痛いほどの日差しの中を藤原妹紅は歩いていた。年の頃は十代の半ば、その歳には似つかわしくない白髪を腰まで伸ばし、適当にリボンで結んでいる。
彼女は普段人の里からは少し離れた場所にある迷いの竹林と呼ばれる場所に住んでいたが、今日は知り合いの先生に会うために出てきたのだった。その足取りには迷いが無く、幾度と無くその道を使用していることが伺われた。
この幻想郷では珍しくもないことだが彼女はただの人間ではなく、会いに行く人物もまた人間ではなかった。ならば二人は同じ種族なのかと言われればまたそれも違う。藤原妹紅は遥か昔蓬莱の薬を飲んだ不死人であり、会いに行く人物、名を上白沢慧音と言うが、彼女は半獣だった。
蓬莱の薬を飲んだとしても妹紅は蓬莱人ではなく、満月の夜に真の姿を見せるとしても慧音は妖怪ではなかった。人間にも成りきれず、妖怪にも成り損ねた二人。だからというわけでもないだろうが、縁が合い、気が合った二人はしばしば互いの家を行き来するようになっていた。
竹林で人目から隠れるように住んでいる妹紅は、人の里に出てくるだけでも新鮮な気分になった。道端で野菜を売っている商人や、笛を吹き鳴らして子どもを集めている飴売り、赤ん坊を背負った母親等、里は人で溢れていた。その中でも白髪の妹紅はとても他人の目を引いていたが本人にはその自覚は無いようで、道行く人々を物珍しげに眺めながら慧音のいる寺子屋へと歩いていった。
妹紅は古い木造の一軒家の前に立った。里の中心からは大分離れた場所にそれはあった。それでも年々人間の力は強くなっているようで、一昔前までは慧音の家が一軒ぽつりと建っていたここも今では喧騒に包まれている。
それに、古い木造と言った所で自分の方がよほど古いと妹紅は自虐的に笑った。玄関でドアを二回軽く叩く。特にアポなんてとってはいないが、いつもなら授業中の時間のはずだ。一羽の雀が庭の生垣に泊まり、そして羽ばたくのを見送ってから妹紅は授業中なのだろうと判断しドアを開けた。鍵が閉まっていることも無く、少し立て付けの悪いドアは軋みながら開いた。
玄関からは長い廊下が伸びており、その左右にいくつかの部屋がある。一人で住むには少し大きい家にも感じるが寺子屋としては丁度いいのかもしれない。見ると小さな靴や草鞋、下駄がテンでばらばらに脱ぎ散らかされており、今が授業中だということを妹紅に確信させた。
自分がこのくらいの時には寺子屋などというものは存在しなかったなと妹紅は心の中で呟いた。妾の子とは言え貴族の家に生まれたがために乳母に様々なことを教わることは出来たが、同い年の子どもたちと野山を駆け回ることは出来なかった。
靴を脱ぐと玄関に散らばる靴を分かる範囲で整理してから、妹紅は声のする部屋へと向かった。障子を開くと慧音が驚いたような顔で妹紅を見つめ、深呼吸を一回してから教師の顔へと戻った。
しかし慧音以上に急な来訪者に沸き立つ子どもは授業中とは思えないくらい騒いでいる。隣の子と妹紅について情報を交換するもの、初めて見る人物に意味も無く紙くずを投げつけるもの、逆に押し黙って下を向いてしまっているもの。反応はそれぞれだがすぐには納まりそうにもなかった。
妹紅が謝って部屋を後にしようとした時慧音が声を張り上げた。
「静かに!!」
鶴の一声というやつだろうか。あれだけ騒いでいた子どもたちがピタッと騒ぐのを止めた。それは、なにか、教育の賜物というよりもそれ以上の何かを感じさせたが、妹紅は黙って成り行きを見守ることにした。
「それでは、新しい先生を紹介します。何人かは会ったこともあるとは思うが、藤原妹紅先生だ、みんな失礼のないようにな」
慧音が生徒達に話しているのを妹紅は他人事のように聞いていたが、慧音が話し終わってから二呼吸置いてようやく慧音の言葉の意味を理解して慌て始めた。
「いやいやいや!そんなの出来ないって。私はちょっと慧音に会いに来ただけだし。そんな学があるわけじゃないし。それに、それに」
「それに、なんだ?」
