ふっと意識が呼び起こされる感覚があった。誰かが呼んでいる。私は無意識に思った。
私はさとり妖怪だった。
今は自分のこころさえ覚ることができない。
枕元には消印のない手紙が置いてあった。手紙には宛先も差出人についても書かれていない。ちなみに私の書いたものではない。手紙なんて書いた経験すらない。しかしどうやって、これは届いてるのだろうか。おおよその見当はつくがそれじゃあ面白くない。すぐに忘れてしまうことにでも、想いを馳せる。手紙とはそういうものだと教わった。
私、古明地こいしは幻想郷を離れ、現世と呼ばれるところにやってきている。
人の気配を感じない建物のベッドから体を起こす。私は家具屋に寝泊まりしていた。どうやら現世は役割を終え、静かに余生を過ごしているらしい。
世界は終わった。道行く人々はそんな風に言葉を零していた。
彼らは明日を生きるために飢えを凌ぐことを優先していた。当たり前だ。それが本能である限りは。しかしデパートに住むならまだしも、壊れかけたビルや、地下鉄の構内を拠点にする人間がいるのが分からない。怖いから? そんなバカな。柔らかいベッドでしっかり身体を休めずに生きる気力なんて湧くものか。寝ている間に死んでしまうならその程度。私は一度、彼らに説教をしなければならない。彼らは実に愚かだった。
家具屋を出て北に向かって歩き出す。ここの地域は地底の旧都に近い構造をしていて、盤面上の街になっている。つまり今自分がどっちの方角へ歩いているかさえ、分かっていれば元の場所へと戻れることができた。
北には川がある。行く道で私の側を通り過ぎる人はいなかった。時折、そびえたつように並ぶビルや、アパートから聞こえてくる声は陽気な歌であったり、誰かの悲痛な叫びであったり、不思議なものが聞こえてくる。どんな気持ちで行動しているのだろうか。久しぶりにこころを覚ることを羨ましく感じた。しかし、いざ彼らに接触してみて、感情を表に出されたら覚り妖怪の意味がない。
私は第三の目を閉じたから覚り妖怪ではないのか?
私という存在は白くて丸い膜のようなもので覆われ、ぼんやりと宙に浮いて漂っているようだった。
しばらくして目的地に辿りついた。川辺につくと適当に腰掛けて、早速手紙を開く。手紙が届くたびに私はこうしてこの川辺に来て読む。特に理由はなかったが、しいて理由をつけるなら地霊殿には川がなかったからかもしれない。
手紙の文字は神経質そうな字で書かれ、ところどころが水滴が落ちたかのような跡で滲んでいた。書き手の悲しい気持ちが手に取るように分かってしまう。
『こいし、これを読んでいますか?ちゃんと生きてますか?きちんとご飯を食べていますか?
あなたがいなくなって二年が経ちました。こちらでの二年はそちらでも同じ二年間なのか、少し気になります。もしかすると、私は遠い未来に向けて手紙を書いているのかもしれませんね。それってずっとロマンチックな気がします。
あなたが一人いなくなったところで幻想郷は何も変わりませんでした。それはそうですよね、あなたは無意識を扱うのですから。ただ、私たちはとても悲しんでいます。その中で何人があなたを覚えているかは分かりませんが。
空はただでさえバカなのに何もない地底の底から上を見上げていることが増えました。お燐はゾンビフェアリーに、自慢話をすることが増えました。ある日、ふよふよと漂っていた彼女たちに尋ねてみたところ、とても迷惑そうにしていました。勇儀はあまり変わらないですが、お酒の量が増えたような気がします。パルスィは「妬ましい」と言葉にすることが減った代わりによく泣くようになりました。ヤマメとキスメは地底の外にでかけることが増えています。
私たちはこんなに変わったのに、幻想郷は今日も平和にゆっくりと時を刻んでいます。どうして私たちが、私たちだけが、こんなに、こんなにも、悲しいのか。私は大切な妹がいつも近くにいないのは変わらないのに、もう手の届かない遠くに行ってしまったような気がしてしまいます。
あなたに会いたい。
あなたを抱きしめたい。
私はいつでもあなたの帰りを待っています。
古明地さとり』
読み終わった私は呟く。
「違うよ、お姉ちゃん。私の俯瞰している世界はどこも等しく同じなんだ」
言葉にしてから、お姉ちゃんがどんな気持ちで、どんな顔をして、自分の手紙が消えた跡を見ている姿が浮かびあがってきて、胸にぽっかりと穴が空いたかのような気持ちになった。
ああ、私にも痛むこころがまだあったんだ。
「ねぇ、あなた。悲しいの?」
気付くと私の後ろに背の高い少女が立っていた。服は煤で汚れたり、破けていたりした。
