師匠の作った薬を売りに人里に赴けば、色々なものを見かけることがある。
例えば、通りを元気に駆け回る子供だったり。
例えば、世間話で盛り上がるおばさん達だったり。
例えば、声を張り上げて商売に精を出すおじさんだったり。
永遠亭では中々見れない光景が広がり、それにはもちろん人間ならず妖怪の姿もあるわけで。
私もその例に漏れず、いつもの定位置に腰を下ろしながら、その光景に視線をさまよわせている。
人の目に付きやすく、それでいて昼間は影になるそんな場所が、人里での私の商売場所だった。
売り上げは順調そのもの。人付き合いの苦手な私だから、こういったことは苦手なのだけれど、これも師匠の命令なのだから仕方がない。
わが師、八意永琳は自他共に認める天才だ。
銀髪の長い髪は三つ編みで纏められ、赤と青の縦半分で分けたような奇抜な衣装を着る薬師であり、同時に医者でもある。
月の頭脳だなんてたいそうな異名を持つとおり、あの人の思慮深さや頭の回転の速さは他の追随を許さない。
まぁ、だからこそ時々説明をすっ飛ばして答えだけを提示し、それの理解をこちらに求めてくるから困りものだけど……っと、話がそれた。
「まぁ、師匠が私に薬売りをやらせているのも、なんとなく理由はわかってるんだけど」
薬を買ってくれた老夫婦二人を慣れない笑顔で見送りながら、私は人知れずぼやくように呟く。
結局、師匠が私に薬売りをやらせてるのは、私のどうしようもない性分を何とかするためなんだろう。
私は、臆病者だ。人との係わりを出来るだけ避けて、係わり合いにならないように勤めているから、自分でも自覚がある。
何より、私は仲間を見捨てて月から逃げてきたのだ。そんなやつが、臆病じゃなくてなんだって言うのか。
臆病で、人見知り。それが私―――鈴仙・優曇華院・イナバの本質なんだ。
鬱屈な気持ちを吐き出すように、大きなため息をひとつつく。
要するに、コレは私が人付き合いに慣れるための訓練なんだろうと思う。
霊夢たちならいざ知らず、顔も知らない他人と会話するのは苦手で、今でもまだ少しマシになった程度。
正直、独りでいるときのほうが心が休まるんだから笑えない。
ウサギは寂しいと死んでしまうなんて適当な言葉、一体誰が考えたのやら。
だってほら、私はこんなにも寂しがりやなんて言葉とは食い違っている。
ウサギは本来ストレスに弱いっていうだけで、寂しいから死んじゃうなんてそんなのは嘘だ。
「っと、こんなことしてないでさっさと帰ろう」
綺麗にからになった薬箱を皮袋にしまって、私は立ち上がる。
後は、人目に付かないように帰路に着くだけ。薬売りを初めてから、変わらずに続けているいつもの行動。
ふと、先ほど薬を買ってくれた老夫婦が視界に映る。
老夫婦のほうに歩いていく一組の親子。母親らしき人物はゆっくりと老夫婦に歩み寄り、その娘と思わしき少女が元気よく老夫婦に抱きつく。
老夫婦は笑みを浮かべて娘さんの頭を撫でていたが、少ししてから手をつないで彼らは帰っていった。
子供を挟むように、老夫婦と母親が子供に手を握る。そんな、ありきたりな幸せな情景。
それに少しだけ、ほんの少しだけ……目を奪われていたことに気がついた。
「……いやいや、気のせいだって気のせい」
フルフルと首をふって、言い聞かせるように呟いた私は、急ぎ足で人里の出口に向かう。
あの光景があんまりにも綺麗だったから、それをうらやましいなんて、そう思ってしまった。
そんなわけあるはずがない。人とのかかわりを避けてる私が、あの家族の光景をうらやましく思うなんて、それじゃまるで本当に寂しがりのウサギじゃないか。
足早に移動しながら、一度、二度と深呼吸。
それで、私の気持ちはすぅっと落ち着いてくれた。
そうなれば急いでいた足は自然とゆっくりになり、すっかりといつもの歩くペースに戻る。
通りすがる人々が、私の挙動不審な様子に次々と振り返っていたけれど、それは全力でみなかったことにしよう。
とにかく、この後はしばらく休憩時間だから、ゆっくり出来るはずだし。
そんなことを考えながら歩いていると、ふと目に留まった光景に、私は思わず足を止めてしまった。
視線の先には老舗らしい趣のある和菓子屋。その店先の長椅子に座る子供達と、―――もう一人、ものすごく見覚えのある人物がそこにいたのである。
流れるような黒髪は腰よりも長く、いつもの薄桃色と紅色の衣服に身を包んだ女性が、何処か歌うように、それでいて楽しそうに昔話を語っている。
子供達はそれに釘付けで、あるものは期待を抱きながら、あるものは楽しさを表情にして、みんな一様に彼女の語る御伽噺に夢中だった。
時折、彼女は膝の上で眠りこける子供の頭を撫でて微笑みながら、何処か満たされたように笑っている。
その姿が、その光景が、普段の彼女とはあまりにもかけ離れていたものだったから、思わず他人の空似だと思ってしまったぐらいだ。
そうして、ふと彼女と目が合った。
丁度、御伽噺が終わったらしい彼女は、私の目を見ながらくすくすと笑う。
「あら、偶然ね鈴仙。お勤めが終わったなら、あなたも此方にいらっしゃいな」
そんな、なんでもないことのように手招きをしながら、彼女―――我が師が敬愛する姫君、蓬莱山輝夜様は、満面の笑顔でそう言葉にした。
この後、「あー、薬売りのねーちゃんだー!」だの、「輝夜ねえちゃんと知り合いなの~?」だとか、「こっちこっちー!」なんて子供達に囲まれて背を押される羽目になる。
子供のパワーって凄まじい。抵抗しようにもさすがに良心の呵責が邪魔になり、私は結局なされるがままに和菓子屋の長椅子に座る姫の下まで押される形となったのであった。
子供達の声を聞きながら、きっと私は遠い目をしていたに違いない。
……カムバック。私の独りの落ち着ける時間。
▼
時刻はすっかり夕刻。
空がゆっくりと紅に染まる頃、私と姫は子供達と別れて帰路に着くところだった。
普段ならこの時間は休み時間。もうそろそろしたら、師匠の手伝いをする時間帯になるのだろう。
つまり、私の休憩時間はものの見事に姫と、そしてあの子供達によってつぶされたわけである。
「あら、どうしたの? 気難しい顔をして」
「まぁ、いつもならこの時間は休み時間ですので」
「ならよかった。十分に休めたでしょう?」
……驚いた。何に驚いたって、子供達から耳を引っ張られたり、おんぶをせがまれたり、お尻を撫でられたりなんて目にあったアレを休めたと思っていることに驚いた。
