妖忌が容器になってから、どれぐらいの時間が経つだろう。
数えていないから、正確な時間は分からない。それでも、さほど経っていないはずだ。なにせ、まだ慣れていないのだから。
魂魄の中でも抜きんでた実力を持っていた祖父。
厳しくもあったが、何かが上手くいった時は必ず褒めてくれた祖父。
そんな祖父が着払いの宅急便で送られてきた時は、不覚にも目頭が熱くなった。安っぽい段ボールに張り付けられた伝票には、備考の欄に妖忌の二文字。誰か疑いを持たなかったのかと、思わず問いつめたくなった。
「師匠……」
テーブルの上には、すっかり物言わぬ妖忌の姿がある。半透明の蓋は固く閉ざされており、そこから声が漏れてくることはない。むしろ漏れてきたらホラーであり、その場合は真っ先に焼却炉へ放り込もうと妖夢は決めていた。ホラーは苦手なのだ。
壊れ物でも扱うように慎重な手つきで妖忌を持ち上げ、向こう側を透かせてみる。この光景で容器を祖父に置き換えたら夜も眠れなくなるところだが、生憎と妖夢の想像力はそこまでたくましくなかった。
何度見ても、容器は容器だ。
「信じたくはありません。ですけど!」
百円ショップで売っていそうな容器から放たれる気迫は、紛れもなく魂魄妖忌のものである。稽古の際には何度もこの気迫に負け、膝をついてきた自分が言うのだから間違いない。
断言してもいい。この容器は妖忌なのだ。
だとすれば、彼に何があったのか。
想像はできない。したくもない。どうすれば、人間が容器になるのだ。
幽々子の友人である紫ならば、これぐらいの芸当は簡単にできる。だが、果たしてこんな意味のないことをするだろうか。
うん、する。あれは絶対にする。
確信を持って言えた。
容器になった妖忌を抱え、一度は八雲邸へ乗り込んだこともある。容疑者の紫は眠そうな顔で目を擦り、容器になった妖忌を見て大爆笑していた。
その反応だけで、彼女の仕業ではないことが分かる。もしも首謀者であるならば、素知らぬ風を決め込んで余裕綽々の態度をとるはずだ。
馬鹿笑いしているということは、彼女ですら予想していなかったということ。
あるいは主の幽々子が犯人かとも思ったが、そんな能力を持っているなどと聞いた事はないし、彼女もまた妖忌を見て大爆笑した一人である。
「どうすれば、いいのでしょうね」
祖父を置き、庭を見た。
わびさびを勘違いした幽々子がワサビを植え始めてから数年。枯山水の見事な庭は、すっかりワサビ農園へと模様替えしていた。
砂利は沈み、大量の水が庭を占拠している。
「あら、まだ悩んでいたの?」
古くさい木箱を抱え、西行寺幽々子が部屋に入ってきた。
「そう簡単に納得できることではありませんから」
「頑固なことね。明太子でも食べて落ち着きなさい」
そう言って、箱に詰まった赤々しい明太子を見せつける。
重ねてきた年期の違いか、幽々子はあっさりと容器の妖忌を受け入れた。長年生きていれば、これぐらいの事があってもおかしくないだろう。そういうノリのようだが、いくら何でも非常識が過ぎる。
祖父が容器になって尚、平常心を保てるほど妖夢は達観していなかった。
「紫が送ってきてくれたのよ。どう、妖夢?」
「いえ、結構です。私はこれから、里の方へ行く用事がありますから」
元に戻す方法はないのかと、稗田や上白沢の書庫を漁ることだって多い。成果が全く出ていないことは、何に付けても腹立たしいのだが。
しかし諦めてはいけない。
人間だった頃の妖忌は言っていた。剣も何事も、諦めた時点で終わりを迎えるのだと。
挑み続ける限りは、達成できる可能性だって残っている。
だとしたら、自分に諦めるという選択肢はない。
決意を新たにし、再び容器の祖父へと向き直る。
呆れた顔の幽々子が、祖父に明太子を押し込んでいるところだった。。
「おじいちゃんに明太子詰めちゃ駄目ぇ!」
悲痛な妖夢の叫びが、白玉楼に木霊する。
辛子明太子の侵略から逃れ、何とか祖父を容器としての宿命から救ったものの、幽々子からのお叱りを免れることは出来なかった。
