謳うようにさえずる小鳥の鳴き声でも、花の萌る匂いでもなく。
湿っぽい土の香り。
おぼろげに覚醒した意識がまず気付いたのは、それだった。
鳥も花も自己主張をしていないことに違和感は感じない。むしろ当然のことなのである。
なぜなら、今目覚めた彼女こそが、その舞台の準備が調ったことを、伝える役目を持っているのだから。
「幻想郷のみなさーん!」
冬の間使っていなかった身体と喉。途中で声が嗄れるようなことは、ないようにしたい。
だから準備運動の代わりにも、まずは景気よく一声。
「春が…………」
ぐぐっと溜めて……、気合い、一発!
「春が、きましたよーっ!」
彼女の名は、リリーホワイト。幻想郷に数多くいる妖精の中でも、
『春の訪れを告げる』
という特徴から皆に親しまれている、名物妖精である。
◇◇◇◇◇◇◇◇
あけましておはようございます。
「春ですよ-」で毎度おなじみ、リリーホワイトですよ-。
……え? あいさつがおかしい?
でも冬の間は爆睡してる私にとってはこんな感じなんですよね。
目が覚めたら、もう年が明けてる!?、みたいな。
ふふふ、今年は喉の調子もいいし、覚悟するですよ。何をかは私も知りませんが。
おととしの春喉が痛くて、黙って弾幕るしかなかったストレスというものが、
こう、ふつふつと溜まっているのです。うふふふふ。
……去年ですか?
去年もなんだかんだで異変っぽかったので、
皆さん、春どころじゃなかったみたいなんですよね。
というわけで、今年は挽回の年なのです! はりきって行きますよー!
◇◇◇◇◇◇◇◇
まずは、吸血鬼さんの紅いお屋敷に行ってみましょう。
このあたりは、側に湖があるせいか気温が上がりにくいので、
毎年、草花に春が伝わるのが遅くなりがちです。
そういうときのためにも、私がいるわけです。えっへん。
あ、見えてきました。メイド長さんが外にでてますね。
吸血鬼さんは、今の時間は寝ているのでしょうか?
メイド長さんは、吸血鬼さんが起きているときはずっと側に控えていて、
寝たらその間に他の仕事をこなしているそうですよ。
働きすぎなんじゃないか、って心配になりますよね。
ちょっと声をかけてみましょう。
「春ですよー」
「……え……?」
……あれ? メイド長さん、反応がにぶいです。
「……ああ、春になったみたいね。こんなに暖かいし」
な、なんだか、暗いです。周りの空気がどよんでます。
もしかして本当に疲れが溜まっているんじゃないでしょうか……。
「……雪だるま」
「はい?」
「雪だるま……お嬢様と……楽しみにしてたのよ……
急にこんなに暖かくなるなんて……………………………はあ…………」
「はあ……」
どうやら今年の春の訪れはいつもより急だったみたいですね。
冬の間に出来なかったことが残っていたのでしょうか?
よく分かりませんが、とりあえずお疲れなわけではないようですし、
なんだか居たたまれなくなってきたので、この辺で失礼しましょう……。
◇◇◇◇◇◇◇◇
なんだか出端をくじかれた感がありますが、まだまだ先は長いです。
はりきって行きましょう。
さて、次は……
びゅんっと飛んで、人里のそばまで来ましたー!
訪れる順番なんて気にしません。
来るもんは来る、遅くても早くても来る。それが私くおりてぃー。
あ、そういえば、去年の春の異変の時にできたお寺が近くにあるらしいですね。
ごあいさつの代わりに行ってみましょうか。
え? どこで知ったのか、ですか?
ふっふっふ、「ニュークリアーはダテじゃない!」とだけ言っておきます。
……や、ようするに、さっき擦れ違った空さんに聞いたんですよ。
皆さん、空さんのことを「お9」とか「鳥頭」とか言いますけど、
そんなことないんですよー?
正直に言うと、私も空さんのこと、
「『うにゅ』しか話せないんじゃないか」
とか思ってました。ごめんなさい。
……さすがに本人には言えませんけどね。
っと、そんなこんなでお寺らしき所まで来ましたけど……。
……あれ?……本当にここで合ってるんですか……?
なんだか、古びてます。べりっしも古びてます。
本当に去年建てたお寺なんでしょうか。数百年レベルで古いですよ、こりゃ。
霊夢さんの神社ですらこんなに古さびてないのに。
……ああ、あの神社はちょっと前に建て直したんでしたっけ。
でもやっぱり見たことのない建物だし……あ、表札(?)発見。
『命蓮寺』、ですか。やっぱりここみたいですね。
おじゃましまーす。
なんだかやけに静かですねー。参拝しているひとも居ないみたいですし。
でもこのほうが逆に『お寺』って感じがします。
「春ですよー?」
反応、ナシ。誰もいらっしゃらないんでしょうか?