相手が姫でなかったら問答無用で師匠に診断してもらうことをお勧めしたい。主に目の辺りを。
そんな風に、思わず憮然とした表情を浮かべてしまった私にも、姫は気にした風もなくクスクスと苦笑した。
「冗談よ。つき合わせて悪かったわね」
「別にいいですけど……、でも意外でした。姫って子供とか好きなんですか?」
ざくざくと迷いの竹林の中を歩きながらの、他愛もない会話。
あの時、姫が子供達に御伽噺を聞かせている姿を思い出して、自然とそんな言葉がついて出る。
すると、彼女はよっぽど意外だったのか、私のほうをみてパチクリと目を瞬かせていた。
「そんなに意外?」
「えぇ、まぁ。正直、てゐが悪戯しないで私に優しくするぐらい意外でした」
「あらあら、信用ないわねぇ。てゐも私も」
からからと、上機嫌に笑う彼女は「姫」なんて呼称で呼ばれる人物とは到底思えない。
けれども、彼女は紛れもない月の姫。御伽噺に登場するかぐや姫そのものだ。
蓬莱の薬を飲み、その罪を問われて処刑され、地に落とされた月の姫。
そして彼女はこの地の残る御伽噺の通りに、竹の中で見つかり、育てられ、後に公家達の求婚を受けて五つの難題を吹っかけるのである。
それから、彼女は月の使者に連れられて月へと帰り、蓬莱の薬を残して御伽噺は終結を迎える。
けれども、この話にはまだ続きがある。
月の使者の中には師匠がいたのだ。それも、師匠は姫と面識があり、そして親しい関係の間柄だった。
月の都で親しかった二人は共謀し、他の使者を皆殺しにして逃亡。
そして流れに流れ、自分たちの存在をひた隠しにしながら、やがて幻想郷にたどり着いたという。
私が師匠や姫に出会ったのは、コレよりもずっと先だったから、詳しくは聞けなかったけれど。
「正直、姫は子供が苦手なんじゃないかと思ってましたよ」
「心外ねぇ。これでも、昔は近所の子達を相手に手鞠や歌を詠んだものよ?」
「昔って……いつの話ですか、それ」
「んー、おじいさんとおばあさんがまだ生きてた頃、かな」
あごに指を当て、空を見上げながら姫は言葉にする。
姫にとってのおじいさんとおばあさん、というと御伽噺にも登場するあの二人のことなんだろう。俗に言う、竹取の翁という老夫婦のことか。
見上げても高く伸びた竹の葉が邪魔して空なんか見えないだろうに、姫は何処か楽しそうに笑っている。
もしかしたら、懐かしんでいるのかもしれないと、そんなことを思う。
姫が翁に出会ったのは竹林だ。竹取を生業にしていた彼が光る竹の中から姫を見つけ、御伽噺は始まるのだから。
その通りなのだとしたら、きっとこういった場所で二人は出会ったに違いない。
「あの二人が私を見つけたとき、本当の子供みたいに可愛がってくれたわ。
最初は、血の繋がらない上に竹の中にいた怪しさ満点の子供に、どうしてそこまで愛情を注げるのかと不思議だった。
けれどね、きっとこういうのは理屈じゃないのよ。
子供は無邪気で世界を知らず、けれど限りない未来の可能性に満ちている。
活発な子供もいるでしょう。内気な子供もいるでしょう。もしかしたら、病気がちで外に出られない子供もいるかもしれない。
でもだからこそ、年長者がその子を守ってあげないといけない。導き、背中を押して応援してやらないといけない。
悪いことをしたならその時は叱って、そして泣いてしまったならそっと優しく抱きしめてあげればいい。
こんなことを考えるようになったのも、きっとおじいさんとおばあさんのおかげなんだろうけれど」
いつになく饒舌な言葉が、私の耳にすんなりと入り込む。
「らしくないわね」なんて苦笑して、姫は私の頭をぐりぐりと撫でてくる。
少し痛いと思ったけれど、きっと照れ隠しなんだろう。言ってる途中から恥ずかしくでもなったのか、よくみると姫の頬が薄っすら赤みを帯びていた。
少し、驚いた。
いつになく饒舌な姫もそうだけど、こんなに昔のことを……特にお世話になったという老夫婦の話をする彼女が、なんだか珍しかったから。
いつもはその時の事を聞いても、適当にはぐらかされて終わりだったのに。
今なら、少し聞いても大丈夫かな? なんていう思いが湧き上がるのを止められない。
だって、姫は決まって御伽噺で語られたこと以上の話をしてくれないから、どうしても当時の話が気になってしまうのだ。
黙して語らずなどではなく、飄々と思わせぶりな口ぶりで期待だけさせて、結局うまくはぐらかすからなおの事たちが悪い。
「そんなに子供がお好きなら、どうして結婚とかなさらなかったんですか? 貰い手には困らなかったでしょうに。
結婚して子を産んで、とかいう選択肢もあったっでしょうに」
だから、思っていたことはすぐに口をついて出てくれた。
実際、姫の有名な逸話はやっぱり五つの難題。数多の男性から求婚を受けていたのだから、同じ女性としてはやっぱり気になることだった。
すると、姫は別段答えを渋るでもなく、いつものような気軽さであっさりと。
「そりゃ、あの連中じゃ私の伴侶になるには役者不足もいいところじゃない」
それが当然のようにのたまったのであった。
うん、昔から姫はやっぱり姫だったんだなとしみじみと思う。
姫に求婚した男性たちも可愛そうに。あんな難題を出されても必死に探し回った彼らは、ある意味凄まじい根性の持ち主だったのか。
それを持って役者不足と評するのだから、姫のお眼鏡にかなう人物はこの先現れないかもしれない。
いつもどおりの姫の言葉。いつもどおりの姫の態度。
だからこそ、私は「それにね」と続いた姫の言葉に、一瞬、虚をつかれてしまった。
「誰かと結婚したとして、蓬莱の薬を飲んだ私は子をなせるのかしら。仮に子を産めたとして―――その子は、普通の人間として生まれることが出来るの?」
それは、まるで独白のようで、今までに聞いたことのないくらい、空しくて悲しい声色の言葉だった。
思わず姫の姿をその目に映せば、彼女は悲しげな表情で笑みを浮かべているようにも見える。
胸が……苦しくなる。そして同時に私を襲ったのは、やはり興味本位で聞くべきではなかったという自責の念だ。
蓬莱の薬は、不老不死の薬だ。不老長寿となりて病に倒れることもなく、永遠を約束される至高の妙薬。
それを作り出したのは師匠で、その開発に携わったのは姫だと聞いている。
それゆえに、完全な不老不死を得ることは実証済みだけれど、他にどのような影響が出るかわからないとも聞いた。
蓬莱の薬を服用し、不老不死になった姫が、子をなす事が出来るのだろうか?
