「納得できません!」
その日、職場に珍しい怒声が響いた。
上司が部下を叱るような光景は多々あるのだが。今回は別。
「何を怒っているのかわかりませんが、状況を説明していただけませんか?」
「ですから、おかしいと言っているんです!」
冷静に対処しようとしても、職務机の前で仁王立ちする彼女は感情を高ぶらせたまま、机を荒々しく叩いてくる。持っている鎌と、施設内で身に着けなければいけない名札から判断して。
明らかに死神。
しかも新人の。
まだあどけなさの残る顔を怒りに染め。肩まで伸びた水色の髪を振り乱す姿からしても若々しさが溢れている。ただし、ただしである。
「……あのですね、私が幻想郷担当の閻魔であると知った上で。そのような口を聞いていると判断しても?」
「く、都合が悪くなると、やはりそれですか! そうやって立場を利用して誤魔化す!」
確かに、部下が上司に向かって怒鳴るというのは、この死神の階級制度の中では珍しい。そんな珍しいことが起きているため、映姫の職場の部下たちは脅えきってしまっていた。それでも、決してありえないわけではない。映姫だって若い頃は、多少無理を通したこともあったのだから。
と、今はそんな過去の思い出に浸っている場合ではない。
目の前の彼女の真意がまるでわからないのだから。
「立場とか、そういうことではなくてですね。まず何に対して怒っているのかもわかりませんし、そもそも」
そう、真意とか目的とか、そんなものより。
もっと気になるところがあるわけで。
「部署違いますよね?」
「ええ、見てわかりませんか! この名札にも書いてあるでしょう! 天界担当って!」
見てわかるから、余計にわからない。
彼女の名札には『天界担当 死神(補)』という明らかに別の部署名と職名が刻まれている。それなのに何故この幻想郷担当の事務室にやって来たのか。
「ああ、なるほど。そいうことですか。臨時雇用の方ですね。でしたらここを右に曲がっ」
「ば、馬鹿にするのもいい加減にしてください! 誰も道に迷ってなどいません! 目的があってここに来ただけです!」
だから、その理由を教えて欲しいとさっきから言っているのに。
映姫は引きつった笑みを浮かべながら、心の中で大きくため息をつく。すると彼女は机に置いたままの両手をどかし、手のひらに収まっていた小さな紙を前に出してくる。
その頭には、見覚えのある五文字が綺麗な字で記載されていた。
映姫もそれが配られる日だけは、少し心が躍るという。
「給与明細書、比良坂 楓?」
名前を疑問形にしながら呼びかけると、映姫の目の前の少女は満足そうに首を縦に振る。
やっと理解したか、と満足そうに見えるのだが。
「これだけ見せられても、まったくなんのことやら」
その紙を見て再確認できたのは。若干、彼女が優秀であるということ。
新人なのに『特別給』が出るほどの。
そしてももう一つ理解できたのは、やはり初対面であるということ。部署が違うと極端に顔を合わせる機会が少ないのだからどうしようもない。彼女の性格も特徴もわからないのだから、この会話が成り立たない状況が日常的なものか、怒りによるものなのかもわからない。
「な、なんという! それで閻魔のつもりですか!」
「おや、まさかそのような……」
けれど、今の一言は気に入らなかったようで。
一瞬、映姫の表情から困ったような笑みが消える。
「あなたも死神なら、上司に職務の報告をすることはあるでしょう? そのとき『終わりました、以上』とだけ言いますか? 自分が達成した内容を事細かに口頭で説明、もしくは後に書類として提出。それが義務ではありませんでしたか? それともそうやって上司から教わりました? 幻想郷の閻魔に対してなら一切の手続きを省き、怒鳴り散らしても良い、と」
小さな外見の閻魔だから、勢いで押し切れる。
そんな甘えもあったのかもしれない。
けれど、妖怪を外見で判断してはいけないように。閻魔を外見で判断するものではない。真顔になり淡々と言葉を投げかける映姫。
その小さな少女のような身体から、底の知れない気配が漂い始めた。
「え、あ、そ、その……」
そのあまりの圧力に押された死神は、脅えながら一歩身を引く。
