「チェンさん! またうちらのシマが襲撃を受けました!」
「なんだって! どこのどいつだ、詳しく報告!」
「はい! やられたのは人里の北東で陣取っていた『飛翔韋駄天』。襲ってきたのは『不倶戴天』の化け猫どもっす!」
「またアイツらの仕業なのね……!」
荒れた廃屋の奥で立ち上がり、チェンは目を瞑り腕を組んでいる。その真っ赤な東方風の衣装とピンと跳ねた耳に、スカートの下から覗くニ本の黒い尻尾。この人里の外れの廃屋を根城にする化け猫グループ、そして他の化け猫グループの総元締めでもある『鳳凰展翅』の首領、チェンの表情は、今日も敗北した下部組織の報告を受けて、渋いものになっていた。
報告を上げる化け猫の濡れた目が、縋るようにチェンに向けられた。ややあってチェンが目を開くと、廃屋の邸内で報告を横聞きしつつ食い物を食む他の化け猫たちに叫ぶ。
「どうなってるの! 『不倶戴天』には互いのシマを荒らさないよう使者を送ったはずよ。なんでまだ襲撃が続いてるの!」
「その使者ですが……」口端に食い物を張り付けたままの大柄な化け猫が口を開く。「1週間以上どこ行っても見当たりません。おそらく」
「それ以上言わないで! 私だって分かってる!
……く、『不倶戴天』の奴ら、こっちが全滅するまで抗争を止める気はないらしいね。猫社会の道理も知らない連中が!」
チェンはそう言って壁に手を叩きつけると、古びた廃屋の壁はチェンの怒りを示すように激しい物音と共に爆散した。食い物を漁っていた連中が目を向き、報告するためにチェンの前に跪いていた若い雌猫がびくり、と体をすくませる。
震えるそのチェンに似た赤い服を着た猫に、チェンは近づいて優しくその頭を撫でた。涙で濡れた顔を上げチェンを見るその目に首肯を返し、チェンは振り返ると大声で叫ぶ。
「今までは若い連中だからと大目に見ていたけど、もう許さない! ……皆、戦争よ!」
威勢のいいチェンの掛け声に呼応するように、廃屋のあちこちから化け猫が飛び出してきて鬨の声を上げる。全て合わせて30は居るだろう金切り声のようなその歓声に、チェンは凄絶な微笑で返した。
***
チェンの作り上げた化け猫グループ『鳳凰展翅』は、この十数年人里周辺の化け猫たちを統率してきた生粋の武闘派グループだ。『凶兆の黒猫』と恐れられるチェンを筆頭にほんの数名だった化け猫の集団。
人里周辺に成立していたどのグループもそんな小さなグループに見向きもしなかったが、『鳳凰展翅』は恐ろしいまでの早さと暴力で周辺のグループを制圧、その当時まで元締めをしていた『韋駄天』がその異常事態に反応する頃には人里の大部分が『鳳凰展翅』によって壊滅していた。
そして猫社会で後に夕日の会戦として語り継がれるようになる、マヨヒガでの『鳳凰展翅』と『韋駄天』の直接対決。勿論スペルカードルールでの弾幕勝負などではない、完全な本気の戦闘だ。化け猫のような妖獣は妖力は低いが身体能力はずば抜けて高い。人間相手は別として、化け猫同士でやりあう時は自然武闘戦となる。
韋駄天の首領、コウがチェンの一撃で沈んだ時、『鳳凰展翅』の化け猫グループ統率は完全に達成された。
それからは『鳳凰展翅』の引いた互いの勢力図からはみ出ることなく、人里周辺は下部組織の小競り合いがある程度の平穏な猫社会が成立していた。
しかし、数ヶ月前に突如現れた新規グループ『不倶戴天』でその勢力図は一挙に塗り変わることになった。『不倶戴天』は人里北部を中心として次々に『鳳凰展翅』の下部グループを壊滅吸収、さらに勢力を増して怒涛の勢いで人里のパワーバランスを変えようとしていた。
『不倶戴天』の首領、セイと呼ばれる丈の長い青い服を着た一匹の狼の妖怪。そしてそれに従う何匹かの化け猫たち。『鳳凰展翅』の再来、とまで言われるその勢力が、チェンの目下敵対する勢力の中心人物だった。
チェンの戦争宣言から数日。猫の集会ではさかんに『鳳凰展翅』と『不倶戴天』の直接対決がされるのではないかという噂がさざ波のように広がっていた。
一方、『不倶戴天』との直接対決のために兵を集めていたマヨヒガのチェンは、使者が戻ってきたとの一報を受けて人里への召集を取りやめて根城へと戻ってきていた。イライラと落ち着きなく邸内を歩き回るチェンに、一匹の化け猫が近づいた。筋骨隆々の背の高い化け猫である。頭の上についた耳がなければ熊の妖怪か何かと間違えそうな彼は、チェンの前でバン、と壁に手をついた。
立ち止まるチェンに、彼は一本の枝を差し向ける。そんな彼に一瞥をくれると、チェンはにべもなく言った。
「私はマタタビはやらないって知ってるでしょ」
「ああ、長い付き合いだしな」
笑って差し出したそれを口にくわえる彼は、『鳳凰展翅』の初期メンバーでも腕の立つ者の一匹だ。マタタビの匂いに少し酩酊した風な彼は、しかしはっきりとした物言いでチェンに言う。
「チェン、お前が落ち着きなくそうやってると他の連中も落ち着かないんだよ。リーダーはどっしり座って待ってろよ」
聞いて、チェンは周囲を見回した。集められた様々なグループの腕の立つ兵たち、それに『鳳凰展翅』のメンバー。誰もが無言でチェンと彼の様子を見守っている。いや、見守るというよりは縋っているというべきか。ほらな、と枝を銜えたまま笑む彼に、チェンは溜息を一つ吐いて廃屋に転がっていた椅子にどかりと座った。