そして仮に子供が出来たとしても―――その子がもし、薬を服用した母体から蓬莱の薬の影響を受けてしまったなら?
例えば、母体の中で成長が止まってしまい未熟児のまま産まれて生き続けていくかもしれない。
例えば、産まれて赤子のまま成長が止まってしまうかもしれない。
例えば、子供の頃に成長が止まってしまうかもしれない。
どれもこれも、かもしれないという可能性の話。
けれど決してゼロではない、ありえないと言い切れない恐ろしい可能性。
無論、普通に成長して、普通に生活を送って、普通に天寿を全うする、なんていう可能性もないではないけれど。
でも―――蓬莱の薬が生まれた子に影響を出さないと言い切れない以上、それは常について回る事実だった。
きっと、求婚の話を受けた際、姫はその可能性に思い悩んだのだろう。
結婚して、子供を生んで、幸せに暮らす。誰もが一度は思い描くような、当たり前のような幸せのカタチ。
けれど、決してゼロではない可能性が姫の脳裏に浮かんで、そして悩ませたんだ。
怖かったに違いない。恐ろしかったに違いない。
勝手な想像だけれど、だからこそ姫は五つの難題を持ち出したのではないのだろうか?
ふと、歩みを進めていた姫の足が止まる。
私も、姫の歩みに合わせていた足をぴたっと止めて、ただ静かに目を瞑る彼女の姿から視線をはずせない。
なんとなく気まずい。けれど、何を言葉にすればいいのか、何を思えばいいのか、それすらもわからない。
思考がぐちゃぐちゃで、考えがうまくまとまってくれなくて、自身を不甲斐なく思う。
こういうとき……師匠なら、なんといって彼女を励ますのだろうか。
考えて見たけれど、結局思いつきもしなくて、自分が情けなくて、泣き出してしまいそうだ。
「おじいさんとおばあさんがね、私のことを良く可愛がってくれた。そりゃもう、目に入れても痛くないってくらいにさ。
あぁ、私もいつか結婚して子供を作って、二人みたいに自分の子を可愛がるんだろうなって、そんなことを思った。
でもね、同時に思っちゃったのよ。蓬莱の薬を飲んだ私は、子供を産めるのだろうかって。産めたとして、その子は普通に生まれてくれるのかって。
蓬莱の薬の影響を受けて、子供も成長が止まってしまうのではないかって。
老いることも死ぬこともない。それはとても素敵なことに聞こえるけれど、結局それは「生」という名の牢獄よ。
痛みが消えるわけじゃない。怪我をすれば痛みもするし、死ぬような怪我を負えばそれ相応の痛みが襲い掛かる。気が狂いそうなくらいの激痛ってやつが。
それに何より、不老不死は人との出会いを億劫にする。いずれは必ず死別してしまうから、自然と人とは一緒にいられなくなるし、姿かたちの変わらない人間は爪弾きにされる。
そんな思いを―――子供にさせるには、あまりにも忍びないじゃない」
それは、私に向けた言葉だったのか。それとも、自分に言い聞かせるための独白だったのか。
一陣の風が吹く。竹の葉が風に煽られてざわざわと音を立て、静寂の中で合唱しているみたいだった。
姫は、懐かしむように静かに眼を閉じて、ただただその合唱に耳を傾けているようにも見える。
言葉が、思いつかない。うつむいて、なんて迂闊なことを聞いたんだろうと自分を責めた。
どうして気がつかなかったのだろうか。少し考えればわかることだったのに、どうしてこんな質問をしてしまったのだろうか。
姫が―――こういった悩みを抱いていたのだと、どうして想像ができなかったのか。
あぁ、もう。本当に、自分の間抜けさが嫌になる。
ふと、頭をくしゃくしゃと撫でられる。
うつむいていた顔を上げれば、姫がくすくすと笑って私の頭を撫でてくれていた。
いつも通りの姫の笑顔。無邪気で陽気な、姫のいつもの笑顔が、そこにある。
「なぁんて、冗談よ。言ったでしょ、私に求婚したやつらはドイツもコイツも私の伴侶になるには役者不足だったって。
結果的に、私は全員をふって月の使者に連れられて、御伽噺は終わりを告げたわけよ。
だから、そんなに暗い顔しないの。アンタは何も間違ったことなんて聞いてないんだから」
悪ふざけが過ぎたわねぇ、なんて言葉にした姫の笑顔は、何処までも眩しかった。
なんでもないことのように言って、辛いと思っているはずなのに、ソレを微塵も表に出さないその笑顔が。
話の端々から、姫が老夫婦を慕っていたことが伺える。
その老夫婦とは死別しているはずだから……、姫も親しい人をなくしているはずなのだ。
御伽噺には、かぐや姫は蓬莱の薬を残したと伝えられている。
ソレはもしかしたら……勝手な想像だけれど、姫はその老夫婦にもう一度会いたかったのではないのだろうか。
