」
「あ、はい……申し訳ございません……」
目を瞑ったままの聖に叱られた。そんなこと言ったって聖……貴女が私の煩悩を掻き立てる張本人なのですよ?
叱られてしまったものはしかたない。反省し、修行に励むとしよう。
先ほどは聖があまりにも魅惑的だったせいでよからぬことをしでかしそうになったが、私は聖とこうして時間を共有しているだけで満足なのだ。
そう、こうして二人きりの時間を誰にも邪魔されず……
「毘沙門天様!」
「帰れ!私は今忙しい!」
寺の門が容赦なく開かれたので、私も思わず容赦なく吐き捨ててしまった。
見たところ、寺に訪れたのは少年と言っても差し支えない、幼さを残した顔をした青年だった。
その青年は「そ、そんなぁ!」と契約を破った悪魔を見るような顔でこちらを見る。
私も少々大人げなかったので、話だけでも聞くことにした。
「コホンッ……それで、何のご用でしょうか?」
「それが!うちの母が!」
病か呪いか……とにかくこの青年の母が倒れたという。ナズーリンは今出かけているので、しかたない、私が行くしかない。
「事情は分かりました、今すぐ向かいます。聖、寺の事よろしくお願いしますね」
「はい。毘沙門天様も気をつけて」
聖は人前では私の事を毘沙門天様と呼ぶ。その他人行儀な呼び方が、私はあまり好きではなかった。
「……日が沈むまでには帰ります。それでは」



「……日が沈むまでには帰ります。それでは」
寅丸はそう言い残し、出かけて行った。寺の中には聖一人が残されるはずだったが、そこにもう一つの影が現れた。
「まったく。たかが人間一人のために毘沙門天自ら赴くとは……ご主人様は神としての自覚が足らない。君もそう思わないかい?」
「貴女はたしか……星の部下の」
たしか名前はナズーリンといったはずだ。きちんと挨拶をしたことはなかったが、よく星がこの妖怪ネズミの話をするため、白蓮は覚えていた。
「それで、私になにか御用かしら?星がいなくなるのを見計らってきたところをみると、あまりよろしい話ではないと思いますが」
「なに、それは私の話を聞いた後の君の捉え方次第さ。率直に言うとね、あまりご主人様をたぶらかさないでもらいたい」
「はあ……たぶらかした記憶などございませんが」
白蓮からすれば言いがかり以外のなにものでもないが、今のナズーリンの言葉に白蓮はなにか含むものを感じた。
ナズーリンは苛立たしげに、
「天然ならば尚更に性質が悪い。常日頃から濡れた髪の毛のようにご主人様にまとわりつき籠絡させようとしてるくせに自覚がないとは、前世が蛇だったのではないか?そもそも神と人間がそんなに近づいては神性が薄れ人間共から崇められ奉られなくなる。君はそういうことを考慮した上で行動しているのか?」
実際には星が聖にまとわりついている状態なのだが、聖はこれだけの暴言を吐かれてもナズーリンに対して怒りを感じていなかった。
それは、ナズーリンが今囚われている感情が、聖にとって最も好きなモノの一つだったからだ。
「成程……分かりました。つまり、貴女は星のことを好いているのですね?」
「なっ!?」
「安心なさい、私は星に対してそのような感情で接していません。貴女は私を気にせず思う存分、星に愛を語ってもよいのですよ?」
「……なにを勘違いしているのか知らんが、私だってそのような感情でご主人様に接しているつもりはない!君は私をバカにしているのか!?」
「ああ今思うと、貴女がよくネズミを使って星を見ていたのはそういうことだったのですね、合点が行きました。そうですよね、誰かが誰かを見つめる時は、その者を愛しているか監視しているかのどちらかくらいでしょうから」
ひくっ、とナズーリンの頬が思わずひきつる。この時、ナズーリンは心底戦慄していた。
こちらの心の弱い部分を引きずり出しいたぶることで動揺を誘い、話をそらしつつ相手を封じ込めしかも敵の正体まで看破するとは。やはりこの女は只者ではない。
「それにバカにするつもりはありませんよ。それに愛は素晴らしいものです。人間も妖怪も神も仏も、皆が皆愛し合えば争いなんて無くなる」
白蓮は最後の言葉だけ、なんとも言えない面持ちで漏らすように語った。
「……それで、ご用件はそれだけですか?誤解が解けたのなら嬉しいのですが」
「あ、ああ。こちらも悪かった、少々感情的になってしまって。だがな、繰り返し言うがあまりご主人様に近づきすぎないでくれ。君がやっていることは、下手をしたらご主人様にも迷惑がかかる」
一気に二つも弱みを握られてしまったナズーリンにとって、もう先ほどのように強気に出ることはできなくなっていた。
しかし、それでも彼女は星のために、妖怪の手助けをしている聖の行動には釘を刺しておく必要があった。
「大丈夫ですよ。そうなったときのことはもう考えてあります。……その時は、星を頼みますよ」
「君は……まさか……」
ナズーリンはまるでこれから起こるであろう災害を予期した時のように絶句し立ち尽くしていると、
「ただ今帰りました!」
寅丸が場の空気を考えないとても陽気な顔で戻ってきた。
「いやー、なんでもネズミを見て気絶しちゃっただけだったみたいで、あの青年も慌てていたから急に倒れたみたいに思ったんでしょうねー。って、ナズーリン?聖と談笑とは珍しい。やっと貴女も聖の素晴らしさを理解することができたのですね!」
「……本当にめでたいねご主人様は。私はこれで失礼するよ」
「あれ?ちょっとナズーリン?……行っちゃった。すみません聖、ナズーリンはおそらく照れているのだと思います」
聖はふぅっとため息を漏らし、
「いつの世の中もすれ違いね……」
と彼女らしくない愚痴をもらした。







