元旦
幻想郷の季節も一巡し、今は肌寒い風と、白い雪が降り注ぐ冬になっていた。
「新年、明けましておめでとう」
博麗神社の参道を竹箒で掃き掃除をしていた手を休め、紅白の巫女装束に身を包んだ少女―博麗 霊夢は誰に言うわけでもなく、白い息と共に呟く。
「思い返せば去年も色々あったわねぇ」
霊夢は降り注ぐ雪と、空を見上げる。
「今年ぐらいはゆっくりする。絶対ゆっくりする。だから私は正月を寝て過ごす! 決定!」
昨年起こった事をほんの僅かな間に思い出した瞬間、自分がどれだけ苦労してきたのかを再認識し、次の厄介事が起こる前に寝正月にしようと決め込み、鳥居に背を向けて本殿へ向かおうとするものの
「霊夢ー! 明けましておめでとうなんだぜー!」
よく響く、そして聞きなれすぎて聞かない日はないのではないかと思うほどの少女の声と
「魔理沙さん、そんな勢いよく飛んでいったら危な……キャッ!」
これまた最近よく聞くようになった少女の声、そして
「あははははっ! 魔理沙もっと速く! もっと速くー! 鬼さんコチラ~!」
「コラー! 待ちなさい魔理沙ー! それと萃香、誰が鬼ですってぇ!?」
間延びした少女の声と、よくもまぁそんな毎度毎度怒れるなと思う甲高い少女の声。
「何も聞こえない何も知らない。私は寝て過ごすって決めたのに、なんであんたたちはいっつも来るのよー!!」
肩を震わせ、青筋を立てて後ろを振り返った霊夢が見たものは
「うわっ! わっ! 止まらない! 止まらないっ! 霊夢避けろー!」
「あははははっ!」
困惑顔で鳥居をくぐる少女―東風谷 早苗と、頭から湯気でも出るのではないかと思うほどに顔を真っ赤にして怒っている魔法使い―アリス・マーガトロイド、そして霊夢の眼前に迫っていた竹箒に乗って、猛スピードでこちらに突っ込んでくる慌てふためいた顔をした表情の白黒の衣装に身を包んだ魔法使い―霧雨 魔理沙と、その竹箒の後ろで笑い声を上げている鬼―伊吹 萃香の姿であった。
――ゴォォォン
「おや、除夜の鐘が。ああ、そうだ。橙、明けましておめでとう」
「藍様、あけましておめでとうございます!」
普通のモノならば畏怖して近寄らない象徴―九尾を持つ女性の姿をした妖怪―八雲 藍と、黒く立派な尾を二本持つ少女の姿をした妖怪―橙が、互いに座礼をして新年を祝う。
二匹とも立派な妖怪であるのに、人間臭い礼儀を持っているのは二匹の主の『躾』の結果だという。
「しかし紫様は新年早々寝正月……まぁ結局今年も何も変わらないということか。橙、おしるこを作るが食べるか?」
「いただきますっ! おしるこって、あの粒々の中に白玉が入っているやつですよね!」
おしるこが好きなのか、橙は目の中に星があるのではないかと思うほどの表情で藍を見上げる。
「おしるこ~? 藍~わひゃひももらうわ…ふぁ…」
「紫様!?」
「紫様だー!」
藍と橙は、居間にのそりと現れた寝起き姿の女性―否、幻想郷を代表する大妖怪―八雲 紫の姿に驚き、立ち上がる。
「紫様が冬眠からお目覚めになられるとは……! まさか幻想郷に異変が!? こうしてはおれん! 橙、お前は安全な場所に避難しておきなさい!」
「え……あ、はいっ!」
あたふたと左右に動きながら殆どパニックになってしまった藍は、橙の肩を強くつかんで避難するように伝え、そしていそいそと身支度を始めたところで
「はいはいストップストップ。落ち着きなさい藍。別に異変でも何でも無いわ。それよりも」
どこか呆れ気味に慌てる藍を落ち着かせ、寝巻きすがたの紫は居間に入り静かに座り座礼をする。
「藍、橙、明けましておめでとう」
「紫様……明けまして、おめでとうございます」
「あけましておめでとうございます!」
三匹の妖怪が居間で頭をつき合わせて礼をする姿は、とても人間臭い絵であった。
「藍、そんなに驚く事は無いんじゃない? 私だって元旦には起きるわよ。そりゃあ例年は冬眠してたけれども」
「起きるわよって……元旦に起きてきたのは今年が初めてじゃ……」
「なぁに藍? 何か言いたくてしょうがないことでもあるのかしら?」
「いえいえいえ! とととととんでもございません!」
居間にて三匹の妖怪が座卓を囲み、卓には布団を被せていた。
「それにしても、この……炬燵だっけ? 河童が持ってきてくれたやつ。暖かいわねぇ。行火に似てるけど」
「そうですねぇ。人間たちはこの炬燵で暖を取っているそうですよ」
