あれがいつの寝物語だったのか、もう忘れてしまったのだが。
頭の片隅、手の届きづらい窪みの奥に、ずぅっとこびり付いている記憶がある。
――ねぇ、ゆかり。
―――……ちっこい癖に、呼び捨ててくれる生意気さだけは先代譲りってところかしらねぇ。なぁに?
――げんそうきょうは、きえちゃうの?
―――そりゃあ形あるものだもの、いつかは滅んでしまうでしょうね。
――いつ? らいしゅうあたり?
―――また唐突な話ねぇ。大丈夫よ。私の目が黒い内は、そんなことないから。
――ほんとに?
―――えぇ。信じられない?
――だって、みんなこわがってるよ。にんげんも、ようかいも、みんな。
私も、怖いと思った。
明日になれば私たちも、この世界も、消え失せているのかもしれない恐怖。
――こんなちっちゃなはこにわなんて、すぐこわれちゃうって。
―――あら、難しい言葉覚えたのね。
――さとのひとがいってたの。
―――まったく、幻想に生きる者が、幻想を信じられなくなっていたら、世話はないわ。
――ゆかり、おこってる?
―――ん。ちょっと悲しくなっただけよ。
―――今夜はそれが怖くて、眠れなかったの?
―― ………………。
―――隠さなくったっていいのよ。貴女はまだこんなに小っちゃい子供なのだし。
――こどもじゃないもん。
―――あら、ムクれちゃって。
―――でも、安心しなさい。
―――たとえこの郷が箱庭だとしても、守るのはこの私が全力を傾けて作った箱ですもの。それに……
「幻想の力は、皆が思っているより、ずっと強いから」
そういって抱きしめてくれた温もりは、私をすっぽりと包み込んで、恐怖を拭い去っていった。
頭の片隅、手の届きづらい窪みの奥に、ずぅっとこびり付いている記憶がある。
たぶんそれが、私の覚えている一番古くて、一番大事な記憶。
◆ ◆ ◆
博麗神社で開かれる宴会は、ちゃんとした理由があって開かれる方が珍しいと言えるだろう。
大体は誰かが前触れもなく言い出して、「言いだしっぺ幹事の法則」によって主催が決まり、開幕の運びと相成るわけである。
「全く、ホントに暇なのね。どいつもこいつも」
博麗霊夢はちゃぶ台に肘を突き、境内を眺めながら溜め息をついた。別に酒がイヤなわけではない。むしろ好きな方だ。だが明日の朝、大惨事の後片付けを行うのは自分であると思ったら、そりゃあ憂鬱にもなる。
「どいつもこいつも忙しくしてる幻想郷なんて、考えたくもないわね」
そう言って霊夢のウンザリを笑い飛ばすのは、傍らの大妖怪、八雲紫だ。
今夜の主犯はコイツである。いつ思い立ったのかは知らないが、 霊夢が気づいた時には幻想郷各勢力に話は付き、宴会の日時も面子も決まってしまっていた。こうなっては、霊夢は首を横には振れない。酒には異常な執着を示す連中のこと、断れば前代未聞のボスオンパレードが待っているだろう。
本当にいらんところでムダにアグレッシブな賢者だ。いつもは食っちゃ寝、食っちゃ寝という生活のくせに。さっさと牛になってしまえ。とこんな感じで、霊夢の機嫌は悪くなる一方、ストップ安直前というわけである。
「いつまでもそんなに怖い顔をしてないで、そろそろ機嫌を直しなさいよ霊夢。タダ酒は好きでしょう?」
「そうね。タダ酒を一人縁側でしんみりと呑るのが好きだわ。」
「若くないわねぇ。少女なら少女らしく、若気の至りに任せて暴れればいいのに。呑んで騒ぐ楽しさを知らないなんて、人生の八割五分は損しているわ」
「宴会取ったら十五パーしか残らない人生なんてイヤよ」
ズズ、とお茶を啜る霊夢に、今度は紫が溜め息をついた。
目の前に置かれた来客用の湯飲みを見つめる。茶柱が立っていた。皮肉だ。
普段はサバサバとしている霊夢だが、一旦ヘソを曲げてしまうと長いのである。
不意打ちで宴会を告げたあの日からこっち、紫とはもうまともに目を合わせようともしない。このお茶だって、紫が自分で入れたのだ。
このままではマズい。怒りの矛先が自分だけに向かうのならまだいいが、もしも宴会の席で爆発してしまったら。
何とかして霊夢の機嫌を、上向きとはいかないまでも、せめてフラットに戻す必要がある。
妖怪賢者には、とっておきの秘策があった。
「ところで、今日はショバ代として、こんなものを持ってきたのだけど」
紫はとん、と箱をちゃぶ台に置いた。
霊夢は境内を眺めたままだ。だがその耳がぴくりと動いたのを、紫は見逃してはいない。
巫女と言えど物欲はあろう。何かを貰えるとなれば、それが気にかかってしまうのは当然である。ひとの心の隙を見事に突いた、大妖怪一世一代の大勝負であった。
早い話が、プレゼント攻勢である。
「……何それ。外からの?」
ようやっと視線をこちらに向け、霊夢が問う。紫にとってはここからが勝負だ。
この箱の中身を霊夢が果たして気に入れば良し。もしお気に召さなければ、今夜は地獄も真っ青の重い空気の中でマズい酒を呑まなければならない。そうなってしまっては、この商品を快く無料で提供するハメになった香霖堂も浮かばれまい。
「ふふ、見てのお楽しみよ」
紫は箱を開き、中身を取り出してちゃぶ台に並べていく。
その箱には、レタス、トマト、セロリといったみずみずしい野菜とともに写る、円筒形の装置のようなモノの写真が載っていた。
白い水筒にも見えるそれは、確かに外の世界のもののようだ。
が、どうやら水筒にしては、付属している部品の数が多い。カップなんて三つも四つもあるし、何だか手裏剣みたいな形状のものまで出てきた。
「見ても楽しめないんだけど」
「いいからいいから。あ、お台所借りるわね」
ふんふんと鼻唄を歌いながら出て行った紫は、ものの一分で戻ってきた。その手には今朝買ってきたリンゴとクルミ、そして明日の朝食にしようと思っていた食パンがある。
「これで準備完了よ。さぁ、この筒の素晴らしさを思い知りなさい!」
――読者の方々には非常に申し訳ないが、コレについて説明する妖怪賢者こと八雲紫の姿を描写することは、私には出来ない。
しかし、コレが一体何であるか分からなければ話は進まない。
なので諸兄には手間を取らせるが、一旦頭の中を別の時空へと切り替えていただこう。
意味もなく家でゴロゴロしている気だるい昼間、もしくはついつい寝付けなかった深夜から未明にかけて、そんな時間に何の気なしに見てしまったテレビ番組。そのコマーシャルを思い浮かべていただければ幸いである。
「はぁ、憂鬱だわ」
「HAHAHA、一体どうしたんだいケイト。そんなキュ~トに溜め息なんかついちゃって」
「どうしたもこうしたもないわよジョン。うちで開催するホームパーティーは明日だっていうのに、メニューも何もまだ決まってないのよ!」
「オーケイ! 何も心配することはないさ。それならこの『ハイパーミキサー・ファンタズム』を使うんだ」
「オゥ、なぁにその筒は」
「コイツはとってもユースフルな調理器具さ! コレさえあれば、どんな料理だろうとアッというまに完成しちゃうんだ。例えばほら、この見るからに美味しそうなリンゴ」
「リンゴを切り分けて種を取って、その中へ入れてどうするの?」
「あとはこのフタを十秒押さえるだけ! そうしたらホラ! ジュ~シ~なリンゴジュースの出来上がり! 思わずヨダレが出ちゃいそうだろ?」
「まぁスゴイわ! で、次はそのクルミをどうしようというの?」
「こっちも簡単! 殻を取って放り込んでフタを十秒押さえれば……」
「まぁ! あっという間にクルミがクラッシュされて、トッピングにピッタリな感じになったわ!」
「さらにさらに! ただの食パンもこの『ハイパーミキサー・ファンタズム』にかかれば……。ほら見て! サラッサラのパン粉の完成だ!」
「揚げ物にもとってもお役立ちね!」
「ケイト、これで明日のホームパーティの準備も万全だろ?」
「えぇ、とっても助かるわ! サンキュー、ジョン!」
「こ~んな便利な、この『ハイパーミキサー・ファンタズム』。今ならたったの……」
とまぁ、大体こんな感じの寸劇を紫がノリノリで披露していたという事実は、流石に大妖怪の名に響くと考え、描写を割愛した次第。私の葛藤の一端でも理解していただければ幸いである――
「そ、それは凄いわ……!」
あっという間に、霊夢は万能ミキサーの虜になってしまった。視線は驚きに満ちたまま、白く輝く筒にクギ付けだ。きっと「多機能」という言葉に弱いお年頃なのだろう。
「中のカッターを付属のものに換えれば、タマネギの微塵切りだって思いのまま。もう涙目になりながら包丁を振るう必要なんてなくなっちゃう! どうよコレ!」
対する紫も、未だ宣伝口調が抜けていない。その美麗なブロンドヘアーのせいもあってあまりにもハマり過ぎており、テレビショッピングを見たこともないはずの霊夢でさえ「凄いわケイト!」と叫び出さんばかりだったとか。
「こんな凄いものを、貰っちゃっていいの……?」
「えぇ。貴女には今回、迷惑をかけてしまったしね。ジュースでも微塵切りでも、これからは思いのままだから……。これで機嫌を直してちょうだい、霊夢」
「許す! 全力で許すわ! 紫愛してる!」
霊夢が紫の胸に飛び込んできた。純和風の茶の間に、その瞬間だけバラ柄トーンが咲き乱れているように見えた。
紫は安堵する。今夜呑む酒は、きっとこの上なく美味いに違いない。だって霊夢の心は今やストップ安どころか、ストップ高を突き破って最高値を記録しようとしているのだから。
ありがとうジョン。ありがとうケイト。ありがとう香霖堂。
ごろなぁ、ごろなぁと己が胸で甘え続ける霊夢の頭を、「HAHAHA、愛い奴よマイキティ」となでくりなでくりしようと、紫が右手を持ち上げたその時。
ようやく、その視線に気がついた。
不機嫌霊夢はずっと境内を眺めていたのだから、当然茶の間の戸もずっと開け放たれていたのである。
バッ、とその方向を二人が一緒に向いたのは、第三者の視線に、というか明らかな気まずさオーラに、同時に気付いたからに他ならない。
「あー……。いや、その、なんだ。準備でも手伝おうかと思って来たんだけど……」
すぐそこに、やっちまったという表情で頬をひくひくさせた、黒白魔法使いが立っていた。
「仲良いことは知ってたけどさ……。いやまさか、こんな独特のテンションで盛り上がれるレベルとは思わなくて……」
完璧で瀟洒なメイドが最高にハイな時でも、ここまで完全に世界を止めることはできないだろうと思われた。
◆ ◆ ◆
「――ぁったくもう! 飛んだとばっちりだったぜ」
縁側に腰掛ける霧雨魔理沙は、もうとっくにデキ上がっている。
普段の酒の席であれば、こんな風ににひとりポツネンと呑んでいたりはしない。気の置けない連中に混じって楽しく呑み明かすもよし。異変で勝負して以来あまり顔を合わせなかったヤツのところへ押しかけ、これを機に親睦を深めるもよし。いわゆる『呑みニケーション』というやつが大好きなのである。
さて今の魔理沙はと言えば、溜まった鬱憤を愚痴に変えて、誰かにブチまけたい気分だ。今夜の宴会には、幻想郷の主だった人妖たちのほとんどが参加している。理由もなく突発的に開かれた会であったはずなのだが、皆ヒマだったようだ。この場にいない魔理沙の知り合いに思い当たる方が難しい。愚痴る相手もここなら簡単に見つかるはずだ。
いつもなら大抵その被害者となるはずの、魔女仲間連中の姿ももちろんある。アリスは幻想郷に現れた新たな魔女こと、聖白蓮に付きっ切りだ。多分あれは魔法談義に花を咲かせたいのだろう。しかし傍から見ていると、アリスが一方的に喋りまくっているのを、白蓮がほにゃんと聞き流しているようにしか見えない。人付き合いが苦手なアリスは、『会話は言葉のキャッチボールである』という大原則をすっ飛ばしてしまっているようだ。あれじゃあ白蓮にとっては、キャッチボールをするどころか、ピッチングマシーンを前に徒手空拳で立ち尽くすようなものだ。せめてグローブくらい渡してやったらどうなんだ、アリスよ。
だがそれも、二人から何人分か離れたところに、紅魔館の一味と共に座るパチュリーよりはマシである。宴席まできて本を広げているのだが、その実先程からアリスと白蓮の方にちらちらと視線を投げかけている。話に混ざりたがっているのがバレバレだ。混じりたいなら行くしかないだろうに。まさか呼んでもらえるのを待っているのかアイツは。
「……もしかして魔女ってのは、インキ臭い連中ばっかりなのかねぇ」
「やっと気がついたの? あんたが例外なのよ。寝食忘れて趣味に没頭するような半分腐った根性と、誰とでもあっさり仲良くなる天然ジゴロ成分を配合されたハイブリッドなんて」
霊夢が背後から口を挟んだ。昼間と全く同位置に座っているが、湯飲みはぐい呑みに持ち替えられている。
「あぁら、ツンとデレが絶妙のバランスで掛け合わされたサラブレッドにそう言って頂けるなんて、ワタクシ光栄の極みですわ」
「……あんたはウチの家系の何を知ってるのよ。軽口も大概にしてよね。もうスペルカードはあと一枚しかないんだから」
「お前まさか、この場でブッ放しやしないよな。先刻とは違ってひとが大勢いるんだぜ」
「そちらの態度次第よ」
ぐい呑みを呷った霊夢は、どこからか一升瓶を取り出し、杯をまた満たした。
魔理沙の鬱憤は、時が再び動き出した神社境内によって行われた、弾幕ごっこという名の暴力に起因している。
見られてはならぬものを見られてしまった霊夢と紫による多分に私怨からの制裁は、実に熾烈を極めた。魔理沙にしてみれば、このコンビと相見えるのは永夜異変以来である。その時も一筋縄ではいかない相手だったが(というか負けたのだが)、今日の二人はそれをも上回るコンビネーションで、ルナティックもかくやという弾幕を放ってきた。形相もこれまた凄まじかった。ひと月は夢に見そうだ。
というか思い返してみると、あいつらそれぞれのスペカを同時に使ってなかったか? 反則だろうアレは。ルールブックを確認しろ。
あぁ、ルール作ったのコイツらだった。
あっさりと手持ちのカードを使い切った魔理沙が「絶対に口外致しません」と土下座で誓うまで、二人が撃ち方を止めることはなかった。
この誓いを破れば、ルナティックより上の更なる難易度として「Marisa Must Die」が追加されることになってしまう。口の災いを元にして死にたくはないし、この場を修羅場に変えたいわけでもない。
別の話題で楽しく盛り上がり、二人への恨みを忘れてしまうという手もある。だがとてもじゃないが、取れたて新鮮なこの感情はすぐには忘れ難い。一般的な少女と同じくらいにはお喋り好きな魔理沙のこと、きっとすぐにパンドラの箱の蓋に手を掛けてしまうだろう。
もし見つけたのが文だったなら、土下座どころか指を摘めても許されずに、今頃焼き鳥となって酒の肴に供されていたのだろうなぁ。
あまりにも理不尽な仕打ちを、魔理沙はこのように悪名高い鴉天狗のブン屋を引き合いに出すことで、何とか堪えているのである。
ちなみにもうひとりの下手人である紫は、境内の向こうの方で藍と橙を両脇に置き、守矢神社の二柱と談笑している。いつもの穏やかなインチキスマイルだ。あぁブン殴ってやりたい。
「――って顔に書いてあるから言っておくけど、楽しい楽しい酒の席だからね、ここは」
「はいはい。分かってます。分かってますわよー、っと」
「ならいいわ」
酒を呷る霊夢の方も、これまたいつものすまし顔に戻っている。
その表情も、魔理沙をまたムカッとさせるのだ。
羞恥に狂った二人が、宴会でも平常心を取り戻せずアタフタする様を見られれば、魔理沙としても多少は溜飲を下せるというものである。
だが、妖怪賢者の名は伊達ではなかった。スペルの展開を終了し静寂が戻ってくるなり、すぐさま平静を取り戻し、地に伏せる魔理沙に向かってこう言い放ったのだ。
「では、そろそろ準備をしようかしら。まずはお酒を運んでくださる、魔理沙?」
流石だ。二重の意味で流石だ。
まぁ、紫は長い時を生きた妖怪である。自らの感情の制御を完璧にこなしてのけてもおかしくはない。
おかしいのは霊夢のポーカーフェイスだ。
(齢は私とそう変わらないはずの霊夢まで、こんなに簡単に落ち着きを取り戻しているってのは、何とも納得できない……)
ちょっとからかってやれば、先程のようにほんの少しだけボロを出すのだが、それもすぐに引っ込んでしまう。何もなければ、表情にはいつもと全く変わりが見られないのだ。
