年果てる師走。里の教師や竹林の薬師も走り回る程忙しい季節らしいが、ここ紅魔館には常にゆったりとした時間が流れている。
幻想郷はすっかり冬の空気に包まれていた。日毎に気温は下がって行き、暖気を好む湖上の妖精達の姿はあまり見られなくなった。
私は白い息を吐きながら紅魔館のテラスから静かな湖を見つめていた。すると突然背後に人の気配を感じたので振り返る。そこにはまるで瞬間移動でもして来たかの様に一人の少女が立っていた。
「外はもうめっきり寒くなってますから、あまり長く外気に触れているとお体に触りますよ。お嬢様」
「フン、誰に向かって言ってるのさ。私がこの程度の寒さで凍えるとでも思ってるの?」
私は優雅に振り返り、その少女、十六夜咲夜の言葉に答える。咲夜は「失礼しました」と頭を垂れた。
「お茶が入りましたが、こちらでお召し上がりに?」
「まさか。寒くて凍えそうだから中で頂くわ。図書館に運んで頂戴」
「かしこまりました」
咲夜はテラスの戸を閉め、「失礼致します」と言うと一瞬で目の前から姿を消した。
停止した時間の中を動くというのはどういう気分なのだろうか。彼女以外は絶対不可侵の“咲夜の世界”。自分自身以外の動ける者の存在しない世界。あの少女はその世界にたった一人で寂しくはないのだろうか。
「咲夜だけじゃなく、あの子も寂しい思いをしているのかしら……?」
私はもう一度窓の外に目を遣り、フッと溜息を吐いた。
「お待ちしてましたお嬢様。さ、こちらにどうぞ」
私が図書館に顔を見せるとそこには紅魔館お馴染みの面々が顔を揃えていた。私は咲夜に促され席に付く。
「いやぁ、もう今年も終わりですねぇ」
主人より先にお茶を飲んでいる美鈴が暢気な声を上げている。どういう料簡で門番が仕事もせずに図書館でお茶を飲んでいるのかは理解し難いが、今に始まった事ではないので取り敢えず気にしない事にする。
「そろそろ大掃除の時期ね」
パチェはテーブルの上の本をめくりながらティーカップを傾けている。本の上に零したらどうするつもりなのだろうか。私は以前本に紅茶を零してしまった事があるが、その時は誰にも見られなかったのでそっと棚に戻しておいた。あの本は今何処にあるのだろうか。
「とか言いながら毎年大掃除なんてしてないじゃないですか。いつも誰がお片付けしてると思ってるんですか?」
パチェの横で小悪魔が溜息を吐く。こいつも何を好き好んでパチェと一緒に薄暗い図書館に閉じ籠っているのだろうか。私には理解出来ない。
「その前にあれですね。あれ」
美鈴が楽しそうに身を乗り出して来る。この娘はいつだって楽しそうだ。きっと悩みなどないのだろう。
「あー? あれって何よ?」
「クリスマスですよ!」
嬉しそうな顔で素っ頓狂な事をぬかす目の前の少女に私は冷やかな視線を送る。パチェもジト目で美鈴の方を見ながら呟く。
「あんた、いつからカトリックになったの? それともムスリムかしら」
「でもでも、巫女が言ってたんですよ! ああ、巫女ってのは紅白じゃない方の巫女です。その巫女が言うにはクリスマスは最早宗教とは関係なくなってるって」
「また仕事サボって立ち話してたの? 仕様がないわね」
咲夜は呆れたような表情をしつつも優しげな眼差しを美鈴に向けている。どうにもこの館の連中はこの娘に甘いようだ。その事は後で考えるとして、とりあえず美鈴の話に興味が沸いたので先を促す事にした。
「宗教的主要人物の生誕祭が宗教と関係無いだって?」
あの磔刑に処された大工の息子が十二月二十五日に生れたという記述は私が知る限り無い。その日は元々ミトラ教の冬至の祭日で“不滅の太陽の誕生日”と呼ばれていた。
この冬至に当たる十二月二十五日と言う日はやたらと太陽神の復活を謳った祭日が多い。夜の世界に生きる私としては非常に不愉快極まる日の一つでもある。紅い悪魔と呼ばれ恐れられた私がどうしてその日を祝えると言うのか。
「その巫女が言うには外の世界のクリスマスは特に神に祈りを捧げるでもなく、家族や恋人とパーティーを開いて、ケーキを食べたりプレゼントを交換し合う日なんだそうですよ」
美鈴は人差し指をピンと立てて自慢気に語り出した。高説と言うよりは巷説や荒説と言った感じだ。
「はん、本当かね。御馳走を食べたり贈り物を贈るのは知ってるけど、今は聖歌も歌わないのかね? 私はあの歌嫌いだけどね」
クリスマスはキリスト教の最も重要な典礼の一つである。信徒達は祈りを捧げ、粛々と儀式を行う日であった筈だ。
「要するに、歴史的超有名人の誕生日(とされる日)に便乗してドンチャン騒ぎしましょうって事でしょ」
パチェは本から目を離さずにそう意見を述べる。この旧い友人は本を読みながらも私達の会話も同時にしっかりと聞いている。まったく器用な事だ。
「と言う事はあの山の神社もクリスマスを祝うって言うの? 外の世界ではもう宗教戦争は幻想になったのかねぇ。私にゃちょっと信じられないね」
私の知る外の世界の歴史。人々は宗教的観念や思想の違いから争い、無益な殺戮を繰り返して来た。時には同じ神を奉じる者同士でも争うのだ。魔法や異能の力を使えば魔女だ悪魔だと罵られ迫害される。そんな馬鹿らしい世界だ。一部の神々はとうに外の世界を見限り幻想となっていると言うのに。
「それは判りませんけど、この際難しい事は考えずに皆で楽しんじゃいましょう! って思ったんですけど、やっぱり駄目ですよねぇ……」
美鈴は項垂れ「ああ、妹様に何とお詫びすれば……」と申し訳なさそうに呟いた。
「あん? フランがどうしたって?」
「はあ、妹様に今のクリスマスのお話をして差し上げたら大層楽しみにしていた御様子で……」
「こ、この馬鹿! あの子に余計な事を吹き込んで!」
私が大きな声を上げると美鈴は「ヒッ」と小さく悲鳴を上げる。額の血管がピクピクと動いているのが自分でも良く判る。
「どうすんのよ、レミィ」
