<序章>
狐。
いつからそこにいたのだろうか。
部屋の片隅。
じっとこちらを見ている。
彼女とは初対面ではない。
何度か会っている。しかし、その時はあの妖怪も一緒だったか。
酷くむかむかする。
とにかく、彼女は気付いたときには既にこの部屋にいたのだ。
う。ううう。
ううううう。
頭がガンガンする。
話しはともかく遡らなければならない。
僕は以前から八雲紫と対立していた。
というのも、折り合いが悪く、彼女のやり口が気にくわなかったからだ。
彼女のやり口……、人を行方不明にさせたり、従わせようとしたり、やることなすこと突飛でつかみ所がないし、本人の存在すら曖昧だ。
僕は彼女のそんな所が大嫌いで、猛烈に反発していた。
反発していたのは僕だけではなく、他にも何人かいたが、みんな行方不明になったりした。
気にくわない。
解せないのだ。
それはそれとして、その対立の傍ら僕は香霖堂店主として鼻歌交じりに物を売ったり買ったりするキッチュな生活を謳歌していたのだが、状況が変わった。
一年前、こんな手紙が届く。
「前略 森近 霖之助様
私は貴方と対立してきましたけれど、もう絶対許しませんわ。
今度という今度は絶対に許しません。
泣いても謝っても無駄ですのよ。
さようなら、もう二度と会うことはありません。
八雲紫」
僕は酷く狼狽した。
怒り、困惑、恐怖、それらが渾然一体となっていた。
それからというもの何も手につかず、気がつくと八雲紫を探していた。
会ってどうするというのだろう。
倒すとでも言うのだろうか。
そう。
君たちには馬鹿げているように聞こえるかも知れないが、僕は本気だ。
いや、もちろんそんなことが出来るとも思えないが、とにかく会って一言言ってやりたい気分だった。
境界だろうがなんだろうが、地の果てまで追いかけて行ってやると決めたのだった。
そして僕は八雲紫を追求し始め、そして一年。手がかり0のまま僕は疲れ果て、精も根も尽き、何だか良く分からないまま「香霖堂」の看板の下の万年床で腐っていたのであった。
そしてそんな今、おかしな模様のキノコが乱立した座敷の隅っこに八雲藍が現れたのであった。
<1章・お茶目な茶色妖精>
僕は自分を落ち着かせようとした。
藍から目を背け、平静を装ってコーヒーを淹れる。
ストーブの上で沸かした熱々のお湯。
最近使い方の判ったコーヒーメーカー。
ああ、素晴らしい匂いだ。
落ち着いてきた。
こんなに穏やかな朝は久しぶりかもしれない。
ふふふ。
やだ、熱い。何かしら。
冗談じゃなく熱い。
何だろう。
おお。
なるほど、分かった。
コーヒーが袖にかかっていたんだ。
そりゃそうだよね。(袖に引っかかったカップが倒れたんだもの)
もう。
駄目だぞ、茶色なお茶目妖精さん。
<2章・悲しみのエレファント>
茶色のお茶目妖精を殺した霖之助が振り返ると、テーブルの上にはお茶が注いであり、味噌汁、漬け物、焼き魚、目玉焼きが所狭しと並んでいた。
霖之助が呆気にとられていると、藍が口を開いた。
「冷めてしまいますよ」
ふふふ。
「お腹減ってるでしょう? ここしばらくお酒ばっかりでろくな物を食べていないんじゃありませんか?」
霖之助はふと髭の伸びた顎に手を遣った後、首を傾げる。
「どういう事かな? 一年間、音沙汰無かった八雲がお前を遣わしてくるというのは? 答えて貰おうか。僕には聞く権利がありそうなものだがね」
「ご自由にお考えください」
「スパイということかな?」
藍は静かに尻尾を揺らした。
「さあ、どうでしょう」
「紫はどこだ?」
「知りませんね」
藍はあくまでも微笑んでいる。
「答えろ」
「それはお教えできません」
「お前に聞いても無駄ということか?」
「そうでしょう」
藍は平然とする。
「ならば、さっさと失せろっ」
上半身裸の霖之助が詰め寄ると藍は静かに茶碗に飯を盛り、霖之助の前に置いた。
「どうぞ召し上がってください。その、可愛らしいお茶碗で……」
何ということだろう。
このような屈辱は初めてである。
許すことは到底出来ない。
例え、七代後に生まれ変わろうとも。
いずれ、必ず晴らしてくれる。
ゾウ模様の、愛用の茶碗を前に霖之助は怒りに打ち震え、誓うのであった。