真実は、姫の心の中だけ。確認することは、もう出来そうにないけれど。
「さ、帰りましょう。きっと永琳も首を長くして待ってるわ」
すっかりいつもの姫に戻って、彼女は私にそんな言葉を投げかけてくる。
強がりでもなんでもない、ソレが当たり前のような態度の彼女を見る限り、ある程度の折り合いはつけているのかもしれない。
千年以上も生きているのだから、当たり前といえば当たり前なんだろうけれど。
でも、私は……。
「ねぇ、姫。手、握ってもいいですか?」
私の言葉に、姫は不思議そうに目を瞬かせている。
キョトンとした様子の姫がかわいらしくて、ソレがなんだか可笑しくて、私は鬱屈な気分を払拭して自然と笑うことが出来た気がした。
「ほら、私はウサギで姫のペットなんですよ。いうなれば私は血は繋がらずとも姫の子供みたいなもんです。
だから、今日ぐらい、手をつないで帰ったって罰は当たらないでしょう、『お母さん』」
我ながら、滅茶苦茶なこじ付けだと思う。いうなれば、とんでもない屁理屈だ。
師匠がこの場にいたのなら、鼻で笑っちゃうようなトンでも論理。ほら、現に姫だってぽかんとした様子で私のことを見ているじゃないか。
姫が、子供を好きだということを初めて知った。
姫が、自身が子を産めない事を悟って諦めているのだと、思い知らされた。
なら、私に出来ることは何だろう。私に出来る最善は何なのだろう。
結局私が思いついたのは、私が姫の子供になるなんて、そんな代わり映えのしない屁理屈だったわけだけれど。
正直、ちょっと……いや、ものすごく恥ずかしい。
顔が熱にうなされたように熱くなったのが実感できる。しかし、我ながら凄まじいことを口走ったんじゃなかろうかと背筋が凍る。
まったく、熱くなるのか冷たくなるのかどっちかにしてほしいよ、私の体。
けれど、私の心配なんて何のその。姫はクスクスと可笑しそうに、なんだか嬉しそうに笑ってくれて、頭を優しく撫でてくれた。
その手のひらの温かさが心地よくて、私はすぅっと目を細めてしまう。
なんだか、余計に恥ずかしくなった気がしないでもないのは、この際目を瞑ろう。
「なるほど、いつの間にか私にも娘が出来てたわけだ。確かに、親子は手をつないで仲良く帰るものよね。今度、あの人達の墓前に報告しないと」
そう言葉にして、彼女は手を差し出してくれる。
あの人達というのは、きっと老夫婦のことなんだろうなと理解した。
そう思いながら、私は姫の手を取った。温かくて、思いのほか小さな手のひらが、私の手のひらと重なって、きゅうっと握る。
まるで、お互いの体温を確かめるように。お互いの心に触れ合うように。
ふと、あの時の光景がフラッシュバックする。
帰路に着く老夫婦。子供をつれて老夫婦に歩み寄る母親と、老夫婦に抱きつく幼い子供。
けれど、あの時と少し違う。
老夫婦が見たこともないおじいさんとおばあさんで。
歩み寄る母親は他でもない姫様で。
老夫婦に抱きついているのは、幼い頃の小さな私だった。
ありえるはずのない、そんな幻視。
終いには師匠やてゐ、久しく顔を見ていない依姫様と豊姫様も混ざり、オマケに妹紅や慧音さんも現れてなんだかとんでもない光景になりつつある。
けれど、その光景はただ幸せそうで……誰も彼もが、そこで笑いあっている。
いつの間にか閉じていたらしい視線をあける。
もう、あの光景はかけらも見えないけれど、この手の暖かさが消えていないなら、それで満足だ。
うん、前言撤回。やっぱり私は、寂しがりのウサギだったみたい。
「帰りましょうか、鈴仙」
「はい、姫」
「もう、そこは『お母さん』でしょ?」
「ふふ、そうでした。それじゃ、二人っきりのときはお母さんって呼んじゃいます」
お互い笑いながらつむいだ言葉に、姫は「よろしい」と満足そうに肯いて歩き出した。
私もその笑顔につられるように、姫の歩幅に合わせて歩き出す。
そして、彼女が振り返る。いつものような笑顔とは違う、どこか照れくさそうな笑顔で。
「ありがとう」
と、ただ一言。そんな言葉をつむいでくれた。
「どういたしまして、『お母さん』」
笑顔を浮かべてそんな答えを返すと、私達は二人してくすくすと笑って歩き出した。
永遠亭はもうすぐそこで、そうしたら二人っきりになる時間は中々作れないだろうから、次にこんな風に母と子になれるのはいつになるだろうか。
でも、それでいいのだと思う。今の私達には、きっとこのくらいが丁度いい。
臆病なウサギと御伽噺のお姫様。
奇妙で屁理屈で繋がった無理やりな親子だけれども。
そういった関係でも、愉快で楽しくて、素敵だと思わない?
