生前の「私」、その本当の名前、本当の生活、生き様を、私は詳しく知らなかった。
知る権利があるとも思えなかったし、仮に知ることが出来たとして、今それを知ることに何の意味もないからである。何よりそんな未練、この私には相応しくない。
数刻前、当然のように渦を巻いていた蔑まれるべき好奇心と葛藤は泡となり、弾けて失せた。そうしてただ木偶のように、のっぺりとした黒い海面を見下ろしている。
思い出すべきことがあった。戒めるべきことがあった。
何度でも言おう――それは罪である。
この人外生の始点、忌まわしきこの身の「起こり」。
村紗との出会いを。
◆
結果として言えば、その一人の少女と私という姿形も思い出せない何者かの出会いは、偶然でしかなかった。偶然を必然といえば、必然でもあったのだろうかは、まだわからない。
女を船に乗せる行為は不吉である。
未だ曖昧な記憶の中、その風潮が故に唯一、一帆船の長を命じられるという名誉を賜り、歓喜と身の締まるような緊張と世間の視線の鋭さへの戸惑いを胸に、当時の私は生きていた。
時は幻想と科学が同位置に存在した、一種の混沌期であった。
名高い妖怪が夜毎蔓延り、僧侶がそれを退治して勲功を挙げる一方、人と人が剣を打ち合わせ、有限の土地を奪い合う。格式高い幽玄な寺院が建設される一方で、より速く敵に攻め入るための船舶の改良が行なわれる。
ない交ぜの思想と文化の時代。
この曖昧な境界と線引きは時に、多くの小競り合いを生んだことを私は覚えていた。
争いで真に犠牲になるの子供だった。何時であっても人の命を奪うのは大人である、転じて誰かの親である。思想に殉じて命を落とす行為は結果としての悲劇であっても、まだ救いはあるだろう。
私がこうして人生の成功者として生を謳歌する合間、どれだけの報われない子供が死んだのか。死ぬ行くのか。
愚劣な思想に到った。そしてそれをどうにか出来るのではないかという自身の過信。
それらが私の人生の転落点であった。
その日。私は生ぬるい初夏の大気の中、唯一所有する名も無き一隻の船を駆り、賜った名誉と日々の暮らしを捨て、誰の見送りもない初めての航海を開始した。
一人、ではない。薄汚れてボロボロの服、ボサボサの髪、痩せた体、理性の薄れた澱んだ目。一見して卑しい身分とわかる少年少女を引き連れての逃亡者としての航海である。
飲まず食わず、昼も夜も甲板に立ち尽くし、時間が許す限り、私は一心不乱に舵を取り続けた。
すえた匂いが立ち込める八畳ほどの船室。そこに連れた数多の子供達無理やり押し込み、説明さえ拒否し、ただ脱兎の如く船を走らせることだけに全霊を掛けていた。
今思えば滑稽なこと。私は結局、日常を捨ててまで救おうとした子供達の名前も顔も覚えてはいなかったのである。
ただ一人、そう明確なイメージを持って思い出せる「この顔」の少女だけを抜かして。
村紗。
姓か名か、そう一言名乗った少女と私の繋がりは、単純に彼女が引き連れてきた子供の中心人物であったこと、最年長であったこと、他には、年頃の少女が持つ生物的特徴が起因である。・・・というとすこし下品だろうか。
月に一度、女性のみに起こる体調不良を理由に甲板で風に当っていたいと申し出た村紗の願いを私は聞き入れざるを得なかったのである。
自身が不眠で舵を取れるのも、結果として煩わしい幼子の面倒を見なくて済んだのも、彼女の存在があった為である。
加えて言うならば、私の思春期の「ソレ」にまつわる苦い経験が、彼女の青白い顔にほんの少し思い起こされたからなのかもしれない。
刺すように強い太陽の下、青白い顔をした村紗と羅針盤と海図に取り付かれた私。互いに揃って会話無し。愛想無し。
それでも太陽が出て落ちるまで、月が出て消えるまで、日がな一日言葉を発しなかったと私とは対照的に、村紗はよく独り言を呟いていた。
その大半は当然苦痛の呻きであった訳だが、時に擦れた声で小さく歌を歌うこともあった。
数日を経ても、やはり会話はない。それでも同じ場所にいる以上、視線がかち合うことは幾度もあった。
その度私は村紗の飛びぬけてはいないまでも、整った顔に目線を奪われる自覚があった。特別な要素などない、彼女は間違いなく一般の少女であるにも関わらず。
それでも私が強く視線を引き付けられた理由を、漠然とした罪悪感の他に挙げるとするならば、例えばそれは彼女が青白い顔で浮かべる苦悶であり、その下の痩せた体躯より伸びる枯れ枝のごとき病的な四肢と首であり、切りそろえれば映えるであろう風に乱された青がかった黒髪であった。