しかしそれ以上行動を起こすことができない。
あの静かな威圧感が圧倒的過ぎて、筋肉が緊張してしまっている。まさに蛇に睨まれた蛙の心境であった。
「幻想郷の閻魔と会話をするときは、多少の無礼を働いても文句は言われない、と? その辺り詳しく教えていただきたいものですが」
「い、いえ、私は、そんなつもりでは……」
「おや? これほど言ってもまだ謝罪の言葉が出ない。そうですか、わかりました。そちらの上司の十王に後で私が話を通しておきましょう。多少優秀かもしれませんが、まったく教養のなっていない部下が私に対し、閻魔に適さないという発言をした。その報告書をしっかりまとめて提出させていただきます」
そう言い切った直後。
新人の死神、楓の表情から血の気が引いていく。
そこまで大事になるとは思っていなかったのだろう。
しかし、死神が閻魔に意見する。しかも暴言を吐くということがどれだけ重いか。血が上っていた頭が冷静な思考を取り戻すに従い、彼女は理解する。
「も、申し訳ありません! つい、かっとなって我を忘れ、私は! なんという無礼を!」
その場で膝を付き、頭を床に擦り付けるほど低く頭を下げた。
そうやって土下座をし、許しを請う死神に映姫は冷たい目を向けた。
顔を床のほうに向けているはずなので、その瞳は見えないはず。
それなのに、背中に突き刺さる冷酷な視線が彼女の呼吸を乱し、全身から汗を噴出させた。
「そうですか。わかりました。でも謝るだけで全てを許すほど、私は優しくはないのですよ」
そう言って席を立ち、職務机を迂回して土下座したままの死神に近づいていく。
一体何をされるか。
職務の浅い彼女は、そういった経験がなく。ただ身を硬くすることしかできない。
その弱々しい少女に対し。
映姫は容赦ない一撃を振り下ろした。
ぺちっ
「いたっ!」
「ふむ、痛い程度の罪でよかったですね。私の部下の死神の中には『でこぴんを軽くされる程度の罪』のはずなのに。いつの間にか積み重なって、『頭部に激痛が走る程度の罪』まで大きく膨らませた馬鹿もいますので」
「え、えと、あの?」
「ああ、言い忘れていました。もう起きても構いませんよ。この悔悟の棒がその程度の重さの罪と判断したのなら、私もとやかく言うつもりはありません。しかし、以後上司に対する口の聞き方は気をつけること」
「は、はい、失礼しました!」
入ってきたときの勢いはどこに行ってしまったのか。すっかり萎縮してしまったまだ幼い死神は、再び口を開くこともなく棒立ち状態。一般的名死神の装束の胸の部分で、布を掴みながら手をもじもじと動かすことしかできずにいた。
「では、改めてあなたの要求を聞くとしましょう。言を許します」
「は、はい。わかりました。では失礼して、私、かなりがんばったと思うんです。新人ですが死神として魂の刈取時期はしっかり守りましたし、手強い天人の魂回収も成功しました」
「はい、それは確かにわかります。この明細書から判断して、あなたは優秀です。掛け値なしに、純粋な褒め言葉として受け取っていただいても構いません」
正直言えば、彼女のような未来ある部下が欲しいところ。
他の職員がいる前でそんなことは言えないけれど、映姫は比較的優秀な部下に飢えている。そうなってしまった原因が、最初に持った部下のせいなのだが。
「ありがとうございます。私も未熟ながら実力に対しては自負しております。それでもその金額を見た瞬間、心が躍りました。ああ、私はこんなにも評価して貰えたんだと。努力が実を結んだんだなと。お恥ずかしながら、嬉し泣きしてしまったほどで」
それは良いことだ。
若者が一生懸命になる姿というのは、美しい。
うん、とても、喜ばしいことなのだが。
何故これが、彼女にとって不満なことに繋がるのか。
それがまったく理解できない映姫は、複雑な心境のまま彼女の言葉の続きを待つ。すると、また彼女が段々と興奮しだしてしまい。
「ですから! 許せなかった! 許せなかったんです。私が頑張ってあれだけ報酬を手に入れたのに! 命すら懸けて、天人の魂を持ち帰ったというのに!」
そして、天を扇ぎ。
鎌を掲げ。
部屋一杯に響き渡る、心の叫びを響かせる。
「何故、あの『さぼり常習犯』より!