<三章・旅立ち>
ここ一年、非情に身を染めた霖之助も遂につぶらな瞳の象を殺すことはできなかった。
ただ哀愁と悲哀に満ちたコートを羽織り、一抹の正義と温情を胸に抱いて久々に外へ出ると風が吹いていた。
すると、茶色のコートを着た藍が付いてきた。
金髪に茶色のコートを着た彼女は「冷徹な女スパイ」といった印象を与え、背中から覗く尻尾のゴージャスさと相余っていかにも信用できない感じであった。
「食ってしまった」
食ってしまった……、食ってしまった……と呟く霖之助の顔を藍はひょいと覗いた。
「毒なんて入っていませんよ」
「付いてくるなっ」
藍は唇をとがらせる。
「むう」
「帰ってあいつに伝えろ。霖之助が会いたがっているとな」
決まった。
以前から考えていたセリフを吐き終えた霖之助が「ふ」と溜息を漏らすと、風に煽られた大きな木の枝が顔を弾き、彼の痩せた体を軽々と弾き飛ばした。
「それは出来ません。伝言は禁止です」
これぐらいのことは慣れている、まあ、何でもないことさ。と言う風に立ち上がって霖之助は聞き返す。
「どうしてだ? お前はあいつの言いつけで僕を調査しに来たんじゃないのか?」
「さあ、どうでしょう」
「答えないんだな。ふん、僕は行くからこれ以上付いてくるな。じゃあな」
「どこへ行くって言うんです?」
藍は風に裾をはためかせる。
「決まってるだろ。あいつのところさ」
「場所も分からないのに? それに、一年間辿り着けなかったって言うのに?」
「よく知っているようだが、それはどうかな。僕だってこの一年はラディカルな……」
動揺の余り自分でも何を言っているのか分からなくなってきたが、まあ、いいか。
などとうっすら思い始めていると先程の枝が戻ってきて、再び彼の体を吹き飛ばした。
<断章・彼岸花>
彼岸花。
いつでも咲いている。
無縁塚。
寂しい道。
この一本道は神にすら見捨てられているのではないかと思う時がある。
霖之助はそこを行って……、
ただ歩いて帰ってきた……。
当然だった。
彼には行く当てなどこれっぽっちもないのだ。
終始、狐は背後で笑いをこらえているようだった。
<4章・空白>
家に帰ると藍がサンドウィッチを用意していたが、激しい怒りに駆られていた霖之助は一切口を付けなかった。
お風呂の時も、寝る時も怒っていた。
何がそうまでに彼を怒らせるのか分からないほど怒っていた。
翌朝、目が覚めると藍はいなかった。
サンドウィッチも消えていた。
是幸いと少しだけ気力を取り戻した霖之助は久々に髭を剃って、香霖堂を開いてみることにした。
品物はいつでも置いてあるため、することと言えば埃を払って店を開けるだけ。
造作もないことだろう。
誰も来ないか。
霖之助がぼんやりと虚空を眺めていると、扉が開いてひょっこりと顔を出したものがいる。
ルーミアとチルノであった。
「いらっしゃい」
どこから声を出してるんだか分からない調子で、霖之助は言った。
ルーミアとチルノは散々はしゃぎ回って、何かを買うと言ったふうでもない。
店の片隅のツボを倒したのを契機に霖之助が「あのね」と話しかける。
「ねえ、ルーミア」
「ん?」
「この人死相出てる」
ああ。
そうだ。
霖之助はどこからともなく現れた藍に感謝した。
(来てくれなかったら、殺してた……。)
<5章・キセルによく似たリコーダー>
「僕につきまとわないで欲しいんだ」という意思表示。
あるいは
「紫」の事。
この二つになると途端に藍は黙ってしまう。
彼女は神出鬼没だったが、隠れて油揚げを食っているらしかった。
いつもの通り、香ばしい匂いと共に現れた彼女に
「君のご主人って最っ低なんだね」
と言って、思いっきり煙りを吹きかけた。
藍は「うん」とも「すん」とも言わず、黙ったきり。
僕のことをじいっと観察している。
ああ、気味が悪い。
もういっちょ煙を、と。
キセルを手探りでひっつかんで彼女を睨んだまま、思い切り吸い込んで息を吐き出そうとすると、美しい音色が辺り一面に響いた。
<6章・探訪>
今更どこへ行くというのだろう。
紫は見付からず。
大切なものを失い、残ったのは一欠片の怒りと絶望だった。
ああ、絶望。
ああ、絶望。
絶望はどこから来てどこへ行くの?
