今年の幻想郷の冬は暖かかった。
去年の厳しい寒さは地底の旧都に雪を降らせる程だったが、今年は打って変わって暖冬で、今日この日が来るまで雪なんて降る気配すら無かったのだ。
長い年月を生きていれば、雪の降らない年だってある。自然は気まぐれな物だから、むしろその気まぐれを楽しめる事の方が大事だ。
「ちょっと勇儀、天狗が飲み比べをしようなんて言ってきたから、私はあっち行くよ」
「あいよ。鬼の強さを見せ付けてやりな」
けれど、降ったら降ったで気分が盛り上がるのだって確かだろう。
昼前に雪が降り出しただけで刺激に飢えた幻想郷の住人は大騒ぎで、その日の夜にはこうして「雪見酒を楽しむ」と言う名目での宴会が開かれるくらいだ。正直、降りしきる雪を見てる人妖がどれだけいるのかは怪しい所だが。
そういうわけで私は萃香に誘われ、地底から博麗神社での宴会へと赴いている。せっかくの地上での雪、これは久しぶりに本物の雪見酒を楽しむ他には無いだろう……と言う事で、特に深く考える事もなく地上へ出てきたのだが、宴会で使う酒を提供すれば巫女はあっさり参加を認めてくれた。地底と地上の確執は、いつの間にか雪解け水のように無くなっているのかもしれない。
そうして始まった宴会、見知らぬ顔でも杯を酌み交わせば友となる。滅多に地上に出てくる事も無いとは言え、一緒に飲む者に困る事もなかった。参加者の一通りの所を巡り、その後一緒に飲んでいた萃香が離れていった所で、さて私はどうしようか考える。
せっかくだから、少しは一人で雪見酒をするのも悪くないか。そう思って私は自前の杯に酒を並々と注ぎ、杯に落ちる雪が溶けていく様を見る。
特別広くもない境内に溢れる人妖。雪だけが忘れられたように世界を白くしていくのがまた物悲しく、そして美しい。見上げた空からゆっくりと地面に向かっていくその雪を視線で辿って――
――少女が一人、目に入った。
蛍に夜雀、金髪と妖精。一緒に座り込んでいる友達らしき妖怪はみな楽しそうに笑っているのに、何故かその少女だけが浮かない顔だ。
青い髪、透き通る氷のような羽、服装の寒々しいカラーリングまでもが合わさって、一層その少女を――盛り上がり、熱狂する場とは対照的に――冷たく見せる。
さっき場を周った時にはいなかったから、きっと後から参加してきたのだろう。地上の宴会は、飲み食いする何かさえ持ち寄れば参加するも抜けて出るも自由らしい。
少しだけ、興味が湧いた。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい? 酒は楽しく飲むもんだよ」
そうして私が腰を上げ、その少女に話しかけるまでに数秒とかからなかった。
少女が怪訝そうな顔をして私の方を向く。友達らしき周りの妖怪はいきなり現れた見知らぬ妖怪に戸惑っている様子だが、少女は根が強気なのか、臆する事無く私を見つめ返す。
「あんた誰?」
「私? 私は星熊勇儀、地底から来た鬼だよ」
鬼。その単語に反応して少女の友達は若干後ずさった。唯一地上に出ている鬼が(主に見た目的な意味で)あんなのだから別に怖がる事も無いと思うのだけれど、やはり見た目からして幼い妖怪には、この一本角は中々威圧感のある物なのだろうか。
ただ、これでも少女は動じない。それどころか、つまらなそうに溜め息なんてついてみせる。むやみやたらに怖がられるのは寂しい物だが、かと言って動じる事も無いとなるとそれはそれで悔しく思う。それで余計に少女に対する興味が強まったのも確かだけれども。
「私が名を名乗ったんだから、お嬢ちゃんも名前を教えてくれないとね」
「……チルノ」