「はふ……藍しゃま~ぽかぽかのぬくぬくですぅ」
橙はしばらくもぞもぞと身動きし、炬燵内にて藍と足を絡ませていたが、あまりの気持ちよさで静かに寝息をたてはじめた。
「幸せそうな顔しちゃって。ふふっ」
橙の寝顔を紫は頬杖をつきながら眺め、静かに微笑む。
「……本当に、何も無いのでしょうか?」
「何が?」
橙が寝入った事を確認した藍は、紫を見つめ疑問を口にする。紫はその視線に構うことなく、柔らかな微笑みを橙に向けている。
「紫様が理由もなく冬眠から目覚めるのは初めてのこと……やはり何かが」
「それは違うわ、藍」
今までとは違う真剣みを帯びた声。柔らかな微笑みは潜み、それでも橙を見つめながら藍の疑問にたいして紫は答える。
「目が覚めたのは偶然。特別、何かの気配を感じたわけでもないし、何か事が起きているわけでもない。本当に何も無いの」
「紫様……」
紫が語る事実に、藍はただ困惑する。
「でもね、これから先この幻想郷で何かがあったとしても、彼女たちがいるし大丈夫でしょう」
「っ! 紫様、まさか……!」
紫の発言の奥底に潜む真意を悟ったのか、藍は目を見開く。
「違う違う。別に私や幻想郷がどうこうなるわけじゃない。それに彼女たちは人間だもの。いつかは死んでしまう。でも今はまだ早死にはされたくないから、万が一という時、私は動く」
「……」
「それにね、最近は今まで生きてきた中でも特におもしろいと感じているのよ。だからそう簡単には壊させない」
「そう……ですか」
藍は顔を伏せ、自分の複雑な表情を自身の主に見せないようにする。
(最近の幻想郷は異変続きだ。そして異変が起こるたびに幻想郷の住民は増えている。紫様、私はただ不安なのです。これから先、何が起こるかわからないこの不安定な状態の幻想郷が)
藍はただ心配だった。八雲 紫の身が、式としての立場からという意味ではなく、藍自身という立場で。
唇をギュッと噛み、目をつむり心の底から湧き上がる不安に耐える藍。
その頭に、そっと何かが乗せられた。
藍がゆっくりと目を開き顔を上げると、そこには藍の頭に右手を乗せニッコリと微笑む紫の姿があった。そして紫はそっと藍を胸に抱き寄せる。
「何も心配はいらない。私はね、藍。この楽しい気持ちはきっと彼女たちや藍、橙がいるからなのだと思う。だからこそ彼女たちやあなたたちが生きている間に精一杯楽しいことをしようと思うの」
「紫……様」
「心配かけちゃったね。あ、そうだ。おしるこを食べたら行きたいところがあるのだけれど……って藍?」
「……ハッ! はははひ!?」
紫の抱擁から開放された藍は、一瞬蕩けた表情をしてすぐに赤面し、その表情を隠しつつ紫に返事をする。
「もしかして、もっとギュッてしててほしかったぁ?」
ニヤニヤと笑いを浮かべながら藍に擦り寄る紫。
「そ、そんな事思っていません! さぁおしるこが冷めないうちに――」
「もう素直じゃない式ねぇ。えいっ!」
「え……ひゃっ!」
先ほどの優しい抱擁とは違い、今度は力強く紫の豊満な胸に抱き寄せられる藍。
「ふんむむむむ! ふんむむむ!」
「や~んくすぐったい~」
「……んにゅ……わ~藍しゃま~! 紫しゃま~! 混ぜて混ぜて~!」
ジタバタと腕を動かしながら紫に抵抗する藍。もちろん全く効果はないが。そしてその物音で目を覚ました橙も絡み合う光景は、とても平和でありました。
その後八雲一家は向かいます。彼女たちのいる、ある場所へと。
「美鈴、これはどういうことか説明して頂戴」
「はうあうあうあ……あのあのあのっ、これはその~……あの~」
霧の糊の岬にひっそりと佇む真紅の館―紅魔館。その館を知る者は『悪魔の館』として恐れ近寄らない紅魔館の一室で、紅魔館のメイド長―十六夜 咲夜は目の前で座卓に毛布を被せたモノ―炬燵に入り込み、みかんを食べようとしていた紅魔館の門番―紅 美鈴を青筋を立てながら見下ろす。
「こ、ここここれは炬燵といってですね、先ほど河童が持ってきて」
「そんなことはどうでもいいの。何故ここでこうしているのかと聞いているのよ。同じことを二度も言わせないで」
しどろもどろになって説明しようとする美鈴に、咲夜はただただ静かに問いかける。しかしその言葉の裏には計り知れない怒気が含まれていた。
(ううう……咲夜さん怒ってるよ~ってか、さっきまで一緒にみかん食べようとしてた妖精の皆がいない!? さてはあいつら、咲夜さんの気配を感じてさっさと逃げたな! あの薄情者ども~!)
