穏やかな昼下がり。
今日も今日とて、一人神社の掃除に勤しむ博麗の巫女。
「おーとついもぜーろにん……きーのうもぜーろにん……きょーはなんにん……」
寂し気な歌を交えながら、境内に落ちている葉っぱを箒でさらっていく。
ここは幻想郷。博麗の巫女が管理する【外】との境界線に建つ博麗神社。
普段は参拝客など滅多に来ない。お盆や暮れにもあまり来ない。大した神事があるわけでもない。つまりは一年通して参拝に訪れる者のいない、暇な神社なのである。
「おーさいせんはきょーもなしー……葉っぱが四・五枚……入ってるだけー……」
人間の里から見ても立地は悪くないはずなのだが、どうにも人が立ち寄らない。
しかし、その理由はとても簡単で、人間から見ればどうしようもない事であった。
それは妖怪の存在だ。
人間の里から神社まで行くには、どうしても森の小さな獣道を通るしかないのだ。その道中、その人間達には手に負えない妖怪や、いたずらを働く妖精によって、襲われたり、道に迷わされたりする。
運が良ければなんともなく神社まで行けるのだが、行きは良い良いとはよく言ったもので、帰りも同じ様にいくとは限らない。そんな場合によって命まで取られかねないような場所に、好き好んで行く者はほとんどいないため、巫女は毎日やることもなく掃除をし続けるのだった。
そんな巫女のある日常の、ごくごく普通の小さな出来事のお話―――
「……あぁーっもうっ! 毎回掃除するのに、どうして毎回毎回葉っぱが入ってるのかしら!」
境内の掃除を終え、お賽銭箱を開けて思わずそんな愚痴が出る。
私こと、博麗霊夢(はくれいれいむ)は、この神社における所謂巫女であり、この神社の掃除から、管理まで私が一人で切り盛りしている。
いつ参拝客が来てもいいように境内の掃除は欠かさないし、特にこのお賽銭箱の手入れこそが、一番重要な仕事だと言っても過言ではない。
このお賽銭箱に入れられるお金こそ私の収入に他ならないのだ。が、しかし、参拝客など今年に入ってからまだ両手の指で数え切れる程しか来ていない。にも関わらず、こうして毎日手入れしているお賽銭箱には、これまた何故か毎日葉っぱが入っている。
風が運んで来たにしては荒れてる様子もないし、毎日決まって四~五枚。これはどう考えても誰かが作為的に入れ込んでいるとしか思えない。
妖精のいたずらか……はたまた妖怪のそれか……
「まぁ大体誰がやってるのかは想像付いてるんだけどね……あの女(やろう)今度来たら私のスペルカードで……!」
「あら? お取り込み中だったかしら?お賽銭箱の前で息んじゃって……お産?」
「ひああっ! ゆ、紫(ゆかり)! いきなり声かけないでよびっくりするじゃない!」
いつの間にか私の背後に突然現れたのは、八雲紫(やくもゆかり)、ここ幻想郷においてもっとも古く、もっとも力のある妖怪女だ。
今正に突然現れたのも比喩的な表現ではなく、正に突然現れたのだ。
この妖怪女は空間にある【スキマ】を利用して、行きたい所へ移動したり、その場から一歩も動かずに欲しい物を取ってのける。例えが悪い所為か、それほど恐ろしい能力には聞こえないかもしれない。が、こと闘うことに関してこういった能力を使われると厄介な事この上ない。
しかし、私は一度、この妖怪女と闘って勝利を収めているのだが、それ以来、私の事を気に入ったのか、やたらと神社(ここ)へやってくる。
「何しに来たのよ……こっちはあんたの相手してられる程暇じゃないんだけど?」
「あら? 参拝客に向かってそういう態度は巫女としてどうなのかしら?」
何が楽しいのか、どこからともなく取り出した扇子で口元を隠し笑っている。
今の私は非常に機嫌が悪いので、さっさとお引取り願いたかった。
「あんたもお賽銭も入れないで参拝客とはいい度胸ね。ここは神社よ? 舐めてるの? 神社にはお賽銭ってどこかの歌でも言ってるでしょ?」
「そんな歌は知らないけど……お賽銭入れたら何か良い事あるの?」
チラリ、とこちらの顔色を伺うように、口元を扇子で隠しながら問う。
あたしはここぞ、とばかりに、
「あたしが喜ぶ!」
と、間髪入れずに返す、
「そう」
と、紫も顔半分隠していた扇子を、パチン、とたたみ、
「じゃあ入れない」
それは私が青筋立てる程の笑顔だった―――
「お茶請けはおいしいお饅頭なんかあると嬉しいわ」
縁側に座って楽しそうにのたまう紫。
