Coolier - 新生・東方創想話

長い話書けなかったから短いのまとめてみたvol.3

2010/01/14 20:17:16
最終更新
サイズ
21.86KB
ページ数
1
閲覧数
832
評価数
3/13
POINT
770
Rate
11.36

分類タグ

/苺のケーキのホルマリン漬け


────ああ、夜だ。
部屋の中はどんよりと暗いから、今は夜に違いない。
ならば、石畳の上を這うのは八ツ足の蜘蛛であろう。隅で蹲るのは百足か、蛾か。
光は一筋も射し込まない部屋だけれど、その方が虫も居心地がいいのかもしれない。
夜を照らすものは月や星があると聞いていたが──見渡してもそれらしきものは見当たらない。
そうだ、きっと蝙蝠が壊してしまったのだ。光というものは闇よりもずっと脆いと言うから。
黒の重さに耐えられず狂ってしまったに違いない。
粉々の、ぐちゃぐちゃに弾けとんで、さぞかし素敵な残骸が残ったことだろう!
考えるだけでドキドキする。
私もこの目で見てみたい。
けれど、朝が訪れないこの部屋に月や星が現れたことは一度もなかったから、真似事しか出来ない。

「こうやって…」

手を前に伸ばす。
パーの形に開いて、ゆっくりと手の中の心臓を握り潰す。
実際に心臓を掴まえたわけではないが、温かな塊を私は確かに感じるのだった。
この手の中で静かに潰えていく生命。
───とくん。
──とくん。
─と、
知らぬ間に口角を吊り上げたままもう一度手を広げた。

「どかーん」

パン、と弾けた音がした。
月や星を壊したらどれほど綺麗なんだろう。
その代わりに──欲望のまま握り潰した──虫たちは今日もいなくなってしまった。
この部屋には私しかいない。
この夜には私しかいない。
ずうっと、長い長い階段を下った地上より深いところで、思えば私は随分長い間ひそやかに呼吸をしている。

私には唯一の姉がいる。
ふたりぼっちの家族──レミリアお姉様は稀にこの部屋に顔を出す。
嬉しくて嬉しくて、いつもぐちゃぐちゃに壊してしまう。
勿論お姉様は私に壊された位で死んだりしないけれど。
でも最近はめっきり会いにきてくれなくなった。
私を閉じ込めたのはお姉様だ。昔はひどく嫌いだった。
けれど、お姉様の無表情の中に泣きそうな瞳を見つけるには───とうても、十分な時間が私にはあったのだ。
私はお姉様が大好きだ。
けれど、お姉様の一番はきっと私じゃないのだ。
いつからか、姿も見せずに私の部屋を訪れる気配がある。
あたらしい匂いが段々と増えていく。地上は随分賑やかになった。

「…おねえさま」

お姉様には家族と呼べる者たちが他にもいるみたいだ。
ふたりぼっちは、気がついたらひとりぼっちになってしまっていた。





「フランはどうしているかしら?」

微量の血液を混ぜたブラッド・ティーに舌鼓を打ちつつ、メイド長お手製のショートケーキをフォークで弄んでいたレミリアが問うた。
問いを受け取った方の咲夜といえば、澄ましたままの顔で答えを返す。