「言い訳の次はだんまり? あなた、いい加減に――」
「あら咲夜、美鈴、何だかおもしろそうなものがあるじゃない。それはなぁに?」
どう言えば許してもらえるのか思案し顔を伏せる美鈴と、怒りが頂点に達しかけた咲夜の声を遮ったのは、騒ぎの気配を感じ取って現れた紅魔館の主にして吸血鬼―レミリア・スカーレットであった。
「お嬢様、今はそれどころではありません。美鈴が仕事を放ってこんな所で休憩をしていたのです」
「はうぅ……申し訳ありません……」
レミリアの登場により咲夜の意識はレミリアに向けられたが、それでも美鈴への怒りは治まってはいない。美鈴は涙を零しながら謝罪しつつも炬燵から動こうとはしない。
「まぁ、たまには休憩も良いのではない? それよりも、さっきからコレが気になっているのよ」
「あ、お嬢様、これは炬燵と言ってですね、先ほど美鈴が河童より受け取ったものだそうです」
(咲夜さんさっきそんなことはどうでもいいって……)
「何か言った? 美鈴」
「いいいえいえいえいえ!」
ジロリと咲夜が睨みをきかせると美鈴はたちまち慌てふためく。まさに蛇に睨まれた何とやらである。
「美鈴、これはどうすればいいの?」
「……はい?」
「だから、どうやってそのコタツとやらを使うのか聞いているの」
照れ臭いのか、レミリアは頬を僅かに膨らませながら美鈴に問いかける。
「えっとですね、まず靴を脱ぎます」
「ん……家の中で靴を脱ぐ人間の習慣が未だに理解できない。霊夢も靴を履いたまま家に入ると怒るし」
ぶつぶつと文句を言いつつも靴を脱ぐレミリアの様子を、美鈴は苦笑いをしながら眺め、そして咲夜は脱ぎ終わった靴をそそくさと揃える。
「そして炬燵の中に足を入れます……ああ、まずは座ってから、ですよ?」
「んっしょ……こう?」
「そうですそうです。如何ですか?」
「あったかぁい。ヤダ、何これキモチイイ」
主としての凛とした表情はどこにいったのか、レミリアは蕩けた表情で呟く。
「お嬢様、炬燵にはみかんが最高だと河童が言っていました。ささ、おひとつどうぞ」
「ありがとう美鈴……んっ、甘ぁい! みかんというものを初めて食べたけれど、美味しい!」
「ほら、咲夜さんもおひとつ」
「い、いただくわ」
レミリアの蕩けた表情を見た瞬間、自身も履いていた靴を脱ぎ、炬燵へと入ってほんのりと頬が紅潮しているのを見るとやはりキモチイイ証拠だろう。
「美味しい……」
「でしょ? でしょ? 特に炬燵に入っている時のみかんは格別らしいんですよ」
咲夜の意識が完全に自分から外れたことを確認した美鈴はおどけた調子で咲夜と言葉を交わす。
「ひゃん!? 今足に何か当たったわよ? 何? この中に何かいるの?」
「あ、お嬢様、それは私の足です」
「美鈴の足? それに、これどういう原理でこんなに暖かくなっているの?」
レミリアはゆっくりと毛布をめくり、中がどうなっているのか確認する。その中には卓の真ん中に小さく四角い熱源体がほんのりと赤く染まり、炬燵内部を暖かくしていた。
熱源体の正体は河童―河城 にとりが発明した察知発火装置君。人間の里で掘り炬燵を見てからもっと便利なものはないかと考えた末に行き着いた結果。察知発火装置君は卓が何かで覆われた状態でのみ熱を持つ。火の危険性は激低で布団や毛布に燃え移る心配は皆無―にとり談。
「これが美鈴の足で……あれ? 咲夜、なんで膝を崩していないの?」
「私は基本的に座るときは膝を崩しませんので」
炬燵に入ったとしても、座るときは膝を崩さず正座をし、そして凛と背筋を伸ばす姿はまさにメイドとしての鏡だろう。
「むぅ~。咲夜、膝を崩しなさい。これは命令」
「は……お嬢様がそう仰るなら」
ゆっくりとした動きで咲夜が膝を崩す。
「えいっ!」
「ひあっ? なな……?」
足を崩したのを見計らい、レミリアが炬燵の中で自身の足と咲夜の足をくっつける。
「咲夜の足柔らかくてキモチイイ~」
「あ……あの……お嬢……様、やめ……んっ」
ピッタリとくっつけた足を器用に使い、すりすりと擦り合わせる。レミリアの巧みな足技に、咲夜は俯き我慢する他ない。
