《Heaven of her…》
『其の姿―――神々しくも幼げで』
『泡沫のように朧気に』
『金銀七色の後光あり』
『幼心地の有頂天人―――――』
《Not so far…》
或る大学構内のカフェで、宇佐見蓮子は読書に耽っていた。陽もそろそろ暮れる時分なので、オープンテラスのそのカフェを、紅い夕暮時の光が控えめに照らしている。近未来的な構造の時計塔のてっぺんから、一番星が顔を出す。
―――――6時02分35秒。
「――――相も変わらず気持ち悪い能力ね、蓮子」
マエリベリー・ハーン、もといメリーは肩をすくめると蓮子の対面の席に腰掛けた。この2人は、秘封倶楽部と呼ばれている(呼んでいる?)オカルティズムなサークルに所属しており、とはいえメンバーはこの2人だけだから、良くも悪くも、これで全メンバーが揃ったことになるのだ。このサークルの活動の肝はメリーの持つ、『物と物の間にある結界の境を見ることが出来る』という真に不可解極まりない能力である。
どうにも判り辛いので、例えを上げてみる。
通常の人間には「水平線」が見え、それは海と空の境界線である。
白い紙に一本だけ線を引けば、その境界線により、白い一枚の紙が二箇所に分かれたように見えるだろう。
彼女の場合、その「一本線」が分ける物が「日常」と「非日常」だったり、「夢」と「現実」であったり、「二次元」と「三次元」であったりする。完全に隔離されたように思える世界も、メリーにしてみれば一本の境界で『あちら側』と『こちら側』に区別されているだけ、という訳である。事実彼女らは過去に墓場に行ってパラレルワールドへの境界を見た。その境界は前述の通り現実と夢の世界にも存在するというから、これまた胡散臭い話である。
「この本、面白いわよ。まだ途中までしか読んでないけど」
蓮子は古びたページをまとめてめくり、表紙をメリーに見せた。『非想非非想天』、と妙な字体で書かれていた。作者は・・・不明か。いつ書かれたものなんだろう?
「どんな話?」
メリーは蓮子から本を受け取ると、パラパラとページをめくった。所々に挿絵が入っており、セピア色に風化した紙がその挿絵に調和しているように懐かしい絵だった。
「異常気象が起こる話」
「・・・それって、エルニーニョ現象とか?それか鯰が大暴れしたとか」
メリーはわざとっぽくいうと、一気にページを飛ばした。最後のページまで行くと、パタンと本を閉じて、蓮子に返した。
「勿論、違うわよ。――――1人の我が儘な女の子が天人になって、あまりの退屈さに異常気象を起こすお話。ジャンル的にはファンタジー、かしらね」
「ファンタジー。幻想的なんて、聞きなれた言葉ね。それにしても、話を聴く限りだとその女の子に100%の非があるわよ。何でそんなことしたの?」
メリーは今聞いてなかったのだろうか。蓮子は軽くため息を吐いた。
「だから、気紛れだって」
《Become Red and Black…》
そろそろ日が落ちる。空は紅く、暗く、黒く混じっていく。その時、同時に気妙な境界に空が染まっていくのを、メリーは見逃さなかった。
「見て、蓮子!」
「・・・・ちょっとちょっと、境界なら私には見えないわよ?完全に捉えられるくらいはっきりとしないまでは」
「・・・・そうだったわね。今、暗い空が紅い雲に覆われているでしょう?あそこに朧げに境界が敷かれているわ。夜には・・・はっきり見えるようになるでしょうね」
蓮子は一つ気持ちを整えるかのようにふぅ、と息を吐くと、本を鞄に仕舞うと、すっくと立ちあがった。メリーも彼女の行動を見て、何をしようとしているのかがすぐに分かった。
「秘封倶楽部の久々の活動ね!夜にまたここに集まりましょう!!」
夜。草木はまだ起きているであろう午前0時5分。子の刻。メリーは集合時間5分程前にカフェテラスに現れたが、蓮子はいつも通りまだ来ていなかった。
「お待たせ、お待たせ。0時2分46秒ね。」
メリーは驚愕したように蓮子を見た。
「ちょっと、どうしたのよ蓮子。今はもう5分よ」