・・・・・・まさに「亡霊」。実に皮肉なことに、私は彼女のその人間離れした恐ろしさにこそ強い印象を持っていたのだ。
それからこの船に何が起きたのか。村紗と私の関係がどうなったのか。船室の子供達はどうなったのか。綴られるべきことは山ほど必要だろう。
だが結論する。語ることなどありはしないと。
これは記憶であって物語ではなかった。
歯ざわりのいい軽妙な応酬も血湧き肉踊る活劇も、素敵に陳腐な悲劇さえなく、四則演算、それで表現出来そうな単純極まる結果が、訪れるべくして訪れたのだ。
数日に及ぶ体の酷使による疲れか、はたまた何かに「動転」でもしたのか、私は船の舵取りを大きく誤った。そして運悪く暗礁に乗り上げ、船底には修復不可能な大穴が開き、結果として船は沈む。
それだけのこと。
周囲に泳いで到達できる陸地はなかった。何よりこの船に乗っている者の幾人が泳ぐ元気など残しているというのか。彼らは間違いなく死の一歩手前にいるというのに。
滑稽なことがあるとすれば、船上で唯一無表情を保っていた私が、このことに誰よりも取り乱し、最も多くの呻きと愚痴を零した村紗こそが唯一落ち着いていたこと、動転ついでに私の気が違ったことか。
何を思ったか考えるまでも無かった。
私は自らの手で、船室に押し込めた幼い子供らを全て甲板へと引きずり出した。そしてまるでゴミでも捨てるように、一人一人を掴み上げ、黒い海の只中に叩き込んでいった。
この船に残ることは即ち死であると、泳ぐ力が無くとも、まだこの場所にいるよりは生きられると。そう念じて。
そこが「海」ではなく、薄い水の下、硬く尖った岩の並ぶ「岩礁」であることに気付くこともなく。
一人。また一人。黒い海に呑まれた不可視の赤色として、咲く。
救いと称された、列記とした殺人である。
今思えば、村紗は濁った私の目では見えなかった岩礁の存在に気付いていたのかもしれない。
それでも彼女は私の凶行を止めず、狂気にも怯えず。
「星が、見えない」
そう一言呟いて迷い無く、私の手を借りることもないと言わんばかりに自分の足で。船の篝火が照らす、真っ黒な海に飛び込んでいったのだ。
◆
はっきりと断じよう。私は村紗という少女の顔と体をした別人の亡霊である。
そして、亡霊としての起因に気付いてしまった以上、最早この自我についてあれこれと詮索する気は無くなっていた。
「私」というこの亡霊は、ただ稚拙な正義を振りかざし、悪戯に助けようとして余計に殺した愚か者。借り物の顔であることに気付かぬ無能で、人を殺して食う化物である。
そして、それだけでいい。
この亡霊として形作られた一つの妄執。あの船の上から見下ろした水面を漂う彼女の顔、そこに感じた狂おしいまでの後悔。
思うことは一つ。
彼女は私に殺されるべき人間ではなかった。私が手を差し伸べさえしなければ長く生きていられたのではないか。
他にも多くの子供を私は殺した。それでも私という器はたった一人分しかない。
しかしたったの一人。それをこの殺人者が救えるならば、それはなんと僥倖なことか。
「村紗」は今も何処かで生きていなければならない。
あのような事故で彼女が死ぬことなど有ってはならない。
事故には合っただろう、助からぬとも思われただろう。だが結果として「死ななかった」。
私という亡霊は、云わばその現実と相反する妄想を実現するための礎である。
具体的な方策などなく、ただこの身を持って、彼女が健在であること、誰よりも強く輝いていることを証明しなければならない。
障害があるとすれば唯一、彼女の死の真実知る二人の存在。だが。
一人、あの狂気を唯一生き残った被害者の少年、彼の老いた僧侶は先刻死んだ。
一人、村紗を死に追い詰めた張本人、この「私」は、しかし問題なくこれより失せる。
道は開かれていた。
妖怪「村紗」。今宵より私はそう名乗り、そう「成る」。
その一歩にはまず間違いなく力が要った。
元より亡霊。殺されぬ身ではあった、だがそれでも万が一誰かに「私」を害されては堪らない、なにより、この衰えた今の姿は私に相応しくない。
数十、数百程度では到底足りない。健全な体に健全な魂が宿るなれば、この身が村紗である以上その魂も紛れなく村紗でなければならない。そして村紗の存在は誰よりも大きくなければならない。
まずは四つ。
肌を打つ水の振動から得た、この海域に存在する船の数。
妖怪、村紗としての人生の始まり。
聖白蓮と出会う、六十年前の話。
