Coolier - 新生・東方創想話

不尽の夜明け前

2010/01/14 23:27:45
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※儚月抄四話ネタバレです。

※作者の超妄想が爆発しております。ご注意ください。


































富士山頂上付近のあちらこちらに荒々しい岩が置かれている剥き出しになっている山肌の上。そこで、屈強な数人の兵士達が円状にして焚き火と、その隣に置かれている壺を囲っていた。
数時間前から、見張りを二人一組で交代して、終わった者から順番に眠りに付いて行くような事を続けている。
そして、兵士ではない私、藤原妹紅も見張りをしていた。

向かい側で共に見張りをしている兵士とは、この見張りが始まってからは言葉を交わしていない。
登山中は自分の身を気遣ってくれた優しい眼をしていた兵士だったが、その双眸はギラギラと警戒心を燃やした物になっていた。
そして、私も彼と同じような目付きになっているに違いないだろう。
私達は夜盗や妖怪を見張っているのではない。目の前に置かれている壺の中身に入っているモノが原因で、味方を見張っているのだから。

不老不死の霊薬、別名は蓬莱の薬。

壺の中にはいっているものは、そんな夢幻のようなモノだった。
お伽噺でしか聞けないような妙薬が、目の前に置かれている。不老不死に成る事ができる薬。
私達はその事を知らずに、富士山の火口の前まで登った。薬を火口に投げ入れて処分をする予定だったらしい。だが、そこで予想外の事故が発生してしまった。
木花咲耶姫と呼ばれる神様が現れて、その薬の正体をバラしてしまったのだ。更に、この山で処分することは許さない、とも。
私達は、妙な緊張感に包まれた。不老不死の薬が、目の前にある。もしかしたら、皆殺しにしてコレを盗むモノが現れるかもしれない。

その事を危惧して、最初の方は全員が監視をしていた。だが、登山の疲労が徐々に私を含めた皆を襲う。
そんな中、仲間の一人が二人で交代しながら、見張りを続けて行く事を提案した。
これならば、一人が何かをしようとしても、もう一人が抑止力になる。しかも、今は皆が疑心暗鬼に陥っているのだから結託して盗むこともできない。
私達は、その意見に賛同した。本当ならば、このまま皆で監視を続けて行くのが一番いいのだろうが、溜めに溜めた疲労がそれを許そうとはしない。
耐えられないであろう睡魔。このままだと、下山する為の体力が持つ訳が無い。この代替案は、満足過ぎるモノだ。
そうして、私達は二人で見張りを初めて、一人ずつ交代することを決めた。

「妹紅君、そろそろ時間だ。隊長殿を起こしてくれ」
「……」

数十分ぶりに出た彼の言葉は、何の感情も篭っていない無機質な物だった。
それに対して、了承の意を込めて首を縦に振る
私は、隣で座るような態勢で眠っていた居た男の体を両手で揺する。んぅ、と小さな唸り声を上げて彼は眼を覚ました。

「……何だ、もう見張りの時間なのか」

まだ眠いのか、両目を右手の親指と人差指で挟むように擦っていた。
彼の名は、調岩笠。
富士山でこの薬を処分するために編成された部隊の隊長だ。
私は、彼が隊長を努めるには、まだ若すぎるように思えた。顎には、無造作に髭は生えているものの、20代前半と言った顔付き(しかも野性的でカッコいい。私のタイプでは無いが)だった。
しかし、岩笠は色々と鋭い所が有る。その証拠に、私がこの隊を尾行をしている事に一番最初に気付いた人物だった。しかも頭も切れるようで、二人で見張りをすると言う案を考え出したのも岩笠だ。
性格は何十年も生きてきたかのような冷静さに、何処か優しさがあるような人間。
きっと、能力が高く、性格も隊長に向いているから、この若さで隊長に選ばれたのだろうなのだろうなと勝手な推測していた。