横から建物のうらにまわれるみたいですが……。勝手に入ったらマズいですかね。
まあ、誰もいないとどーしょーもないので、突撃・お寺の裏庭!
………なるほど、裏に縁側があるんですね。
ちゃんと日当たりが良い方角を向いてますよー。
こりゃあ、お昼寝大好きにはてんご……く……
トラ――――――∑(゜∀゜)――――――!?
……ごめんなさい、取り乱しました。
トラじゃないです、ひと(?)でした、トラみたいなひと。
このお寺のひとなんでしょうか? すごく豪華な服を着てます。
この黄色×黒っぽい服がトラに見えたんですね……。
髪の毛も黄色いですし。
なんだかお寺の古さと正反対にきらびやかです。服とか雰囲気とか。
もしかして、このお寺で一番えらいひとだったりするんでしょうか……。
で、その豪華な服のままお昼寝していらっしゃるんですが、縁側で。
このひとがこのお寺のシエスタ担当なんでしょうかね。
その他のシエスタ同盟の方々と、寝てちゃダメそうなところとかがそっくりです。
「ぐるるうぅぅ、がおっ」
「ふひゃあっ!?」
「…………くうー、すー……」
寝言ですかあーっ!
ホントにトラなんじゃないでしょーか、このひとは。
しかし、それにしても……
「…………」
「……すー……ふー……ふがうっ、……くー……」
……あれですよね。こういう無防備なひとって、悪戯したくなりませんか。
なんと丁度いいことにこのひとのほっぺた、やわらかそうです、ふにふにしてそーです。
どれ、ちょっと味見を。ふっふっふ……
「戻りましたよご主人…………何処にいるんだい? おーい、ご主人さま-?」
うおうっ!?
嘘だッ! 何故このタイミングで誰か帰ってくるんですかっ!
……ううっ、しかたないのでここは撤退です。
しかし、このリリー。例え敗走だとしても春を伝えることは忘れません!
「ご主人?何処に……まったく、またなのか、君は……起きてくれ、ご主人。おーい」
「ふが……がうっ」
「君はトラか。……ああ、そういえばトラだったな。
……じゃなくて、おいご主人様。いいかげん本当に起きてくれ」
「むえう……? あ、ナズーリン……? おかえりなさい……?」
「ああ、そうだよ。今、おつかいから帰ってきたところだから。目を覚ましてくれ。」
「むう……? 少し前から誰か居た気がするんですが……」
「そう気付いていながら寝ていたわけか、君は……。
まったく、お客様だったとしたらどうするつもり……」
「はーるーでーすーよー!」
「……だといいたいところだが、あれっぽいのでとりあえず不問としようか」
「『春』、ですか……? 妖精のようですが、見かけたことがないですね……。
何か知りませんか、ナズーリン?」
「春、か……。あれのことかは定かじゃあないが、
幻想郷には『春を告げる』妖精がいると、聞いたことがある」
「春を告げる? こんな早い時季から?」
「さあね。おおかた、この暖かさに誘われて、出て来てしまったんだろう。
……それはそうとして、また君はそんな恰好のまま寝ていたのか……」
「い、いや、そのですね。
縁側×あたたかい陽射しというものはクリティカルにも等しい効果がありまして……」
「そうか。君が縁側に出られなければ良いわけだな」
「ふえっ? そ、それは……」
「わかっているとは思うが、ご主人。
結界のなかには人物に対する個別認識が可能なものがあってだな……」
「ごっ、ごめんなさい、ナズーリン! 次は気を付けますから!
私だけ縁側に出られないとか、そんなの耐えられません!」
「はあ、まったく……威厳とかそういうものを考えないのか、君は……」
……どうやら、春の陽気に誘われてのお昼寝だったみたいですね。
春を感じてくれるひとがいると、私もやりがいがあるというものです。
でもネズミさん。
出て来てしまったんだろう、って私は封印された魔神かなんかですか……。
ふむう。このあたりにはちゃんと春が伝わったようですね。
さーて、だんだん調子も良くなってきましたし、
ガンガン飛ばしていきましょう!
♪はーるがきーたー、はーるがきーたー、こーこーにー、きたー!
◇◇◇◇◇◇◇◇
「春ですよー」
「……え? ……ああ、あったかいわよねえ。なんでだろね……?」
…………? や、春なんですよ?