小野塚 小町より私の給与が低いのか!」
その叫びを、彼女の不満を聞き。
映姫は思考する。
彼女の部下たちも、同じ結論に至った。
小町だから仕方ない、と。
「あなたは、4割という確率を聞いたことはありませんか?」
「死神が天人の魂の刈取に成功する確率、でしたっけ。あ、お酒お注ぎしますね」
「はい、では遠慮なく」
酒を受けた映姫は、それを軽く飲み干し返杯。
しかし楓という若い死神は酒に強くないのか、酌を受けた酒を軽く啜るだけ。そんな初々しい仕草をほほえましく見つめながら、映姫は魚の煮物に手を伸ばした。
「なるほど、若い方の教本にはもうそのことしか書かれていないのですか。やはりあの子のような死神を生み出さないために、しっかりと情報は管理されていると。おや、これは中々」
旬の魚に舌鼓を打ちつつ、楓の答えを受け止める。
嬉しそうに口を動かす別な部署の上司。それを目の前に、楓は正座した膝の上で両手を握り締める。
「え、えーっと。初対面でいきなりご馳走になってしまって、本当によろしかったのでしょうか?」
「構いませんよ。未来ある若者の鋭気を養うのに必要であれば、上司としてはできるだけ助力したいと思っていますから。それに小町の件で嫌な思いもさせてしましたしね」
二人が今いるのは、人里のある居酒屋の個室。
最近できたばかりの店で、仲の良い友人と語り合ったり、屋仕事仲間と腹をわって話ができると人気が高い。しかも料理の腕も逸品で、何度か来たことのある映姫ですら来る度に新しい喜びを感じるるのだから。
「えっと、四季様。さきほどおっしゃっていた、4割というのは」
「ああ、そうでした。あなたの答えは決して間違いではない。それは確かですよ」
そう、楓の回答は正しい。
天人等、死神に対抗しうる力を持つものに対し死神が失敗するケースを集計すると、確かにその確率は導き出される。けれど魂の刈取だけに関して言えば、基本的に失敗は許されない。放棄することもできず、失敗は即、罰として死神に下される。職を奪われるだけでなく、故意で見逃した場合は命を奪われることすらある。けれど天人など確実に命を奪えない種族が相手の場合だけ、失敗したとしてもその責を問われることが少ないのだ。
「けれど過去はそちらよりも有名な呼び名があったんですよ。直接死神の職務には関係ないのですが。気まぐれであることを調べた閻魔が、その確率を叩き出したんです」
「その結果が4割ということですか。それで、その内容というのは」
「ふふ、少しは自分で推理してみてください。死神の仕事で、直接関係ないけれど、結果数字として見えるもの」
死神が職務を行うことで生じる、4割。つまり40パーセント前後。言葉を言い換えても楓の中でピンと来るものはない。ということは、情報から推理するしかない。つまり結果として数字で現れるということは、閻魔の書類として正確に見えるものになる。そう限定されるから。
「死神がいるのといないのでは、天界に行く魂の割合に4割ほど差が出る、とかでしょうか?」
死神は、神でありながら。上級神に仕える農夫。
熟した魂を刈取、魂を天へと運ぶもの。
その魂を死神に奪われたものは、天国への道が開かれ、人としての転生が約束されるという。選定の基準は善行を積んだ者だが、時折悪人すらもその対象となる。そうやって死神に選ばれるというのは本来素晴らしい事。
「なるほど。そう考えましたか。しかしそれでは死神に関係が深すぎな気がしませんか?」
「そうですね、言われてみれば。では死神の仕事によって影響を受ける人の数とかでしょうか」
「あら、ずいぶんと幅広くきましたね」
「はは、全然想像つかないもので」
でも、そうなると4割は多すぎる。
世界の人口と死神の数。それを差し引いて考えれば、少なくとも一年間に千人以上担当しなければいけない激務となってしまう。ただ、彼女の答えはあながち間違ってもいない。
「おまけで正解でもいいんですけどね。今回は外れにしておきましょう」
「ということは、近いということでしょうか?」
「いえ、その4割は間違いなく。影響を受ける人の中に含まれるということです」
