Coolier - 新生・東方創想話

主従の在り方

2010/01/19 22:58:20
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 その日の昼も、八雲家には普段通りの光景が広がっていた。
 居間の炬燵に陣取っては冬の昼下がりを遊惰に過ごす紫と、そんな主とお茶をすすりながらも掃除を欠かさない藍。新年を迎える準備やら何やらで忙しい日々が過ぎ去った後の、いつもと変わらない日常。それを打ち破ったのは、唐突に響いたノックだった。

「来客ですかね? ちょっと見てきます」
「あー藍来る時みかんもってきてー」
「そのくらいご自分で取りに行ってください」
「もう、つれないわねぇ」

 炬燵にもたれかかった紫を適当にあしらって、藍は玄関へと向かう。残された紫は体を起こすと、スキマを使って台所から調達した蜜柑を鉢に盛り上げ始めた。外の世界ではやたらと「盛る」のが流行っているようだし、どうせならもっと芸術的に盛ってみようか、などと考えながら調子に乗って溢れるくらいに蜜柑を盛っていると、先程玄関を見に行った藍が少し慌てた様子で帰ってきた。

「あら、早かったのね」
「紫様、聖白蓮という方が頼みたい事があるとおっしゃっていますがどうしましょうか?」
「ああ、里の近くに来たっていう寺の人ね。とりあえず話だけでも聞きましょうか。呼んで頂戴」
「わかりました。ちゃんと蜜柑片付けておいてくださいね。そもそも食べ物で遊んでは」
「はいはい、わかってますよーだ」

 呆れ顔で再び玄関へ向かった藍を見送りながら、紫は今日はじめて真面目な顔をした。
 新顔が挨拶にやってくるなんて碌な事がない。少し前にやってきたちびっこ吸血鬼は「紅茶がないなんて有り得ないわ」などとぬかす生意気なガキんちょだったし、この前山の神が遣いによこした風祝は藍を見て「わっ、もふもふだ! すみません、ちょっと触ってもいいですか?」などと口走る妙な少女だった。だから、今回の尼さんもきっと変な奴なのだと思う。正直相手をするのも面倒だが、私を頼りにしてやってきた者を追い返すのは流石に気が引ける。適当に話を聞いてやればいいか。紫がそんな事を考えているうちに、藍が二人の女性を連れて戻ってきた。
 落ち着いた雰囲気を纏った女性の後ろに、少々おどおどした様子の女性がついてくる。おそらく落ち着いているほうが白蓮で、その後ろは彼女の従者か何かなのだろう。紫がそう考えているうちに白蓮と思われる女性は恭しくお辞儀をし、柔らかな口調で挨拶をはじめた。

「はじめまして、八雲紫さん。私、先日里の近くに寺を建立させていただいた聖白蓮と申します。ご挨拶に伺うのが遅れてしまって申し訳ありません」
「これはご丁寧にどうも。これからも宜しくお願いしますね、白蓮さん。さ、お座りになって? ああ、そちらの方も。さて、早速ですけど今日は私にお話があるそうで」
「はい。あの、突然なのですが……うちの星に主の在り方を教えていただけないでしょうか?」
「は、はい?」
「ああ、すみません、これでは分かりませんよね。こちらが星です。ほら、ご挨拶して?」
「は、はじめまして、寅丸星です。宜しくお願いします」
「ええ、宜しく。それで、星さんに何でしたっけ?」
「星に主としてどうあるべきかを教えてやってほしいのです。こう見えて彼女はうちの寺で毘沙門天の代理をしているのですが、どうにも頼りなくて。一応従者もいるのですが、とにかく彼女には威厳がないんです。そんな折、幻想郷で最も素晴らしい主は紫さんだと聞きまして」

 白蓮は真剣な表情で説明を始める。それを聞いているうちに、紫の顔は真面目な様子から胡散臭い笑みに変わっていた。
 どんな頼みかと少し心配したが、そんな事か。いい退屈しのぎになりそうだし、受けてやるか。今日は厄介な用事が残っているから一日中遊んでやるわけにはいかないけど、頃合を見てお開きにすれば問題ないだろう。
 それにしても私に主従の在り方を聞きに来る者がいるとは思わなかった。いったい誰が教えたのだろう。まあ、幻想郷にやってきて最初に会ったのはいつもの二人だっただろうから、きっと悪戯好きな魔女が悪ふざけで教えたのだとは思うけど。
 表情を扇で隠しながら、紫は白蓮の言葉に答える。もちろん、扇の下には例の胡散臭さを貼り付けて。