少なくとも私は素敵だと思う。
もう独りになりたいなんて、そんなことを思わないぐらいには。
例えば、通りを元気に駆け回る子供だったり。
例えば、世間話で盛り上がるおばさん達だったり。
例えば、声を張り上げて商売に精を出すおじさんだったり。
永遠亭では中々見れない光景が広がり、それにはもちろん人間ならず妖怪の姿もあるわけで。
私もその例に漏れず、いつもの定位置に腰を下ろしながら、その光景に視線をさまよわせている。
人の目に付きやすく、それでいて昼間は影になるそんな場所が、人里での私の商売場所だった。
売り上げは順調そのもの。人付き合いの苦手な私だから、こういったことは苦手なのだけれど、これも師匠の命令なのだから仕方がない。
わが師、八意永琳は自他共に認める天才だ。
銀髪の長い髪は三つ編みで纏められ、赤と青の縦半分で分けたような奇抜な衣装を着る薬師であり、同時に医者でもある。
月の頭脳だなんてたいそうな異名を持つとおり、あの人の思慮深さや頭の回転の速さは他の追随を許さない。
まぁ、だからこそ時々説明をすっ飛ばして答えだけを提示し、それの理解をこちらに求めてくるから困りものだけど……っと、話がそれた。
「まぁ、師匠が私に薬売りをやらせているのも、なんとなく理由はわかってるんだけど」
薬を買ってくれた老夫婦二人を慣れない笑顔で見送りながら、私は人知れずぼやくように呟く。
結局、師匠が私に薬売りをやらせてるのは、私のどうしようもない性分を何とかするためなんだろう。
私は、臆病者だ。人との係わりを出来るだけ避けて、係わり合いにならないように勤めているから、自分でも自覚がある。
何より、私は仲間を見捨てて月から逃げてきたのだ。そんなやつが、臆病じゃなくてなんだって言うのか。
臆病で、人見知り。それが私―――鈴仙・優曇華院・イナバの本質なんだ。
鬱屈な気持ちを吐き出すように、大きなため息をひとつつく。
要するに、コレは私が人付き合いに慣れるための訓練なんだろうと思う。
霊夢たちならいざ知らず、顔も知らない他人と会話するのは苦手で、今でもまだ少しマシになった程度。
正直、独りでいるときのほうが心が休まるんだから笑えない。
ウサギは寂しいと死んでしまうなんて適当な言葉、一体誰が考えたのやら。
だってほら、私はこんなにも寂しがりやなんて言葉とは食い違っている。
ウサギは本来ストレスに弱いっていうだけで、寂しいから死んじゃうなんてそんなのは嘘だ。
「っと、こんなことしてないでさっさと帰ろう」
綺麗にからになった薬箱を皮袋にしまって、私は立ち上がる。
後は、人目に付かないように帰路に着くだけ。薬売りを初めてから、変わらずに続けているいつもの行動。
ふと、先ほど薬を買ってくれた老夫婦が視界に映る。
老夫婦のほうに歩いていく一組の親子。母親らしき人物はゆっくりと老夫婦に歩み寄り、その娘と思わしき少女が元気よく老夫婦に抱きつく。
老夫婦は笑みを浮かべて娘さんの頭を撫でていたが、少ししてから手をつないで彼らは帰っていった。
子供を挟むように、老夫婦と母親が子供に手を握る。そんな、ありきたりな幸せな情景。
それに少しだけ、ほんの少しだけ……目を奪われていたことに気がついた。
「……いやいや、気のせいだって気のせい」
フルフルと首をふって、言い聞かせるように呟いた私は、急ぎ足で人里の出口に向かう。
あの光景があんまりにも綺麗だったから、それをうらやましいなんて、そう思ってしまった。
そんなわけあるはずがない。人とのかかわりを避けてる私が、あの家族の光景をうらやましく思うなんて、それじゃまるで本当に寂しがりのウサギじゃないか。
足早に移動しながら、一度、二度と深呼吸。
それで、私の気持ちはすぅっと落ち着いてくれた。
そうなれば急いでいた足は自然とゆっくりになり、すっかりといつもの歩くペースに戻る。
通りすがる人々が、私の挙動不審な様子に次々と振り返っていたけれど、それは全力でみなかったことにしよう。
とにかく、この後はしばらく休憩時間だから、ゆっくり出来るはずだし。
そんなことを考えながら歩いていると、ふと目に留まった光景に、私は思わず足を止めてしまった。
視線の先には老舗らしい趣のある和菓子屋。その店先の長椅子に座る子供達と、―――もう一人、ものすごく見覚えのある人物がそこにいたのである。
流れるような黒髪は腰よりも長く、いつもの薄桃色と紅色の衣服に身を包んだ女性が、何処か歌うように、それでいて楽しそうに昔話を語っている。
子供達はそれに釘付けで、あるものは期待を抱きながら、あるものは楽しさを表情にして、みんな一様に彼女の語る御伽噺に夢中だった。
時折、彼女は膝の上で眠りこける子供の頭を撫でて微笑みながら、何処か満たされたように笑っている。
その姿が、その光景が、普段の彼女とはあまりにもかけ離れていたものだったから、思わず他人の空似だと思ってしまったぐらいだ。
そうして、ふと彼女と目が合った。
丁度、御伽噺が終わったらしい彼女は、私の目を見ながらくすくすと笑う。
「あら、偶然ね鈴仙。お勤めが終わったなら、あなたも此方にいらっしゃいな」
そんな、なんでもないことのように手招きをしながら、彼女―――我が師が敬愛する姫君、蓬莱山輝夜様は、満面の笑顔でそう言葉にした。
この後、「あー、薬売りのねーちゃんだー!」だの、「輝夜ねえちゃんと知り合いなの~?」だとか、「こっちこっちー!」なんて子供達に囲まれて背を押される羽目になる。
子供のパワーって凄まじい。抵抗しようにもさすがに良心の呵責が邪魔になり、私は結局なされるがままに和菓子屋の長椅子に座る姫の下まで押される形となったのであった。
子供達の声を聞きながら、きっと私は遠い目をしていたに違いない。
……カムバック。私の独りの落ち着ける時間。
▼
時刻はすっかり夕刻。
空がゆっくりと紅に染まる頃、私と姫は子供達と別れて帰路に着くところだった。
普段ならこの時間は休み時間。もうそろそろしたら、師匠の手伝いをする時間帯になるのだろう。
つまり、私の休憩時間はものの見事に姫と、そしてあの子供達によってつぶされたわけである。
「あら、どうしたの? 気難しい顔をして」
「まぁ、いつもならこの時間は休み時間ですので」
「ならよかった。十分に休めたでしょう?」
……驚いた。何に驚いたって、子供達から耳を引っ張られたり、おんぶをせがまれたり、お尻を撫でられたりなんて目にあったアレを休めたと思っていることに驚いた。