僕は絶望をまとった銀髪の青年。
ただ紫だけを求めて。
闇とも光とも知れず
荒野をさまよい歩く
時折は大変なこともあったけど
「お客さん、うるさいよ」
僕は「うっ」と言ったきり、カウンターに頭を埋める。
横を向く。
狐と目が合う。
また埋める。
「うっ」
「飲み過ぎは健康によくないですね」
先程からウーロン茶を飲んでいる藍。
「うるさい。お前に何が分かる」
「男のヒステリーはみっともないですよ」
「ああ。みっともないよ。みっともないさ。みっともないから着いてくるなよ。僕は紫と直談判しに行ってやるんだぜ。へへーんっ」
「それは私じゃなくて、八目ウナギです」
<7章・坂>
僕は本当に頭に来たから、壁を蹴りに行く。
途中で八目ウナギが「危ないですよ」とか言ってきたけど、もう駄目だ。
本当に頭に来ている。
何と。
手頃な壁を見つけてしまった。
それから僕は壁を蹴った。
どれくらい壁を蹴っていただろう。
無我夢中だった。
途中で「画竜点睛」という言葉が思い浮かんだ。
これはもはやアートだと思った。
そろそろ疲れて来たかな?
とか思った時、声が聞こえた。
「人の睡眠を妨害して、……、この……、浄化する」
霊夢だった。
何と僕が蹴っていた壁は彼女の家だったのだ……。
博麗神社は引き付ける力があると聞くが、僕も引っ張られているとは気付かなかった。
後ろからかなりまずそうな音が聞こえてくる中、僕は一目散に逃げる。
何も悪いことをしていないのに逃げる人ってのはこんな感じだろうか。
「陰陽玉・獄・改」
感じる。
これは死ぬ。
すると、突如僕の視界が開け、星空が広がる。
清々しい気分だった。
叫び声が聞こえる。
一瞬、僕が失ったものの残映が見えたような気がした。
たくさんの顔。
物。
それに何だろう。
僕は石段を転げ落ちているに違いない、と思った。
<8章・半妖>
そこに紫がいた。
僕はずっと会いたかったはずなのに、言葉が出てこなかった。
「お久しぶり」
「紫……」
「これは幻かしら、現実かしら?」
「ずっと、探したぞ」
僕の体の中で何かが外れる音がした。
「貴方は私のことを曖昧だって言ったけど、自分はどうなのかしら」
「どういう意味だ?」
「半妖さん」
だから、何だというのだ。
「貴方は何にでも首を突っ込みすぎたってことかしら。そういうのって厄介なのよね……」
「……」
「半妖ってみんなそうなのかしら?」
「みんな?」
「あら。知らない? 半獣って言った方がいいかしら」
僕は血液が逆流するのを感じた。
「半獣、半獣……だと?」
「あの半獣のように」
「慧音のことかーーーーーーーーーーーっ」
<9章・疑惑>
目が覚めると霖之助は包帯のお化けで、藍が驚いていた。
「何か酷い夢でも見ましたか」
と聞かれたので、霖之助は「何も見てない」と答えた。
包帯。骨折。打撲。
ご飯は藍が作ってくれた。
霖之助は最早抵抗する気力もなく、食事を口に運んでもらった。
どうして藍が自分を殺そうとしないのか不思議で仕方がなかった。
一人では風呂にも入れない。
藍が風呂に入れてくれた。
クローゼットに花柄のパジャマしかないことに驚きを隠せない藍に対し、霖之助は「どうしてこんなものが……」と陰謀説を唱えるのが精一杯であった。
<10章・獣道>
NASA・CIA・FBI・文科省……。
様々な組織の陰謀に巻き込まれ続けた療養生活は終わりを告げ、庭にはウグイスがやって来た。
「一人で散歩に行くから」
そう言って霖之助が外へ出ると、藍は着いてこなかった。
伸びた霖之助の銀髪を風が撫でた。
久々の外はまるで違っていた。
風景がどこか寂しく、頼りない。
「天ぷらが食べたい」
霖之助の素朴な望みだった。
霖之助は野山に分け入った。
山菜は果たして生えていた。
ワラビやゼンマイを死ぬ程取った霖之助は帰ろうとしたが、道に迷ってしまったことに気付く。
こんな時に限って藍はいない。
これは困った。
ああ、困った。
困った。
「霖之助」
上空から声。
「魔理沙?」
「どうした。お前何かやつれたな。10日くらい道に迷ってた?」
「はは、何でもいいや。出口を教えておくれ」
「あ、ああ、いいぜ」
安堵。
「ああ、良かった。天ぷら……」
<10章・災害>
霖之助は呆然と、焼け落ちる香霖堂を見上げていた。
「何を見ているんですか。早く逃げてください」
藍が腕を掴んでいた。