優しく、しかし、どこか意地悪な口調で慧音は問い詰めた。妹紅はもう慧音も子どもも見れないといった風で目を伏せてしまった。
「それに、それに。………………………………………恥ずかしい」
最後の言葉はそれこそ蚊の鳴くような小さな声だったが慧音は一切聞き漏らすことは無かったようだ。にやにやと笑いながら慧音は妹紅に近づいていく。そのまま手を掴むと妹紅の抵抗なんて意に介さずに部屋の真ん中まで引き摺っていってしまった。
「なぁに、今外の話をしていてね。香霖堂で貰った外の本にも色々書いてあることは書いてあるのだが、机上の空論ばかりの授業というのもな、そんなわけだから少し妹紅の知っている外の話をしてくれないか?」
「…………………………私が話せるのは遥か昔の話だ、妖怪の山の巫女にでも頼んだ方がいいんじゃないか?」
「それでは歴史の授業にならないじゃないか」
妹紅が昔話をするのは嫌がるだろうということは慧音には分かっていた。未だに、怖いのだ。不死人の存在を里の人々が受け入れてくれるのかどうかが。竹林での護衛を始めたことで少しずつ溶け込んではきたが、夜の竹林に入る人など限られているからまだまだ先は長い。
それでも、と慧音は思う。妹紅が一歩踏み出しさえすれば人々は妹紅の存在を当たり前のように受け入れてくれるであろうという確信はあった。私がこうしてここで寺子屋を開けていることがなによりの証拠だ。半獣だろうと不死だろうと幻想郷は受け入れる。
ゆっくりで良い。なにせ半獣の一生は人のそれより遥かに長く、妹紅のそれは終わらないのだ。
「私が話せることなんて、大したことじゃないけど。それでも良いのか?」
慧音の笑顔に根負けしたとでも言うように溜息を一つつくと妹紅はそう言った。
千年も昔の話だ。
親が子に聞かせる御伽噺の世界を生きてきたと言っても過言ではない。
外とは言ってもまだ妖怪も幽霊も人と同じ世界に存在していたころだ。
だから、妹紅の話は幻想郷の人々にとって、ある意味ではありふれた話だったのかもしれない。
一人の女の子が生まれて――――――死なない話。
不死となり、各地を転々としていく中で出会った人々。そして、妖術の師との出会い。
「――――――その人のお陰でこういうことも出来るようになったわけだが」
そう言うと妹紅は家の中だというのに手の平に火を灯した。
自然には存在しない、炎だけという存在、妖の術。
「凄い人だったよ。私の存在を認めてくれた。それだけじゃなくて生きていく術を教えてくれた。色々あって、別れちゃったけど」
そう話す妹紅の顔はどこか誇らしげで、どこか悲しそうだった。
その師と別れてからしばらく経った頃、いつの間にか幻想郷にいたらしい。慧音の話では外の人間が不死をありえないことだと否定したからということだった。
「と、まぁそんなものだな、私が知っている外なんて」
話し終えた時には既に日が傾いており、西日が部屋の全てを赤く染めていた。
肝心の生徒はというと、妹紅は部屋を見回してみたが大半の生徒は眠ってしまっている。子どもには少し長く、そして退屈な話だったかなと妹紅は少し反省したが、自分の過去をあまり多くの人間に聞かせなくてすんだことを安心してもいた。
それを分かっていたからなのか敢えて子ども達を起こさなかった慧音が、そろそろ起こすか、と気合を入れたとき起きていた唯一の生徒が手を上げた。それは、妹紅が入ってきたときに俯いてしまった子だった。
「それからそのお師匠はどうしちゃったんですか」
十歳程の男の子で、授業なんかよりむしろ外で鬼ごっこでもしてる方が百倍楽しいと普段から慧音を困らせている一人である。
慧音にとってはその子が起きていたこと事態が既に驚きだった。慧音は皆を起こすのを止め、少し見守ることにした。
師匠の存在くらいは妹紅から聞いてはいたが、深く踏み込んだことはなかったから聞いてみたい、というのもあった。
「師匠とは、それから会ってない。多分、二度と会うことはないと、思う」
多分?慧音は少し違和感を感じた。
千年前の人物なのだろう?
多分、会うことは無い?
つまり、会う可能性が、ある?