勢いを付けるために映姫は酒を口に入れ、出された料理を少しずつ口へ運ぶ。そうやって頬をほんのり紅く染め、表情を綻ばせて。
「死神に家族を奪われた人が、人の道を踏み外す。または自殺する確率です」
「え?」
楓は、耳を疑った。
お酒を楽しんでいるだけに見える、そんな何気ない笑顔を浮かべながら。
しかし映姫がつぶやいた言葉は、とても笑顔のときに語れる内容ではなかったから。
「何故それが数値化できるかといいますと。死神が刈る魂の持ち主についてこちらで調べるわけですが。その際、家族構成とか友好関係。事前にそれらも調べるでしょう? それで、その人間がそのまま生活したらどうなるか、そのシミュレーションを実施する。その後、死神に愛するものを奪われたときのショックによりその人間がどんな人生を送るか。そして最終的に閻魔の前に現れたとき、どのような結果となるのか。それを比べて、より深い地獄に落ちると思われる者を集計したらその数字が出たんですよ。結構有名な割合なんですけど、聞いたことありません?」
「いえ、初耳です。でも、仕事をするときの死神は見えないのでしょう? ただの急病で突然死した。そういう結果が残るだけっ! ですから影響を与えるなど……
あ、そ、そういう、ことですか」
「そうです。死神に命を奪われるものは、予兆なしで奪われるものがほとんど。病気であったのなら納得できるかもしれない。老人ならば納得できるかもしれない。でも、若い健康なものが急に倒れたらどうです? 事実は単なる寿命、死神が刈り取らなくてもその人は何かが原因で近いうちに死ぬこととなります。
何かが原因で死んだ場合。その多くは残されたものにとって、まだ納得できるものとなる。
しかし、死神が奪ったとしたら。それは生きている者からしてみれば、異常な死に方でしかない。
それをもし目の前で見せられたら、今までと同じ生活をおくれると思いますか?
納得できない、愛するものの異常な死に方を見せ付けられたらどうなるでしょうか」
楓は、食べかけていた料理を危うく吐き出しそうになり口を押さえた。
自分の仕事の裏側でそんな数値が取られていたなんて、知りもしなかったからだ。それを何事もないように言う映姫にも驚かされたのも事実だが。そんなことより、それを事前に知っていれば今この魂の刈取という仕事についていなかったかもしれない。
「まあ、私もお酒の席で話をすることでもないかと思いましたが。あなたのような優秀な死神には事前にこの仕事の裏面についても知って欲しかった。というものがあります。今の教官たちはその知らなければならない部分をひた隠しにしているようですが、死神というのはそんな奇麗事だけで治まる世界ではない。他人の命を奪う、業の重いことの一つを許される。そんな特殊な業務なのですから」
「そう、なのですか。死神とは……」
寿命を迎えた子らを、神に一番近い場所に導く。
そんな誇るべき仕事。
そう教えられてきたというのに。
死する者の命を奪い、生きる者の希望を奪う。
与えるのは、続く命の切符だけ。
「いえ、教えが間違っているわけではないのです。半分でしかありませんがそれは事実に違いない」
「では、何故私を死神として教育してくださった教官は教えてくれなかったのでしょう?」
「妙な気を起こされては困る。そう思ったのかもしれませんね」
「……ふん、失礼な話です。
そんな脅しを受けただけで、死神を諦めるものが出るとでも思ったのでしょうか」
酒が回ってきたのか、お猪口を持った手で少々乱暴に机を叩く。
しかしその答えに映姫は首を左右に振って答えた。
そして、少しだけ感慨深そうに瞳を閉じ。くすっと息を漏らす。
「生徒が犠牲になって欲しくなかったから。それだけかもしれませんね、本質は」
「もう、四季様の言葉は難しすぎます! もう少し私にわかるように言ってください!」
「おやおや、どうやらあなたはお酒に弱いようで」
頭を円を書くように揺らし始めた楓、それを見た映姫は店員にお冷を注文する。そして水が来たのを確認してから、そっと楓にそれを手渡す。
「では、少しわかりやすいお話をしましょう。
不器用で、馬鹿で、優しすぎる死神の話を少しだけ」
そうやって机に肘を乗せ、頬杖をしながら映姫ゆっくりと言葉を紡ぐ。
