/1
突然だが、私――八雲藍は現在、月の都の牢獄にいる。
昨日、風呂場で橙の裸姿をうっかり見てしまった私は、鼻血を噴射してしまった。
それだけならよかったが、鼻血噴射の推進力によって地球を飛び出したのはよくなかった。
私は最終的に、勢い余って月の都に不時着してしまった。
しかし、ここで大きな問題が発生した。
月の大気圏内に突入する際、身に纏っていたもの全てが全焼してしまったのだ。
結果として、月の都の商店街のど真ん中に真っ裸で墜落してしまった。
ZENRAである。スッポンポンとも言う。
国ひとつ傾けた美女のおっぱいとか諸々とか、何もかも丸見えだった。
その後すったもんだあって、猥褻物陳列罪で逮捕され、投獄され、現在に至る。
ありのままに今起こったことを話したが、何を言っているのか判らないと思う。
私も判らなかった。頭がどうにかなりそうだ。
/2
牢獄の中は、私のほかは誰もいなかった。
看守の兎によると、私は他の囚人とは隔離されているらしい。
「地上から来た者は不浄で穢れているから」とのことだ。
看守は物珍しそうに私の事(主に尻尾)を見て、そわそわしていた。
そこで、格子状になっている牢の外から尻尾を触らせてやった。
彼女は顔をほころばせてモフモフしていた。なんだか私も嬉しい。
手はフェムトファイバーの組紐で縛られていたため、自由に動くことは敵わなかった。
正直凄くヒマだったのだが、牢の中に何かヒマを潰すものがあるわけでもなかった。
だがどうやら、看守の兎が話し相手になってくれるようだった。
たった一人のための看守というのもおかしな話だが、彼女もどうやら退屈らしい。
利害の一致した私たちは、鉄格子を挟んで会話を始めた。
看守の名は、レイセンと言うらしい。
どこかで見た顔だなー、と思いつつも看守の話に耳を傾ける。
聞けばなんと、彼女は月の使者のリーダーに仕えているという。
そう言われて彼女の顔をまじまじ見て、ようやく目の前の兎が誰なのか思い出した。
彼女は紫様が綿月豊姫に見つかったとき、私たちをフェムトファイバーの組紐で縛った兎だったのだ。
ああそう言えばあの時の! と私はハッとして掌を打つと、レイセンに「気付いてなかったの!?」と突っ込まれた。
あんまりにも印象が薄すぎて、幻想郷にいる兎と区別がつかなかった――。
と真実を述べるのは、自分でもいささか酷いと思ったので、謝罪の言葉を返しておいた。
お喋りの途中で、彼女は思い出したように、綿月豊姫から私への言伝を告げてきた。
「桃を食べるのが忙しいから、そのうち地上に還す」とのこと。
なんともフランクでアバウトな月の使者のリーダーだ。
私が声を上げて笑うと、レイセンは声を上げて怒った。
主人のことを笑われると腹が立つのは、私だけではないらしい。
それから毎日、私たちはお互いの主人たちのことを話し合った。
主人と初めて出会ったときのこと。
帰る場所のなかった自分に、居場所をくださったこと。
いつもはどこか抜けていそうなのだけれど、やるときはキッチリやること。
あんまり長い間かまってもらえないと、少し寂しい思いをする日があること。
それでも最後には、隣で笑って居てくださること。
笑顔をほころばせながら、尽きることの無い話を延々と喋り続けた。
結論としては、私たちは良い主人の下で働いているのだなあ、ということになった。
勿論、いつもは気恥ずかしくて絶対に主人の前で言うことなんてできないが、ここは月である。
しかも、話相手は月の民であるレイセン。
紫様に私の言葉が漏れる心配も無いので、安心して素直な思いの丈を言葉にすることができた。
それはまた、レイセンも同じ様子だったようだ。
私はふと、地球に置いてきてしまった紫様のことが心配になった。
突然私がいなくなって、紫様は慌てているのだろうか。
仕方が無いと、私のことを諦めてしまっただろうか。
不安に思った私の気持ちを察してくれたのか、レイセンは「きっと今も探しているよ」と慰めの言葉をくれた。
無上の優しさに、ちょっとだけ泣いた。
/3
夜になり、看守のレイセンがいなくなって、私は一人っきりになった。
横になって瞳を閉じるが、どうにも紫様のことが気になって眠れない。
紫様も、今夜はこうして一人っきりで眠りについているのだろうか。
それとも私のことを寝ずに探してくれているのだろうか。
どちらかは判らないが、私は心にぽっかり穴が開いたような心持だった。
私が地上から飛立ってから、もうどれくらい経ったのだろう。