「一体、何したらこんな火事になるんですか。しっかりしてください」
「ああ」
「ほら、早く離れて」
ポツリ、と来たかと思うとあっという間に空が暗くなり、土砂のような雨が二人の頭上に降り注いだ。
「どうして、タイミングが……」
「早く」
「タイミングが悪いんだ……」
「雨宿りしないと風邪を引きます」
情けない音を立てて香霖堂が崩れ、剥がれ落ちた「香霖堂」の看板が地面へ垂直に突き刺さった。
それはまるで墓標のようだった。
<11章・ナラギリ>
濡れ鼠の二人が居酒屋に飛び込んできたのは深夜2時を回った頃だった。
ガタガタと震える霖之助は藍の差し出した毛布をひったくり、ウィスキーを煽った。
そのまま2,3杯飲んだ霖之助は急に泣き出した。
ただ事ならぬ雰囲気に周囲も距離を取る。(とはいえ、客の数はそう多くなかったが)
「僕にはもう何もなくなってしまった」
黙りこくる藍に霖之助は語調を荒げた。
「ふざけやがって。僕をどうしようっていうんだ。これ以上、僕には何もないじゃないか、何も」
ウィスキーのグラスが床に落ちた。
破片が飛び散り、藍はそっとレジに札束をぶち込んだ。
「お前が最初から紫の所へ案内していれば。最初から、この僕を、案内してくれれば。僕は正しいことをしようとしていたのに。全部、紫だ。紫のせいじゃないか。お前もお前だ畜生」
霖之助は藍に掴みかかろうとしたが酔っているため、つんのめって藍の胸の中に収まった。
「僕は間違ってなかったっていうのに。僕はあんなに頑張ったのに。もう駄目だ。もう終わりだ。あんなに、あんなに、頑張ったのに」
それから僕が何を言ったのかは分からなかったが、店と客の迷惑になっていることは確かなようだった。
藍は僕を肩に抱えながら、「もう雨が止みましたので」と言って外に出た。
外は本当に雨が止んでいた。
ひょっとしたら僕は酔っていたのかも知れない。
狐火というのがある。
あれは狐の嫁入りの際に起きるそうな。
実際、そんなものだったのかもしれない。
森の中だった。
僕と藍は愛し合った。
この愛し合うというのは君たちの言う愛し合うとは大分違うのかもしれない。
だけど、僕はそうだったんだと思う。
<断章・踏切>
僕は酔っていて、藍も少しだけ酔っているように見えた。
それは見たことが無い道で僕は大分、不安になってしまった。
周りにはやっぱり見たことがないような建物が並んでいて。
聞いたこともないような音がする。
「ねえ、藍」
「はい?」
「僕たち迷ってないかな?」
「どうしたんですか」
「ああ、いや。迷ってないならいいんだよ。何だか見慣れない風景なんで……、それにこのカンカンカンカンって音も」
「あはは」
「ははは……、で、ここはどの辺になるのかなあ」
僕は空いている方の手でぽりぽりと頭を掻いた。
「ここはですねえ」
「うん」
「このまま行くと赤坂です」
「ふうん」
<最終章>
それから僕たちは小さな小屋を建てて一緒に暮らし始めた。
藍は僕にはもったいないくらい良い人で、僕は何か悪いことが起こるんじゃないかと思ってビクビクしている。
時々僕が紫の悪口を言うと藍は少し悲しそうな顔をする。
でも、僕たちの暮らしはとても順調だ。
住めば都とはよく言ったものだと思う。
少し長めの同棲生活だったが、お陰様でこの度僕らは結婚することにした。
新婚旅行の行き先は未定だ。
最後になるが。
僕たちの家はよく目立つ。
きっと君たちもすぐにあれがそうだ、と分かるだろう。
だから、
もし見かけたら、その時は遠慮せずに手を振って欲しい。
狐。
いつからそこにいたのだろうか。
部屋の片隅。
じっとこちらを見ている。
彼女とは初対面ではない。
何度か会っている。しかし、その時はあの妖怪も一緒だったか。
酷くむかむかする。
とにかく、彼女は気付いたときには既にこの部屋にいたのだ。
う。ううう。
ううううう。
頭がガンガンする。
話しはともかく遡らなければならない。
僕は以前から八雲紫と対立していた。
というのも、折り合いが悪く、彼女のやり口が気にくわなかったからだ。
彼女のやり口……、人を行方不明にさせたり、従わせようとしたり、やることなすこと突飛でつかみ所がないし、本人の存在すら曖昧だ。
僕は彼女のそんな所が大嫌いで、猛烈に反発していた。
反発していたのは僕だけではなく、他にも何人かいたが、みんな行方不明になったりした。