「隊長、それでは私は眠らさせて頂きます」
「ん、ご苦労だったな」

兵士の方を見向きもせずに、眼を擦りながら岩笠は答える。兵士は、座った態勢のまま目を閉じて、数秒後には安らかな寝息が聴こえてきた。
彼は、よっぽど疲れていたのだろう。無理も無い、山を登ってきた疲労感と緊張感を合わせれば、誰だって眠りたくなる。と、言うか、私だって眠りたいぐらいだった。
そして、場には私と岩笠だけが残されてしまった。

「……」
「……」

隣接して座っているのに、私と岩笠はお互いに何も喋ることができない。
重苦しい空気が、場を支配する。だが、そこに先程までのような殺伐とした雰囲気は無いように感じた。上手くは言えないが、岩笠ならば安心できる――そんな、感じがした。
一体、これは何の気持ちなのかは深くは分からないが、何処と無く安心することができた。
それでも、私と岩笠は互いに何も喋ろうとはしない。いや、私に関しては何を喋ればいいのか分からなかった。
岩笠に聞きたい事はたくさんあるのだ。だけど、それを言葉にしようとすると何も考え付かなくなってしまう。
重苦しい空気が、続く。

「あの、さ。岩笠」
「何だ」
「あ、あぁ……えーと、そのあれだあれ、うん、あれ」
「……?」

その空気に耐えられずに、何を言うかを考えずに私は喋り始めてしまったがすぐに言葉が詰まってしまった。
岩笠は私の様子を見て怪訝そうな顔をしていた。……何をやっているんだ、私は。

「……ごめん、何でもない。忘れて」
「そうか」

岩笠から表情を隠すように、右手で自分の顔を覆う。何だか、とても気恥ずかしい。きっと、私の顔は羞恥で真っ赤になっている事だろう。

「そう言えば妹紅、君は何処かで武術でも習っていた事でも有ったのか?」

突然、岩笠が私に尋ねてきた。
あまりにも唐突な質問だったので、思わず私は「え?」と間の抜けた声を上げてしまった。
顔を覆っていた右手を、自分の膝の上に持ってきて、質問に答えて行く。

「別に。私は武術とかは習ってないけど」
「それは本当か?」
「こんな事に嘘付いてどうするんだか、私が聞きたい位だよ」

ふむ、と岩笠は納得したように頷く。

「だとしたら、君の体力は妖怪並だな。普通の女の子ならば、とっくの昔に倒れているだろう」
「……何か、酷い言われようだなぁ」
「一応、褒めているつもりなんだがな」
「はいはい、お褒めに預かり光栄でございます」

褒められていることは分かっているのだが何となく釈然とはしない。岩笠の言い方だと、まるで私が化物だと勘違いされてしまいそうだ。
私は、特別な力など何一つ持っていない普通の女の子なのだ。

「大体、岩笠だって必死に隠れている私を簡単に見付けたじゃない」
「私は目と耳、それと嗅覚は人並以上には敏感なのだよ」
「……もしかして、獣だったの?」
「それは否定はできないな」
「いや、否定しろよ」

クック、とまるで獣がするようにして岩笠は得意気に喉を鳴らした。予想以上にその仕草が似合っていたので、思わず私は笑ってしまう。
そう言えば、頂上に付いてから笑ったのはこれが初めてのような気がする。今までは、緊張感や警戒心などでそんな空気では無かったのだ。
こう考えると、私の中では気の置ける人物に成っていることを自覚する。そして、それは岩笠もきっと同じなのだろう。でなければ、重苦しいけれどこんなに清々しい気持ちで話し会う事などできない筈だ。
今なら、彼について気になっている聞くことが出来るかもしれない。

「……ねぇ、岩笠。聞きたい事があるのよ」
「何だ」
「アンタは、どんな過去を送ったの?」

そう、私が岩笠から聞きたかったのはそれだった。
彼からは、何と言うか特別な過去を持っているような気配がしていたのだ。
何故、私にそんな気配が分かるのかと、思う人も居るだろう。理由は、何となくだった。強いて上げるのならば、自分と同じような感覚が彼から感じたからだろうか。
私の体は紛れも無く普通の女の子だろう。だが、育ってきた人生に関して言えば間違いなく普通ではない。それから、生じた勘のようなものだった。