「どうするって、別にどうもしないわよ。フランがガッカリするだけでしょ。美鈴の所為で」
最後の『美鈴の所為で』の部分を強調して言ってやると、彼女は涙目になりながら「そんな~」と呻いている。最近こいつの事を甘やかし気味だから少しは痛い目を見た方がいいのだ。
「……お嬢様、折角ですし何かしてあげたら如何でしょうか?」
「私も咲夜さんに賛成です」
と思ったら咲夜と小悪魔が美鈴の味方に付いてしまった。咲夜はともかく小悪魔は一体何を考えているのだろうか。ひょっとしたらこいつは使い魔とは言え自分が悪魔であると言う事を忘れているのではなかろうか。
「この館の主人は私よ! 私がやらないと言ったらやらないの! いいわね!?」
きっぱりと言い放つ。近頃たるみ気味のこの連中に主人としての威厳を見せつけてやらねばならない。
「判りました。では私達で勝手にやりますのでお嬢様は口を出さないで下さいね」
「何ですって!? ……そう、私に逆らうと言うのね。ふん、いいわ。勝手になさい!」
私は乱暴に椅子から立ち上がり、パチェに視線を向ける。
「パチェ、こんな奴等は放っておきましょう。クリスマスを祝う様な輩とは一緒に居られないわ」
「あ、咲夜。私も参加するから御馳走お願いね」
「なっ……!」
パチェは私の方を見向きもせず咲夜にそう告げる。友人の思わぬ裏切りに絶句する。
「不参加のお嬢様は当然クリスマスの御馳走を食べるの禁止ですよ」
「プレゼントも無しですねぇ」
「パチュリー様、会場はここで宜しいですか? 飾り付けをしないといけませんね」
咲夜、美鈴、小悪魔の三人は私に見せつけるかのように楽しげに微笑みあっている。主である私を除け者にしようと言うのか。
「う~~」
「あらレミィ、まだ居たの? 部外者は出て行ってもらえるかしら?」
「う~~~~」
とんでもない奴等だ。主人や友人に対する所業とは到底思えない。怒りに肩を震わせる私を無視し談笑する四人。ここは紅魔館の当主としてハッキリと言ってやらねばならない。私はとうとう我慢出来ずに強く叫んだ。
「わ、私も参加する~~! 御馳走食べる~~!」
両手をブンブン振りながら叫ぶ私の中で『威厳』と言う文字がガラガラと崩れ去る音が聞こえた。
「ふふ、これで皆揃ってパーティーが出来ますわね」
咲夜がにっこりと微笑む。どうも彼女達にうまく乗せられてしまったような気がする。
「楽しいクリスマスにしましょう。妹様の思い出にしっかりと残るような」
嬉しそうにニコニコしている美鈴の顔を見ていたら無性に腹が立って来た。思いっきり彼女の脛に蹴りを見舞ってやると「ぐぅ」と低く呻いてその場に蹲る。こいつが余計な事をしたのが原因なのだからこれくらいは当然の罰であろう。
「で、レミィ。プレゼントはどうするの?」
脛を押さえながら絨毯の上を転がり回る美鈴。パチェはそれを「邪魔」と蹴っ飛ばして私に向き直る。
「プレゼント? うん、欲しい」
「違うわよ。あんたじゃなくて妹様へのプレゼントよ」
「あー? 何で私がフランにプレゼントをあげなきゃいけないのよ?」
「いやいや、お嬢様が一番あげるべき立場だと思うんですけど」
美鈴がニョキッと地面から生えて来たかの様に立ち上がる。立ち直りの早い奴だ。どうやら少し角度が甘かったらしい。
「ここは一つお嬢様がサンタさんになってバシッと素敵な贈り物をして妹様との姉妹の絆を深めるという……」
「美鈴、お前は白樺の枝が欲しいみたいだね」
先程とは反対の美鈴の脛に爪先をめり込ませる。今度は角度もバッチリだ。「はうっ」と呻いて蹲った美鈴を蹴り飛ばす。
サンタクロースとは一年に一度だけ現れるキリスト教の妖怪だ。良い子にはお菓子や玩具を与え、悪い子には白樺の枝の鞭でお仕置きして回るという。
私はフランドールの顔を思い浮かべた。これまで私が妹に与えた物。それはあの薄暗い地下室だけであった。私はクリスマスは勿論あの子の誕生日すら祝った事が無い。地下室に閉じ込め、碌に会話も交わさなかった日々。
この幻想郷に来てからは少し会話も増えて来たように思える。それでも私はあの子に姉らしい事を何一つしていない。きっと私の事を恨んでいるだろう。それなのに今更何を贈れと言うのだろうか。
「だからこそ、何か心の籠もったプレゼントをすべきなのではないでしょうか」
窓の外の夕日を眺めつつ、ティーカップを傾ける。今日はクリスマス・イブである。昨日の図書館での遣り取りから色々考えたが、結局良い考えは出なかった。そこで咲夜に相談してみた所、今の答えが返って来た。
赤い妖怪サンタクロースの正体は聖ニコラウスという聖人である。死後何らかの理由でニコラウスが妖怪化したのがサンタクロースであろう。未だ幻想入りしていない珍しい妖怪の一人でもある。幻想入りしていない以上この幻想郷にサンタクロースは存在しない。
本来サンタクロースが子供達にプレゼントを渡すのはニコラウスの命日とされる十二月六日である。しかし美鈴が言うにはイブの夜に渡すのが一般的らしい。
カトリックのクリスマスは十二月二十五日に始まり一月六日の公現祭まで続くが、当然私はカトリックではないのでそんなものに従う気は無い。本来は一日たりともやりたくはないのだ。
今日中に終わらせられるのであればサッサと終わらせたいのが本音だ。パーティーと言っても御馳走だけ食べて後は抜け出して寝てしまえばいい。だが問題はフランへのプレゼントだ。
「心の籠もった物ねぇ。咲夜だったら何をプレゼントする?」
「そうですねぇ、編み物はもう間に合わないですし……って、私が答えてしまっては意味が無いのですが」
編み物なら時間を止められる咲夜なら今から始めても間に合うだろう。だが命令した所で引き受ける筈が無い。
「何か珍しい物でも買ってくればいいのかしら」
咲夜や美鈴はたまにフランにぬいぐるみや人形を買い与えている。その手の類いの物を与えれば喜んでくれるのだろうか。