愚痴も吐けず、痴態を楽しむこともできずでは、もうどうにもならない。何とかして、この行き場のない感情を始末する術を見つけねば。
それがこの酒席全体を白けさせず、むしろ巻き込んで盛り上げるような手ならば、なお良い。
と魔理沙はずっと考えているのだが、妙案は中々降りてくることはなかった。
「くそっ! だが私は諦めないぜ。いずれお前にも吠え面かかせてやるからな!」
「ひゅい~~~~~~ん! ひゅい~~~~~~ん! ひっく」
「そうそう、『ひゅい~~~~~~ん』ってそんな感じに泣かせて…… ってアレ?」
聞き覚えのあるようなないような奇声が何の前触れもなく割って入り、只でさえまとまらない魔理沙の酔った思考を中断する。
「まぁまぁ、そんなに悲観しちゃダメよ。あ、もしかして死にたくなってきた? 自殺する? なら手伝ってあげるわよ。私の専門だし。あはははは」
「誰が死ぬもんかってのよチキショー! 死にたくなんかないわ。死にたくなんかないけど、でも死ぬほど悔しいよぅ~。ひゅい~~~~~~ん!」
「……うわぁ。」
境内に敷かれた御座のこちら側の端、引き気味の魔理沙から五歩ほど離れた場所で、珍しい組み合わせが互いに管を巻きあっていた。
「『死ぬほど悔しい』ですって。あはは、可笑しい。こんなにピンピンしてるのに、『死ぬほど』って。あはははは。ひっく」
白玉楼の亡霊嬢、西行寺幽々子と、
「ひゅい~~~~~~ん!」
技術屋谷河童、河城にとりである。
両者とも、しゃっくりが止まらなくなるというステレオタイプな酔いっぷりだ。
そして、非常に厄介なことに。
「あはははははははははは」
「ひゅい~~~~~~ん! お~いおいおい」
幽々子は笑い上戸の、にとりは泣き上戸の、ひどい絡み酒になるのが酔った二人の常なのであった。
特に今夜のような騒がしい宴会において、この傾向が顕著になることが明らかになっている。ちなみに両名とも、「酔っているところに近づいてはいけない人妖ランキング・絡まれたら朝まで帰れなくなるぞ編(天狗調べ)」において、みごと五本の指に入った。
(……面倒だし、目を合わせないようにしとこう)
魔理沙は縁側から立ち上がった。白蓮を助けに行ってやるか。機関銃のように喋り続けているアリスから助けなきゃいけないし、魔法について語っていれば気も紛れるかもだし。
「魔理沙ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ガシッ、っと後ろから羽交い絞めにされた。この声はにとりだ。
どうやら手遅れだったらしい、と魔理沙は悟る。
「や、止めろこの河童! 何だってんだもう!」
「ひゅい~~~~~~ん! 悔じいよぉ~~~~~~!」
「っていうか今更だが、お前の泣き声凄いな!」
「あはははは。魔理沙ったら河童に巻きつかれて、これがホントのカッパ巻き。あはははは」
「……お前らで勝手に絡み合っていれば、みんな平穏無事なんだがな」
「魔理沙ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「だぁーもう! 何よ!」
「見てよこれぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
魔理沙は、にとりの差し出したそれを見た。
白い筒だ。水筒にも似た。
「あああー! それ私のじゃない! どこに行ったのかと思ったら!」
霊夢がちゃぶ台をガタンと揺らして立ち上がった。そのまま河童に掴みかかる。
「返しなさいよ河童! 微塵切りもジュースも私のものなんだから!」
「魔理沙見てよこれぇ、コレ本当に凄くてさぁ、私悔しいよぉぉぉぉぉぉ」
「耳元で喚くな二人とも!」
紅白と青緑を引っぺがそうとする黒白だったが、酔っ払いの馬鹿力は凄まじかった。
「それは私の、私のファンタズムなんだからっ!」
「ほら魔理沙、この部品を嵌めて胡瓜を押し込めばさぁ、簡単にこんなに薄ぅーい輪切りになっちゃうんだよぉ!」
「あはははは。赤服と金髪と青髪で三色揃って信号カラー。外の世界って、これの何色が光るかどうかで人間が動いたり止ったりするのよね。面白ぉい」
「誰か助けてくれぇ!」
魔理沙の悲痛なヘルプコールが響く。
それに応えたのは、これまた耳元で聞こえた鈍い音だった。
ガッ! 「み゙ゃっ!」
ゴッ! 「びゅいっ!」
「むー。これでいい? 魔理沙」
「あ、あぁ。助かった。だが制御棒で脳天をカチ割るのはちょっと危ないから、次からはもう少し穏便に頼むぜ、お空」
「分かった」
右手に制御棒を嵌め、左手に御猪口を持ってこくこくと頷くのは、熱燗好きの神の火もとい、熱かいには色んな意味で慎重に臨まなければならない地獄鴉、霊烏路空。
霊夢とにとりはうずくまったきり、呻き声も聞こえてこない。幽々子はそれを見てまた大笑いだ。
ちなみに空は、宴会の最初からずっと日本酒を呑み続けているはずなのだが、顔色ひとつ変える気配がない。一人黙々と杯を乾かし続ける様は、地底からの客はおろかこの会の参加者の中でも、頭ひとつ抜けた静かな迫力を持って存在を主張していた。
ところで、彼女は右手の棒をずっと付けっぱなしにしているはずなのだが、一体どうやってお猪口に酒を注いでいるのだろう。
「しかし、お空がザルな上に辛党とは。これからは、宴会の席の最後の良心はお前になるのかもな。信じたくないけど」
「それより魔理沙、この河童の話を聞いてあげようよ。なんか泣いてたし」
「…………そうね」
鳥頭に至極まともなツッコミを食らってしまうとは。これは末代までの恥である。もういっそ世界が滅んでしまわないかな、この瞬間に。
「ひゅい~ん。もういっそ世界が終わっちゃわないかなぁ、たった今」
「うわっ! にとり、覚りの能力を受け継いだなんて聞いてないんだけど」
「……何言ってんの魔理沙」
「『にとり』という字を一文字変えて♪ 『さ・と・り』♪ あははははヒクッ」
魔理沙は幽々子が一刻も早く成仏するよう願いつつ、にとりの体を起こしてやった。
そこに空が、心配そうに声をかける。
「ごめんねにとり。頭のお皿割れてない? 頭蓋骨割れてない? 頭悪くなってない?」
「ひゅい~~~~~~ん! 魔理沙ぁ、この鴉ケンカ売ってるよぉ!」
「気にするな! 他意はないから! お空の素だからコレ!」
「霊夢も大丈夫? 頭のお皿割れてない? 頭蓋骨割れてない? 頭悪くなってない?」
「……オッケイ。ラストスペル行っきまーす」
「霊夢もいちいち突っかかるんじゃない! 話が進まないだろうが!」
魔理沙の周囲は時が経つにつれカオティックになっていく。これ以上のエントロピーの拡大は防がなくてはならない。
「くっ! 諸悪の根源はこれかぁっ!」
先ほどにとりと霊夢が取り合っていた白い筒は、いつの間にか御座の上に転がっていた。魔理沙はそれをバッと拾い上げ、丁半勝負の振り手のごとくダンと叩き付けて立てる。
「よし! 全員正座ぁ!」
魔理沙の号令直下、何とか混沌は収縮していく様相を見せた。
霊夢とにとりが、しぶしぶのろのろと居ずまいを正す。その隣に空がお猪口を持ってちょこんと座り、続いて楽しそうに寄ってきた幽々子が腰を落ち着ける。筒を中心にして、全員が車座になった形だ。
何だ、この取り合わせは。魔理沙は場を見回し改めて思ったが、一秒で気を取り直し、筒をビシッと指差す。
「よし霊夢。これはお前のものなんだよな。まずはこれが何なのか説明を頼む」
「いよっしゃ」
待ってましたと言わんばかりの、霊夢によるテレビショッピングが始まった。
あっけに取られる魔理沙。悔しさを思い出したのかまた泣き始めるにとり。大笑いしすぎて号泣し始める幽々子。顔色を変えずに呑み続ける空。
リンゴとクルミ、食パンに続いて、ミキサーにリキュールをぶち込みカクテルを作り出そうとしたところで、霊夢は魔理沙によって止められた。
「も、もう分かった。十二分に分かった。うん凄い凄い。んじゃあにとり、これの何が悔しいんだ?」
うぅっとまたひとつ、しゃくり上げるにとり。もう目が真っ赤である。
「これ、外の世界の発明品だろ。河童にはできない発想だからさ、ホント悔しくて」
「そうか? これ位のものだったら、にとりなんか一晩で作っちゃいそうだけど」
「そりゃあ技術的にはね」
泣きすぎていい加減に喉が渇いたのだろう。いつの間にか手にしていた杯の中身を、にとりは呷った。
「っぷは。だからさ、問題は発想なんだよ。確かに河童にも作れるけどさぁ。こういう発想はないから作れないんだよ」
「あはははは、ひっひっ。『発想がない。はっ、そうですか』。なんちゃって。ひくふふふふふ」
「なんだそれ。そりゃ作れるんなら作れるし、作れないもんは作れないだろう」
「無理なんだってば。河童はこんなもん作ろうとしないよ」
「要領が得ないわねぇ。もっと分かりやすく話しなさいよ」
「えっと、こういうことじゃないかなぁ」
空が、制御棒を振り上げて発言する。たぶん空にしてみれば挙手のつもりなのだろう。だが先ほどの痛みを思い出した二人が、早とちりしたのか思わず身構えていた。
「外の世界のぎじゅちゅしゃは、みんなの暮らしを便利にするために発明するけど、河童は自分が作りたいものしか作ろうとしないんだと思う」
「成程。……お前今日、ホントにどうしたんだ?」
魔理沙がうろたえるほど、的を射たまとめである。噛んだことくらいはご愛嬌だ。
「そう! そういうことなんだよ! いや、見直したよぉこの鴉!」
にとりはバンバンと、空の背中を叩いた。
「そうだよ! そこんところがもう悔しくて悔しくてさぁ。ぎずつしゃとしては私もう惨敗もいいところだなって思って」
「あはははは。ぎじゅ、ぎ、ぎ、ぎずちゅしゃ、あれ? ぎずちゅしゃ。あは、言いづらい。あはははは」
「そう、自分の不徳を知るのはいいことじゃない。これを機に精進すれば?」
霊夢の問いかけに、少しにとりは黙り込んだ。
「……そう、しようと思うよ。でもさ、悔しいのといっしょにさ」
俄かに声のトーンを落とし、続ける。
「考えちゃったんだよね。外の世界がこの調子で、どんどん進んでいくんならさ。幻想なんて、いつか簡単につぶされる日が来るんじゃないのかな、って」
◆ ◆ ◆
霊夢が息を飲んだのに、魔理沙は気付いた。
今のにとりの台詞を聞いていたのは、ここで丸くなっている五人だけだろう。周りは相変わらずのドンチャン騒ぎである。その喧騒が唐突に巨大な騒音となって襲い掛かるほどにまで、車座の空気は一瞬にして冷えた。
「え? どういうこと? 今のは分かんない」
「あはははは。可笑しい。あれ、もう何が面白いのか分からない。可笑しいわねぇ。あはははは」
「……………………」
訂正する。二名ほど、話に付いてきていなかった。
にとりは続ける。
「幻想郷の連中はさ、今の暮らしに十分満足してる。今日と同じ日が明日もまた訪れて、それで幸せだって思ってる。私だってそうさ」
にとりは杯を傾ける。が、もうそれはカラだった。
あれ、と呟くにとりに、魔理沙は自分のジョッキを渡してやる。
「ありがと。でさ。外の世界の人間は満足しないんだよ、『今』に。自分たちの生活を良くしよう、良くしようと思って、一生懸命頑張ってる。元を辿ってみればさ、外の人間が幻想じゃなく科学を選んだのだって、そっちの方が前に進めるって考えたからじゃないのかな」
「でも……!」
口を挟んだのは霊夢だ。だがその後に言葉が続かず、口をつぐんでしまった。
「こっちには包丁しかないけどさ、向こうにはこのミキサーがある。これがあればさ、料理が凄く楽になるだろうね。料理なんていう生活の一部分、衣食住の食だけでもコレだもの。きっと他の面でも、人間は努力して進歩してさ、幻想なしでもやっていけるようになったんだよ。人間は弱いけど、一生懸命前に進もうとする」
幽々子があははと笑う。本当に何が面白いんだろう、と魔理沙は思った。
「私は今に満足してる。今の幻想郷がずっと続けばいいって思ってる。確かに、そうは思っていない人もいるよ。ほら、お空。あんたに神の火を与えた八坂様だって、幻想郷のエネルギー革命だとか何とか仰ってたじゃない」
「にゅ? そうだったっけ?」
「そうだよ。あの方だって幻想に生きる神だけど、こっちにいらしたのは最近さ。私にとっては、八坂様は進歩とか革命とか、そういう外の考え方をあの御身に染みさせてるように見えるんだ」
悪いことじゃあ、全然ないんだけどね、と笑うにとりの目は、少し遠い。
「でも、そういうひとが現れたとしても、外の世界は幻想郷よりずっとずっと早いスピードで変わってく。私たちが不変を望んでいる間にも、きっと外の人間たちは前進を続ける。そうしたらいつか、幻想が不要どころか、邪魔になってしまう日が、来るんじゃないのかな? もしそうなったら――幻想郷なんて箱庭は、あっというまに消されちゃうんじゃないかなぁ?」
魔理沙が渡したジョッキも、いつの間にかカラになっていた。
「……なぁんてことを考えてたらさ。さっきちょっと思っちゃった。いっそ幸せな今この瞬間に、幻想郷が終わっちゃわないかなぁ、って」
「はは。酔うと泣き上戸な上に、ネガティブシンキングだとは知らなかったな」
笑顔を作って、魔理沙は言う。今作った笑顔は、しかしそれほど無理矢理ではなかったはずだ。
いくらなんでも、荒唐無稽に過ぎる。仮ににとりが嘆くような事態に陥ったとして、それが今日明日訪れる運命だとは到底思えない。人間の一生分の時間を積んでみても、そのエックスデーには届かないだろう。寿命の恐ろしく長い連中なら分からないが。
こんなヘンな空気は、さっさと笑い飛ばすに限る。
「にとりの考え過ぎだろうし、考え過ぎで辿り着く結論にロクなもんはないぜ。なぁ、霊夢」
「……え? あ」
だが、霊夢は明らかに平静を失っていた。
まるで、絶望した迷子のような表情で、狼狽していた。
「おいおい。どうしたんだよ霊夢」
「うん、いや、なんでもない。そうよね。考えすぎよ、にとり。」
笑顔を作った霊夢だが、それは煎餅のように固かった。
彼女のこんな表情は見たことがない。魔理沙も、霊夢との付き合いは長い方と自負しているのだが。
こんな困らせ方をしたって、鬱憤なんか晴らせやしないぜ。後味が悪いだけだ。
魔理沙は心の中だけでそう言った。
「……まさか、怖かったのか? 今の話が」
「そんな訳ないでしょう。私が怖いものなんて、食後に頂く熱ぅいお茶くらいだわ」
嘘だ。
魔理沙もつい強がってしまう方だから、恐怖や焦りを隠す仕草にはすぐ気付く。霊夢の今の口ぶりは、正にそれだ。
それを裏付けるのが、魔理沙が霊夢の方に投げる視線のさらに先でこちらを見返す、古明地さとりの表情である。いつも涼やかなその顔には、「珍しいものを見た」といった軽い驚きが張り付いていた。
覚り妖怪たる彼女に心の内を隠すことなどできない。酒の力で自制が効かなくなっている人妖たちの感情の坩堝の中でも、霊夢の想いはさとりに容易く届いてしまうほど強烈だったのだろう。神さえも恐れぬ博麗の巫女が恐怖している。相対して敗れた妖怪にとっては新鮮に思えるどころの話ではない。
にとりも霊夢の異常に気付いたようだ。今更「やっちまった」といった表情で、あたふたきょろきょろしている。酒の勢いのバカな話で場の空気をブチ壊してしまっては、それは気まずいことこの上なかろう。折角の酔いも、幾分かぶっ飛んでしまっているのかもしれない。
「あはははは。じゃあアレね、ほら。次に霊夢が怖いのは甘いお饅頭って訳ね。あはははは」
「……そうよ」
重みを増した空気に気付いているのかいないのか、幽々子の調子は変わる気配なしだ。
「え? 霊夢はどっちも好きじゃなかったっけ?」
話についてきていなかったもう一匹は、自分の理解できる話題がようやく出てきたので、とりあえずそこに食い付いた。だが肝心のオチが理解できていない。
でも、こいつらがここにいてくれて良かった。これなら話題も転換しやすいというものだ。
にとりが取り繕うように追加で持って来た麦酒の瓶を魔理沙は一本掴み取り、杯に手酌してぐいと呷った。
今夜はまだ長い。さぁ、さっさと盛り上げて場を立て直そう。
「ひくっ、あはは。でも結構カワイイところもあるんじゃない霊夢。幻想郷が無くなっちゃうのが怖いなんて。あはははは」
「うにゅ? そうなの霊夢?」
おぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!