「確かにリュウの言う通りね。……あんたの方がよっぽどリーダーに向いてるわ」
「よせよ。俺は戦いが好きなだけだ。お前みたいに猫社会に平和、なんてことには向いてないさ」
そうかな、と笑ってチェンが巨体の彼、リュウに返した時、邸宅の扉がゆっくりと開かれた。全員の、チェンとリュウの視線もそちらに注目する。
みなの視線の中、腕に包帯を巻いた一匹の猫が扉の間から抜け出てくる。皆に悲鳴のようなどよめきが走った。腕を抱え歩いているのは下部グループでも有数の武闘派にして旧支配者、コウその人の姿だった。彼のほつれた赤髪の後ろから、いつかの報告役をしていた化け猫に肩を助けられつつ方一匹の化け猫が歩いてくる。使者に送っていた化け猫である。
彼は衆目の中肩を預けていた化け猫に礼を言うと、一人不自然な歩き方でチェンに近づいた。
「すみません、チェンさん……アイツら、マジで戦る気です。『飛翔韋駄天』のお礼参りに行くって言うコウさんと一緒に戦ったんですが、負けて……。人里に放り出されて、気が付いたらこれが服に」
チェンはご苦労だったわ、と一言言うと使者のその手から一枚の紙切れを受け取った。崩れ落ちる使者に駆け寄る他の化け猫をよそに、チェンはその紙を広げ、ふざけるなと叫んでその紙を投げ捨てた。
みなの前にひらひらと落ちてきたそれには、人里を南北に分断するように勢力図を書いた地図が描かれていた。チェンが歯噛みする。『不倶戴天』の言いたいことはつまりこうだ。北半分のシマから全て手を引くなら、南半分ならくれてやってもいい。明らかに足元を見ている内容である。
チェンは地図を踏みつけ立ち上がると、足音を立てながら扉のほうへ歩いていく。リュウが、無表情で歩くチェンに一言投げかける。
「おい、どこに行くんだ」
「決まってるでしょ」振り向かずに扉に手をかける。「薬をとってくるのよ。今の状況で人里に行けるのは私ぐらいだわ」
言って扉から出たチェンは、一路人里へ全速力で走り始めた。
***
薬をとってくると言っても、化け猫がただ普通に金を払って薬を買うわけがない。盗ってくるのである。
全速力で人里へと突入したチェンは、勢いそのままに人里内を疾走する。地面を、壁を、時には人さえ蹴り加速していく。その余りの速さに、蹴り飛ばされた人間も突風に押されたものだと勘違いするくらいのものだ。残像さえ残すような速さで、チェンは目的地である薬屋へ直行する。
チェンは素早く薬屋まで到達すると、一旦薬屋の瓦屋根の上で一息入れる。下では、薬屋の主人と客とが談笑しているようだった。薬棚には気が行っていない。周辺にも猫はいないようだ。
今だ。再び旋風になって店の中に飛び込み、店主がその姿に気付く前に薬棚を漁る。猫社会の情報網は確かなもので、それは薬屋の棚のどこに何が入っているかまで網羅している。チェンは素早く目的の軟膏や痛み止めを掻っ攫うと、チェンの姿に気付き怒声を上げようとした店主の横を素早く駆け抜け、そのまま今度は人里の外へと発進する。
屋根から屋根へ、飛び移るその姿さえ人の眼には移さないまま、通りすがりの猫たちの眼も解さず、一路マヨヒガへと疾走していく。ただ怪我をした仲間の化け猫のために走るチェンの心中は、しかし彼女の蹴り足よりも激しく燃え上がっていた。
初め『不倶戴天』が咬んできた時は、他愛も無い小競り合いだと思った。その次下部グループがやられた時は、下のことは下に任せたほうがいいと思った。しかしその結果があの使者だ。チェンは走りながらもぎりぎりと歯を軋ませて、このまま『不倶戴天』へと単身乗り込んでしまいたくなる自分を抑えるのに必死だった。
「本っ当、私ってリーダー向いてないわね!」
なんたって部下のことより相手を倒すことの方を必死で考えてるんだから、とチェンは自虐する。考えるのはやめた、とチェンは思った。今はともかく早く薬を届けるだけだ。
人里を抜け、人家のほとんどないところまで抜けた。あとはマヨヒガまで獣道を走っていくだけである。少し走るペースを落としたチェンは、その道の真ん中に一つの人影があるのに気付いた。たん、と地を蹴って近くの木陰へと身を隠す。
もしこのタイミングで強い妖怪と出会ってしまったら面倒だ。人里へと向かっているなら、素通りするのを待てばいい。木陰でじっと息を潜め、その人影が通り過ぎるのを待つ。息を潜めた猫に感づくのは至難の業だ。ほとんどの妖怪でもそれを行うことは難しいだろう。薬を腹に抱え、チェンは思わず吐き出しそうになる荒れた息を抑える。
しかし、人影はチェンの居るところまで近づくと、そこで立ち止まった。それをチェンは足音で察する。気付かれたか、と思い遠回りして道を行こうと飛び出そうとした瞬間、その人影から声が上がった。
「『鳳凰展翅』の首領、チェン! そこにいるんだろ、出て来いよ!」
無視しようとしたチェンだったが、次の言葉で全てが変わった。
「それとも『不倶戴天』のメンバーの前では怖気づいて出てこられないか、あぁ?」
「ふざけるんじゃないわよ!」