何故用もないような客にお茶請けまで出してやらなければならないのだろうか。半ばイライラしながらお茶の用意をして、自分も縁側に座る。
紫がやってきてからしばらく、無視して掃除を続けていたのだが、特に何を言うでもなく、静かに私の様子を観察していた。その間中何が楽しいのかずっと笑顔。いい加減気持ち悪くなってきたので、手を止めて声を掛けようとした、
「あら? 終わったの?」
手を止めたのが掃除の終わりだと思ったのだろう。紫が先に声を出した。
「……何か用なの?」
不機嫌ですよ、と言わんばかりに低い声で問いかける。
「用がなければ来ちゃいけないの?」
すると、少しいたずらっぽい口調で問いかけてくる。表情は相変わらず笑顔。
さも用事なんてあってもなくてもいいじゃない。と、言われた様な気がして、思わず「はぁぁ」と溜め息が漏れる。と、
「何をそんなにイライラしてるの?」
不意に鋭い口調で問われ、ハッと紫の方を見る。しかし、その表情は何も変わらない。ただ言葉だけが鋭く自分の心を貫いた気がした。
(何でイラついてたんだっけ……)
考え込む私を満足気に見つめていたかと思うと、
「一段落したならお茶でも飲まない? ワタシ喉がカラカラなのよ」
先程とは打って変わって優しい口調。なんだか弄ばれてる様な気がしてきて、再び無性に腹立たしくなってきた。
こいつは一体何をしに来たんだ。
ジィッ、と睨みつけても表情に変化もない。ただひたすらに、全てを許す様な笑顔のまま見つめ返してくる。
「にらめっこもいいけど、まずはお茶にしましょうよ。ほら入って入って」
ねめつける私を放って、先に奥の居間に入って行く。って、
「ちょ、ちょちょっと! なんであんたが仕切るのよ! ここは私の家なんだからあんたは縁側にでも座ってなさいよ!」
勝手知ったる我が家の如く、入って行こうとする紫を止めるのに思わず口走った。すると紫が振り向き、
「じゃあお願いするわね」
勝ち誇ったような笑みで、スーッと縁側の方へと向かって行った。してやられたと思ったが、後の祭りだった。
そうして現在、私はお茶請けに煎餅と、自分のお茶と紫の分のお茶をお盆に乗せて縁側に至る。
縁側で座る紫は、靴を脱いで足をブラブラさせ、相変わらず楽しそうに見える。しかし、その背中は何故だかどこか寂し気で、不思議な哀愁が漂っていた。
何かあったのだろうかと、疑問が浮かぶが、
「遅かったじゃない。早くお茶ちょうだい」
振り返った紫の顔は何も変わらない様な笑顔で、そんな疑問を投げかけようもなかった。
私は無言でお盆を置いて、それを紫と挟むようにして座る。
紫もどこか気持ちが抜けているよな雰囲気で、手に取ったお茶を無言で啜り、「ほう」と溜め息吐いた。
しばらく二人、無言のままにお茶を啜る。お茶請けにはどちらも手を出さず、ただ穏やかな時間だけが流れていた。
神社横の小さな庭を眺めながら、ゆっくりと流れる時間に身を委ねる。そんな穏やかな気分になったからだろう。イラついていた気持ちも不思議と晴れていった。
煎餅を持ってきたのは失敗だったかな、と思い始めた頃、
「おかわりもらえる?」
紫が空になった湯飲みをそっとお盆の上に乗せる。
「あぁ……ちょっと待ってて、お茶請けも変えてくる」
お盆を持って行こうとする私の手に、紫はそっと手を重ねてきた。
「いいわそのままで。折角持ってきたんだし」
その行動に少し驚いた。が、それ以上に、
「……うん、じゃあお茶だけ持って、来るわね」
私はその手を柔らかく解くと台所へ向かう。
急須からお茶を入れるが、どこか落ち着かない。
さっきの紫の行動。
確かに驚いたがそれ以上に、紫の手の冷たさに驚いた。
妖怪とは言え、あいつも血の通った人の形をしている。あんなに冷たいんじゃ何か病気でもしてるんじゃなかろうか。
(そういえば、なんだか弱ってるように見えなくもなかったわね……)
縁側で寂しそうに足をプラつかせていた紫の背中を思い出す。
お茶を注ぐ手を止めて考える。
まさか、別れでも言いに来たんじゃなかろうか。今日のあいつの雰囲気はそんな風にも見ようと思えば見える。それくらいにいつもの紫らしさが感じられない。普段はもっと意味深で、意地悪で、狡猾で、意味不明な事も言う。だが、今日はどうだろう。なんだかこういう言い方はなんだが、
(まるで年齢相応と言うか……)
そういえば年齢も私の何倍も生きてる。もしかしたら、本当に、
(寿命……?)