そも、悪いのはどう考えても幽々子。何故自分が叱られなくてはならないのかという疑問もあるが、主従とは時に理不尽な問題を抱えているのだから仕方ない。
「妖夢、あなたが持っているのは何かしら?」
「師匠です」
「そうね。でも、容器でもあるわよね」
「で、ですがそれは……」
言い訳じみた弁解は、幽々子の鋭い眼光によって封じられる。
「容器でもあるわよね?」
「……はい」
現実を直視するならば、確かに祖父は容器である。その点に関しては妖夢も認めるしかない。だからこそ、この現状を何とかしようと足掻いているわけなのだから。
明太子を詰めようと持ち出した箸が、祖父に向かって突き出される。はしたない行為だけれど、今の妖夢にそれを指摘するだけの余裕はなかった。
「問うわ、妖夢。容器としての生き甲斐は何かしら?」
考えるまでもない。食器ならば料理を盛ること、グラスならば飲み物を注がれること。
しからば、容器の生き甲斐とは。
「料理を詰めてもらうこと、ですか」
「その通り。剣士としての魂魄妖忌には、何か他の生き甲斐があったでしょう。しかし、今はただの容器。であるならば、明太子を詰めてこそ容器として浮かばれると思わない?」
祖父が喜ぶのならば、妖夢としても断る理由などない。
ただ、心のどこかで警鐘が鳴っているのだ。これで料理を詰めようものなら、妖夢自身も祖父を容器として認めたことになるのではないかと。祖父はもう二度と、あの凛々しくも格好良い姿に戻ってくれないのではないかと。
沈黙を貫く妖夢は、主の質問に答えることができなかった。
「私は何も、いい容器がないから言ってるわけじゃないのよ」
「それは嘘でしょう」
「妖忌の為を思えばこそ、明太子を詰めるべきなのよ」
あっさりと無視されたが、今朝から幽々子は何度も言っていた。明太子を詰める容器がないのだと。
「明太子用の容器でしたら、今すぐにも相応しいものを買ってきます。ですから、どうぞ師匠に詰めることだけは勘弁してください」
「あら、それだったら買ってきた容器を妖忌の妻にすればいいじゃない」
「おっしゃってる事の意味がわかりません」
大体、妖忌にはれっきとした妻が存在している。間違っても、それは容器などではない。
「名前は容器妃」
「それが言いたかったですね」
「容器妃にはライチを。妖忌には明太子を。これで全てが丸く収まるわ」
「食い合わせ的にも最悪だと思うのですが、幽々子様」
食べたことがないから必ずしも悪いとは言い切れないものの、問題はそういう事じゃない。今にも披露宴を催しそうな幽々子を説得し、里で新しい容器を買ってきた。
幽々子は多少の不満を見せながらも、渋々明太子を詰め始める。
これで当分は幽々子も大人しくしてくれるだろう。
そう願った。
お伽噺にはよくある話だ。
王子が悪い魔法使いに呪いをかけられ、人間以外のものへ姿を変えられてしまう。大概は姫のキスで元の姿に戻るのだが、生憎と実践するわけにはいかない。大体、どこにあるのだ、口が。
パチュリーも、慧音も、阿求も、永琳も、幻想郷の知識人と呼ばれる者達を回っても成果は何一つとして得られなかった。同時に、首謀者らしき人物も分からない。
博麗の巫女ならばお祓いか何かで元に戻してくれる可能性もあるが、それよりも異変だとか言って退治される可能性の方が遙かに高かった。容器になって無抵抗な祖父。襲われたら確実に無機物のまま死んでいくことだろう。
万事休す。
諦めが妖夢の心に過ぎり始めた時のことだった。
『妖夢よ……』
はっ、と顔をあげる。その声は紛れもなく、祖父のものに相違ない。
「師匠! どこですか!」
『ここにおるではないか、妖夢よ』
分かり切った質問だ。最初からそうだと知っていたのだから。
声を発していたのは容器だった。
「師匠! 何故そのような姿に!」
『話してやりたいが……その前に儂を電子レンジでチンするのだ』
「はぁ? 何故ですか?」
『話を聞きたくば、言うとおりにせい』
「わ、わかりました」
言われるがままに、祖父を電子レンジの中へ放り込んだ。
人体に影響はないのかと心配をしたものの、今は容器。さして問題はないだろうと、躊躇いつつもボタンを押す。