相手が姫でなかったら問答無用で師匠に診断してもらうことをお勧めしたい。主に目の辺りを。
そんな風に、思わず憮然とした表情を浮かべてしまった私にも、姫は気にした風もなくクスクスと苦笑した。
「冗談よ。つき合わせて悪かったわね」
「別にいいですけど……、でも意外でした。姫って子供とか好きなんですか?」
ざくざくと迷いの竹林の中を歩きながらの、他愛もない会話。
あの時、姫が子供達に御伽噺を聞かせている姿を思い出して、自然とそんな言葉がついて出る。
すると、彼女はよっぽど意外だったのか、私のほうをみてパチクリと目を瞬かせていた。
「そんなに意外?」
「えぇ、まぁ。正直、てゐが悪戯しないで私に優しくするぐらい意外でした」
「あらあら、信用ないわねぇ。てゐも私も」
からからと、上機嫌に笑う彼女は「姫」なんて呼称で呼ばれる人物とは到底思えない。
けれども、彼女は紛れもない月の姫。御伽噺に登場するかぐや姫そのものだ。
蓬莱の薬を飲み、その罪を問われて処刑され、地に落とされた月の姫。
そして彼女はこの地の残る御伽噺の通りに、竹の中で見つかり、育てられ、後に公家達の求婚を受けて五つの難題を吹っかけるのである。
それから、彼女は月の使者に連れられて月へと帰り、蓬莱の薬を残して御伽噺は終結を迎える。
けれども、この話にはまだ続きがある。
月の使者の中には師匠がいたのだ。それも、師匠は姫と面識があり、そして親しい関係の間柄だった。
月の都で親しかった二人は共謀し、他の使者を皆殺しにして逃亡。
そして流れに流れ、自分たちの存在をひた隠しにしながら、やがて幻想郷にたどり着いたという。
私が師匠や姫に出会ったのは、コレよりもずっと先だったから、詳しくは聞けなかったけれど。
「正直、姫は子供が苦手なんじゃないかと思ってましたよ」
「心外ねぇ。これでも、昔は近所の子達を相手に手鞠や歌を詠んだものよ?」
「昔って……いつの話ですか、それ」
「んー、おじいさんとおばあさんがまだ生きてた頃、かな」
あごに指を当て、空を見上げながら姫は言葉にする。
姫にとってのおじいさんとおばあさん、というと御伽噺にも登場するあの二人のことなんだろう。俗に言う、竹取の翁という老夫婦のことか。
見上げても高く伸びた竹の葉が邪魔して空なんか見えないだろうに、姫は何処か楽しそうに笑っている。
もしかしたら、懐かしんでいるのかもしれないと、そんなことを思う。
姫が翁に出会ったのは竹林だ。竹取を生業にしていた彼が光る竹の中から姫を見つけ、御伽噺は始まるのだから。
その通りなのだとしたら、きっとこういった場所で二人は出会ったに違いない。
「あの二人が私を見つけたとき、本当の子供みたいに可愛がってくれたわ。
最初は、血の繋がらない上に竹の中にいた怪しさ満点の子供に、どうしてそこまで愛情を注げるのかと不思議だった。
けれどね、きっとこういうのは理屈じゃないのよ。
子供は無邪気で世界を知らず、けれど限りない未来の可能性に満ちている。
活発な子供もいるでしょう。内気な子供もいるでしょう。もしかしたら、病気がちで外に出られない子供もいるかもしれない。
でもだからこそ、年長者がその子を守ってあげないといけない。導き、背中を押して応援してやらないといけない。
悪いことをしたならその時は叱って、そして泣いてしまったならそっと優しく抱きしめてあげればいい。
こんなことを考えるようになったのも、きっとおじいさんとおばあさんのおかげなんだろうけれど」
いつになく饒舌な言葉が、私の耳にすんなりと入り込む。
「らしくないわね」なんて苦笑して、姫は私の頭をぐりぐりと撫でてくる。
少し痛いと思ったけれど、きっと照れ隠しなんだろう。言ってる途中から恥ずかしくでもなったのか、よくみると姫の頬が薄っすら赤みを帯びていた。
少し、驚いた。
いつになく饒舌な姫もそうだけど、こんなに昔のことを……特にお世話になったという老夫婦の話をする彼女が、なんだか珍しかったから。
いつもはその時の事を聞いても、適当にはぐらかされて終わりだったのに。
今なら、少し聞いても大丈夫かな? なんていう思いが湧き上がるのを止められない。
だって、姫は決まって御伽噺で語られたこと以上の話をしてくれないから、どうしても当時の話が気になってしまうのだ。
黙して語らずなどではなく、飄々と思わせぶりな口ぶりで期待だけさせて、結局うまくはぐらかすからなおの事たちが悪い。
「そんなに子供がお好きなら、どうして結婚とかなさらなかったんですか? 貰い手には困らなかったでしょうに。
結婚して子を産んで、とかいう選択肢もあったっでしょうに」
だから、思っていたことはすぐに口をついて出てくれた。
実際、姫の有名な逸話はやっぱり五つの難題。数多の男性から求婚を受けていたのだから、同じ女性としてはやっぱり気になることだった。
すると、姫は別段答えを渋るでもなく、いつものような気軽さであっさりと。
「そりゃ、あの連中じゃ私の伴侶になるには役者不足もいいところじゃない」
それが当然のようにのたまったのであった。
うん、昔から姫はやっぱり姫だったんだなとしみじみと思う。
姫に求婚した男性たちも可愛そうに。あんな難題を出されても必死に探し回った彼らは、ある意味凄まじい根性の持ち主だったのか。
それを持って役者不足と評するのだから、姫のお眼鏡にかなう人物はこの先現れないかもしれない。
いつもどおりの姫の言葉。いつもどおりの姫の態度。
だからこそ、私は「それにね」と続いた姫の言葉に、一瞬、虚をつかれてしまった。
「誰かと結婚したとして、蓬莱の薬を飲んだ私は子をなせるのかしら。仮に子を産めたとして―――その子は、普通の人間として生まれることが出来るの?」
それは、まるで独白のようで、今までに聞いたことのないくらい、空しくて悲しい声色の言葉だった。
思わず姫の姿をその目に映せば、彼女は悲しげな表情で笑みを浮かべているようにも見える。
胸が……苦しくなる。そして同時に私を襲ったのは、やはり興味本位で聞くべきではなかったという自責の念だ。
蓬莱の薬は、不老不死の薬だ。不老長寿となりて病に倒れることもなく、永遠を約束される至高の妙薬。
それを作り出したのは師匠で、その開発に携わったのは姫だと聞いている。
それゆえに、完全な不老不死を得ることは実証済みだけれど、他にどのような影響が出るかわからないとも聞いた。
蓬莱の薬を服用し、不老不死になった姫が、子をなす事が出来るのだろうか?