薬を抱えたまま、チェンは獣道へと飛び出した。敵を睨みつけながら、足元に薬を置く。丈の長い青い服に、後ろにはふさふさとした獣の尾。意外にも涼やかな顔つきの先には、跳ね上がるような耳が二つ生えている。
間違いない。こいつが『不倶戴天』のリーダー、セイに違いない。
チェンは四つん這いになるようにして身構える。二本の尻尾はチェンの怒りを示すように直立してその毛を総毛立たせていた。一方のセイはまるで警戒していないかの如く立ち上がったまま、構えようともしない。警戒を解かないチェンに対して、セイは口を開く。
「その赤い服に身のこなし、確かにお前がチェンのようだな」
「こんなところで出会うなんて奇遇ね」チェンは構えを解かずに言う。「あんたからの返事、確かに受け取ったわ。ボロボロになった使者と一緒に」
「ああ、そういやそんなこともしたっけなぁ」嘯いて、笑う。「で、一緒につけておいた手紙、納得してくれるかい? チーム全滅よりはまだ格好がつくと思うが?」
「あんな条件、飲めるわけないでしょ。猫社会を学んでから出直してきな、犬っころ」
「へぇ、あんたも実力の差って奴が分からないクチか」ニヤリといやらしい笑みを浮かべて、セイは思い返すように言う。「そういやあんたんとこの使者も、喚くばっかりで腕はてんでダメだったな。その辺がやっぱり猫と犬との差って所か」
「うちのメンバーを馬鹿にするんなら、私を倒してから言いなさいよ!」
そこまで言って、チェンははっと気が付いた。コイツは私を一対一で倒してグループを壊滅させる気だ。
だが笑う。『鳳凰展翅』の首領の名は伊達ではない。そこらの妖獣の一匹や二匹相手になるチェンではないのだ。しかし、セイはむしろ余裕をかます様に、両手を広げて言い放った。
「なんだ、喧嘩を売ってるのか。だったら買ってやるぜ? 見りゃ若いが中々の美人じゃないか、うちで飼ってやるぜ? お前のチームメンバーと一緒にな」
もう我慢できない。怪我をしていた使者の化け猫には悪いが、ここでコイツを倒さないと私の気がすまない!
炸裂するように、チェンは地面を蹴った。周囲の木々を蹴り加速しながら、今だ構えることのないセイを取り囲むように奔る。蹴り飛ばされた木から木の葉が落ちるより早く、次の木へと飛翔していく。チェン得意の高速戦法だ。身動き一つとらないセイに、チェンは鼻で笑う。狼なんかの眼で私を捉えられるわけがない。
しかしセイは自分の周囲を飛び交うチェンに対して、挑発するように手招きをした。顔には余裕の笑み。ぶち切れる。
「ここであんたを倒して『不倶戴天』を瓦解させてやるわ!」
叫ぶと同時、一段と深く木を蹴りこんでセイに向かって自身の体を発射した。一迅の風となったチェンの肉体は最大出力のままセイの体に向かって肉薄する。だが、その瞬間セイは確実にチェンの方向に向かって口角を上げると、流れるように手を突き出した。
次の瞬間発生したのは衝撃音。チェンがセイの体に突撃した音ではない。カウンターでセイの放った掌底が、チェンの腹部に刺さった音だ。自身の速度のままカウンターを受けたチェンは叫び声をあげつつきりもみして藪の中に吹き飛ばされる。
藪の中からチェンの立ち上がる音を聞いたセイは、余裕を見せるように挑発する。
「おら、かかってこいよ! あれで『鳳凰展翅』首領なんて笑わせるぜ」
「うるさい!」
藪からまた高速で飛び出すチェン。周囲を回転し再び突撃を敢行する。無言のままそれまでの機動から急変更しての両足蹴り。しかしそれもまたセイの刈り取るような打撃でカウンターされてしまう。
何度もダメージを負いつつそれでも更に加速して攻撃するチェン。だがそれも全てカウンターされるか回避されるかしてしまう。まるで勝負にならない。
一旦木上に身を移し、再び加速攻撃をかけようとしたチェンに、セイはいい加減飽きた、と言わんばかりの言い方で一言呟いた。
「なんで全部見切られてるのか、その理由を教えてやるよ」
チェンが木上から飛び立つのと同時に、セイもまた地面を蹴る。空中で一瞬交差した二人は中空でにらみ合い、しかしチェンはそれに構わず加速するために木に足を乗せる。その刹那、チェンの足元の上にはセイの足が同じく蹴り出す体勢で木に乗せられていた。
驚愕するチェンが逃げるように木々を蹴り獣道を人里の方に向かって疾走する。しかしチェンのその猛加速に対して、セイは全て同じタイミングで地面を、木を、宙を蹴り平行して走る。横を走っているセイの速さにチェンが驚愕していると、セイは苦笑を浮かべた。
「なんだよ、自分と同じ速度で走れる奴なんていないと思ったのか? 浅はかなんだよ!」
「くっ!」
空中で放たれた蹴りに、素早く対応してチェンも同じく蹴りを放つ。しかし体の丈の差が違う。チェンの蹴りは空を切り、逆にセイの蹴りは確実にチェンの腹を捕らえた。吹き飛ばされ地面へと叩きつけられるチェン。まだまだ余力はあるというようにセイはチェンの周りを一回り飛翔すると、地面に伏せたままのチェンの真後ろに着地した。しゃがみ込み、伏せたチェンの尾を掴む。びく、と震えたのはチェンの体だ。
手の中の尾がまた総毛立つのを感じ、セイが笑う。
「なんだ、まだやる気あんのか」