「妹様でしたら、今日も元気でいらっしゃいますわ」

「そう…」
銀色のフォークが苺にずぶり、と突き刺さる。
「それなら、いいのだけれど」

レミリアはそれを口に運ぶ。
淡い酸味が広がって──一寸もしないうちに甘ったるい生クリームに掻き消されていった。


レミリアには唯一の妹がいる。同じスカーレットを持つ者だ。
悪魔の妹、フランドールはあまり姉に似ていない。
(咲夜に言わせればそっくりらしい。我が儘な所とかが)
地下に作った彼女専用の部屋は真っ暗だが、あの綺麗な金色の髪はキラキラと輝いているのだろう。
太陽の下ならもっと輝くだろうが──生憎と、レミリアもフランドールも吸血鬼だった。
吸血鬼は日の光に弱いのだ。
レミリアは少しばかり耐性があるので日傘でもさせば出かけることは出来るが。
而して、対照的なのがフランドールだった。
彼女は部屋からは滅多に出ない。出ることが許されていないのだ。
白いベッドはやわらかで、清潔に保たれている。
気紛れに枕を引き裂いて中の羽根を散らかしても、眠る時には新品にすり替えられている。咲夜が時を止めているのだ。
愛しい妹は少し、狂ってしまっている。
いや──きっと、"狂ってしまった"のではないだろう。生まれた時から狂気を孕んでいるのだ。
細い腕で、小さな手で、濁りのない瞳で、真っ白なこころで、全てを壊してしまう。
あまりに大きな力だ。
レミリアの操る運命もとても大きなものだが、それを壊してしまえるのは皮肉にも、妹君だけだった。
そう、あの子の小さなからだにはあまりに大きな力だ。
溢れてしまう。傷付けてしまう。破壊せずにはいられないのだ。
母を求める幼子のように、泣きわめく代わりに皆壊してしまう。
レミリアは悩んでいた。
フランドールを地下に閉じ込めたのは、怖かったからだ。
彼女の能力で壊せるのはなにも無機物だけでなく、人間だって例外でない。
私が咲夜を側に置くように、情が移れば人間は食料でも遊び道具でもなくなってしまうことを知っているから──フランがそのような人間に出会った時に。
抑えきれず壊してしまうのは避けたかった。
人間は脆いから。精神も、肉体も。
壊してしまったあの子が、壊れてしまうのが怖いのだ。


生クリームの甘ったるさに顔をしかめる。
フランを傷付けないようにと、幽閉したのは間違いだったろうか?
退屈で死んでしまいそうに決まっている。
それならば、何が正しかったのか。正解はあったのか。
レミリアがフランに会いにいくことは滅多にない。咲夜に毎日様子を確認させている。
今日も元気です、と咲夜は言った。元気というのは、呼吸をしている、というのと同義である。
ひとり闇の中で何を思うのだろう?
その答えを聞くことはとても出来ない。

「ねぇ、咲夜。あの子は私を恨んでいるだろうなぁ」

それもやはり、怖かったからだ。




/箱庭の少女たち


(探し物は何ですか?)

道はぬかるんでいた。
ここ数日雨が降り続いているようで、現に今もしと、しとと霧雨が道端の葉を濡らしている。

悪道を行く男は、おぼつかぬ足取りでただ先があるままに歩いていく。
革のブーツは泥が飛び散り、千鳥柄のマフラーもどこかに落としてきてしまったらしい。
何故こんなところを歩いているのだろう──男にも、到底わからなかった。
こんな泥の中を歩いたのはひどく久しぶりだったから、上手な歩き方が出来ない。
今やコンクリートで固められていない道など近くには無かったはずなのに、夢を見ているような懐かしい風景の中に自分はいる。
昔、なくしたものだった。
取り戻そうと躍起になっても多分戻らないものだ。
ビルも車もない自然の中を、男はひとり雨に濡れる。


雨が少し重さを持って、冷たいと感じるようになった頃男は初めて時間の経過に気が付いた。
何だか、知らぬ間に随分歩いたものだ。何処から歩いてきて、此処が何処やらわからないのだから距離は知れぬが、
水を吸って重くなったぐしゃぐしゃのブーツがその長さを物語っていた。
───もしかして自分は死んだのだろうか。そうでなければ、そろそろ夢は醒めてもいい頃だ。
そう思うと少しばかり頭がはっきりしてきた。背筋に冷たいものが走る。
だから──急に降ってかかった声に、飛び上がる程驚いてしまったのだ。

「御兄さん、」

「うわあぁっ」

びちり、と泥が足に跳ねた。
男が慌てて振り返ると、変わった服装をした少女が唐傘を差して立っていた。
蛙と蛇の髪飾りが目に留まる。
少女はくるり、と傘を回すと男に向かって言った。


「初めまして。今日和。御兄さんはどちらから?何処へ行かれるんですか?」

「…わからない」

掠れたような声が男の口から漏れる。
少女は不思議な空気を纏っていて、男は無意識に怯えていた。

「そうですか」
雨粒が傘の先を伝った。
「奇遇ですね。私もよくわからないんです」

「…え?」

「──備えあれば憂いなし。冒険には準備が必要、電灯に缶詰に地図に、毒リンゴはいるかしら。
あの森には魔女も棲むというからね。ラジオは繋がらないかもしれないけれど、無いよりはいいかも。気が紛れるし」

