宴の席が開かれれば、決まって誘う奴がいる。星熊勇儀にとってそれは、パルスィとさとりの二人に他ならない。
「よぉ、元気にしてるかい?」
嫌々顔のパルスィを引き連れて、入ってきたのは地霊殿。出迎えてくれたのは呆れ顔のさとりではなく、スクラムを組みながら「デンマーク! デンマーク!」と叫び続ける三人の姿だった。
こいし、お燐、お空。いずれも顔見知りながら、こういった趣味があると聞いたことはない。肝心のさとりはどうしたとか、そもそも何をやっているのかとか。大事な質問が浮かんでは消えて、パルスィを引き連れたまま地霊殿を後にした。
「ねえ、あいつら何やってたの?」
頬を伝う液体が温かい。目を擦りながら、毅然とした態度で勇儀は前を見る。
親友と別れた時のように。あるいは、大切にしていた玩具が壊れた時のように。
割り切りたくても割り切れない気持ちが、そこにはあった。
「あいつらはな、遠いところへ行ってしまったんだよ」
パルスィは首を傾げ、勇儀は涙を隠さず歩き続ける。
もう二度と、地霊殿へ足を踏み入れることはない。
そんな確信を抱きながら。
切っ掛けがどこにあったのか、それを丁寧を教えてくれるほど現実は甘くない。伏線などという文化は二次元独特のものであり、曲がり角で転校生とぶつかることがない現実世界では、往々にしてそういったルールが破られる。
だからこいしが過去を振り返ったところで、どこにもそんな気配はなかった。絵日記に記したとしても、特に何もない一日でしたと書いてしまい、教師から創意工夫を求められただろう。
だがしかし、世の中には面白い言葉がある。即ち、中国で羽ばたいた蝶がブラジルで台風を起こすのだ。無論、こいしは中国もブラジルも知らなかった。だから言葉は知っていても、意味は全く分かっていない。多分前者は国の名前で、後半は何かの液体だ。
要するに中国という国で蝶が羽ばたけば、ブラ汁に振動が起こり蒸発した気流が台風を巻き起こす。どんな些細で無関係な風に見えても、それが原因なのかもしれないという格言だ。
姉のさとりと交わした言葉は片手で数えられるほど。そのどれかが、あるいは姉の心に何らかの変化を与えたのかもしれない。思い出してみよう。
「お姉ちゃん、おはよう」
「おはよう」
「あーっ、また目玉焼きにケチャップかけてる。醤油の方が美味しいのにって、言ったじゃない」
「こっちの方が美味しいからいいのよ」
「えー」
醤油派のこいしからしてみれば冒涜に等しい食べ方を嫌悪しながら、そのまま朝食を取り終わる。後は寝るまで姉妹の会話は無かった。基本的に二人はあまり会話をしない。
だとすれば、やはり目玉焼きの確執が姉を変えてしまったのか。一時期、幻想郷を二分化しかけたのも、そんな些細な食事の仕方が原因だったという。今となってはそれを覚えている者も減り、ただキノコタケノコ論争という言葉だけが残っている。
「こいし様……」
「うにゅう……」
姉のペット達が、不安そうにこちらを見つめてくる。つぶらな瞳をむけられたって困るのだ。こいしにだって、何が何だか分からないのだから。
朝起きて、朝食を取ろうとした。いつもと変わらぬ光景の中で、ただ一つだけ違っていたこと。
「おはよう、こいし」
不安がるペット達をよそに、眉をひそめるこいしを気にした風もなく。
「どうしたの、朝食の準備なら出来てるわよ」
「あのさ、お姉ちゃん」
こいしの指が向けられたのは、さとりの胸元。
「どうして第三の眼が閉じてるの?」
鳥除けのような目玉は、こいしのそれを真似るように目蓋を重く閉ざしていた。
姉の語り口に卑屈さが無いのは気にかかる。いや、卑屈と言ってしまえば誤解を与えるかもしれない。ほんの僅かな語彙の中で相応しい言葉を探すとすれば、それはきっと自虐的だろう。
姉の浮かべる笑みは全て自虐的であり、放つ言葉もどこか自分を責めているようにすら思う。幻想郷屈指の鬼畜だと評判にもなっている幻月が地霊殿へ訪れた際も、「この娘の身体を屈服させることができたとしても、心を折ることはできないわ。だって、最初から折れてるんだもの」と言わしめた程である。