嬉しそうに、そして、悲しそうに。
◇ ◇ ◇
むかし、むかし。
ほんの少しだけむかし。
死神の中に、一人の化物が生まれました。
その死神は、強大すぎて。
その死神は、有能すぎて。
圧倒的な量の魂を、一瞬で刈取ることができました。
それは彼女の能力故。
死神が本来持つ能力の一つである。
一定の距離を保ち続ける能力。
その能力を桁外れに強めたのが、彼女の能力だったのだから。
遠く離れていようが、近くにいようが、構わず刈取る。
本気になった彼女の鎌から逃れられる者など、地上にも天上にもいなかった。
そんな彼女が、いきなり私に問いかけてきました。
「四季様、死神っていったいなんなんでしょう?」
「神に仕え、魂の刈取を行う者」
いつもと同じ事務所の中。
私が、いつもと同じように無愛想にそう言うと。
彼女も、いつものと変わらぬ困った顔して、ぺろっと舌を出す。
「……教本どおりですね。映姫様らしい」
「それ以外の回答を望むのなら、説教しても構いませんよ?」
「いいです、長くなりそうですから」
長く有能な死神として働いて来た彼女が、何かを悩んでいるのは気付いていました。
仕事の話なのか。
友好関係の話なのか。
それとも恋の話なのか。
それは私にもわかりませんでしたが。
思い詰めているようにも見えました。
それでも、私は信じていた。
彼女も、私を信じていた。
死神である彼女を。
閻魔である私を。
だから気にすることはない。
大事になれば必ず相談してくるはず。
私はそう思い、彼女と変わらぬ毎日を過ごしていました。
しかし――
「四季様!」
ある日伝令が私に告げてきたのは、信じられないことでした。
彼女が、重症を負って帰ってきたというのです。
その日は、死神の任も与えていなかったというのに。
怪我をする要素など、何一つしてなかったというのに。
私は、急ぎました。
ただ夢中で冷たい廊下を走りました。
そのとき、頭の中にあったのはただ彼女の無事を祈る心だけ。
そしてその死神がいると思われる病室を見つけ、彼女の名前を叫びながら病室に入ると。
「んふ? ひひはは?」
上半身を起こし、自分で切ったと思われるりんごを美味しそうに頬張る。
能天気な部下の姿が映ってきたんですよ。
もう、なんなんでしょうね。
私がどれほど心乱したか。
私がどれほど心配したか。
腕や額に包帯を巻きつけながらも、それをまったく気にせず。りんごだけを食べる姿。
それを見たらもう、怒るというか呆れるというか。
そういう感情を通り越して、ただ可笑しくて。
笑ってしまいましたよ。
そんな入り口で笑う私の姿を見て、彼女は何かを悟ったのでしょうか。
「いやぁ、すみません。あたいが迷惑を掛けたみたいで」
ベッドの上で上半身を起こしたまま、後ろ頭を掻く。
そんないつもの照れ笑いの仕草でしたが。
その姿はどこか儚げでした。
何故、彼女がそう見えたか。
それはきっと、彼女が諦めていたから。
もう、死神という仕事は続けられない。
そう思っていたのでしょう。
その理由を私が知っていると理解した上で。
◇ ◇ ◇
「……あの、四季様。まさかその『彼女』というのは」
「ええ、お察しの通り。あなたが忌み嫌う小野塚 小町。さぼり魔で有名な死神ですよ。見せてくれるかどうかわかりませんが、そちらの部署にも過去のデータは残っているはずです。そうですね、名前のところに黒い墨が塗ってある物凄い量の報告書。そんなものを見つけたら」
「彼女の仕業、そういうことですか?」
「ええ、そのとおり」
映姫が懐かしそうに語る昔話を聞いて、楓の酔いが一気に醒めていく。
彼女には正直信じられなかったから。
毎回毎回、死神勤勉者リストの最下位を走るような小町が、過去に優秀な死神だったなんて。今、酒の席でいわれて信じられるわけがない。
「それで、さきほどの話が真実だと仮定すれば、過去の実績のせいで小町さんは今でも私より給与が高い。だからいくら頑張っても一年でその金額に追いつくのは無理ということですか」
「ええ、そのとおり。しかし、あなたはどうやって小町の給与を?」
「私、職員組合のデータ取りまとめの職務もやっておりまして……」