「お嬢様楽しそう~私も~」
「美鈴もやる? キモチイイわよ~」
六つの足が絡み合う炬燵内部。美鈴はレミリアと共に笑いあい、咲夜は足首のくすぐったさに必死に耐える。その様子は、まるで――
「あなたたち、人間みたいなことしてるのね」
部屋の中で、か細く、今にも消え入りそうな少女の声が囁いた。
「パチェ、フラン、あなたたちもどう? これ凄くキモチイイわよ~」
「レミィ、その締まりのない表情をどうにかなさい。あと発言には気をつけなさい。とても淫靡に聞こえるからその発言」
「……」
蕩けきった表情のレミリアを呆れたように見下ろし、溜息をつくのは紅魔館内の図書館を書斎として利用している魔法使い―パチュリー・ノーレッジ。そのパチュリーの背後に隠れるように、レミリアや美鈴の様子を伺うのは、レミリア・スカーレットと血を分けた妹―フランドール・スカーレットだった。
「気持ち良いかどうかは別にして、コレ自体はとても興味深い……なるほど、中央に極めて危険性の低い火精を使うことで暖かくしているのね。でもこれ、座っているとお尻が痛くなりそう」
「そんな小難しいことはどうでもいいの~。パチェも足伸ばしなさいよ。絡ませっこしましょ」
「お断りするわ。生憎と足を絡ませる趣味は無いの。妹様もお入りになられてはどうです?」
知的探究心旺盛なパチュリーは、炬燵がどういう原理で動いているのかを知るために靴を脱いで炬燵に入り込み、そして一緒に来たフランドールにも炬燵に入るように促す。
「……ん」
フランドールは一言だけ発すると、皆の真似をして靴を脱ぎゆっくりと歩みながら姉であるレミリアの横に入り込む。
「フラン、キモチイイでしょう? 楽な姿勢になってごらんなさい」
「……ん」
フランドールは基本的に余り言葉を発しない。それは400年以上もの間地下に幽閉されていたためである。それでも感情は表に出るようで、頬が紅潮しているのがその証拠。
「しかしまぁレミィも妹様も、そして咲夜も昔に比べれば大分丸くなったわね。美鈴はそのままだけど」
「そういうパチェだって、昔に比べれば外に出る頻度が上がってるんじゃないの?」
「わ、私は以前と変わりません」
「パチュリー様何気に酷いことを仰っていませんか?」
パチュリーの呟きに、一同がそれぞれの反応を返す。
「最近の幻想郷は外に出ても退屈しないのよ。レミィなんて昔はこんな風に砕けた様子じゃなかったでしょう。もっと威厳や体面を重視していたのに、それが今や炬燵でくつろいでるなんて。吸血鬼が炬燵でくつろぐなんて聞いたことないわよ」
「今でも威厳も体面も重視しているのよ? それにこれはただ単純に興味があったからで」
「人間の暮らしをして人間のことが知りたくなった?」
パチュリーの言葉に、一同が沈黙する。
……コチ……コチ……コチ……コチ……
柱時計の時を刻む音だけが、一室に響き渡る。
「レミィ、あなたは確かに変わった。でもね、決してそれが悪いというわけではない。むしろ私は嬉しいのよ」
「パチェ……」
パチュリーは一瞬だけ咲夜の方に視線を移し、レミリアの方へと向き直る。一室にいるパチュリーを除いた全員が、視線をパチュリーへと向けその発言に耳を傾けていた。
「昔のあなたはただ殺戮を好むだけの獣だったわ。いつも獲物を探しては血祭りにあげていた。敵味方見境無く、抵抗無抵抗も関係なく何もかもを殺していくだけの、獣」
「……あの頃は楽しかったわ。肉を抉り骨を砕き、脳漿をぶちまける感覚に酔いしれていたし、血の臭いを嗅がない日は無かったっけ」
口元を三日月にも似た笑みを浮かべ、うっとりと甘い思い出に浸るその様子は、まさに吸血鬼。クスクスと笑うレミリアを、美鈴や咲夜は畏怖の念を込めて見つめていた。
「そんな貴女がこうして人間みたいな事をしているなんて、やっぱり『彼女』が原因だと考えていいのかしら?」
「さあ? それは想像にお任せするわ」