「お嬢様が良いとお思いならそれで良いのでしょう。でも……」
「でも?」
「後は御自身でお考え下さい」
咲夜はそう言うと会釈をし、一瞬で姿を消してしまった。考えても判らないから聞いたと言うのに。咲夜からは期待出来るような答えは得られなかった。ならば本人に直接聞くのが手っ取り早いだろう。
本人が望む物を贈ればそれで喜ぶ筈だ。私はフランの居る地下へと向かう事にした。
この薄暗い廊下を照らしているのは頼りなく揺れる燭台の明かりだけである。最近になってからは館内を出歩く事を許可しているが、それ以前はずっとこの地下であの子は日々を過ごして来た。まったく酷い姉だ。我ながら苦笑するしかない。
妹の部屋に近付くと何やら話声が聞こえてくる。気が触れているあの子の事だ、独り言でも言っているのだろう。と、思ったがどうやら先客が居るようだ。隠れる必要は無いのだが、私はそっと扉に近付き聞き耳を立てた。
「ねーねー美鈴。今夜は皆で御馳走を食べて、お歌を唄うんだよね?」
どういう料簡で門番が仕事もせずに地下室で妹と遊んでいるのかは理解し難いが、今に始まった事ではないので取り敢えず気にしない事にする。
「そうですよ。そして良い子にはサンタさんがプレゼントをくれるんですよ」
あの馬鹿はまた余計な事を妹に吹き込んでいるではないか。直ぐに部屋に飛び込んで美鈴の顔面にグングニルを叩き込みたい衝動に襲われるが、今はグッと堪えて様子を見守る事にした。うまく行けばフランが欲っする物が何かを聞けるかも知れない。
「え~と、サンタって言うのは和蘭に住んでた赤い服を着た妖怪です。……妖精だったかな? 確か“何をプレゼントして欲しいのか判る程度の能力”を持ってるんですよ」
色々間違った知識を妹に吹き込む美鈴のボディに思いっきりドラキュラクレイドルでツッコミを入れたくなったが今はグッと堪える。後で存分に叩き込んでやろうと心に強く誓った。
それにしても私には全然懐かない妹があの門番には随分と懐いている。私はフッと自嘲気味に笑う。殆ど会いに来ない姉より頻繁に訪れる門番の方に懐くのも当然であろう。私には美鈴に焼餅を焼く資格すら無い。
「ふ~ん。何をプレゼントして欲しいか判る……あ、そうか。だから私の欲しい物判るんだね」
いよいよ本題に入ったようなので思考を打ち切り、二人の会話に注意深く耳を傾ける。
「じゃあ、今年の──」
「あ、ダメですよ妹様! サンタさん以外には何が欲しいかは内緒にしておかないと!」
「そうなの?」
「そうですよ」
もう少しの所だったのに余計な事を言ってくれる。私は心の中で舌打ちをする。
これでもう本人の口からは私の求める答えを得る事が出来なくなってしまった。最早美鈴へのお仕置きはグングニルやクレイドルだけでは済まなくなった。
その後の会話からもプレゼントに関する有益な情報は得られず、仕方なしに薄暗い地下室から立ち去る事にした。
「妹様の欲しい物?」
結局友人である紅魔館一の頭脳に助言を乞う事にした。彼女ならばきっと良い知恵を授けてくれるだろう。そもそもプレゼントはどうするのかと聞いて来たのは彼女だ。
「そ。パチェなら何か判るんじゃないかなぁ、と」
「うんにゃ。判る訳がない」
思わず椅子からずり落ちた。こんなにあっさりと白旗を揚げられるとは思ってもいなかった。それとも咲夜同様に私を試しているのだろうか。
「ちょっと、頼むよ。もうあんたしか居ないんだからさ」
「そんな事私に言われてもねぇ。あの子が何を求めているかはレミィが一番良く判ってるんじゃないの?」
判らないから聞いているのだ。私は苛立たしげに頭を掻く。そこに先刻から姿の見えなかった小悪魔が何処からか戻って来た様子だった。
「パチュリー様、準備が出来ましたよ。ああ、お嬢様も居らしたのですね」
「そう、ありがと」
「ん、準備って?」
図書館をグルリと見回してみる。どうやらパーティーの準備は一通り終わっているようだ。小悪魔が一人でやったのだろうか。楽しげにクリスマスの飾り付けをする小悪魔の姿を想像してみたが全く違和感を感じなかった。悪魔の定義が何なのか良く判らなくなって思わず頭を抱えた。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
「……別に」
「でね、この館の周囲だけに雪を降らせようと思ってね。ホワイトクリスマスってやつ」
寒いとは言え今年はまだ雪が降る程温度は低くない。態々魔法で雪を降らせようと言うのか。雨を降らされるよりかは遥かに増しだが。パチェは「それが私のプレゼント」と呟く。
「フランが雪を降らしてくれって言ったの?」
「言ってない。けど、喜んでくれると思う」
「何でそんな事判るのさ」
「何となく」
ならば私が何をプレゼントすればあの子が喜ぶかも判る筈ではないか。その事をパチェに言うと「それは判らない」と言って突き放された。
「もういいわよ! どいつもこいつも!」
「いやまあ、本当に判らないんだけどね」
私は不機嫌になり、ドスドスと音を立て図書館を去った。急がなくてはもう時間が無い。兎に角何でもいいから買って来なければならない。
何故こんな事に振り回されなければならないのかと考えると余計に腹が立った。
取り敢えず買い物に向かう事にし、館の外に出た。もう太陽はかなり沈んでいるので日傘を持たなくても大丈夫だろう。咲夜を同行させようかと思ったが止めた。どうせ先刻同様自分で考えろだの何だの言うに決まっている。
門の外に出ると美鈴がボーッと暗くなり始めた空を見上げていた。私が図書館に居る間に地下から戻って来たのだろう。とは言え仕事をしているようには到底見えない。
「あ、お嬢様。お出掛けですか? 咲夜さんは御一緒じゃないんですか?」
「お出掛けですの。御一緒じゃありませんの」
厭味ったらしく答えると美鈴は急に真面目な顔付きになり、私の目をジッと見つめて来た。珍しく怒ったのだろうか?