安心していたところへのまさかの不意打ちに、魔理沙は凍り付いた。
さっきからこの亡霊、ことごとく空気を読めていない。
必殺の視線でもって睨みつける魔理沙を歯牙にもかけず、幽々子は更なる爆弾を投下する。
「ねぇ紫ぃ! ちょっとこっち来てよ! この娘ったら可愛いわよ、あははははは」
「ぶっ! ちょ、ちょっと待ちなさいよ幽々子」
にとりに甲斐甲斐しく注がれた麦酒を呑んでいた霊夢は、盛大に噴き出した。
「あら、どうしたのかしら霊夢? ……というか幽々子、今日も絶好調ね」
横着して隙間をぬるんと抜けてきた紫は、にとりと霊夢の間に割って入って座る。
流石に長い付き合いであるだけはあって、幽々子への対応も手馴れたものだ。もっとも、今まで決して絡んでこようとはしていなかったが。
「あはは、貴女どうせ全部聞こえてたんでしょう? 霊夢の怖いものの話よ」
「霊夢はね、幻想郷なくなっちゃうかもしれないのが怖いんだって」
「だからそんなこと私一言も……」
「あらまあ。貴女がそんな調子じゃあ世話ないわねぇ」
紫の台詞は、いつものようにふわふわした、捉え所のないところから投げかけられたものだったが。
(……え?)
紫の隣にいた魔理沙には見えてしまった。
霊夢に言葉をかけたほんの一瞬だけ、紫は本当に心配そうな顔をしたのだ。
「全く、もう少ししっかりしてもらわないと困りますわ。仮にも規律を守る者なんだから」
「…………ふん」
霊夢はそっぽを向く。反抗期じゃないんだから、と魔理沙は視線だけでツッコんだ。
「ねぇねぇ。幻想郷の終わりってどんな風なの?」
「あはははは。そりゃもうきっと凄いわよ。何といっても幻想の終焉ですもの。ハリウッドも吃驚の一大スペクタクルよ」
一方の空と幽々子は、霊夢の狼狽には早くも興味を失っている。
「ほら、龍神様っているでしょう、守り神の。まずあれが、強大なる闇と破滅のパワーを纏って再臨するわ」
「か、格好いい! 何か格好いいよそれ!」
底抜けの阿呆二人の手によって、どうも話はこれまでの斜め上、捩れの位置を進み始めたようだ。
「あとはアレねぇ。天界が丸ごと地上に降って来るわ」
「うわぁ凄い! 流石の天人も涙目だね!」
「あはははは。あの放蕩天人のマジ泣きが見られたら面白いわねぇ。そして、ダーク龍神の発するエネルギーによって、地面は割れて山は火を噴くのよ」
「うにゅ。地上がそんなんで地獄は大丈夫かな……?」
「あら。地底なんて真っ先に地盤が崩落してペシャンコに決まってるじゃない」
「え!? 地霊殿も!? あ、でももうみんな逃げた後だから大丈夫!」
「でも地上に出てきた瞬間に、ダーク龍神の巨大な顎で、全員パクッと」
「うにゅあああああああ!」
なにそれこわい。ダーク龍神強ぇ。
「まだまだ終わらないわよ。今度は一連の騒動で死んだはずの人間や妖怪が、ゾンビになって暴れ出すの。ゾンビにやられたひともゾンビになっちゃって、まさに阿鼻叫喚」
「死体が動いちゃったら、お燐は困るだろうなぁ」
「そうしたら次は、河童の作った機械たちが次々と自我を持って、幻想郷を滅ぼした跡地に機械帝国を作ろうと持ち主を襲い始めるのよ」
「……開発者としちゃ、それはちょっと見てみたい、かも」
にとりまでもが不穏な呟きを発する。
「ちなみにお空はアレよ。核エネルギーの制御が利かなくなって、今にも本当にメルトダウンしそうな暴走怪獣の役を」
「えー? やだやだ。私もっと格好いい役がいい」
「それじゃあ格好良くしてあげるわ。熱が暴走して仲間すら迂闊に近づけない体になってしまった貴女は、幻想郷の皆に向かってこう言うの」
「ふんふん」
「『私、こんな体になっちゃったっけど、今でもみんなのこと大好きだよ。だから最後のパワーであの天界に突っ込んで、地上に落ちてくる前に爆破するわ!』」
「おお! 格好いい! 私格好いい! じゃあ幽々子は?」
「私はそうねぇ……。両手拳銃でゾンビをバンバカと撃ち殺していく役がいいわ」
指鉄砲を形作り、ばんばーん、と幽々子は撃つ真似をした。そしてフッと硝煙を吹き消す。スタイリッシュな服装に身を固めた、クールなヒロインにでもなったつもりなのだろう、妄想の中では。
思わず魔理沙は、紫と視線を交わす。
「……想像できないな」
「……想像できないわね」
コントのような絵面しか出てこない。
ってか、弾幕使えよ。
「『ふふ、私のこの華麗なる拳銃捌きの前には、ただ暴れるだけが能のゾンビなんて敵じゃあないわね。――ハッ! あれは妖夢! そんな、貴女までゾンビの魔の手に……ッ!』」
「……幽々子様、ひとを勝手に殺さないで下さい」
いつの間にか幽々子の背後に控えていた半人前の半人半霊。どうやら、自分の主人が酔ってしまっても最後の一線だけは越えないよう、さり気なく見張っていたらしい。だったら、もうちょっと早く出てきて欲しかった。
「『くっ、たとえ妖夢といえど、屍肉を漁るまでに落魄れた怪物になってしまったのなら……。仕方がないわ。せめて私の手であの世に送ってあげる!』」
「それじゃ白玉楼に帰るだけじゃないですか」
「半人半霊のゾンビって、ややこしいわね。ただでさえ生きてるのか死んでるのか判別しづらいというのに」
妖夢のさらに向こうから、彼女と呑んでいたらしい十六夜咲夜が割って入ってきた。
そしてその膝には。
「ちょっと咲夜。いま輝夜と話が弾んでいたところなんだけど。時間を止めてまで主人を連れ去るというのはどういう了見?」
ご機嫌斜めのレミリア・スカーレットがいた。抱えられている様を見るだけならば、まるで精巧な西洋人形のようだ。
「申し訳ありません、お嬢様。しかし、貴女様は仮にも幻想郷の夜の王であられる御方。ここはひとつ、幻想の崩落というカタルシスの渦の中でも失われないその威厳を、この場の皆々様に知らしめて差し上げるべきかと」
「……それはいいのだけど」
「はいはーい! じゃあ紅魔館に大量の暴走ロボットが襲ってきましたー! レミちゃんはどうしますかー!」
「『ハッ、愚かな傀儡どもよ! まさかそれで心を得た心算? バカらしいわね。所詮貴様等など私にとってみれば蟻以下の有象無象に過ぎない! この紅い月の下、一体残らずジャンクにしてあげるわ!』」
「『ふふふ、私のロボットを舐めてもらっちゃ困るね。こんなこともあろうかと、既に全機体に銀弾ガトリングを実装済みよ!』」
「ノリノリだなぁ、オイ。ってかにとり、お前どっちの味方なんだソレ」
いつの間にか。
宴席の外れで丸くなっていたはずの車座が、だんだんと大きくなる騒ぎの中心になっていた。
いったい何事なのかと、あちこちから好奇の視線が向けられている。
「あら、世界の終わりだというのに、みんな随分と面白そうにしているじゃない。」
紫の目も、何だか楽しそうな光に満ちていた。
霊夢の持つ空杯に酌をしながら、賢者は問い掛ける。
「そう思わない、霊夢?」
「…………ん」
まだどこか落ち着かない、でも幾分か和らいだ表情で、霊夢はようやく笑った。
「確かに、どいつもこいつも能天気だわ。悩んでるこっちが馬鹿馬鹿しくなるくらい」
「やっぱり悩んでたんじゃないの。貴女が気を病む必要なんて、どこにもないというのに」
「こういう感情って、理屈じゃないと思わない?」
「御生憎様。人間の心の機微を捕まえるのは、化物にとっては難しいのよ」
「それじゃあ同じ人間に訊くとするわ。ねぇ魔理沙」
「まぁ分からんでもない、な。だけど、いつまでもウジウジしてたってしょうがないぜ」
胡坐に頬杖を付きながら場を見守る魔理沙が、笑っている視線だけをこちらに向ける。
「霊夢も、破滅に立ち向かう正義の味方になってきたらどうだ」
「え。何でよ」
「理屈じゃ片が付かないんなら、理屈じゃないやり方で憂鬱をブッ飛ばすのが、一番手っ取り早いだろ」
「根本的解決になってないわよ、それ」
「別にいいじゃない。今ここで根本的に解決するには、貴女の悩みはちょっと底が深すぎるもの」
紫の笑顔は、なぜかその時だけ、欠片の胡散臭さも感じさせなかった。
「ほら、名乗りを挙げろよ霊夢。もうすぐダーク龍神が守矢の神社を飲み込んじまうぜ」
魔理沙は騒ぎの中心を指差す。そこではいつの間にか東風谷早苗が、火焔猫燐と古明地こいしの扮する龍神相手に、対決の口上を申し立てていた。
「『おのれダーク龍神! 幻想郷の他の場所ならいざ知らず、我が守矢神社を滅しようなどとは不届き千万! この東風谷早苗のスペルの錆にしてくれますっ!』」
「『人間風情が小賢しい口を利く! 貴様程度の力では、我が鱗を焦がすことすら叶わぬわ!』」
「『あぁそんな! 弾幕が当たっても跳ね返されるなんて! そんなルール無用の残虐ファイトでは私に勝ち目は……っ!』」
「はい早苗、がぶ~っ」
「『ぐはっ! も、申し訳ありません八坂様、洩矢様。守矢の力をもってしても敵いませんでした……』――ってこいしさん? ちょ、どこ触ってるんですか!」
「もみもみもみもみ」
「いやぁ~! た、助けて下さい神奈子様!」
「……どうでもいいんだけどさ、あんた今『我が神社』って言ったか?」
少しばかり調子に乗ったせいで信じる神に見放された巫女を眺めてひとしきり笑った後、霊夢はふっと目を瞑って魔理沙に答えた。
「遠慮しとくわ。あんなの異変じゃないから、私の手には余るもの」
「それが賢明かもしれないわね」
「なんだ、つまらん。ノリの悪さはいつも通りだな」
博麗の巫女は動かず。普通の魔法使いも頬杖を付いて見守るだけ。悪魔のメイドは主人の側を離れられないし、半人半霊はゾンビ化。守矢の巫女もたった今敗北。
さらに妖怪賢者も静観の姿勢を示したため、目の前で繰り広げられる幻想の終焉は、誰も止めることが出来ぬまま賑やかに進行していく。
――暴れまわるダーク龍神を決死の覚悟で取材していた射命丸は、迫り来る神体を避わすことかなわずに撃墜。そのまま妖怪の山は、ダーク龍神の必殺技「滅びのダークストリーム」によって跡形もなく消滅した。
永遠亭には、いつの間にか紅魔館を制圧していたロボット軍団が、ゾンビの群れと合流して襲い掛かる。迎え撃つのは、蓬莱山輝夜と八意永琳の蓬莱人主従。そこに藤原妹紅がまさかの参戦を果たし、迷いの竹林は終わりの見えない白兵戦場へと様相を変える。
鬼や閻魔や死神も、座して死を待っている訳ではなかった。際限なく湧いて溢れる溶岩流を止めるため、河童開発の地底船に乗り込んでマントルの海を行く。だが余りにも困難な道程に、屈強な地獄の住人たちも、その命をひとりまたひとりと奪われていくのだった。
そして、お空の壮絶なる自爆でも完全に破壊することはできなかった天界を止めるため、地上に避難していた天人と龍宮の使いが、命蓮寺の住人たちと共に聖輦船で空へと向かう。妖力と法力の限りを尽くした攻撃も、しかし天界の核たる「天界要石」を破壊するまでには至らなかった。その膨大なるエネルギーを吸収せんと襲い掛かるダーク龍神。邪悪の手に天界要石が渡らぬよう、聖輦船は最後の手段である滅びの呪文を携えて、決死の最終突撃を行う――
そうして、全ての手が尽きた。
辛うじて生き残った人妖たちが最期の地に選び集まったのが、ここ博麗神社である。と、そういうことになったらしい。
「『ふふ、残った弾もあと1発……。こうなったらせめて、あの親玉の脳天にコレを撃ち込んでやるわ』」
ガンマン幽々子は、いかにも最期を悟ったといった目で虚空を見つめる。ミスマッチこの上なかった戦うヒロインスタイルも、ムダに大きな立ち回りをするうちに段々と馴染んできたようだ。もはや、魔理沙と紫の脳内で八面六臂の大活躍をする幽々子は、コメディな絵面ではない。今なら気合の入ったコスプレイヤーくらいで再生される。
「『いやあ、さすが龍神様だ。いざとなったら容赦ないねぇ』」
伊吹萃香が、破壊の権化と化した龍神を敵ながら褒め称えた。彼女は先ほどマントルに生身で投げ出されたはずなのだが、きっと根性で泳ぎ切り戻ってきたのだろう。