少女はすらすらと喋り続ける。

「でも、あれもこれも詰めたら、重くて動けなくなってしまいました。ああ、本末転倒!なんてことでしょう。
あれもこれも泣く泣く捨て置いて、私はまだ冒険の途中なのです」

少女は笑った。
少し得意気に、けれど照れくさい様子でまた傘を回してみせた。
ふと、男はひそやかに触れる風を感じた。
木々の隙間を縫って流れてくる。
風は、確かに少女の後ろから吹いていた。強く、優しい風だ。

「探せど探せど、まだ見つからない。風に背を押されて、まだまだ冒険は続いていく」


「さようなら。御機嫌よう。御兄さん、貴方の探し物は何ですか?」


木の葉を巻き上げ、一層強い風が吹いた。
吹きつける風を身に受けたとき、男はふうわりと体が浮いた心地がした。
ぬかるんだ土から足が剥がれる。
傘を差した少女の姿が遠く、遠くなっていく。



(状況を打破する為の鋭利な刃物)


波に揺られている。
あの少女の声がまだ頭の中で響いているようだ。
──冒険の途中なのです。そう少女は言った。
ならば自分も旅をしているのだろうか?何かを、探しにきたのか──夜はただの闇と水に分離してしまって、その上辺を漂う心地がした。
地を打つ雨音が耳に響いてやっと、自分の状況を認識する。
先程までの森は見当たらず、ひやりとした空気が肺を満たし指先を震わせる。
目の前には青々とした、広い広い湖が横たわっていた。
あの風に飛ばされて、自分は気絶でもしていたのだろうか。
男は思考が追い付かず、ただただ霧の立ち上る湖面を見詰めていた。

その湖面の僅か数ミリ上に、銀色の髪をした少女が浮かんでいるのに気が付いたのは、少ししてからのことだ。

少女は言った。
「もし、其処の人間さん。何れがお好みかしら?
やっぱり、銀の鋭いのがいい?解体しやすいの?グリップが軟らかいのもありますわ。
──ああ、でも、これがいいかしらねえ。とびきりの毒刀。とても小さいから、暗殺にはぴったり」

少女が取り出したのは洒落た短刀だった。
刃には毒が塗り込められ、鈍く光っている。


「それで、どんなナイフをお探し?」


声は真上から聞こえた。
湖面に遊んでいた少女はいつの間に、清楚なメイド服を揺らしもせず男の眼前に佇んでいる。
そうして薄い笑みを浮かべ男を見ていた。

「どんなナイフって…ナイフなんか探していませんよ」

「あら、それは失礼」
少女はにこにこと笑う。
「でも、ひとつわかりましたわ。貴方の探し物はナイフではない」

「…貴女、誰なんですか?此処は何処ですか」

「素敵な御伽の国と、しがない案内人」

「…案内人?案内して、くれるんですか」

「ええ、勿論ですわ」

少女の髪が鏡のように光を反射する。
白い腕をす、と上げて湖の向こう、遥か先の空を指差した。

「あっち」

「───ええと、」

「空を行けばそんなにかかりませんわ、人間さん。
それでは私は、御使いの途中ですので」

真っ直ぐに指された先を見やれば、ぼんやりと霧にまみれた空があるばかりだった。

「随分な案内ですね」

「仕方ありません、私の指は主の紅茶を美味しくいれる為に御座います。
……ああ、忘れていましたわ。普通の人間は空を飛べないのだった」

少女は今ぽっかりと浮かんだかのように呟き、地を蹴って空に浮かべたその体を翻した。
広大な湖を背に負い、男に向き直る。
慣れた手つきで懐を探ると、男に向かって何かを放った。

「うわっ、と」

小柄なナイフだった。
ただ、先程の毒刀のように禍々しさは感じない。
手に取って眺めると、ぼんやりと薄く光っては消える。

「貴方の探し物はナイフではない。けれど、鋭利な刃物は切り裂きますわ。人も縁も、悪魔もね」

そう言って少女は正しく笑い、姿を掻き消した。
男は少女に貰ったナイフを見つめる。
それを上着のポケットに入れてしまうと、あの細い指が示した方へゆるゆると歩き出した。


(ビン詰めの星屑は如何?)