そして仮に子供が出来たとしても―――その子がもし、薬を服用した母体から蓬莱の薬の影響を受けてしまったなら?
例えば、母体の中で成長が止まってしまい未熟児のまま産まれて生き続けていくかもしれない。
例えば、産まれて赤子のまま成長が止まってしまうかもしれない。
例えば、子供の頃に成長が止まってしまうかもしれない。
どれもこれも、かもしれないという可能性の話。
けれど決してゼロではない、ありえないと言い切れない恐ろしい可能性。
無論、普通に成長して、普通に生活を送って、普通に天寿を全うする、なんていう可能性もないではないけれど。
でも―――蓬莱の薬が生まれた子に影響を出さないと言い切れない以上、それは常について回る事実だった。
きっと、求婚の話を受けた際、姫はその可能性に思い悩んだのだろう。
結婚して、子供を生んで、幸せに暮らす。誰もが一度は思い描くような、当たり前のような幸せのカタチ。
けれど、決してゼロではない可能性が姫の脳裏に浮かんで、そして悩ませたんだ。
怖かったに違いない。恐ろしかったに違いない。
勝手な想像だけれど、だからこそ姫は五つの難題を持ち出したのではないのだろうか?
ふと、歩みを進めていた姫の足が止まる。
私も、姫の歩みに合わせていた足をぴたっと止めて、ただ静かに目を瞑る彼女の姿から視線をはずせない。
なんとなく気まずい。けれど、何を言葉にすればいいのか、何を思えばいいのか、それすらもわからない。
思考がぐちゃぐちゃで、考えがうまくまとまってくれなくて、自身を不甲斐なく思う。
こういうとき……師匠なら、なんといって彼女を励ますのだろうか。
考えて見たけれど、結局思いつきもしなくて、自分が情けなくて、泣き出してしまいそうだ。
「おじいさんとおばあさんがね、私のことを良く可愛がってくれた。そりゃもう、目に入れても痛くないってくらいにさ。
あぁ、私もいつか結婚して子供を作って、二人みたいに自分の子を可愛がるんだろうなって、そんなことを思った。
でもね、同時に思っちゃったのよ。蓬莱の薬を飲んだ私は、子供を産めるのだろうかって。産めたとして、その子は普通に生まれてくれるのかって。
蓬莱の薬の影響を受けて、子供も成長が止まってしまうのではないかって。
老いることも死ぬこともない。それはとても素敵なことに聞こえるけれど、結局それは「生」という名の牢獄よ。
痛みが消えるわけじゃない。怪我をすれば痛みもするし、死ぬような怪我を負えばそれ相応の痛みが襲い掛かる。気が狂いそうなくらいの激痛ってやつが。
それに何より、不老不死は人との出会いを億劫にする。いずれは必ず死別してしまうから、自然と人とは一緒にいられなくなるし、姿かたちの変わらない人間は爪弾きにされる。
そんな思いを―――子供にさせるには、あまりにも忍びないじゃない」
それは、私に向けた言葉だったのか。それとも、自分に言い聞かせるための独白だったのか。
一陣の風が吹く。竹の葉が風に煽られてざわざわと音を立て、静寂の中で合唱しているみたいだった。
姫は、懐かしむように静かに眼を閉じて、ただただその合唱に耳を傾けているようにも見える。
言葉が、思いつかない。うつむいて、なんて迂闊なことを聞いたんだろうと自分を責めた。
どうして気がつかなかったのだろうか。少し考えればわかることだったのに、どうしてこんな質問をしてしまったのだろうか。
姫が―――こういった悩みを抱いていたのだと、どうして想像ができなかったのか。
あぁ、もう。本当に、自分の間抜けさが嫌になる。
ふと、頭をくしゃくしゃと撫でられる。
うつむいていた顔を上げれば、姫がくすくすと笑って私の頭を撫でてくれていた。
いつも通りの姫の笑顔。無邪気で陽気な、姫のいつもの笑顔が、そこにある。
「なぁんて、冗談よ。言ったでしょ、私に求婚したやつらはドイツもコイツも私の伴侶になるには役者不足だったって。
結果的に、私は全員をふって月の使者に連れられて、御伽噺は終わりを告げたわけよ。
だから、そんなに暗い顔しないの。アンタは何も間違ったことなんて聞いてないんだから」
悪ふざけが過ぎたわねぇ、なんて言葉にした姫の笑顔は、何処までも眩しかった。
なんでもないことのように言って、辛いと思っているはずなのに、ソレを微塵も表に出さないその笑顔が。
話の端々から、姫が老夫婦を慕っていたことが伺える。
その老夫婦とは死別しているはずだから……、姫も親しい人をなくしているはずなのだ。
御伽噺には、かぐや姫は蓬莱の薬を残したと伝えられている。
ソレはもしかしたら……勝手な想像だけれど、姫はその老夫婦にもう一度会いたかったのではないのだろうか。
真実は、姫の心の中だけ。確認することは、もう出来そうにないけれど。
「さ、帰りましょう。きっと永琳も首を長くして待ってるわ」
すっかりいつもの姫に戻って、彼女は私にそんな言葉を投げかけてくる。
強がりでもなんでもない、ソレが当たり前のような態度の彼女を見る限り、ある程度の折り合いはつけているのかもしれない。
千年以上も生きているのだから、当たり前といえば当たり前なんだろうけれど。
でも、私は……。
「ねぇ、姫。手、握ってもいいですか?」
私の言葉に、姫は不思議そうに目を瞬かせている。
キョトンとした様子の姫がかわいらしくて、ソレがなんだか可笑しくて、私は鬱屈な気分を払拭して自然と笑うことが出来た気がした。