言うが早いか、チェンは全速力で体を前へと走らせた。セイも呆れつつ地を蹴る。
セイは再び追撃し深手を負って遅くなったチェンを狩りを楽しむように追いかけたが、ふと途中で追いかけるのをやめて地面へと着地した。どん、という衝撃。セイの見る前には人家の群れがある。舌打ちした。流石に人里で戦闘など見せれば、人里の守護者が黙ってはいない。上手く逃げやがったな、とセイは歯噛みした。
しかし、すぐにそんな渋い表情も笑みに変わる。
「あの深手だ、治療を受けなきゃロクに戦えもしないだろう。首領が逃げてる間に、他のグループを壊滅させる方が面白そうだ」
そう言ってセイは踵を返すと、自分の根城のある人里の北東まで走り去っていった。
一方人里まで逃げ込んだチェンは、しかし満身創痍故に人里の路上に落下すると身動き一つ取れなくなっていた。
地面を眼前にしながら、チェンは絶望するより何より先に、仲間のことを案じていた。自分より恐らく強いだろうあの力、リュウはまだ立ち向かえこそするだろうが他の連中では相手にもならない。
せめて、もうちょっと自分に力があればアイツに勝てるのに。気絶前の消えそうな意識の中チェンは内心で煮えたぎる復讐心で吠えた。現実には、掠れた声が喉からほんの少し上がっただけだったが。
周囲を、人間達が遠巻きに歩いていた。
迷惑な連中には助けもしてやらない、って訳ね、とどこか納得しつつ消えそうな意識の中思う。その中で一人、自分に向かって歩いてくるものがいた。和装の人間たちの中でなお不釣合いな、東洋風な衣装。手を差し伸べてくるその奥には、金色の何かが見えた。
……手助けなんて、いらないわ!
差し伸べてくる手をチェンは最後の気力で払った後、チェンの意識はふっと途絶えた。
***
チェンがはっと気がつくと、目の前には日本家屋の天井が広がっていた。
体の上にかかった布団を弾け飛ばし身構えると、チェンは周囲を確認する。生活感はないが手入れされている印象の部屋。どうやら仲間に回収されたのでも敵に拘束されたのでもないらしい。
ふぅ、と息をつくチェン。と、その瞬間体が軋むように痛んだ。体を見渡せば包帯に湿布にと、程よく治療を施されていたらしいのが確認できる。一体どんな酔狂な人間か知らないが、手負いの妖獣に治療なんて変な人間もいるものね、とチェンは包帯や湿布を剥がしながら思う。住人に見つからないうちに早く逃げ出さなければいけない。
そうしていた間に、すっ、と部屋の障子が開けられた。
身構えるチェンに対し、その住人は驚いた様子で手を口に当てた。服は東洋風の服。背中には金色のふさふさとした尻尾が複数生えている。同種か、とチェンは思いつつ、口を開く。
「同種のよしみで助けてくれたことには感謝するわ。でも私にはやらなきゃいけないことがあるから。じゃ、ありがとね。失礼するわ」
言ってチェンは素早く畳を蹴り出した。満足、とまではいかないが治療されていたおかげかそれなりに力は戻っている。疾風のように外へ飛び出そうとするチェンの、その足をしかし掴むものがいた。さっきの住人である。
驚くチェンに、その住人は足を掴んだまま仕方がなさそうに言う。
「お前はこの二日眠ったままなんだぞ。何があるのか知らないが、寝ていろ」
布団の上に投げ出される。自信の快速を止められたことより先に、その言葉にチェンは反応した。
「二日だって!? じゃあ今『鳳凰展翅』はどうなっているの!?」
「知らないよ。ともかく、お前の怪我は相当なものだった。もう一日は安静にした方がいい」
「馬鹿なこと言わないで! これ以上離れてたら『不倶戴天』に私の仲間がやられるかもしれないのに、私一人寝てるわけにはいかないわ!」
飛び出そうとしたチェンが、またその住人に捕まり布団へと投げ返される。かなり手加減されているからだろうか、それ自体から来る痛みはなかったが、軋むような痛みがまた全身を走った。それ見たことか、と住人は呆れながら言った。
「今日は丁度暇を頂いたからな。お前のお守りをしてやるよ」
「……そんなの、いらないわ」
「そういえば昨日も手を払らわれたな。何か事に集中するのはいいが、自分の身を省みないのは馬鹿のすることだ。恥を忍んで今日は休んでいけ。とりあえずは……」
布団の周囲に散らかされた包帯と湿布を見て、その妖獣は溜息をついた。
「治療の続きからだな」
その日、チェンは何度か脱出しようとしたが、その全てが失敗した。それに焦れたチェンがその妖獣自体を倒そうとしたこともあったが、すんなりいなされるばかりだった。自慢の速度が通じない相手に二度も出会ったチェンは意気消沈し、途中からは素直に従うようになっていた。
そうこうしている間に、既に夜。暖かい布団の中に納まっているチェンとは対照的に、妖獣は柱を背にただ座り込んでいるだけだった。チェンが布団の中で横になったまま口を開く。
「……なんであんたはこんな風に私に優しくしてくれるわけ?」
「……んー、趣味、かな」はぐらかすように言う。「とりあえずその辺で倒れている者を捨て置くのも、気分が悪いだろう」
「確かにね」
