ぺラリ、ペラリ……
右手は綴じられた紙をめくり、書かれた文字を目で追いかける。
意識は脳内に物語を構築し、話の続きを求める。
右手は急かされるように紙をめくり、両目が文字を追いかけ、意識はすぐさま物語りに変換する。
そんな右手と両目と意識の追いかけっこを何度も繰り返し、めくるべき紙がなくなったところで、ほぅ、と息を吐く。
1冊の本を読み終えた満足感と、続き読むことができない寂しさを感じつつ、手の中の本を勘定台の上に置き、コキリと首を鳴らす。
ふむ、どうやら随分と長い間読書に没頭していたようだ。
本を手に取った時はまだまだ高かった日もすっかり陰り、窓の外を夕闇が包み込んでいた。
「さて、そろそろ店を閉める時間かな」
そう口にしたものの、勘定台から外の看板までの十数歩の道のりがやけに億劫に感じる。
今はまだまだ冬の盛り、ドアの向こう側に吹く風はさぞ冷たいことだろう。
しかし、このまま時間がたてば外の気温はどんどん下がっていく。
さりとて春まで店を開けっ放しにしておくわけにも行くまい。
はてさてどうしたものだろう。
やはり、日が落ちてしまう前にのれんを下ろすべきだろうか?
覚悟を決めて椅子から腰を浮かせたところで思い止まる。
いやいや、まだ夕方じゃないか。
夕方といえば妖怪の時間。
店を閉めるのはまだ早い。
人は灯りが一般的ではなかった時代、日の出と共に起き、日の入りと共に寝る生活をしていた。
日のあるうちに人は町を歩き、山を登り、海に出かけ、世界のあちこちを我が物顔で闊歩する。
つまり、日中は人間の時間。
夜になると人が出歩かず、家で眠りにつく。
そして、代わりに山で獣が動き出す。
つまり夜は獣の時間というわけだ。
夜と昼の境界に住むのは幽霊。
怪談の舞台が丑の刻や寅の刻だったり、夜明け前、ふと目を覚ました時に幽霊と出会いやすいのもそのせいだ。
そして、昼と夜の境界に生きるのが妖怪である。
薄暗闇に怪しげな物がうろつく時間。
人はそれを、誰ぞ彼時(たそがれどき)や、逢う魔が時(おうまがとき)などと呼び恐れていた。
最近では時間を気にせずうろついている妖怪も少ないくないが、人と妖怪の両方をターゲットとした店である香霖堂は、
人の時間と妖怪の時間に店を開けておくべきだろう。
「さて、そうと決まれば店番に精を出すとしよう」
僕は浮かせていた腰を下ろし、新たな本へと手を伸ばし―――
―――カランカラン
来客を告げるドアベルの音。
伸ばしかけていた手を戻し、入り口の方へ顔を向ける。
「店主さんは居るかしら?」
妖怪の時間に、冬の冷気と共に店内へ入ってきたのは人間の少女だった。
「やあ、いらっしゃいメイド長」
彼女は紅魔館のメイドにして、香霖堂のお得意様、十六夜咲夜と名乗る少女だ。
「今日は何の御用ですか?」
「これを見てもらえないかしら?」
そう言って少女はゆっくりと勘定台に近づき、エプロンのポケットから銀色の物体を取り出した。
「懐中時計だね」
「ええ、私の愛用の品です」
彼女に断りを入れて懐中時計を受け取る。
銀色の表面に写る僕の顔。
装飾や刻印はなく、非常にシンプルなつくりの時計だ。
ふむ、かなりの年季が入った品の様だが、大きな傷や汚れもない。
懐中時計の性質上、弾幕ごっこの最中も所持しているのだとしたら、ずいぶんと大切にしているのだろう。
チェーンにも目立った傷は見られない。
それにしても、なかなか重量感のあるチェーンだ。
おそらく銀でできているのだろう。
蓋を開き、文字盤を見る。
曇りのないガラスの内側で、針とギリシャ文字が12時41分を示していた。
はて?今は夕方だったはず。
僕は窓から沈みゆく夕日をチラリと確認し、再び文字盤に視線を下ろす。
よく見れば秒針ピクリとも動いていないではないか。
「どうやら壊れているようだね。あまり高くでは買い取れないよ」
「いえ、買取ではなく修理を頼みたいのよ」
彼女の言葉に、僕は小さくため息をついた。
確かに僕は、拾ってきた品物の修理を日常的に行っているし、魔理沙にあげたミニ八卦炉の修理も行う。
頼まれれば衣服の修繕だって行う。
道具のことで頼られるのは悪い気がしないし、道具を大切に、長く使おうとする気持ちはとてもすばらしいと思う。
しかしだ、僕はあくまで古道具屋であって、修理屋では無い。
「時計の修理なら、専門家に頼んだほうがいいんじゃないかい」