「私の過去、か。随分と酔狂な事を聞きたがるものだ」
「言いたくないのなら言わなくていいよ。できる事なら知りたいって程度だからさ」
「別に聞きたがるほどの物でも無いだろう。私は何処にでも居るただの兵隊で、それ以上でも以下でもない」
「嘘でしょ」
「本当だ」
「いーや、嘘だ」
「困ったモノだ」

何処か困っているように、もしくは迷っているように岩笠は呟き、右手を顎に当てて考え始めた。
この反応は脈アリ、と言った所だろうか。教える気があるように見える。
そして、それは正しかった。

「そうだな、君に教えるのも良いかもしれないな」
「え、教えてくれるの?」
「知りたいと言ったのは君だろう」

何処から話したものだろうか、と岩笠は遠い目をする。


「大体20年程前だったかな。ある辺鄙な村に、仲睦まじく暮らしている家族が居た。その家族は、私と妻、そして娘の三人家族だった」

――開始初っ端から、私は度肝を抜かれた。
今、私の目の前に居る男はどう考えても20歳前後にしか見えないのだが、その20年前に家族を持っていたらしい。
まさか赤ん坊の時に結婚したのだろうかうわーすげーって、そんな訳が有るか。
思わず私は岩笠に詰め寄る

「ちょっと待って。岩笠って何歳?」
「……47歳だ」
「嘘だ!」

この顔で47歳!
そんな馬鹿な、と私は声高に主張してやりたかった。
どこから見ても彼の顔は20代前半にしか見えない。これが中年男だなんて信じられる物か。
狼狽する私に対して岩笠は、呆れたような眼でこっちを見ていた。

「大体、20歳程度で隊長を任される訳がないだろう」

岩笠は小さな声で言う。
確かに、岩笠が隊長に任命されたことにも合点が行く。
何て事はない、ただ見かけよりもずいぶん年を取っていただけの事だったのだ。
まぁ、それはそれで腑に落ちないのには変わりがないのだが。

「いや、そりゃそうなんだけど……47歳ってのは、ねぇ」
「若作りなのは認める」

認められても困る。
鯖を読んでいるんじゃないだろうな、と邪推もしてみたが岩笠が嘘を付く理由はない。
つまり、嘘を付く理由が無い以上、彼の言っていることは本当なのだろう。半信半疑ではあるが、一応そう結論付ける。
もしかしたら、若作りなのは彼の過去に何か関係しているのかもしれないと突拍子のない考えも浮かんだりした。

「さて、そんな些末な事はどうでもいい。話を戻すぞ」
「どうでもいい、って……」
「どうでもいいものはどうでもいい、話を戻す」

岩笠の語尾がやけに強くなる。
何だか、岩笠的には年の話はあまり触れて貰いたくはない話題らしい。やっぱり、同僚や上司から年のことでからかわれたりしたのだろうか。
そう考えると、少しばかり同情してしまう。

「――私は、妖怪退治を生業として家族を養っていた。そして、事件が起きたのも妖怪退治の最中だった」

その真面目な雰囲気を受けて、私も口元を引き締める。きっと、ここから話の中枢に入っていくのだろう。
一言一句たりとも彼の話を聞き逃さないようにしなければならない。それが、話してくれる岩笠に対しての礼儀だった。

「その時の妖怪は手強かった。何十もの目と、立派な角を持っている獣で、人語を理解していた。今までの妖怪とは格が違い、私は苦戦を強いられた」

彼は、淀み無く言葉を紡ぐ。何処か懐かしむように、その一方で何処か物悲しそうにしながら。

「激闘の末に、後一歩の所まで妖怪を追いつめた。勿論、私も酷く疲労していた。もう、周りに気を配る余裕など有りもしなかった。――もし、この時に余裕があったのならば、と私は何度も悔やんだよ」
「……」