「『さようならイナバ。貴女の犠牲は忘れないわ』」
よよよと袖口で涙を拭うのは蓬莱山輝夜だ。鈴仙の捨て身の足止めのおかげで、彼女は生きてここにいる。鈴仙の献身がなければ、輝夜には今頃妹紅のような、ゾンビに永遠に食われ続ける運命が待っていたに違いない。
ちなみにありったけの手榴弾を抱えて特攻、爆散したはずの鈴仙・優曇華院・イナバは、既に宴会の序盤で因幡てゐにしこたま呑まされ潰れている。輝夜によって無理矢理寸劇に組み入れられた妹紅は、余りに恥ずかしかったのか、今はそっぽを向いてヤケ酒を喰らっていた。
「あはははは! どいつもこいつも滅茶苦茶だなぁ」
魔理沙は腹の底から笑った。さっきまでの憂鬱も、ウソのように散っていってしまった。
もしかしたら、と魔理沙は思うのだ。いつか本当に幻想郷が終わってしまうのだとしても、コイツらは今みたく、それさえも心から楽しんでしまうのではないか。残された僅かな時間の最後の最後まで笑いながら騒ぎ倒し、そうやって消えていく。それこそが幻想の最期に相応しいと、皆本気で思っているんじゃなかろうか。
それぞれ、心の内に抱えているものがあることは知っている。それは悲しみかもしれないし、あるいは恨みであるかもしれない。幻想の暮らしだって、楽しいばかりでないことは重々承知の上だ。
だが、それでも。人々が望み、妖怪が焦がれ、神々が恋したこの場所ならば。
「……こんなのも、アリなのかもしれないわね」
霊夢が呟いた。きっと同じことを思ったのだろう。魔理沙も目を閉じて頷く。
「えぇ本当に、全く無茶苦茶。でも、それこそがこの郷の本質。人と妖と神が友誼を結ぶこの場所で、何をか言わんや、だわ」
紫がそう言って杯を傾ける様は、もはや羨む気も起きないほど、本当に絵になっていた。
「まだ怖いのかしら? 霊夢」
「……本当は、少し」
少しだけ目を伏せ、霊夢はようやく白状した。
でもすぐ顔を上げ、篝火の灯りだけでもすぐそれと分かる、満開の笑顔を見せる。
「でもまぁ、今はこれでいいってことにしておくわ」
その表情の魔力で、魔理沙も紫も微笑んだ。
「『うわー! もうダメだー! ここもダーク龍神に見つかっちゃったー!』」
そんな空気を見事にブチ壊し、大声で叫んだのは空だ。自爆したはずの彼女だが、サイボーグとなって奇跡の復活を遂げたことになっている。
三人とも、思わずそちらに視線を戻した。
「『ゾンビとロボットの軍団も、こちらに押し寄せて参ります、姫様』」
「『いよいよ最後の決戦というわけね……』」
輝夜の参謀役である永琳が主君に報告する。幽々子と違い、こちらは流石の参謀振りだ。
「『ふ。今度こそ、目にものを見せてやるわ』」
レミリアも精一杯のカリスマを発揮する。紅魔館は壊滅したはずなのだが、涙目の当主が地団駄を踏みながら猛抗議をしてきたため、住人たちは辛うじて脱出できたとすることで何とか落ち着かせ、今に至っている。
「……無駄よレミリア。もうアンタのカリスマなんざ夜雀の涙ほども――って魔理沙?」
唐突に、魔理沙が立ち上がる。
その顔は、いかにも良い悪巧みを思いついたと言いたげなニヤケ顔だ。
「どうしたのよ、一体?」
「いや、そういえば、さっきのお返しがまだだったなぁと思ってさ」
「はぁ」
目を丸くする霊夢と紫を尻目に、魔理沙は大きく声を張り上げた。
「『よぉし! まずは私がドデカい一発をお見舞いしてやるぜ! 安心しろ! お前らが逃げる時間くらいは稼いでやる!』」
「『へん! こちとら人間に庇ってもらうほど落魄れちゃあいないね。誰が逃げたりするもんか!』」
「『そうだよ! 魔理沙だけに格好良い役はあげないもんね!』」
即座に反論を返す萃香と空。視線を巡らせて見ても、誰も逃げ出そうなんて者はいない。
魔理沙はほくそ笑む。そして、
「『成程、そいつぁ失礼。私だって、死にたがりのバカ共に逃げろなんて言うほど無粋じゃない心算だぜ。でもな――』」
宴の主賓を紹介するような大仰な手振りで、霊夢と紫を振り返った。
「『せめてこの二人にだけは、外の世界にあっても生きていて欲しいのさ! 今までずっと幻想郷を守るために、身を削って頑張り続けてきた、この二人にだけは!』」
「……………………へ?」
「……………………あら」
いきなり舞台に、隠れていた二人の主役が引っ張り出される。
魔理沙のもたらした完璧な静寂。だが、それもすぐ歓声で打ち破られてしまった。
「あっははははは! 『そうね、魔理沙の言う通りだわ。紫と霊夢には、この幻想の語り部になってもらいましょう。外の世界で、末永く』」
「『私たちはずっと、貴女たちのおかげで楽しい暮らしを送れたんですもの。せめて最期に、恩返しをしてあげなくっちゃ。そうよね、永琳』」
「『その通りでございます、姫様。外の世界で生きることは困難も付き従いましょうが、そこは仲睦まじいお二人のこと。手に手を取り合って進んでいけるに相違ないですわ』」
霊夢と紫の間柄は、もはや公然の秘密であり、暗黙の了解であったのだ。知らぬは当事者ばかりなり。
「え? や、ちょ……。何を言い出すのよ魔理沙!」
「『何をって、これは紛う事なき私の本心だぜ』」
「……藍、橙。貴女たちはそれでいいの?」
「『何を申されます、紫様。己が身命を賭して主を救い、送り出すことこそ、式たる私の本懐ではございませんか』」
「えと……。『私は藍様に付いて行きます! 私は藍様の式ですから!』」
正に、孤立無援である。
満面の笑みの魔理沙は、二人の手を掴んで立ち上がらせた。そのまま鳥居へと二人を引き摺っていく。
「『ほら、さっさと行った行った。早くしないと、ダーク龍神にゾンビにロボットの総攻撃が始まっちまうぜ』」
「い、行けって、どこに」
「どっか適当にその辺をランデヴーしてくればいいじゃないか。月も明るいしいい夜だぜ」
「……あんた、覚えてなさいよ。戻ってきたらひどいんだから」
「おいおい、私は昼間のことは、なぁんにも喋っちゃいないぜ」
「ふふふふふ、そうねぇ魔理沙。これは一本取られたわ」
紫はさも愉快そうに笑う。
「霊夢、戻ったら魔理沙に座布団一枚あげなさい」
「……? あ、成程、了解。」
「うぇ!? まさかその座布団って、例のホーミングしてくる……」
「じゃあね、魔理沙。少し夜風に当たってくるとするわ」
霊夢と紫は、いつものように音もなく、境内を飛び立った。
長い急な下り階段を、そのまま鏡写しに上りにしたような角度で、闇夜へと浮かび上がっていく。
その様を、生き残った人妖たちはやんやと見送った。
「『いよっ、ご両人! 外に出てっても、私たちのこと忘れんなよ!』」
「『フフ、決して中を覗きに戻ってはダメよ。シュレーディンガーの猫ではないけれど、貴女たちがその目で滅亡を見なければ、幻想が滅びたという証拠はどこにも存在しないことになるのだから』」
「『にゅ~! しあわせに、なれよ~!』」
「……なんなのよ。好き勝手言ってくれちゃって、アイツら」
これじゃあまるで本当に、お別れみたいじゃない。
霊夢の頭の中は、もう切ないやら恥ずかしいやらで、大変なことになっている。
そんな彼女を、紫は背後から抱きすくめた。
「ねぇ霊夢。このまま本当に外の世界へ出てみない?」
そしてとんでもないことをサラッと言ってのけた。
「な、何言ってんの紫!? そんなことして結界大丈夫なの?」
「ほんの2、3分よ。それくらいなら全然影響はないわ」
「……これも、またあんたの気紛れ?」
「そ。私のいつもの気紛れ」
「勘弁してよ。いつもいつも振り回される私の身にもなってみなさいよね」
言葉とは裏腹の満更でもない表情で、霊夢は笑う。
「ちょっとだけだからね。すぐ戻るんだからね」
「えぇ、分かっているわ。いつか貴女に見せてあげたいと思っていたのよ。ここから見える遠くの街の灯りと、海に微かに浮かぶ漁火を」
◆ ◆ ◆
博麗神社で開かれる宴会は、ちゃんとした理由があって開かれる方が珍しいと言えるだろう。
そして今日は珍しいことに、ちゃんとした理由のある宴会なのである。
「……で、その理由って何なのよ。いい加減教えてくれてもいいんじゃない、紫」
「そう焦らないの。始まったら教えてあげるって、ずっと言ってるでしょう?」
霊夢はちゃぶ台に肘を突き、境内を眺めながら溜め息をついた。
紫は口は堅い方なのだが、殊にこういうどうでもいいことに関しては金剛石にも勝る口の硬さを発揮する。そして、紫がこのような態度を取るときの「どうでもいいこと」は、大抵周囲にとってどうでもよくはないのである。
ふと、紫が台所に目を向けた。
「あら。あれ、折角あげたのに、使ってないの?」
調理台の隅、まな板からはちょっと手の届きにくいところに、「ハイパーミキサー・ファンタズム」が転がっている。
「あぁ、アレね。便利といえば便利だったんだけど。一週間もしたら動かなくなっちゃって」
「電池が切れちゃったのかしら?」
「河童もそんなこと言ってたわね。よく分からないけど、使えないんならと思って放置して、そのままよ」
「あれは確かコードで充電できたはずね。専用のを持ってきてあげましょうか?」
「いいわよ。そこまで手間掛けてもらわなくても。それに――」
霊夢は紫に微笑んだ。
「私には、包丁があれば十分だわ」
「ふふ、そう。ならいいのよ」
紫もそれに微笑み返す。
「……新婚家庭に邪魔するようで悪いんだけどね」
茶の間の入口からの声は、魔理沙のものだ。二人してそちらに視線を向ける。
なんだが、白い筒のようなものを持っている。ただし、今度のは紙製のようだ。厚めの紙を丸め、紐で結わえてある。
「あら魔理沙。いたの」
「たった今着いたとこだ。着いて早々、もう胃もたれがしてるが」
「魔理沙、アレは持って来たんでしょうね」
「おう、任せとけよ紫。出来立てのホヤホヤのを早速持って来たぜ」
魔理沙は抱えていた筒を、ちゃぶ台に放り投げた。それはポンとはねて、紫の手に収まる。
「まさか、それが今日の宴会の理由?」
「そうよ」
紐をスルスルと解きながら、紫は答えた。
「やっぱり貴女には、まずこれを見て知ってもらいたくて」
「ふっふっふ。度肝抜かれて驚けよ、霊夢」
「はぁ」
紐が落ちた。丸まった紙を、紫はちゃぶ台に広げる。
それを見た霊夢は、飲んでいた茶を気道へと盛大に誤飲し、咳き込むことになった。
「 『箱の外へ ~THE END OF WORLD~』
これはもう全米がきっと泣く!
愛と感動のアクション超大作ムービー、幻想郷にて爆誕!
終わりゆく世界の中、懸命に戦う少女達。しかし幻想の終焉は、
もう避けることのできない運命だった。
世界を守るため、巫女と賢者は愛の力で奇跡を起こす――!
主演:博麗霊夢 八雲紫 ほか 監督:霧雨魔理沙 脚本:西行寺幽々子
製作:『箱の外へ ~THE END OF WORLD~』製作委員会 」
頭の片隅、手の届きづらい窪みの奥に、ずぅっとこびり付いている記憶がある。
――ねぇ、ゆかり。
―――……ちっこい癖に、呼び捨ててくれる生意気さだけは先代譲りってところかしらねぇ。なぁに?
――げんそうきょうは、きえちゃうの?
―――そりゃあ形あるものだもの、いつかは滅んでしまうでしょうね。
――いつ? らいしゅうあたり?
―――また唐突な話ねぇ。大丈夫よ。私の目が黒い内は、そんなことないから。
――ほんとに?
―――えぇ。信じられない?
――だって、みんなこわがってるよ。にんげんも、ようかいも、みんな。
私も、怖いと思った。
明日になれば私たちも、この世界も、消え失せているのかもしれない恐怖。
――こんなちっちゃなはこにわなんて、すぐこわれちゃうって。
―――あら、難しい言葉覚えたのね。
――さとのひとがいってたの。
―――まったく、幻想に生きる者が、幻想を信じられなくなっていたら、世話はないわ。
――ゆかり、おこってる?