尚、幻月はこいしをいたく気に入ったようで五回ほど首を絞められた。最後の最後には死神の姿も見えたけれど、シエスタの最中だったらしく五体満足で地霊殿へと戻ることができた。
シエスタ文化を広めてくれた紅美鈴氏には、お礼としてシエスタ女王の称号と、『この者、シエスタ中につき起こすな』というプレートを首からぶら下げておいたのだ。無意識のうちに授与したことを感動したらしく、頭を下げながら涙を見せていた。向いていた方向がメイド長だったのは、きっとそっちの方角に聖地でもあったからなのだろう。
そう、聖地だ。もとい、姉のことだ。
「気にすることはありません。私はただ、そうしたいからしただけです」
浮かべた笑顔は、目映く輝いている。此処に吸血鬼がいたならば、ものの五秒で灰と化していたのは間違いない。さしたる弱点のないこいしでさえ、うっかり気を抜けば浄化されそうな眩しさだ。驚きのあまり、ペット達は元の姿に戻っている。
「でも、心よめないんだよ?」
「構いません」
迷いなど微塵もない。問うてるこちらが間違っているのかと、錯覚してしまいそうだ。
「心をよむのが嫌になったの?」
誰に対しての質問か、自分の心がズキリと痛んだ。
覚りとは、この世で最も生きるのに適していない種族。一見するとコミュニケーションに特化しているようで、その能力は他者からすれば剣でしかない。常に剣を向けられたまま、笑顔で会話できる者がいればそれは狂人ぐらいである。
故に、こうして地下で暮らしているのはある意味では必然と言えよう。さとりも、こいしも。その事はよく理解していた。
ただ、こいしはそれでも欲したのだ。ごく溢れた、求めるまでもないモノを。
剣を捨てる代わりに、笑顔で会話できる環境を手に入れた。能力を捨てたことに関しては、欠片も後悔していない。あんな能力は有っても邪魔なだけだし、無意識を操る力も悪くはない。
唯一、後悔してる事があるとすれば姉のこと。姉は執拗に覚りの力に固執して、何度説得しても手放そうとはしなかった。まるで、それが無ければコミュニケーションが取れないと確信しているようで。
あまつさえ、こいしを説得し返す始末だ。今からでも遅くはない、すぐに第三の眼を開くのだと。武者修行をしている武闘家でもあるまいし、そう簡単に開眼などしてたまるものか。決意の元で閉じたのだから、もう二度と開くつもりなど無かった。
そんな姉が第三の眼を閉ざした。心を読むのが嫌になったなど今更の話だが、思いつくとしたらそれ以外にない。
「覚りにとって心を読むのは呼吸をするのと同じこと。私にとって、それは苦痛でもなんでもないわ」
「だったら……!」
優しい微笑み。母を思い出すその微笑みを見たのは、実に数十年ぶりのことだった。
失踪した両親のことを思い出し、代わりに育ててくれた姉への感謝の気持が沸き上がる。執拗に目を閉ざそうとしない姉に呆れていたものの、心情の大半を占めていたのは感謝の一念に尽きる。
「これは私の判断で決めたことよ。あなたが気に病む必要はないし、まして心苦しく思うことなんて無い」
だから姉にそう言われたら、こいしから返す言葉なんて無かった。こいしにとってさとりは、姉であり母なのだ。
だが疑問は疑問として残る。姉は如何なる理由で、第三の眼を閉ざしたのか。
失ったはずの力を、まさかこんな形で欲する日が来るとは。あの頃の自分には到底予想の出来ないことだし、できたとしても捨てていただろう。こんなものは能力に頼るまでもなく、自分の力で調べればいいこと。
姉に答える気が無くとも、推測するのは無料なのだから。
「分かった、もう訊かない。でも、目玉焼きにケチャップをかけるのだけは止めてって言ったじゃない」
「美味しいのよ、これ」
食べ物の確執はかくも恐ろしいもの。姉妹の絆を持ってしても、それが埋まることは永遠に無いだろう。
これだけは断言できる。
名探偵こいしの物語は唐突に始まり、そして唐突に終わりを迎えた。覚りでもなければ、他人の心情を完璧に知る手段などない。妄想なら容易いが、憶測には些かの判断材料が必要だ。