気にくわない。
解せないのだ。
それはそれとして、その対立の傍ら僕は香霖堂店主として鼻歌交じりに物を売ったり買ったりするキッチュな生活を謳歌していたのだが、状況が変わった。
一年前、こんな手紙が届く。
「前略 森近 霖之助様
私は貴方と対立してきましたけれど、もう絶対許しませんわ。
今度という今度は絶対に許しません。
泣いても謝っても無駄ですのよ。
さようなら、もう二度と会うことはありません。
八雲紫」
僕は酷く狼狽した。
怒り、困惑、恐怖、それらが渾然一体となっていた。
それからというもの何も手につかず、気がつくと八雲紫を探していた。
会ってどうするというのだろう。
倒すとでも言うのだろうか。
そう。
君たちには馬鹿げているように聞こえるかも知れないが、僕は本気だ。
いや、もちろんそんなことが出来るとも思えないが、とにかく会って一言言ってやりたい気分だった。
境界だろうがなんだろうが、地の果てまで追いかけて行ってやると決めたのだった。
そして僕は八雲紫を追求し始め、そして一年。手がかり0のまま僕は疲れ果て、精も根も尽き、何だか良く分からないまま「香霖堂」の看板の下の万年床で腐っていたのであった。
そしてそんな今、おかしな模様のキノコが乱立した座敷の隅っこに八雲藍が現れたのであった。
<1章・お茶目な茶色妖精>
僕は自分を落ち着かせようとした。
藍から目を背け、平静を装ってコーヒーを淹れる。
ストーブの上で沸かした熱々のお湯。
最近使い方の判ったコーヒーメーカー。
ああ、素晴らしい匂いだ。
落ち着いてきた。
こんなに穏やかな朝は久しぶりかもしれない。
ふふふ。
やだ、熱い。何かしら。
冗談じゃなく熱い。
何だろう。
おお。
なるほど、分かった。
コーヒーが袖にかかっていたんだ。
そりゃそうだよね。(袖に引っかかったカップが倒れたんだもの)
もう。
駄目だぞ、茶色なお茶目妖精さん。
<2章・悲しみのエレファント>
茶色のお茶目妖精を殺した霖之助が振り返ると、テーブルの上にはお茶が注いであり、味噌汁、漬け物、焼き魚、目玉焼きが所狭しと並んでいた。
霖之助が呆気にとられていると、藍が口を開いた。
「冷めてしまいますよ」
ふふふ。
「お腹減ってるでしょう? ここしばらくお酒ばっかりでろくな物を食べていないんじゃありませんか?」
霖之助はふと髭の伸びた顎に手を遣った後、首を傾げる。
「どういう事かな? 一年間、音沙汰無かった八雲がお前を遣わしてくるというのは? 答えて貰おうか。僕には聞く権利がありそうなものだがね」
「ご自由にお考えください」
「スパイということかな?」
藍は静かに尻尾を揺らした。
「さあ、どうでしょう」
「紫はどこだ?」
「知りませんね」
藍はあくまでも微笑んでいる。
「答えろ」
「それはお教えできません」
「お前に聞いても無駄ということか?」
「そうでしょう」
藍は平然とする。
「ならば、さっさと失せろっ」
上半身裸の霖之助が詰め寄ると藍は静かに茶碗に飯を盛り、霖之助の前に置いた。
「どうぞ召し上がってください。その、可愛らしいお茶碗で……」
何ということだろう。
このような屈辱は初めてである。
許すことは到底出来ない。
例え、七代後に生まれ変わろうとも。
いずれ、必ず晴らしてくれる。
ゾウ模様の、愛用の茶碗を前に霖之助は怒りに打ち震え、誓うのであった。
<三章・旅立ち>
ここ一年、非情に身を染めた霖之助も遂につぶらな瞳の象を殺すことはできなかった。
ただ哀愁と悲哀に満ちたコートを羽織り、一抹の正義と温情を胸に抱いて久々に外へ出ると風が吹いていた。
すると、茶色のコートを着た藍が付いてきた。
金髪に茶色のコートを着た彼女は「冷徹な女スパイ」といった印象を与え、背中から覗く尻尾のゴージャスさと相余っていかにも信用できない感じであった。
「食ってしまった」
食ってしまった……、食ってしまった……と呟く霖之助の顔を藍はひょいと覗いた。
「毒なんて入っていませんよ」
「付いてくるなっ」
藍は唇をとがらせる。
「むう」
「帰ってあいつに伝えろ。霖之助が会いたがっているとな」
決まった。
以前から考えていたセリフを吐き終えた霖之助が「ふ」と溜息を漏らすと、風に煽られた大きな木の枝が顔を弾き、彼の痩せた体を軽々と弾き飛ばした。
「それは出来ません。伝言は禁止です」