陽が落ちかけている。
相変わらずの雨に夕焼けは感じないけれど、唯一明かりをくれていた空が暗くなってきている。
───急がなければ。
男は焦った。あの細い指が示した方へ歩いてきたものの、何処が終着かもわからなかった。
真っ直ぐに道を来た自信も無い。その上視覚が奪われてしまっては、立ち竦むほかにないからだ。
男はポケットに手を入れ、銀色の少女に貰ったナイフを探す。
ナイフは小さいながら、ずしりとした感覚があった。刃は冷たく光っていた。

本当に不思議な夢だ。
あまりにリアルな感触で、あまりにリアルを欠いている。
少女は何を思って自分にナイフを渡したのだろうか。これで自殺でもして、幽霊になって空を飛べというのか。
嫌な想像だ。
しかし、男の考えはそこで途切れた。
どれだけポケットを探ろうと、少女に貰ったナイフが見つからないのだ。
慌てて身体中を探し回していると、

「これはいいナイフですね。彗星の尾までよく切れそうだわ」

と、頭上から声が降ってきた。
上を見上げると、箒に腰掛けた魔女がポケットにあったはずのナイフを弄くり回している。
刃をなぞったりひっくり返したり、観察は手馴れているようだ。

「…返してくれませんか。それは僕のものです」

「あら、先程まで羊みたいでしたのに。狼が食い殺してしまったかしら」

真っ直ぐに見詰め返してきた男に、魔女はぴゅうと口笛を吹く。
ステレオタイプな黒いドレスに白いエプロンを重ね、フリルのついたとんがり帽子。
幼い頃に思い描いた魔女の姿そのもの。ひとつ違うのは、それが小柄な少女だったことだ。

「そのナイフは大事な貰い物なんです」

「へえ?」
魔女は蜂蜜色の髪を揺らしてにやりと笑った。
「でも、貴方の探し物はこれではないでしょう。欲張りすぎると、」

「……どうなるんですか?」

「私みたいな魔法使いに」
くすくすと魔女は妖艶に笑う。

「───それならば」
男は魔女を見上げた。
「宇宙を切り取るナイフは差し上げます。その代わりに、僕を空へ連れていってくれませんか」

ふうわりと風が吹いた。
がさがさと騒がしく辺りの葉を揺らし、男の黒髪を靡かせる。
魔女が舞い降りてきたのだ。
箒に横乗りしたまま男と同じ目線まで落下し、軽やかに箒を降りた。
覗きこんだ瞳は琥珀によく似て、すべて呑まれそうになってしまう。
魔女は猫のように悪戯な声色で言った。

「──ふうん。魔女相手に交換条件か、中々度胸があるじゃないか。そういう奴は好きだ。気に入ったぜ」

魔女は帽子を脱ぎやわらかな髪をぐしゃぐしゃと乱す。

「…ああ、それにしても、疲れた。言葉遊びは嫌いじゃないが、言葉遣いは苦手だね。
散々昔叩き込まれたものだけれど、なんて窮屈な対話(ダイアログ)かしら!」

白く細い腕から放り投げられたナイフがくるくると踊る。

「ってことで」

「え?」

「そうだなあ、このナイフは迷惑料に戴くぜ。主に私が迷惑した。
あんた、箒に乗りたいんだろう?それなら追加料金が必要だ」

───どこのぼったくりだろうか。男は顔をしかめた。
魔女は愉しそうに男を見ている。
既に陽は落ち、夜が蔓延していた。ひた、ひた、と闇が足にまとわりつく。
なんとも厄介な魔女に出会ってしまったが、それでも一人よりはずっとましだ。
しかし、追加料金など払えない。
男は魔女を見詰めた。
例えどんな出で立ちでも、彼女は恐ろしい魔法を操るのだ。
魂でも要求しているのだろうか──黒魔術には、そんなものが必要だとか聞いている。
男が真剣な顔で悩んでいると、ぷ、と魔女が吹き出した。
冗談だぜ、と男の襟首をひっつかみ箒に魔力を走らせる。


「────あ、」


声が漏れた時には、既に先程までいた森がかなり小さく見える高さを飛んでいた。
あまりに不安定な宙を行く箒。
驚いて思わず自分を空に連れ去った魔女に掴まると、その感触も華奢で不安定だった。