それから数年がたった。
私の寺の信仰はますます増え、その寺の尼僧と皆に思われている聖もまた、この数年の間に村人から絶大な人気を誇っていた。
「白蓮様が居れば、もう妖怪は怖くない。夜に怯えて暮す必要なんか無い」と人間たちはもろ手を挙げて喜び踊る。
人間たちが聖に妖怪退治を依頼して、状況が改善されなかったことが一度たりとも無かったからだ。
しかし私は知っている。聖は妖怪を退治などしていない。妖怪を退治するふりをして、こっそりと逃がしたり、逆に手助けをしたりしているのだ。
かくいう私も聖の提案で毘沙門天に弟子入りしたわけだし。
そのことは別に悪いこととは思っていない。たしかに人間たちは妖怪を嫌い恐れているが、聖くらい人徳があれば仮に知られても皆多めに見てくれるだろう。
問題はそこではなく、その、なんというか、聖が私を避けている気がするのだ。
そう思い始めてきたのは最近だが、思い返してみれば結構前から私は避けられていたのではないか?
そのことをナズーリンに相談したところ、「ご主人様の愛が重すぎるのではないかい?」と小馬鹿にするような笑いでからかわれた。
このままでは埒があかない。これはもう、本人に直接聞くしかないだろう。聖なら無下にせずちゃんと理由を教えてくれそうだし。

という決意をしたのが二週間前である。
その間聖は何事もなく業務や依頼をこなし、そして私も作業だけは日頃から習慣づいているため傍目には特に問題なく仕事にあたっていた。……内心は聖にどう話をふったものかという思案で頭が埋め尽くされていたが。
そのまま時間だけが過ぎていき、結局良い案は生まれない。このままでは……
ええい、案ずるより生むが安いというではないか。今思い切って聞くぞ!さあ聞くぞ!よし聞くぞ!南無三!
「ひ、聖!その、今暇ですか?」
バカー!どう見ても聖は仕事中ではないですか!それに受け取り方次第では不快に思われてもしかたない聞き方ですよこれ!
私は心の中で壁に頭を5、6回ぶつけていたが、寛容な聖は特に気を悪くしていない風だった。
「今は仕事中なので暇ではありませんが……なにか用事でも?」
「そ、そうなのです!この仕事が終わった後お時間いただけないでしょうか!?」
聖はちょっと困った表情で、
「そうですね……確かにこの仕事が終われば今日はもうなにもありませんが……でもそろそろ晩御飯の準備もしなくてはならないし」
「じゃあ食事の後でもかまいません!少々お話がしたいのです!」
毒を食らわば皿までだ。私は文字どおり喰い下がった。
そんな私の熱意が伝わったのか、聖はあきらめた顔で、
「わかりました。それでは夕食後私の部屋にきてください」
と、もし違う意味なら舞い上がってしまうような言葉とともに、聖との会話が終了した。
……今思えば、あの時ほど飯の味が分からなかった日はない。