これぐらいのことは慣れている、まあ、何でもないことさ。と言う風に立ち上がって霖之助は聞き返す。
「どうしてだ? お前はあいつの言いつけで僕を調査しに来たんじゃないのか?」
「さあ、どうでしょう」
「答えないんだな。ふん、僕は行くからこれ以上付いてくるな。じゃあな」
「どこへ行くって言うんです?」
藍は風に裾をはためかせる。
「決まってるだろ。あいつのところさ」
「場所も分からないのに? それに、一年間辿り着けなかったって言うのに?」
「よく知っているようだが、それはどうかな。僕だってこの一年はラディカルな……」
動揺の余り自分でも何を言っているのか分からなくなってきたが、まあ、いいか。
などとうっすら思い始めていると先程の枝が戻ってきて、再び彼の体を吹き飛ばした。
<断章・彼岸花>
彼岸花。
いつでも咲いている。
無縁塚。
寂しい道。
この一本道は神にすら見捨てられているのではないかと思う時がある。
霖之助はそこを行って……、
ただ歩いて帰ってきた……。
当然だった。
彼には行く当てなどこれっぽっちもないのだ。
終始、狐は背後で笑いをこらえているようだった。
<4章・空白>
家に帰ると藍がサンドウィッチを用意していたが、激しい怒りに駆られていた霖之助は一切口を付けなかった。
お風呂の時も、寝る時も怒っていた。
何がそうまでに彼を怒らせるのか分からないほど怒っていた。
翌朝、目が覚めると藍はいなかった。
サンドウィッチも消えていた。
是幸いと少しだけ気力を取り戻した霖之助は久々に髭を剃って、香霖堂を開いてみることにした。
品物はいつでも置いてあるため、することと言えば埃を払って店を開けるだけ。
造作もないことだろう。
誰も来ないか。
霖之助がぼんやりと虚空を眺めていると、扉が開いてひょっこりと顔を出したものがいる。
ルーミアとチルノであった。
「いらっしゃい」
どこから声を出してるんだか分からない調子で、霖之助は言った。
ルーミアとチルノは散々はしゃぎ回って、何かを買うと言ったふうでもない。
店の片隅のツボを倒したのを契機に霖之助が「あのね」と話しかける。
「ねえ、ルーミア」
「ん?」
「この人死相出てる」
ああ。
そうだ。
霖之助はどこからともなく現れた藍に感謝した。
(来てくれなかったら、殺してた……。)
<5章・キセルによく似たリコーダー>
「僕につきまとわないで欲しいんだ」という意思表示。
あるいは
「紫」の事。
この二つになると途端に藍は黙ってしまう。
彼女は神出鬼没だったが、隠れて油揚げを食っているらしかった。
いつもの通り、香ばしい匂いと共に現れた彼女に
「君のご主人って最っ低なんだね」
と言って、思いっきり煙りを吹きかけた。
藍は「うん」とも「すん」とも言わず、黙ったきり。
僕のことをじいっと観察している。
ああ、気味が悪い。
もういっちょ煙を、と。
キセルを手探りでひっつかんで彼女を睨んだまま、思い切り吸い込んで息を吐き出そうとすると、美しい音色が辺り一面に響いた。
<6章・探訪>
今更どこへ行くというのだろう。
紫は見付からず。
大切なものを失い、残ったのは一欠片の怒りと絶望だった。
ああ、絶望。
ああ、絶望。
絶望はどこから来てどこへ行くの?
僕は絶望をまとった銀髪の青年。
ただ紫だけを求めて。
闇とも光とも知れず
荒野をさまよい歩く
時折は大変なこともあったけど
「お客さん、うるさいよ」
僕は「うっ」と言ったきり、カウンターに頭を埋める。
横を向く。
狐と目が合う。
また埋める。
「うっ」
「飲み過ぎは健康によくないですね」
先程からウーロン茶を飲んでいる藍。
「うるさい。お前に何が分かる」
「男のヒステリーはみっともないですよ」
「ああ。みっともないよ。みっともないさ。みっともないから着いてくるなよ。僕は紫と直談判しに行ってやるんだぜ。へへーんっ」
「それは私じゃなくて、八目ウナギです」
<7章・坂>
僕は本当に頭に来たから、壁を蹴りに行く。
途中で八目ウナギが「危ないですよ」とか言ってきたけど、もう駄目だ。
本当に頭に来ている。
何と。
手頃な壁を見つけてしまった。
それから僕は壁を蹴った。
どれくらい壁を蹴っていただろう。
無我夢中だった。
途中で「画竜点睛」という言葉が思い浮かんだ。
これはもはやアートだと思った。
そろそろ疲れて来たかな?