レミリアとパチュリーはお互いに笑いあう。確かにこんな風に笑うお嬢様とパチュリー様を見るのは一昔前までは考えられないことだと美鈴や咲夜は思うのであった。
「でも確かに、彼女たちが来てから色んなことが起こりましたね」
美鈴が何かを思い出すかのように、呟いた。
「冬が長引いたり、宴会を繰り返したり、夜が明けなくなったり、異常気象が起こったりと……退屈しませんでした」
「まぁそれもこれもどこかの誰かさんが霧を発生させて太陽光を遮ろうとしたおかげなんだけどね~レミィ?」
美鈴が思い出に浸りながら楽しそうに話すと、パチュリーはレミリアに意地の悪い笑みと言葉を投げかける。そんなパチュリーをみてレミリアはプイッとそっぽを向く。
「でもね、彼女たちが来たおかげで今私たちはこうしていられる。私自身、今こんな感情を持ち合わせていることに驚いているのよ」
パチュリーは微笑みながら言葉を紡ぐ。
「私はね、ピリピリして毎日を過ごすよりも、笑いながら日々を過ごした方が楽しいという事を教えられたの」
―お前、いつもこんなカビ臭いところで本読んでるのか?
―たまには外に出て新鮮な空気を吸いな。なんだったら連れて行ってやろうか?
―なんだ、笑えるんじゃないか。可愛い顔で笑えるんだからもっと笑おうぜ!
―辛くて辛くてどうしようも無い時?そんな時は…ん~、そうだな、ニッコリ笑うのが一番だ。
――どこまでも真っ直ぐで、どこまでも眩しくて、そんな笑顔を向けてくれて、そして笑い方を教えてくれた人がいた。白黒の衣装に身を包んだ、無礼な魔法使い。
「例えばだけど、もう一つの世界があってそこにも幻想郷があるのなら、そこでは昔のままのレミィや咲夜、そして私がいるかもしれない。でも今の私にはもう一つの世界にいるかもしれない私たちが可哀想に見える。だって、こんなにも楽しく過ごす事を、知らないのだから」
「パチェ……貴女……」
「パチュリー様……」
「うんうん、パチュリー様凄く良い事を仰っている」
「ん」
炬燵を囲む一同を見渡し、そして各々の微笑みを見ながらパチュリーは満足そうに頷く。
「だから私は今ここでこうしていられる事が嬉し……ゴフッ! ゴホッゴホッ! ……ヒュー……ヒュー……!」
「パチェ!?」
「パチュリー様!」
微笑んでいた表情が一変し、咳き込むと同時に苦悶の表情へと変わる。
「美鈴! 私はパチュリー様をベッドに運ぶから小悪魔を呼んできて!」
「分かりましたっ!」
咲夜は苦しそうに喘ぐパチュリーを抱きかかえ、ベットへと迅速に移動し、美鈴は部屋を飛び出し小悪魔を呼びに書斎へと走り出す。部屋に残されたのは、レミリアとフランドールだけであった。
「パチェがあんなに長々と楽しそうに話す所なんて初めてみたかもしれないわね」
「ん」
「パチェが心配?」
「ん!」
「そう……心配……か」
レミリアは思う。パチェの言うとおり彼女たちが来てから色々なものが変わった。美鈴も、咲夜も、パチェも、そしてフランでさえも。
私自身もそう。変わった、という自覚はないけれど、確かに丸くなったかもしれない。
私たちが変わってしまったのも彼女たちのせいだ。だから、彼女たちのいるあの場所へと向かおう。
「フラン、パチェの体調が回復したらある場所に皆を連れて行こうかと思うのだけど、貴女も来る?」
「ん!」
「そう、良い子ね」
レミリアは元気に頷くフランの頭を優しく撫でる。
(頭を撫でてあげるのも、もう何百年ぶりのことだろうか。彼女たちがいれば、随分昔に失った何かを取り戻せそうな気がする)
そんな思いを抱きつつ、レミリアはフランドールと共に立ち上がり歩みだす。パチュリーが介抱されているであろう部屋へと。
「全く、なんで新年早々私がこんな目に合わなきゃいけないわけ?」
「まぁまぁそう怒るなって霊夢。新年からおこりんぼさんだと小じわが増えるぞ?」
「霊夢が怒ると鬼になるからなー」
小じわという言葉に反応してジロリと魔理沙を睨み、鬼はあんたでしょうが! と萃香の頭をはたく。
「新年早々ごめんなさい。迷惑だから止めましょうと言ったのですが」
「全く、何が好きでこんな場所に来なきゃいけないのよ」