「ああ、なるほど新人恒例の職務ですか。ということは私の給与も見たことがあるということですね」
「正直言えば、死神と閻魔の役職を持つ人全員分ですね」
新人の死神は、職員組合というところに入り。そのデータをまとめる事務職をやらされたりする。データというのは住所名前に始まり階級、基本給、勤続年数等。それを死神の職務外でやらされる、というわけだ。基本は総務部というところでも取りまとめられているが、そこだけでまとめると後で記載ミスがあった場合気づくことができないため二つの部署でデータを管理しているというわけだ。
「制度上、死神の基本給は過去の経歴にも左右される。小町の給与が異常に高いのはその過去の業務が圧倒的過ぎたから。そういうことですよ。一応あれでも過去から比べれば大分下がってるんですから」
それでも楓は納得いかない。
見たこともない、歴史にも教本にも載せられていない。そんな死神が群を抜いて優秀だったという話を聞かされるだけで、どんどん反骨精神が刺激されるだけ。
その不機嫌さを酒で吹き飛ばそうと、楓の手の動きはどんどん加速していく。
「それでぇ? そんな優秀な死神様が、なんで大怪我をして病院に担ぎ込まれたんです? 本当に優秀ならそんな傷なんて負わないと思うんですが! しかも死神生命に関わるミスをするなんて、話になりませんよ!」
「あはは、私の説明の仕方が悪いんでしょうか。そんなに興奮しないでください。ああもぅ、せっかく頼んだお冷が」
「怒りたくもなりますよ。だって、4割という数字に関係しているからと、話を聞いていたのに。いざ始まってみれば部下の自慢話というか、のろけ話というか! そういうのが始まっちゃいましたから!」
酒を注ぐ手に振れ、お冷が入ったグラスが畳の上に倒れてしまうが、そんなことは気にせず。楓はぐっと握りこぶしを胸の前で作って不満を爆発させている。優秀とは言われていても、職場に不満は少なからずある。それをこうやって酒で発散するのは悪いことではないが。ここまで性格が荒々しくなるのも珍しい。
「さきほどの話は、その4割の話をする前に解説しておこうかと思っただけですよ。当時、小町が死神の中で今と別な意味で名が知れていた。そのことをです」
「む~、じゃあ。さっさとはじめてくらさい! ねむくなっちゃいまふ!」
「……では、その前にもう一杯、お冷を頼んでおきましょうか」
映姫は、今にもテーブルに突っ伏しそうになる楓に苦笑しながら。新しいお冷を注文したのだった。
◇ ◇ ◇
確か、小町が大怪我をしたところまでお話しましたよね。
はい、ではその続きから。
彼女が怪我をした理由。
それは天人による報復でした。
自分の家族を奪われたという、そんな恨みの。
その報告書を見せられとき、正直私は目を疑いましたよ。
ええ、そうです。おかしいんですよ。
確かに天人には死神の姿は見える。
けれど、職務に当たるときは必ず、一人で行動しているときを狙うのが当然。
死神に命を奪われたとわかっても、個人まで特定できないはず。
ですから、私は病院内で報告書を書き上げた小町に尋ねました。
これは何だ、と。
何故あなたが狙われたのか、と。
そしたら、あの子。
笑いながらこう言ったんですよ。
「その天人の家族の前で、命を奪って見せたから」
ってね。
私は耳を疑いましたよ。
何故そんな危険を冒したのか。下手をすれば命を奪われていたかもしれないというのに。
それを聞いた私は、私は怒鳴りました。
今までにない声で、叱り付けました。
何故そんなことをしたのか。
理由を言うまで、あなたの職務復帰を認めない。
そう叫んだとき。
小町が酷く動揺していたのを覚えています。
きっと、初めて見たんでしょうね。
私が、涙を流しているところを。
だから小町は珍しく真剣な顔になって、こう答えてくれました。
「死神は、寿命が来る魂を運び救う。でも残された者には救いがない」
当たり前のことを言っている。
私は、心の中で首を傾げながら彼女の言葉の続きを待ちました。
その続きが、禁じられた思考だとも知らずに。
「失った者を思い、その先の人生を崩される。けれどその者が生きる目標を立てられれば、自殺するような人は減ると思いませんか? 4割というあの数字を少しでも削ることができる。あたいはそう思うんですよ」