―――ん。ちょっと悲しくなっただけよ。
―――今夜はそれが怖くて、眠れなかったの?
―― ………………。
―――隠さなくったっていいのよ。貴女はまだこんなに小っちゃい子供なのだし。
――こどもじゃないもん。
―――あら、ムクれちゃって。
―――でも、安心しなさい。
―――たとえこの郷が箱庭だとしても、守るのはこの私が全力を傾けて作った箱ですもの。それに……
「幻想の力は、皆が思っているより、ずっと強いから」
そういって抱きしめてくれた温もりは、私をすっぽりと包み込んで、恐怖を拭い去っていった。
頭の片隅、手の届きづらい窪みの奥に、ずぅっとこびり付いている記憶がある。
たぶんそれが、私の覚えている一番古くて、一番大事な記憶。
◆ ◆ ◆
博麗神社で開かれる宴会は、ちゃんとした理由があって開かれる方が珍しいと言えるだろう。
大体は誰かが前触れもなく言い出して、「言いだしっぺ幹事の法則」によって主催が決まり、開幕の運びと相成るわけである。
「全く、ホントに暇なのね。どいつもこいつも」
博麗霊夢はちゃぶ台に肘を突き、境内を眺めながら溜め息をついた。別に酒がイヤなわけではない。むしろ好きな方だ。だが明日の朝、大惨事の後片付けを行うのは自分であると思ったら、そりゃあ憂鬱にもなる。
「どいつもこいつも忙しくしてる幻想郷なんて、考えたくもないわね」
そう言って霊夢のウンザリを笑い飛ばすのは、傍らの大妖怪、八雲紫だ。
今夜の主犯はコイツである。いつ思い立ったのかは知らないが、 霊夢が気づいた時には幻想郷各勢力に話は付き、宴会の日時も面子も決まってしまっていた。こうなっては、霊夢は首を横には振れない。酒には異常な執着を示す連中のこと、断れば前代未聞のボスオンパレードが待っているだろう。
本当にいらんところでムダにアグレッシブな賢者だ。いつもは食っちゃ寝、食っちゃ寝という生活のくせに。さっさと牛になってしまえ。とこんな感じで、霊夢の機嫌は悪くなる一方、ストップ安直前というわけである。
「いつまでもそんなに怖い顔をしてないで、そろそろ機嫌を直しなさいよ霊夢。タダ酒は好きでしょう?」
「そうね。タダ酒を一人縁側でしんみりと呑るのが好きだわ。」
「若くないわねぇ。少女なら少女らしく、若気の至りに任せて暴れればいいのに。呑んで騒ぐ楽しさを知らないなんて、人生の八割五分は損しているわ」
「宴会取ったら十五パーしか残らない人生なんてイヤよ」
ズズ、とお茶を啜る霊夢に、今度は紫が溜め息をついた。
目の前に置かれた来客用の湯飲みを見つめる。茶柱が立っていた。皮肉だ。
普段はサバサバとしている霊夢だが、一旦ヘソを曲げてしまうと長いのである。
不意打ちで宴会を告げたあの日からこっち、紫とはもうまともに目を合わせようともしない。このお茶だって、紫が自分で入れたのだ。
このままではマズい。怒りの矛先が自分だけに向かうのならまだいいが、もしも宴会の席で爆発してしまったら。
何とかして霊夢の機嫌を、上向きとはいかないまでも、せめてフラットに戻す必要がある。
妖怪賢者には、とっておきの秘策があった。
「ところで、今日はショバ代として、こんなものを持ってきたのだけど」
紫はとん、と箱をちゃぶ台に置いた。
霊夢は境内を眺めたままだ。だがその耳がぴくりと動いたのを、紫は見逃してはいない。
巫女と言えど物欲はあろう。何かを貰えるとなれば、それが気にかかってしまうのは当然である。ひとの心の隙を見事に突いた、大妖怪一世一代の大勝負であった。
早い話が、プレゼント攻勢である。
「……何それ。外からの?」
ようやっと視線をこちらに向け、霊夢が問う。紫にとってはここからが勝負だ。
この箱の中身を霊夢が果たして気に入れば良し。もしお気に召さなければ、今夜は地獄も真っ青の重い空気の中でマズい酒を呑まなければならない。そうなってしまっては、この商品を快く無料で提供するハメになった香霖堂も浮かばれまい。
「ふふ、見てのお楽しみよ」
紫は箱を開き、中身を取り出してちゃぶ台に並べていく。
その箱には、レタス、トマト、セロリといったみずみずしい野菜とともに写る、円筒形の装置のようなモノの写真が載っていた。
白い水筒にも見えるそれは、確かに外の世界のもののようだ。
が、どうやら水筒にしては、付属している部品の数が多い。カップなんて三つも四つもあるし、何だか手裏剣みたいな形状のものまで出てきた。
「見ても楽しめないんだけど」
「いいからいいから。あ、お台所借りるわね」
ふんふんと鼻唄を歌いながら出て行った紫は、ものの一分で戻ってきた。その手には今朝買ってきたリンゴとクルミ、そして明日の朝食にしようと思っていた食パンがある。
「これで準備完了よ。さぁ、この筒の素晴らしさを思い知りなさい!」
――読者の方々には非常に申し訳ないが、コレについて説明する妖怪賢者こと八雲紫の姿を描写することは、私には出来ない。
しかし、コレが一体何であるか分からなければ話は進まない。
なので諸兄には手間を取らせるが、一旦頭の中を別の時空へと切り替えていただこう。
意味もなく家でゴロゴロしている気だるい昼間、もしくはついつい寝付けなかった深夜から未明にかけて、そんな時間に何の気なしに見てしまったテレビ番組。そのコマーシャルを思い浮かべていただければ幸いである。
「はぁ、憂鬱だわ」
「HAHAHA、一体どうしたんだいケイト。そんなキュ~トに溜め息なんかついちゃって」
「どうしたもこうしたもないわよジョン。うちで開催するホームパーティーは明日だっていうのに、メニューも何もまだ決まってないのよ!」
「オーケイ! 何も心配することはないさ。それならこの『ハイパーミキサー・ファンタズム』を使うんだ」
「オゥ、なぁにその筒は」
「コイツはとってもユースフルな調理器具さ! コレさえあれば、どんな料理だろうとアッというまに完成しちゃうんだ。例えばほら、この見るからに美味しそうなリンゴ」
「リンゴを切り分けて種を取って、その中へ入れてどうするの?」
「あとはこのフタを十秒押さえるだけ! そうしたらホラ! ジュ~シ~なリンゴジュースの出来上がり! 思わずヨダレが出ちゃいそうだろ?」
「まぁスゴイわ! で、次はそのクルミをどうしようというの?」
「こっちも簡単! 殻を取って放り込んでフタを十秒押さえれば……」
「まぁ! あっという間にクルミがクラッシュされて、トッピングにピッタリな感じになったわ!」
「さらにさらに! ただの食パンもこの『ハイパーミキサー・ファンタズム』にかかれば……。ほら見て! サラッサラのパン粉の完成だ!」
「揚げ物にもとってもお役立ちね!」
「ケイト、これで明日のホームパーティの準備も万全だろ?」
「えぇ、とっても助かるわ! サンキュー、ジョン!」
「こ~んな便利な、この『ハイパーミキサー・ファンタズム』。今ならたったの……」
とまぁ、大体こんな感じの寸劇を紫がノリノリで披露していたという事実は、流石に大妖怪の名に響くと考え、描写を割愛した次第。私の葛藤の一端でも理解していただければ幸いである――
「そ、それは凄いわ……!」
あっという間に、霊夢は万能ミキサーの虜になってしまった。視線は驚きに満ちたまま、白く輝く筒にクギ付けだ。きっと「多機能」という言葉に弱いお年頃なのだろう。
「中のカッターを付属のものに換えれば、タマネギの微塵切りだって思いのまま。もう涙目になりながら包丁を振るう必要なんてなくなっちゃう! どうよコレ!」
対する紫も、未だ宣伝口調が抜けていない。その美麗なブロンドヘアーのせいもあってあまりにもハマり過ぎており、テレビショッピングを見たこともないはずの霊夢でさえ「凄いわケイト!」と叫び出さんばかりだったとか。
「こんな凄いものを、貰っちゃっていいの……?」
「えぇ。貴女には今回、迷惑をかけてしまったしね。ジュースでも微塵切りでも、これからは思いのままだから……。これで機嫌を直してちょうだい、霊夢」
「許す! 全力で許すわ! 紫愛してる!」
霊夢が紫の胸に飛び込んできた。純和風の茶の間に、その瞬間だけバラ柄トーンが咲き乱れているように見えた。
紫は安堵する。今夜呑む酒は、きっとこの上なく美味いに違いない。だって霊夢の心は今やストップ安どころか、ストップ高を突き破って最高値を記録しようとしているのだから。
ありがとうジョン。ありがとうケイト。ありがとう香霖堂。
ごろなぁ、ごろなぁと己が胸で甘え続ける霊夢の頭を、「HAHAHA、愛い奴よマイキティ」となでくりなでくりしようと、紫が右手を持ち上げたその時。
ようやく、その視線に気がついた。
不機嫌霊夢はずっと境内を眺めていたのだから、当然茶の間の戸もずっと開け放たれていたのである。
バッ、とその方向を二人が一緒に向いたのは、第三者の視線に、というか明らかな気まずさオーラに、同時に気付いたからに他ならない。
「あー……。いや、その、なんだ。準備でも手伝おうかと思って来たんだけど……」
すぐそこに、やっちまったという表情で頬をひくひくさせた、黒白魔法使いが立っていた。
「仲良いことは知ってたけどさ……。いやまさか、こんな独特のテンションで盛り上がれるレベルとは思わなくて……」
完璧で瀟洒なメイドが最高にハイな時でも、ここまで完全に世界を止めることはできないだろうと思われた。
◆ ◆ ◆
「――ぁったくもう! 飛んだとばっちりだったぜ」
縁側に腰掛ける霧雨魔理沙は、もうとっくにデキ上がっている。
普段の酒の席であれば、こんな風ににひとりポツネンと呑んでいたりはしない。気の置けない連中に混じって楽しく呑み明かすもよし。異変で勝負して以来あまり顔を合わせなかったヤツのところへ押しかけ、これを機に親睦を深めるもよし。いわゆる『呑みニケーション』というやつが大好きなのである。
さて今の魔理沙はと言えば、溜まった鬱憤を愚痴に変えて、誰かにブチまけたい気分だ。今夜の宴会には、幻想郷の主だった人妖たちのほとんどが参加している。理由もなく突発的に開かれた会であったはずなのだが、皆ヒマだったようだ。この場にいない魔理沙の知り合いに思い当たる方が難しい。愚痴る相手もここなら簡単に見つかるはずだ。
いつもなら大抵その被害者となるはずの、魔女仲間連中の姿ももちろんある。アリスは幻想郷に現れた新たな魔女こと、聖白蓮に付きっ切りだ。多分あれは魔法談義に花を咲かせたいのだろう。しかし傍から見ていると、アリスが一方的に喋りまくっているのを、白蓮がほにゃんと聞き流しているようにしか見えない。人付き合いが苦手なアリスは、『会話は言葉のキャッチボールである』という大原則をすっ飛ばしてしまっているようだ。あれじゃあ白蓮にとっては、キャッチボールをするどころか、ピッチングマシーンを前に徒手空拳で立ち尽くすようなものだ。せめてグローブくらい渡してやったらどうなんだ、アリスよ。
だがそれも、二人から何人分か離れたところに、紅魔館の一味と共に座るパチュリーよりはマシである。宴席まできて本を広げているのだが、その実先程からアリスと白蓮の方にちらちらと視線を投げかけている。話に混ざりたがっているのがバレバレだ。混じりたいなら行くしかないだろうに。まさか呼んでもらえるのを待っているのかアイツは。
「……もしかして魔女ってのは、インキ臭い連中ばっかりなのかねぇ」
「やっと気がついたの? あんたが例外なのよ。寝食忘れて趣味に没頭するような半分腐った根性と、誰とでもあっさり仲良くなる天然ジゴロ成分を配合されたハイブリッドなんて」
霊夢が背後から口を挟んだ。昼間と全く同位置に座っているが、湯飲みはぐい呑みに持ち替えられている。
「あぁら、ツンとデレが絶妙のバランスで掛け合わされたサラブレッドにそう言って頂けるなんて、ワタクシ光栄の極みですわ」
「……あんたはウチの家系の何を知ってるのよ。軽口も大概にしてよね。もうスペルカードはあと一枚しかないんだから」
「お前まさか、この場でブッ放しやしないよな。先刻とは違ってひとが大勢いるんだぜ」
「そちらの態度次第よ」
ぐい呑みを呷った霊夢は、どこからか一升瓶を取り出し、杯をまた満たした。
魔理沙の鬱憤は、時が再び動き出した神社境内によって行われた、弾幕ごっこという名の暴力に起因している。
見られてはならぬものを見られてしまった霊夢と紫による多分に私怨からの制裁は、実に熾烈を極めた。魔理沙にしてみれば、このコンビと相見えるのは永夜異変以来である。その時も一筋縄ではいかない相手だったが(というか負けたのだが)、今日の二人はそれをも上回るコンビネーションで、ルナティックもかくやという弾幕を放ってきた。形相もこれまた凄まじかった。ひと月は夢に見そうだ。
というか思い返してみると、あいつらそれぞれのスペカを同時に使ってなかったか? 反則だろうアレは。ルールブックを確認しろ。
あぁ、ルール作ったのコイツらだった。
あっさりと手持ちのカードを使い切った魔理沙が「絶対に口外致しません」と土下座で誓うまで、二人が撃ち方を止めることはなかった。
この誓いを破れば、ルナティックより上の更なる難易度として「Marisa Must Die」が追加されることになってしまう。口の災いを元にして死にたくはないし、この場を修羅場に変えたいわけでもない。
別の話題で楽しく盛り上がり、二人への恨みを忘れてしまうという手もある。だがとてもじゃないが、取れたて新鮮なこの感情はすぐには忘れ難い。一般的な少女と同じくらいにはお喋り好きな魔理沙のこと、きっとすぐにパンドラの箱の蓋に手を掛けてしまうだろう。
もし見つけたのが文だったなら、土下座どころか指を摘めても許されずに、今頃焼き鳥となって酒の肴に供されていたのだろうなぁ。
あまりにも理不尽な仕打ちを、魔理沙はこのように悪名高い鴉天狗のブン屋を引き合いに出すことで、何とか堪えているのである。
ちなみにもうひとりの下手人である紫は、境内の向こうの方で藍と橙を両脇に置き、守矢神社の二柱と談笑している。いつもの穏やかなインチキスマイルだ。あぁブン殴ってやりたい。
「――って顔に書いてあるから言っておくけど、楽しい楽しい酒の席だからね、ここは」
「はいはい。分かってます。分かってますわよー、っと」
「ならいいわ」
酒を呷る霊夢の方も、これまたいつものすまし顔に戻っている。
その表情も、魔理沙をまたムカッとさせるのだ。
羞恥に狂った二人が、宴会でも平常心を取り戻せずアタフタする様を見られれば、魔理沙としても多少は溜飲を下せるというものである。
だが、妖怪賢者の名は伊達ではなかった。スペルの展開を終了し静寂が戻ってくるなり、すぐさま平静を取り戻し、地に伏せる魔理沙に向かってこう言い放ったのだ。
「では、そろそろ準備をしようかしら。まずはお酒を運んでくださる、魔理沙?」
流石だ。二重の意味で流石だ。
まぁ、紫は長い時を生きた妖怪である。自らの感情の制御を完璧にこなしてのけてもおかしくはない。
おかしいのは霊夢のポーカーフェイスだ。
(齢は私とそう変わらないはずの霊夢まで、こんなに簡単に落ち着きを取り戻しているってのは、何とも納得できない……)
ちょっとからかってやれば、先程のようにほんの少しだけボロを出すのだが、それもすぐに引っ込んでしまう。何もなければ、表情にはいつもと全く変わりが見られないのだ。
愚痴も吐けず、痴態を楽しむこともできずでは、もうどうにもならない。何とかして、この行き場のない感情を始末する術を見つけねば。
それがこの酒席全体を白けさせず、むしろ巻き込んで盛り上げるような手ならば、なお良い。
と魔理沙はずっと考えているのだが、妙案は中々降りてくることはなかった。
「くそっ! だが私は諦めないぜ。いずれお前にも吠え面かかせてやるからな!」
「ひゅい~~~~~~ん! ひゅい~~~~~~ん! ひっく」
「そうそう、『ひゅい~~~~~~ん』ってそんな感じに泣かせて…… ってアレ?」
