「この歴史を、隠して」
掠れた声でそう懇願された。
特別変わった日ではなかった。
今日は寺子屋も休みで特に他の急用があるわけでもなく、朝から私は暇を持て余していた。別段、これといった趣味らしい物を持たない私は、今日のようにぽっかりと予定が開いてしまった日は、どうしたらいいか悩むことが少なくない。習慣のように朝早くに起きてから、そのことに気づきついぼんやりとしてしまった。
さてどうしようか、としばし思い悩んだところ不意に思い付く。
――妹紅のところでも尋ねてみようか。
そういえばここ数日は妹紅が尋ねてくることも私が尋ねることもあまりなかった。何か大事があったとか、会えない理由ができたなどと、そういう込み入った事情があったわけでもなく、たまたまではあったのだが、それでもかなりの頻度で会っていた人物と会わないというのは、どこかしこりのようなものができてしまう。
これは丁度いい機会だ。
思い立ったが吉日、とばかりに、さっそくは私は外出の準備を手早く済ませ家を出た。
妹紅の住処は迷いの竹林にある。
里からは少しばかり遠い、永遠亭を擁するこの竹林。常に霧が立ち込め、竹の成長や数多の傾斜で方向感覚を狂わせ、人を惑わせる。彼女は最近、この竹林で迷った人の案内や護衛をしているらしい。
それによって齎される感謝の心は、不老不死故か見た目に反して厭世感を持つ彼女の生きがいとなっているとのこと。
妹紅からそれを聞いたときは素直に嬉しく思いつつも、少し寂しくもあった。彼女の数少ない友人だと思っている私としては、それ以来あまり彼女が私と一緒にいることが少なくなることが、若干おもしろくなかったのだ。
とはいえ嬉しく思ったのも事実。不老不死という私には理解できない理の中に住む彼女の口から、生きがい、などというある意味最も遠い言葉が出たことがひどく嬉しく思えたのだった。
そんなことをつらつら考えつつ歩いていると、竹林の間にひとつ、茅葺きの家が見えた。
妹紅の家である。
小さいながらもひとりで住むには充分な大きさを持った家が、竹林の中にぽっかりと立つ。
探るでもないが、何となしに家の周りを見てみても、囲炉裏の煙も出てないし、窓の立て板も開いていなかった。そういえば私にとってはそれほど早い時間帯でもないが、辺りはまだ早朝といってもいい時間だ。妹紅も起きていないのかもしれない。
ちょっと早く来すぎてしまったかな、と思いつつ近づく。
「妹紅、起きているか?」
杉の戸を二三度叩き、軽く声をかける。応答はない。中で人が動いている気配もない。
やはり寝ているのだろうか、と考えながらもう一度。
「妹紅、私だ、慧音だ。起きているか?」
返事はやはりなかった。
さすがに時間帯が悪かったか。もう一度出直して来た方がいいかもしれない。
そう思い踵を返そうとしたところ、ふと、戸が少し開いていることに気づいた。
さすがにこれは不用心だ。この竹林に妹紅の家に押し入ろうなどと思う輩や、寝ている隙に忍び込もうとする不届き者などまずいないだろうが、だからといって閂もかけずに寝ているのはよろしくない。実際に危険がどうこうだという以前の問題である。
「妹紅、入るぞ!」
これは少しばかり言っておかねばなるまい、と心に決め、私は戸を開けた。
体の半分ほどの隙間を開けると、中は真っ暗だった。
それはそうだろう。明かりをつけているわけでもないし、窓を開けているわけでもないのだ。閉じ切った室内は、わずかばかりの隙間から漏れ入ってくる光の細い帯が差すだけで、それ以外の光量はあり得ない。
そんな中で私は目を細め、いつも妹紅が寝ている辺りを見てみる。
そこには蒲団が敷かれていて、中ではいつも通り妹紅が寝ているはずだった。
しかし、そこに妹紅の姿はない。
思わず首を傾げる。さすがに寝ている間に蒲団から出てしまうほど、妹紅は寝相が悪いということはなかったはずだ。もしかしたら、どこかに出かけているのかもしれない。こんな朝早くにどこに行ったのかは気になるが、まあそれは私の言えたことではないだろう。
それならば帰ってくるまで待ってみるか、と考え戸を大きく開け一歩中に踏み入る。
外からの光が室内を照らし、視界が大きく開けた。すると、
「も、妹紅!? いたのか!?」