メリーにオカルトな能力があるように、彼女にも変な能力がある。『星を見るだけで今の時間が分かり、月を見るだけで今いる場所がどこかわかる』というものだ。彼女がいつ、どこで、どうやって会得したものかは知らないが、ともかく気持ち悪いとメリーには言われている。
「やっぱり、異常気象のせいかしらね?」
メリーはにやにやしながら蓮子を見た。
「案外そうかもしれないよ?」
蓮子は双眼鏡を覗いて、空を見た。メリーが前に『空にある境界は、そこまで遠くないわ。双眼鏡でも十分なくらいよ。望遠鏡じゃ、境界を捉えられないからね』と言っていたのを思い出してのことである。
「あー・・・見えた見えた。空はますます紅くなるばかり、か」
神社の鳥居の朱色に、灰色を少し混ぜたような色の雲が、この世の終わりを告げるように、猛スピードで流れている。いつかどこかで見たようなCGではなく、紛れも無い現実である。
「蓮子、『現実』と言い切るのは早いかもよ。境界を越えてみないとなんとも言えないし」
彼女らは時計塔に上った。境界は、塔の屋上よりも少しだけ低いところにあり、不気味な紫色が彼女らを誘っているようだった。
「それじゃ、行くわよ」
「せーのっ!!!」
彼女らは、飛び込んだ。
《The Selfish Girl…》
凱風快晴。雲外蒼天。紛れも無く晴れだった。
「ここは・・・?」
足元を見ると、一面に白い小さな花が咲き誇り、前方には蒼い山々が連なっているのが見えた。雲と思しき地面には小川がさらさらと流れている。
「天国、かしらね?」
メリーは花畑にごろん、と横になった。声に緊張が感じられない。・・・のはいつものことなのだろうか、それとも異世界に行くことに慣れてしまったのだろうか。
「物騒なこと言わないでよ。私はまだまだ生きていたいわ。ただ、うちの大学の時計塔と天国が繋がっているのだとしたら、意外にがっかりだけど」
蓮子は周りを見渡した。そして、ふと一瞬だけ目を留めると、鞄から本を取り出した。
「ここ、この場面。この挿絵にある!」
風景画だから、細かく書いてあるわけではないが、確かに山並みや花畑はその挿絵での位置とさして変わらなかった。
「ねぇ、メリー、それにしてもここに動物と思える生き物がいないんだけど、不思議じゃない?」
「――――全然不思議じゃないわ」
「!!」
蓮子は前方で寝転んでいるメリーに話しかけたのに、急に後ろから聴きなれない声がしたので驚いた。もとい、この世界に飛ばされた時点でもっと驚くはずだったのだが。
「ここは穢れた地上とは異なる天上の世界ですからねぇ。穢れ多き動物はいないわ。貴方達、急にこんな所に来てしまったのに、まったく驚いてない様子ねぇ?どうしたのかしら?」
後ろを振り向くと、見た目から年を判断すればメリーや蓮子と大差ない黒い帽子を被った蒼髪の少女がこちらを興味津々といったかんじでこちらを見ていた。
「私たちは、来るべくして来たのよ。天上人ってことは、貴方が地上の異常気象の原因?」
「原因だなんて、失礼ね。『大』原因よ」
何がどう違うのだろうか。って、そんなことより。
「やっぱりね。この本に書いてあるわ。・・・・で、どうやったらこの紅い雲と紫色の空は元に戻るのかしら?そろそろ地上は1時をまわるわよ」
メリーは優しい口調で、軽くあしらうように問い詰めた。
「さぁ、ね。せっかく人間が来たんだし、遊ばなくちゃ損でしょ!私に勝ったら教えてあげるわ!!・・・・って、こっちの人間じゃないのかぁ」
・・・こっち?とは何処、もといどっちだろうか。何故かがっかりしているように見える天人の横で、2人の頭上に疑問符が浮かぶのが見えた。
「あれ、じゃあ貴方達はもっと別の世界からのお客様?私が起こした異常気象が、まさか遠く離れた別世界にまで波及しちゃうとはね。流石は私」
結局凄いのはあんたかい。
「天上と幻想と現世と冥界なんて、どれも境界一枚で繋がっているものよ。私たちはそれをかるーく、超えてきただけ」
メリーが自慢げにそういうと、天人は物珍しげな視線を寝転がっているメリーに向けた。