「どうしてそんなことが分かるの? あなた妖怪かなにか?」
自分で言ったことに笑いそうになった。妖怪は私のほうだよ。
「えー、やだやだ、怖い。妖怪なんているわけないじゃない!」
少女は私の気持ちには気付かず、大げさに手を振って否定した。
「そうね、妖怪なんているわけが、ない」
「あなた、この辺じゃ始めて見る顔だからさ、ちょっと気になって」
そう言いながら、肩にかけた鞄を川辺に降ろして、少女は私の横に座った。私のどこを見て安全だと思ったのか。私は平気で人を殺すことができるのに。まったく不思議な生き物だなと思った。私と似たような見た目をしているのに、やることなすことが見当もつかない。私なんかよりもずっと分からない。
「――――っていうんだ。貴方は?」
「えっ、えっと、古明地こいしだよ」
「へぇ、珍しい名前ね。どこの地域の苗字かしら……」
もの思いにふけていたせいで聞きそびれたが、どうやら自己紹介だったらしい。結局、名前はなんだったのか。まさか初対面の相手が自分の名前を覚えてないなんて、つゆ知らず少女はカバンから紙とペンと取り出した。私はそれを首を傾げて眺める。
「へへーん。これはね、手紙を書くの」
聞きもしていないのに少女は語り出す。
「へぇ。誰に向けて書くの?」
「それはねー、誰か、かな」
「誰か」
「そう、誰か。私の死んでしまった妹とか。名前も顔も知らないお母さんに向けてとか。うーん、あとはまだ生きているご近所さんとかかな」
ふっと私の手元にある手紙を見た。死んでしまった妹。私の状況を妙に言い当てているような気がした。
「へぇ、面白いことしてるねぇ。いいなぁー」
「でしょ!毎週のようにポストに投函してるんだ。まぁ、郵便屋さんはこないんだけどね……」
「でもさ、きっとやることに意味があるんだよ」
「ほんとに?ほんとにそう思ってる?あなたも良かったらやらない?」
しまった。と後悔した。適当な返事をするべきではなかった。少女がキラキラした瞳でこちらを見ている。
「手紙とか書いたことがないよ」
「思ったことを書けばいいんじゃないかな、うんっ」
「えー」
「手紙ってのはね、ペンを持って書くから落ちついて考えなきゃだし、もらった人も嬉しいんだよ!」
別に私は嬉しくはなかったけど。
「だからね、こいしちゃん、一緒に書こっ」
それから少女はどうやったら手紙を書けるかを説明してくれた。それが終わると、次は自分がどうやって今暮らしているのか。またその話題が尽きると、今度は自分の過去について語りだした。久しぶりに自分を知らない人間(いや私は妖怪だけど)に会えたことが嬉しいようだ。どこかに私が行ってしまわないように、次から次に話題を取り出しては私の顔色を窺っていた。
ふっと、空を見上げると夕方になっていた。人がいなくなっても、太陽はいつものように昇って、沈んでいく。
「あ、そろそろ帰らなきゃ」
川に足をつけて涼んでいた少女は帰る支度を始めた。
「そうだね」
「じゃあ、また明日。この時間にここで会おうね。こいしちゃん」
「うん。分かった」
「また明日ね、こいしちゃん。待ってるから。一緒に手紙を出そうねっ」
少女は私に笑いかけて、去っていった。川辺から少し離れてしまうと、私のことを忘れたかのように振り返ることはなかった。
私はぼんやりとそれを眺めている。
私の傍らには彼女が座った跡と、紙とペンだけが残っていた。
私は手紙を書かなかった。紙とペンは家具屋に置き去りにしてきた。
名前も知らない少女との約束の時間が迫る。私の歩みはすでに川辺と反対に進みだしていた。新しい世界へ。
私には手紙は必要ない。分かりきったことだった。
お姉ちゃんに伝えるべき言葉なんてなかった。私は裏切った。人の痛みが分かるお姉ちゃんだから、きっと分かってしまう。理解できなかったとしても。いや、そもそも分からなかったとしても、分かった振りをする。虚勢を張って。寂しい夜も、悲しい朝も偉そうに地霊殿の椅子に座っている。
皆が不安だったとしても、地霊殿の主はそうでなければならない。古明地さとりという妖怪を構成する要素の一つだから。そうでもしないと、嫌われものたちの行く場所がないから。
私は全てに目を閉ざし、お姉ちゃんにすべてを押しつけた。
まだ生きている。
人のようにして。
覚なのに。
妖怪なのに。
私はそっと閉ざしたさとりの目を撫でた。
さとりの目は小さく震えて、私を憐れんでいるように見えた。
私はさとり妖怪だった。
今は自分のこころさえ覚ることができない。