部屋の隅で寝間着のまま、膝を抱えるようにして俯いている妹紅の姿が目に入った。
なぜそんなところでぼんやりとしているかは解らないが、すでに妹紅は起きていたようだ。
「妹紅、起きていたなら返事をくれたっていいだろう」
私は靴を脱いで室内に上がり、そう声をかけつつ妹紅に近づいた。しかし、聞こえていないということはないだろうに、なぜかそれでも妹紅からの返答はない。
怪訝に思いながらもさらに近付く。目の前まで行くと、膝をついて肩に手をかける。
「どうしたんだ妹紅? 体調でも悪いのか?」
そう言って二度三度と体を揺らす。すると、ようやく妹紅が顔を上げた。
「慧、音……?」
か細い声が通った。酷く憔悴した妹紅の顔が見えた。
「ど、そうしたんだ!?」
その顔を見て私は面を食らった。
顔色は青白かった。どこか、頬もこけ眼窩も落ち窪んでいるようにさえ見える。
一体何が、と焦りが生まれる。こんな妹紅を見たのは記憶にはない。
「どうしたんだ!? 何があった、妹紅!」
声を張り上げた強く揺さぶる。今にも倒れてしまいそうな妹紅の姿を見るのが辛かった。
強めのショックを与えたのが功を奏したのか、妹紅の瞳に若干意思が見えた。
「……ぁ――ッ!」
しかし、彼女は一瞬私から視線を逸らし何かを見たかと思うと、すぐさま逃げるように、再度俯いてしまった。まるで怯えている子供のような動作に、私の胸は痛みと焦りで大きな鼓動を繰り返す。
――どうしたのだろうか。
自問しようとも答えはでない。我ながら頼りないことに、こんな妹紅に対しどのような言葉をかけるべきか、見出すことができなかった。歯噛みする。私は自分が情けなかった。
なぜこうなったのか。こうなってしまったのか。
皆目見当がつかない。こんな様で妹紅の友人などと、堂々と胸を張って言うことができようか。
――力になりたい。
彼女が辛い思いをしているなら分かち合いたい。彼女が思い悩んでいるなら一緒に考えたい。
しかし、私には解らないのだ。分かち合うにも、ともに悩むにも、今の私では彼女と同等に位置に行くことすらできない。彼女にそれを教えてもらうことすらできない。
考える。何かなかったか。
前回会ったときはどうだっただろうか。機嫌は? 顔色は? 所作は?
ここに入って何か見なかっただろうか。周囲は? 置物は? 彼女は?
ふと――思い当った。
そういえば、先ほど妹紅が俯く直前、一瞬何かを確認するような動作を見せたはずだ。ほんの、それこそ刹那の間だけだったが、確かに私以外の何かに視線を走らせていた。
確かそう、丁度私の左斜め後ろの辺り。
見たはずだ。素早く、怯えた目で。一体何を?
振り向く。そして、
――そこにあった“それ”を視界に収め、私は息を呑んだ。
理解した。してしまった。
“あれ”が、そうなのだ。ここまで妹紅を怯えさせる原因。全ての元凶。
予想外だった。おそらく、そこに死体があったとしてもそれほど驚かなかっただろう。しかし、思わず手を添えた妹紅の肩を強めに握りしめてしまうほど、私はそこにあったものに虚をつかれた。考え得る最悪の事態すらも斜めに飛び越えて、まさかとしか言いようの光景がそこに広がっていたのだ。
「妹、紅。あれは、妹紅が……?」
信じられずに、私は当人に問いかける。
否定してほしかったのかもしれない。まさか妹紅が――私の大事な友人が“あんなもの”を。
わずかな願いを込めて問いかけたそれは、小さく、それでも確かな首肯が返ってきたことで、私に対して現実なのだという実感を圧倒的なまでの事実性を伴って突きつけてきた。
「そんな――まさか!」
それでも私は認めたくなかった。友人に対する背信行為に似たものだと解りながら、しかし、弱く情けない私は、現実を直視することができなかったのだ。
「慧音……」
青ざめ項垂れる私の上から、か細い声が振りかかった。顔を上げてみると、そこには虚ろな笑みを湛えた妹紅が、焦点の定まらない視線を私に向けていた。思わず、顔を背けたくなった。
「お願い、お願い慧音」
震える唇が言葉を紡ぐ。
「この歴史を、隠して」
掠れた声でそう懇願された。
息を呑む。こんな弱り切った妹紅の姿を見るとは予想だにしていなかった。