「御客さん、空の旅は如何かな?初めて空を飛んだ感想は?」

「──ああ、」
喉の奥を熱いものが通り過ぎる。
けれど、掠れたような息が外に出るばかりで感じたものはあまり言葉に出来なかった。
「綺麗です。とても」

「そうだろう?私も、初めて空を飛んだ時は声も出なかった。あんまり感動しすぎてな。
───空を飛べぬ劣情も、空を飛ぶ喜びも、私が一番知ってるぜ。さあ、御客さん、何処まで?」

彗星のようなスピードで風をきって箒は進む。
魔女の弾んだ声を受け、もう一度じっくりと地上を見下ろす。
とても美しい場所だった。
男は目を閉じて──しっかりと開く。この景色を覚えておこうと思ったのだ。

「魔女さん」

「ああ」

「このまま真っ直ぐに、行ってくれますか」


古ぼけた赤色の、鳥居が見える。


(まるくてやさしいまぼろし)


星が瞬いている。
雨は止んでいたようだ──上を見上げて男は息を呑んだ。
溢れる星の粒を遮るものはなにもない。ビルも、煙も。
箒はやたらと速く、あっという間に神社に到着した。
速度を落として鳥居の前に降りる。
小さめの鳥居は、つやつやの赤がところどころ剥がれている。
魔女はくるりとスカートを翻して言った。

「終点だぜ、御客さん。素敵な神社だ、もてなしもあるぜ。賽銭さえ入れればな」

魔女は男を残し、空気を震わせながら空に浮いた。
星空がよく似合う魔女だ。
箒の先からは七色の星が零れては消える。

「有り難う御座いました。…貴女も、案内人だったんですか」

「さあね。私はただの魔法使いだぜ」

魔女はにやりと笑う。

「それでは御客さん、よい旅路を!───ああ、そうだ。私としたことが忘れていた。
御客さん、お名前は?」

「名前?ええ、僕は────僕の、名前?」

何故考えなかったのだろう。
考える暇もなかった。そばにあって、当たり前のものだったから。
自分の名前が、わからないなんて。
頭の中の靄が晴れていく気がした。自分は探し物をしにきたのだ。なくしたものを、取り返しにきたのだ。

男は魔女を見た。
深く帽子を被っているので表情は伺えないが、笑っている気配がする。
鳥居を抜けた先は、深く、どろりとした闇が漂っている。
けれど、迷いはない。
進むべきはこの道なのだ。

「探し物は見つかったかしらん?」

「…はい」

「なら良かった。宝物はどんなに汚れても、壊れても捨てられないものだ。
…そうだ、追加料金の話だが。これでいいぜ。じゃあな!」

乱暴な風が叩きつけた。
暫くして目を開けると、魔女の姿は夜空の端に消えようとしている。
その首には、見覚えのある千鳥柄のマフラーが巻き付いていた。






「いらっしゃい。素敵なお賽銭箱はあっちよ」
少女の第一声がこれだった。

魔女と別れて鳥居をくぐり、歩いていくと小さな神社が見えてきた。
夜の中にひとつ、ぼんやりと明かりが灯っている。どうやら人はいるようだ。

しゃらん、と音がした。
男が音の方へ歩いていくと、障子を開けたその先の空間に少女が一人踊っている。
変わった紅白の服を着た少女だ。清らかなステップは舞だろうか。
きっと彼女はこの神社の巫女なのだろう。
艶やかな黒髪を翻しくるくると舞う。
少しして、舞は終わった。
巫女はこちらを見た。
黒く、けれど透明な光を持った瞳に捕まえられる。

「──ああ、やっと来たわね」

独り言のように呟く。
そして、申し訳程度の笑みを浮かべ、先の台詞である。

「すいません、お金持ってなくて」

「知ってるけどね、迷子さん」
巫女は縁側に腰掛けた。
促されるまま隣に座る。
「じゃあ、それ。ポケットの中の物をくださいな。お茶だけじゃ少し味気ない」

「…ポケット?」

男がポケットに手を入れると、指先に冷たい心地がした。
取り出して光に晒す。
ビンの中で歪なかたちの星屑がしゃらん、と鳴った。

「あれ、どうして金平糖なんか」

「貴方、魔法使いに会ったでしょう。あいつは悪戯が好きだからね、手癖が悪い。土産のつもりかしら?」

コルクの蓋を開けて手のひらに出した小さな金平糖は、薄紅、青に緑、黄色、白──魔女の箒から零れる星に似ている。
砂糖で出来たそれは甘ったるくて、ばかみたいに優しい。
巫女は二、三粒口に入れてがりがりと噛み砕き茶を飲む。幸せそうな顔だ。