「チルノ、ね。良い名前じゃないか」
互いに自己紹介を交わしたところで会話が途絶えてしまう。再びチルノは浮かない顔をして、ただぼんやりと空を見上げる。まさかこんな幼い氷精に雪の風情が分かるのかと一瞬驚いたが、しかしチルノの瞳には雪は映っていても、見ているわけではなさそうだった。
私が何をするでもないと知って多少は緊張も解けたのか、チルノの友人らしき妖精がおずおずと私とチルノを見比べ、口を開く。
「チルノちゃん、朝に雪が降り出してからこうなんです」
「へぇ、朝から? ……チルノ、せっかくのお酒も、悩み事があったままじゃ美味しくないだろう? 私に話してみないかい?」
せっかくの宴会、楽しめない者がいるのは勿体無い。鬼と言う種族が無類の酒好きだと言うのを抜きにしても、私は一人でも多くの人妖に宴会と言う空間を楽しんで欲しい。それは地底でも地上でも変わらない。
チルノは雪から私へと、そして地面へと視線を移す。落とした肩は見るからに元気が無い。そうして、ポツリと呟く。
「待ってるんだ、レティを」
「レティ?」
「あたいの友達。毎年冬になって雪が降ると来てくれるんだけど」
そうして口にしたのは、当然だが私の知らない名だった。冬になって雪が降ると来る、氷精の友達。実際見た事も聞いた事も無い名だったが、話を聞くに恐らく雪女の類なのだろう。
冬が冬である事を一番強く印象付ける物、それが雪。冬の妖怪も、今年のような雪の降らない暖冬には中々目を覚ます事も無い。
「だけど、今年はまだ来ないんだ。雪、降ってるのに」
なるほど、この幼い氷精は来ない友達を待ち侘びているわけだ。
思っていたよりもずっと単純で、そしてずっと根の深い悩み。人間だって妖怪だって、同じ時間を過ごす者の重みは変わらない。この場合はどちらに非があると言うわけでもないから、幼いチルノには一層心のやり場が無いのだろう。
思い出したようにチルノはグラスを掴み、酒に口を付ける。しかし一口付けてすぐにグラスから口を離し、苦い顔。割ってもいないストレートは、幼い味覚には刺激が強すぎたようだ。
「すごく苦い」
「あはは、まだチルノにストレートは早いだろうさ」
「? すとれーと? 何それ」
頭上に疑問符を浮かべるチルノを、曖昧な笑顔で誤魔化しながらふと思う。こういった妖精は、普段酒を飲む事はあるんだろうか?
ただの憶測だけれど、落ち込んだチルノを慰めようとこの友達らが相談して余り来ない宴会にチルノを連れてきたのだとしたら、飲み方を知らないのもしょうがない。
だとすれば、ここで私が飲み方を教えない道理が無い。チルノの悩みも、飲めない酒も、鬼のやり方で解決してみせようじゃないか。
「そのままじゃ苦いだけでも、……そうだな。せっかく雪があるんだから」
立ち上がった私を、小さな妖怪達は不思議そうな目で見る。私はチルノのグラスを手に取り、適当な木の枝を見繕って積もる雪を手にした。
手にした雪を、泥が入らないように注意して上澄みだけをグラスに注ぐ。洋風の容れ物に洋風の飲み方で日本酒を飲む、その不釣合いさもまた悪くない。
チルノにグラスを返す。私の行為の一部始終を不思議そうに見ていたチルノは、怪訝そうな目で雪の浮かぶグラスを見つめた。
「これで、苦くなくなるの?」
「ああ、待った待った。ただ薄めるだけじゃダメなんだ。飲み頃になるまで『待つ』って事が大事なのさ」
「なんで? 待つだけで美味しくなるわけないじゃん」
私は苦笑した。けれど、真っ直ぐで単純。子供たる子供の在り方には好感が持てる。
「そう思ってるうちは、まだまだ子供だよ。鬼が言うんだ、騙されたと思って待ってみな」