聞き覚えのあるようなないような奇声が何の前触れもなく割って入り、只でさえまとまらない魔理沙の酔った思考を中断する。
「まぁまぁ、そんなに悲観しちゃダメよ。あ、もしかして死にたくなってきた? 自殺する? なら手伝ってあげるわよ。私の専門だし。あはははは」
「誰が死ぬもんかってのよチキショー! 死にたくなんかないわ。死にたくなんかないけど、でも死ぬほど悔しいよぅ~。ひゅい~~~~~~ん!」
「……うわぁ。」
境内に敷かれた御座のこちら側の端、引き気味の魔理沙から五歩ほど離れた場所で、珍しい組み合わせが互いに管を巻きあっていた。
「『死ぬほど悔しい』ですって。あはは、可笑しい。こんなにピンピンしてるのに、『死ぬほど』って。あはははは。ひっく」
白玉楼の亡霊嬢、西行寺幽々子と、
「ひゅい~~~~~~ん!」
技術屋谷河童、河城にとりである。
両者とも、しゃっくりが止まらなくなるというステレオタイプな酔いっぷりだ。
そして、非常に厄介なことに。
「あはははははははははは」
「ひゅい~~~~~~ん! お~いおいおい」
幽々子は笑い上戸の、にとりは泣き上戸の、ひどい絡み酒になるのが酔った二人の常なのであった。
特に今夜のような騒がしい宴会において、この傾向が顕著になることが明らかになっている。ちなみに両名とも、「酔っているところに近づいてはいけない人妖ランキング・絡まれたら朝まで帰れなくなるぞ編(天狗調べ)」において、みごと五本の指に入った。
(……面倒だし、目を合わせないようにしとこう)
魔理沙は縁側から立ち上がった。白蓮を助けに行ってやるか。機関銃のように喋り続けているアリスから助けなきゃいけないし、魔法について語っていれば気も紛れるかもだし。
「魔理沙ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ガシッ、っと後ろから羽交い絞めにされた。この声はにとりだ。
どうやら手遅れだったらしい、と魔理沙は悟る。
「や、止めろこの河童! 何だってんだもう!」
「ひゅい~~~~~~ん! 悔じいよぉ~~~~~~!」
「っていうか今更だが、お前の泣き声凄いな!」
「あはははは。魔理沙ったら河童に巻きつかれて、これがホントのカッパ巻き。あはははは」
「……お前らで勝手に絡み合っていれば、みんな平穏無事なんだがな」
「魔理沙ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「だぁーもう! 何よ!」
「見てよこれぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
魔理沙は、にとりの差し出したそれを見た。
白い筒だ。水筒にも似た。
「あああー! それ私のじゃない! どこに行ったのかと思ったら!」
霊夢がちゃぶ台をガタンと揺らして立ち上がった。そのまま河童に掴みかかる。
「返しなさいよ河童! 微塵切りもジュースも私のものなんだから!」
「魔理沙見てよこれぇ、コレ本当に凄くてさぁ、私悔しいよぉぉぉぉぉぉ」
「耳元で喚くな二人とも!」
紅白と青緑を引っぺがそうとする黒白だったが、酔っ払いの馬鹿力は凄まじかった。
「それは私の、私のファンタズムなんだからっ!」
「ほら魔理沙、この部品を嵌めて胡瓜を押し込めばさぁ、簡単にこんなに薄ぅーい輪切りになっちゃうんだよぉ!」
「あはははは。赤服と金髪と青髪で三色揃って信号カラー。外の世界って、これの何色が光るかどうかで人間が動いたり止ったりするのよね。面白ぉい」
「誰か助けてくれぇ!」
魔理沙の悲痛なヘルプコールが響く。
それに応えたのは、これまた耳元で聞こえた鈍い音だった。
ガッ! 「み゙ゃっ!」
ゴッ! 「びゅいっ!」
「むー。これでいい? 魔理沙」
「あ、あぁ。助かった。だが制御棒で脳天をカチ割るのはちょっと危ないから、次からはもう少し穏便に頼むぜ、お空」
「分かった」
右手に制御棒を嵌め、左手に御猪口を持ってこくこくと頷くのは、熱燗好きの神の火もとい、熱かいには色んな意味で慎重に臨まなければならない地獄鴉、霊烏路空。
霊夢とにとりはうずくまったきり、呻き声も聞こえてこない。幽々子はそれを見てまた大笑いだ。
ちなみに空は、宴会の最初からずっと日本酒を呑み続けているはずなのだが、顔色ひとつ変える気配がない。一人黙々と杯を乾かし続ける様は、地底からの客はおろかこの会の参加者の中でも、頭ひとつ抜けた静かな迫力を持って存在を主張していた。
ところで、彼女は右手の棒をずっと付けっぱなしにしているはずなのだが、一体どうやってお猪口に酒を注いでいるのだろう。
「しかし、お空がザルな上に辛党とは。これからは、宴会の席の最後の良心はお前になるのかもな。信じたくないけど」
「それより魔理沙、この河童の話を聞いてあげようよ。なんか泣いてたし」
「…………そうね」
鳥頭に至極まともなツッコミを食らってしまうとは。これは末代までの恥である。もういっそ世界が滅んでしまわないかな、この瞬間に。
「ひゅい~ん。もういっそ世界が終わっちゃわないかなぁ、たった今」
「うわっ! にとり、覚りの能力を受け継いだなんて聞いてないんだけど」
「……何言ってんの魔理沙」
「『にとり』という字を一文字変えて♪ 『さ・と・り』♪ あははははヒクッ」
魔理沙は幽々子が一刻も早く成仏するよう願いつつ、にとりの体を起こしてやった。
そこに空が、心配そうに声をかける。
「ごめんねにとり。頭のお皿割れてない? 頭蓋骨割れてない? 頭悪くなってない?」
「ひゅい~~~~~~ん! 魔理沙ぁ、この鴉ケンカ売ってるよぉ!」
「気にするな! 他意はないから! お空の素だからコレ!」
「霊夢も大丈夫? 頭のお皿割れてない? 頭蓋骨割れてない? 頭悪くなってない?」
「……オッケイ。ラストスペル行っきまーす」
「霊夢もいちいち突っかかるんじゃない! 話が進まないだろうが!」
魔理沙の周囲は時が経つにつれカオティックになっていく。これ以上のエントロピーの拡大は防がなくてはならない。
「くっ! 諸悪の根源はこれかぁっ!」
先ほどにとりと霊夢が取り合っていた白い筒は、いつの間にか御座の上に転がっていた。魔理沙はそれをバッと拾い上げ、丁半勝負の振り手のごとくダンと叩き付けて立てる。
「よし! 全員正座ぁ!」
魔理沙の号令直下、何とか混沌は収縮していく様相を見せた。
霊夢とにとりが、しぶしぶのろのろと居ずまいを正す。その隣に空がお猪口を持ってちょこんと座り、続いて楽しそうに寄ってきた幽々子が腰を落ち着ける。筒を中心にして、全員が車座になった形だ。
何だ、この取り合わせは。魔理沙は場を見回し改めて思ったが、一秒で気を取り直し、筒をビシッと指差す。
「よし霊夢。これはお前のものなんだよな。まずはこれが何なのか説明を頼む」
「いよっしゃ」
待ってましたと言わんばかりの、霊夢によるテレビショッピングが始まった。
あっけに取られる魔理沙。悔しさを思い出したのかまた泣き始めるにとり。大笑いしすぎて号泣し始める幽々子。顔色を変えずに呑み続ける空。
リンゴとクルミ、食パンに続いて、ミキサーにリキュールをぶち込みカクテルを作り出そうとしたところで、霊夢は魔理沙によって止められた。
「も、もう分かった。十二分に分かった。うん凄い凄い。んじゃあにとり、これの何が悔しいんだ?」
うぅっとまたひとつ、しゃくり上げるにとり。もう目が真っ赤である。
「これ、外の世界の発明品だろ。河童にはできない発想だからさ、ホント悔しくて」
「そうか? これ位のものだったら、にとりなんか一晩で作っちゃいそうだけど」
「そりゃあ技術的にはね」
泣きすぎていい加減に喉が渇いたのだろう。いつの間にか手にしていた杯の中身を、にとりは呷った。
「っぷは。だからさ、問題は発想なんだよ。確かに河童にも作れるけどさぁ。こういう発想はないから作れないんだよ」
「あはははは、ひっひっ。『発想がない。はっ、そうですか』。なんちゃって。ひくふふふふふ」
「なんだそれ。そりゃ作れるんなら作れるし、作れないもんは作れないだろう」
「無理なんだってば。河童はこんなもん作ろうとしないよ」
「要領が得ないわねぇ。もっと分かりやすく話しなさいよ」
「えっと、こういうことじゃないかなぁ」
空が、制御棒を振り上げて発言する。たぶん空にしてみれば挙手のつもりなのだろう。だが先ほどの痛みを思い出した二人が、早とちりしたのか思わず身構えていた。
「外の世界のぎじゅちゅしゃは、みんなの暮らしを便利にするために発明するけど、河童は自分が作りたいものしか作ろうとしないんだと思う」
「成程。……お前今日、ホントにどうしたんだ?」
魔理沙がうろたえるほど、的を射たまとめである。噛んだことくらいはご愛嬌だ。
「そう! そういうことなんだよ! いや、見直したよぉこの鴉!」
にとりはバンバンと、空の背中を叩いた。
「そうだよ! そこんところがもう悔しくて悔しくてさぁ。ぎずつしゃとしては私もう惨敗もいいところだなって思って」
「あはははは。ぎじゅ、ぎ、ぎ、ぎずちゅしゃ、あれ? ぎずちゅしゃ。あは、言いづらい。あはははは」
「そう、自分の不徳を知るのはいいことじゃない。これを機に精進すれば?」
霊夢の問いかけに、少しにとりは黙り込んだ。
「……そう、しようと思うよ。でもさ、悔しいのといっしょにさ」
俄かに声のトーンを落とし、続ける。
「考えちゃったんだよね。外の世界がこの調子で、どんどん進んでいくんならさ。幻想なんて、いつか簡単につぶされる日が来るんじゃないのかな、って」
◆ ◆ ◆
霊夢が息を飲んだのに、魔理沙は気付いた。
今のにとりの台詞を聞いていたのは、ここで丸くなっている五人だけだろう。周りは相変わらずのドンチャン騒ぎである。その喧騒が唐突に巨大な騒音となって襲い掛かるほどにまで、車座の空気は一瞬にして冷えた。
「え? どういうこと? 今のは分かんない」
「あはははは。可笑しい。あれ、もう何が面白いのか分からない。可笑しいわねぇ。あはははは」
「……………………」
訂正する。二名ほど、話に付いてきていなかった。
にとりは続ける。
「幻想郷の連中はさ、今の暮らしに十分満足してる。今日と同じ日が明日もまた訪れて、それで幸せだって思ってる。私だってそうさ」
にとりは杯を傾ける。が、もうそれはカラだった。
あれ、と呟くにとりに、魔理沙は自分のジョッキを渡してやる。
「ありがと。でさ。外の世界の人間は満足しないんだよ、『今』に。自分たちの生活を良くしよう、良くしようと思って、一生懸命頑張ってる。元を辿ってみればさ、外の人間が幻想じゃなく科学を選んだのだって、そっちの方が前に進めるって考えたからじゃないのかな」
「でも……!」
口を挟んだのは霊夢だ。だがその後に言葉が続かず、口をつぐんでしまった。
「こっちには包丁しかないけどさ、向こうにはこのミキサーがある。これがあればさ、料理が凄く楽になるだろうね。料理なんていう生活の一部分、衣食住の食だけでもコレだもの。きっと他の面でも、人間は努力して進歩してさ、幻想なしでもやっていけるようになったんだよ。人間は弱いけど、一生懸命前に進もうとする」
幽々子があははと笑う。本当に何が面白いんだろう、と魔理沙は思った。
「私は今に満足してる。今の幻想郷がずっと続けばいいって思ってる。確かに、そうは思っていない人もいるよ。ほら、お空。あんたに神の火を与えた八坂様だって、幻想郷のエネルギー革命だとか何とか仰ってたじゃない」
「にゅ? そうだったっけ?」
「そうだよ。あの方だって幻想に生きる神だけど、こっちにいらしたのは最近さ。私にとっては、八坂様は進歩とか革命とか、そういう外の考え方をあの御身に染みさせてるように見えるんだ」
悪いことじゃあ、全然ないんだけどね、と笑うにとりの目は、少し遠い。
「でも、そういうひとが現れたとしても、外の世界は幻想郷よりずっとずっと早いスピードで変わってく。私たちが不変を望んでいる間にも、きっと外の人間たちは前進を続ける。そうしたらいつか、幻想が不要どころか、邪魔になってしまう日が、来るんじゃないのかな? もしそうなったら――幻想郷なんて箱庭は、あっというまに消されちゃうんじゃないかなぁ?」
魔理沙が渡したジョッキも、いつの間にかカラになっていた。
「……なぁんてことを考えてたらさ。さっきちょっと思っちゃった。いっそ幸せな今この瞬間に、幻想郷が終わっちゃわないかなぁ、って」
「はは。酔うと泣き上戸な上に、ネガティブシンキングだとは知らなかったな」
笑顔を作って、魔理沙は言う。今作った笑顔は、しかしそれほど無理矢理ではなかったはずだ。
いくらなんでも、荒唐無稽に過ぎる。仮ににとりが嘆くような事態に陥ったとして、それが今日明日訪れる運命だとは到底思えない。人間の一生分の時間を積んでみても、そのエックスデーには届かないだろう。寿命の恐ろしく長い連中なら分からないが。
こんなヘンな空気は、さっさと笑い飛ばすに限る。
「にとりの考え過ぎだろうし、考え過ぎで辿り着く結論にロクなもんはないぜ。なぁ、霊夢」
「……え? あ」
だが、霊夢は明らかに平静を失っていた。
まるで、絶望した迷子のような表情で、狼狽していた。
「おいおい。どうしたんだよ霊夢」
「うん、いや、なんでもない。そうよね。考えすぎよ、にとり。」
笑顔を作った霊夢だが、それは煎餅のように固かった。
彼女のこんな表情は見たことがない。魔理沙も、霊夢との付き合いは長い方と自負しているのだが。
こんな困らせ方をしたって、鬱憤なんか晴らせやしないぜ。後味が悪いだけだ。
魔理沙は心の中だけでそう言った。
「……まさか、怖かったのか? 今の話が」
「そんな訳ないでしょう。私が怖いものなんて、食後に頂く熱ぅいお茶くらいだわ」
嘘だ。
魔理沙もつい強がってしまう方だから、恐怖や焦りを隠す仕草にはすぐ気付く。霊夢の今の口ぶりは、正にそれだ。
それを裏付けるのが、魔理沙が霊夢の方に投げる視線のさらに先でこちらを見返す、古明地さとりの表情である。いつも涼やかなその顔には、「珍しいものを見た」といった軽い驚きが張り付いていた。
覚り妖怪たる彼女に心の内を隠すことなどできない。酒の力で自制が効かなくなっている人妖たちの感情の坩堝の中でも、霊夢の想いはさとりに容易く届いてしまうほど強烈だったのだろう。神さえも恐れぬ博麗の巫女が恐怖している。相対して敗れた妖怪にとっては新鮮に思えるどころの話ではない。
にとりも霊夢の異常に気付いたようだ。今更「やっちまった」といった表情で、あたふたきょろきょろしている。酒の勢いのバカな話で場の空気をブチ壊してしまっては、それは気まずいことこの上なかろう。折角の酔いも、幾分かぶっ飛んでしまっているのかもしれない。
「あはははは。じゃあアレね、ほら。次に霊夢が怖いのは甘いお饅頭って訳ね。あはははは」
「……そうよ」
重みを増した空気に気付いているのかいないのか、幽々子の調子は変わる気配なしだ。
「え? 霊夢はどっちも好きじゃなかったっけ?」
話についてきていなかったもう一匹は、自分の理解できる話題がようやく出てきたので、とりあえずそこに食い付いた。だが肝心のオチが理解できていない。
でも、こいつらがここにいてくれて良かった。これなら話題も転換しやすいというものだ。
にとりが取り繕うように追加で持って来た麦酒の瓶を魔理沙は一本掴み取り、杯に手酌してぐいと呷った。
今夜はまだ長い。さぁ、さっさと盛り上げて場を立て直そう。
「ひくっ、あはは。でも結構カワイイところもあるんじゃない霊夢。幻想郷が無くなっちゃうのが怖いなんて。あはははは」
「うにゅ? そうなの霊夢?」
おぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!