「甘いものはいいわねえ。痛くないし、怖くない」

夜は眠っているように静かだ。
話し声だけが、境内に響いている。

「大切な人に貰ったのね、名前。でも、知らない内に置き去りにしてしまった」

巫女の横顔は凛々しく、またあどけない少女のように映る。

「自分の名前ってそんなに大切なものなんでしょうか?」

「貴方の大切な人が、貴方にだけあげたんだもの。誰にも奪えないし、特別に愛しい。
けれどその事を忘れてしまうから──貴方は此所にいるんでしょう?」

金平糖はみるみる減っていく。
男は思った。
大人になるにつれて、世界は音も立てずに凍りついていった。
世界は思うよりずっと大きくて、自分は思うより何も出来なかったのだ。
流されるままに人混みに紛れて、名前の意味さえ無くしてしまっただろうか。
何も出来ない自分にも、裏切らずに寄り添う言葉の並びを。
こんな遠い所まで探しにこなければいけない程に──それはとても、悲しいことだった。

「別に慌てなくていいの」
巫女はず、とお茶を啜った。
「何処かで落としたと気が付いたら、迎えにいってやればいいのよ。
それは難しい事だろうけど──不可能じゃないわ。
…例え何百年経とうとね、たくさん時間をかけてあげればいい」

迎えにいってやればいい。
ああ、なんだ、そんなことだったのか。
巫女の口調は淡々としたものだったけれど、その言葉は丁寧に磨かれていて男の中にすとん、と落ちた。


「丸くて優しい幻はいつも見えなくなってしまうけれど、消えずに此所に流れ着く」


男はきいん、と耳鳴りがするのを聴いた。
夢が終わるときはいつも突然だ。
巫女の顔がぼんやりと霞んで見える。

「それを覚えているだけできっと素敵よ。私の勘は当たるんだから、間違いない。それじゃあ、迷子さん。よい現(うつつ)を」

巫女も、神社も、空もぐにゃぐにゃに歪んでいく。
やわらかな笑みを浮かべた巫女が金平糖をひとつ摘まむのが見えた。

「───ああっと、そうだ」

長い夢が終わる。
男はふ、と目を閉じた。


「迷子さん、夜道にはお気をつけて。神隠しの愉快犯が出るから」



(箱庭の物語は今日も何処かで続いていく)


風が吹いている。
紛れて、煙草のにおいがする。
騒がしい夜だ。
まだ辺りはネオンが照らしていて、人の気配は無いが、数えきれない数の人間が今も呼吸をしている。
男は道を歩いていた。
ぬかるんだ土ではない。灰色のコンクリートだ。
蛍のような街灯が点々と、男の行く先を照らしている。

不思議な心地だ。
白昼夢でも見ていたような気がして、ふわふわとした足取りで歩く。

先程までは重い足取りだった。泥に嵌まったような。
けれども今は妙に気分が軽い。
あんなに憂鬱な雨も降っていたのに、全く不思議な日だ──雨?
いや、今日は雨など降っていない。鞄の中の折り畳み傘も綺麗なまま。
一体何を寝惚けているんだろうか。

男は夜を渡っていく。
少女たちのことなど忘れたまま、けれどそれもいつか迎えにいくだろう魅力的な記憶だ。
吐いた息が白く闇に、夜に溶けていく。
コンビニの袋の中のアイスはぐしゃぐしゃに溶けてしまっていた。
アパートまではそう遠くない。
なめらかな幸せを感じながら、男は日々に帰っていく。
中身の減った金平糖のビンがポケットの中でしゃらり、と鳴った。



/溺れる魚


魚は泳ぐものだ。
無様に溺れる人間たちを見つけては、嘲笑うようにすいすいと泳ぐ。
なんであんなになめらかに泳ぐのだろう。なんであんなにしなやかに泳ぐのだろう。
きっと彼らは無様に溺れる魔女をも笑っていることだろう。
私はあんなに上手に泳げない。深く、底に沈むばかりだ。