知る権利があるとも思えなかったし、仮に知ることが出来たとして、今それを知ることに何の意味もないからである。何よりそんな未練、この私には相応しくない。
数刻前、当然のように渦を巻いていた蔑まれるべき好奇心と葛藤は泡となり、弾けて失せた。そうしてただ木偶のように、のっぺりとした黒い海面を見下ろしている。
思い出すべきことがあった。戒めるべきことがあった。
何度でも言おう――それは罪である。
この人外生の始点、忌まわしきこの身の「起こり」。
村紗との出会いを。
◆
結果として言えば、その一人の少女と私という姿形も思い出せない何者かの出会いは、偶然でしかなかった。偶然を必然といえば、必然でもあったのだろうかは、まだわからない。
女を船に乗せる行為は不吉である。
未だ曖昧な記憶の中、その風潮が故に唯一、一帆船の長を命じられるという名誉を賜り、歓喜と身の締まるような緊張と世間の視線の鋭さへの戸惑いを胸に、当時の私は生きていた。
時は幻想と科学が同位置に存在した、一種の混沌期であった。
名高い妖怪が夜毎蔓延り、僧侶がそれを退治して勲功を挙げる一方、人と人が剣を打ち合わせ、有限の土地を奪い合う。格式高い幽玄な寺院が建設される一方で、より速く敵に攻め入るための船舶の改良が行なわれる。
ない交ぜの思想と文化の時代。
この曖昧な境界と線引きは時に、多くの小競り合いを生んだことを私は覚えていた。
争いで真に犠牲になるの子供だった。何時であっても人の命を奪うのは大人である、転じて誰かの親である。思想に殉じて命を落とす行為は結果としての悲劇であっても、まだ救いはあるだろう。
私がこうして人生の成功者として生を謳歌する合間、どれだけの報われない子供が死んだのか。死ぬ行くのか。
愚劣な思想に到った。そしてそれをどうにか出来るのではないかという自身の過信。
それらが私の人生の転落点であった。
その日。私は生ぬるい初夏の大気の中、唯一所有する名も無き一隻の船を駆り、賜った名誉と日々の暮らしを捨て、誰の見送りもない初めての航海を開始した。
一人、ではない。薄汚れてボロボロの服、ボサボサの髪、痩せた体、理性の薄れた澱んだ目。一見して卑しい身分とわかる少年少女を引き連れての逃亡者としての航海である。
飲まず食わず、昼も夜も甲板に立ち尽くし、時間が許す限り、私は一心不乱に舵を取り続けた。
すえた匂いが立ち込める八畳ほどの船室。そこに連れた数多の子供達無理やり押し込み、説明さえ拒否し、ただ脱兎の如く船を走らせることだけに全霊を掛けていた。
今思えば滑稽なこと。私は結局、日常を捨ててまで救おうとした子供達の名前も顔も覚えてはいなかったのである。
ただ一人、そう明確なイメージを持って思い出せる「この顔」の少女だけを抜かして。
村紗。
姓か名か、そう一言名乗った少女と私の繋がりは、単純に彼女が引き連れてきた子供の中心人物であったこと、最年長であったこと、他には、年頃の少女が持つ生物的特徴が起因である。・・・というとすこし下品だろうか。
月に一度、女性のみに起こる体調不良を理由に甲板で風に当っていたいと申し出た村紗の願いを私は聞き入れざるを得なかったのである。
自身が不眠で舵を取れるのも、結果として煩わしい幼子の面倒を見なくて済んだのも、彼女の存在があった為である。
加えて言うならば、私の思春期の「ソレ」にまつわる苦い経験が、彼女の青白い顔にほんの少し思い起こされたからなのかもしれない。
刺すように強い太陽の下、青白い顔をした村紗と羅針盤と海図に取り付かれた私。互いに揃って会話無し。愛想無し。
それでも太陽が出て落ちるまで、月が出て消えるまで、日がな一日言葉を発しなかったと私とは対照的に、村紗はよく独り言を呟いていた。
その大半は当然苦痛の呻きであった訳だが、時に擦れた声で小さく歌を歌うこともあった。
数日を経ても、やはり会話はない。それでも同じ場所にいる以上、視線がかち合うことは幾度もあった。
その度私は村紗の飛びぬけてはいないまでも、整った顔に目線を奪われる自覚があった。特別な要素などない、彼女は間違いなく一般の少女であるにも関わらず。
それでも私が強く視線を引き付けられた理由を、漠然とした罪悪感の他に挙げるとするならば、例えばそれは彼女が青白い顔で浮かべる苦悶であり、その下の痩せた体躯より伸びる枯れ枝のごとき病的な四肢と首であり、切りそろえれば映えるであろう風に乱された青がかった黒髪であった。