それが全く揃わないとなれば、これはもうお手上げである。早くも難航する捜査を前に、こいしがとった行動とは諦めることだった。
有り体に言おう。飽きたのだ。
無意識で生きる彼女にとって、本能とは何物にも勝る欲求。その本能が飽きたと騒ぐのだから、身体が別の方向へ向かうのは致し方ないこと。急に目を閉ざした時は驚いたものの、時間が経てば驚愕も薄れるのだ。
だから、誰一人として異変を食い止めることはできなかった。仮にこいしが捜査を続けていても、真実に辿り着くことは出来なかったのだから、ある意味では正しい判断だったと言えるかもしれないけれど。
奇怪な言動に名前を付けることなんて、学術の世界ではさほど珍しい話ではない。紅魔館の吸血鬼ばりのネーミングセンスの持ち主が巷には溢れかえり、誰か止めなかったのかと思いたくなるような名前ならごまんとあった。
姉が始めた奇行にも例外なく名前がある。
「おはよう、お姉ちゃん」
「逃げてください、こいし。今の私はあなたの姉でありながら、魔幻斎一族に追われる逃亡者。この《覚りの秘術》がある限り、あなたにも危害を加えてしまう!」
第三の眼を閉じた姉は、代償として邪気の瞳を解放したらしい。
外の世界ではそれを、邪気眼と呼んでいた。
「早く逃げなさい……私が力を抑えている間に早く!」
大仰に片腕を掴み、苦しそうにうめかれても困る。朝食は一日の始まりでもあり、昨今ありがちな集中力不足も此処から来ていると永遠亭界隈ではもっぱらの噂だ。目覚めてからいきなり空腹の修行を始まるだなんて、修行僧どもにでもやらせておけばいい。
だがしかし、姉が邪気眼だ。うぉぉぉ、などと叫びながらテーブルの上をのたうち回っている。これが魚ならば活きの良さに感心するのだが、妄想に溺れた姉だというのだからタチが悪い。
凍った空気が灼熱地獄跡の熱気に負けて、いよいよ溶けた始めた頃。こいしはようやく、どうしようか考え始めた。
「さとり様……」
「うにゅう……それが私の本当の名前?」
微妙に感染している空はさておき、心配そうなペット達をこのままにしておくわけにもいくまい。なにより、姉が暴れているテーブルには朝食が待っているのだ。器用に目玉焼きを避けながら悶えているが、それもいつまで保つことやら。
早く救出してやらないと、こいしの糖分は不足したままだ。
姉の無意識を読み取り、難なく朝食の救出に成功した。邪魔者がいなくなって枷が外れたせいか、姉の暴れっぷりは鮭から鮫ぐらいに進化している。こうなってくると邪気眼というより魚類くさい。
「いただきまーす」
トーストにレタスとベーコンを挟み、そこに目玉焼きを加えるのが最近のお気に入りだった。カリカリのトーストとベーコンに黄身が染み渡り、微かに加えた胡椒がアクセントとなって舌を楽しませる。レタスの歯触りもたまらない。
お燐にはミルクとトースト。そしてお空には少しだけ焦げたトーストを手渡しておく。二人とも好みには五月蠅く、そのくせ自分で作ろうとしないのだから困ったものだ。
現実逃避する姉から逃避するという高等技を発揮しつつ、一人と二匹の食事は無事終了を迎えた。勿論、その間ずっと姉は意味不明なことを言いながら暴れていた。
あるいは悪い薬でも使ったのかと思ったが、胸元で異様な存在感を放つ第三の眼はこいしと同じように閉じられたまま。少なくとも眼は開いていないものの、だからといって邪気眼が開くとはどういうことか。
駄洒落大会を開催しているわけではないのだ。座布団を運ぶ巫女なんて、どこにもいない。
「でも、ですよ。こいし様だって無意識を操れるようになってるじゃないですか」
お燐の言葉にも一理あった。第三の眼を閉じた副作用として、こいしは今まで操れなかった力を使えるようになった。だから、さとりの身へ副作用的な力が宿っても不思議ではない。
理屈では納得できるのだが、やはり邪気眼という要素が理解を拒む。そもそも副作用と言いながら、邪気眼には何の力も無かった。言ってしまえば思春期特有の妄想を悪化させたようなもの。間違っても覚りの秘術など伝承されていないし、魔幻斎一族なる根菜を思わせるような連中からも狙われてはいない。