安心していたところへのまさかの不意打ちに、魔理沙は凍り付いた。
さっきからこの亡霊、ことごとく空気を読めていない。
必殺の視線でもって睨みつける魔理沙を歯牙にもかけず、幽々子は更なる爆弾を投下する。
「ねぇ紫ぃ! ちょっとこっち来てよ! この娘ったら可愛いわよ、あははははは」
「ぶっ! ちょ、ちょっと待ちなさいよ幽々子」
にとりに甲斐甲斐しく注がれた麦酒を呑んでいた霊夢は、盛大に噴き出した。
「あら、どうしたのかしら霊夢? ……というか幽々子、今日も絶好調ね」
横着して隙間をぬるんと抜けてきた紫は、にとりと霊夢の間に割って入って座る。
流石に長い付き合いであるだけはあって、幽々子への対応も手馴れたものだ。もっとも、今まで決して絡んでこようとはしていなかったが。
「あはは、貴女どうせ全部聞こえてたんでしょう? 霊夢の怖いものの話よ」
「霊夢はね、幻想郷なくなっちゃうかもしれないのが怖いんだって」
「だからそんなこと私一言も……」
「あらまあ。貴女がそんな調子じゃあ世話ないわねぇ」
紫の台詞は、いつものようにふわふわした、捉え所のないところから投げかけられたものだったが。
(……え?)
紫の隣にいた魔理沙には見えてしまった。
霊夢に言葉をかけたほんの一瞬だけ、紫は本当に心配そうな顔をしたのだ。
「全く、もう少ししっかりしてもらわないと困りますわ。仮にも規律を守る者なんだから」
「…………ふん」
霊夢はそっぽを向く。反抗期じゃないんだから、と魔理沙は視線だけでツッコんだ。
「ねぇねぇ。幻想郷の終わりってどんな風なの?」
「あはははは。そりゃもうきっと凄いわよ。何といっても幻想の終焉ですもの。ハリウッドも吃驚の一大スペクタクルよ」
一方の空と幽々子は、霊夢の狼狽には早くも興味を失っている。
「ほら、龍神様っているでしょう、守り神の。まずあれが、強大なる闇と破滅のパワーを纏って再臨するわ」
「か、格好いい! 何か格好いいよそれ!」
底抜けの阿呆二人の手によって、どうも話はこれまでの斜め上、捩れの位置を進み始めたようだ。
「あとはアレねぇ。天界が丸ごと地上に降って来るわ」
「うわぁ凄い! 流石の天人も涙目だね!」
「あはははは。あの放蕩天人のマジ泣きが見られたら面白いわねぇ。そして、ダーク龍神の発するエネルギーによって、地面は割れて山は火を噴くのよ」
「うにゅ。地上がそんなんで地獄は大丈夫かな……?」
「あら。地底なんて真っ先に地盤が崩落してペシャンコに決まってるじゃない」
「え!? 地霊殿も!? あ、でももうみんな逃げた後だから大丈夫!」
「でも地上に出てきた瞬間に、ダーク龍神の巨大な顎で、全員パクッと」
「うにゅあああああああ!」
なにそれこわい。ダーク龍神強ぇ。
「まだまだ終わらないわよ。今度は一連の騒動で死んだはずの人間や妖怪が、ゾンビになって暴れ出すの。ゾンビにやられたひともゾンビになっちゃって、まさに阿鼻叫喚」
「死体が動いちゃったら、お燐は困るだろうなぁ」
「そうしたら次は、河童の作った機械たちが次々と自我を持って、幻想郷を滅ぼした跡地に機械帝国を作ろうと持ち主を襲い始めるのよ」
「……開発者としちゃ、それはちょっと見てみたい、かも」
にとりまでもが不穏な呟きを発する。
「ちなみにお空はアレよ。核エネルギーの制御が利かなくなって、今にも本当にメルトダウンしそうな暴走怪獣の役を」
「えー? やだやだ。私もっと格好いい役がいい」
「それじゃあ格好良くしてあげるわ。熱が暴走して仲間すら迂闊に近づけない体になってしまった貴女は、幻想郷の皆に向かってこう言うの」
「ふんふん」
「『私、こんな体になっちゃったっけど、今でもみんなのこと大好きだよ。だから最後のパワーであの天界に突っ込んで、地上に落ちてくる前に爆破するわ!』」
「おお! 格好いい! 私格好いい! じゃあ幽々子は?」
「私はそうねぇ……。両手拳銃でゾンビをバンバカと撃ち殺していく役がいいわ」
指鉄砲を形作り、ばんばーん、と幽々子は撃つ真似をした。そしてフッと硝煙を吹き消す。スタイリッシュな服装に身を固めた、クールなヒロインにでもなったつもりなのだろう、妄想の中では。
思わず魔理沙は、紫と視線を交わす。
「……想像できないな」
「……想像できないわね」
コントのような絵面しか出てこない。
ってか、弾幕使えよ。
「『ふふ、私のこの華麗なる拳銃捌きの前には、ただ暴れるだけが能のゾンビなんて敵じゃあないわね。――ハッ! あれは妖夢! そんな、貴女までゾンビの魔の手に……ッ!』」
「……幽々子様、ひとを勝手に殺さないで下さい」
いつの間にか幽々子の背後に控えていた半人前の半人半霊。どうやら、自分の主人が酔ってしまっても最後の一線だけは越えないよう、さり気なく見張っていたらしい。だったら、もうちょっと早く出てきて欲しかった。
「『くっ、たとえ妖夢といえど、屍肉を漁るまでに落魄れた怪物になってしまったのなら……。仕方がないわ。せめて私の手であの世に送ってあげる!』」
「それじゃ白玉楼に帰るだけじゃないですか」
「半人半霊のゾンビって、ややこしいわね。ただでさえ生きてるのか死んでるのか判別しづらいというのに」
妖夢のさらに向こうから、彼女と呑んでいたらしい十六夜咲夜が割って入ってきた。
そしてその膝には。
「ちょっと咲夜。いま輝夜と話が弾んでいたところなんだけど。時間を止めてまで主人を連れ去るというのはどういう了見?」
ご機嫌斜めのレミリア・スカーレットがいた。抱えられている様を見るだけならば、まるで精巧な西洋人形のようだ。
「申し訳ありません、お嬢様。しかし、貴女様は仮にも幻想郷の夜の王であられる御方。ここはひとつ、幻想の崩落というカタルシスの渦の中でも失われないその威厳を、この場の皆々様に知らしめて差し上げるべきかと」
「……それはいいのだけど」
「はいはーい! じゃあ紅魔館に大量の暴走ロボットが襲ってきましたー! レミちゃんはどうしますかー!」
「『ハッ、愚かな傀儡どもよ! まさかそれで心を得た心算? バカらしいわね。所詮貴様等など私にとってみれば蟻以下の有象無象に過ぎない! この紅い月の下、一体残らずジャンクにしてあげるわ!』」
「『ふふふ、私のロボットを舐めてもらっちゃ困るね。こんなこともあろうかと、既に全機体に銀弾ガトリングを実装済みよ!』」
「ノリノリだなぁ、オイ。ってかにとり、お前どっちの味方なんだソレ」
いつの間にか。
宴席の外れで丸くなっていたはずの車座が、だんだんと大きくなる騒ぎの中心になっていた。
いったい何事なのかと、あちこちから好奇の視線が向けられている。
「あら、世界の終わりだというのに、みんな随分と面白そうにしているじゃない。」
紫の目も、何だか楽しそうな光に満ちていた。
霊夢の持つ空杯に酌をしながら、賢者は問い掛ける。
「そう思わない、霊夢?」
「…………ん」
まだどこか落ち着かない、でも幾分か和らいだ表情で、霊夢はようやく笑った。
「確かに、どいつもこいつも能天気だわ。悩んでるこっちが馬鹿馬鹿しくなるくらい」
「やっぱり悩んでたんじゃないの。貴女が気を病む必要なんて、どこにもないというのに」
「こういう感情って、理屈じゃないと思わない?」
「御生憎様。人間の心の機微を捕まえるのは、化物にとっては難しいのよ」
「それじゃあ同じ人間に訊くとするわ。ねぇ魔理沙」
「まぁ分からんでもない、な。だけど、いつまでもウジウジしてたってしょうがないぜ」
胡坐に頬杖を付きながら場を見守る魔理沙が、笑っている視線だけをこちらに向ける。
「霊夢も、破滅に立ち向かう正義の味方になってきたらどうだ」
「え。何でよ」
「理屈じゃ片が付かないんなら、理屈じゃないやり方で憂鬱をブッ飛ばすのが、一番手っ取り早いだろ」
「根本的解決になってないわよ、それ」
「別にいいじゃない。今ここで根本的に解決するには、貴女の悩みはちょっと底が深すぎるもの」
紫の笑顔は、なぜかその時だけ、欠片の胡散臭さも感じさせなかった。
「ほら、名乗りを挙げろよ霊夢。もうすぐダーク龍神が守矢の神社を飲み込んじまうぜ」
魔理沙は騒ぎの中心を指差す。そこではいつの間にか東風谷早苗が、火焔猫燐と古明地こいしの扮する龍神相手に、対決の口上を申し立てていた。
「『おのれダーク龍神! 幻想郷の他の場所ならいざ知らず、我が守矢神社を滅しようなどとは不届き千万! この東風谷早苗のスペルの錆にしてくれますっ!』」
「『人間風情が小賢しい口を利く! 貴様程度の力では、我が鱗を焦がすことすら叶わぬわ!』」
「『あぁそんな! 弾幕が当たっても跳ね返されるなんて! そんなルール無用の残虐ファイトでは私に勝ち目は……っ!』」
「はい早苗、がぶ~っ」
「『ぐはっ! も、申し訳ありません八坂様、洩矢様。守矢の力をもってしても敵いませんでした……』――ってこいしさん? ちょ、どこ触ってるんですか!」
「もみもみもみもみ」
「いやぁ~! た、助けて下さい神奈子様!」
「……どうでもいいんだけどさ、あんた今『我が神社』って言ったか?」
少しばかり調子に乗ったせいで信じる神に見放された巫女を眺めてひとしきり笑った後、霊夢はふっと目を瞑って魔理沙に答えた。
「遠慮しとくわ。あんなの異変じゃないから、私の手には余るもの」
「それが賢明かもしれないわね」
「なんだ、つまらん。ノリの悪さはいつも通りだな」
博麗の巫女は動かず。普通の魔法使いも頬杖を付いて見守るだけ。悪魔のメイドは主人の側を離れられないし、半人半霊はゾンビ化。守矢の巫女もたった今敗北。
さらに妖怪賢者も静観の姿勢を示したため、目の前で繰り広げられる幻想の終焉は、誰も止めることが出来ぬまま賑やかに進行していく。
――暴れまわるダーク龍神を決死の覚悟で取材していた射命丸は、迫り来る神体を避わすことかなわずに撃墜。そのまま妖怪の山は、ダーク龍神の必殺技「滅びのダークストリーム」によって跡形もなく消滅した。
永遠亭には、いつの間にか紅魔館を制圧していたロボット軍団が、ゾンビの群れと合流して襲い掛かる。迎え撃つのは、蓬莱山輝夜と八意永琳の蓬莱人主従。そこに藤原妹紅がまさかの参戦を果たし、迷いの竹林は終わりの見えない白兵戦場へと様相を変える。
鬼や閻魔や死神も、座して死を待っている訳ではなかった。際限なく湧いて溢れる溶岩流を止めるため、河童開発の地底船に乗り込んでマントルの海を行く。だが余りにも困難な道程に、屈強な地獄の住人たちも、その命をひとりまたひとりと奪われていくのだった。
そして、お空の壮絶なる自爆でも完全に破壊することはできなかった天界を止めるため、地上に避難していた天人と龍宮の使いが、命蓮寺の住人たちと共に聖輦船で空へと向かう。妖力と法力の限りを尽くした攻撃も、しかし天界の核たる「天界要石」を破壊するまでには至らなかった。その膨大なるエネルギーを吸収せんと襲い掛かるダーク龍神。邪悪の手に天界要石が渡らぬよう、聖輦船は最後の手段である滅びの呪文を携えて、決死の最終突撃を行う――
そうして、全ての手が尽きた。
辛うじて生き残った人妖たちが最期の地に選び集まったのが、ここ博麗神社である。と、そういうことになったらしい。
「『ふふ、残った弾もあと1発……。こうなったらせめて、あの親玉の脳天にコレを撃ち込んでやるわ』」
ガンマン幽々子は、いかにも最期を悟ったといった目で虚空を見つめる。ミスマッチこの上なかった戦うヒロインスタイルも、ムダに大きな立ち回りをするうちに段々と馴染んできたようだ。もはや、魔理沙と紫の脳内で八面六臂の大活躍をする幽々子は、コメディな絵面ではない。今なら気合の入ったコスプレイヤーくらいで再生される。
「『いやあ、さすが龍神様だ。いざとなったら容赦ないねぇ』」
伊吹萃香が、破壊の権化と化した龍神を敵ながら褒め称えた。彼女は先ほどマントルに生身で投げ出されたはずなのだが、きっと根性で泳ぎ切り戻ってきたのだろう。
「『さようならイナバ。貴女の犠牲は忘れないわ』」
よよよと袖口で涙を拭うのは蓬莱山輝夜だ。鈴仙の捨て身の足止めのおかげで、彼女は生きてここにいる。鈴仙の献身がなければ、輝夜には今頃妹紅のような、ゾンビに永遠に食われ続ける運命が待っていたに違いない。
ちなみにありったけの手榴弾を抱えて特攻、爆散したはずの鈴仙・優曇華院・イナバは、既に宴会の序盤で因幡てゐにしこたま呑まされ潰れている。輝夜によって無理矢理寸劇に組み入れられた妹紅は、余りに恥ずかしかったのか、今はそっぽを向いてヤケ酒を喰らっていた。
