「…………遅い」
お気に入りの椅子に腰掛けたまま、私はじっと待っていた。
紅茶を淹れてきてくれと妖精メイドに頼んでから、もうかれこれ三十分以上になる。
まったく。
あいつなら、一秒も待たずに済むのに。
……などと、無為な思考を巡らせていると。
―――コンコン。
ノックの音が部屋に響いた。
「……やっとか」
まあ、あいつじゃなければこれくらいが普通なのかしら。
私は軽く溜め息を吐いて、ドアの向こう側に声を掛ける。
「入りなさい」
するとすぐに、私の声に呼応してドアがゆっくりと開き―――、
「お嬢様、来ました」
―――ジャージ姿の咲夜が、私の部屋に入ってきた。
「……え?」
「たまには時間を止めずに入室するのも、新鮮でいいですわね」
未だ状況が掴みきれない私をよそに、咲夜はごろりとカーペットの上に寝転がった。
「うあー、気持ちいい」
「…………」
私は夢を見ているのだろか。
そう思い、試しに右頬を軽くつねってみた。
ガチで痛かった。
吸血鬼の腕力なめてた。
とりあえず現状を現実と認識した私は、目の前で転がる従者らしき人物に声を掛けてみることにした。
「あー……咲夜?」
「はい、なんでしょう」
「お前……何やってんの?」
「ゴロゴロしてます」
「いや、それは見れば分かる。……そうじゃなくてね」
「はい」
「なんでいきなり、私の部屋でゴロゴロしてんの」
「いきなりではありません。ちゃんとノックはしましたし、お嬢様も『入りなさい』と」
咲夜はゴロゴロと転がりながら、大真面目な顔で言う。
なんだこれ。
夢でなけりゃ幻覚か。
「……それは、私はてっきり、妖精メイドが紅茶を運んできたと思ったからだ。なのに、なんでお前が入って来る」
「いけませんか」
「いや、いけないことはないが……呼んでもいないのに、何故」
「呼ばれていないのに、来てはいけませんか」
「いや、いけないことはないが……あのねぇ、咲夜」
「はい」
私はこめかみを人差し指で軽く押さえつつ、大きく溜め息を吐いた。
咲夜はカーペットの上で大の字になっている。
その表情はどこか得意気ですらある。
なんなのこの従者。
「……私は昨日、言ったよね? 『咲夜はここんとこずっと働きづめだから、明日は一日休め』と」
「はい」
「……で、何で私の部屋に来る?」
「いけませんか」
「いや、いけないことはないが……あのねぇ、咲夜」
「はい」
相変わらず顔だけは瀟洒な従者だ。
もっとも、それ以外の要素で完全に減殺されているが。
「……折角の休みなんだから、もっとこう、有意義に過ごしなさい」
「有意義に、と言いますと」
「だからたとえば……人里でショッピングを楽しむとか、地底の温泉巡りをするとか。色々あるだろう」
「はあ」
「……はあって、お前」
咲夜は心底どうでもよさそうな表情を浮かべている。
私は何か間違ったことを言ったのだろうか。
目の前のジャージ姿の従者を見ていると、段々自分の中の常識に自信が持てなくなってきた。
「申し訳ありません。お嬢様。人里でのショッピングも地底の温泉巡りも魅惑的な提案ではありますが、お嬢様の部屋でゴロゴロすることの喜びに勝るものではありません」
「……別に、ゴロゴロしたいならすればいい。だが、何故私の部屋なんだ。お前にも、ちゃんと私室を与えてあるだろう。そっちでゴロゴロすればいいじゃないか」
「申し訳ありません。お嬢様。自室でゴロゴロするのも魅惑的な提案ではありますが、やはりお嬢様の部屋でゴロゴロすることの喜びに勝るものではありません」
咲夜は真剣な表情で馬鹿みたいなことを言う。
というか、こいつは多分本当に馬鹿なんだと思う。
もうめんどくさいからそう思うことにした。
「……勝手にしなさい」
「はい」
咲夜は満足そうに頷くと、ごろりと反転してうつ伏せになった。
カーペットには埃一つ落ちていないので、咲夜の着ているジャージが汚れることはない。
他ならぬ、この咲夜が毎日手入れをしてくれているからだ。
「…………」
「…………」
静かだった。
なんだか背中が少しむずがゆくなってくるような、そんな静寂だった。
だから私は、ふとした好奇心をもって、それに風穴を開けてみることにした。
「……ねぇ、咲夜」
「はい」
「そのジャージ、どうしたの」