ただの妄言だ。力ではない。
「ひょっとしたらだけど、お姉ちゃんはおかしくなったのかもしれない」
「さとり様が?」
首を傾げるお燐とは違い、お空は興味深そうに姉の言葉へ耳を傾けていた。あれは後で引きはがそう。二次災害の起きる確率が徐々に高まってきた。
「心を読むことでコミュニケーションをとってきたのに、それが急に無くなった。あの能力を嫌っていた私でさえ、最初はそのことに戸惑ったもん。お姉ちゃんがどういう理由で第三の眼を閉じたのかは知らないけど、相当のストレスがかかっていたのは間違いない」
悪意を向けられることなど、もはや姉にとってはストレスでも何でもない。悲しくはあっただろうけど、それを苦に思うような素振りは見せてこなかった。
それよりも姉が恐れたのは、まったくの未知。だからだろう、こいしを説得していたのは。
覚りの力でも心の読めない相手がいる。肉親だからこそ我慢できたものを、もしもそれが他人だとしたら姉はきっと壊れていただろう。故に誰しもが驚いたのだ。どうして、あの姉が第三の眼を閉ざしたのかと。
「だ、だったらあたい達はどうすれば?」
ストレスが溜まっているのなら、解消させてあげればいい。要は第三の眼を再び開けばいいだけだ。実に単純な理屈ではあるが、ここで最初の疑問にぶつかってしまう。
姉は何故、第三の眼を閉じてしまったのか。それが分からない限り、あの奇行を止める術はない。
いや、まだ他にも手段はあった。
「とにかく、お姉ちゃんの第三の眼が開けばいい。だったら、第三の眼を開かざるを得ない状況を作ってあげればいいんだよ!」
さも名案を思いついたという風のこいしだが、お燐の顔色は冴えない。理解が追いついていないらしく、一から懇切丁寧に教えてあげる必要があった。
「例えばお燐、あなたが地霊殿に帰ってきたとするじゃない」
「はい」
「そこでお空が頭に制御棒を乗っけながら、『制御棒どこー?』とか言ったらあなたはどうする?」
「いつものことだと思います」
「そう、いつものことなのよ」
例えを間違えたらしい。話が途切れた。
無意識を操る弊害なのか、時折自分でも意識していない言葉を喋っている時がある。そういう時は決まって会話が途絶え、気まずくなったこいしは無意識の隙を利用して姿を消しているのだ。
さすがに今日も失踪するわけにはいかない。どうせ、帰ってきたところで姉はこのままだろうし。
「変な行動をしている人がいたら、心の中を読んでみたくなると思わない? 例えば、今のお姉ちゃんみたいな」
姉のステージはテーブルから床の上へと変わったらしく、今度は片目を押さえながら冷蔵庫にもたれかかっていた。サトラッシュの瞳がどうとか言っているけれど何なのだ、その天国へ旅立ちそうな瞳は。
ひとしきり姉を見ていたお燐は、至極納得いったと大袈裟に頷く。
「その心理を利用するの。私達が奇怪な行動をとれば、お姉ちゃんはこう思うはずよ。一体、お燐達は何をしているんでしょう、って」
一度気になってしまえば、後はこちらのものだ。こいしの心を読むことは出来ずとも、お燐の心なら容易に覗ける。今までその恩恵を預かっていた姉だからこそ、その誘惑から逃れられるとも思えない。
北風と太陽ならば、昔から太陽が勝つと決まっているのだ。直接的な行動よりも、こういった回りくどい方法の方が効果をあげる。
「ですが、どんな事をすればいいんですか?」
お燐の質問ももっともだ。少なくとも、姉よりも不思議な言動をしなくてはならない。
いよいよ見えてはいけないものが見え始めたらしく、
「……っくく。ああ、あなたの一撃で目が覚めましたよ……私に巣くう闇の獣がね………」
悪しき道へと堕ちていっているらしい。殴られたわけでもないのに、どうやって目が覚めたのか。もはや指摘するのも面倒だ。
「とにかく、訳の分からないことをやってみよう! それできっと、お姉ちゃんが興味を持ってくれるはずだよ!」