そう思い至った時には縁側まで走り出していた。
縁側には、誰もいなかった。
お盆は私が持って行ったので台所だ。だがお盆はどうでもいい。いたハズの人物が忽然と消えている。
「ゆかり!」
思わず叫んでいた。
確かにあいつは嫌な奴だ。いつも突然現れて、いつも突然居なくなる。いつも訳のわからない事を言って私を困らせる。いつも気がついたら助けてくれている。
いつも、いつも、いつもいつもいつもいつも―――
「ゆかりぃっ!」
もう一度庭に向かってあいつの名前を呼ぶ。
泣き出しそうだった。何がなんだかわからないが兎に角叫ばずにはいられなかった。
まさかこんなに突然居なくなるなんて、
「ちゃんと、別れくらい言ってからにしなさいよぉ……」
「霊夢?」
「え?」
振り向くとそこには、
「ダメじゃない。裸足で庭に飛び出しちゃ。もう、子供じゃないんだから」
クスクス、と笑う紫がいた。
「え……? なんで?」
「どうしたの? 泣き出しそうな顔して? お茶が熱かった?」
あまりになんともない様子の紫を見て、安心すると同時に、
「ど、どこに行ってたのよ!」
気恥ずかしさから、つい大きな声を出してしまう。
「どこって……お手洗いだけど?……どうしてあなたはそんなに泣きそうな顔をしてるの?」
クスクスの笑顔がニヤニヤの笑顔に変わる。
「何言ってんのよ! 泣いてなんかないもん!」
自分でも解るくらいに半泣き顔をしてると思う。いや、泣いていたかも知れない。
「そぉう。ならいいんだけど……ハンカチ貸しましょうか? 涙拭いた方がいいわよ?」
「え? あ、うん……」
紫に向かって手を出すが、気付いた時にはもう遅かった。
「やっぱり泣いてたんじゃない? 何があったの? ワタシで良ければなんでも聞いてあげるわよ?」
優しく問いかける紫に、もうどうしていいかわからない私は、
「お、お、お前の所為だー!!!!」
空に向かって思いっきり声を張り上げていた―――
「あっははははは。そう、ワタシが居なくなると思ったのねぇ。……あっははははは」
自分の恥ずかしい勘違いを事細かに説明させられた後、紫は心底嬉しそうに笑った。
私はなんだか不愉快な気持ちで、再び持ってきたお茶請けの煎餅をバリバリ言わせながら食べる。
「れいむはワタシがいなくなるとさみしくなっちゃうのねぇ? あっははははは」
「笑い事じゃないわよ! 本当に心配したんだからね!」
「あははは、ごめんごめん。でも……あっははははは」
いつも不愉快な気持ちにする奴なのに、居なくなると思っただけであんなに焦るなんて、自分自身に自己嫌悪していた。
気恥ずかしさから、まともに紫の顔も見れず、煎餅をひたすら噛み砕く。
紫もひとしきり笑ったのか、機嫌良さそうに煎餅を一枚摘んでそれを空にかざし、満足そうに頷いている。
「大丈夫よ」
「え?」
不意に、紫が口を開く。
「ワタシはまだこんなところで、倒れたりしないわ」
空にかざした煎餅の向こう側を見つめる様な瞳。
私も同じ様に煎餅を空にかざす。その様子を嬉しそうに、目を細くして、
「ワタシはまだ生きるわ。幻想郷の終わりまで。それこそ、この世界の終わりまで見てやろう。いいえ、この世界だけと言わず、万物の最後を見届ける。それまで、ワタシは死んだりしないわ」
どうにもスケールが大きすぎて私にはなんだか理解できない。
ただ私が生きてる間は、
