我は狼。
獣であるが故、定まった名は無い。
獣には名は不要。
生まれた時より、唯一匹の獣として行きてきた。
我は獣。
名も無き獣。
我は親を知らぬ。
この世に生を受けた時、我の傍には誰も居なかったからだ。
親も居なければ、兄弟や姉妹も居ない。
使えるべき相手も居なければ、仕えさせる相手も居ない。
我は、生まれた時より孤独だった。
我は獣。
孤独な獣。
我は、獲物と接する方法を知っている。
獲物ならば、喰えば良い。
牙を突き立てて肉を引き裂き、滴る血ごと咀嚼して飲み込めば良い。
それだけの付き合い。
それだけの接し方。
生まれてこの方、ずっとそうやって獲物と接して生きてきた。
我は獣。
獣であるが故に、そうやって生きてきた。
今迄も。
そして、これからも。
我は、獲物以外の何かと接する方法を知らぬ。
もしも相手が獲物でなければ、どうやって接すれば良いのだ?
我の様な狼の中にも、愛情や慕情を持つ者は存在すると言う。
だが、我はそうでない。
我には、愛情が分からぬ。
母も、父も、誰も我の周囲には居なかった。
それ故に、我は誰からも愛情を掛けられず、また、誰に対しても愛情を掛ける事が無かった。
群にも属さずに、孤独な獣として生きてきた。
唯一匹の獣として生まれ、今の今までずっと一匹の獣として生きてきた。
それ故に、我は愛情を知らぬ。
孤独な獣。
一匹の狼。
我は、獲物意外の何かと出会わぬ事を願う。
どうやって接すれば良いのかが、分からぬからだ。
我は狼。
孤独な狼。
腹が減れば獲物を求めて山を彷徨う。
獲物が居れば背後より飛び掛り、牙を突き立てて息の根を止めて我が糧とする。
獲物が居なければ、空腹に耐えるしか無い。
それが、獣と言う生き物だからだ。
己が為に他を喰う。
それだけが、我にでも理解の適う摂理。
それ故に。
それしか理解が及ばぬ故に。
我は獲物を求める。
唯、空腹を満たす為に。
それだけの為に。
雪の様に白い毛皮と、鋭く尖った牙。
ぴんと立った一対の耳と、彼方を見据える一対の瞳。
何時しか、我は大人の狼として成長を遂げていた。
だが、大人の狼となった今でも獲物以外の何かと接した事は無い。
獲物以外の何かに出会わなかったのは、幸運なのだろうか。
はたまたは不運だったのか。
我にはそれが分からぬ。
分かりたいとも思わぬ。
我は獣。
獣であるが故に。
獲物以外の何かと出会いたいとは、到底思えぬ。
我は、命を貪り続けた。
そうする事が、獣の行き方だからだ。
今の今までに糧とした命は数知れず。
之より死ぬまでの間、糧となる命の数もまた知れず。
一匹の獣として死を迎えるその日まで、我は命を貪り喰らう。
負った傷は数知れず。
負わせた傷も数知れず。
流した血は数え切れず。
流させた血も数え切れず。
我は獣。
獣ならば、獣らしく生きるのみ。
獣以上となる事は望まぬ。
獣として生き、やがて死ぬ事が適えばそれで本望。
獣とは、それだけの存在。
我は獣。
それ故に、我は命を貪る。
我は獣。
一匹の獣。
何時しか我は己の体の衰えを感じていた。
この所、逃げる獲物を追いかけても追いつく事が出来ぬ。
獲物に抵抗されて、噛み付いていた牙を解いてしまう事もしばしば。
ぴんと立っていた耳は力なく伏し、彼方までを見据えていた眼光にも今や力は無い。
水面に移る自分の顔を見た時には、その変貌に驚き、自然と納得をしてしまった。
我は老いたのだ。
何度、夏を過ごしただろうか?
何度、秋を楽しんだだろうか?
何度、冬を耐えただろうか?
何度、春を迎え喜んだだろうか?