とか思った時、声が聞こえた。
「人の睡眠を妨害して、……、この……、浄化する」
霊夢だった。
何と僕が蹴っていた壁は彼女の家だったのだ……。
博麗神社は引き付ける力があると聞くが、僕も引っ張られているとは気付かなかった。
後ろからかなりまずそうな音が聞こえてくる中、僕は一目散に逃げる。
何も悪いことをしていないのに逃げる人ってのはこんな感じだろうか。
「陰陽玉・獄・改」
感じる。
これは死ぬ。
すると、突如僕の視界が開け、星空が広がる。
清々しい気分だった。
叫び声が聞こえる。
一瞬、僕が失ったものの残映が見えたような気がした。
たくさんの顔。
物。
それに何だろう。
僕は石段を転げ落ちているに違いない、と思った。
<8章・半妖>
そこに紫がいた。
僕はずっと会いたかったはずなのに、言葉が出てこなかった。
「お久しぶり」
「紫……」
「これは幻かしら、現実かしら?」
「ずっと、探したぞ」
僕の体の中で何かが外れる音がした。
「貴方は私のことを曖昧だって言ったけど、自分はどうなのかしら」
「どういう意味だ?」
「半妖さん」
だから、何だというのだ。
「貴方は何にでも首を突っ込みすぎたってことかしら。そういうのって厄介なのよね……」
「……」
「半妖ってみんなそうなのかしら?」
「みんな?」
「あら。知らない? 半獣って言った方がいいかしら」
僕は血液が逆流するのを感じた。
「半獣、半獣……だと?」
「あの半獣のように」
「慧音のことかーーーーーーーーーーーっ」
<9章・疑惑>
目が覚めると霖之助は包帯のお化けで、藍が驚いていた。
「何か酷い夢でも見ましたか」
と聞かれたので、霖之助は「何も見てない」と答えた。
包帯。骨折。打撲。
ご飯は藍が作ってくれた。
霖之助は最早抵抗する気力もなく、食事を口に運んでもらった。
どうして藍が自分を殺そうとしないのか不思議で仕方がなかった。
一人では風呂にも入れない。
藍が風呂に入れてくれた。
クローゼットに花柄のパジャマしかないことに驚きを隠せない藍に対し、霖之助は「どうしてこんなものが……」と陰謀説を唱えるのが精一杯であった。
<10章・獣道>
NASA・CIA・FBI・文科省……。
様々な組織の陰謀に巻き込まれ続けた療養生活は終わりを告げ、庭にはウグイスがやって来た。
「一人で散歩に行くから」
そう言って霖之助が外へ出ると、藍は着いてこなかった。
伸びた霖之助の銀髪を風が撫でた。
久々の外はまるで違っていた。
風景がどこか寂しく、頼りない。
「天ぷらが食べたい」
霖之助の素朴な望みだった。
霖之助は野山に分け入った。
山菜は果たして生えていた。
ワラビやゼンマイを死ぬ程取った霖之助は帰ろうとしたが、道に迷ってしまったことに気付く。
こんな時に限って藍はいない。
これは困った。
ああ、困った。
困った。
「霖之助」
上空から声。
「魔理沙?」
「どうした。お前何かやつれたな。10日くらい道に迷ってた?」
「はは、何でもいいや。出口を教えておくれ」
「あ、ああ、いいぜ」
安堵。
「ああ、良かった。天ぷら……」
<10章・災害>
霖之助は呆然と、焼け落ちる香霖堂を見上げていた。
「何を見ているんですか。早く逃げてください」
藍が腕を掴んでいた。
「一体、何したらこんな火事になるんですか。しっかりしてください」
「ああ」
「ほら、早く離れて」
ポツリ、と来たかと思うとあっという間に空が暗くなり、土砂のような雨が二人の頭上に降り注いだ。
「どうして、タイミングが……」
「早く」
「タイミングが悪いんだ……」
「雨宿りしないと風邪を引きます」
情けない音を立てて香霖堂が崩れ、剥がれ落ちた「香霖堂」の看板が地面へ垂直に突き刺さった。
それはまるで墓標のようだった。
<11章・ナラギリ>
濡れ鼠の二人が居酒屋に飛び込んできたのは深夜2時を回った頃だった。
ガタガタと震える霖之助は藍の差し出した毛布をひったくり、ウィスキーを煽った。
そのまま2,3杯飲んだ霖之助は急に泣き出した。
ただ事ならぬ雰囲気に周囲も距離を取る。(とはいえ、客の数はそう多くなかったが)
「僕にはもう何もなくなってしまった」
黙りこくる藍に霖之助は語調を荒げた。
「ふざけやがって。僕をどうしようっていうんだ。これ以上、僕には何もないじゃないか、何も」
ウィスキーのグラスが床に落ちた。
破片が飛び散り、藍はそっとレジに札束をぶち込んだ。