気にしなくてもいいのよと霊夢は申し訳なさそうにしている早苗に微笑み、嫌なら帰れとその隣にいるアリスに棘のついた言葉を投げかける。
「それにしてもこの炬燵だっけ? 河童が発明したこれすごい暖かくて気持ちいいな。私も一台作ってもらおうかな~」
「あんたの部屋はこんなモノを置くスペースなんて無いでしょう?」
「そう言うならアリスが掃除しにきてくれよ」
「嫌よ! 私はあんたの専属メイドじゃないんだからね?」
「いや待てよ、アリスにメイド服って似合うんじゃないか?」
「へ……?」
「絶対似合う。似合うよ。早速着てみよう!」
何だかよくわからない企みを始めている魔理沙と、何故か頬を紅潮させているアリスを他所に霊夢と早苗は炬燵でくつろいでいた。
「ハァ……炬燵は大分前に堀炬燵を使ってたけれど、火事になりかけたから埋めちゃったのよねぇ」
「あははは……私は『外の世界』にいる時はこうして炬燵を使ったことがないので、新鮮です」
霊夢は炬燵の暖かさに身を委ね、早苗は自分が元いた世界の出来事を思い出す。
「そういえば早苗は外の世界から来たんだっけ。もし良かったら外の話を聞かせてくれないか? 外の世界の鬼に関する話とかさ」
「そうですね、外の世界では鬼は語り継がれる存在で、赤鬼や青鬼なんかが一般的で、なまはげという存在も――」
外の世界がどんなものなのか、興味津々の萃香と、外の世界から幻想郷へ移り住んだ存在の早苗は和気藹々と話をし始める。そしてニヤニヤと笑っている魔理沙に抗議しているアリス。そんな様子を、霊夢は炬燵に入り込み仰向けになりながら視界の隅で捉えていた。
霊夢の心の中は、魔理沙たちが元旦に神社へ訪れた時から形の見えない何かが覆い始めていた。その形の見えない何かの正体は、憤り。
(お願い、今だけでいい、こんな気持ち考えたくない)
霊夢の心とは裏腹に、心の中ではふつふつと憤りが膨らみ始める。
(皆がここにいる。それだけで楽しいはずなのに、何が不満なの?)
自問自答をしてみても、返ってくる言葉は無い。
(この現状を認めたい自分と、認めたくない自分がいる……このままだと、私が私ではなくなってしまう)
膨らみ始め、いつ暴発してもおかしくない自分自身を、霊夢は必死で抑えていた。
「しかしホント、この博麗神社ってのはさ」
早苗との話が一区切りしたのか萃香は炬燵でくつろぎながら、いつものヘラヘラした表情とは違った感慨深い表情で一室にいる全員を見回し、呟いた。
「家、みたいな感じがするよね。それでここにいる皆が家族に思えてさ、昔を思い出しちゃった」
その発言を聞き、早苗も同じような事を考えていたと口に出そうとした時、霊夢の抑えていた憤りが、萃香の言葉を引き金に
「萃香、あんたそれ本気で言ってるの? ここが家? 冗談じゃないわ!」
爆発してしまった。溢れ出した言葉と感情は、もう止めることはできない。
「ここは博麗神社にして私の家なの! それなのに妖怪やら幽霊やら鬼やら天人やらが来るせいで賽銭はおろか、参拝客だってロクに来やしない!」
部屋にいた者は、霊夢の突然の怒りに呆然とする。
「……霊夢……その、ゴメン」
「霊夢さん、いくら何でも言いすぎじゃ……」
立ち上がり、声を荒げる霊夢に萃香は自分の発言が軽率だったと後悔し、早苗は霊夢の言葉に、違和感を感じた。あの霊夢がこの程度の発言でここまで怒るのかと。
「……もう、最悪……」
霊夢はそのまま、部屋から出て行く。出て行く間際に呟いた言葉は、誰にいうものでもなく消えた。
「霊夢!」
「霊夢さん!」
「止めな。追うんじゃない」
走り去った霊夢の後を追おうとする早苗と萃香を止めたのは、先ほどまでアリスと何やら話し込んでいた魔理沙だった。
「でも魔理沙、私は霊夢に言っちゃいけないことを言ったんだ。それを詫びにいく。だからそこを退いてくれ。退かないってなら無理やり通るよ?」
立ちはだかる魔理沙の前に、萃香が歩み出る。
「そういう意味で止めたんじゃない。お前の言ってることは正しいよ、萃香」