しかし、そんなことには意識が行かなかったようでその子は質問を続けた。
「じゃあ、じゃあ、それから妹紅は一人なの?」
「……………一人、一人、か。一人、なのかもな」
まだ、か。
慧音は思う。仕方が無いと。
人間は五十年の人生のうち数年間を共にすれば十分かもしれないが、千もの年を数えたヒトからすれば、数年の既知も昨日今日会った人物と変わりないのだろう。
だからこそ、この少女を一人にはしておけない。
その決意と共に慧音は立ち上がると生徒たちを起こしにかかった。
「すっかり遅くなってしまった」
昼間とは打って変わって人気の無い道を歩く。あえて人気の無い道を選んでいるわけではない。
妹紅は思う。人里だろうと森の中だろうと夜は同じなのだ。人の歩く世界ではない。歩いているのは妖怪か、私のような人でなしか、ロクデナシの悪党だけだ、と。
その中で、妹紅は尾行してくる者の気配を捉えていた。慧音の家を出たときからずっとだ。また輝夜の嫌がらせだろうか?しかし、それにしては拙い尾行だ。
気配どころか足音すらも隠し切れていない。これでは少し妹紅が巻きにかかれば、たちまち付いて来れなくなるだろう。
だが、逆に楽しみでもあった。巻いてしまっては誰が尾けて来ているのかが分からない。仮にどんな手練だったとしても自分が死ぬなんてことはないのだから、尾行者の顔でも拝んでおく方が面白い。そう考えて妹紅は尾行を半ば誘うように歩いた。なるべく分かりやすい道を選び、こちらを見失ったと思ったら少し立ち止まってもいた。
そうしてしばらく尾行ごっこを楽しんだ後、ひょいと裏路地へと入り込んだ。路地の前の道には人通りはなく、左右は民家ではなく、倉庫のような建物で、悲鳴で誰かが飛んでくるなんてことも恐らくないだろう。つまり、襲うのならばここしかない。
ここまでお膳立てしたんだ。そろそろ顔を拝ませてもらおうかな。
にやりと笑い、振り向こうとしたときその路地の先に先客の気配を感じた。
こんな時間に?
しかし、妖怪の気配でもない。
だったら、ロクデナシか。
姿が見えないのでは話にならない。妹紅は昼間と同じように手の平に炎を灯した。その炎は路地を明るく照らし出し、三人の人相の悪い男達を浮かび上がらせた。
「あん?なんだテメーは」
まるでそう言うのが決まっているかのような定型文ではあるが、少なくとも夜で道に迷った可哀そうな人ではないことだけは分かったので良しとしよう。獲物は、と妹紅は三人を観察した。刀が一人に短刀が二人。刀が三人のリーダーだろうか?年の頃は全員似たようなものだろう、二十の半ばくらい。この辺りで窃盗でもしているグループなのだろうとあたりを付ける。
黙っている妹紅に痺れを切らした短刀の男がまた声をあらげた。
「テメーはなんだって聞いてんだろうが!」
短刀の男はともかく、刀の男は少し、出来そうだ。妹紅としてはどれだけ切られたところで死にはしないが切られれば痛いし、服を繕うのも面倒なのでこのまま焼き払ってやろうかとも考えたが路地の横の倉庫が燃えたら一大事だ。
さて困ったと思案していると三人組の方はもう方針が決まったらしい。
大抵の男の悪党が考えることなんて大体同じだ。
刀と短刀をそれぞれ構えるが迂闊には襲い掛かっては来ない。妹紅の炎を警戒しているのだろう。
無手の女の子相手に三人の武器持ちの男達、妹紅の不可解な炎も警戒はしながらも大したことはあるまいと高をくくっているのかジリジリと距離を詰める。
無手で刀相手に挑むなんてのは正気じゃない。しかし、このまま突っ立ているわけにもいかない。妹紅は腕の一本くらいくれてやるくらいの気持ちで両手を構えた。
その時だった。
妹紅の背後に気配が発生した。それと同時に駆ける足音が聞こえ、その距離は既に零に等しいことを妹紅に伝えた。
(さっきのやつか!!迎撃が間に合わない!!)