「ふぅん・・・・別の世界の人間にも、おかしな能力を持った奴がいるのねぇ」
蓮子は、本をぱらぱらとめくっていたが、やがてそれを閉じると鞄の中に再び仕舞った。いままでの話を統合すると、時計塔を伝ってやって来た、ここは穢れなき天上の世界である。天上の世界は現世と繋がっているだけでなく、『幻想郷』と呼ばれるこれまた別世界と繋がっている。それで、目の前にいるこの少女は天人。名は・・・・。
「比名那居 天子・・・?」
蓮子がそういうと、『天子』は彼女の方を向いた。
「何故私の名前を・・・・?まぁいいわ。幻想郷の奴らじゃないなら、遊んでも面白くないだろうし。異常気象の原因は、この要石よ。これをコンコン、と叩くと地震が起こるの。御先祖様は、これを使って地上を創ったらしいわ。でも要石で興した大地は物凄く不安定だから、留め金的に要石を地上のどこかに刺しておかないといけないの」
天子は説明の度に要石をコツコツと指で弾いているが、『幻想郷』の人々は大丈夫なのだろうか。
「なんで、本来地上にあるべき要石が、今現在貴方の手元にあるわけ?それにコツコツやってて下の人たちは生きているの?」
天子ははっはっはと快活に笑った。
「だーいじょうぶよ。これ位じゃあいつらはびくともしないわ。それと、要石が手元にある、ってのが異常気象の原因その1よ」
その2とかがあるのか?
「これを刺しておかないと、大鯰が暴れて地盤が崩れるんだけどねぇ」
「じゃ、じゃあ早く元に戻さないと!!」
蓮子は少し慌てて言った。天上にいるからこそ相棒は寝転がっているが、地上では大騒ぎのはずである。あと、どうでもいいが異常気象の原因が『鯰』によるものであるというメリーの予想は、どうやら当たっていたようだ。
「そんなのは後でも出来るわ。とりあえず、もうそろそろ昇ってくる巫女やら魔法使いやらと遊ばなきゃあね」
「巫女?魔法使い?随分とまた御伽噺のような職業が出てきたものね」
メリーはようやく起き上がると、空を仰いでこう呟いた。
「貴方が言ってたじゃない、メリー。『幻想的なんて、聞きなれた言葉だ』って。舞台がファンシー、ファンタジーであればあるほど、冒険者はそれなりの試練を課される、いや、課されなければいけないのよ。だって、それが物語なんだから」
天子はしばらく蓮子の話に耳を傾けていた(ようだ)が、やがて天上の世界の足元が地鳴りと共に揺れ始めると、どこに持っていたのか、剣を抜いた。
「来る・・・・!」
刹那、雲が千切れ、そこから黒髪の巫女と金髪の魔法使いの姿が現れた。何故すぐに彼女らが『巫女』と『魔法使い』だと分かったかというと、魔法使いの方はよくある黒い帽子を被り、箒を手にもち、黒と白のゴシック調のエプロンに似た服を身に纏っていて、巫女の方は、お馴染みの紅白のめでたそうな服に御祓いで使われる棒を手に持っていたからだ。
「よーっす、天子。遊びに・・・って、誰だ、お前ら」
魔法使いは初対面の彼女らをじろじろと見た。
「こら、失礼でしょ。多分、別の世界からこっちに来たのよね?」
巫女は魔法使いを制してこう言った。
「あれ、何で貴方には私たちが別の世界から来たって判るのかしら?」
「そりゃあ・・・・こっちにそんなことをしそうな妖怪がいるからなぁ」
魔法使いは頭をかいた。この2人組にどうやら心当たりがありそうだ。それはともかく、蓮子は2つの事が引っかかっていた。1つめは『そんなことをしそうな』。それと『妖怪』、である。後者は・・・よく考えればここはファンタジーの世界だし、天上に人(天人)が住んでいるんだからそれは多分あるだろうとして、前者の引っかかりを真面目に解釈してみる。すると、パラレルワールド的に存在するいくつかの世界を「繋ぐ」ことが出来る、メリーの能力で言えば「境界を操ることができる」者が『幻想郷』には存在するということだ。
「境界を操れるのね?」
メリーがこういうと、巫女は不思議そうな表情を見せた。
「貴方は別の世界から来たのに、色々なことを知っているようね」