そっと萃香の頭に手を置き、優しく撫でながら魔理沙は笑った。
「な、何だよ魔理沙! 言ってることが正しいって、霊夢はあんなに怒って」
「怒ってたんじゃない。ただ照れ臭かっただけなんだ。だからあの言葉は照れ隠しなんだよ」
その言葉を聞き、困惑する萃香と早苗。ただアリスだけは、霊夢の心情を一瞬に見抜いた魔理沙を、少し悲しそうに見つめていた。
―あいつはいつも独りだった。だからこそ萃香に『家族みたい』と言われたのをあいつは喜んでる。
「何が家みたいよ……萃香のやつ、意味わかんない。やっぱり鬼の言うことなんて」
―あいつが怒ったのはさ、私たちに対してじゃなく
「……一瞬でも、あそこにいた皆が家族みたいに思えた自分が、一番意味わかんない」
―自分自身に対してなんだ。あいつは立場的なモノも含めてどこまでも中立でいなきゃいけない。それなのに私たちを家族だと認めてしまったら、霊夢は霊夢でなくなってしまう。私にはそう感じるんだ。
「こんな感情知りたくなかった! こんな感情を知るぐらいなら、いっそのことっ!」
「いっそのこと死んでしまいたい? それとも私たちを殺す? 霊夢」
「っ! 誰!?」
一室から飛び出した霊夢は、博麗神社の参道の脇道にて独りごちていた。その時、背後から急に問いかけられた霊夢は振り返ると同時に符を取り出し、構える。
「……紫?」
「貴女は自ら命を絶つことは許されないし、私たちを殺す権利はある」
霊夢の背後から現れたのは、ニッコリと微笑む紫だった。
「私は自殺なんてまっぴら御免よ。それにあんたみたいな妖怪、殺そうと思っても一筋縄じゃいかないんですもの。死ぬのかどうかすら疑問だわ」
「まぁ、霊夢に殺されるのはそれはそれでおもしろいかもしれないけどねぇ~」
棘のある言葉を投げかけても、紫はサラリと受け流す。
「それに何であんたまでここにいるの? ここは妖怪の来るところじゃ」
「妖怪が初詣に来たらおかしいのかしら?」
「質問を質問で返すなっ! もういい、話をしても無駄ね」
紫に背を向け、歩みだそうとする霊夢を
「つかまえた」
「なっ! 離せ……! 抱きつくなっ!」
紫は後ろから優しく抱きしめる。霊夢は言葉では嫌がっていても、抵抗する素振りを見せない。
「何をそんなにピリピリしているの? 人間と妖怪との中立の立場にいたはずなのにいつの間にか妖怪側に感情移入している自分が怖い?」
「……っ! そんなことは……!」
抱きしめながら、紫は耳元で囁く。その言葉は、心の底から霊夢の心情を案じていた。
「……私だって人間にも妖怪にも分け隔てなく接してきたつもりだし、これからもそれは変わらない。けれど、最近は妖怪のことを気にかけるようになってしまった」
「……」
霊夢の静かな告白に、紫は耳を傾ける。
「異変を解決するたびに何かが大変なことが起きるんじゃないかと不安になる。そしてきっといつの日か私一人ではどうにもできないような事が起こるかもしれない。そんな事を考えると……魔理沙や萃香たちの顔が思い浮かぶのよ!」
「……」
霊夢は、怖かったのだ。
「いつか今の日常が突然壊されるんじゃないかって! 皆が目の前からいなくなってまた私を一人にしてしまうんじゃないかって……!」
「……」
そんな時、萃香の言葉が胸にストンと落ちた。
「楽しんでる自分がいた! 参拝客も滅多に来ないけど、あんたたちが神社に来る日常を楽しんでる自分が……。そしてその楽しさを知っていつか来る『終わり』に怯える自分自身に、いつの間にか腹が立つようになっていた」
「……」
―ここにいる皆が家族に思えてさ
「嬉しかった……萃香のあの言葉が。でも、でもやっぱり……って、紫?」
「スー……スー……」
先ほどまで霊夢の告白を聞いていたかのように見えた紫は、霊夢の耳元で寝息を立てていた。
「っ……はぁぁぁぁ……ホント信じらんない、人の背中に抱きついといて寝る妖怪なんて聞いたことないわよっと!」
霊夢は文句を言いつつ、少しかがんで紫をおぶる。
「ん~むにゃ……」
「紫、あんたくっちゃ寝しすぎて太ったんじゃない?重いわよ、全く」