私は、岩笠の話をただ黙って聞く。
いや、かける言葉が何も思い浮かばなかったと言う方が正しいだろう。

「この時に限って、娘が付いてきていたのだよ。何故、付いてきたのか。今となっては知ることはできないのだがな」

今となっては。
その言葉から察するに、娘は死んでしまったのか、もしくは二度と会えない事になってしまったのだろうか。

「その妖怪は、娘の姿を見ると呪いをかけよとした。私はそれを庇おうとして娘の前に立ったがーー無駄な足掻きだった。結局、私と娘はその妖怪の呪いを受けることになってしまった」
「・・・呪いって?」
「そうだな・・・、詳しくは言えないが、「不幸になってしまう呪い」とでもしておこうか。それにかかったが最後、二度と人間の生活には戻れない」

何とも的を得ない返答では有ったがその呪いは人には、そして私にも知られたくないと言うことは分かった。
聞きたい気持ちはあるのだが、岩笠が言いたくない事を無理に聞き出したくはない。

「後は酷い物だ。妻は娘を連れて私から離れた。村から私は追い出された。ひっそりと山の中で暮らしている時に、私の腕を聞いた帝の使いが現れて兵士となった。そして今に至る。それだけのつまらない物語だよ」

はは、と彼は自嘲めいた笑みを浮かべた。その笑みが、酷く悲しい物に思えて仕方がなかった
「・・・岩笠」

何か言葉をかけようとして、私は岩笠の名前を呼ぶ。

「そんな顔をしないでくれ。これはきっと、仕方の無いことだ」
「だって、だってこれじゃあーー!」

これじゃあ、岩笠が余りにも可哀想じゃないか。
そう続けようとした時、岩笠が私の頭に手で触れ、とてもゆっくりと撫でられた。
その掌の優しい感触に、思わず私は口を噤んでしまう。

「……もう、仕方の無いことなのだよ。人生にもしもは存在しないのだから」

岩笠は目を細める。頭を撫でている手が少しだけ強くなった。
その感覚を受けて、私の胸がギュウっと苦しくなった。
一体、彼が何をしたというのだろうか。ただ、妖怪を退治していただけじゃないか。
そこに娘が現れるという偶然が発生して、最悪の結果を迎えた。
何て、悲しいことなのだろう。
彼が救われる方法は有るのだろうか。それが無いというのなら―ー余りにも惨すぎる。
そう考えを巡らせていた時、ある物が目の前にことを思い出した。
蓬莱の薬。
それを飲めば、不老不死になることができる霊薬。

「悲しみは、長い時間が経てば癒えるんだよね?」

その呟きは、一体誰に向けた物だったのか。
一瞬だけ分からなかったが、すぐに岩笠に向けた呟きだと気付いた。
その発言を聞いた岩笠は、ピタリと撫でるのを止めて手を頭から離した。
私は自分の言葉を反芻する。
時間は悲しみを癒す。それが事実ならば、不老不死と言うのはまさしく夢のような物ではないだろうか。
どれほど辛いこと悲しいことが起こったとしても、時間が続く限り傷は塞がっていく。
そしてそれは、岩笠だろうと例外ではない筈だった。
ならば、この薬を飲めば、彼は救われるのでは無いだろうか

だが、岩笠はそんな私の呟きから考えを見透かしたのか、静かに首を横に振った。

「妹紅、例え痛みが癒えるとしてもだ。私はあの薬を使うつもりは無い」
「どうして?」
「私は、既に充分過ぎるほど生きたからだよ」
「……そう、なんだ」

岩笠が、そう言うのならば仕方がない。
確かに不老不死になって、傷が癒えたとしても幸せになれるとは限らないのだ。何処か、他人事のようにして私は結論付けた。
結局、彼は傷を抱えて死んでいく苦しい道を選んでしまったのだ。
もう、私にはそれが幸せに通じることを祈るしかないのだから。

「妹紅、君はきっと――」

その時の岩笠の顔を、きっと私は永遠に忘れることは無いだろう。
慈しむようでいて、悲しそうで、寂しそうで、それでいて諦めや達観が混じったような微笑み。
正体不明の岩笠の表情に、私はただ、見入ることしかできなかった。
彼は小さく首を横に振る。