そういえば、初めのグループを組んだ時も、そんな感じだった。誰もが一人で何かと戦って敗れた化け猫達で団結したのが『鳳凰展翅』の始まりだった。その団結力こそが『鳳凰展翅』の力の源だったのだ。それを踏まえてみて、今のグループはどうだっただろう。団結していた、とお世辞でも言えるだろうか。
落ち込みつつ、チェンは疑問だったことを一つ問う。
「そういえば、あんた簡単に私を捕まえていたけど、あれなんかコツでもあるの?」
「そういう聞き方をするということは、誰かにも同じようにしてやられたのか」
「うるさいな! 質問に答えてよ!」
楽しげに尋ねる妖獣に対し、チェンは恥ずかしげに布団に顔を埋めながら叫んだ。妖獣はしばらくそんなチェンの様子を楽しむように眺めると、特に考え込む様子もなくさらりと答えを返した。
「お前の動きは確かに素早いかもしれないが、単調すぎる。あんな分かりやすい軌道で逃げ出そうとすれば多少分かっている者なら捉えるのはたやすい」
「そう……やっぱり未熟ってことね」
「まあそれでも並の妖獣なら問題ない程度だがな」
その言葉に、チェンは無言で返した。相手は並の妖獣ではないのだ。単調な攻撃ではまた見切られて終わりだ。どうやればアイツを倒せるのか。
考え込もうとするチェンの頭の上に、ぽんとその妖獣が手を載せた。
いらないことは考えなくてもいい。今は眠っておけ。月を背景に見えるその姿は、酷くやさしいものに見えた。無性に甘えたくなるようなそんな姿。リーダーの自分では決して感じてはいけないような感情を、チェンはその時初めて感じて、なんともなしに恥じた。
頭の上の手を払う。
「おやすみ!」
「強情だなぁ」妖獣は笑うと、再び柱にもたれかかって呟いた。「おやすみ。夜が明ければきっと大変だ。頑張れよ」
言う頃には、チェンは既に寝息を立てていた。均等なリズムで上下する布団に、妖獣は苦笑いを浮かべる。
そして、月を見上げた。月はただ何も答えずに月光でその妖獣の顔を照らすばかりだった。
***
翌朝。
昨日の治療の成果かそれとも妖獣の生命力ゆえか、チェンは完全な状態を取り戻していた。庭に出て、体を試しに動かしてみる。全速移動をしてもとの場所に着地しても、体のどこも痛まなかった。完璧な状態にチェンが伸びをしていると、住人である妖獣が微笑みながら近づいてきた。
「どうやら全快したようだな。その調子ならもう寝込んでおく必要はないだろう」
「うん、どうもありがとう……」素直に言って、それから掻き消すように慌ててチェンは続けた。「ところで! 昨日散々あんたに掴まれて投げられたわけだけど」
「うん? それがどうかしたか?」
「今から私が逃げ出そうとするから、それを止めてみてくれないかな?」
「……良く分からないが別にいいぞ」
答えた瞬間、チェンは全力で空中へと飛び跳ねた。が、しかしすぐさま追いかけてきた手に掴まれて庭に落とされる。落とされても素早く体勢を整え飛び上がるが、それもまた落とされた。やれやれ、と言った調子で妖獣が言う。
「だから単調に逃げようとしても無駄だといっただろう。何がしたいんだ全く……」
「やっぱり無理か……」
そういった瞬間だった。チェンが渾身の力を込めて妖獣に向かって突進したのは。突然の攻撃に思わず妖獣は身構える。しかしチェンはその一歩手前で急停止すると素早く空中へ飛び上がった。遅れて妖獣が繰り出した手は、間一髪のところで間に合わない。するりと抜けるように、手の中からチェンの体が飛びぬけた。
屋根に飛び乗り、チェンが笑って言う。
「お姉さんありがとう! なんとなく分かった気がする! じゃ、私やることあるから、さよなら!」
言うが早いか、チェンは再び宙を舞うと超高速で人里の方向へ向かって疾駆していった。呆れた表情で見送っていた妖獣の前にふと、細い線のようなものが浮かび上がってきた。
線は口を開いて、その中から女性が現れる。少女のような格好をしたその女性は、ニヤニヤと笑いながら妖獣に近づいた。妖獣はその様もまた呆れた様子で見ている。
「なんの妖獣か知らないけれど、貴女なら追いかけるのなんて容易くなくて?」
「……まあ元々今日帰すつもりでしたから。別に追いかける必要はありませんよ」
「そうなの? それならいいけど」
「ところで、紫様」
「なぁに、藍」
「今日ちょっと出かけてきたいのですが、構いませんか?」
***
チェンが久々にマヨヒガの廃屋に顔を見せると、いきなり怒声が飛んで来た。
「おいチェンお前どこ行ってたんだよ! この大変な時に居なくなりやがって!」
「そう叫ばないでよリュウ。ちょっと手が離せない状況、って奴だったの」
リュウさんチェンさん心配して荒れ通しだったよな、という野次に、リュウは噛み付くように吠えて返した。まだ納得していない風なリュウに、チェンは手をひらひらと振りながら続ける。
「この状況で手が離せない、ってことはどういうことか、分かるでしょ大体」
「やっぱりあの噂は本当だったのか? お前が『不倶戴天』と戦って負けたって話は……」
「それを含めて状況を聞きたいの。誰か話してくれる?」
廃屋の中には、一時期は30人を越える人間が集まっていたにも関わらずもはや数名しか残ってはいなかった。ほとんどが『鳳凰展翅』の初期メンバーである。その中で唯一、初期メンバーではなかった例の報告役の化け猫がおずおず、と説明をし始めた。