一度や二度ではない。
我は十分に生きた。
孤独な獣として生まれ、孤独な獣として生き、孤独な獣としてもうじき死を迎える。
我は、幾つもの命を貪った。
我が糧とする為だけに、何回も、何十回も、何百回も、何千回も獲物に牙を突き立てた。
我は獣。
獲物以外との接し方を知らぬ、孤独な獣。
もうじき、孤独な生を終える獣。
それだけの存在。
我は、飢えていた。
肉を糧とせず、何度夜を過ごしただろうか。
もう、身体にまともに力が入らぬ。
震える前足に体重を乗せながら、どうにかこうにか山道を下っている。
こんな時、もしも我が孤独でなかったなら、誰かが支えてくれたのだろうか?
あるいは、我を楽にしてくれたのだろうか?
……止めよう。
我は孤独な獣。
我を楽にしてくれる相手など、何処にも居ないのだから。
この飢えが終わるのは、獲物に牙を突き立てた時か、はたまたは我が力尽きる時か。
我は、当ても無く山を彷徨っていた。
この飢えが終わる時を求めて。
孤独な獣は、死ぬ時もまた孤独。
我は、山道で偶然見つけたニンゲンの娘に襲い掛かり、返り討ちに遭った。
その娘の背には、鳥に良く似た一対の翼。
我が襲い掛かった娘は、ニンゲンではなかったのだ。
ヨウカイと呼ばれる存在。
嵐を巻き起こし、稲妻よりも早く飛び、濁流の如き暴力を操る存在。
我は、獲物と天敵を見誤ったのだ。
我が牙を突き立てるよりも早くヨウカイの娘は我を地に叩き付け、我の腹に鋭い前足の爪を突き立てていた。
腹からダクダクと流れるのは、我の血か。
徐々に、徐々に我の身体から命が抜け落ちているのが分かる。
今の今迄に貪り、糧とした獲物達の命が抜け落ちている。
ヨウカイの娘は我を冷淡な瞳で見下ろしていた。
その瞳には、我の命を奪う事への戸惑いも、躊躇も、憐憫も一分たりとも含まれてはいなかった。
ああ、あの瞳だ。
我が獲物達に向けていたのと同じ瞳だ。
我は、命を奪う時にあの瞳をしていたのだ。
ほんの一瞬の熱さの後、我は叫んでいた。
遠吠えとも、威嚇とも違う声。
我にこの様な声が出せるとは思わなかった。
我は、怖かったのだ。
死ぬのが怖い。
命を失うのが怖い。
こんな所で、孤独に死ぬのは、怖い。
獣として死ぬ事を望んでいた我が、死を前にして怯えている。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
死にたくない。
もっと生きたい。
何かと接したい。
怖い。死ぬのが怖い。
孤独は怖い。
一匹は怖い。
こんな所で、死にたくない。
ダクダクと、我の身体から命が抜け落ちている。
死ぬ。
我は、死ぬ。
一匹の孤独な獣として生き、孤独な獣としてヨウカイの娘に殺されてしまう。
それだけの獣。
死の一時を迎えるまで、ずっと、ずっと孤独な獣。
ずっとずっと、孤独な獣だった。
死ぬ。死んでしまう。死んでしまう!
嫌だ! もっと、もっと、もっと……生きたい!
死にたくない! 死にたくない!
「……ふぅん? 見た所、年老いた狼の様ですね……
急に襲い掛かるモンだから、反射的に殺してしまいましたが……あやや、まだ生きていますね。しぶとい物です」
ヨウカイの娘が、何かを呟いている。
徐々に薄れ行く意識の中、我に残された残り僅かな命が、その声を受け止めていた。
「そう言えば、大天狗様が哨戒用の天狗を欲しがっておられましたっけ。
さあてどうしましょうか。こんな所におあつらえ向きな狼が一匹ですけど。うーん……」
ヨウカイの娘は、我を抱き起こす。
白い毛皮が我の血で汚れるのも気にせずに、ヨウカイの娘は我の顔を覗き込んでいる。
「うわっ、意外と重いですね。流石は老練の狼と言った所でしょうか。
傷口は……うわっ、予想以上にスッパリ行っちゃいましたねー。流石は私と言うべきか、何と言うか……爪、切ろうかなあ」
あたたかい。
ヨウカイの娘のぬくもりが、我に伝わっている。
これが、ぬくもりと言う物なのか?