「春ですよー」
「おや? 気が早いんだな、おまえも」
…………はい? 春になったら出てきますよ。リリーですもん。
「春ですよぶっ!」
「なんでもー来たのよー! レティがかえっちゃうじゃない!」
「……ほらチルノ、私はまだ寝ないから、その子に当てたりしないの」
ぐ……ふ……、ま、毎年恒例の洗礼ってやつです……。
「春ですよー」
「おや、もう出てきたのかい。まあ、これだけ暖かくなれば、ねえ」
…………むう? そんなに早いですか、今季は。
「春ですよー」
「お姉ちゃん! もう春だって! 冬が終わったって!
……だから、ねえ起きてよ……お願いだから目を覚まして……一人にしないでよ……!」
「ぐえ。ちょっ、みのり、くるし、ねえ離し、て……ごふっ」
「お姉ちゃん……? い、嫌…………いやあああああああ!!」
……この二柱もそういえば毎年こんな感じでしたね。
大丈夫なのか、って? 私もそう思います、はい。
「春ですよー」
「ねえ、お母さん、スーさん。もうリリーが出てきたよ?」
「だれが母さんよ……。
……それにしても、リリーがもう、ねえ。ふーん」
幽香さん!? 何時の間にお子さんが?
……と思ったら、あの毒っ子でしたか……。
にしても、幽香さんまでどうしたんですか、春が来たのに。『ふーん』って。
ちょっとリリー、ショックですよ……。
「春ですよー」
「はれ? 今頃?
……まあ、『外』から約一週間遅れ……暖気云々よりも幻想になるまでの時間かしら?」
なんの話かはわかりませんが、春なんですよう?
「春ですよー」
「確かに……こりゃ、サボるには、いい陽……ぐう……」
あなたはいっつもサボってるじゃないですか。
「春ですよー」
「春ですよ…」
「春です……」
「春…………」
◇◇◇◇◇◇◇◇
私は……リリーホワイトは今、この世界に希望を見失いそうです……。
ていうか絶望した! 春の訪れを喜ぶ心を忘れた幻想郷に絶望した!
なんなんですか、皆さん!私を見たら春なんですよ?
なんで『今日はあったかいよね』とか『もう出てきたの?』しか言わないんですか?
誰か『ああ、もう春なんだなあ』ぐらい言ってくれてもいいじゃないですか!
けーねさんなんか『そうだな、今日はあったかいしなあ』
って言いながら頭撫でてくれただけなんですよ!?
ちょっと気持ちよかったんですから!
……間違えた、これはまだ良い方の例でした。
とにかく……
「どう思いますか霊夢さん!?」
「あんたはそんなことをわざわざ叫びに来たの……?」
「そんなことってなんですか。そんなことって」
私は幻想郷の未来を心配してるんですよ?
「私はあんたの未来の方が心配なんだけど……」
はい、出涸らしだけど、
と、いつもとおんなじことを言いつつ、お茶を出してくれる霊夢さん。
「あ、すいません。いただきます」
……ふう。霊夢さんのお茶はなんかこう、あったかいんですよ。
言わば、春巫女のいれた春のお茶。いいですねこれ。
「……じゃなくて、どういう意味ですか、私の未来が心配って」
「ふう……今日もお茶が美味しいわあ……」
「や、聞いてくださいよ」
むう、と顔をしかめる霊夢さん。
今ので流せると思ったら大間違いですよ。
「あんたもしつこいわねえ。
大体、みんな春になったらなったで喜ぶんだから、今から騒ぐ必要ないでしょうに」
…………はい?
「や、やだなあ霊夢さん。来てるじゃないですか、春」
だって、こんなに暖かいんですよ?
あれ……? なんでそんな怪訝としか言いようのない顔してるんですか……?
「……一つ聞くけど、あんた、暦表って持ってないの?」
「持ってないですけど……」
あ、今度は思いっきり溜め息をついてくださいましたよこのひと。
「……『今日は何日?』、ふっふー♪」
なんですか、それ。
「……まあ、この暖かさなら……四月前位ですか?」
「ぶっぶー」
「はあ……」
あれですか、もしかしていつもより私が出てくるのが早かったと、
そう言いたいわけですか。
「正解は……一月二十四日」
それにしたって、早い春だなー、くらいの暖かい心で……
………………え?
「ええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「―るっさい!」
なんですかそれ! 一月って! なんでこんなにあったかいんですか!?