「パチュリーさま、」

紅茶がはいりました、と声が埃っぽい館内に響く。
小悪魔の声は可愛らしくて、少し幼い。蛇足だけれど、よく噛む。
赤い髪を背に垂らし、私の僕として働いている。
呼び出した時から名前は無い。小さくて生真面目な彼女を、私はそのまま小悪魔と呼んでいる。

「ありがとう小悪魔」

「あっ、いいえ」

紅茶はふうわりと湯気をあげていた。
それを視界の隅に留めながら開いた本の文字を目でなぞっていく。
知識というのは裏切らないから好きだ。
知っているということは武器になるし、防御にもなる。
吸い尽くすように、噛み砕くように、昔から――昔というのは何百年前かわからないけれども――本を読んできた。
誰かが私を知識の魔女と呼んだ。
死んだような静寂に包まれていた図書館はここ数年で随分騒がしくなってしまった。
新しい知識が増えていく。新しい色が生まれていく。
私は好奇心のかたまりだ。
あちらにもこちらにも私の知らないことが溢れている。
そちらまでしなやかに泳いでいこうとして―――ふと思うのだ。
呼吸とはどうやってするものだろうか、と。


華やかな匂いが鼻を掠め、頁をめくる手を止めた。
そうだ、紅茶だ。すっかり忘れていた。
小悪魔はテーブルの上に散乱した本の整理をしている。
熱中すると時々散らかしたそのまま次の本に移ってしまうことがある。
これでは魔理沙のことも言えないか――いや、あそこまでではないだろう。
角砂糖をひとつ落として、カップに口をつける。
咲夜のいれる紅茶は美味しいが、こちらの紅茶もやわらかい味がして好ましい。
小悪魔はじっとこちらを見ている。きっと紅茶の評価が気になるのだろう。
いつものように美味しいわ、とひとこと言って本を読みながら紅茶を一気に飲む。


「ねぇ、パチュリーさま」


少し怯えたような、泣きそうな声が空気を揺らした。
ああ、またか―――。
彼女は時々、こんな風な声を出す。
そうして、とても綺麗に笑うのだった。

「ずっと、おそばに置いてくださいね」

小悪魔は空になったカップを手に取り、ティーセットをワゴンに乗せると
ゆっくりとした足取りで扉へと向かう。

その後ろ姿が、どこかへ消えてしまいそうな気がして思わず手を伸ばした。
けれど、また思考が邪魔をする。
呼吸はどうやってするのだろう。
尾はどう動かしたらいい。
沈まぬように、どうやってもがけばいい。
溺れる魚は、どこへ行くの。
胸が苦しい。何かが詰まったような喉に乾いた空気が徘徊する。

「げほっ、けほ…えほ」

小悪魔はもう扉の向こうだ。喘息を抑えようと自分でなんとか息を吸って、吐く。
もっとなめらかに、しなやかに泳げたら届いたんだろうか―――。

「……ずるい」

放り投げられた言葉はあまりに孤独で、寂しかった。
きっとこの思いは溺れて死んでしまうんだろう。
それでも、仕方ないのだ。
彼女の足首を縛り付けて、地に繋いでいるのは私が紡いだ糸だ。
本当にずるいのは、糸の端を束ねながら、自由に飛べと言うこの私なのだから。
ところで皆さんお気付きだと思いますが、魔理沙は俺の嫁です。
コトリ
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.470簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
残念、魔理沙は私の嫁だ。
11.無評価コトリ削除
>2
落ち着け、あれだ、半分こすれば皆仲良しってけーねが言ってた。
…じゃなくて、コメントありがとうございました。

評価だけの方もありがとうございました!
12.100名前が無い程度の能力削除
ちょっと待てコラ、三分の一は私の嫁だぞ。

ふむ、しかし作者検索で回っていたら上手い人に当たった、幸運に感謝。
これからも頑張ってください。
13.100ずわいがに削除
一つ目――レミリアも臆病ですね。
二つ目――なんて綺麗な幻想入り! まさに一夜の幻です!
三つ目――どうしようもないエゴですよ。
あとがき――ハァ? 魔理沙は俺の娘だろjk