「なるほど、それで私の所に。ええ、任せてください。私などがお力になれるのなら、いくらでも協力いたしますわ。善は急げと言いますし、今日星さんをお預かりしましょうか?」
「ありがとうございます! それでは、早速ですが宜しくお願いします。星、しっかりね」
「は、はい」
「それじゃあ藍、白蓮さんをお送りして」

 白蓮がすっと立ち上がるのにあわせて、藍は立ち上がり彼女の後ろについて玄関へと向かった。それを見送りながら、紫は一人取り残された星を一瞥する。
 その表情は固く、視線は下に落とされたまま定まることなく辺りをくるくると見回している。身を強張らせ、微かに震える様子から、相当緊張している事が見て取れた。そんな様子を見て紫は意地の悪い笑みを浮かべたが、流石にそのままでは彼女を刺激しすぎてかわいそうだと思ったのだろうか、すぐにその笑顔を親しみやすいそれに変えて星に微笑みかけた。

「改めて宜しくね、星。少し貴女の話を聞かせてもらえるかしら? 最近こちらに来た事くらいしか分からないから」
「よ、宜しくお願いします、紫さん。以前から私は聖の下で毘沙門天の代理をやっていました。幻想郷に来たのは、封印されてしまった聖を助けるためで」
「封印? どういう事?」


 それから星は紫に自分達の事を全て話した。白蓮が封印された時、多くの仲間も地底に封印された事や、自分は皆を助けたいという思いを堪えて聖の願いであった毘沙門天への信仰を守り続けようとしていた事。その時に支えてくれたのが、今も従者をしてくれているナズーリンである事。それら全てを話し終える頃には、白蓮を送っていった藍も戻ってきていた。

「そう……色々あったのね。藍、貴女も頑張りなさい」
「どうしてそこで私に振るんですか。自分で言うのも何ですが、私は今でも十分頑張っているつもりですよ」
「そうかしら? そんなに言うならせめて油揚げの衝動買いくらい何とかしてくれないかしらねぇ」
「そ、それはまた別の話です! あれは最早本能がさせることでして意識ではどうにも」
「あの……ちょっといいですか? せっかくですし、紫さんに色々とご教授していただきたいんですが……」

 星の言葉に蜜柑を剥いていた紫の手が止まった。待ってましたと言わんばかりににんまりと笑いながら星の方を向き、大袈裟な素振りで扇を開いてみせる。きょとんとしている星に構わず、彼女はわざとらしい口調で話し始めた。

「ふふ、その言葉を待っていたのよ。星、気づいていないでしょうけれど私のレッスンは既に始まっているのよ!」
「ええっ!? ほ、本当ですか?いったいどんな……」
「では分かりやすくしてあげましょう……藍」
「はいはい」

 紫が藍に目配せすると、藍は炬燵から抜け出して紫の後ろに回り、彼女の肩を揉み始めた。
 何が起こっているのか理解できていない星を置き去りにして、紫は心地良さそうな表情を浮かべている。

「あ~やっぱ藍うまいわ~さいこ~」
「ええと……紫さん、これはいったいどういう教えなのですか?」
「簡単よ。ずばり、主は常に従者に対して優位であれ、ということよ。主たるもの、常に従者より低い立場に立ってはいけないわ。たとえそれが精神的なものであってもね。私くらいの立派な主になれば、こんなふうに何も言わなくとも従者に命を与えることができるわ」
「な、なるほど。勉強になります」

 真面目な顔で話を聞いている星を見て吹き出しそうになりながらも、紫は威厳のある表情を崩さなかった。藍は藍でやれやれ、といった様子の表情を浮かべていたのだが、懸命に紫の言葉をメモしている星には見えるはずもない。
 彼女が書き終えるのを見届けて、紫はすっと手を上げた。それに合わせて藍は立ち上がり、それぞれの湯呑みにお茶を注ぎ始める。その様子に感動しているのだろうか、目を輝かせて見ている星、それが面白くて仕方ないといった様子でニヤつきながら彼女を観察している紫、そして急須を置き、少し困ったような表情を浮かべつつも楽しそうに微笑みながら蜜柑に手を伸ばす藍。三人は三人とも違うことを考え、違う表情をしていたが、その時の八雲家はどこか和やかな雰囲気に包まれていた。