「あ? 何よ」
「先程地下に居られましたよね?」
「……ッ!」
流石に我が紅魔館の門番か。彼女ならば僅かな気配でも容易に察知出来るだろう。特に私の様な強大で気品溢れる吸血鬼の気配なら尚更だ。普段ボケっとしている癖にこういう時はまったく油断ならない奴だ。
「だったら何だってのよ?」
「妹様の欲しがっている物が何か、お判りになりましたか?」
(こいつ……)
私があの場に居ると判った上でフランの口から何が欲しいのかを語らせなかったと言うのか。つくづく腹が立つ。
「言っておくけど、全部お前の所為だからね。クリスマスをやる事になったのもそうだし、私がフランの望む物をあげられずにガッカリさせたとしても、それはお前の所為! 本当に余計な事ばっかりして役に立たないんだから!」
「……お言葉ですが、お嬢様」
「な、何よ?」
美鈴の滅多に見せない真剣な面持ちに私は思わず気圧された。美鈴はピンと右手の人差し指を立てる。
「御馳走を食べれるのは私のお陰では?」
「うっさい! この馬鹿! 出掛けて来るからしっかり仕事してなさいよ!」
そう怒鳴り付けると美鈴は少し悲しそうな顔をした。いつもニコニコしている彼女だけに、その表情はより悲しそうに見えた。恐らく自分が叱られたから悲しんでいる訳ではないのだろう。こいつは自分勝手な妖怪の多いこの幻想郷に於いて、他人の為に泣く様な人間臭い奴だ。
では何に対して悲しんでいるのか。酷い姉を持ったフランドールに同情してか。それとも妹の心も理解出来ない情けない主人にか。そんな美鈴の視線を背中に感じながら、私は翼を広げ闇に包まれようとしている幻想郷の空へ舞い上がった。
──カランカラン。
ドアを開くと店の中から暖かい空気が流れてくる。店の中央に目をやると見慣れない大きな箱の様な物体が熱を発していた。
香霖堂。幻想郷では珍しい外の世界の道具を扱う唯一の店である。私はここならば何かしら見つかるだろうという淡い期待を抱いていた。
「いらっしゃい。おや、お一人とは珍しい」
この古道具屋の店主、森近霖之助は椅子に座したまま顔だけを私の方へと向け、挨拶をした。この店には何度か訪れているが、この店主は相変わらず客の迎え方と言うものが判っていないようだ。
「へぇ、それが噂のクワヒルかい。でも石炭が燃料じゃないんだね」
「クワヒルだって? そんな古い物と一緒にしないでくれ。これは最新式のストーブだよ」
店主は「燃料が何かは判らないけどね」と付け足す。
クワヒルとはオランダ語で石炭ストーブの意味だ。見た感じ石炭が燃料とは思えないので彼の言う通りクワヒルではないのだろう。
そう言えばサンタ・クロースの語源であるシンタ・クラースもオランダ語だったか。美鈴がサンタクロースはオランダの妖怪とか何とかフランに言っていたが強ち間違っていないのかもしれない。
「それで、何か御入用かな?」
「ええ。何か珍しい物はないかしら?」
「珍しい物だって? それなら周りを見てみるといい。この店にある殆どの商品が珍しい物と言えるだろうね。例えばそこの棚にある道具だが──」
しまった。この蘊蓄眼鏡は一度説明に火が付くと簡単には止まらない。一々関係無い物の説明まで聞いていたらクリスマスどころか公現祭まで終わってしまう。
「あ、いや、何かクリスマスに因んだ物が欲しいんだけど」
「クリスマスだって? 君がかい? クリスマスが何の日か知らないなら教えてあげようか?」
疑問に思うのも当然だろう。吸血鬼がクリスマスを祝うなんて滑稽な話がある訳が無い。だが残念ながら今はその滑稽な状況にある。
「知った上で言ってるのよ。それに理由なんかどうでもいいでしょ。あんたは黙って商品を出せばそれでいいのよ!」
「ふむ、それもそうだね。顧客のプライベートは尊重するべきだ。どれ、一応探してみよう。ちょっと待っててくれ」
暫くストーブに当たっていると、店主が色々な道具を抱えて店の奥から戻って来た。それらを勘定台の上に並べ説明を始めた。
「これなんかどうだい? ビンゴマシーンと言って、外の世界のパーティーでは必ず遊ぶ物らしい」
何やらザルを二つ合わせた様な物の中に数字の書かれた玉が詰め込まれている。
「ふーん。どうやって遊ぶの?」
「さあ、使い方までは。取り敢えず動かしてみよう。これかな?」
店主が横に付いている取っ手をガラガラと回すとザルが回転し、中から玉が一つコロリと出て来た。
「……で?」
「う~ん、より大きい数字の玉を出した人が勝ちとかかな?」
店主は玉を一つ摘み繁々と眺めている。外の世界ではこんなつまらないゲームをパーティーの度にやっているのだろうか。思ったより外の世界の娯楽は発達していないのかも知れない。何にせよこんな物でフランが喜ぶとは思えなかった。
「これは要らないわ。他のを見せて頂戴」
「ならこれはどうだい? クラッカー、祝宴では欠かせない玩具らしい。用途は……大きな音を出して場を盛り上げる、か」
小さな三角錐の筒から紐が一本伸びている奇妙な道具。表面にはキラキラと光沢のある紙が貼られていて華やかだ。
「へぇ、鳴らしてみてよ」
店主はその道具を振ったり叩いたりした後、「これかな?」と言って紐を勢い良く引っ張った。次の瞬間、店内に「パァン」という大きな炸裂音が響き、私は驚きのあまり思わず目を見開いて硬直してしまった。
店内に火薬の臭いが漂い、紙吹雪が舞う。筒の中から飛び出した紙テープが私の帽子から垂れ下がっている。
「な、なんて事するのよ! 心臓が止まるかと思ったわ!」
「いやはや、まさかこんなに大きな音がするとは。しかも一度限りの使い切りらしい。これはもう使えないな……」