「だから安心なさい。あなたが生きてる間は、ワタシはずっとあなたと共に、同じ幻想郷に居続けるわ」
そう。
こいつは私が生きてる間は、絶対に自分は居なくなったりしない。と公言したのだ。
「あ、あぁそう。……結界の管理、あんたに任せてるんだから……勝手に居なくなられちゃ困るんだからね!」
「うふふ、はいはい。じゃあ指切りしましょうか?れいむちゃん」
なんだか子ども扱いされてる気がするが、
「いいわよ。しましょう。これは絶対破ることの許されない約束なんだからね!」
「ふふっ。じゃあ、はい」
日も落ちてきた夕暮れ時の縁側で、破られることのない小さな誓いの歌を唄う。
「ゆーびきーりげんまー」
「うーそつーいたーら……どうする?」
紫が困った様に尋ねる。
でも、私は当然の様に、
「私の針。百万本くらい飲ませてやるわ」
「ふふふ、はいはい。うーそつーいたーら、針百万本くらいのーみます」
私は少しやけっぱちで、でも、紫は楽しそうに、
「ゆーびきった!」
それは、夏も終わりかけていた夕暮れ。
小さな日常に交わされた、大きな誓い。
これから先何があるかは誰にもわからないが、この日交わした誓いはきっと破られる事はないだろう。
博麗霊夢と言う小さな小さな人間が、生き続けている間は―――
今日も今日とて、一人神社の掃除に勤しむ博麗の巫女。
「おーとついもぜーろにん……きーのうもぜーろにん……きょーはなんにん……」
寂し気な歌を交えながら、境内に落ちている葉っぱを箒でさらっていく。
ここは幻想郷。博麗の巫女が管理する【外】との境界線に建つ博麗神社。
普段は参拝客など滅多に来ない。お盆や暮れにもあまり来ない。大した神事があるわけでもない。つまりは一年通して参拝に訪れる者のいない、暇な神社なのである。
「おーさいせんはきょーもなしー……葉っぱが四・五枚……入ってるだけー……」
人間の里から見ても立地は悪くないはずなのだが、どうにも人が立ち寄らない。
しかし、その理由はとても簡単で、人間から見ればどうしようもない事であった。
それは妖怪の存在だ。
人間の里から神社まで行くには、どうしても森の小さな獣道を通るしかないのだ。その道中、その人間達には手に負えない妖怪や、いたずらを働く妖精によって、襲われたり、道に迷わされたりする。
運が良ければなんともなく神社まで行けるのだが、行きは良い良いとはよく言ったもので、帰りも同じ様にいくとは限らない。そんな場合によって命まで取られかねないような場所に、好き好んで行く者はほとんどいないため、巫女は毎日やることもなく掃除をし続けるのだった。
そんな巫女のある日常の、ごくごく普通の小さな出来事のお話―――
「……あぁーっもうっ! 毎回掃除するのに、どうして毎回毎回葉っぱが入ってるのかしら!」
境内の掃除を終え、お賽銭箱を開けて思わずそんな愚痴が出る。
私こと、博麗霊夢(はくれいれいむ)は、この神社における所謂巫女であり、この神社の掃除から、管理まで私が一人で切り盛りしている。
いつ参拝客が来てもいいように境内の掃除は欠かさないし、特にこのお賽銭箱の手入れこそが、一番重要な仕事だと言っても過言ではない。
このお賽銭箱に入れられるお金こそ私の収入に他ならないのだ。が、しかし、参拝客など今年に入ってからまだ両手の指で数え切れる程しか来ていない。にも関わらず、こうして毎日手入れしているお賽銭箱には、これまた何故か毎日葉っぱが入っている。