 しかしながら、そういう時間は得てして長く続くものではない。この時も例外ではなく、ニヤついて次の作戦を考えていた紫が不意に真剣な表情に変わった。それはほんの僅かな時間であったから星は全く気づいていないようだったが、藍は主の変化を敏感に感じ取っていた。
 その直後、紫は立ち上がり、何も言わずに自室へと歩いていってしまった。星は何が起こったのかわからず、ぽかんとした表情のまま固まっている。そんな彼女に、藍が申し訳なさそうに声をかける。

「星、すまないが今日のレッスンはここまでだ」
「えっ!? あの、私何かいけない事をしてしまいましたか? 紫さんを怒らせてしまったりしたんでしょうか……」
「違う違う、そう簡単に怒る人じゃないよ、紫様は。そもそも、このレッスン自体紫様の暇潰しみたいなものだったし」
「ど、どういう事ですか!? まさか、真の主の道とはこんなものよりもっと険しいのですか!?」
「いやいや、そういうことではなくてだな……」

 藍は腕組みしたまま唸り声をあげている。
 彼女は星に本当の事を伝えるべきか迷っていた。確かに、このままずっと星に何も伝えないのは流石にかわいそうだ。けれども、今までのレッスンが紫のお遊び兼仕事までの暇潰しでしかなかったと知ったら、彼女はがっかりしてしまうだろう。彼女は紫が良き主であると信じ込んでいるし、いきなり全てを伝えるのはショックが大きすぎる。
 迷いに迷った挙句、藍は星に全てを伝え、加えて自分の考えも話してやることにした。そうすれば、彼女も主従の関係について何か分かるかもしれないから。
 星のほうに向き直り、藍は静かに口を開く。

「星、落ち着いて聞いて欲しい。他でもない、紫様の事なんだが……あの人は、良き主のお手本なんかじゃないんだ。もちろん、いい加減な気持で白蓮さんの頼みを聞いたわけではない。ただ、主従にも色々な関係があると」
「なるほど! 敢えて我侭な主を演じることで紫さんは『傲慢な主になるな』という事を私に示してくださったんですね! さすがです!」

 星の言葉を聞いて藍は軽くずっこけた。炬燵に座ってはいたが、彼女は頭の中で確かに、それはもう見事にズズっとこけた。
 色々話してやろうとしていた藍だが、彼女のあまりのマイペースぶりに正直面倒くさくなってしまった。
 予定とは違うが、自分が言おうとしていた事から逸れてしまっているわけではないし、特に修正することもないだろう。昔の自分ならまた一々訂正していたのだろうが、主の影響なのかそういう事も柔軟にこなせるようになってよかった、などと考えながら藍は苦笑いを浮かべる。

「ま、まあそんな所だ。そこで、私に紫様のお考えを補足させてほしいんだが、いいかな?」
「ええ、宜しくお願いします」
「星、紫様の肩を私が黙って揉んでいた時お前はどう思っていた?」
「ええと、合図だけで命を伝えられるなんてすごいなあと思ってました」
「では、もしもお前が紫様に命令されていたとしたら何か不満を感じるかな?」
「そうですね……やはりいきなり命令されるのは困りますね」
「そうだろうな。だが私は特に何も感じずに命に従った。さて、私の場合とお前の場合、両者の決定的な違いは何だと思う?」
「うーん……あっ! 信頼の度合い、ですか?」
「ああ、その通りだ。紫様が示してくれたように、主従の関係はただ一つに決められるものではない。主と従者の間に信頼がある限り、それは立派な主従なんだよ。お前の従者はいつもお前を助けてくれると言っていたな。それはお前を信じているからさ。従者が見ていてくれるんだ、多少失敗があってもいいじゃないか。従者に信頼されているんだから、お前も立派な主だよ」