残念そうに使用済みのクラッカーを見つめる店主に向かって私はあからさまに失望の色が混じった溜息を吐いた。本当にどいつもこいつも期待外れだ。
「判った、もういい。珍しい物じゃなくてもいいから、人形とかオルゴールとか普通の物を頂戴」
「なんだ、ひょっとしてプレゼントが欲しかったのかい? それを早く言いなさい」
それくらい察して欲しいと思ったが、既に声を荒げる気力は無かった。この男もクリスマスについて然程詳しくないのかも知れない。
「贈る相手は男性かな?」
「まさか。妹よ」
「ふむ、それなら……うん、これが良い」
店主は棚の上にある小箱の中から小さな玉を取り出して来た。直径二センチ程の大きさで、美しい装飾が施されたその玉を店主から受け取る。
「あら、なかなか素敵じゃない。これは?」
「オルゴールボール。ハーモニーボールとも呼ばれるらしい。振ってごらん」
さっきのクラッカーとか言う物の様になりはしないだろうか。私は恐る恐るその玉を振ってみた。するとシャンシャンとベルを打ち鳴らした様な何とも言えない不思議な音色が私の聴覚を刺激した。
「どうだい、面白いだろう。オルゴールボールの起源は古代ケルト民族が使っていたというドルイドベルに──」
「気に入ったわ。包んで頂戴」
「お買い上げ有り難う御座います」
得意げに蘊蓄を語る店主を黙らせる一番の方法はその商品を購入する事だ。実際私はこの不思議な音を奏でる玉がとても気に入った。
商品が売れて上機嫌の店主に見送られながら香霖堂を後にし、我が家への帰路に着いた。暫く暖かい店内に居た所為か外気が嫌に冷たく感じる。
フランドールが真に何を求めているかは判らない。けれどこのとても珍しく、素敵な贈り物ならばきっと喜んでくれるに違いない。
湖の向こうに見える紅い館が白く霞んでいる。今夜は晴れていると言うのに紅魔館の上空にだけ不自然に雲が形成されている。パチェが雪を降らせる為の魔法を発動させたのだろうか。
「……あ、お帰りなさいませ。お嬢様」
「あら美鈴。珍しく門番の仕事してるのね」
「しっかり仕事してなさいって言ったのお嬢様じゃないですか」
「言われなくても仕事はしっかりするもんでしょ」
香霖堂から戻って来ると美鈴が門の前で私を出迎えた。先刻怒鳴り散らしてしまったのでどうにもばつが悪い。
「で、進捗はどうなのよ?」
「はあ、パチュリー様の方はご覧の通りです。会場や料理も咲夜さん達がしっかり準備してますよ」
「あんたは何してんのよ?」
「門番ですけど」
「…………」
「…………」
しばし無言で見つめ合う私と美鈴。何故か「にへー」と照れた様に笑う美鈴に私は深く大きい溜息を吐いた。
「ここはもういいから、フランを会場に連れて行き来なさい」
「あ、はい!」と敬礼してからバタバタと館内に走って行く美鈴。師走とは暢気な門番も慌てて走る程忙しい時期のようだ。
「おや、お帰りレミィ」
「ああ、パチェ。結構本格的にやってるのね」
上空の雲からチラホラと雪が舞い落ちる。これがパチュリー・ノーレッジ流ホワイトクリスマスか。
「それでレミィ、何か良い物は手に入ったの?」
「ん、まあね。フランが喜んでくれるかどうかは判らないけどさ」
「喜んでくれるわよ」
「モノも見ないで何で判るのさ。いつから天眼通に目覚めたんだい?」
「貴方があげる物なら何だって喜んでくれるわよ」
「そんな単純な事なのかしら。だったらその辺の花壇に生えてる花をあげても喜ぶって言うの?」
「かもね。でも、その単純な事を貴方は一度でもした事があるの?」
「そ、それは……」
友人の紫電の瞳が私を貫く。私はこれまで妹に何をして来た? これまで妹に何を与えて来た? そんな姉の姿をここの住人達はどんな目で見ていたのだろうか。
「知ってた? 妹様の部屋には常に花があるの。美鈴が育てて、毎日運んで、あの子の為に生けた花が」
「何よそれ。私への当て付け?」
「何で美鈴は急にクリスマスだなんて言い出したのかしらね」
パチェは小脇に抱えていた一冊の本を私に差し出す。
「これは?」
それは外の世界の絵本だった。パラパラとページを捲る。サンタクロースが子供達にプレゼントを運ぶ物語の様だ。楽しそうな家族の団欒、プレゼントを配るサンタ等が優しいタッチの絵で描かれている。
「あの子の部屋にあったのを小悪魔が見付けたのよ。図書館から持ち出した物だと思うんだけど」
「え……?」
つまりフランがクリスマスやサンタクロースを知ったのは美鈴が吹き込んだからではない。元々この絵本で知っていたのだ。
「これを読んだ妹様はどう思ったかしら。何故自分の所にサンタクロースは来ないのか、とか思ったんじゃないかしら」
「この幻想郷にサンタは居ないわ」
「サンタさんが来ないのは自分が悪い子だから?」
「違う」
「悪い子だから地下に閉じ込められていたの?」
「違う」
「悪い子だからお姉様にも嫌われてしまったの?」
「パチュリー!」
私は絵本を放り出し、パチェの襟首を掴んだ。彼女は全く動じる様子もなく私を見つめている。
「妹様はそんな事を口に出さずとも、妹様の部屋でこの絵本を見た美鈴はどう思うかしら? あの部屋に入り浸ってる美鈴がこの絵本に気付かない訳が無い」
パチェは私の手を払うとゆっくりとしゃがみ、地面に落ちた絵本を拾って汚れを払った。
「山の巫女に聞いたからクリスマスなんて言い出したんじゃないの? あれは嘘だったの?」
「さあ、そこまでは。でも妹様がクリスマスをやりたいと言い出したら貴方怒るでしょ? 妹様が貴方に叱られないようにするには自分が言い出しっぺになればいいと美鈴は考えたんでしょうね」
私は無言で立ち尽くす。美鈴はフランドールの為に本当にそこまで考えていたのだろうか。あのヘラヘラした顔で本当に……。