振り返ることも出来ずに一撃を覚悟した妹紅だったが一瞬後、駆けて来た尾行者が自分の脇を通り過ぎるのを感じた。
尾行者はそのまま妹紅と三人の間に割り込んだ。
突然の乱入者に三人組も一歩ずつ下がり距離をとった。しかし、乱入者の姿を見ると下卑た笑みを見せ、その距離を戻す。
決して高くは無い妹紅よりも更に低い身長。それはつまり、子ども、ということだ。
「妹紅は僕が守る!!」
そう言い放つその声は刃物の前に震え、三人組の前に立つその足は立っているのがやっとという体だ。
「お前は、慧音のとこの?」
妹紅からは後姿しか見えず、誰だと断言は出来なかったが今の声からすれば妹紅の授業の最後に質問を投げつけてきた子だろうと当たりをつけた。
「お前じゃない!小太郎ってんだ」
「なんでこんな所に!」
「妹紅は、妹紅は一人なんかじゃない!」
それを伝えたいがために一人で妹紅を追ってきた。ただ、いつ話しかけていいのかタイミングが分からずにこんな所まで来てしまった。そんな彼の一大決心も三人組には滑稽にしか写らなかったようだ。
「どうします?この餓鬼共」
短刀の男が刀の男に伺うと、刀は二人を一瞥して、刀を構えなおす。
「変わらん、邪魔者は排除、だ」
そのやり取りの間、その僅かな間。
(逃げるべきだった!)
妹紅は判断を誤ったことを感じた。無理矢理にでも小太郎を脇に抱えて逃げるべきだったのだ。不死に胡坐をかいて平和ボケした自分を叱咤する。
どうにかして、こいつだけでもこの場から逃がさなければ。しかし、この三人組も、そこまで間抜けにも思えないし、なにより、一人でこの小太郎が逃げてくれるかにも疑問があった。
…………………………しょうがない、倉庫の主には後で謝りに行こう。
「どけ」
小太郎の肩を掴み、自分の背後へと押しやる。なにやら喚いていたが知ったことではなかった。手の平の炎を攻撃に使用するレベルまで火力を上げる。
水分を失った木造の倉庫なんて炎に触れずに燃え出すかもしれない。
その時だった。上から声が降ってきた。
「いつから貴女は放火魔になったのですか?」
それは、一里四方に響くかのような、凛とした澄み渡る声だった。その声の主は倉庫の屋根に座って下の五人を見下ろしていた。白と黒を基調とした前衛的なデザインの服にグラデーションのかかった髪色は恐らく一度見たら見間違えることはないだろう。
「こんな所でも火の妖術ですか。それ以外も教えておくべきでしたね」
その人物はなんの躊躇もなく十メートル程の高所から飛び降りると一切の減速もなく力任せに地面に着地した。場所は、刀の男の目の前。
「懐かしい妖気を感じて昼間から尾けていたのに、気づいてもらえないとは私も少しがっかりです」
いくら二重尾行とは言ってもね。とその人物は三人組なんて目に入っていないかのように妹紅達の方へ向き直る。
またもや突然の乱入者に戸惑っていた三人組だったが二度目ということもあり、今度はすぐさま立ち直り、刀をその人物へ振り上げた。
一瞬後には真っ二つになったその人物の死体が転がっているかと思われたが、あろうことかその人物は振り返りもせずに素手のまま刀を受け止め、握力だけでへし折った。
「後ろから女性に向けて刀を振り上げるとは、穏やかではありませんね。しかし、私の皮膚に傷を付けたければ相当な業物を持って来るべきです」
ありえない言動、ありえない行動、ありえない力量。まさに化け物じみたその人物に三人組は肝を冷やしたのか、即座に逃げていった。
それは正しい判断だったのだろう。その人物にとって見れば、三人組なんて、脅威の対象でさえない。
そこで、ようやく妹紅が口を開いた。
「生きてたのか…………………………師匠」
その、様々な感情の入り混じった言葉を、師匠、聖白蓮は慈しむかのように笑って受け止めた。
二人の出会いは遥か千年前に遡る。
月の姫が残した禁忌、蓬莱の薬に手を出して不死人になった藤原妹紅。老いず、死なない。そうなってからの妹紅の生活に平穏の文字は無かった。転んだ傷が一瞬で治る様を見た人はもう妹紅に近寄ろうとはしなかった。少し同じ街にいることが出来ても数年もすれば誰もが妹紅の異様さに気づきだす。
そんな、各地を転々としていく中で妹紅は一筋の噂を聞いた。
強い法力を持った僧がいると。聞けばそう僧は今までに妖物の退治に失敗したことがなく、どんな妖怪であろうとも一撃で葬り去るとか。