「はい!」
そうして一人の二匹が辿り着いた奇怪な行動を目撃した勇儀は、泣きながら地霊殿を後にするのだった。
豊穣の神より授かった、由緒正しき山芋祭りですらさとりの興味をひくことはできなかった。師範代の豊穣穣子もこれには涙を隠せず、来年はゴボウでリベンジだと意気込んで姉の静葉に肩を抱かれながら山へと帰っていった。尚、彼女は怪我などしていない。
「どうしましょう、こいし様」
万策尽き果てた。お燐の言葉へ返事をする気力も残されていない。
姉は息苦しそうに胸を押さえながら、鎮まれ私に巣くう悪魔の遺産め、と叫んでいた。悪霊に取り憑かれているのではないかという疑念も浮かび上がってくる。もっとも、地霊殿の主が悪霊ごときに取り憑かれるとは到底思えないのだが。
「このままだったらさとり様は……」
病気ではあるが、命には別状はない。せいぜい、日常会話が困難になるぐらいだろう。支障はあるけれど、何も死ぬわけじゃない。放っておいてもいい部類ではあるが、妹としても出来れば治しておきたい症状ではある。
それに早くしないと、そろそろお空も会得しそうだ。邪気眼が二人もいるなんて、閻魔ですら近寄らなくなるだろう。
「仕方……ないね」
万策尽き果てたと言ったけれど、それはあくまでさとりの興味をひく手段が無くなったというだけのこと。対抗策ならば一つだけ、使いたくはなかったものが残っている。
そう、先程こいしは言ったではないか。奇怪な行動をとる人がいたならば、心を覗かずにはいられない。
この幻想郷に、そんな芸当が出来るのは二人だけ。姉のさとりと、妹のこいし。
そして姉の心を読もうというのなら、こいしをおいて他には誰もいない。
閉じたはずの第三の眼に、今一度だけ力を貸して貰うとしよう。なにも眼を潰したわけじゃない。頼み込めば、一回ぐらいは能力を使えるはずだ。
神経を研ぎ澄ませ、姉だけに集中する。一度は手放した力だ。そうそう簡単に取り戻せるはずもない。
「こいし様……」
お燐の言葉にも応えず、姉の奇っ怪な言動も遮断する。
意識が向かう先は、古明地さとりの心層世界。
どうして姉は第三の眼を閉ざしたのか。それさえ分かれば、全ての謎は解決を迎える。
せめて無意識だったら今のままでも読めるものを。意識して行ったのなら、それはこいしの管轄ではない。
「んっ」
空中に漂っていた糸を掴むような感触がする。長い長い糸をたぐり寄せ、その先端にある球体を頭の中でバラバラにした。それこそが、さとりの中にある心層世界。何を思っているのか、何を考えているのか。その球体を開ければ全てが分かる。
こいしの頭に広がったのは、ベッドに座った姉の姿。調度品を見る限りでは姉の自室なのだろうけど、どこか違和感を覚えた。おかしな部分を羅列して、現在の姉の部屋と比較する。
容易に答えは出た。これは、昔の姉の部屋だ。それもおそらくは、二人の両親が失踪した直後の。
どうして両親が失踪したのか、それは今でも分からない。優秀すぎた二人の姉妹を恐れたのか、それとも何か事故に遭ったのか。姉は調べようともせず、妹もそれで良いと思っていた。たった一人の大事な姉、彼女さえいれば、こいしにとって他はどうでもよかった。
ただ、姉はどうだろう。見るからに両親を好いており、こいしほど割り切っているようには見えない。幼い自分がそれに気付いていたかは覚えていないけれど、今のこいしなら手に取るように分かるのだ。心層世界のさとりは、確実に泣いている。
勿論、実際に泣いているわけではない。だが、彼女の心の中は泣いている。
その証拠が、彼女の持っている第三の眼。
まるで主の代わりのように、第三の眼は涙を流していた。
心層世界の事だと知っていても、思わず駆け寄って抱きしめたくなる。それほどに儚く、どこか寂しい。
完璧だと思っていた姉にも、このような一面があったとは。想像できてもおかしくは無かったのに、考えようともしなかった自分。
自己分析は嫌いだけれど、心のどこかで思っていたのだろう。
姉ならきっと、大丈夫だ。