我を殺した相手だと言うのに、我はそんなヨウカイの娘からぬくもりを感じている。
だが、もう駄目だ。
徐々にぬくもりを感じる事すら出来なくなっている。
我は余りにも多くの血を失った。
我は、死ぬ。
怖い。
死ぬのが、怖い。
我は――……
「……よし。決定です。この狼が望むならば――」
もっと――……
「この狼が望むのならば、新たなる命を授けてあげましょう。
そうね――名前は――……」
生きたい――……
「……あら、綺麗な紅葉………………あ、そうだ。この景色にちなんで、"もみじ"なんて良いかも」
場所は、妖怪の山。天狗の集落にて。
一人の白狼天狗が取材より帰還した鴉天狗を迎えていた。
迎える白狼天狗は、犬走椛。
迎えられる鴉天狗は、射命丸文である。
「文さん! 今日も取材お疲れ様です!」
「うん。椛もお勤めご苦労様。今日は大変だったでしょう? 白黒の魔法使いが来たって言うし」
「あ、あはは……一応反撃はしたんですけど、負けちゃいました……」
「やれやれ……あいつには新聞の力でお灸を据えてやるとしますか。ペンは箒より強し! ってね」
「ダメですよー! 捏造報道なんかをしたら、"じゃーなりずむ"に反しますっ!」
「いやいや。白黒の場合は普段からやっている事をありのまま書けば、それだけで名誉に傷が付くと言うかですねぇ……」
「う、うー……文さんの新聞、私は好きなんですから……その、誰かを非難するのに記事を書くのは、何か嫌だなあって」
「ふーん。私は、椛が任務に失敗してしまった尻拭いの為に記事を書こうと思ったんですけどねぇ。そうか、椛はその必要も無いと」
「自分の失敗は自分で責任を取りますっ! 何時までも子ども扱いしないで下さい!」
「実際子供の癖に」
「そ、それはそうですけど! でもでもでもっ!」
「あーはいはい。椛は頑張り屋さんですからねー。次回の活躍に乞うご期待と言う事で楽しみにしていますよっと」
「うー……そう言うのが、子ども扱いだって言うんですよー……私だって、下っ端なりに一人前なんですから……」
「そんなので満足するなっての。もっと向上心を持て! 向上心を! あんたは私の自慢の狼なんだから! 向上心を持ちなさいっ!」
「はーい……って、文さんさっき"私の自慢の"って言っていましたけど、それってどう言う――」
「さー取材取材! 次は地霊殿よー! いざ、出発ぅ!」
椛が質問を終えるよりも疾く、文は風に乗ってその場を去ってしまう。
残された椛はぽかんとした表情のまま、文の飛び去った方角へ向けて叫ぶのみである。
「あ、文さーんっ! 文さんってばーっ!
…………行っちゃった……はぁ。しょうがないなあ。
……でもまあ……期待されているのなら、頑張らないとなあ。
うん。次は絶対に負けない。文さんの期待通り、次は絶対にあの白黒をやっつけてやるんだから!