「地獄の裁判長に見せたら、『貴方は現実味が無さ過ぎる』って言われそうだな」
魔法使いは悪戯ぽく笑った。地獄の裁判長・・・閻魔だろうか。
現実味か。そういえば、現実の世界での異常気象の原因がすぐここにいるのだから、さっさと遊びを終わりにしてもらって、元に戻して帰ろう。そう蓮子は考えていた。
「そうだ、お前、森に雪を降らせるのを止めろよ。化け物茸が育たなくて困ってるんだ」
魔法使いがそう天子に言った。
「貴方の所為で一度倒壊した神社が、また壊れそうなのよ。直下地震・・・この場合は震源が上だから、直上地震かな?どっちでもいいわ、地震を起こすのをやめなさい」
巫女も言った。というか、彼女は一体人間たちにかける迷惑というものが考えられないのだろうか。流石は「我が侭」と本にまで書かれるほどだ。
「えー、だってこうでもしないと貴方達天上に遊びに来てくれないじゃない」
エゴイスティックにも程がある。
「まぁいいや、これからも遊びに来てやるから、とりあえず迷惑をかけるな」
魔法使いはため息を吐いた。
「――――そうだ、」
メリーは或る事を思い出した。蓮子が持っている本についてである。
「蓮子、その本に書いてあることが正しいんだとしたら、著者はここに来たことがある、ってことよね?」
蓮子はさも当然、といった感じで首肯した。が、次の瞬間に、何か閃いたようにメリーを見た。
「この本って、誰がいつ書いたものなのかしら・・・・?」
《Border of Fantasia…》
結局、蓮子とメリーは我が侭なお嬢様の気紛れ的異常気象を、これまた気紛れ的に元に戻してもらい、元来た境界から帰っていった。戻ってみると、闇色の空には星が輝き、月が見事に輝いている。今夜は満月である。
「―――2時45分29秒」
「・・・うん、いつも通りの気持ち悪さね」
メリーは自前の古びた懐中時計を確認した。
「って、いい加減その言い方やめてよー」
秘封倶楽部の活動は、ほとんど誰にも知られていない。いや、知られては困るのだ。なにしろ、「現実味」のあるこの現実で、ただ2人だけ、「幻想の味」を味わっているのだから。周りに不良サークルと呼ばれようとも、彼女らの活動は年中無休、時間・場所・問わずに目まぐるしく続いているのである。
「あー、こりゃ明日の講義はシエスタかな」
蓮子は大きく欠伸をした。
「残念がっているつもり?私には都合が良い様に聞こえるんだけどね」
メリーは眠そうな表情こそ見せていないが、蓮子にとってはいつでもゆったりとしているイメージがあるから、「昨日」の講義で寝ていたのかもしれない。
「それにしても、一体、誰があの本を書いたんでしょうね?」
蓮子は鞄から本を取り出し、表紙をじいっと睨んでいた。
「判らないわ。でも、まだ確かに頭の角の方に引っかかってることがあるのよねぇ・・・」
それが何であったのか。それすらも記憶の彼方にぼやけてしまった。有頂天変の彼女の棲む天上の世界・・・・。その美しい世界の風景だけが、彼女らの脳裏に焼きついてしまっていたのだった。
《―――Extra Story…》
「・・・・あっれー、どこにやったかな」
現世と幻想郷の境界にある、「或る妖怪」の噺。
「何か探し物ですか?紫様」
妖怪は一冊の本を探していた。大昔、天上の世界に行った時に記念に書き綴った記録本である。もう失くして大分経つと思うが、幻想郷が天上のお嬢様から一方的な害を被ったために、天人について録してある本をいつかの役に立つよう、参考までに引っ張り出しておこうと考えたのだが、一向に見つかる気配が無い。
「ちょっと、本をね・・・」
「はぁ・・・」
「うーん、『博麗の結界を弄って』向こうに遊びに行った時に落としてきちゃったのかしら・・・。でも、多分向こうの世界じゃ唯の御伽噺で終わるわよね。あんな古ぼけた本が、 今更読まれているはずも無かろうし」
もう直ぐ夜が明ける。だが、彼女らにとっては、これからが夜である。
もっと、推敲など繰り返してはいかがでしょう?