オレンジ色の光に照らされながら、祖父が皿と一緒にぐるぐる回る。
『儂は容器。ゆえに、容器としての本懐を遂げている間だけこうしてお前と話すことが出来る。先程のはあまりにお前が苦しんでいたから、力を振り絞って話しかけただけよ』
「そうだったのですか」
だとしたら、素直に明太子を詰めた方が良かったのかもしれない。祖父の話が正しいのなら、それで喋りだしてくれたのだから。
「それで師匠。一体、誰がそのような姿に変えたのですか?」
『妖夢よ、勘違いをしてはならぬ。儂はな、望んでこの姿になったのだ』
「なっ!?」
可能性としては残っていても、それだけは有り得ないと除外していた。誰が好きこのんで、容器などに成りたがるものか。
破滅願望や自殺願望のある者だって、容器になろうとは思わない。
だからそれだけは絶対に有り得ないと思っていたのに、祖父は語るのだ。自らが、どうして容器に成ろうと思ったのかを。
『思えば、魂魄流の極意。お前には教えず消えてしまったな。半人前で全てを悟れというのも、今にして思えば些か酷な話であった』
幽々子の話によれば、祖父は流浪の旅に出てしまったらしい。更なる強者を求めての武者修行だと言うのだが、生憎と妖夢は別れの姿を見ることはできなかった。
当時はどうして黙って置いていったのかと、恨みさえしたものだ。
『だが、今こそ教えよう。旅路の果てに、儂が至った魂魄流の極意。別れてから数十年。お前も多少は成長したようだしな』
唾を飲む。
いくら剣を振るえども、いくら妖怪を倒そうとも。
決して至ることのできなかった魂魄流の極意。
それがいま、妖夢の手が届く範囲まで訪れている。
緊張している自分を自覚しながら、相変わらずグルグルと回る祖父の話に神経を集中する。
『魂魄流の極意、それは容器じゃ!』
冷蔵庫から卵を取り出し、レンジを開き、祖父の隣に置いた。
「すみませんが、師匠。聞こえなかったのでもう一度言って頂けますか?」
『だから容器なんじゃって! いやこれ本当だから! 駄目! ボタン押しちゃ駄目! 卵破裂しちゃう! おじいちゃん卵まみれになっちゃうから!』
「ご存じでしょう。私、冗談はあまり好きじゃないんです」
無慈悲にボタンは押され、卵は見事に爆発した。
黄身と白身でまみれた祖父だったが、言うことは変わらない。
『だから容器なんじゃって。ほれ、儂とか容器になってるじゃん』
「砕けた口調で言われても駄目です。大体、何ですか容器って。そんな極意など、聞いたことがありません」
『そう言われてもなぁ……極意なんじゃし』
漫画や小説で、この類の話は何度も登場したことがある。大抵、極意というのは口伝で全てを伝えられるものではない。
師匠から何か意味不明の助言を頂き、それを元に自分だけで辿り着くものだ。
だからある程度の不可解さは許容するつもりだったけれど、容器とは冗談が過ぎる。主婦の極意を聞いているわけではないのだ。
「いい加減にしていただかないと、次はアルミホイルを入れますよ」
『そんなことしたら、儂痺れちゃうじゃん』
「嫌でしたら、本当の事をおっしゃってください」
『妖夢よ』
砕けた口調が一転して、真剣なものへと変わる。普段の稽古でよく聞く声に、思わず背筋が伸びてしまう。
『儂は冗談を言ってるつもりなどない。魂魄流の極意とは容器。その証拠として、儂も容器になっておるではないか』
「つまり、魂魄流を極めたら容器になると?」
『然り』
さも当然だとばかりに断言される。
「だったら、私は魂魄流など極めません。容器になんて、なりたくありませんから」
『馬鹿者が!』
台所に響き渡る、祖父の怒声。何度もこの声に圧倒されて、言葉を失った数も両手だけでは数え切れない。
例に違わず怯んだ妖夢だったが、すぐさまアルミホイルをレンジの中へと放り込んだ。
『怒鳴ってすいませんでした! だからその、勘弁してください!』
どう考えても容器になって弱点が増えたと思うのだが、これが本当に極意なのか。