風が運んで来たにしては荒れてる様子もないし、毎日決まって四~五枚。これはどう考えても誰かが作為的に入れ込んでいるとしか思えない。
妖精のいたずらか……はたまた妖怪のそれか……
「まぁ大体誰がやってるのかは想像付いてるんだけどね……あの女(やろう)今度来たら私のスペルカードで……!」
「あら? お取り込み中だったかしら?お賽銭箱の前で息んじゃって……お産?」
「ひああっ! ゆ、紫(ゆかり)! いきなり声かけないでよびっくりするじゃない!」
いつの間にか私の背後に突然現れたのは、八雲紫(やくもゆかり)、ここ幻想郷においてもっとも古く、もっとも力のある妖怪女だ。
今正に突然現れたのも比喩的な表現ではなく、正に突然現れたのだ。
この妖怪女は空間にある【スキマ】を利用して、行きたい所へ移動したり、その場から一歩も動かずに欲しい物を取ってのける。例えが悪い所為か、それほど恐ろしい能力には聞こえないかもしれない。が、こと闘うことに関してこういった能力を使われると厄介な事この上ない。
しかし、私は一度、この妖怪女と闘って勝利を収めているのだが、それ以来、私の事を気に入ったのか、やたらと神社(ここ)へやってくる。
「何しに来たのよ……こっちはあんたの相手してられる程暇じゃないんだけど?」
「あら? 参拝客に向かってそういう態度は巫女としてどうなのかしら?」
何が楽しいのか、どこからともなく取り出した扇子で口元を隠し笑っている。
今の私は非常に機嫌が悪いので、さっさとお引取り願いたかった。
「あんたもお賽銭も入れないで参拝客とはいい度胸ね。ここは神社よ? 舐めてるの? 神社にはお賽銭ってどこかの歌でも言ってるでしょ?」
「そんな歌は知らないけど……お賽銭入れたら何か良い事あるの?」
チラリ、とこちらの顔色を伺うように、口元を扇子で隠しながら問う。
あたしはここぞ、とばかりに、
「あたしが喜ぶ!」
と、間髪入れずに返す、
「そう」
と、紫も顔半分隠していた扇子を、パチン、とたたみ、
「じゃあ入れない」
それは私が青筋立てる程の笑顔だった―――
「お茶請けはおいしいお饅頭なんかあると嬉しいわ」
縁側に座って楽しそうにのたまう紫。
何故用もないような客にお茶請けまで出してやらなければならないのだろうか。半ばイライラしながらお茶の用意をして、自分も縁側に座る。
紫がやってきてからしばらく、無視して掃除を続けていたのだが、特に何を言うでもなく、静かに私の様子を観察していた。その間中何が楽しいのかずっと笑顔。いい加減気持ち悪くなってきたので、手を止めて声を掛けようとした、
「あら? 終わったの?」
手を止めたのが掃除の終わりだと思ったのだろう。紫が先に声を出した。
「……何か用なの?」
不機嫌ですよ、と言わんばかりに低い声で問いかける。
「用がなければ来ちゃいけないの?」
すると、少しいたずらっぽい口調で問いかけてくる。表情は相変わらず笑顔。
さも用事なんてあってもなくてもいいじゃない。と、言われた様な気がして、思わず「はぁぁ」と溜め息が漏れる。と、
「何をそんなにイライラしてるの?」
不意に鋭い口調で問われ、ハッと紫の方を見る。しかし、その表情は何も変わらない。ただ言葉だけが鋭く自分の心を貫いた気がした。