「お前が最初から紫の所へ案内していれば。最初から、この僕を、案内してくれれば。僕は正しいことをしようとしていたのに。全部、紫だ。紫のせいじゃないか。お前もお前だ畜生」
霖之助は藍に掴みかかろうとしたが酔っているため、つんのめって藍の胸の中に収まった。
「僕は間違ってなかったっていうのに。僕はあんなに頑張ったのに。もう駄目だ。もう終わりだ。あんなに、あんなに、頑張ったのに」
それから僕が何を言ったのかは分からなかったが、店と客の迷惑になっていることは確かなようだった。
藍は僕を肩に抱えながら、「もう雨が止みましたので」と言って外に出た。
外は本当に雨が止んでいた。
ひょっとしたら僕は酔っていたのかも知れない。
狐火というのがある。
あれは狐の嫁入りの際に起きるそうな。
実際、そんなものだったのかもしれない。
森の中だった。
僕と藍は愛し合った。
この愛し合うというのは君たちの言う愛し合うとは大分違うのかもしれない。
だけど、僕はそうだったんだと思う。
<断章・踏切>
僕は酔っていて、藍も少しだけ酔っているように見えた。
それは見たことが無い道で僕は大分、不安になってしまった。
周りにはやっぱり見たことがないような建物が並んでいて。
聞いたこともないような音がする。
「ねえ、藍」
「はい?」
「僕たち迷ってないかな?」
「どうしたんですか」
「ああ、いや。迷ってないならいいんだよ。何だか見慣れない風景なんで……、それにこのカンカンカンカンって音も」
「あはは」
「ははは……、で、ここはどの辺になるのかなあ」
僕は空いている方の手でぽりぽりと頭を掻いた。
「ここはですねえ」
「うん」
「このまま行くと赤坂です」
「ふうん」
<最終章>
それから僕たちは小さな小屋を建てて一緒に暮らし始めた。
藍は僕にはもったいないくらい良い人で、僕は何か悪いことが起こるんじゃないかと思ってビクビクしている。
時々僕が紫の悪口を言うと藍は少し悲しそうな顔をする。
でも、僕たちの暮らしはとても順調だ。
住めば都とはよく言ったものだと思う。
少し長めの同棲生活だったが、お陰様でこの度僕らは結婚することにした。
新婚旅行の行き先は未定だ。
最後になるが。
僕たちの家はよく目立つ。
きっと君たちもすぐにあれがそうだ、と分かるだろう。
だから、
もし見かけたら、その時は遠慮せずに手を振って欲しい。
あいかわらずだな。
そして単純に楽しい。
魔理沙が「霖之助」と言った時点で……あぁこりゃ違うなと感じました
このssは何かのパロですかね?
あけおめです。
ゆかりん性格悪すぎじゃね?
なんで藍がこーりんの面倒みてるの?
解らん、ひょっとして気にしたら負けとかそういうこと?
もちろん好き嫌いの問題もあるだろうけど90点以上つけてる方は作者がyuz氏だからって理由?
何度読み返しても今ひとつおもしろさが解らないです…
誰かこの話の魅力を解説してください…
斬新かつ所々意味がわからなさ過ぎて、ある種の芸術を感じた。
それと霖之助がへっへーんってとこで眼球が破裂しそうになった。
気がした。
終始藍にニヤニヤしてる自分はきっと病気(ry
わからない人は序章をよく考えてみると良いと思うよ。
迷い家は迷う人しか訪れられないし、そりゃ狂うよね。
まぁ私の解釈が合ってるとも限りませんけど。
だが、そこがいい。
幻想に逃げられたから怒っているのか、それとも幻想の象徴たる紫に嫉妬しているのか。
ま、そういうのは置いといて……霖之助の陰謀説面白すぎるwww
甲斐甲斐しい藍さまは相変わらずミステリアスでふつくしい。
少ししか出てこないゆかりんも捉えどころ無い味がして素敵。
紫を倒すとすりゃ、彼なら、それ相応の準備をする気がしますし(草薙やら八卦炉やら)
紫の事を苦手ではあるが、尊敬しているはず
狂ってるとしても、えーりんから心がタフといわれ
自己がはっきりしてないと危険な、無縁塚にほいほい行ってる
彼が狂う理由が分からない
何か元ネタでもあるのかね?
でもなんだろう・・・よく分からないけど引き付けられた。
うん、僕はおもしろいと思いましたよ。
それで全部辻褄が合うと思う。
面白かった。
なるほど…
その解釈で読み直したら新しい世界が開けました
藍様の優しさに涙腺崩壊しつつ、ふと橙はどうしたんだろうとか思ったり
とにかく面白かったです。
香林堂にはエ□本でも隠してあったのか?www
パロだよね?