「ほら、私はウサギで姫のペットなんですよ。いうなれば私は血は繋がらずとも姫の子供みたいなもんです。
だから、今日ぐらい、手をつないで帰ったって罰は当たらないでしょう、『お母さん』」
我ながら、滅茶苦茶なこじ付けだと思う。いうなれば、とんでもない屁理屈だ。
師匠がこの場にいたのなら、鼻で笑っちゃうようなトンでも論理。ほら、現に姫だってぽかんとした様子で私のことを見ているじゃないか。
姫が、子供を好きだということを初めて知った。
姫が、自身が子を産めない事を悟って諦めているのだと、思い知らされた。
なら、私に出来ることは何だろう。私に出来る最善は何なのだろう。
結局私が思いついたのは、私が姫の子供になるなんて、そんな代わり映えのしない屁理屈だったわけだけれど。
正直、ちょっと……いや、ものすごく恥ずかしい。
顔が熱にうなされたように熱くなったのが実感できる。しかし、我ながら凄まじいことを口走ったんじゃなかろうかと背筋が凍る。
まったく、熱くなるのか冷たくなるのかどっちかにしてほしいよ、私の体。
けれど、私の心配なんて何のその。姫はクスクスと可笑しそうに、なんだか嬉しそうに笑ってくれて、頭を優しく撫でてくれた。
その手のひらの温かさが心地よくて、私はすぅっと目を細めてしまう。
なんだか、余計に恥ずかしくなった気がしないでもないのは、この際目を瞑ろう。
「なるほど、いつの間にか私にも娘が出来てたわけだ。確かに、親子は手をつないで仲良く帰るものよね。今度、あの人達の墓前に報告しないと」
そう言葉にして、彼女は手を差し出してくれる。
あの人達というのは、きっと老夫婦のことなんだろうなと理解した。
そう思いながら、私は姫の手を取った。温かくて、思いのほか小さな手のひらが、私の手のひらと重なって、きゅうっと握る。
まるで、お互いの体温を確かめるように。お互いの心に触れ合うように。
ふと、あの時の光景がフラッシュバックする。
帰路に着く老夫婦。子供をつれて老夫婦に歩み寄る母親と、老夫婦に抱きつく幼い子供。
けれど、あの時と少し違う。
老夫婦が見たこともないおじいさんとおばあさんで。
歩み寄る母親は他でもない姫様で。
老夫婦に抱きついているのは、幼い頃の小さな私だった。
ありえるはずのない、そんな幻視。
終いには師匠やてゐ、久しく顔を見ていない依姫様と豊姫様も混ざり、オマケに妹紅や慧音さんも現れてなんだかとんでもない光景になりつつある。
けれど、その光景はただ幸せそうで……誰も彼もが、そこで笑いあっている。
いつの間にか閉じていたらしい視線をあける。
もう、あの光景はかけらも見えないけれど、この手の暖かさが消えていないなら、それで満足だ。
うん、前言撤回。やっぱり私は、寂しがりのウサギだったみたい。
「帰りましょうか、鈴仙」
「はい、姫」
「もう、そこは『お母さん』でしょ?」
「ふふ、そうでした。それじゃ、二人っきりのときはお母さんって呼んじゃいます」
お互い笑いながらつむいだ言葉に、姫は「よろしい」と満足そうに肯いて歩き出した。
私もその笑顔につられるように、姫の歩幅に合わせて歩き出す。
そして、彼女が振り返る。いつものような笑顔とは違う、どこか照れくさそうな笑顔で。
「ありがとう」
と、ただ一言。そんな言葉をつむいでくれた。
「どういたしまして、『お母さん』」
笑顔を浮かべてそんな答えを返すと、私達は二人してくすくすと笑って歩き出した。
永遠亭はもうすぐそこで、そうしたら二人っきりになる時間は中々作れないだろうから、次にこんな風に母と子になれるのはいつになるだろうか。
でも、それでいいのだと思う。今の私達には、きっとこのくらいが丁度いい。
臆病なウサギと御伽噺のお姫様。
奇妙で屁理屈で繋がった無理やりな親子だけれども。
そういった関係でも、愉快で楽しくて、素敵だと思わない?
少なくとも私は素敵だと思う。
もう独りになりたいなんて、そんなことを思わないぐらいには。
其処には予定の時間に帰ってこない鈴仙を心配し様子を見に来た師匠がこの様子を目撃して鼻血を噴出している姿が!!
ごめん、素直に反省する。
いやいや、師匠はきっとカメラで二人を激写しながら鼻血を噴出しているに違いない。
んで師匠。某パパラッチな烏天狗さんから何の写真を受け取ってんですか?つか、興奮しすぎですってヴぁ・・・・・・。
姫様と鈴仙の組み合わせが好きとしてはたまらないです
永琳師匠はてゐさんと一緒に姫さま達の帰りを健気にお待ちして居る、と幻視してみます。
どうか幸せになってほしいものです。
ええ、良い話でしたとも
全然ありです
だからこそ永琳たちも仕え守ろうとするんだろうな。
当然だ、異論は無い!!
いいね。凄くいい。
それはそうと鈴仙の尻を撫でたガキ、その手を舐めさせろ。いや、お願いします。
平坦ではない人生を経験してきたからこそ、またそれを乗り越えたからこそ出せる重みがしっかりと伝わってきました。私もこういった作品を書けるようになりたいものです。
ああ、幸せな気分になれた。
>36 母乳溢れる……
(・∀・)人(・∀・)ナカーマ
やっぱり、姫様は母性溢れるカリスマが似合う!
切なさはあった
でもそれを大きく包み込んでくれる温かさもあった、とても優しいお話でした
ありがとう
暖かくて素敵な話を読ませていただきました。
あぁぁあああ、俺もうマジで永遠亭行って一生姫様のために働きたいわ