「ああ、言っておくけどこの話は美鈴から聞いた訳じゃなくて私の推測だから。美鈴を責めないでね」
「はっ、推測で良くもまあそこまでベラベラと喋れるわね。やっぱり貴方程の慈悲深い魔女になると菩薩並の六神通が使えるのかしら?」
皮肉など意に介さず、パチェは無表情のまま私の肩をポンと叩いた。
「だからさ、レミィ。今夜くらいはあの子達の為に協力してあげない?」
「……私は、私は御馳走が食べれればそれで良いのよ。後の事は知らないわ」
「お嬢様ー、パチュリー様ー、パーティーの準備が整いましたよー」
館の方から咲夜の呼ぶ声が聞こえる。
「ほら、レミィ。咲夜が呼んでるわ。行きましょう」
「ええ……」
紅魔館の庭に、しんしんと冷たい雪が降る。かつてフランの心にも冷たい雪が降り積もっていたのだろうか。今はもうフランの心に雪は積もっていないように見える。ならばその雪を溶かしたのは誰だろう。少なくとも実の姉である私ではない。
フランは私に期待などしていないのだ。私が協力した所でこんなパーティーなど気休めにしかならないだろう。館内へと向かうその足は少し重かった。
いつもは薄暗く地味な図書館が、今夜は華やかに飾り付けられていた。妖精メイド達も忙しなく動き回っている。
テーブルには咲夜達が腕に縒りを掛けて作った豪華な料理が並んでいる。
パチェも、咲夜も、美鈴も、小悪魔も、そしてフランドールも、皆楽しそうに笑っている。だが私だけが、陰鬱に俯いていた。
「そうだ。爆竹鳴らしましょう、爆竹。お祭りと言えば爆竹ですよね~」
美鈴が懐から火薬の様な物を取り出し始める。香霖堂で体験したクラッカーの悪夢が蘇り、緊張で羽がピンと伸びた。しかしパチェの「図書館で火薬を扱うな!」との一喝で美鈴は渋々と爆竹を懐に仕舞う。
「お姉様、どうしたの?」
「え? な、何でもないわ」
不思議そうに私の顔を覗き込むフランドールに私は努めて笑顔を向けた。
「フラン、楽しい?」
「うん、とっても!」
「全員集合する事なんて滅多に無いですからね」
咲夜が嬉しそうにケーキを切り分け、各自に皿に乗せて行く。
確かに滅多に無い事だ。何故だろう。集まろうと思えばいつだって集まれた筈なのに。何故私はやろうとしなかったのだろうか。
嬉しそうにケーキを頬張るフラン。咲夜はフランの口に付いたクリームを拭う。
「さあさあ、妹様。七面鳥が焼けましたよ」
小悪魔はローストされた七面鳥をフランの皿に取り分ける。それを見た美鈴が小悪魔に謎の対抗心を燃やす。
「七面鳥!? ならば私は仔ブタを一頭丸ごと──」
「焼かんでいい」
美鈴はパチェに分厚い本で突っ込みを入れられ、そのまま綺麗に崩れ落ちた。フランはそれを演技と思ったのか「すごいすごい」と喜んでいる。本の一番固い所がかなり蘞い角度で入っていたので演技では無いだろう。現に起き上がる様子が全く無い。
フランはこのパーティーを心から楽しんでいる様子だった。切っ掛けは美鈴。咲夜と小悪魔はパーティーの準備をしてくれた。パチェは雪を降らせた。
では、私は──?
形だけでもプレゼントを買い与えれば姉としての体裁を保てると思っていた。だがそれは違う。
急に言い様の無い虚無感に襲われた。私はこの場に必要ないのではないか。フランは私が居なくとも他の皆が居れば笑っていられるのではないか。そうだ、これまで同様私が妹の世話をする必要など無かったのだ。
自分は一体何をやっているのだろう。楽しそうな妹の顔を直視出来ず、居た堪れなくなった私は席を立った。
「レミィ、何処に行くの?」
「少し風に当たって来る。気にしないで楽しんでいて」
私は中座して図書館を出た。パーティーが終わるまで戻るつもりは無かった。
私は一人テラスで夜の湖を見つめていた。パチェの降らせている雪が段々と勢いを増している様な気がして来て少し不安になった。一晩で積もらせる気なのだろうか。
暫く振り続ける雪を眺めていると背後に誰かの気配を感じた。大方咲夜辺りが戻らない私の様子を見に来たのだろう。私は振り返らずに言った。
「悪いけど、まだ戻りたくないの」
「どうして?」
意外な声に私は振り返る。そこにはフランドールがこちらを見つめながらポツンと立っていた。
「フラン? パーティーはどうしたの?」
「だって、お姉様が戻らないから」
「……私はいいから、楽しんで来なさい。今夜は貴方の為のパーティーなんだから」
それでもフランは戻ろうとはしなかった。ただ黙って私の側で舞い落ちる雪を眺めていた。
「フラン、寒いからもう戻りなさい。皆心配しているわよ」
「……お姉様は、私の事が嫌い?」
「そ、そんな訳ないでしょ。この世界でたった一人の妹を嫌いになる姉なんて居ないわ」
「この世界でたった一人の姉を嫌いになる妹も居ないよ」
「……え?」
私がフランの顔を見つめると、彼女は悪戯っぽく笑った。
「お姉様ったら、ひょっとして私に嫌われてるとか思ってた? うふふ、馬鹿みたい」
「な! ……嫌ってはいなくとも、恨んではいるんじゃないの?」
「なんで?」
「何でって、だって、私は貴方を地下に閉じ込めて、滅多に会いにも行かずに……」
「だから?」
フランはキョトンとした表情で私の事を見つめている。まるでこれまでの私の仕打ちを全く気にしていないかのようだ。この娘の心はそこまで壊れてしまっているのだろうか。
「私は、これまで貴方に何もしてあげられなくて……」
フランは突然大声で笑い出した。遂に妹が壊れてしまったのかと思わず目を見張る。
「あははははは! お姉様ったら何を言っているの? 変なの!」
変なのはお前だと言いたい気持ちをグッと抑え、努めて冷静に何がおかしいのかと問う。
「お姉様、サンタクロースって知ってる?」