そうと決まれば特訓特訓! 絶対に、次は勝つ!」
犬走椛。
かつては、孤独だった獣。
今は、一人前の白狼天狗。
もう、孤独な獣ではない。
仲間や友達、あるいは敵対者と接しながら、椛は今日も剣を振るう。
誰かに期待されて。
あるいは、誰かに支えられて。
はたまたは、誰かに邪魔をされながら。
かつての孤独な獣は、一匹の誇り高き白狼天狗として今を生きている。
獣であるが故、定まった名は無い。
獣には名は不要。
生まれた時より、唯一匹の獣として行きてきた。
我は獣。
名も無き獣。
我は親を知らぬ。
この世に生を受けた時、我の傍には誰も居なかったからだ。
親も居なければ、兄弟や姉妹も居ない。
使えるべき相手も居なければ、仕えさせる相手も居ない。
我は、生まれた時より孤独だった。
我は獣。
孤独な獣。
我は、獲物と接する方法を知っている。
獲物ならば、喰えば良い。
牙を突き立てて肉を引き裂き、滴る血ごと咀嚼して飲み込めば良い。
それだけの付き合い。
それだけの接し方。
生まれてこの方、ずっとそうやって獲物と接して生きてきた。
我は獣。
獣であるが故に、そうやって生きてきた。
今迄も。
そして、これからも。
我は、獲物以外の何かと接する方法を知らぬ。
もしも相手が獲物でなければ、どうやって接すれば良いのだ?
我の様な狼の中にも、愛情や慕情を持つ者は存在すると言う。
だが、我はそうでない。
我には、愛情が分からぬ。
母も、父も、誰も我の周囲には居なかった。
それ故に、我は誰からも愛情を掛けられず、また、誰に対しても愛情を掛ける事が無かった。
群にも属さずに、孤独な獣として生きてきた。
唯一匹の獣として生まれ、今の今までずっと一匹の獣として生きてきた。
それ故に、我は愛情を知らぬ。
孤独な獣。
一匹の狼。
我は、獲物意外の何かと出会わぬ事を願う。
どうやって接すれば良いのかが、分からぬからだ。
我は狼。
孤独な狼。
腹が減れば獲物を求めて山を彷徨う。
獲物が居れば背後より飛び掛り、牙を突き立てて息の根を止めて我が糧とする。
獲物が居なければ、空腹に耐えるしか無い。
それが、獣と言う生き物だからだ。
己が為に他を喰う。
それだけが、我にでも理解の適う摂理。
それ故に。
それしか理解が及ばぬ故に。
我は獲物を求める。
唯、空腹を満たす為に。
それだけの為に。
雪の様に白い毛皮と、鋭く尖った牙。
ぴんと立った一対の耳と、彼方を見据える一対の瞳。
何時しか、我は大人の狼として成長を遂げていた。
だが、大人の狼となった今でも獲物以外の何かと接した事は無い。
獲物以外の何かに出会わなかったのは、幸運なのだろうか。
はたまたは不運だったのか。
我にはそれが分からぬ。
分かりたいとも思わぬ。
我は獣。
獣であるが故に。
獲物以外の何かと出会いたいとは、到底思えぬ。
我は、命を貪り続けた。
そうする事が、獣の行き方だからだ。
今の今までに糧とした命は数知れず。
之より死ぬまでの間、糧となる命の数もまた知れず。
一匹の獣として死を迎えるその日まで、我は命を貪り喰らう。
負った傷は数知れず。
負わせた傷も数知れず。
流した血は数え切れず。
流させた血も数え切れず。
我は獣。
獣ならば、獣らしく生きるのみ。
獣以上となる事は望まぬ。
獣として生き、やがて死ぬ事が適えばそれで本望。
獣とは、それだけの存在。
我は獣。
それ故に、我は命を貪る。
我は獣。
一匹の獣。
何時しか我は己の体の衰えを感じていた。
この所、逃げる獲物を追いかけても追いつく事が出来ぬ。
獲物に抵抗されて、噛み付いていた牙を解いてしまう事もしばしば。
ぴんと立っていた耳は力なく伏し、彼方までを見据えていた眼光にも今や力は無い。
水面に移る自分の顔を見た時には、その変貌に驚き、自然と納得をしてしまった。
我は老いたのだ。
何度、夏を過ごしただろうか?
何度、秋を楽しんだだろうか?
何度、冬を耐えただろうか?
何度、春を迎え喜んだだろうか?