紫をおぶりながら、霊夢は歩き出す。魔理沙たちがいる部屋へと。歩き始めて、霊夢は懐かしい感覚を思い出していた。
―おかあさん、だっこ、だっこ
―はいはい、だっこ、だっこ
―きゃっきゃっ
―ほら、暴れないの。家までもう少しだからね、霊夢―
「……家族……か」
その呟きは、誰に聞こえることもなく風に流されていった。
その歩き出した姿を遠くから眺めていた二つの影が、大きく安堵のため息を漏らした。
「ハァァ……一時はどうなることかと……紅白の巫女を挑発してホントに勝負挑まれたらどうするつもりだったんだ、紫様」
「でもあんな風に話す紫様、初めて見ましたよ藍様! これが俗に言う『愛』というやつでしょうか!」
「うむぅ、そうかもしれん……ってあ、あああああいい愛愛!? ちぇ、橙そんな言葉をどこで!」
「あ、何だか楽しそうな気配! 藍様行きましょう!」
「あっ! こら待ちなさい橙! 愛というのはどこで……はっ! また紫様か! また橙に良からぬことを! 紫様ー!!」
駆け出す二つの影。部屋に向かう霊夢と紫、そして部屋にいる魔理沙たちは二匹が向かってくることなど知る由も無かった。
「さっきは……その、ゴメンナサイ。ちょっと腹の虫の居所が悪かったみたいで」
「ううん、こっちこそゴメン、軽率な発言して。でもさ、何で霊夢が紫をおぶっているんだ?」
部屋へと戻り、心配そうな表情をしている4人に、霊夢はペコリと頭を下げ、何故紫がいるのか事の顛末を話し始めた。勿論告白した内容は伏せて。
「そういうことだったのか。それよりもさ、私たち以外にもお客さんが来ているよ」
萃香がそう言って部屋の奥に目線を送ると同時に霊夢もそこを見ると
「霊夢ー! 炬燵で足絡ませようよー!」
キャッキャとはしゃぐレミリアに
「お嬢様、はしたないですよ!」
注意をしながらも炬燵の中でレミリアと足を絡めている咲夜と
「やっぱり炬燵にはみかんが最高ですぅ~」
人の家のみかんをまるで自分のもののように食す美鈴に
「あ、紅白邪魔してるわよ」
人の名前もロクに呼ばないパチュリーがいて
「んっ!」
「こらあんた! 魔理沙にくっつきすぎじゃない!」
「いででででで! 腕を左右から引っ張るなって! ちーぎーれーるー! おい霊夢! 見てないで助けてくれ! 腕が! 腕がぁ!」
フランとアリスに両腕を引っ張られている魔理沙、そして
「楽しそうな気配! 私も混ぜて~あ、炬燵! 入る~!!」
楽しそうな気配を嗅ぎつけてやってきた橙に
「橙はどこだ! 橙ー! ここか!?」
「キャアッ! 何で私のスカート捲ってるのよこのバカ九尾!」
炬燵に潜り込んだ橙の姿を探し、部屋の入り口に近かったアリスのスカートを捲りだす藍。
ドッシャンガッシャンと今日も博麗神社は
「お前ら……全員即刻ここから出て行けーーーー!!」
平和です。
エピローグ
「ねえ霊夢」
「何よ」
満月の光が、霊夢と紫を儚げに照らしていた。他の連中はどんちゃん騒ぎと酒のせいで既に寝入っている。
「確かにあなたの言うとおり、始まりがあれば終わりがある。けれど、これだけは忘れないで」
「なっ……! 紫、あんたあの時起きて――!」
その言葉を遮るように、紫は正面からギュッと霊夢を抱きしめ、耳元で囁いた。
「あなたは、一人ぼっちなんかじゃない。無理に中立であろうとするから貴女は自分自身の首を絞めてしまうの。今までどおり、自由に生きていけばいい。そうすればきっと、自然と中立になれる」
紫は霊夢の背中を、優しく、トントンと叩く。母が子を落ち着かせるように。
「それにね、この博麗神社だけじゃなくて……幻想郷そのものが家で、貴女を含めた皆が、私にとっては家族のようなものだから」
その言葉に、霊夢は瞳に涙を溜めながら
「……ありがとう……紫」
と、一言呟いた。
炬燵と家族 END
けど、2回目の神社のシーンから萃香の名前が翠香になってます。
なんかそんな気分になってしまったよ
まぁあれはテンションが高い時だけと考えればあるいは…
家族団欒は炬燵と共に