庶民の噂である、信憑性も何もあったものではなかったが、少なくとも妖怪退治を得意とする僧がいることは確からしい。そしてその僧が住処としている寺が今妹紅がいる場所から山を四つ程越えた場所にあるということも。
その時既に生きることに疲れていた妹紅は短絡的にこう考えた。
そんなに法力の強い僧ならば、不死の我が身も滅せるかもしれない。
一も二も無く妹紅は駆け出した。
腹は空いてはいたが食べなかったところで死にはしない。
昼も夜もなく妹紅は駆けた。
何度か妖怪に殺されたが食うそばから生き返っていく妹紅の姿に妖怪の方が怖がって逃げていった。
ついたその寺は、なんてことのない、ただの寺だった。少なくとも妹紅はそう思った。白壁がぐるっと敷地を覆い、一つしかない門からは石畳が伸びている。その石畳がそのまま平屋の寺院へと続いていく。特に妖怪の耳塚があったりするわけでもない、それこそどこにでもありそうな寺である。
そして、境内は静けさで満ちていた。元々徳の深さで有名になった僧ではないからだろうか。檀家と呼ばれる人の姿も見えず、ただただ、建物があるだけだった。
妹紅は境内を一回りしてみたがどうにも人の姿が見えない。その僧以外の坊主がいても良いのだが、ある事情からこの寺にはいなかった。
妖怪退治にでも出かけているのだろうか?
この時代である、少し遠くに出かければ一月留守にするのも珍しくは無い。それでもと妹紅は屋根の下で座り込んだ。どうせ、どこにいても同じなのだ。ならば、ここで待とう。
そのまま待ち続けた。
数日後、参拝に来た人間がお堂の前で座り込む妹紅を奇異の目で見たが、それだけだった。
雨が降った。
晴れだった。
また雨が降った。
気温が下がってきた。
何日経ったのか、そんな感覚はとうの昔に無くしていた。
今年初めて雪が降った。その日、妹紅は白蓮と出会った。
もう空腹すら感じなくなっていた。しかし、この寒さという奴はどうにも我慢出来るものではない。体が震えるのを妹紅は止めることも出来ずにただただ寒さだけを感じていた。体を丸め、自らを抱きしめた。そして、その目は、ジッと門の外を見つめていた。
霞み始めた両目はぼんやりと人の輪郭を捉えた。
また、どこぞの参拝客だろうか?
門の向こうから現れた人物は妹紅の存在に気づくと手にしていた傘を投げ捨てて妹紅の元へと走りよってきた。
袈裟を着ていたわけではない。それでも妹紅にはあぁ、こいつが噂の僧侶か。と分かった。
「私を殺してくれ」
そう言いたかったのだが、冷え切った体はその一言すら口に出すことは出来なかった。
白蓮は、自分の寺で座り込んでいる少女がどういったモノなのか。そんなことは何も知らなかった。いや、知っていたとしてもその行動は毛ほども変わらなかっただろうが。
白蓮はとにかく震えている少女を抱きしめた。一体いつからここにいたのか、と思うほど、生きた人間の体とは思えないほどその体は冷たかった。
とにかく、助けなくては。
「星!!星!!聞こえているのでしょう?今すぐ湯殿の準備と暖かいものを」
そこまで聞いて、妹紅は気絶した。
次に妹紅が目を覚ましたのは三日後のことだ。
目を開けて最初に見えたものは虎柄頭の妖怪だった。その時点で妹紅の心は臨戦態勢に入ったが如何せん体が付いていかず、少し、体が揺れただけだった。
しかし虎柄の妖怪はそんな妹紅の挙動に気づいているのかいないのか、
「白蓮。ようやく目を覚ましましたよ」
とお堂の奥へと呼びかけた。
それからぱたぱたと歩いてくる音。いつもの服に割烹着を来た白蓮である。白蓮は妹紅に近づき右手で額へと触れる。
「もう、大丈夫みたいですね。それにしても、この寒さの中そんなかっこうで外にいれば誰でも倒れてしまいます。何故こんな所にいたのですか?いえ、それよりお父さんお母さんは」
見た目は十歳半ばなのだ、白蓮の反応は自然なものだろう。しかし、なによりも先に妹紅が気にかかったのは別のことだった。
「……………アンタは人間か?」
そう妹紅が問うと白蓮は少し怪訝な顔をしたが、
「ええ、勿論。他の何に見えますか?」
と答えた。
「何故、妖怪と一緒にいる」
ここは幻想郷ではない。妖怪が人を喰らい、魑魅魍魎が跋扈する時代なのだ。妹紅自身も何度もその被害にはあってきた。そしてこの虎柄の妖怪が人間に使役されるほど格の低い妖怪にも見えなかった。