 藍の頬はいつの間にか紅くなっていた。話をするうちに、自分と紫の事を考えていたのだ。
 周知の事実ではあるが、八雲紫はいい加減な性格である。誰かを困らせてはそれを見て喜んだり、自分の思いつきに誰かを巻き込んだりするのは日常茶飯事であり、その被害を最も多く被ってきたのは彼女の式である八雲藍に他ならない。毎日だらだら過ごそうとする紫に喚起を促し、また時には無茶振りを受けながらそれでも藍が今まで懸命に様々な点において紫を支えてきたのは、二人の間に何事にも代え難い信頼が築かれていたからである。
 信頼があるからこそ我侭も聞き、信頼があるからこそ無茶振りにも応える。厳密に言えば紫と藍の関係は主従とは少し違うのかもしれないが、二人の関係は確かに信頼に満ち溢れている。お互いがしっかりと結ばれていれば、自然とお互いの関係もよくなっていくものなのだ。
 紫の意思を汲みながら星に話をしたことで今まで気にも留めていなかった自分と紫との厚い信頼を改めて感じた藍は、恥じらいと誇らしさが入り混じったような表情で微笑んだ。


 藍の話を頷きながら聞いていた星だが、急に「あっ」と声を漏らした。
 藍のおかげで主従についての答えは何となく見えてきたが、紫はどこへ行ってしまったのかという疑問が再び彼女の心に浮かんだのだ。
 しかし、うっかり声を出してしまった事を彼女は後悔した。藍がそれに気づけば、その事を彼女に聞かなければならないからだ。確かに、紫が消えた理由を聞いてみたい気持はあった。しかし、それは彼女個人の事情であり、あまり立ち入った事を聞くべきではないと思った星は口をつぐんだ。
 そうしていると、今度は藍が口を開いた。どうやら、星の様子から彼女が尋ねようとした事を読み取ったらしい。

「そうだ、せっかくだから帰る前に少し付き合ってくれないか? 見せたいものがあるんだ」
「えっ? あ、はい、わかりました」

 では、と言いながら藍は居間を出て家の奥へと入っていく。慌ててそれについてくる星の姿があまりに幼く見えて、藍は思わず笑ってしまった。
 きっとこれが彼女の魅力なのだろう。もしかしたら、彼女の従者もこういう可愛らしい様子を見て助けてあげたいという願望に駆られているのかもしれない。そんな事を考えながら、藍は紫の寝室へと向かった。



 暫く歩いた後、藍はぴたりと止まった。どうやらそこが紫の寝室らしい。星が緊張して息を呑む中、藍は星のほうに向き直し、襖に手をかけながら静かに言う。

「星、今日は特別に我が主の立派なお姿を見せてやろう。紫様は大事なお仕事の最中だから、くれぐれも静かに頼むぞ?」
「は、はいっ」

 星の返事は上ずっていた。やれやれ、と溜息を吐きながら藍は音も立てずに襖を開ける。
 そこには、星の見た事もない世界が広がっていた。

 部屋の中心に紫が座り、彼女の能力といわれるスキマを手元に広げている。その横顔は星が今までで見た誰のものよりも鋭くかつ穏やかだった。手元が忙しなく動いているあたり、スキマの先で何らかの作業をしているようだ。
 星が見とれていると、いつもの軽い口調で紫が話しかけてきた。

「ふふ、もっと近くで見てみる? この幻想郷を護る仕組みを」
「えっ? あ、あの、いいんですか?」
「ええ、いらっしゃい。あんまりレッスンしてあげられなかったから、今日は特別よ」

 星が藍のほうを見ると、彼女は黙ってこくりと頷いた。それに促されるようにして、星は紫の傍に静かに歩み寄っていく。

「さあ、御覧なさい。これがこの世界を保っている結界よ」

 紫の肩越しにスキマの中を覗くと、その奥に淡い青色が薄く広がっているのが見えた。その中に赤い部分が点々と存在していたが、そこに紫が手をかざして力を込めると次第に周りの青と調和していき、やがて目立たなくなっていく。
 その様子を見て、星は思わず溜息を漏らした。幻想郷には結界が張ってあり、その管理を紫が行っているという事くらいは彼女も聞いていたが、結界がこんなに綺麗な色をしているとは思ってもいなかった。
 そうしているうちに、紫の修復作業は終わっていた。未だ結界を見つめて目を輝かせている星に、少し呆れたような声で紫が訊ねる。

「あのー……終わったんだけど、閉じてもいいかしら?」
「あ、ああ、すみません。つい見入ってしまって」
「いいのよ、確かに綺麗よね……ふぅ、これで今日のお仕事はおしまい」