枕元には消印のない手紙が置いてあった。手紙には宛先も差出人についても書かれていない。ちなみに私の書いたものではない。手紙なんて書いた経験すらない。しかしどうやって、これは届いてるのだろうか。おおよその見当はつくがそれじゃあ面白くない。すぐに忘れてしまうことにでも、想いを馳せる。手紙とはそういうものだと教わった。
私、古明地こいしは幻想郷を離れ、現世と呼ばれるところにやってきている。
人の気配を感じない建物のベッドから体を起こす。私は家具屋に寝泊まりしていた。どうやら現世は役割を終え、静かに余生を過ごしているらしい。
世界は終わった。道行く人々はそんな風に言葉を零していた。
彼らは明日を生きるために飢えを凌ぐことを優先していた。当たり前だ。それが本能である限りは。しかしデパートに住むならまだしも、壊れかけたビルや、地下鉄の構内を拠点にする人間がいるのが分からない。怖いから? そんなバカな。柔らかいベッドでしっかり身体を休めずに生きる気力なんて湧くものか。寝ている間に死んでしまうならその程度。私は一度、彼らに説教をしなければならない。彼らは実に愚かだった。
家具屋を出て北に向かって歩き出す。ここの地域は地底の旧都に近い構造をしていて、盤面上の街になっている。つまり今自分がどっちの方角へ歩いているかさえ、分かっていれば元の場所へと戻れることができた。
北には川がある。行く道で私の側を通り過ぎる人はいなかった。時折、そびえたつように並ぶビルや、アパートから聞こえてくる声は陽気な歌であったり、誰かの悲痛な叫びであったり、不思議なものが聞こえてくる。どんな気持ちで行動しているのだろうか。久しぶりにこころを覚ることを羨ましく感じた。しかし、いざ彼らに接触してみて、感情を表に出されたら覚り妖怪の意味がない。
私は第三の目を閉じたから覚り妖怪ではないのか?
私という存在は白くて丸い膜のようなもので覆われ、ぼんやりと宙に浮いて漂っているようだった。
しばらくして目的地に辿りついた。川辺につくと適当に腰掛けて、早速手紙を開く。手紙が届くたびに私はこうしてこの川辺に来て読む。特に理由はなかったが、しいて理由をつけるなら地霊殿には川がなかったからかもしれない。
手紙の文字は神経質そうな字で書かれ、ところどころが水滴が落ちたかのような跡で滲んでいた。書き手の悲しい気持ちが手に取るように分かってしまう。
『こいし、これを読んでいますか?ちゃんと生きてますか?きちんとご飯を食べていますか?
あなたがいなくなって二年が経ちました。こちらでの二年はそちらでも同じ二年間なのか、少し気になります。もしかすると、私は遠い未来に向けて手紙を書いているのかもしれませんね。それってずっとロマンチックな気がします。
あなたが一人いなくなったところで幻想郷は何も変わりませんでした。それはそうですよね、あなたは無意識を扱うのですから。ただ、私たちはとても悲しんでいます。その中で何人があなたを覚えているかは分かりませんが。
空はただでさえバカなのに何もない地底の底から上を見上げていることが増えました。お燐はゾンビフェアリーに、自慢話をすることが増えました。ある日、ふよふよと漂っていた彼女たちに尋ねてみたところ、とても迷惑そうにしていました。勇儀はあまり変わらないですが、お酒の量が増えたような気がします。パルスィは「妬ましい」と言葉にすることが減った代わりによく泣くようになりました。ヤマメとキスメは地底の外にでかけることが増えています。
私たちはこんなに変わったのに、幻想郷は今日も平和にゆっくりと時を刻んでいます。どうして私たちが、私たちだけが、こんなに、こんなにも、悲しいのか。私は大切な妹がいつも近くにいないのは変わらないのに、もう手の届かない遠くに行ってしまったような気がしてしまいます。
あなたに会いたい。
あなたを抱きしめたい。
私はいつでもあなたの帰りを待っています。
古明地さとり』
読み終わった私は呟く。
「違うよ、お姉ちゃん。私の俯瞰している世界はどこも等しく同じなんだ」
言葉にしてから、お姉ちゃんがどんな気持ちで、どんな顔をして、自分の手紙が消えた跡を見ている姿が浮かびあがってきて、胸にぽっかりと穴が空いたかのような気持ちになった。
ああ、私にも痛むこころがまだあったんだ。
「ねぇ、あなた。悲しいの?」
気付くと私の後ろに背の高い少女が立っていた。服は煤で汚れたり、破けていたりした。
「どうしてそんなことが分かるの? あなた妖怪かなにか?」
自分で言ったことに笑いそうになった。妖怪は私のほうだよ。
「えー、やだやだ、怖い。妖怪なんているわけないじゃない!」
少女は私の気持ちには気付かず、大げさに手を振って否定した。
「そうね、妖怪なんているわけが、ない」
「あなた、この辺じゃ始めて見る顔だからさ、ちょっと気になって」