「まぁ、妖怪と一緒にいたって良いではありませんか、それとも星に何か恨みでも?仮にあったとしても貴女の命を救ったのは半分は星の手柄ですから、それでチャラにしませんか?」
そんな返答に妹紅はキョトンとしてしまった。なんの嫌味でもなくそんなことを言っていることは分かったので毒気が抜かれてしまったのだ。それに、どうせ死にに来たのだ、妖怪が一緒だろうと知ったことでは無い。そこで妹紅は本来の目的を思い出した。
死ににきたのだ、と。
「妖怪退治を専門にしてる僧侶ってのはアンタなのか?」
「こちらの質問には答えてくれないのに、質問はするんですね。まぁ良いでしょう。そうですね、専門とは思ったことはありませんが恐らくそれは私のことです。聖白蓮と言います。ついでに紹介しておくと彼女は虎丸星、この寺で毘沙門天の代わりを勤めてもらっています」
「白蓮!!」
星は溜まらず声を上げた。
それがもし人間に知られてしまったら星はともかく、白蓮は人間の中で生きてはいけなくなる!!
「良いではありませんか。ただの里の子にも見えません。真摯な答えが聞きたければこちらが真摯に答えなければいけませんからね。それで、貴女は誰なのですか?」
「藤原妹紅」
妹紅は簡素に名前を言った後に意味が無いなと思いなおした。どうせ殺してもらうならば自分の不死のことも全て話さなくてはならない。自分のことを隠す意味なんて無い。
「聖白蓮、アンタに殺してもらいに来た」
妹紅は話した。
自分が生まれて、不死になり、その人生に飽きたこと。
白蓮は黙って聞いていた。
そして、妹紅が引掻いた傷がすぐさま癒えていく所を見て、不死の体が本物だと知ると内心では戦慄していた。私の求めるものの究極形が目の前にある、と。
弟を昔に亡くしてから白蓮は死ぬことを極端に恐れるようになった。死にたくない。死にたくない。そのためならば何でもやった。法力を覚え、その過程で不老の術を見出し、いつのまにか、それは妖術へと近づいていた。
今でこそ絶大な法力を手に入れ若返りによる不老をも体現し、限りなく不死に近いと言っても絶対に死なないわけではない。
不思議な気分だった。
その自分が理想とする不老不死の者が死にたいと言ってきている。
それも私の手で。
何故目の前の少女、藤原妹紅が幸せではないのか。
それが分からなかった。
いや、感覚では理解していた。
しかし、今までの人生が、白蓮の長い人生がそれを理解することを拒んでいた。それは自分の人生への否定すらも意味していることだから。そんな防衛本能も働いたのかもしれない。しかし、結果として白蓮はその時のことを一切後悔していない。良い判断をしたと思っていた。
「残念ですが妹紅、私に貴女を殺すことは出来ません。……………でも、貴女の生きる手助けならば出来るでしょう」
そんな言葉ですぐに諦められるほど妹紅の死への執着は弱くは無かったが、殺す本人が生かす、と言っている以上どうしようもなかった。
最後の望みをかけた場所であったため妹紅の落ち込みようは酷かった。元々生きる気力に乏しかった妹紅だが、それまで以上に命が希薄になった。何も食べず、飲まず、虚ろな目で一日中壁を見続けていた。
しかし、妹紅にとって幸か不幸か、白蓮はそんな妹紅を放っておく気などさらさら無かった。無理矢理にでも水を飲ませ、口に粥を注ぎ込む。それに、妹紅が寺から出て行かなかったので当然かもしれないが、食事以外にも白蓮は四六時中妹紅に構い続けた。友人のように、姉のように、母のように。妹紅の方が長く生きているということを考えれば少し滑稽な姿だったかもしれない。
妖怪を退治したと偽ってその裏で多くの妖怪を見逃してきた白蓮の元には多くの妖怪が訪れた。その妖怪たちと白蓮が楽しそうに話し、笑い酒を酌み交わす様は妹紅の目には眩しかった。
そして、その妖怪の誰もが、妹紅を気にかけ、心配し、話しかけてきたことに心を揺さぶられた。
しばらくして、妹紅は自ら食事を取るようになった。風呂にも入り、夜には寝た。
当たり前のことだが白蓮は大げさなまでに喜んだ。妹紅が生き返ったと。
ある時聞いた。何故白蓮の元には多くの妖怪が来るのかと。妹紅の知っている妖怪とは違った、妹紅にとって妖怪は、捕食者だ。
白蓮は少し考えて答えた。それは、私には力があるからだ、と。私から見れば妖怪も人も違いは無い。だからその二人が争っている今の状態が嫌なのだ。だから、私は人も妖怪も平等に過ごせる世界を作りたい、そのためにはやはり力が必要なのだ。
何故?