「少し前に、香霖堂で買いました。着るのは今日が初めてです」
「そう。相変わらず、変な物に目が無いのね」
「ええ、まあ……すみません」
「……ま、今回のは実用性があるだけまだマシだけど」
「それはどうも……ありがとうございます」
「…………」
「…………」
静かだった。
ただ、それだけの空間だった。
「……着心地は、どうなの」
「なかなかですわ。ゆったりしていて落ち着きます」
「そう」
「ええ」
「…………」
「…………」
静かだった。
咲夜はごろりと反転し、また仰向けになった。
私はなんとなく椅子から立ち上がると、なんとなく咲夜の傍に立った。
「……お嬢様?」
「…………」
咲夜が不思議そうに私を見上げる。
カーペットの上に寝そべったままで。
まったく、ふざけた従者だ。
従者がこんなにふざけていたら、真面目にやってる主が馬鹿みたいじゃないか。
だから。
「…………ふん」
「あっ」
ごろり、と。
私も、咲夜の隣に寝転がった。
今日初めて、咲夜が少し驚いたような顔になった。
「……咲夜」
「はい」
「……今度、香霖堂に行った時、私の分のジャージも買っておいて」
「……はい」
「…………」
「…………」
静かだった。
今は廊下の喧騒も聞こえない。
「……それにしても、遅いわね」
「何がですか?」
「紅茶よ、紅茶」
「ああ」
「やっぱり妖精メイドじゃ駄目ね」
「…………」
「…………」
静かだった。
私は咲夜の方を向く。
「……咲夜」
「はい」
「……くつろいでるところ悪いんだけど、やっぱりあなたが紅茶……」
「だめです」
「ちょっ! せめて最後まで言わせなさいよ!」
「すみません。今日はオフですから」
「……もう、融通の利かないやつ」
「すみません」
くっくっと、咲夜は人を食ったように笑う。
まったく。
忠誠心が足りてないんじゃないかしら?
そう思い、私は咲夜の頬に向かって手を伸ばした。
それをつまんで、むにっと引っ張ってやる。
もっとも、先ほどの己の腕力に対する反省を踏まえて、かなり軽めに。
「あう」
それでも、従者に対するお仕置きとしては十分だったようで。
咲夜の笑顔が少し崩れた。
うむ、いい気味だ。
「いひゃい、いひゃいです。おひょうはま」
「…………ふん」
だが私とて鬼ではない。
咲夜が半泣きになったところで解放してやった。
「いひゃいですよ……」
「生意気言うからよ。従者のくせに」
「すみません」
「ったく、もう」
「…………」
「…………」
静かだった。
そよ風が部屋に舞い込む。
「……お嬢様」
「何?」
「……咲夜は、幸せです」
「…………」
「…………」
静かだった。
遠くで鳥の声がする。
「……そりゃ、そうでしょうよ。主の部屋でジャージでくつろぐのが許される従者なんて、そうはいないわよ」
「はい」
屈託の無い笑顔で頷く咲夜。
私はなんだか気恥ずかしくなって、ぷいっとそっぽを向いた。
―――その後、漸く妖精メイドが運んできた紅茶を、咲夜と二人で飲んだ。
味は咲夜が淹れてくれたのより全然落ちるはずなのに、不思議と美味しく感じた。
「……咲夜」
「はい」
「……私も、幸せだわ」
「……はい」
静かだった。
でも、そこには全てがあった。
了
あずき色で側面に白い二本のラインが入ったジャージだったらもう……咲夜さん最高。
これを幸せに思えることは、きっと幸せですね。
最高だ・・・!!
なのにいい話。不思議!
いやまりさんの作品はいつでも最高ですが
二人の会話とかほのぼのとしてて面白かったです。
こういうまったりとしたお話大好きです
お嬢様の部屋で寝ころびたい
ホントにこの二人のすべてが詰まってる話な気がする…!!
いつまでも幸せに
それにしても、このデジャヴは一体……。
咲夜さんはジャージも似合うんだろうな。
レミリアと咲夜の関係性を考えると、時間とか運命とかロマンティックが止まらない現実が
いつか二人を引き裂くのだといういらないビジョンが頭を渦巻いて
なんだか異様な寂寥感があります・・・ジャージなのに・・。
でもしかしだからこそこんなテキトーな触れ合いが何ものにもかえがたい暖かなものに見えるのだと思うのです私はなにを言ってるのか。
フッフッフ、いいだろう、受けてたとやられたーッ!!
咲夜さんめちゃくちゃ幸せそうだ。