生きる目標を与える。
それは一体どういうことか。
愛する者を失ったときの恨み辛みというのは、決して拭えるものではない。そして人は罪を犯す。
自殺という、許されざる大罪を。
自ら死を選んだものは、決して天界に運ばれることはない。
死神に選定され、刈られた魂と二度と出会うことはない。
それでも、生きているのが辛すぎて、やはり人は罪を犯す。
その辛さを消すのなら、もっと大きな感情を派生させるしか道はない。
そんな大きな感情の奔流を生み出す目標など、容易に生み出せるはずが――
――ある。
人の感情を、罪を見続けてきた私の中。
その中に答えはありました。
けれど、それは死神にとって、愚か過ぎること。
愚か過ぎて、誰も考えなかったこと。
「ですから、あたいは姿を見せて魂を刈取ることにしたんです。残される家族の前で、堂々と。そうすれば納得できる事実が残るでしょう? 死神が愛する者を殺したんだと」
気付いたら、私は小町の胸倉を掴んでいました。
なんてことをしたのかと。
そんなことをすれば、死神として小町が退治される可能性が。
職務中に彼女の命が奪われる危険性が高まる。
そんな馬鹿なことをした、部下を戒めるため私は無言のまま手の力を強めましたが。
彼女は、言葉を止めませんでした。
「だから、あたいは演じました。愛する家族の前で、非道に、残酷に、命を奪う。そんな冷徹な死神を。そうすれば残されたものは、あたいを恨んでくれるんですよ、四季様。そうすればみんな死神にもう一度出会うため、恨みを晴らすため長く生きようとする。少しでも死神に出会う確率を上げるため、善行を積む。もしあたいに出会うことなく人生を終えたとしても、天界に上る可能性は高くなる」
確かに、そんな兆候はありました。
死神として就職したとき。
小町は、死神として最も誇るべき魂の刈取を一度拒否したんです。
理由? 理由ですか。
ふふ、それがもししっかりしたものであるなら、認められたかもしれないのですが。
『あたいには、向いてない』
その一言しか理由書に書いてなかったんですよ。
本当に、実に彼女らしい簡単な言葉。
けれど、それが全てだったんです。
自分が、死神として優遇された能力を持ちながら。
死神として捨てなければいけない感情を、職務に持ち込んでしまう。
「でも良く考えたら、あたいじゃ調べられないんですよ。奪った魂の家族たちがどんな判決を受けたのか。地獄へ送られたのか。それとも天界で転生を待ちながら、愛する者と再開を果たしたのか。それはわからない」
そこで初めて、私は気付きました。
小町の手が震えているのを。
恐怖を、必死で押さえ込んでいることを。
「でも、そう思っていないとあたいは耐えられないんです。あたいが奪ったおかげで不幸になった奴等がいる。そう思ったらもう、あたいは鎌を振れない」
軽い口調で周囲を和ませていながら。
いつも彼女は心を殺そうとしてきた。
死神の鎌を振るために、ずっと心を騙し続けてきた。
それでも、彼女は優しすぎたから。
自分の心に嘘をつけない、不器用な死神だから。
「あたいが、ときどき無断で外出していたのは知ってますよね? それも残された奴のためなんですよ。ときどき姿を見せて、あたいのことを忘れないようにする。今回もそれをやろうとして、少々下手を踏んだ」
小町は胸倉を掴まれているというのに、笑いながら、包帯の巻かれた腕を見せてきました。
包帯には血が滲んでいて、その傷の深さが私でもわかるくらい。
けれど、彼女は笑うんです。
痛いはずなのに、笑うんですよ。
残されていたものが、まだ生きていたことが嬉しくて。
「四季様、もしこのままあたいが死神を辞めることになったら。
最後にあの4割の数字をどれだけ減らせたか。教えてはくれませんか?」
私は、頷きました。
頷きながら、胸倉を掴んでいた手を離し。
そのまま病室を後にしました。
その後、私は急いで職場に戻り。ある書類を書いたのです。
『死神の、三途の川への転属依頼』
死神にとって、左遷に等しい。
そんな不名誉な書類を。
◇ ◇ ◇
「ふふ、それを知った小町がなんと言ったと思います?