だって自分よりも、遙かに強い存在なのだから。
滑稽で馬鹿らしい。これこそ、邪気眼よりも笑えない妄想だ。
姉のどこか強いというのだ。
第三の眼がなければマトモな会話もできず、そして誰よりも傷つきやすい。他人の悪意を読み取ってなお、覚りという種族は平気な顔をすることができる。それが出来ないからこそこいしは心を閉ざし、それが出来もしないくせにさとりは心を閉ざさなかった。
強いものか。もしもそう見えたのならば、それは自分が作り上げた幻想に過ぎない。
本当の姉は弱く、とても儚い。
昔の自分はそれをよく知っていたのに、心を読めなくなってから忘れさってしまっていた。
愚かしい。所詮、自分も覚りでしかないということ。
姉を馬鹿にしながらも、その実、自分だって第三の眼を開かなければマトモにコミュケーションもとれないのだ。
やはり種族の業には逆らえないのか。
暗澹たる気持ちの中で、ふと心層世界のさとりが顔をあげた。
涙を流す第三の眼を抱えながら、溜息と共に言葉を漏らす。
「眼、乾いてるな……」
すぐさま心層世界から戻ってきたこいしは、お燐に告げる。
「目薬もってきて!」
なんのことはない、第三の眼がドライアイになったからさとりは第三の眼を閉ざしていたのだった。
定期的な目薬を怠った結果が第三の眼を閉ざし、邪気眼を発症させていた。目薬をさした後の姉はいつもの姉で、お燐などは泣きながら抱きついていたものだ。お空は何故か寂しげに指をくわえ、黒き一族の血って何ですかと無邪気な顔で尋ねている。
姉は頭を抱えながら悶え、忘れなさいとペット達を叱りつけていた。恥ずかしいなら、やらなければよかったのに。
「まったく、もう」
こいしはペット達ほど素直でもないし、単純でもない。心の底から、あれが目薬のさし忘れてで起きた事件だとは思っていなかった。勿論、定期的な目薬が必須なのは知っている。かつて、こいしも同様のメンテナンスを怠らなかった。
しかし、だ。だからといって、いきなり眼が閉じたるするものだろうか。
それはいくらなんでも、話が強引すぎる。
だとすれば、結論は一つ。姉は敢えて眼を閉ざしたのだ。
理由はもう語るまでもない。こいしが既に説明している。
『私達が奇怪な行動をとれば、お姉ちゃんはこう思うはずよ。一体、お燐達は何をしているんでしょう、って』
姉はこいしに心を読ませようとしていた。巧妙に隠したつもりだろうが、心を読んだ時にその企みの残滓も覗き込むことができた。
姉は心が読めないことを何よりも恐れる。肉親なら耐えられると言ってはいたが、それだっていつまで耐えられるのかは分からない。だけど説得したところで、私は眼を開こうとしなかった。
だから姉は企んだのだ。私の眼を開かせる為に。
最初は少しだけでも、いずれは完全に開くよう姉は望んでいるのだろう。そして、そうなるよう動き始めている。
「どうやら、第一ラウンドは私の負けみたいだけど」
次からは、そうそう上手くいくと思わないことだ。同じ手には引っかからないし、初歩的な搦め手にも耐性が付いている。
なまじ一度土をつけられただけに、その悔しさもひとしおだ。
「お姉ちゃんのエゴと、私のエゴ。どっちが強いのか、今度は負けないよ!」
自分の恐怖を取り除くために、妹を地獄へ戻そうとする姉。
地獄を嫌うあまりに、姉を地獄へと突き落とす妹。
どちらも正義ではなく、これはただエゴとエゴをぶつけ合うだけの戦い。
魔幻斎一族も、闇の獣もいないけれど、明確な敵は存在している。
お燐達と戯れる姉が、ふとこちらに視線を向けた。
挑戦的な笑みは、宣戦布告の狼煙のようにも思える。
「上等」
だからこいしも返すのだ。
我が儘な姉に負けないぐらい、とびっきり不敵な笑みを。
さとり様がハイクオリティすぎるwwwwwwww
誤字はどうにかならないか。
この姉妹のこれからが気になった。
納得。いや納得できねーよwww
最後が良かった。何とも言えない余韻があって。こういう姉妹関係は面白いですね。
しかしお空が厨二病を患う展開は自然すぎて困るw
正気に戻って照れる姿に萌えたw