要約するとこうだ。チェンがやられた、という噂で『鳳凰展翅』の下部グループはほぼ壊滅状態。『不倶戴天』は人里の北部をほぼ全て平定し、中には『鳳凰展翅』から『不倶戴天』へと鞍替えした連中もいるらしい。
また人里の南部は更に混沌としていて、『鳳凰展翅』がいなくなったことで各グループが南部の覇権を巡って争いを続けているらしい。
つい数週間前まで平和だったことが嘘のように、一気に乱世の様相を呈している状況に、チェンは長く息を吐いた。
「ある意味、初めて私たちの『鳳凰展翅』が生まれた頃みたいな状況ね」
「状況ね、って冷静に言ってる場合じゃないだろ!」
「だからって焦ったってなんの解決にもならないでしょ? それに、やることはもう決まってるし」
そういったチェンは、唯一初期メンバーでなかったその化け猫に声をかけた。
「ねぇ、あんたなんで潰れかけの『鳳凰展翅』に残ったの?」
「……それは」化け猫は俯いて自分の服を見ると、がばりと首を上げて叫んだ。「憧れてたチェンさんがそんな簡単にやられる訳ないって思ったから! だから!」
「ね? こんな子が残ってるんだから『不倶戴天』に従います、なんて言える訳ないじゃない」その子の頭に手を載せて言った。「私の言ったことに変わりはないわ。……戦争よ!」
おお、と最初に答えたのはリュウだった。その後に続いて、他の面々も口々に声を上げる。最初言った時に比べれば人数は少ないが、その声はあの時よりもはっきりとした喜色が現れていた。その声にチェンは首肯を返すと、両手でバン、と邸宅の扉を開いた。
***
「……くそっ、やっぱ強すぎるぜこいつ……」
「はっ! 2回もやっておいて今更気付いたのかよ。一度は人里のトップだったコウとやらも、案外間抜けなんだな」
言い返せず、コウはただ膝を地面についたままうなだれる。ここはセイの根城にしている人里近くのもう一つの廃屋街。夕日に照らされる中、セイは青い服を靡かせながら言う。
「もう『鳳凰展翅』は終わりだ。それにあんたんとこの『疾風韋駄天』に至っては全滅ときた。
……ただな、コウさん。俺はあんたのことを高く買ってる。よけりゃ、俺の下でやってみないか? 少なくとも、あのチェンとかいう奴の下でいるよりは満足できると思うぜ」
その台詞に呼応するように、コウは何とかと言った様子で立ち上がった。背後には、既にやられたコウの仲間たちが転がっていた。コウはそれを一瞥し、一歩前セイのほうへと近づいた。セイが笑う。
ついに旧総元締めが自分の配下に入る、その喜悦に笑ったセイにしかし冷や水を浴びせるように、コウは呟いた。
「……残念ながら、お前みたいな奴とは一緒にやれない」
「は?」その呟きが耳に入らなかったように首をかしげるセイ。「じゃあなんでチェンの下にいるのには我慢してたんだよ。意味が分からねぇ。……まさか、チェンに惚れてるからとか寝ぼけたことは言わないよな?」
「……俺らは、少なくとも化け猫が安心して暮らせればいいと思った。他の妖怪と比べれば弱い妖獣さ、化け猫なんて。だから徒党を組んで戦った。その点ではチェンのやってたことは俺らの願いと一緒だった。従うとか以前に、一緒だったのさ。
その点、お前は自分が好き勝手やりたいから俺らのシマを荒らした。そんな奴とは俺は死んでも組みたくねぇ」
そのコウの言葉に、セイは無表情な顔でそうかよ、とだけ呟いた。今にも倒れそうなコウに近づいていく。殺されるだろうな、とコウは思った。これだけの啖呵を切られておいて相手に温情をかけるような相手ではない。それに、強さだけで言えばチェンよりも勝っていた。
俺だけ抵抗しても無駄か。そう思った瞬間だった。
「コウ、あんたは裏切ったわけじゃなかったみたいだね!」
「セイさん、『鳳凰展翅』の奴らがいきなり殴りこみに……」
セイに向かって叫んでいた化け猫を一蹴して、チェンがコウの前に立った。続けてリュウを筆頭に『鳳凰展翅』の面々がコウを囲むように勢ぞろいする。中には勿論あの報告役の化け猫もいた。
チェンは無表情のセイに向かって、啖呵を切る。
「私がいない間によくもまあ大暴れしてくれたみたいだね、セイ」
「……チェンか。お前こそよく一度負けておいて俺の前に顔出せたもんだな、おい。今の俺は機嫌が悪い。前みたいに手加減はできねぇぞ」
「手加減なんていらないね! あんたが全力を出して私に負ける。それが『鳳凰展翅』の復活の狼煙さ。
それに、あの程度で調子に乗られても困る。勝つ、っていうのはもっと完全に相手をぶちのめすことなのよ」
「そうかい」
ゆらり、とセイが身構えた。それに合わせて、セイの周りに側近の化け猫達が集まってくる。合わせてチェンと『鳳凰展翅』の面々も、身構えて臨戦態勢に入った。
「じゃあ今度は死ぬまで痛めつけてやるよ!」
「やってみな!」
その言葉が合図だった。セイとチェンは高速で移動して廃屋街の奥へ、他の面々はその場で戦いを始める。コウを守るように戦っている『鳳凰展翅』の仲間にチェンが頷くと、一歩先を飛翔するセイを睨みつけた。