「最初は里の時計屋に行ったんだけど、こういったアンティークは専門外だと断られたのよ。だからといって河童に修理を頼むのはちょっと……」
そう言って少女は苦笑する。
確かに河童なら喜んで修理を引き受けてくれるだろう。
彼等の腕は確かだし、機械いじりを頼んで断られることはまず無い。
ただし、本来の形で帰って来るかは別の話だ。
彼等に修理を頼むと、少なくない確率で改造が施される。
「確かに、河童に修理を頼んで、懐中時計に目覚まし機能やら、通話機能やらが付いてしまったらどんな顔をしていいかわからないね」
「でしょ。日常的に使うものですから、心臓に優しいほうが好ましいわ」
「それならばしょうがない。お得意様の心臓を守るためにも一肌脱ぐとしようか」
「お願いするわね」
「じゃあ、工具を取ってくるから少し待っていてくれ」
~☆~
店の奥から工具を手に戻ってくると、少女は勘定台の傍に立ったまま僕を待っていた。
「おや、座って待っていてくれてもよかったのに」
「紅魔館のメイドたる者、よそ様で無作法な真似はできませんわ」
昨今、勝手に店の奥に上がり込んだり、商品の上に座ったりする者が居る中、随分しっかりとした子だ。
僕が出て行ったときより、立ち居地が少々ストーブの傍によっており、ストーブの火力も若干強くなっているような気もするが、きっと気のせいだろう。
僕は勘定台の内側にある椅子に腰を下ろし、ランプに明かりを灯す。
「それでは、君の懐中時計をバラさせてもらうよ」
「ええ、よろしくお願いします」
ガラス板を外し、針を外し、文字盤を外す。
小さなケースの中にひしめき合った歯車を、ピンセットで慎重に取り外し、光を当て検分する。
歯と歯の間に付着する粉末。
「これはホコリ……いや、錆か」
「直りそうかしら?」
僕の呟きに、どこか不安そうに声をかけてくる少女。
「ああ、大丈夫だよ。歯車もバネも壊れていないようだし、リューズもそんなに減っていない。きちんとクリーニングしてやればまた動き出すだろう」
「それで修理は何時ごろ出来そうなの?」
「そうだね、これ位なら2日といった所かな。明後日中には直しておくよ」
「明後日ですか。それまで代わりになりそうな物は……」
辺りを見回す少女。
しかし、店内に並べてあるのは目覚まし時計や柱時計といった、エプロンドレスのポケットには少々大きすぎるものばかり。
きちんと動く懐中時計や腕時計といったものは非売品として倉庫にしまってあるのだ。
「……どれも持ち運ぶには大きすぎるものばかりね。それに全部止まっているじゃない」
彼女の言うとおり、この店の時計はすべてネジが巻かれておらず、電池も外されている。
店内には時間がわかるようなものは存在しない。
「ああ、僕は時計というものがあまり好きじゃないんだ。人は日が空にある時間に生き、獣は月が空にある時間に生きる。
日中と夜の間に妖怪が生き、夜と朝の間には幽霊が住む。この事を理解していれば幻想郷を生きるのは十分さ。あとは太陽と月の位置さえ分かれば、時計なんて必要ないよ。
歯車が一つ欠けただけで時間が分からなくなる人工の時計よりも、常に空に浮かんでいる太陽と月の方が優れていると思わないかい」
「確かに歯車の不調で動かなくなってしまう時計にも問題はあるかも知れないけど、太陽や月も雨や曇りの日には見えなくなってしまうのではないかしら?」
「そんな天気の悪い日は外を出歩かず、家でおとなしくしていればいいのさ」
僕の答えに少女は大きくため息をつく。
どうしたというのだろう、僕の答えに何か問題でもあったのだろうか。
「店主さん、あなたは随分勝手な人ですね。自分独りで生きるのならばそれも良いでしょうが、時計というものは他人と同じ時間を生きるためにあるのですよ。
仮にもここは店なのですから、きちんと動いている時計のひとつも置いてはどうかしら」
なるほど、面白い意見だ。
彼女の言うとおり、客のためにちゃんと動いている時計を置いておくのも良いかもしれない。
しかし、夜中に忍び込んで来るメイド。
早朝から押しかけてくる幽霊使い。
時間という概念に捕らわれたりしない巫女。
客の大半がそんなものを気にしているとは思えないのが問題だ。
「ところで店主さん。先ほど日中は人間の時間、日中と夜の間は妖怪の時間と言っていたけど、半妖である貴方の時間は何時なのかしら?昼と夕方の間になるの?」
僕の時間だって?