間違いなく二週間以上は経っているはずだ。
その間、紫様はどうしているのだろう。
ご飯は自分で用意できるだろうけれど、寂しい思いをしているのではないか。
私は心配で心配で仕方が無かった。
橙のことも心配だ。
二週間以上も私が姿を見せないとなれば、不思議に思うだろう。
紫様が私の代わりに彼女を保護して下さっていれば良いのだが……。
考えれば考えるほど、不安の種はどんどん増えていく。
ぎゅっと目を瞑って、私は思考が意識の底に沈んでいくのをじっと待った。
――こんな風に、紫様や橙のことをじっくり考える機会って、あまり無いからなあ。
いつも変わらない微笑をくれる紫様と橙が、いつも私の傍にいた。
でも今は、月の都という未知の世界で一人ぼっちだ。
不意にノスタルジックな気持ちになって、ちょっとだけ目から涙が出た。
我ながら情けないなあ、と思いつつも嗚咽が漏れてしまう。
袖でごしごし拭った涙が、ちょっとだけ口に入ってしょっぱかった。
――早く、紫様と橙に会いたいな。
/4
翌日、私は綿月豊姫の能力で、とっとと地上へ返された。
余りにもあっさりしすぎていて、逆に拍子抜けしてしまった。
レイセンと別れるのは少し名残惜しかったが、ようやく主人の下に帰れるねと言われ、笑顔で別れることができた。
それにしても、月の民はこんな風に地上と月をいつでも行ったり来たりできるのかと思うと、少し末恐ろしい心持がした。
家に着いてみると、何故か庭にバカでかいロケットが鎮座していた。
私が呆気にとられていると、玄関から出てきた橙が駆け寄ってきた。
勢いよく抱きつかれ、「藍様どこに行ってたんですか!」と涙を流しながら怒る橙の頭を、よしよしと撫でてやった。
永い間不在にしてすまなかった、と謝罪の言葉を述べ、私は再びロケットへ向き直った。
ロケットの周囲をぐるりと一周すると――裏手にはなんと紫様がいらっしゃった。
げっそりしたような顔で、ハンマー片手にロケットに向かってコンコンと釘のようなものを打ち付けている。
私が声を上げて駆け寄ると、紫様はとても疲れた表情で私に微笑を投げ掛けた。
そして、か細い声で「お帰りなさい、藍」と告げると、がくりと私の胸の中に倒れこんだ。
血の気が引き、顔が青ざめるのが自分でもよく判った。
私は心臓が跳ねるのを抑えながら、傍にいた橙に布団を敷くように指示し、すぐに紫様を室内にお運びした。
どうやら紫様は意識を失っただけのようで、私と橙は安堵した。
目立った外傷もないが、疲労の蓄積が凄まじいご様子だった。
紫様の容態が落ち着いた後、橙にこれは何事かと尋ねた。
すると、驚きの答えが返ってきて、私は目を丸くした。
なんと紫様が、一人でロケットを作ったのだという。
というか、紫様は私が月の都に行ったことを知っていらしたのか。
そのことにも驚いたが、橙の話の続きを聞いて、私はさらに心を打たれた。
紫様は徹夜続きで作業をしており、どんなに止めてもそれを振り切って作業していたのだと、橙は涙ながらに語ってくれた。
橙によると、私がいない間の紫様の慌てっぷりはそれはそれは凄まじいものだったという。
飛んでいった私の妖力を辿ってはみたものの、飛立った軌道上から計算するに、私が月の都に飛んでいってしまったということが結果として判ったため、どうにか月に行く方法を考えたらしい。
そして、三週間に満たない時間でロケットを組み立て、飛立とうとしていたのだという。
本物と偽者の満月の境界から飛立つのは、八意永琳の存在もあり、危険と判断されたためだった。
紫様は満月の日を待って、身一つで月へ行くつもりだったというのだ。
紫様の寝室の障子をそっと開け、私は枕元に静かに正座した。
申し訳ないやらありがたいやら、明文化しがたい感情が心の中で渦巻く。
私はなんだか、いたたまれない気持ちになってしまった。
瞳からは、嬉しさのあまりに涙がぽろぽろと零れてくる。
声を上げて紫様を起こしてしまわないように、嗚咽をぐっと堪えて泣いた。
嗚呼――私はなんて幸せなのだろう。
紫様の式神でよかったと、何度目になるか判らないけれど、心からそう思った。
これからも紫様の式神でいたいと、二度と貴女の元を離れたりしないと、私は確かに胸に刻んだ。
ごめんなさい。
ありがとうございました。
寝ている紫様に向かって、静かに頭を下げた。
貴女に大切に思って頂けて、私は本当に幸せです――。
感動に浸っていると、橙が無言で家計簿を差し出してきた。
どうした橙? なになに、私のいない間に家計簿をつけておいた?