壁を、屋根を、地面を蹴り、高速で移動する二人。時折交差しては視線を飛ばし合う牽制。丁度開けたところに出たことで、ついに二人は交戦した。
壁を蹴り飛翔するセイに、チェンも負けじと地面から跳ね上がって蹴りを放つ。鼻先を掠める蹴りにのけぞりつつ、空中でそのままチェンの横腹に蹴りを入れる。初撃はセイから入る。
しかし、今回はチェンも負けてはいない。きりもみ回転をしつつ屋根に着地し、素早く再び飛び上がるとセイの着地先を狙ってとび蹴りを放つ。それが回避されると着地するままに勢いを横に変換した薙ぎの蹴りをセイの横腹にお返しとばかりに叩き込む。
前の戦闘では高速移動からの攻撃しか受けていないセイにとって、いきなり地に足をつけての攻撃は予想外だったのだろう、驚愕の表情が彼に浮かぶ。そんな反応に休まず、チェンは手を地面について体を捨て気味にかかとをセイの顔面へと叩き込む。セイが衝撃に身を捩ったところで、油断なく体勢を整えて距離を取った。
「っ調子に乗るな!」
顔面に受けた衝撃から復帰したセイは、チェンとの距離を一歩で縮めて渾身の突きを放った。体のリーチ差を利用した攻撃である。受ける直前で後ろに飛び跳ねていたチェンには直撃しなかったものの、その足が手の届く範囲にあった。セイはにやりと笑うと、その足を掴んでチェンを自分の背後の地面へと叩きつける。ごほっ、とチェンの肺から息が漏れる。
よろよろと立ち上がるチェンに、セイは連続攻撃をかける。踏みつけるような蹴りはチェンが宙返りして回避。追撃になる横薙ぎの蹴りには上手く足を合わせられダメージには至らない。しかし自分の足に乗るような姿勢になったチェンにセイは飛び上がるタイミングですとんと足を下ろすと、正面でガードのがら空きになったチェンに再び渾身の突きを撃った。流石に姿勢を整える暇のなかったチェンはその攻撃を肩に直撃された。吹き飛ぶ。
地面の上を転がって、なんとか身を持ち上げるチェンに、余裕を見せて言う。
「おい、自慢の高速攻撃はどうしたよ! ただの格闘じゃあリーチの長い俺の方が有利だぜ」
「自慢にしてるのはあんたのほうでしょ。いいよ、じゃあ高速攻撃で片をつけてあげる」
言った瞬間、チェンの姿が掻き消えた。追ってセイも飛び跳ねる。いつぞやと同じように、チェンと同じリズムで同じ場所を蹴って空中を移動しながら、セイは哄笑をあげる。
「なんだなんだ、前よりトロイぜ?」
言いながら、空中でチェンへと蹴りを放つ。撃墜されるように廃屋の屋根に衝突したチェンはすぐに起き上がると、再び飛翔してセイを追いかける。が、それもすぐにセイによって蹴り落とされる。前回の戦いの巻き直しのような展開に、セイが呆れるがチェンは死に物狂いのようになって撃墜されてもすぐに復帰する。
何度も蹴り落とされながら、チェンはタイミングを待っていた。自分と相手の動きが同調する、そのタイミングを。
(……来た!)
チェンがそう思ったのは、合計5回は撃墜された後の移動のときだった。同じように移動しているセイの蹴りを、同時に打ち込んだチェンの蹴り足が止めたのだ。空中で互いの足が衝突し、互いが吹き飛ばされる。同じように地面へと落着し、初めそうしていたように相対する。次の瞬間同時に飛ぶ。
セイはこれまでと同様に蹴りを撃とうとした。が、その瞬間チェンはその蹴り足を利用して空中で体を動かすとそのままセイの胸に両足を揃えて蹴りこんだ。訳が分からないままに吹き飛ばされたセイは再びチェンを追って飛翔するが、今度はセイがそうしていたように先手を打たれて撃墜される。もう一度同じく繰り返すが、これまた返される。今までセイがチェンにしていたことをそのままそっくり返すような攻防だ。
何度目かの激突でセイが吹き飛ばされ、廃屋の近くに積み上げられていた瓦礫の山の中にぶち込まれた。着陸するチェンが比較的平気な顔をしているのに対し、セイは何が起こっているのかわからずに焦燥した表情を浮かべている。互いに受けているダメージは同等、あるいはチェンの方が大きいはずなのに何故自分ばかりが蹴り落とされるのか。
瓦礫の中から這い出るように出てきたセイに、チェンは笑って種を明かす。
「なんで自分ばっかり蹴落とされるのか分からない、って顔ね。種は単純よ。私が飛ぶたびにちょっとずつ速度を落としていただけ。最高速度はあんたの方が上みたいだけど、それだけ」
「んな単純な技に引っかかるとはな……だが、自分から種明かししたのは失敗だな! もう俺は同じ轍はふまねぇ! 迎撃するんなら俺の方が明らかに上だ!」
「ううん」チェンはそう言って首を振った。「もうあんたに私の攻撃を迎撃することは出来ないわ」
「ほざくな!」吠える。「だったらかかって来いよ!」
身構えるセイに、チェンは高速で地面の上を走り、接近した。ニッと笑い迎撃の攻撃を撃とうとしたセイの前から、ふっとチェンの姿が掻き消える。殴りかけたその体勢から敵を見失い混乱するセイの背後から、チェンの蹴りが飛んだ。受身も取れず地面を跳ねるセイ。セイが立ち上がり再び身構えるとチェンは同じように高速で接近し、セイが迎撃しようとした瞬間やはりいずこかへ消え、背後から攻撃をぶつける。