そう言いながら、肩にかけた鞄を川辺に降ろして、少女は私の横に座った。私のどこを見て安全だと思ったのか。私は平気で人を殺すことができるのに。まったく不思議な生き物だなと思った。私と似たような見た目をしているのに、やることなすことが見当もつかない。私なんかよりもずっと分からない。
「――――っていうんだ。貴方は?」
「えっ、えっと、古明地こいしだよ」
「へぇ、珍しい名前ね。どこの地域の苗字かしら……」
もの思いにふけていたせいで聞きそびれたが、どうやら自己紹介だったらしい。結局、名前はなんだったのか。まさか初対面の相手が自分の名前を覚えてないなんて、つゆ知らず少女はカバンから紙とペンと取り出した。私はそれを首を傾げて眺める。
「へへーん。これはね、手紙を書くの」
聞きもしていないのに少女は語り出す。
「へぇ。誰に向けて書くの?」
「それはねー、誰か、かな」
「誰か」
「そう、誰か。私の死んでしまった妹とか。名前も顔も知らないお母さんに向けてとか。うーん、あとはまだ生きているご近所さんとかかな」
ふっと私の手元にある手紙を見た。死んでしまった妹。私の状況を妙に言い当てているような気がした。
「へぇ、面白いことしてるねぇ。いいなぁー」
「でしょ!毎週のようにポストに投函してるんだ。まぁ、郵便屋さんはこないんだけどね……」
「でもさ、きっとやることに意味があるんだよ」
「ほんとに?ほんとにそう思ってる?あなたも良かったらやらない?」
しまった。と後悔した。適当な返事をするべきではなかった。少女がキラキラした瞳でこちらを見ている。
「手紙とか書いたことがないよ」
「思ったことを書けばいいんじゃないかな、うんっ」
「えー」
「手紙ってのはね、ペンを持って書くから落ちついて考えなきゃだし、もらった人も嬉しいんだよ!」
別に私は嬉しくはなかったけど。
「だからね、こいしちゃん、一緒に書こっ」
それから少女はどうやったら手紙を書けるかを説明してくれた。それが終わると、次は自分がどうやって今暮らしているのか。またその話題が尽きると、今度は自分の過去について語りだした。久しぶりに自分を知らない人間(いや私は妖怪だけど)に会えたことが嬉しいようだ。どこかに私が行ってしまわないように、次から次に話題を取り出しては私の顔色を窺っていた。
ふっと、空を見上げると夕方になっていた。人がいなくなっても、太陽はいつものように昇って、沈んでいく。
「あ、そろそろ帰らなきゃ」
川に足をつけて涼んでいた少女は帰る支度を始めた。
「そうだね」
「じゃあ、また明日。この時間にここで会おうね。こいしちゃん」
「うん。分かった」
「また明日ね、こいしちゃん。待ってるから。一緒に手紙を出そうねっ」
少女は私に笑いかけて、去っていった。川辺から少し離れてしまうと、私のことを忘れたかのように振り返ることはなかった。
私はぼんやりとそれを眺めている。
私の傍らには彼女が座った跡と、紙とペンだけが残っていた。
私は手紙を書かなかった。紙とペンは家具屋に置き去りにしてきた。
名前も知らない少女との約束の時間が迫る。私の歩みはすでに川辺と反対に進みだしていた。新しい世界へ。
私には手紙は必要ない。分かりきったことだった。
お姉ちゃんに伝えるべき言葉なんてなかった。私は裏切った。人の痛みが分かるお姉ちゃんだから、きっと分かってしまう。理解できなかったとしても。いや、そもそも分からなかったとしても、分かった振りをする。虚勢を張って。寂しい夜も、悲しい朝も偉そうに地霊殿の椅子に座っている。
皆が不安だったとしても、地霊殿の主はそうでなければならない。古明地さとりという妖怪を構成する要素の一つだから。そうでもしないと、嫌われものたちの行く場所がないから。
私は全てに目を閉ざし、お姉ちゃんにすべてを押しつけた。
まだ生きている。
人のようにして。
覚なのに。
妖怪なのに。
私はそっと閉ざしたさとりの目を撫でた。
さとりの目は小さく震えて、私を憐れんでいるように見えた。
罪悪感を覚えたこいしは、もう無意識の中には居られないんじゃなかろうか。
さとりはこいしを想い、こいしは気づかないフリをする・・・というところでしょうか(あれ?違うな・・・)
終わりがもやもやする形でしたが、原作に近い古明治姉妹だとこういう終わり方がしっくりする気もします。
舞台は・・・未来の幻想郷(地上)?
しかし、山がないと中々感情移入できないな、と思ってしまいました
ただ、こいしのこともも出会った少女のことも、残されたさとりのことも
もっと読みたいと思いました
ここで終わってしまっているのが少し勿体ないかな