全然問いに対する答えになっていないのだが、この娘から論理的な答えを得ようとしても無駄である事は良く理解している。
「そいつは私が望む物をくれるんだって」
「そう、サンタさんから何か貰えたの?」
「うん、貰った」
既に美鈴か咲夜が何かあげたのだろうか。それともパチェが降らせているこの雪の事を言っているのだろうか。私はポケットの中のオルゴールボールを握り締めた。
今更私がこの子に何を与えてもきっと意味は無いのだろう。このプレゼントを買って来たのはやはり無駄だったのかも知れない。
「そいつはね、ずっと前から私に贈り物をしてくれてたの」
「ずっと前から?」
フランは雪の舞い込むテラスでクルクルと踊りながら言葉を紡ぐ。背中の翅が雪と共にキラキラと輝いく。
「パチュリーと、咲夜と、小悪魔と、妖精メイド達。それと美鈴! あ、紅白や黒いのもそうかも」
「……フラン、何を言っているの?」
妹が何を言っているのか全く理解出来なかった。パチェ達がどうしたと言うのだ。フランはピタリと立ち止まり、真っ直ぐに私の瞳を見つめて来た。
「全部、お姉様がくれたんでしょ?」
「……え?」
「とぼけなくていいよ! サンタクロースってお姉様の事でしょ? 絵本で読んでて知ってたんだけど、美鈴が詳しく教えてくれて判ったの。あ、でも美鈴一個嘘吐いてたな。お姉様和蘭には住んでないよね?」
嬉しそうな妹とは裏腹に私の表情は暗く沈む。
「……違うわよ、フラン」
「え、住んでたの?」
これまでの事を思い返す。本当に私は何をやっていたのだろう。皆が妹に与えた温もりは、本来私が彼女に与えなければいけない物だった。私はその義務を放棄した。私はただ皆に押し付けただけだ。
「違うわよフラン。私は聖人なんかじゃない。私は貴方が思っている様な良い姉じゃないのよ……」
私は何百年も妹を地下に押し込んだ。でもそれはこの娘が憎かったからじゃない。この娘は強大な力を持っている。多少とは言え気が触れている彼女を外界に解き放てばきっと直ぐに排除されてしまうだろう。地下に閉じ込める事がこの娘を守る一番の方法だと思ったからだ。
いや、それも詭弁かも知れない。体面ばかりを気にし、つまらない意地やプライドに拘っていたのも事実だ。
「私は貴方に何一つプレゼントする事が出来ないのよ。貴方の欲しい物が何なのか判らないのよ……」
「ん? 今年のプレゼントはもう貰ったよ?」
フランは不思議そうに首を傾げる。
「え?」
「でもそうだね、ダメダメだね。私のサンタさんはね、いつも何でも判ってる素振りで偉そうに踏ん反り返ってるんだから。運命が判るとか何とか言ってね」
「……何よそれ、誰の事言ってんのよ。私は判った素振りじゃなくて何でも判ってるのよ!」
「だから私の欲しい物も判ったんじゃないの?」
「あ。そう言えばあんた、さっき私の事“そいつ”呼ばわりしてなかった?」
「言ったけど、それってお姉様がサンタだって認めるって事だよね? ね?」
フランはニヤニヤしながら私の顔を覗き込む。この幻想郷にサンタクロースは居ない。フランにとっては赤い妖怪の代わりに紅い悪魔である私が幻想郷のサンタクロースなのか。
教会の敵とも言える吸血鬼であるこの私が聖人の代わりとは何と言う皮肉か。しかしフランが喜んでくれるのならばそれもいいかもしれない。
「……フラン、私の事赦してくれるの?」
「赦す? 私の話聞いてた? 私はお姉様の事恨んだりしてないのに。変なの」
私は最初から赦されていたのだろうか。
パチェ達がフランの元に集まって来たのが私の能力に因るものならば、それは私がそういう運命を望んだからなのだろうか。でも私は能力の所為にはしたくなかった。
私達は運命とかそんなものとかは関係なく、集まるべくしてこの紅魔館に集まったのだと。そう思いたかった。
「さ、フラン。皆の所に戻りましょう」
「お姉様」
「ん?」
「宝物を沢山ありがとう」
そう言ってフランは私の頬にキスをした。そして照れ臭そうにそそくさと館の中に駆けて行ってしまった。フランにとっては感謝の印なのだろう。けれど私にはまるで免罪符の様に思えた。
私は馬鹿な姉だ。本当に大事な物こそ鍵を掛けて箱に押し込めていてはいけなかったんだ。常に肌身離さず側に置いておかなければいけなかったんだ。言い訳ばかりして、勝手に憎まれていると思い込んで、何か切っ掛けがなければ想いも伝えられない、不器用で、臆病で、馬鹿な姉だ。
涙が滲み出て頬を伝う。吸血鬼は流れ水を渡れないが、どうやら流れる涙は平気らしい。だが皆の前で情けない姿は見せられない。私はゴシゴシと顔を拭った。
そっとポケットの中からオルゴールボールを取り出し、耳元で振った。振る度に音色が変わる奇妙な玉。
結局これをフランに渡す事は出来なかった。いや、最初から渡す意味など無かったのだ。これは自分で所持していよう。
この音色を聞く度に今日の事を思い出そう。そうすればもっと素直に、妹に優しく出来る。雪の降る白い空を見上げながら、そう強く思った。
「フランは?」
「良く眠っておられますよ」
吸血鬼は夜に活動する妖怪である。だがパーティーではしゃぎ疲れたのか、フランは夜明けを待たずに深い眠りに就いていた。私と美鈴は静かにフランの部屋の扉を閉めた。
「ねぇ、美鈴。一つ教えて欲しいんだけど」
「はい?」
「貴方はフランが欲している物が何か判っていたの?」
「……確信は無かったのですけど、恐らくお嬢様と楽しい時を過ごしたかったのではないかと」
先程のフランが言った「今年のプレゼントはもう貰った」という台詞を思い出す。あれはそういう事だったのか。
「そんなの、プレゼントにならないわよ。毎日してあげて当然の事じゃない」