「――いや、何でも無い。何でも無いんだ。忘れてくれ」

数秒前に浮かべていた笑みは既に消えて、いつもの無愛想な顔に戻っていた。
その急激な変化に、思わず私は眉根を寄せてしまう。

「……何だよ、そこまで言ったなら最後まで言えばいいのに」
「すまない」
「まぁ、いいけどさ」

何か釈然としない。
一体、岩笠は私に何を言おうとしたのだろうか。思考を巡らしてみるが、結局何も思い浮かばない。

「そろそろ交代の時間だ。君も疲れただろう」

岩笠が思い出したかのように告げる。
それが、話を強引に切り替える為の物だという事に気づいたが、彼の言う通り、非常に疲れているのも事実だった。
岩笠の話の続きを抜きにして考えるのならば、今すぐ眠りたい。
このまま詰問するか、睡魔に負けるか。どっちを選ぶか少しばかり悩む。
そして、出した結論は。

「まぁ、ね。正直に言うと、かなり疲れてる」

結局、睡魔には勝てなかった。
岩笠が簡単に教えてくれると思えない事も考えると、おそらくこっちの方が最善手だろう。

「なら、話は早い。次の見張りは私が起こしておこう」
「悪いね、岩笠」
「……別に、礼を言われる程じゃないさ。」

岩笠は顔を伏せて呟く。そのせいで、彼の表情を拝む事はできなかったが、別に良いかと開き直る。
また明日、岩笠から話を聞けば良い。

「それじゃあ、お休み。岩笠」
「いい夢を」

休みの挨拶を交わして、私は目を閉じる。
まだ岩笠と話したい気持ちはあったが、それはまた明日でもいいだろう。

もうちょっとで眠りに落ちるその時、蓬莱の薬が脳裏に微かによぎった。
蓬莱の薬は不老不死を与えて、心の傷を癒す物かもしれない。
そう考えた時、私は岩笠の事だけを考えて居たのだろうか?
――悲しみは、長い時間が経てば癒える。
この言葉は、本当に岩笠に向けて呟いた物だったのか。
なんというか、もっと別の誰かへ向けての言葉だったような……。

結局、疲れていた私は、その事を深く考えずに眠りへと落ちた。






「……眠ったか」

つい先程まで言葉を交わしていた少女は、座ったままの状態で安らかな寝息を立てて眠っていた。
恐らく、酷く疲れていたのだろう。目を閉じてから眠るまでに一分もかからなかった。
しかも、寝息の様子を見る限りでは、相当深いようだ。

非常に、都合が良い。

私は立ち上がり、懐から自作の札を取り出す。
そして、それを彼女を囲うようにして地面へ四角形に貼り付ける。
ブォン、と音を立てて妹紅の周りに光の防壁が設置された。
この札は、「外と内側を分断する」力を持っている。端的にその効果を述べるならば、外で何が起ころうともこの結界の中にいる限りは音や光などの外の情報は伝わることが無い便利な物だった。
そう、今から起こる事は彼女に知られる訳にはいかないのだ。
空に浮かぶ満月を仰ぐ。ドクン、と心臓の鼓動が跳ね上がる。
ドクン。
ドクンドクン。
体が、熱い。
それは、次第に音とスピードを増していく。張り裂けそうになる心臓。
血が熱を持ち、沸騰してしまいそうになる感覚。
そして、変化は唐突に訪れた。
自分の頭に、鋭利な角が二本生えてくる。髪は緑色に染まり、同色の尻尾が現れる。爪は伸びて、それだけで人を惨殺する事ができそうになる。
その姿は、まるで獣なのだろう。
これが、私にかけられた呪いなのだ。

実は私が妹紅に意図的に話してはいない事が二つ有った。
一つは自分にかけられた呪いは白沢の性質を持つ半獣と化してしまう物だった事。
そして、もう一つは――。

次の見張りになる予定の、まだ眠っている兵士の背後へと忍び足で移動する。
そして、凶器のように伸びた爪で、その兵士の喉元をぱっくりと斬り裂く。
その痛みで兵士は思わず目覚め、何かを言葉にしようと口を開ける。だが、口から出るのはコヒュー、コヒューと不規則な呼吸音だけだった。結局、彼は何も喋ることができないまま、事切れてしまったようだ。
正面に回り、彼の瞳孔が開ききった事を確認すると爪に付着していた血液を彼の服で拭う。
心の中で、すまない、と兵士に詫びる。