そんなものは簡単だ。
「半妖とは人間と妖怪の間という意味ではないよ。人間にして妖怪でもある。つまり、日中と夕方が僕、森近霖之助の時間というわけさ」
「まぁ」
少女は口元に手をあて驚いた表情をする。
「それでは、夕方から夜に活動をするお嬢様は、妖怪にして獣ということになるのかしら?」
「その通り。吸血鬼の特徴として日光が弱点、流水が苦手、噛み付かれると伝染する等があるが、これらは狂犬病の症状と一致している。
つまり、吸血鬼は狂犬病の患者が妖怪化したものだろう。そして、狂犬病のホストは管理されていない犬、つまりは山犬だ。
吸血鬼は悪魔の羽を持つ動物である蝙蝠や、曖昧な存在である霧に変化するが、変化するものの中に狼が含まれるはそのせいだろう。
だから吸血鬼は山犬の妖怪なんだよ。夕方と夜は、妖怪にして獣であるレミリアの時間というわけさ」
「犬ですか?お嬢様はどちらかというと、猫かネズミといった感じじゃないかしら……」
確かに彼女は犬というよりももっと小動物っぽいが、その辺りは個人の資質の問題だろう。
と、その時店内にすっと暗闇が落ちる。
どうやら太陽が完全に山の向こう側に隠れてしまったようだ。
「さて、そろそろ妖怪の時間も終わりだし、店を閉めるよ」
「あら、もうそんな時間ですか。それでは、明々後日の……」
少女は顎に指を当て、虚空を見つめる。
どうしたというのだろう、明々後日のスケジュールに空きがなかったりするのだろうか?
しばらく固まっていた少女は、何かを思いついたように表情を明らめ、瀟洒に微笑む。
「時計がないので正確な時間はわかりませんが、時計は明々後日、人間にして、妖怪の従者にして、悪魔の犬。咲夜の時間に取りに参ります」
人間の時間、妖怪の時間、獣の時間、3つをあわせて咲夜の時間という訳か。
しかし、そんなものは1日の大半を指しているじゃないか。
人の事を勝手な人と言っていたが、目の前の少女も大概である。
いや、この店に来る客が勝手じゃなかった、ためしなんてあっただろうか?
まぁ、対価を払ってくれる客であるならば別に何時来ようともかまわない。
「お客様は神様です。いつでもお待ちしていますよ」
そう言って僕は、少女に不器用な笑顔を返した。
~★~
おまけ的な何か
―――ドンドンドン!
書物から顔を上げ、窓の方へと目を向ける。
外は僅かに白んで来ており、そろそろ夜明け前といった時間だろうか。
窓から視線を戻し、手もとの本へ視線を落とす。
今読んでいたのは、最近手に入れた『徳川家康』という歴史上の人物を題材にした小説で、全26巻からなる、なんとも読み応えのある書物だ。
運よく全巻手に入れることが出来たのだが、ついつい読みふけって徹夜をしてしまったようだ。
ドンドンドン!
さて、店を開く時間までもう少しあるようだし、キリのいいところまで読み進めてしまおう。
半妖である僕は少々眠らなくても問題なく動けるのだ。
ドンドンドン!
「すみませーん!開けてくださーい!」
香霖堂の営業時間は人と妖怪の時間。
そして、時々獣の時間だ。
「あいにくと幽霊の時間は営業時間外だよ」
ページを捲りつつ小声でつぶやく。
ドンドンドン!
「店主さーん、起きてるんでしょー!窓から明かりが漏れてますよー!」
ドアを叩くのは何時ぞやの幽霊使いの少女だろうか。
……あの子は店主の気持ちを全然まるでわかっていない。
「モノを読む時はね、誰にも邪魔されず、自由で、なんというか救われなきゃあダメなんだ。独りで静かで豊かで……」
お話もですが文章がさっぱりとしてて読みやすかったですよ。お話の長さもちょうど良かったかと思います。次の話も楽しみにしてますね。
しかし、不器用に笑う霖之助さんとか……GJ!
なぜ差がついたか慢心、環境の違い
霖之助と咲夜のしっとりとした話と思ったらオチで吹きました。
取り立てかよw
にしても、同じ従者としてこの差は一体なんなのかw
>曇りのないガラスの内側で、針とギリシャ文字が12時41分を示していた。
>はて?今は夕方ばったはず。
話は日常のワンシーンという感じで面白かったです
それ以上 いけない
最後の妖夢にも萌えた