力無き者が、人間に妖怪と平等に過ごそうと言っても何の意味も無い。勝手に食われてろ、と言われるだけです。同じように力無き者が妖怪に同じことを言っても食べられるだけです。
白蓮はそう答えた。
その後、妹紅に力が欲しい?と尋ねた。
妹紅は頷き、それから白蓮は妹紅の師匠となった。
妹紅は白蓮から様々なことを教わった。妖術、体術、医術、忘却の彼方に押しやっていた礼節、作法。つまりは生き方。
その日々は、妹紅が不死に成ってから、初めての心の休まる時だった。
しかし、終わりはあっさりとやってきた。
妹紅が白蓮の弟子となってから少々の年月が流れた頃だ。
いつものように白蓮は人の依頼を受け、妖怪退治へと赴いた。その頃になると妹紅も一端に妖術を扱うようになり、妖怪退治に同行するようになっていた。
二人は今度の妖怪はどんなやつだろう、とか。そろそろ冬ですね、なんて他愛のない話をしながらその場へ向かった。そこは名のある山の山麓で、美しい木々が生い茂っていた。
違和感を感じたのは白蓮が先だった。
(これは、妖気ではない)
言われていた場に向かえば向かうほど、むしろ妖怪の気配が希薄になっていることに気がついた。
「妹紅、少し止まってください」
白蓮の後をついてきた妹紅は訝しげながらも白蓮の指示に従った。
なにが起きたのか。
いつも通りの妖怪退治のはずだった。
それなのに。
既に囲まれている。こんな状態になるまで気がつかない。いや、気がつかせない相手を褒めるべきだろう。
気配を探っても曖昧で、少なくとも白蓮と同等か、少し劣る程度の使い手が十名程いる気がする。レベルでしか分からない。一人一人ならば戦って勝てない相手ではないだろう。しかし、戦力差は歴然としていた。
妹紅は戦力には数えられない。二度と凍えることがないようにと、まだ火の妖術しか教えていないし、こんな場所で山火事でも起こせば洒落にならない被害が出るだろう。
白蓮はギュッと下唇をかみ締めた。
「観念しろ、聖白蓮、まさか貴様が妖怪と繋がっていたとは」
前方の茂みから声がする。どうあっても姿を現す気はないらしい。
しかし、何故白蓮がこんな状況に陥ったのか、だけは明白に説明してくれた。
とうとうバレてしまったか。その程度の感慨だった。白蓮はその行為に一切の後悔をしていないのだから当然とも言えた。
まだまだ、妖怪と人間が対等に生きる時代は遠そうだ。そんなことを考えていた。
内心穏やかでなかったのは妹紅の方だ。
今やっと敵の存在に気づいたらしく、慌ててその声と白蓮の間に立ち塞がった。
「任せて下さい、こんな敵なんて私だけでも十分ですから。私が師匠をお守りします」
敵の力量を見極めさせる訓練もしておけば良かったと白蓮は今更な後悔をした。
そして、一つのことに気づいた。
今まで妹紅は人の中に溶け込めなかった。忌み嫌われて生きてきた。
それは、むしろ幸運なことだったのではないか?