私がそう言うと、チルノは一層眉に皺を寄せてゴザの上にグラスを置いた。
しかし、飲み方を教えた割には名前を覚えていない。洋酒の飲み方だから、確か横文字だった。本当は雪ではなくて氷を入れるのだが、なんて言うのだったか。
例え口にしなくても、酒には人を饒舌にする魔力がある。脇道に逸れた私の思考を元に戻すように、今度はチルノの方から話しかけてきた。
勇儀は、レティを知らないよね。そう言ってチルノは、ポツリポツリと友達との冬の思い出を喋り出す。一度も勝ててない雪合戦、張り切り過ぎて大きく作り過ぎたカマクラ、その中から見た冬の湖に反射する朝陽の綺麗さ。私は時折相槌を打ちながら、チルノの話を聞く事に努めた。
「レティは、冬が終わるとまたどこかに行っちゃうんだ。その間、ずっと冬に何して遊ぼうかって考えてる」
一通り思い出を話し終えると、またチルノは肩を落とした。まだ再会も果たしていないのにお別れを考えて落ち込むとは、この氷精には似つかわしくない。レティとやらも随分罪作りじゃないか。
今この場で本当にチルノの笑顔を作れるのは、そのレティだけだ。私に出来るのは、精々そのお別れの捉え方を変えてやるくらいか。
「だから、この酒と同じだよ。チルノとレティが遊ぶ時の楽しさは、冬と冬の間に『待つ』からこその物って事だ」
「そういう事なのかな……?」
「そういう事だよ」
私の言葉に、チルノは再びグラスへと視線を移す。雪はだいぶ溶けて、さっきよりはかなり飲み易くなっている事だろう。
グラスを手に取り、しばらく注がれた酒を見つめ、チルノは意を決した風にグラスを傾ける。さっきの苦味を覚えているのか、強くその目を瞑っている。けれど酒を舌の上で転がして、チルノは驚いた風に目を開く。
「あんまり苦くない」
「な、言っただろう?」
私が笑うと、少しだけチルノも笑った。小さい体に早速回り始めたアルコールのせいか、仄かに紅く染まった頬が雪の幻想郷と対照的で一層魅力的だ。
さて、そんなチルノはいくら見ていても飽きないけれど、私の役割はこの辺で終わりらしい。不意に目をやった鳥居の先に見えたのは、まさに淡雪のように柔らかい印象を受ける雪女だった。
チルノの肩を叩き、鳥居の方を指差す。
「待つってのも大事って、わかっただろう? お酒も待ち人も、焦らない事が肝心だよ」
「え? ……レティ!」
途端、弾かれたようにチルノは立ち上がり、駆け出した。何事かと周りの飲んだくれはチルノを見るが、しかしそんな物を意に介すチルノではない。
遠くで雪女に飛びつくチルノを見届けて、私はチルノが残した酒に口を付けてみる。元々度数が強くない酒なのか、鬼にはいささか物足りないけれど。しかし味わいは私が今まで飲んだ中でも稀に見るほどに良い味だ。
そうして、私は思い出した。この飲み方は確か、「オン・ザ・ロック」だ。
でもこの場合は違うだろう。雪の白が二人の再会を彩って、そのおかげかこの一杯は一層味わい深くなっている。誰かの幸せに勝る酒の肴は無い。
「さしずめ、オン・ザ・ホワイトロック……ってのは出来すぎかな」
宴会の喧騒の片隅で、小さな幸せを祝福するかのように。雪はまだ止みそうにない。
待つことで深みが出る味わい。
凝縮された旨みのあるお話。ごちです。
雪を解かして飲む酒なんて風情がありますねぇ。
もっともっとこういう話を書いてください!
そこに痺れる憧れるぅ!
大人の飲み方を教えてくれぇ~!!
お酒を美味しく飲めるのって一つ大人になった証拠ですよね。
俺もまだまだ子どもか…
それにしても勇儀姐さんは渋くてかっこいいな
しかしチルノは純粋だなぁ。
もう一杯飲みたいなw