そんな攻撃を何度か繰り返した辺りだろうか、廃屋の向こうから、鬨の声が上がったのは。二人がそちらの方に向くと、足音と共に数人の化け猫の姿が現れる。セイの配下ではない。『鳳凰展翅』の集団だった。各々ボロボロではあるが、なんとか無事でいるようだ。ほっと一息つくチェンに対し、セイは進退極まる。ここでチェンを殺るしかこの状況を乗り切る手段がないと察したセイは、
「畜生!」
遮二無二高速移動してチェンへと突撃した。迎撃するように、チェンも同じく高速で移動する。衝突する瞬間セイが放った抜き手は、しかし狙ったはずのチェンの体をすり抜けて逆にカウンターの掌底を叩き込まれた。口から反吐を吐きながら地面に叩きつけられるセイ。
「なんでだ、何で攻撃があたらねぇ!」
その状況を、駆けつけてきたリュウは一発で看破した。チェンの行っている高速移動は、全力ではない。8割方の力を込めた移動で相手を誘って、攻撃をかけて来たところで全力で移動。そしてがら空きになった体に反撃を叩き込んでいる。あれでは、実際に戦っている相手からすれば突然瞬間移動した風にしか見えないだろう。
現に、迎撃を受けてもまだセイは意味が分からないといった風な表情をしながらまた攻撃を仕掛けている。それも全て、チェンの迎撃にやられる。
何度、そんな攻防を続けただろうか。最早全力でも最大の5割の早さも出せないセイの突進に、チェンが首を狩る蹴りをぶち込んだ瞬間、勝敗は決した。
蹴りで意識の飛んだセイは、もはや吹き飛ばされたまま立ち上がることがなかった。
「やったぁ!」
報告役の化け猫の黄色い歓声を皮切りに、次々にチェンに近づいて勝鬨の声を上げる『鳳凰展翅』の面々。その中でチェンだけが冷静に、小さな声で呟いた。
「セイの体、誰か背負ってくれる? 手当てしないと」
「手当て?」答えたのはリュウだ。「何でこんな奴に俺等が手当てしないといけないんだよ! 一番散々な目に合わされたのはお前なんだぞ!」
「だからって、放っておくことはできないでしょ?」チェンが首を傾げ、笑う。「今までだってそうしてきたじゃない。そうやって仲間になったのが、私たちじゃなかったっけ?」
ややあって、自然彼らの中から笑い声が響いた。確かにその通りだ、と言ったリュウが、セイの体を担ぐ。担ぎ方が多少乱暴だったが、まああれだけ頑丈なセイだ、大丈夫だろうとチェンは思った。声を上げる。
「これで『不倶戴天』は潰した! さぁ、家に帰るよ!」
そう言って手を振り上げたチェンの手は、確かな勝利を掴むようにぐっと握りこまれていた。
***
「で、『不倶戴天』は潰したんですけど」
「結果的に北部も群雄割拠の抗争状態で、なんか余計に事態が悪化した感があるな」
「結局セイさんも翌朝にはどこかに消えてましたし、これで良かったんでしょうか」
「今更言っても仕方ないことをぐじぐじ言っても仕方ないでしょ! これからまた全部纏めればいいのよ。初めに戻っただけ!」
マヨヒガの邸宅では、更に混乱した勢力図の前で唸る『鳳凰展翅』の面々と、元気に声を張り上げるチェンの姿があった。中には、コウとその配下である『飛翔韋駄天』の姿もあった。前ほどではないが幾許か活気を取り戻した邸内に満足したように頷くチェン。
結局、人里の猫社会での紛争はまだ続いたままだ。いくらチェンやセイほど腕の立つ者はいないとはいえ、それを治めていくのはまた時間がかかる。今度はどこかに元締めがいないだけに、長い戦いになりそうだった。
そんな中、邸宅の扉の方に近づいていくチェンに、リュウが声を荒げて言った。
「おい、どこ行くんだよチェン、こっからが忙しい時だってのに!」
「いや少し野暮用がね」チェンは笑って誤魔化しながら、邸宅の扉を開けた。「セイの次にもう一人、お礼参りに行かないといけない人がいるのよ」
がやがやと騒がしい邸内に謝るように片手を上げ、素早く扉を閉める。まだ扉の向こうでは騒がしい声が聞こえているが、チェンは気にしないことにした。それよりも先に、やっておかなければならないことがある。
「……ちゃんとあの妖獣にも、お礼参りしとかないとねっ!」
一人叫ぶと、チェンはいつも以上の高速移動で、一路あの家の方角へと飛翔して行った。
すげえおもしろかったです。
おもしろかったです
にゃんぐすたーですね
今の橙の言う事は誰も聞いてくれないという…www
このカリスマあふれる橙を藍様が式神にしたあたりの話も見てみたい。
そんな意味も含めて続きを希望。
誤字と思われるものを
>「強情だなぁ」幼獣は笑う
ここは会話の流れ的に妖獣では?
橙さん、チースッ!!
表現にちょっとこなれてない感も受けましたが、題材の選び方も雰囲気もいい。
もっと素晴らしい表現力を得られる方だと思いますので、そのときのために残り10点は取っときます。
そのために残りの20点はとっておくということで
というわけで30点はとっておくということで
あ、チェンさんちーっす!
おつかれーっす!
仲間のために自分の感情を抑えて奔走する姿はまさにドン!
まぁ、いくら争ったところで一番はカニ(ry
少年漫画誌に載っているような格闘漫画を見ているようでした。王道的だが、それがいい。
普段の扱いと違うこの橙もいいなあ。
あ、橙さんチーッス!