・・・・・・まさに「亡霊」。実に皮肉なことに、私は彼女のその人間離れした恐ろしさにこそ強い印象を持っていたのだ。
それからこの船に何が起きたのか。村紗と私の関係がどうなったのか。船室の子供達はどうなったのか。綴られるべきことは山ほど必要だろう。
だが結論する。語ることなどありはしないと。
これは記憶であって物語ではなかった。
歯ざわりのいい軽妙な応酬も血湧き肉踊る活劇も、素敵に陳腐な悲劇さえなく、四則演算、それで表現出来そうな単純極まる結果が、訪れるべくして訪れたのだ。
数日に及ぶ体の酷使による疲れか、はたまた何かに「動転」でもしたのか、私は船の舵取りを大きく誤った。そして運悪く暗礁に乗り上げ、船底には修復不可能な大穴が開き、結果として船は沈む。
それだけのこと。
周囲に泳いで到達できる陸地はなかった。何よりこの船に乗っている者の幾人が泳ぐ元気など残しているというのか。彼らは間違いなく死の一歩手前にいるというのに。
滑稽なことがあるとすれば、船上で唯一無表情を保っていた私が、このことに誰よりも取り乱し、最も多くの呻きと愚痴を零した村紗こそが唯一落ち着いていたこと、動転ついでに私の気が違ったことか。
何を思ったか考えるまでも無かった。
私は自らの手で、船室に押し込めた幼い子供らを全て甲板へと引きずり出した。そしてまるでゴミでも捨てるように、一人一人を掴み上げ、黒い海の只中に叩き込んでいった。
この船に残ることは即ち死であると、泳ぐ力が無くとも、まだこの場所にいるよりは生きられると。そう念じて。
そこが「海」ではなく、薄い水の下、硬く尖った岩の並ぶ「岩礁」であることに気付くこともなく。
一人。また一人。黒い海に呑まれた不可視の赤色として、咲く。
救いと称された、列記とした殺人である。
今思えば、村紗は濁った私の目では見えなかった岩礁の存在に気付いていたのかもしれない。
それでも彼女は私の凶行を止めず、狂気にも怯えず。
「星が、見えない」
そう一言呟いて迷い無く、私の手を借りることもないと言わんばかりに自分の足で。船の篝火が照らす、真っ黒な海に飛び込んでいったのだ。
◆
はっきりと断じよう。私は村紗という少女の顔と体をした別人の亡霊である。
そして、亡霊としての起因に気付いてしまった以上、最早この自我についてあれこれと詮索する気は無くなっていた。
「私」というこの亡霊は、ただ稚拙な正義を振りかざし、悪戯に助けようとして余計に殺した愚か者。借り物の顔であることに気付かぬ無能で、人を殺して食う化物である。
そして、それだけでいい。
この亡霊として形作られた一つの妄執。あの船の上から見下ろした水面を漂う彼女の顔、そこに感じた狂おしいまでの後悔。
思うことは一つ。
彼女は私に殺されるべき人間ではなかった。私が手を差し伸べさえしなければ長く生きていられたのではないか。
他にも多くの子供を私は殺した。それでも私という器はたった一人分しかない。
しかしたったの一人。それをこの殺人者が救えるならば、それはなんと僥倖なことか。
「村紗」は今も何処かで生きていなければならない。
あのような事故で彼女が死ぬことなど有ってはならない。
事故には合っただろう、助からぬとも思われただろう。だが結果として「死ななかった」。
私という亡霊は、云わばその現実と相反する妄想を実現するための礎である。
具体的な方策などなく、ただこの身を持って、彼女が健在であること、誰よりも強く輝いていることを証明しなければならない。
障害があるとすれば唯一、彼女の死の真実知る二人の存在。だが。
一人、あの狂気を唯一生き残った被害者の少年、彼の老いた僧侶は先刻死んだ。
一人、村紗を死に追い詰めた張本人、この「私」は、しかし問題なくこれより失せる。
道は開かれていた。
妖怪「村紗」。今宵より私はそう名乗り、そう「成る」。
その一歩にはまず間違いなく力が要った。
元より亡霊。殺されぬ身ではあった、だがそれでも万が一誰かに「私」を害されては堪らない、なにより、この衰えた今の姿は私に相応しくない。
数十、数百程度では到底足りない。健全な体に健全な魂が宿るなれば、この身が村紗である以上その魂も紛れなく村紗でなければならない。そして村紗の存在は誰よりも大きくなければならない。
まずは四つ。
肌を打つ水の振動から得た、この海域に存在する船の数。
妖怪、村紗としての人生の始まり。
聖白蓮と出会う、六十年前の話。
自分の殺した少女の姿に成りすまし、「村紗」への歪んだ贖罪行為が、彼女を「ムラサ」にしていったんですね。