「失礼します」
私は襖に手をかけた。私は聖の部屋を一度だけこっそり見たことがある。
しかしそこは、部屋ではなくむしろ牢屋とでも言ったほうがまだ納得できるのではないかと思うような殺伐さだった。
部屋はその人自身を投影する。ゴミ屋敷のように散らかっている部屋、病的なまでに整っている部屋、そして何もない部屋。
仏壇やその他道具がないのはごくまれにくる妖怪のためなのだろう。聖は内々に寺にけがをした妖怪を招くことがある。
しかしそれにしても物が無さすぎやしないだろうか。私はその時、私の中の聖と本当の聖が実はかけ離れているのではないかと思い、怖くなって部屋をでた。
それ以来ここには寄り付かなかったが……襖を開けた先は、ああ、前となんら変わらない虚無の空間だった。
「どうぞ」
聖が座布団と敷いてくれている。私はばれない様に深呼吸をし、そこに座った。
「それで、話というのは?」
聖が話を促してくれた。私は、とりあえず今思っていることを全て話した。
聖が私を避けているような気がすること。私がなにか悪いことをしたのなら謝るので理由を教えてほしいこと。
聖は黙って私の話を聞いた後、見つめるように私の顔を見て言った。
「星、貴女は人間の味方ですか?それとも私の味方ですか?」
期待した答えと違う上に答えになっていない気がするが、そんなこと決まり切っている。
「私はどんなことがあっても貴女の味方です、聖」
聖と比べれば、どんな人間も有象無象の民草にすぎない。というか、そもそも聖も人間なのにその質問は少々おかしい気がするが……
私の答えを聞いて、聖は嬉しさと悲しさが入り混じったような、目は泣きそうなのに口元は微笑んでいるような……あれはどういった感情なのだろうか?
「星。それが私が貴女を避けていた理由ですよ」
「……?それはいったいどういうことでしょうか」
「今、ちまたではよくない噂が流れています。私が妖怪と繋がっているのではないかと」
「そ、それは事実ですが、聖、貴女は人間たちにもよくしてくれています!いかに人間共とはいえ、そんなことで聖を貶める者などいないはず!」
聖はふうっ、とため息をつき、
「いいえ、人間の浅はかさを侮ってはいけません。人間は自分たちの都合のみで行動します。感謝の心など、その場限りのものなのですよ」
聖はまるで自嘲しているように語った。それは己もまた人間だからか、それとも違うなにかがあるのか、私には分からなかった。
「そうですね……貴女には私の昔のことを話したことがまだ無かったわね。ちょうどよいので教えて差し上げます。人間が、私が、いかに身勝手な存在なのかを」


そして聖は全てを教えてくれた。聖はもう既に人間の枠から外れていること。自分のためだけに魔法を使い、そのために妖怪を利用してきたこと。
なんとも自虐的な話し方だった。そこには敬虔な信者が懺悔をするような、一人の罪深い女しかいない。
私はこの時、改めてこの人を愛しいと感じた。私は初めて聖を内面を覗き、恐怖したことがあった。
それは自分が知らない聖を知るのが怖かったからだ。聖がもし自分の考えているような人でなかったら……そう考えると今までの聖すら聖で無くなる気がして。
しかし今それはない。聖は聖だ。彼女は自分を卑下し語ったが、私はその後の彼女が妖怪のために行動し続けたことを知っている。
誰から聞いたわけではなく、聖を見てそう思っただけだ。
そんな話を聞かせて、私のことを嫌いになれだなんて、そんなのできるわけないじゃないか。
「聖。貴女がどんなにひどい人間か分かりました。しかし、貴女はそのツケをもう払っている!今度は貴女が救われてもいいはずだ!
聖、私は貴女を愛しています。これからもずっと一緒にいてください。私が貴女を幸せにします。そしてこの世界を人間と妖怪が仲良く暮らせる、すばらしいものにしていきましょう」
聖はポカーンと、狐につままれたような顔になっていた。
「…………ありがとう、でも」
「でもなんて言わせません!私が絶対に幸せにします!どんなときでも私は聖の味方です!」
「いいえ、貴女の気持ちを否定するわけではありません。けれど、今はそれではいけないのですよ……」
私の追撃もむなしく、聖は立ち上がると早足で部屋から出ていってしまった。
………………これは、ふられたってことですか?
そういえば質問のちゃんとした答えまだ聞いてなかったなと、今となってはどうでもいい事をふと思った。