(何でイラついてたんだっけ……)
考え込む私を満足気に見つめていたかと思うと、
「一段落したならお茶でも飲まない? ワタシ喉がカラカラなのよ」
先程とは打って変わって優しい口調。なんだか弄ばれてる様な気がしてきて、再び無性に腹立たしくなってきた。
こいつは一体何をしに来たんだ。
ジィッ、と睨みつけても表情に変化もない。ただひたすらに、全てを許す様な笑顔のまま見つめ返してくる。
「にらめっこもいいけど、まずはお茶にしましょうよ。ほら入って入って」
ねめつける私を放って、先に奥の居間に入って行く。って、
「ちょ、ちょちょっと! なんであんたが仕切るのよ! ここは私の家なんだからあんたは縁側にでも座ってなさいよ!」
勝手知ったる我が家の如く、入って行こうとする紫を止めるのに思わず口走った。すると紫が振り向き、
「じゃあお願いするわね」
勝ち誇ったような笑みで、スーッと縁側の方へと向かって行った。してやられたと思ったが、後の祭りだった。
そうして現在、私はお茶請けに煎餅と、自分のお茶と紫の分のお茶をお盆に乗せて縁側に至る。
縁側で座る紫は、靴を脱いで足をブラブラさせ、相変わらず楽しそうに見える。しかし、その背中は何故だかどこか寂し気で、不思議な哀愁が漂っていた。
何かあったのだろうかと、疑問が浮かぶが、
「遅かったじゃない。早くお茶ちょうだい」
振り返った紫の顔は何も変わらない様な笑顔で、そんな疑問を投げかけようもなかった。
私は無言でお盆を置いて、それを紫と挟むようにして座る。
紫もどこか気持ちが抜けているよな雰囲気で、手に取ったお茶を無言で啜り、「ほう」と溜め息吐いた。
しばらく二人、無言のままにお茶を啜る。お茶請けにはどちらも手を出さず、ただ穏やかな時間だけが流れていた。
神社横の小さな庭を眺めながら、ゆっくりと流れる時間に身を委ねる。そんな穏やかな気分になったからだろう。イラついていた気持ちも不思議と晴れていった。
煎餅を持ってきたのは失敗だったかな、と思い始めた頃、
「おかわりもらえる?」
紫が空になった湯飲みをそっとお盆の上に乗せる。
「あぁ……ちょっと待ってて、お茶請けも変えてくる」
お盆を持って行こうとする私の手に、紫はそっと手を重ねてきた。
「いいわそのままで。折角持ってきたんだし」
その行動に少し驚いた。が、それ以上に、
「……うん、じゃあお茶だけ持って、来るわね」
私はその手を柔らかく解くと台所へ向かう。
急須からお茶を入れるが、どこか落ち着かない。
さっきの紫の行動。
確かに驚いたがそれ以上に、紫の手の冷たさに驚いた。
妖怪とは言え、あいつも血の通った人の形をしている。あんなに冷たいんじゃ何か病気でもしてるんじゃなかろうか。
(そういえば、なんだか弱ってるように見えなくもなかったわね……)
縁側で寂しそうに足をプラつかせていた紫の背中を思い出す。
お茶を注ぐ手を止めて考える。
まさか、別れでも言いに来たんじゃなかろうか。今日のあいつの雰囲気はそんな風にも見ようと思えば見える。それくらいにいつもの紫らしさが感じられない。普段はもっと意味深で、意地悪で、狡猾で、意味不明な事も言う。だが、今日はどうだろう。なんだかこういう言い方はなんだが、
(まるで年齢相応と言うか……)
そういえば年齢も私の何倍も生きてる。もしかしたら、本当に、
(寿命……?)