今まで、彼女の過去を聞いたことはある。少女のような外見とは裏腹に、妹紅は千年を超す時間を生きる存在だ。私などよりも長い時を重ね、その中にはもちろん顔を背けたくなるほど、聞くことすら憚られる経験が積み重なっている。常人ではまず耐えられない歴史を重ねているのが、この妹紅という少女の正体だった。
しかしそれでも、彼女はその過去から目を背けなかったはずだ。
私の“歴史を隠す(食らう)程度の能力”。頼まれればきっと私は首を縦に振っていたかもしれない。それを使えばおそらく逃れられるだろうに、彼女はそうしたいとは望まなかった。今の今までただの一度たりとも。
しかし――今この時、彼女は確かに望んだ。
「妹紅、何を言っているんだ」
この私などよりも何倍も強い友から出た言葉が信じられず、私は問い返す。
「だって、お前はそんなやつじゃないだろう? いくら逃げたいことがあるからって、覚えていたくないことがあるからって。それでも全ては自分が受け止めるべきものだって。そう言って笑ってたじゃないか」
儚げに、痛みを堪えるような表情で。
「それを、それを何だって――」
「だってッ!」
大音量が響く。顔を上げた妹紅の瞳には、溢れてこそいないが確りと涙が溜まっていた。
「だって! こんな、こんなの――耐えられない」
張り上げた声は徐々に力をなくし、最後の方は聞き取れるかも怪しいほどに小さくなっていった。
「耐えられないと言っても……」
何と言ったらよいのか、私は解らずにそこで言葉を切るしかなかった。
気持ちは、私にも解らなくはない。“あれ”は確かに酷いものだった。耐えられない、というのも理解できなくもなかった。もし私が妹紅の立場になっていたなら、果たして目の前の彼女ほど取り乱さないと断言できる自信は私にあるだろうか。私は弱い。目の前の小さな少女などよりも、断然私は脆弱な存在なのだから。
思わず私の顔も歪む。
でも、
「お前は、そうじゃないだろう……?」
弱く下らない私とは違って。
「いつも笑顔で」
快活で皆に好かれていて。
「たまに痛そうな顔をして」
それでも弱音を吐かなくて。
「どこか諦観を滲ませて」
しかし最近はそれも見なくなって。
「孤高を貫いているようでいて」
でも誰よりも人を求めているお前は。
「私の強くて愛おしい親友じゃないか」
だからそんな顔を見せないでくれ。
いつしか、私も妹紅と同じように項垂れていた。まだ言葉を重ねたいのに、喉が音を発してくれない。これ以上口を開いてしまえば、情けなさで、彼女よりも先に私が涙を溢してしまいそうだった。
伝えられないもどかしさと、助けられない不甲斐なさが胸を渦巻く。
妹紅は、
「――慧音には解らない」
「え?」
信じられない言葉を聞き、私は顔を上げる。妹紅は――私を睨みつけていた。
「当事者じゃない慧音には解らないのよ。だって、あなたは私じゃない。私じゃないあなたにはこの辛さが理解できない。だからそんな自分勝手なことを言えるのよ。適当な言葉を並べて、誤魔化そうとしているでしょう?」
「ち、違う! 私はそんな――」
「違わないッ!」
苛烈な感情が叩きこまれた。体が竦む。目の前の人物が、妹紅ではないようにすら思えた。
「違わないでしょう!? 違わないから何だって言えるのよ! もし――もしも違うって言うんだったら、ねえ」
小さな肩が揺れる。妹紅はそっと私の袖を握りしめた。涙を湛え。唇を震わせ。
「お願い慧音。私を、助けて……ッ!」
振り、ほどけない。
私にはこの弱い少女を振りほどくことはできない。
縋りつき、小刻みに体を震わせる少女を、見捨てることができない。
だが、
しかし、それでも――なあ妹紅。
いくら辛いからって。
いくら忘れたいからって。
いくらなくしたいからって。
「――だからって、妹紅」
「おねしょしたことを私の能力で隠そうとするのはどうかと思うぞ?」
「言ーわーなーいーでー! お願いだから何も言わずに早く隠してー!!」
終われ
4>>様
他のメンバーはともかく「うっかりやっちゃう毘沙門天の代理」www
寝ているナズーリンの布団とこっそりと交換に成功して責任転嫁したつもりが結局バレバレで、次の日星の枕元にオムツと一緒に「探し物はこれかい?」という書置きがあったりして。
想像してたら み な ぎ っ て き た 。
これがもし万々一、輝夜にバレたら・・・