その一週間後、事態は前触れなく起こった。
その日、私は村々をめぐって信仰を広めるべく行脚を行っていた。
それほど遠くまで行くつもりは無かったが、聖にふられてからどうも聖と顔を合わせづらくなり、私は外出することが増えた。
聖は今日も妖怪の山に行き、何やら話し合いのようなものをやっているらしかった。
あんまり聖の私生活に首を突っ込むのは憚られると思って聞いていないので、詳しくは知らない。
とりあえず暗くなるまでに帰ろうと思い、私は行脚を区切りのよいところで切り上げ、村に戻ろうとしたその時だった。
「毘沙門天様!大変でございます!」
一人の青年が血相を変えて走ってきた。また病人がでたのだろうか。
しかし次の彼の言葉に、私は立ち尽くすことしかできなかった。否、立ち尽くすことすらできなかった。
「聖様が村人に御捕まりになったそうです!なんでも妖怪と共に村を滅ぼす算段を立てていたと!」
私は彼の言葉を聞いた後、いつのまにか全速力で村に向かって走っていた。どう走ったかは覚えていない。もしかしたら私はあの時虎の姿になっていたかもしれない。
そしてもう少しで村に着きそうという所で、目の前に現れた自分の部下によって行く手を阻まれた。
「そこをどきなさいナズーリン!今がどういう状況なのか分かっているのですか!」
「そういうご主人様が一番状況を分かっていない。いいかい?今あの尼を助けにいったら貴女は人間の敵だ。そうなってしまってはあの尼が今まで何のために心を削ってきたか分からなくなってしまう」
「聖が……それはどういう意味ですかナズーリン」
ナズーリンは、はあっとため息をつき、
「やはり気付いていなかったのか。あの尼はね、いずれこのような事態になることを理解していた。だからこそ、ご主人様が疑われない様に距離を置こうとしていたんだよ。まあ貴女はくだらない勘違いをしていたようだけど」
「く、くだらないとはなんですか!私は真剣に……」
「ああ、それと、あの尼から言伝を預かっている。私の本題はこっちでね、ご主人様には期待してるよ」
ナズーリンは実に楽しそうに、心底面白そうに、「『人間たちに加勢しなさい』、これが尼からの言伝だ」とワケノワカラナイコトバを喋っていた。
私は自然に彼女の胸ぐらをつかんでいた。私は自分が気が長い方だと思っているし、誰かを怒った記憶もない。
ただこの瞬間、確かに私はナズーリンに対して怒りを感じていた。
「なぜそう楽しそうなのですか……貴女がそのような性質だったとは、見損ないましたよナズーリン!」
「見損なった?私は見下げたよご主人様。貴女は優秀な毘沙門天だったはずだ、それがなんだこの体たらくは。あの尼は貴女が人間と共存するのを望んでいるんだ。そのためにはね、貴女はこんなところで迷っている暇はないんだよ」
ナズーリンは私の手を振り払うと、「たしかに伝えたよ」と私の前から立ち去ろうとした。
そしてふとなにかを思い出したかのように振り向いたあと、
「聖の期待に答えろよ。貴女は人間の味方なのだから」
と妖怪の私に置き土産のような言葉ををのこし、そしていなくなった。



走る。また走る。場所は大方の予想はついている。おそらく妖怪の山。私と聖が初めて会った場所。
聖は大丈夫だろうか?殺されてはいないだろうか?嫌な予感と想像で余計頭が混乱する。
ナズーリンにはああ言われたが、私の頭の中では聖に勝るものなど存在しなかった。
もし人間共が聖に辱めを与えていたとしたら、私はそこにいる全ての人間の喉笛を噛みちぎり引き裂き、誰かに殺されるまで殺し続けるだろう。
日はもう落ちていた。私は夜目は利くが、それに頼る必要がなかった。
山のふもと近くで複数の火が燃えているのを見つけたからだ。あれはどう見てもかがり火で、それはそこに聖がいるということを現していた。
「聖……どうか無事で……!」


そこは、一種の異空間だった。
怒り。人間たちの怒りという感情が、煙のようにあたりに充満している。
思わず尻込みしそうになったが、私は意を決してそこに足を踏み入れた。
私がそこへやってきた時、「毘沙門天様……!」「毘沙門天様が参られたぞ……!」と周りがざわめくのが聞こえたが、そんなものを無視して私は歩を進める。
血のにおいがする。そして、あのお方のにおいがする。私はさらに小走りで進む。
そしてついに見つけた聖は、頬が腫れ、縄で縛りつけられた姿だった。