一度や二度ではない。
我は十分に生きた。
孤独な獣として生まれ、孤独な獣として生き、孤独な獣としてもうじき死を迎える。
我は、幾つもの命を貪った。
我が糧とする為だけに、何回も、何十回も、何百回も、何千回も獲物に牙を突き立てた。
我は獣。
獲物以外との接し方を知らぬ、孤独な獣。
もうじき、孤独な生を終える獣。
それだけの存在。
我は、飢えていた。
肉を糧とせず、何度夜を過ごしただろうか。
もう、身体にまともに力が入らぬ。
震える前足に体重を乗せながら、どうにかこうにか山道を下っている。
こんな時、もしも我が孤独でなかったなら、誰かが支えてくれたのだろうか?
あるいは、我を楽にしてくれたのだろうか?
……止めよう。
我は孤独な獣。
我を楽にしてくれる相手など、何処にも居ないのだから。
この飢えが終わるのは、獲物に牙を突き立てた時か、はたまたは我が力尽きる時か。
我は、当ても無く山を彷徨っていた。
この飢えが終わる時を求めて。
孤独な獣は、死ぬ時もまた孤独。
我は、山道で偶然見つけたニンゲンの娘に襲い掛かり、返り討ちに遭った。
その娘の背には、鳥に良く似た一対の翼。
我が襲い掛かった娘は、ニンゲンではなかったのだ。
ヨウカイと呼ばれる存在。
嵐を巻き起こし、稲妻よりも早く飛び、濁流の如き暴力を操る存在。
我は、獲物と天敵を見誤ったのだ。
我が牙を突き立てるよりも早くヨウカイの娘は我を地に叩き付け、我の腹に鋭い前足の爪を突き立てていた。
腹からダクダクと流れるのは、我の血か。
徐々に、徐々に我の身体から命が抜け落ちているのが分かる。
今の今迄に貪り、糧とした獲物達の命が抜け落ちている。
ヨウカイの娘は我を冷淡な瞳で見下ろしていた。
その瞳には、我の命を奪う事への戸惑いも、躊躇も、憐憫も一分たりとも含まれてはいなかった。
ああ、あの瞳だ。
我が獲物達に向けていたのと同じ瞳だ。
我は、命を奪う時にあの瞳をしていたのだ。
ほんの一瞬の熱さの後、我は叫んでいた。
遠吠えとも、威嚇とも違う声。
我にこの様な声が出せるとは思わなかった。
我は、怖かったのだ。
死ぬのが怖い。
命を失うのが怖い。
こんな所で、孤独に死ぬのは、怖い。
獣として死ぬ事を望んでいた我が、死を前にして怯えている。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
死にたくない。
もっと生きたい。
何かと接したい。
怖い。死ぬのが怖い。
孤独は怖い。
一匹は怖い。
こんな所で、死にたくない。
ダクダクと、我の身体から命が抜け落ちている。
死ぬ。
我は、死ぬ。
一匹の孤独な獣として生き、孤独な獣としてヨウカイの娘に殺されてしまう。
それだけの獣。
死の一時を迎えるまで、ずっと、ずっと孤独な獣。
ずっとずっと、孤独な獣だった。
死ぬ。死んでしまう。死んでしまう!
嫌だ! もっと、もっと、もっと……生きたい!
死にたくない! 死にたくない!
「……ふぅん? 見た所、年老いた狼の様ですね……
急に襲い掛かるモンだから、反射的に殺してしまいましたが……あやや、まだ生きていますね。しぶとい物です」
ヨウカイの娘が、何かを呟いている。
徐々に薄れ行く意識の中、我に残された残り僅かな命が、その声を受け止めていた。
「そう言えば、大天狗様が哨戒用の天狗を欲しがっておられましたっけ。
さあてどうしましょうか。こんな所におあつらえ向きな狼が一匹ですけど。うーん……」
ヨウカイの娘は、我を抱き起こす。
白い毛皮が我の血で汚れるのも気にせずに、ヨウカイの娘は我の顔を覗き込んでいる。
「うわっ、意外と重いですね。流石は老練の狼と言った所でしょうか。
傷口は……うわっ、予想以上にスッパリ行っちゃいましたねー。流石は私と言うべきか、何と言うか……爪、切ろうかなあ」
あたたかい。
ヨウカイの娘のぬくもりが、我に伝わっている。
これが、ぬくもりと言う物なのか?