どんな酷い仕打ちを受けようともこうして妹紅は私の前に現れることが出来た。つまり、自由だったではないか。
恐らく敵は政府の勅命を受けた坊主共だろう。そいつらに妹紅が捕らえられたらどうなる?
権力者にとっては不老不死など、垂涎モノではないか。捕えられた瞬間から身動き一つの自由すらなくなるのではないか?
吐き気を催すような行為をコイツらは嬉々として行うだろう。
それだけは、駄目だ。
それを許してしまったら、きっと私は人間を許せなくなる。
平等を詠ってきた天秤は片方に振れるだろう。
白蓮は目の前で虚勢を張る愛弟子を抱きかかえた。
「妹紅、貴女にはもっと沢山教えてあげたいことがあったのですが、残念ながらここでお別れみたいです」
「なに、を、師匠!!」
「生きてください、命蓮寺に戻れば星も貴女の力となってくれるでしょう。ここへ戻ってきてはいけません、お逃げなさい。生きていれば、また会うこともあるでしょうから。その時を楽しみにしていますよ」
白蓮は両腕に出来うる限りの力を溜めた。
妹紅以外ではこんなことは出来はしない。
少し、痛いでしょうけど、我慢してね、と心の中で謝って。
妹紅の体をブン投げた。
人の体がまるで矢のような速度で空を駆けていった。
彼方へと消えていったのを確認して白蓮は、敵へと向き直った。
「そう簡単に私が殺せるとは、思わないほうが良いですよ?」
その後、白蓮は法界に封印されることになる。
投げられた妹紅は着地の衝撃でバラバラになった体を修復するのに数日かけた後にどこへともなく歩いていった。
命蓮寺には一度も寄ってはいない。
星に、尋ねてくる妖怪達に、あわせる顔が無かった。
それから千年の時を経て、二人は再会した。
二人とも、千年前から何も変わってない。
ただ淡々と、今までのことを話していた。
「そうですか、私が封印されていた間も貴女は生き続けていた。それが分かるだけでも私には十分です。そのうち、その慧音さんや、輝夜さんも紹介してくださいね」
輝夜も。と妹紅は嫌な顔をしたが、輝夜と師匠を合わせたらどうなるのかは見たかったのか、それともそれはそれで嫌がらせになると思ったのか、そのうちに。と答えた。
妹紅は背中に小太郎を背負っていた。夜中まで起きていること自体稀なのだろうし、刀の前に出た経験なんてないのに無理をして、緊張の糸が解れた瞬間眠ってしまった。
「これは、慧音に怒られるだろうな」
実際には勝手についてきたのだとはいえ、敢えて巻かなかったのは妹紅の責任だろう。
そんな妹紅に白蓮は微笑んだ。
「なに、私に任せてください。妖怪に追いかけられていたところを保護して寺で寝かしていた、とでも両親に言えば大丈夫でしょう」
「良いんですか?それではまるで妖怪が悪者になってしまいますが」
妹紅には白蓮の目指すべき理想とは程遠い言葉に思えた。
「大丈夫です、ここは、もう十分に私の理想に近い場所です。妖怪も人間も、不死人だって壁は無いに等しい。のんびりと、時が過ぎるのを待てば良いだけなのです。それに、弟子の落ち込んだ顔はあまり見たいものではありませんから」
「師匠は変わりましたね」
「違います、変わったのは、私を取り巻く状況です。そうだ、妹紅。今度命蓮寺に遊びに来てください、多分、懐かしい顔がたくさんいますよ」
妹紅は白蓮復活の時には何も知らず、手伝うことも出来なかった。
そんな自分が、行っても良いのだろうか?
「気にすることはありません。貴女の臆病さはまだ変わってはいないみたいですね。それも、嬉しくはあるのですが、寂しくもあります。貴女が一歩踏み出せば、きっと世界は変わっていきますよ。まぁ、またゆっくり教えていきましょう」
結局、私は一人なのではなく、一人だと思いたかったんだと妹紅は思った。
まだ、いくらでもやり直せる。何故なら時間は無限にあるのだから。
痛いどころじゃないな
バラバラとか
マスターヒジリとモコウ・カッシュの超絶師弟が浮かんできた
ちょっと精神科いってきます
設定御見事!
白蓮が師匠、実に有り得る話です。
でもとりあえず妹紅はもっと自分を想ってくれてる人たちのこと考えた方が良いなw
こういう解釈もあるんだな。