私はそれを見た瞬間、理性というモノが切れそうになるのを感じた。
しかしそんな私を見て、
「あら、こんなところまで何のご用ですか、毘沙門天様?」
聖が夕飯の献立を訪ねるような気軽さでそんなことを訪ねてきた。
「あ……ああ…………」
私はなにも喋れない。聖が何を望んでいるか知ってしまったから。
聖は私の手によって殺されることで、私が聖の仲間ではないことを証明させようとしている。あわよくば人間たちの私への信仰を増やそうとしている。
なんで。なんで。なんで。
なんでそんな、聖が救われない形でしか私は貴女を喜ばせられないのですか。
「毘沙門天様がいらっしゃったということは……私を退治しにきたのですね?」
違う!私は貴女を救うために、貴女を取り返すために、人間共に攫われた貴女を助け出すために来たんだ!それがなんで、私が、貴女を、
「ああ……ああああ………………!」
「確かに私は妖怪の手助けをしてきました。しかし毘沙門天様、私はこのことを間違ったこととは思っておりません」
誰よりも愛した、私の、私が、
「どうか分かってください、毘沙門」
「もうやめてください!!」
私は天に吠えた。それ以上聖から毘沙門天という言葉を聞きたくなかった。
私はこんなことのために毘沙門天になったんじゃない。愛する人を葬るために毘沙門天になったんじゃない……!
そんな私に業を煮やしたのか、周りから殺せ殺せと声が聞こえる。
一人のリーダーらしき男が話しかけてきた。私はこの男に見覚えがあったが、結局思えだせなかった。
「毘沙門天様、この悪女は我々を騙し続けていたのです。どうか、制裁を」
「……殺してはなりません。封印するのです」
言葉にした瞬間、ああ、私は壊れちゃったんだなと、人事のように思った。
「何故です!?奴は只者ではありません!殺さなければ復活の恐れがある!」
「それに関しては心配ありません。弟君が残した法力と私のこの宝塔があれば、永遠にあの者を封印することが可能です」
「しかし……」
「なにか?」
「いえ……」
男はしぶしぶ了解したようで、周りの人間に説明しているようだった。
「貴女も、それでよろしいですね?」
私は感情の無い声で質問という名の承諾を得る。
「ええ、配慮していただきありがとうございます」
そして私は、全ての封印を人間共にやらせた。私はただ見ているだけだった。見殺しているしかなかった。


どんなときでも味方であると誓ったはずの恩人を私は見殺しにした。あの時からだろう、私は心が壊れていた。
聖の計画は私のせいで失敗に終わった。壊れた道具など誰が利用しよう。信仰は無くなり、寺は荒れ果てた。
しかし私はもうどうでもよいと思った。聖のいない世界なんて、生きていても意味が無いのだから――







「ご主人様、起きているかい?食糧を持ってきた」
ナズーリンの声で目が覚めた。悩んでいるうちにうたたねしてしまったらしい。
「ああ、ありがとうございます。それでですね、先ほどムラサ達がここに来たのですよ」
「……ほう、それで?」
「聖の復活に手を貸してほしいと」
「はあ……来る時がきたか。それで?ご主人様のことだから二つ返事で引き受けたのかい?」
「それが、まだ悩んでいるのです。聖には会わせる顔がない」
それを聞いてナズーリンは何千回目になるかわからないため息をこれ見よがしにつけ、
「貴女は、聖に会いたくないのかい?もっと自分に素直になるといい。貴女はもう妖怪なんだから」
そこ言葉は、目からうろこが落ちるようだった。
そうだ。自分は妖怪だ。人間を守るため偽り続けてきた自分はもういない。私は妖怪なんだ。
「ありがとうナズーリン。おかげで目が覚めました」
「え?そ、そうか。それはよかった」
珍しくしどろもどろに話すナズーリン。うん、頼むのなら今しかないな。
「それでナズーリン。実はお願いがあるのですが……」
「おおう、いいたまえご主人様。私はそのためにいるのだから」
その後宝塔を無くした事を言ったらおもいっきり大きなため息を漏らされた。数分間に二回も吐くとはさすがナズーリン。
空は晴れ。絶好の船出日和だ。そろそろムラサ達がやってくる頃だろう。待っていてくださいね、聖!
初投稿です。
いたらないところだらけだと思いますが、どうか見てやってください。
話は原作順守ながら、少々オリジナルを混ぜた作りになっています。
ナズーリン好きな人はごめんなさい……けっして私はナズ嫌いなわけじゃないですよ?
いろちがい
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コメント



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5.90名前が無い程度の能力削除
苦悶する星さんが可愛らしい。
聖とナズーリンも含めた三者の、少しだけすれ違った感情の起伏も
丁寧な文章で書かれていて、ようするに聖マジ聖母
9.90奇声を発する程度の能力削除
とても良いお話でした
最後でちょっと笑ってしまったw
11.90名前が無い程度の能力削除
ええ話や……
14.100名前が無い程度の能力削除
このお話、好きです。

ナズーリンに合掌w