「いいじゃないですか。今日はその当然の事に気付く事が出来たんですから」
パーティーの前にパチェに言われた「その単純な事を貴方は一度でもした事があるの?」という言葉を思い出す。
その単純な事を、してあげて当然の事を、私は怠って来てしまった。あの魔女は私の為に苦言を呈してくれたのだ。
フランにはずっと寂しい思いをさせてしまった。美鈴達が居るとはいえ、きっと心の奥底では言い様の無い深い孤独感を抱いていたのだ。たった一人の肉親に無視されると言う事がどれだけ辛い事か。
このクリスマスという切っ掛けがなければもっと深く永い寂しさを味あわせていた事だろう。放っておけばそれはきっと大きな傷になっていた筈だ。
私はふと美鈴の顔を見つめる。彼女はずっとフランの側に居た。故にフランが抱いていた物を感じ取っていた筈だ。だから美鈴はあの絵本を見付けた時、パチェや咲夜と共謀して今回の事が運ぶ様に仕向けたのではないのだろうか。
美鈴も自分が側に居るにも関わらず、その心の隙間を埋められない事に歯痒さを感じていたに違いない。
フランを一番可愛がってくれていたのは美鈴だ。美鈴がこれまで積み重ねて来たフランとの絆。何も積み重ねていない私がそれに勝っていたのは実の姉であるという事実だけ。
結局フランの寂しさを癒すには私を動かすしかなかったのだ。美鈴からすればこんなに悔しい事はないだろう。
「美鈴。もしかして私、貴方に惨めな思いをさせた?」
暫く無言で美鈴の顔を見つめる。すると彼女は何故か「にへー」と照れた様に微笑んだ。あの時も、今も、そうやって態とはぐらかそうとしているのだろうか。
「お嬢様が何を仰っているのか私には良く判りません。私は惨めな思いなんてしてませんし、今はとても満たされた気持ちでいっぱいです」
「満たされた? 何故?」
「私はお嬢様と妹様のお二人の事が……大好きだからです」
優しく微笑む美鈴の表情からは悔しさや悲しさといったものは微塵も感じなかった。
ふと、昔見た事がある聖母のイコンが一瞬だけ脳裏を過ぎった。そのイコンに描かれた聖母は無償の愛の微笑みを湛えていた。
かつて「下らない」と一笑に付したそれが美鈴の微笑みと重なり、少しの間その微笑みに目を奪われた。
私もいつかフランにこんな微笑みを向ける事が出来る様になるのだろうか。一点の曇りも無い、無償の愛の微笑みを。
ジッと見つめられていたのが居心地悪かったのか、美鈴は不思議そうに首を傾げる。私はハッとなって思わず頬を赤らめた。
「ま、まぁ結果として今回はあんたに助けられたわ。一応礼を言っておくわね」
「お嬢様の為ではありませんよ」
「そ、そうね、フランの為よね」
「いいえ、紅魔館の皆の為ですよ。私達は家族みたいなものなんですから」
右手の人差し指をピンと立て得意気な美鈴。その言葉を聞いた私はジロリと彼女を睨み付ける。
「はぁ? 家族みたいなもの? あんた何言ってるのよ」
「あ、いえ、ちょっと言い過ぎたかな?」
「私達は“家族”でしょ。みたいなものじゃなくてさ」
美鈴は一瞬キョトンとした後、直ぐに満面の笑みを咲かせた。その笑顔がまるで太陽の様に眩しく、私の目には痛かった。
これが美鈴の計画した事なのかどうかは最早どうでもいい問題だった。今は切っ掛けを与えてくれたこの門番に感謝をしよう。
「朝までフランの側に居るわ。咲夜にも言っておいて」
「はい。失礼します、お嬢様」
美鈴はピシッと敬礼をすると赤い髪を靡かせ通路の向こうへと歩いて行く。私はその背中に向かって「ありがとう」と呟いた。
そっと部屋に入るとフランの小さな寝息が聞こえる。フラン一人には大き過ぎるベッドにもぞもぞと潜り込んだ。
ポケットからオルゴールボールを取り出し、手の上で軽く転がしてその音色を聴く。
皆から温もりを与えられていたのはフランドールだけではない。私もまた紅魔館の皆から大切な物を与えて貰っていたのだ。
今日は沢山の大切な事に気付かされた。この音色は今日という日を、私達家族を祝福してくれている音なのだ。
眠っているフランの体を抱きしめ、その小さな温もりを感じる。今はこうして抱き締めてやる事しか出来ない。でもこれが今の私に出来る精一杯の贈り物なのだ。
私はフランの耳元でそっと「メリー・クリスマス」と囁き、頬に口付けをした。
パチュリーたちや、テラスでのフランとの会話など面白いお話でした。
パチュリーさんの言葉が、中々に重い。
レミリアの心情が、ひしひしと伝わってきました。
キャラがみんな良い味出ていて、読んでいる間とても楽しかったです。
読了後も、しばらく心地良さを感じました。
感想を上手く言葉に出来ませんでしたが、とにかく面白かったです!
あと名前読みはしないほうがいいと思った。
私も嫌いだー
美鈴かっこよすぎ
さだまさしのBirthdayが脳内再生されてヤバイ。
何よりもキャラがちゃんと活きてていいね。
この寒い時期、読み終えるととても暖かい気持ちになれて……いやごちそうさまでした。
面白かった!
>お体に触りますよ
それはセクハラです咲夜さん
→お体に障りますよ
しかし威厳崩壊早いなw
>お体に触りますよ
なるほど、面白いww
皆が皆、支え合っていける強さと温かさが、紅魔館にはあるんだと感じることができました。
フランの無邪気な性格にレミリアはとても救われたことでしょう。
>本当に大事な物こそ鍵を掛けて箱に押し込めていてはいけなかったんだ。常に肌身離さず側に置いておかなければいけなかったんだ。
とても良い言葉ですね。レミリアがそこに気付けて本当によかったです。
うーんどんなに文章を並べてもこの感動を全部伝えられそうにもないです。とにかく感動しました。
こんな良い作品を書いていただき、ありがとうございました