 紫は小さく伸びをしていた。何でもないように作業をしていたが、やはり流石の彼女も疲れるようだ。

「お疲れ様です。やっぱり結界の管理って大変なんですね」
「まあ、仕事だからね。それに」

 紫が言葉を止めたのとほぼ同時に、藍が紫に何かを手渡した。どうやらそれはアイスクリームのカップだったようで、紫はうれしそうにそれを食べている。星には彼女がいつ出ていき、また戻ってきたのか全く分からなかったが、藍がものすごく気の利く従者であることを改めて実感した。

「そうそう、それに私にはこんなにいい式がいるしね」
「いくら褒めてもアイスは一日一個ですからね。それと、スキマ越しでないほうが早く終わるんですから直接修復する場所に行ったらいいじゃないですか」
「だって行くのめんどくさいんだもん」
「子供みたいなことおっしゃらないでください、星もいるんですから」
「いえ、そんな。寧ろお二人のありのままの姿が見られて、私本当に勉強になりました。主従は信頼あればこそ、ですよね?」
「ええ、そうよ。そうだ、星もアイス食べる?」
「ええ、いただきます」
「じゃあここにずっといるのも何ですし、居間に戻りましょうか」
「そうしましょう。藍、とりあえずは」
「お茶ですよね。紫様の好みくらい覚えていますよ」
「ふふ、頼もしいわね」

 二人のそんな様子を、星は羨ましそうに見つめていた。
 彼女は、未だ自分に自信を持つことが出来ずにいたのだ。紫のおかげで、主従に一番大切なのはお互いの信頼であることは分かった。しかし、信頼されるにはそれに足る何かが必要である。それは頼もしさであったり、所謂カリスマであったりするが、星はそういったものが自分にはないと感じていた。そんな魅力のない主に無理矢理仕えるのは、従者であるナズーリンにとっては苦痛ではなかろうか。それでなくとも彼女には色々迷惑をかけてしまうのに、こんな奴が主でいいのだろうか。
 そういった疑念が彼女の心に渦巻いていたから、居間でアイス片手に談笑していてもその場の和やかな雰囲気にうまく溶け込めずにいた。
 そんな星の様子に気づいたのだろう、紫が優しく声をかけてきた。

「星、もしかして貴女まだ自分に自信を持てずにいるの?」

 紫の鋭い指摘に星は少し怯んだようだが、彼女の表情を見れば落ち込んでいる事くらい誰にでも分かる。そして彼女は主であることの悩みに対する答えを提示されて尚元気を取り戻せていないのだから、その答えが自分に当てはまらないと考えているであろう事は想像に難くなかった。
 少し間を空けて、星は静かに暗い口調で話し始めた。

「私、やっぱり主なんて出来ません。だって、私には信頼してもらえるような強みなんてありませんから。こんな駄目な主の下で働くだなんて、ナズーリンがかわいそうです。それじゃいけないと思って紫さんに相談に来たんですが、結局私は変われそうにありません。頑張ろうとすると、決まっていつも失敗してしまうし、皆に迷惑かけて……うぅ」

 ついに星は泣き出してしまった。俯き、その頬には雫の跡が見える。そんな様子を見て、紫は溜息を吐きながらも彼女の傍へいき、優しく抱きしめてやった。そして星の頭を撫でながら、柔らかな口調で彼女を宥める。

「星、貴女は変わる必要なんてないのよ? だって貴女はもうこんなにも魅力的でしょう?」
「……そんなこと、ないです。私は何をやっても肝心なところで失敗するし、堂々と人を引っ張っていくリーダーシップだってないし……駄目な奴なんです、私は」
「そういうところが魅力だって、思ったことはない?」

 紫の言葉に、俯いていた星は思わず顔を上げた。彼女のかけてくれた言葉があまりにも予想外の事だったため、びっくりしたのだった。
 そんな彼女に優しく微笑みを返し、紫は続ける。

「確かに、貴女は失敗をしてしまうかもしれない。けれど、それをいつも悔いているという事はそれだけいつも一生懸命であるって事でしょ? そういう人は自然と助けてあげたくなるものよ。それに……まあ貴女の従者がそう思っているかは分からないけど、一生懸命やって失敗しちゃうところが可愛い! っていう人もいるの。まあ今のはどうでもいいとして、貴女みたいな頑張り屋さんに愛想を尽かしたりするわけないじゃない。貴女が失敗をした時、その従者は何かしてくれるでしょう?」
「ええと……一言二言皮肉を言った後、すぐに助けてくれます」
「ほら、やっぱり貴女には魅力があるのよ。皮肉を言ったりするのも信頼のうちだわ。だから、貴女は自信を持って主として頑張りなさい。きっと失敗もいっぱいしちゃうだろうけど、それを補うのが従者であり、それも含めて主従の信頼よ」
「……はい! 紫さん、本当にありがとうございました。今日は本当に、本当に勉強になりました!」