吸血鬼あたりは弱点が多くても、自らが最強の種族だと誇れるだけの能力がある。しかし、容器にはそれがない。
悩みつつも、妖夢はしっかりとボタンだけは押しておく。
『おぉ、衣玖さんと添い寝してるみたいじゃん』
割と余裕があった。
「教えてください、師匠。あなたのその姿が、本当に魂魄流が至った結論なのですか」
『如何にも』
「烏賊ですって」
日本語の難しさを再認識しながら、幽々子にはご退場を願った。この場に居てもいいのは、魂魄流に連なる者達だけである。
『ただし、妖夢よ。お主は一つだけ勘違いをしておるようだな』
「勘違い、ですか」
『容器になることで強くなれるわけではない。大事なのは容器を振るう者だ』
「容器を振るう者……」
『それこそが魂魄流の至った結論。刀を捨てるのではなく、刀の代わりに容器を持つのだ!』
ともすれば主婦になれと言われているようにも聞こえる。
だが、そういう事ではないのだろう。
祖父を取り出し、刀でそうするように構えてみた。
すると、どうだろう。
身体中の筋肉が引き締まったかのように目覚め、心の底から闘志が湧いてくる。
今ならば軍神も、鬼も、花の妖怪だって倒せると豪語できるだろう。
「これが、魂魄流の極意!」
武器が一つという事に不満はあるものの、そちらは容器妃で代用すればいい。
容器が二つ揃ったならば、もう妖夢に敵などいなくなる。
どんな食材でも、料理でも、躊躇わず詰め込むことができるだろう。
今ここに、妖夢は魂魄流の全てを極めた。
若干、精神が容器に引っ張られてはいたけれど。
白玉楼の階段は長い。どこまでこれが続くのだろうと、咲夜は半ばうんざりしていた。
いつまで経っても寒さが衰えず、ようやく主犯格に辿り着こうかという時。ただ長いだけで芸の無い階段には、もう嫌気が差していた。どうしてこうも、ラスボス前の通路というのは無駄に長かったりするのだろう。
白い溜息をつきながら飛んでいると、先程現れた謎の剣士が再登場してきた。
曰く、彼女こそがこの異変の実行犯であるらしい。だとすれば、やるべきことは一つだ。
こんな寒い思いなど、今日だけで充分なのだから。
「この私のナイフは、幽霊でも斬れるのか?」
脅しじみた言葉にも、剣士は怯む様子がない。
この程度の修羅場、幾つもくぐり抜けているということか。見た目からは想像できないけれど、かなりの経験を積んでいるらしい。
だとすれば油断ではない。
警戒を強める咲夜に対し、魂魄妖夢は高らかに宣言するのだ。
「師匠が至ったこの容器に、詰められぬものなど全く無い!」
……と言ってもいいでしょうか。良い意味で。
脳みそに何味噌を混ぜたらこんな発想が出るんですか、一体。
方向こそ異なるが、あんたはチルノちゃんに匹敵する馬鹿だ。違いない
一体どうやったらこんな発想がでてくるんですかw
さらに攻撃は続く
次は見た目に注目するのだが
白楼剣はただのひょろっとした弱そうな形
あれで斬られてもあまり痛くはない
しかし容器は詰め込める部分が多くあの部分でさらに敵に致命的な致命傷を与えられる
色も魂魄っぽいのでダークパワーが宿ってそうで強い
取り敢えず、壱行目の破壊力は抜群でした。
一体どうすればこんなすごい発想がww
誰の夢ですか? てか夢であってくれww
ちゃんと通院してますか?
こんなに素晴らしい変換辞書をお持ちあるのですから
でも容器になった妖夢なら使ってみたいかも!
が見事にツボったw
でも、ときどきぶとんで分からなくなります
ただ、ずっと盛り上がってた分、ちょっとオチが弱かったかなって思った。
あくまで自分はだけど。
一行目にもうやられてた。
おじいちゃんに明太子、とそのおじいちゃんとのレンジ越しの語らいが良いですね。
www
素直に笑えるいい作品だw
GJ!
予想斜め上を行く作者に脱帽。
たのしかった!
ありがとう!
涙が溢れてうっかり感動巨編に見えました。
ああ、魂魄流は奥が深いなぁ
ここで死んだ。
よし、ちょっと魂魄流極めてくる。
↑(何も言うことはない、ただこれだけだ)
これがふくということなのか
あなたって人はどうしてこんなんを書けるんだw