偉かったね。あとでヴェルタースオリジナルあげるから、ちょっと待っていなさい。
私が不在だった間の家計簿に、さらさらと目を通す。
ぱたんとそれを閉じ、嘘であってくれと願いながらもう一度読み返す。
再びそれを閉じ、これは何かの夢だと思い、もう一度最初から目を皿にして読み返す。
私はいつから、それを忘れてしまっていたのだろう。
現実とは常に、辛く、苦しい戦いであったことを。
今は枯れてしまったと思っていた、野生だった頃の本能が、少しだけ甦ってくる。
現実はいつも、非常で、冷酷で、残酷だったということが、鮮やかに想起させられた。
……家計簿は、赤鬼も真っ青なほどの大赤字だった。
ロケットを作る材料だろうと思われるものの購入費は許す。
最近見たアニメ風に言うと、「全力で見逃す!」
なぜなら紫様が私のためにしてくださったことだし、今回の騒動は私が原因だ。
だが赤字の原因は、ロケットの材料費だけではなかった。
どさくさに紛れて、紫様の購入した化粧品やら健康グッズセットの項目があった。
再春館製薬所やら花王やらジャパネット高田やらその他諸々、合計百社くらいから、とんでもない金額の請求が来ていた。
しかし、今回ばかりは大目に見ようと思った。
私は、紫様ったら仕方が無いな、と目を瞑ることにした。
今は紫様の後先考えない買い物に対する怒りよりも、心労をかけてしまったことに対する心苦しさの方が圧倒的に勝っていた。
――だから、今回だけは、大目に見ますね。
私はそっと微笑むと、家計簿を置いて紫様の寝顔を見つめた。
ありがとう、紫様。
貴女が私を思っていてくれた気持ち、確かに受け取りましたよ。
ひと時でも貴女の元を離れてしまい、本当にすみませんでした。
いつまでも、いつまでも、いつまでも、私は紫様のお傍にいます。
永遠に、永遠に、永遠に、貴女と同じ時を過ごしましょう――。
私は紫様の安らかな寝顔を見届けると――
――寝ている紫様の鼻の穴に、チューブのねりわさびを突っ込んだのだった……。
<終劇>
なんじゃこりゃあwww
シュールすぎだろ……
何やってんのwww
ギャグかける人っていいなあ。
読んでいて楽しかった!
あなたはまごうことなきギャグ作家です!!
血符「ブラッドスパーク」にこんな威力があろうとは
咲夜さんが出るものとばかり思ってたら違いました
まあ最初も酷かったが中間~後半でイイハナシダッタナームードだったのに!
トレンディでしたやろw
文章は綺麗なのに。大好きだ。
全部読んじまった。
顔を真っ赤にしながらチラ見するよっちゃんを幻視しちまったぜ。
終盤はイイハナシダナー状態だったけどオチがついて良かった。再春館w
紅魔組涙目だろwww
レイセンかわいいよレイセン
ところで、新しい服を貰った描写が無いのですが、まさかラストまで藍様スッp…
オチはある程度予想は出来ましたけどもww
作者はもっと壊れるべき
でもね、
流石にねりわさびはねぇだろ!w
>いつまでも、いつまでも、いつまでも、私は紫様のお傍にいます。
>永遠に、永遠に、永遠に、貴女と同じ時を過ごしましょう――。
これってアレだな?
「Liz Triangle」の「Ficus glomerata」だな?
俺あの曲大好きなんだよ!
( ・∀・)人(・∀・ )ナカーマ
リズトラのFicus glomerata、私も大好きです。
イントロのギターリフから悲壮感が漂ってきて、何とも言えなくなってしまいます。
最初の下りでお茶吹きました。
同じ名前なだけで違う人だったらごめんなさい。
どちらだったとしてもカオス分が楽しい作品でした!w