 星の顔は晴れ渡っていた。その表情にはもう先程の曇りは見えない。眩しいくらいの笑顔を見て、紫もうれしそうに笑っている。


 そんな折、玄関のほうで藍が星を呼ぶ声がした。なんでも、夜遅くなってしまったから白蓮が迎えをよこしてくれたらしい。外を見てみると、確かに辺りは暗く、空には月が昇り始めていた。

「それでは紫さん、失礼致します。何度も言ってしまいますが、今日は本当にありがとうございました」
「いえいえ、どういたしまして。従者の子と仲良くね」
「はい。また近いうちにお礼に伺います。それでは」
「ええ、またね」

 紫に挨拶をして、星は玄関へと急ぐ。
 誰が迎えに来てくれたのだろうかと考えながら小走りで進んでいった彼女は、そこで待っていた人物を見て思わず「あっ」と声を漏らした。

「お疲れ様です、ご主人様。さあ、帰りましょう。藍さん、主がお世話になりました。紫さんにも宜しくお伝えください。では、私共はこれで」
「ああ、またいつでも来い。お前達なら紫様も歓迎なさるだろうから。星、頑張って」

 別れ際に声をかけてくれた藍にぎこちなくお辞儀をして、星は迎えに来たナズーリンの先に立って八雲家を出た。


 ナズーリンが迎えに来ると想像していなかったわけではない。しかし、いざ実際に彼女を目の前にした星の心は大いに乱れていた。
 主としての在り方は教わった。自分がこのままでいい、無茶をすることはないという事も分かっている。しかし、こうして彼女を見ると何故か緊張してしまって仕方がない。主が絶対的であるのがよき主従関係ではないとわかってはいたが、どうしてもやはり自分の不甲斐なさが心の片隅に残っている。そうしていると、先程紫に言われて消し去ったはずの想いが再び湧き上がってきてしまう。本当に、自分は彼女の主でいいのだろうか、また彼女はそれで幸せなのだろうか。考えれば考えるほどこの疑念は心を蝕み、そのせいで星はこれまで一度もナズーリンに言葉をかけられずにいた。
 そんな時、ナズーリンが二人の沈黙を破った。もしかしたら、彼女もこの雰囲気が息苦しかったのかもしれない。その口調は何でもないといったふうのものであったが、どこか心配を隠しきれないようでもあった。

「それで、どうだったんです? 主としての在り方、勉強になりました?」
「え? え、ええ、まあ少しは」
「ふふ、緊張でもしてるんですか? 声が上ずってますよ」
「べ、別に緊張だなんて」
「まあ八雲紫のような主になるなんて、ご主人様では一生かかっても無理でしょうけどね」

 ナズーリンの言葉を聞いて、星は歩みを止めた。
 この言葉をきっかけに、彼女はナズーリンに核心を尋ねる決心をした。
 紫はああ言っていたが、自分の失敗を補うのは苦痛である、というのがナズーリンの本音だという可能性も否定できない。もしもナズーリンが従者の定めとして仕方なく従っているのだとしたら、それほど辛いことはない。彼女のためにも、本当の気持を確かめなければならないのだ。

 主が数歩後ろに立ち止まっているのに気づき、心配そうな顔をして戻ってきたナズーリンに星は何かを堪えるような表情で訊ねた。

「ナズーリン、私は主に向いていると思いますか?」
「えっ? ご主人様、それはどういう……」
「私は駄目な奴です。失敗ばかりして、貴女にもたくさん迷惑をかけてしまっています。貴女を引っ張っていく魅力もないし、本当にどうしようもない奴なんです。そんな私の従者でいるのは辛くありませんか? 私は貴女に重荷なんて背負ってほしくありません。もし貴女が辛いと感じているなら、貴女のためにもいっそ従者を辞めてほしいんです」
「ご主人様……」
「……すみません、ナズーリン。駄目な主で、本当にごめんなさい。私みたいな奴の従者でいたいはずがありませんよね。本当に、だめで……」