「あはははは! どいつもこいつも滅茶苦茶だなぁ」
魔理沙は腹の底から笑った。さっきまでの憂鬱も、ウソのように散っていってしまった。
もしかしたら、と魔理沙は思うのだ。いつか本当に幻想郷が終わってしまうのだとしても、コイツらは今みたく、それさえも心から楽しんでしまうのではないか。残された僅かな時間の最後の最後まで笑いながら騒ぎ倒し、そうやって消えていく。それこそが幻想の最期に相応しいと、皆本気で思っているんじゃなかろうか。
それぞれ、心の内に抱えているものがあることは知っている。それは悲しみかもしれないし、あるいは恨みであるかもしれない。幻想の暮らしだって、楽しいばかりでないことは重々承知の上だ。
だが、それでも。人々が望み、妖怪が焦がれ、神々が恋したこの場所ならば。
「……こんなのも、アリなのかもしれないわね」
霊夢が呟いた。きっと同じことを思ったのだろう。魔理沙も目を閉じて頷く。
「えぇ本当に、全く無茶苦茶。でも、それこそがこの郷の本質。人と妖と神が友誼を結ぶこの場所で、何をか言わんや、だわ」
紫がそう言って杯を傾ける様は、もはや羨む気も起きないほど、本当に絵になっていた。
「まだ怖いのかしら? 霊夢」
「……本当は、少し」
少しだけ目を伏せ、霊夢はようやく白状した。
でもすぐ顔を上げ、篝火の灯りだけでもすぐそれと分かる、満開の笑顔を見せる。
「でもまぁ、今はこれでいいってことにしておくわ」
その表情の魔力で、魔理沙も紫も微笑んだ。
「『うわー! もうダメだー! ここもダーク龍神に見つかっちゃったー!』」
そんな空気を見事にブチ壊し、大声で叫んだのは空だ。自爆したはずの彼女だが、サイボーグとなって奇跡の復活を遂げたことになっている。
三人とも、思わずそちらに視線を戻した。
「『ゾンビとロボットの軍団も、こちらに押し寄せて参ります、姫様』」
「『いよいよ最後の決戦というわけね……』」
輝夜の参謀役である永琳が主君に報告する。幽々子と違い、こちらは流石の参謀振りだ。
「『ふ。今度こそ、目にものを見せてやるわ』」
レミリアも精一杯のカリスマを発揮する。紅魔館は壊滅したはずなのだが、涙目の当主が地団駄を踏みながら猛抗議をしてきたため、住人たちは辛うじて脱出できたとすることで何とか落ち着かせ、今に至っている。
「……無駄よレミリア。もうアンタのカリスマなんざ夜雀の涙ほども――って魔理沙?」
唐突に、魔理沙が立ち上がる。
その顔は、いかにも良い悪巧みを思いついたと言いたげなニヤケ顔だ。
「どうしたのよ、一体?」
「いや、そういえば、さっきのお返しがまだだったなぁと思ってさ」
「はぁ」
目を丸くする霊夢と紫を尻目に、魔理沙は大きく声を張り上げた。
「『よぉし! まずは私がドデカい一発をお見舞いしてやるぜ! 安心しろ! お前らが逃げる時間くらいは稼いでやる!』」
「『へん! こちとら人間に庇ってもらうほど落魄れちゃあいないね。誰が逃げたりするもんか!』」
「『そうだよ! 魔理沙だけに格好良い役はあげないもんね!』」
即座に反論を返す萃香と空。視線を巡らせて見ても、誰も逃げ出そうなんて者はいない。
魔理沙はほくそ笑む。そして、
「『成程、そいつぁ失礼。私だって、死にたがりのバカ共に逃げろなんて言うほど無粋じゃない心算だぜ。でもな――』」
宴の主賓を紹介するような大仰な手振りで、霊夢と紫を振り返った。
「『せめてこの二人にだけは、外の世界にあっても生きていて欲しいのさ! 今までずっと幻想郷を守るために、身を削って頑張り続けてきた、この二人にだけは!』」
「……………………へ?」
「……………………あら」
いきなり舞台に、隠れていた二人の主役が引っ張り出される。
魔理沙のもたらした完璧な静寂。だが、それもすぐ歓声で打ち破られてしまった。
「あっははははは! 『そうね、魔理沙の言う通りだわ。紫と霊夢には、この幻想の語り部になってもらいましょう。外の世界で、末永く』」
「『私たちはずっと、貴女たちのおかげで楽しい暮らしを送れたんですもの。せめて最期に、恩返しをしてあげなくっちゃ。そうよね、永琳』」
「『その通りでございます、姫様。外の世界で生きることは困難も付き従いましょうが、そこは仲睦まじいお二人のこと。手に手を取り合って進んでいけるに相違ないですわ』」
霊夢と紫の間柄は、もはや公然の秘密であり、暗黙の了解であったのだ。知らぬは当事者ばかりなり。
「え? や、ちょ……。何を言い出すのよ魔理沙!」
「『何をって、これは紛う事なき私の本心だぜ』」
「……藍、橙。貴女たちはそれでいいの?」
「『何を申されます、紫様。己が身命を賭して主を救い、送り出すことこそ、式たる私の本懐ではございませんか』」
「えと……。『私は藍様に付いて行きます! 私は藍様の式ですから!』」
正に、孤立無援である。
満面の笑みの魔理沙は、二人の手を掴んで立ち上がらせた。そのまま鳥居へと二人を引き摺っていく。
「『ほら、さっさと行った行った。早くしないと、ダーク龍神にゾンビにロボットの総攻撃が始まっちまうぜ』」
「い、行けって、どこに」
「どっか適当にその辺をランデヴーしてくればいいじゃないか。月も明るいしいい夜だぜ」
「……あんた、覚えてなさいよ。戻ってきたらひどいんだから」
「おいおい、私は昼間のことは、なぁんにも喋っちゃいないぜ」
「ふふふふふ、そうねぇ魔理沙。これは一本取られたわ」
紫はさも愉快そうに笑う。
「霊夢、戻ったら魔理沙に座布団一枚あげなさい」
「……? あ、成程、了解。」
「うぇ!? まさかその座布団って、例のホーミングしてくる……」
「じゃあね、魔理沙。少し夜風に当たってくるとするわ」
霊夢と紫は、いつものように音もなく、境内を飛び立った。
長い急な下り階段を、そのまま鏡写しに上りにしたような角度で、闇夜へと浮かび上がっていく。
その様を、生き残った人妖たちはやんやと見送った。
「『いよっ、ご両人! 外に出てっても、私たちのこと忘れんなよ!』」
「『フフ、決して中を覗きに戻ってはダメよ。シュレーディンガーの猫ではないけれど、貴女たちがその目で滅亡を見なければ、幻想が滅びたという証拠はどこにも存在しないことになるのだから』」
「『にゅ~! しあわせに、なれよ~!』」
「……なんなのよ。好き勝手言ってくれちゃって、アイツら」
これじゃあまるで本当に、お別れみたいじゃない。
霊夢の頭の中は、もう切ないやら恥ずかしいやらで、大変なことになっている。
そんな彼女を、紫は背後から抱きすくめた。
「ねぇ霊夢。このまま本当に外の世界へ出てみない?」
そしてとんでもないことをサラッと言ってのけた。
「な、何言ってんの紫!? そんなことして結界大丈夫なの?」
「ほんの2、3分よ。それくらいなら全然影響はないわ」
「……これも、またあんたの気紛れ?」
「そ。私のいつもの気紛れ」
「勘弁してよ。いつもいつも振り回される私の身にもなってみなさいよね」
言葉とは裏腹の満更でもない表情で、霊夢は笑う。
「ちょっとだけだからね。すぐ戻るんだからね」
「えぇ、分かっているわ。いつか貴女に見せてあげたいと思っていたのよ。ここから見える遠くの街の灯りと、海に微かに浮かぶ漁火を」
◆ ◆ ◆
博麗神社で開かれる宴会は、ちゃんとした理由があって開かれる方が珍しいと言えるだろう。
そして今日は珍しいことに、ちゃんとした理由のある宴会なのである。
「……で、その理由って何なのよ。いい加減教えてくれてもいいんじゃない、紫」
「そう焦らないの。始まったら教えてあげるって、ずっと言ってるでしょう?」
霊夢はちゃぶ台に肘を突き、境内を眺めながら溜め息をついた。
紫は口は堅い方なのだが、殊にこういうどうでもいいことに関しては金剛石にも勝る口の硬さを発揮する。そして、紫がこのような態度を取るときの「どうでもいいこと」は、大抵周囲にとってどうでもよくはないのである。
ふと、紫が台所に目を向けた。
「あら。あれ、折角あげたのに、使ってないの?」
調理台の隅、まな板からはちょっと手の届きにくいところに、「ハイパーミキサー・ファンタズム」が転がっている。
「あぁ、アレね。便利といえば便利だったんだけど。一週間もしたら動かなくなっちゃって」
「電池が切れちゃったのかしら?」
「河童もそんなこと言ってたわね。よく分からないけど、使えないんならと思って放置して、そのままよ」
「あれは確かコードで充電できたはずね。専用のを持ってきてあげましょうか?」
「いいわよ。そこまで手間掛けてもらわなくても。それに――」
霊夢は紫に微笑んだ。
「私には、包丁があれば十分だわ」
「ふふ、そう。ならいいのよ」
紫もそれに微笑み返す。
「……新婚家庭に邪魔するようで悪いんだけどね」
茶の間の入口からの声は、魔理沙のものだ。二人してそちらに視線を向ける。
なんだが、白い筒のようなものを持っている。ただし、今度のは紙製のようだ。厚めの紙を丸め、紐で結わえてある。
「あら魔理沙。いたの」
「たった今着いたとこだ。着いて早々、もう胃もたれがしてるが」
「魔理沙、アレは持って来たんでしょうね」
「おう、任せとけよ紫。出来立てのホヤホヤのを早速持って来たぜ」
魔理沙は抱えていた筒を、ちゃぶ台に放り投げた。それはポンとはねて、紫の手に収まる。
「まさか、それが今日の宴会の理由?」
「そうよ」
紐をスルスルと解きながら、紫は答えた。
「やっぱり貴女には、まずこれを見て知ってもらいたくて」
「ふっふっふ。度肝抜かれて驚けよ、霊夢」
「はぁ」
紐が落ちた。丸まった紙を、紫はちゃぶ台に広げる。
それを見た霊夢は、飲んでいた茶を気道へと盛大に誤飲し、咳き込むことになった。
「 『箱の外へ ~THE END OF WORLD~』
これはもう全米がきっと泣く!
愛と感動のアクション超大作ムービー、幻想郷にて爆誕!
終わりゆく世界の中、懸命に戦う少女達。しかし幻想の終焉は、
もう避けることのできない運命だった。
世界を守るため、巫女と賢者は愛の力で奇跡を起こす――!
主演:博麗霊夢 八雲紫 ほか 監督:霧雨魔理沙 脚本:西行寺幽々子
製作:『箱の外へ ~THE END OF WORLD~』製作委員会 」
いや、実際楽しいんだろうな。こういうのってさ。
すごく幻想郷らしい、と思ったのですよ
ぱるぱる的な意味で、
→「うるめ氏 Must Die」が難易度に追加されました。
最初シリアスモードだとおもったら、いきなりのテンヤワンヤ。
仲のいい友人同士でお酒を楽しく飲んでいたら、急に友人がしんみり何かを話し出す、それなのに、空気を読まない友人が話しに入り込んで……。
おもわずそんなところを思い浮かべるようなストーリー運びでした。
テンヤワンヤからのシリアスへの移行は自然で違和感も感じず、最後これどうしめるんだろうとわくわくしていたら、しめるところはきっちりしめてくる楽しいお話になっていました。
中盤のところで、ロメロゾンビとターミネーターとゴジラを想像したら、頭の中がとんでもないことになってた。
でもどっちかっていうと、ターミネーターっていうよりは、アイ、ロボットかな?
終始KYな幽々子様もさすがですし、レミリアの台詞のところで普通に水銀燈口調でアフレコされて、それに違和感を感じなかった自分はもうだめだと思った。
滅茶苦茶なようできっちりしめる、楽しい話でした。
宴会の一幕なはずなのに、長編大作映画でも見た気分に……。
あとまったくのまったくどうでもいいんですが、
THE END OF “THE” WORLD
じゃないかなぁと。
ほんとどうでもいいことなんですけどね
宴会の他のメンバーとかのお話も見たくなりますね。
…来ないで欲しい、その時がもし来てしまいましたら、是非私めを腹マイト突攻の一番槍に。
いかにも幻想郷の住人って感じだ
こういう作品すごく好きです。
ていうかフェイクファー良い曲ですよね。スピッツの曲のなかでも一番好きです。
なんとも素敵な幻想郷ではないか。
笑いあり涙あり、本当に素敵な幻想郷です。
本当に、いいなこの幻想郷。
幻想郷はどこまで行っても幻想郷だ……っ!(良い意味で
映画一本楽しんだような心境です。
幻想郷への恋の喜びに溢れてる、といったところでしょうか。
人選がバッチリで、作者さんの監督資質が光って見えました。