「知らないわよ……。ていうかあんた、毎年気温だけで春かどうか判断してるわけ?」
「だって目が覚めるほどあったかかったら、普通春じゃないですか……」
「動物と変わんないのね……」
ううう……私が春を間違えるなんて……
もうここから消えたいです、ていうか誰か私を消してください。
……え? 妖精に本質的な死は無いって? 知りませんよ、そんなこと。
「……霊夢さん、これ異変じゃないですか?」
「んー、違うんじゃない? ただあったかいだけでしょ」
「いや、異変ですよ。むしろ異変ですよ。
異変てことにしてください。ていうか私が異変にします。異変起こします」
「犯人が目の前に居るところから始まる異変なんてあるか」
「ふっはっはっはー、よくぞ此処まで来た博麗の巫女。あはははは」
「ここわたしの神社だし。…………あーもう落ち着きなさい!」
「ははは……ほえ……?」
抱きしめられました…………霊夢さんに。
なんだかやわらかくていいにほいがしてはるみたいにあたたかくて……
「まったく……悔しいんだかなんだか分からないけど、
春の妖精が今からそんな顔してたら、来る春も来なくなるでしょ」
「どんな……どん、なかお、してるん……うっく、してるんですか、私……?」
わかってますよ……! 自分のことぐらい……。
「ま、悔しくてしょうがない、って顔ね」
「悔しいですよ……! 決まってるじゃないですか……!
妖精は、みんな意味が在って存在してるんです……!
私はっ、『春告精』なんですよ? 春を伝えるためにいるんです!
こんな的外れなことやって……、もし春が嫌われちゃったら……!」
……いや、それ以前に、私がみんなに嫌われるのが、一番怖い。
「ううっ、うえ、うっく……わたし、ホントにバカですよう……ふえっ、うえええぇぇ……」
「……まったく、ホントよ。馬鹿でしょ、あんた」
「ううぅ、うえぇぇ…………ふえっ?」
すこし、抱きしめ方が、強くなった気が、します。
れいむさん、日ごろぶあいそうなかんじなのに、
あったかさは太陽に負けてないんですから……ずるいです……。
「こんなことで怒ってたら、幻想郷(ここ)の住人なんかやってられないってのよ。
きっと今頃、笑い話の種になってるわ。『今年のリリーはせっかちだなあ』ってね」
「うう? ほんとですか……?」
「じゃあさ、あんたが『春ですよー』って言ってまわった時に、
『春じゃない』って怒ったひとはいたの?」
あ………
「チルノちゃんに怒られました……」
「…………あー、あれはいいのよ。事情が色々と特殊だから。それ以外で」
そう言われて、思い返してみて、初めて気付く。みんな……
「……みんな、笑って、笑顔で返してくれました……」
「ほら」
そうでしょ?
そう言う霊夢さんの顔が私なんかよりずっと春らしくて、
……ちょっぴり、うらやましくなっちゃいました。
◇◇◇◇◇◇◇◇
結局、夕方近くになるまで神社におじゃましていました。
「ああ、もう帰るの?」
「はい、そろそろおいとまします。
まだ三月もあるんだったら、寝直そうかなって」
「今度は寝過ごした、なんて言わないでよ」
「も、もちろんですよう」
あはは、そんなことになったら今度こそ異変にしてやりますとも……。
「ま、ここにも春を待ってるのが一人いるってことも覚えといてちょうだい」
ほー?
「へー、霊夢さんが。……以外ですね」
「な、以外ってなによ……別に春そのものを待ってるわけじゃなくて……」
「何を待ってるんですか?」
「ふえうっ? い、いや別に誰も待ってないし……」
おやー? 顔、真っ赤ですよ。あの霊夢さんが。これはもしや……
「ひとなんですかー。もしかして待ち人、ってやつですか?」
「だ、だれが……あいつが目覚ますの待ってるとか……」
……ふふふ、これで私にも春に目覚める理由がもう一つ出来ましたよ、霊夢さん……。
「では、霊夢さん。これで失礼しますが」
「う、うん。またね……?」
「春になったら、真っ先にここに来ますねー。
……霊夢さんの待ち焦がれてる方を見に」
「んなっ!?ちょっ、あんた、こら、待ちなさい!」
「また春にー♪」
「もう来んなー!……あ、いや、春は来ないと困るけど……」
待っていてくださいね、霊夢さん。今度こそ、待ち望むものを運んで見せますから……。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ただいまー。
はあ……まったく、初めてですよ……こんなことやっちゃったのは。
早起きは三文のとくー、なんて言いますけど、恥のかき損じゃないですか。
まあ、損ばっかりじゃなかったですけどね。
霊夢さんと、皆さんのおかげで私は今年も頑張れそうです。
幻想郷のみなさーん!
今日はごめんなさい、それと、ありがとうございましたー!
今度こそちゃんと春を運んで行きまーす!
春がやって来るその日まで。
今しばらく、おやすみなさい、大好きな幻想郷。
しかしこのリリー可愛いですね、餌付けしたい。
それはともかく、リリー可愛いよリリー
こんなかわいいふわふわガールがやって来るなんて。
羨ましすぎる…
しかしこのリリー可愛いな。リリー作品で一番の可愛い。