実は、私は帝から蓬莱の薬を処分する以外にもある任務を帝から承っていた。
それは、この薬の効果を知った物を抹殺するという任務。帝曰く「もし、効果を知った者が現れたならば、使う者が現れるかもしれない。それだけは、絶対にならぬ」との事だった。
恐らく、帝は不老不死になった者が自分の地位を脅かすかもしれないとでも考えているのかもしれない。
私は、特に反論は無かった。帝が命じた事となれば絶対。例え、それが一見すると暴論のようなものでも、だ。
それに、私がうっかり口にしなければ兵士達が知ることはないだろうと少しばかり楽観的に考えもしていた。
それが、甘かった。
その考えは、第三者の乱入によって台無しになってしまった。
木花咲耶姫。富士の山に住む神。彼女は、この薬の廃棄を禁ずるばかりではなく、よりによって中身の事を兵士達に伝えてしまった。
想定し得なかった、最悪の方向へと進んでしまった。勿論、私も抗う努力をした。この薬を燃やして、処分しようと何度も試みた。
だが、一度たりとも薬に火は付かなかった。
その内、兵士達の薬を見る目が変化していく。あの薬を使うことができたなら、もしくは売ることができたならばーー。そのような空気が、漂い始める。
全員が全員を牽制しているような、妙な緊張感。ちょっとしたキッカケがあれば、すぐにでも薬を求めて殺し合いが始まりそうな雰囲気。

そして、私は限界だと悟った。

そうと決まれば、後は早かった。
もっともらしい理由を付けて、暗殺するのに最も良い条件を提案する。それが、二人での見張りと言う決まりだった。
確かに、薬を強奪を防ぐことに関しては良い考えに聞こえるかもしれない。
だが、これには大きな穴がある。それは、もう一人の見張りを音もなく殺してしまえば、自由に行動できると言う致命的な欠陥だった。
しかも、今日は偶然にも満月。私が半獣としての力を最大限に発揮できる日でもあったのだ。
その事に気付かず、兵士達は私の提案に賛成した。

そう、私が妹紅に話していない事は、『仲間を皆殺し』にする事だったのだ。

「ん……あぁ?」

向かい側に座っていた兵士がふいに目を覚ましてしまう。
そして、変わり果てた私の姿と、首から血を吹き出しながら倒れている兵士を交互に見る。
そして、サァ、と彼の顔が青ざめる。
――しまった。

「皆、起きろっ!化け物だ、化け物が――」

焚き火をまたぐように飛んで、私は向かい側で座っていた兵士の首を斬り裂く。
兵士は力無く、頭から地面に倒れた。血が、地面を紅く染めていく。
彼の叫び声を聞いた兵士達が、次々と眠りから覚めていく。
このままでは、非常にまずい。徒党を組んで、一斉に襲いかかられたならば、獣の姿と言えども返り討ちにあってしまうかもしれない。
幸い、まだ全員が状況を理解できていないようだ。理解される前に、一瞬で片を付けなければならない。
焚き火にくべていた木を、二本だけ引き抜く。まだ先に炎が残っているそれを、右と左ーーつまり、両側の兵士達の中心部へと投げる。
それらが、彼らにたどり着く前に右手と左手を合わすようにして印を組む。
兵士の何人かが、武器を持ってこちらに向けた。だが、もう遅い。

「――爆ぜろ!」

木の先に宿っていた炎が、何十倍にも膨れ上がって大爆発を引き起こす。鼓膜が裂けてしまいそうな程やかましい音と共に。
直後に、その爆風によって砂塵が舞い上がり私の視界を覆い隠した。おもむろに腕を振り、その風圧で砂塵を吹き飛ばす。
そして、私の視界に移ったものはこの世の地獄、と表されてしまいそうな惨状だった。
思わず、腰を降ろしそうになってしまいそうだったが、まだ私の仕事は終わりではない。
兵士だった者達の数を一人ずつ数えていく。既に、原形止めていない者も居たが、それらは残骸の特徴で確認していく。
まだ死ぬ事もできずに呻き声を上げている兵士も居た。そして、手に持っていた短刀をそれらの喉に刺して行く。
兵士達の呻き声は少しずつ減って行き、最終的には静かになった。