我を殺した相手だと言うのに、我はそんなヨウカイの娘からぬくもりを感じている。
だが、もう駄目だ。
徐々にぬくもりを感じる事すら出来なくなっている。
我は余りにも多くの血を失った。
我は、死ぬ。
怖い。
死ぬのが、怖い。
我は――……
「……よし。決定です。この狼が望むならば――」
もっと――……
「この狼が望むのならば、新たなる命を授けてあげましょう。
そうね――名前は――……」
生きたい――……
「……あら、綺麗な紅葉………………あ、そうだ。この景色にちなんで、"もみじ"なんて良いかも」
場所は、妖怪の山。天狗の集落にて。
一人の白狼天狗が取材より帰還した鴉天狗を迎えていた。
迎える白狼天狗は、犬走椛。
迎えられる鴉天狗は、射命丸文である。
「文さん! 今日も取材お疲れ様です!」
「うん。椛もお勤めご苦労様。今日は大変だったでしょう? 白黒の魔法使いが来たって言うし」
「あ、あはは……一応反撃はしたんですけど、負けちゃいました……」
「やれやれ……あいつには新聞の力でお灸を据えてやるとしますか。ペンは箒より強し! ってね」
「ダメですよー! 捏造報道なんかをしたら、"じゃーなりずむ"に反しますっ!」
「いやいや。白黒の場合は普段からやっている事をありのまま書けば、それだけで名誉に傷が付くと言うかですねぇ……」
「う、うー……文さんの新聞、私は好きなんですから……その、誰かを非難するのに記事を書くのは、何か嫌だなあって」
「ふーん。私は、椛が任務に失敗してしまった尻拭いの為に記事を書こうと思ったんですけどねぇ。そうか、椛はその必要も無いと」
「自分の失敗は自分で責任を取りますっ! 何時までも子ども扱いしないで下さい!」
「実際子供の癖に」
「そ、それはそうですけど! でもでもでもっ!」
「あーはいはい。椛は頑張り屋さんですからねー。次回の活躍に乞うご期待と言う事で楽しみにしていますよっと」
「うー……そう言うのが、子ども扱いだって言うんですよー……私だって、下っ端なりに一人前なんですから……」
「そんなので満足するなっての。もっと向上心を持て! 向上心を! あんたは私の自慢の狼なんだから! 向上心を持ちなさいっ!」
「はーい……って、文さんさっき"私の自慢の"って言っていましたけど、それってどう言う――」
「さー取材取材! 次は地霊殿よー! いざ、出発ぅ!」
椛が質問を終えるよりも疾く、文は風に乗ってその場を去ってしまう。
残された椛はぽかんとした表情のまま、文の飛び去った方角へ向けて叫ぶのみである。
「あ、文さーんっ! 文さんってばーっ!
…………行っちゃった……はぁ。しょうがないなあ。
……でもまあ……期待されているのなら、頑張らないとなあ。
うん。次は絶対に負けない。文さんの期待通り、次は絶対にあの白黒をやっつけてやるんだから!
そうと決まれば特訓特訓! 絶対に、次は勝つ!」
犬走椛。
かつては、孤独だった獣。
今は、一人前の白狼天狗。
もう、孤独な獣ではない。
仲間や友達、あるいは敵対者と接しながら、椛は今日も剣を振るう。
誰かに期待されて。
あるいは、誰かに支えられて。
はたまたは、誰かに邪魔をされながら。
かつての孤独な獣は、一匹の誇り高き白狼天狗として今を生きている。
まさか椛だったとは……
面白かったです。
うまく説明できないけど独特でした
うまく説明できないけど独特でした