そう思い至った時には縁側まで走り出していた。
縁側には、誰もいなかった。
お盆は私が持って行ったので台所だ。だがお盆はどうでもいい。いたハズの人物が忽然と消えている。
「ゆかり!」
思わず叫んでいた。
確かにあいつは嫌な奴だ。いつも突然現れて、いつも突然居なくなる。いつも訳のわからない事を言って私を困らせる。いつも気がついたら助けてくれている。
いつも、いつも、いつもいつもいつもいつも―――
「ゆかりぃっ!」
もう一度庭に向かってあいつの名前を呼ぶ。
泣き出しそうだった。何がなんだかわからないが兎に角叫ばずにはいられなかった。
まさかこんなに突然居なくなるなんて、
「ちゃんと、別れくらい言ってからにしなさいよぉ……」
「霊夢?」
「え?」
振り向くとそこには、
「ダメじゃない。裸足で庭に飛び出しちゃ。もう、子供じゃないんだから」
クスクス、と笑う紫がいた。
「え……? なんで?」
「どうしたの? 泣き出しそうな顔して? お茶が熱かった?」
あまりになんともない様子の紫を見て、安心すると同時に、
「ど、どこに行ってたのよ!」
気恥ずかしさから、つい大きな声を出してしまう。
「どこって……お手洗いだけど?……どうしてあなたはそんなに泣きそうな顔をしてるの?」
クスクスの笑顔がニヤニヤの笑顔に変わる。
「何言ってんのよ! 泣いてなんかないもん!」
自分でも解るくらいに半泣き顔をしてると思う。いや、泣いていたかも知れない。
「そぉう。ならいいんだけど……ハンカチ貸しましょうか? 涙拭いた方がいいわよ?」
「え? あ、うん……」
紫に向かって手を出すが、気付いた時にはもう遅かった。
「やっぱり泣いてたんじゃない? 何があったの? ワタシで良ければなんでも聞いてあげるわよ?」
優しく問いかける紫に、もうどうしていいかわからない私は、
「お、お、お前の所為だー!!!!」
空に向かって思いっきり声を張り上げていた―――
「あっははははは。そう、ワタシが居なくなると思ったのねぇ。……あっははははは」
自分の恥ずかしい勘違いを事細かに説明させられた後、紫は心底嬉しそうに笑った。
私はなんだか不愉快な気持ちで、再び持ってきたお茶請けの煎餅をバリバリ言わせながら食べる。
「れいむはワタシがいなくなるとさみしくなっちゃうのねぇ? あっははははは」
「笑い事じゃないわよ! 本当に心配したんだからね!」
「あははは、ごめんごめん。でも……あっははははは」
いつも不愉快な気持ちにする奴なのに、居なくなると思っただけであんなに焦るなんて、自分自身に自己嫌悪していた。
気恥ずかしさから、まともに紫の顔も見れず、煎餅をひたすら噛み砕く。
紫もひとしきり笑ったのか、機嫌良さそうに煎餅を一枚摘んでそれを空にかざし、満足そうに頷いている。
「大丈夫よ」
「え?」
不意に、紫が口を開く。
「ワタシはまだこんなところで、倒れたりしないわ」
空にかざした煎餅の向こう側を見つめる様な瞳。
私も同じ様に煎餅を空にかざす。その様子を嬉しそうに、目を細くして、
「ワタシはまだ生きるわ。幻想郷の終わりまで。それこそ、この世界の終わりまで見てやろう。いいえ、この世界だけと言わず、万物の最後を見届ける。それまで、ワタシは死んだりしないわ」
どうにもスケールが大きすぎて私にはなんだか理解できない。
ただ私が生きてる間は、
「だから安心なさい。あなたが生きてる間は、ワタシはずっとあなたと共に、同じ幻想郷に居続けるわ」
そう。
こいつは私が生きてる間は、絶対に自分は居なくなったりしない。と公言したのだ。
「あ、あぁそう。……結界の管理、あんたに任せてるんだから……勝手に居なくなられちゃ困るんだからね!」
「うふふ、はいはい。じゃあ指切りしましょうか?れいむちゃん」
なんだか子ども扱いされてる気がするが、
「いいわよ。しましょう。これは絶対破ることの許されない約束なんだからね!」
「ふふっ。じゃあ、はい」
日も落ちてきた夕暮れ時の縁側で、破られることのない小さな誓いの歌を唄う。
「ゆーびきーりげんまー」
「うーそつーいたーら……どうする?」
紫が困った様に尋ねる。
でも、私は当然の様に、
「私の針。百万本くらい飲ませてやるわ」
「ふふふ、はいはい。うーそつーいたーら、針百万本くらいのーみます」
私は少しやけっぱちで、でも、紫は楽しそうに、
「ゆーびきった!」
それは、夏も終わりかけていた夕暮れ。
小さな日常に交わされた、大きな誓い。
これから先何があるかは誰にもわからないが、この日交わした誓いはきっと破られる事はないだろう。
博麗霊夢と言う小さな小さな人間が、生き続けている間は―――
毎年とは言えないけど田舎へ帰って婆○ゃんの顔を見て「来年も見られると良いな…」と思い、ふとした時に来年を心配して……泣いちゃう事もあるよね。
次回は中篇希望シマス。
霊夢と一緒に手に汗握りました。寿命ネタ?なのに暖かい。良かった…。
紫お◯あさん、優しくてその覚悟は格好いい。そんなひとに、わたしはなりたい。