「……すまない、皆。これも、任務なのだ」

自分に言い聞かせるようにして、この場で死んでいる者達に謝罪の言葉を述べる。
勿論、そんな物は自己満足にしかすぎないことは理解していた。
だが、そうでもしなければ、罪悪感と後悔に押し潰されてしまいそうだったのだ。

「……ああ、たいちょう、そういうこと、だった、んですね」

後ろから聞こえた声に、思わず振り返る。
そこには、体の大部分に火傷を負いながら、それでもまだ息をしている最後の兵士が倒れていた。
そして、彼は登山中に妹紅の事を最も気遣ってくれていた人物であった。

「おれた、ちが、くすりを……つかわせな、いために、たいちょうは、みん、なを」
「……もういい、喋らないでくれ」
「たいちょ、うが、きにやむことじゃ、ありませ、ん・……きっ、と、みかど、のめいれ、いなんでしょう。しかた、ないです」

息も絶え絶えながら、彼は言葉を必死に紡いでいく。
もし、この時に彼が恨みの言葉の一つを吐いてくれたのなら、どれ程楽だったのだろう。
だが彼は私の行った事を仕方ない、と慰める。それは、今の私にとって酷く辛いものだった。

「ひとつだけ、おねが、いがあります。あのこを、もこうを、どう、か、ころさないで……かの、じょはまきこまれただけ、だからぁ」
「……ああ、約束する」

よかった、と呟くように言い終えると、最後の兵士は満足そうな微笑みを浮かべたまま、何も言葉を発しなくなってしまった。
そして、私はこの場に居た兵士達が全員亡くなったことを確認し終えた。

これで、任務は終わった。
そう、終わったのだ。

重力に身を任せるようにして、私は地面へと力無く座る。
明日になれば、この半獣の象徴である角と尻尾は消え失せて元の人の姿に戻るだろう。
妹紅を囲っている結界も、彼女が起きるのと同時に自動的に消去される。
明日の朝、彼女はこの惨状を見て酷く悲しむに違いない。何が起きたのか理解はできずとも、だ。

兵士の遺体の中心に置かれている蓬莱の薬が、この惨劇の中で異様な存在感を放っていた。
その蓬莱の薬が、妹紅がふと呟いた一言を思い出させる。

『悲しみは、長い時間が経てば癒えるんだよね?』

アレは、私に向けた物では無いような気がした。
どちらかと言えば自分に言い聞かせている方が正しいだろう。
きっと、彼女も深い悲しみのようなものを抱えているのだろう。でなければ、わざわざ薬を追って此処まで来る理由は無いのだ。
木花咲耶姫の話を聞いた時の反応をを見る限り、この薬が不老不死の霊薬と知っていた訳ではないようだったがので、別の理由だったのだろうが。
だが、彼女はこの薬が何かを理解している。そして、悲しみを癒す薬だとも信じている。
だとすれば、彼女が取る行動は一つしか無いに違いない。

私と妹紅が共に山を下りる時になったのならば。
彼女はきっと。
彼女はきっと、この薬を――。

ふと、空を見上げる。
大きな大きな満月が、全てを照らしていた。
どうも、至木です。
儚月抄では黒髪妹紅に萌え殺されそうになりました。

それはさておき、今回は儚月抄四話から妄想を膨らました結果、このような形になりました。
なんというか、自己満足SSになってしまったような気がしますが、最後まで読んで頂けたのならば幸いです。
それでは、また。
至木
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コメント



0.280簡易評価
4.80名前が無い程度の能力削除
この発想はなかったです

岩笠の娘は、一体どんな一生を送ったのしょうね?
まあ、半人半獣は人間より少し長い程度と聞きますし、
おそらく、随分昔に亡くなっているでしょう。

時空を越えた神隠しにでもあわないかぎり。