 それ以上星は言葉を発することが出来なかった。今の彼女にはその場にしゃがみ込み、身体を震わせることしか出来ない。
 星は昔から泣き虫で、こういう場面は何度も経験してきた。色々伝えたい言葉があるのに、涙ばかりがどんどん溢れてくる。そんな不甲斐ない自分をナズーリンに見せてしまったことで、彼女の心はいっそう沈んでいく。
 彼女の心には、もはやたった一つの思いしか残っていなかった。

 ほんとうに、わたしはだめなやつだ。


 ナズーリンは星のそういう所をよく知っていたから、彼女が本当に悩み苦しんでいることも理解していた。
 どうしてこの人は自分を過小評価するんだろう。一生懸命頑張っているのは皆分かっているんだから、もっと気兼ねせずに私を頼ってくれればいいのに。そんな事を考えながら、彼女は軽く溜息を吐き、星に背を向けた。そして、少々わざとらしい口調で語り始める。

「主に向いているかという質問の答え、それはやはりノーにせざるを得ないね。君は失敗ばかりするし、主としての威厳なんてあったもんじゃない。とてもじゃないが、典型的な主になんか向いているはずがないさ。ただ……それはあくまでも典型的な主に関しての話だ。もし仮に、君の従者になれてよかったかという質問をされていたならば、私は迷わずイエスと答えていただろうね」

 ナズーリンの口調は静かであったが、それでも俯いた星の心に再び光を差すのに十分だった。少し頬を紅潮させながらも、ナズーリンは後ろを向いたまま続ける。

「君の素晴らしさは、おそらく長く一緒にいた者にしか分からないだろう。大抵の人は君の失敗という結果にのみ着目し、普段の君を見ようとしないから。だが、私は知っているつもりだ。君が毎日どれだけ努力しているか。あんな努力は並大抵ではできるものじゃない。なのに、君はいつも弱音を吐かず懸命に頑張っているだろう? そういう姿を見ていると、なんだか心が温かくなってくるんだ。そして、自然と君を助けてあげたくなるんだよ。まあ小言を言うのは私の趣味だからやめる気はないがね」
「ナズーリン……」
「まあ、そういうわけだから、私は君の従者になれて本当によかったと思っているよ」

 そう言うと、ナズーリンはくるりと回り、星に手を差し出した。

「私が従者で、貴女が主人。しっかり頼みますよ、ご主人様」
「……ええ、頑張ります。もしもの時はよろしくお願いしますね、ナズーリン」

 頬の雫を拭いながら、星は差し出された手を満面の笑みで握った。お互いの手は冬の寒さで凍えていたが、それぞれの手は不思議と柔らかな温もりを感じていた。
 

 
 
 帰り道、星の心は幸せでいっぱいになっていた。

 私はおそらく典型的ないい主にはなれないけれど、それでも彼女は従者になれてよかったと言ってくれた。これ以上うれしいことがあろうはずがない。
 私は今日、色々な人に教えられた。紫さんと藍さんからは信頼の大切さを、そしてナズーリンからはその形を。
 きっとまた私はいつか自信をなくしてしまうだろう。そしてまた、「私は駄目な主で」などと言い出すのだと思う。こればかりは私の性格がそうさせるものであり、どうしようもないことだ。しかし、ナズーリンが傍にいてくれたら、そんな事態もきっとまた上手く乗り切れるだろう。
 彼女には本当にどれだけ感謝しても足りない。彼女がいてくれなければ、私はここまでやってこられなかっただろう。いつまでも彼女が従者になれてよかったと言ってくれるように、これからも一生懸命頑張ろう。そんな事を考えながら、星は軽やかな足取りで家路に就くのだった。

 もちろん、隣をうれしそうに歩いていく彼女の大切な宝物に寄り添いながら。
 
 
投稿が久々すぎて最初passを入れ忘れました、でれすけです。やはりしばらく投稿しないと勝手を忘れてしまいますね。
間が空いてしまいましたが、これからも宜しくお願いします。
でれすけ
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12.100名前が無い程度の能力削除
歪みねえな
17.100マイマイ削除
ああ、全くだ
19.90名前が無い程度の能力削除
清々しい直球だ
22.100名前が無い程度の能力削除
ストライクだ
28.100ずわいがに削除
おショウさんの空回りっぷりww
だ が そ れ が い い