『ありがとうございます』ですよ。ほとんど降格処分だというのに」
「……そう、なのですか。あの人はそんな死神だったのですか」
「あ、こらこら、一応まだ職名は死神なのですから。過去形で言うのはいけませんよ」
小町が減らしたかった4割の話。
それを聞いた楓の表情は、情けない死神を嘲笑うようなものではなかった。人とは違う道を行く先人の話に憧れているような、子供のような瞳をしていた。
「あ、あの、それで。小町さんが減らしたのはどの程度の割合なのでしょう?」
そして前のめりになりながら、瞳を輝かせて聞いてくる。
だから映姫は、小町にも話したことのないその割合を彼女に教えることにした。
「3割5分」
「え、そ、そんなに!?」
4割の中で、9割近い数字を削った。
そう思ったのか、楓は尊敬の眼差しで胸の前で手を合わせる。しかし映姫は頬杖を付いたまま静かに首を左右に振る。
「違いますよ。逆です。
5分しか減らせなかったのです」
「え? たった、それだけ、ですか」
「ええ、小町が命を懸けて行ったところで、そうそう世界は変わらない。彼女がいくら自分を恨んで欲しいと思っても、生きるのを放棄する人がほとんどなのですよ。死神に奪われたと知って諦める人すらいましたからね。ですから以後、小町のようにおかしなことを考える死神が出ないよう、その4割は教本から削られたのかもしれません」
死神全体の影響から比べると、1%にも満たない影響。
一人の死神が単独行動を行い、独断で実施した結果がコレだ。
下手をすれば死神の職を剥奪されても良い位の無謀な行動を取っても、報われない。
「ですから勘違いしないでくださいね。騙すために教本から削ったのではなく、死神を守るために削ったのですから。それほど死神は必要で、大切な存在なんです。魂の選定をする職務は世界を都合よく回すのに欠かすことのできないこと。その理屈がどうしても納得できなかった、馬鹿で不器用なそんな死神もいた。私が今言ったのはそういうことです。
まあ、今は確かにサボっていることのほうが多いのですが」
映姫が、それだけ言うと。楓は暗い表情のまま肩を落としてしまう。
死神が努力したところで何も変わらない。その部分だけを受け取ってしまったのかもしれない。
まったく優秀な子というのはどうしてこうなのか。
映姫はくすくす笑いながら、前かがみになっている楓の額を人差し指で突付く。
「まったく、何を落ち込んでいるのやら。あなたはあなたらしく、自分の信じる死神の姿を通せばいいんです。そうでないと、いつかつぶれてしまいますからね。今の自分自身を誇らしく思うなら、それを曲げないことです」
「四季様……」
「もしそれが、他人から見ればおかしなことでも。筋を通しなさい。
それがきっとあなたの誇りになるはずですから」
「はい、わかりました! 私らしい死神として、必ずっ!」
落ち込んだり、明るくなったり。なんと忙しいことか。
小町にない魅力を持つ楓という死神。
違う部署ながら、やはりこういう若者と一緒に語り合うのは楽しい。違う部署の若者と話をすることもなかったので、余計にそう感じるのかもしれないけれど。
さて、自分の話はコレで終わり。
今度は、彼女がどんな死神を目指しているのか。
それに夢はないのか。
そんなことを尋ねようと。
映姫が咳払いをした瞬間。
何故か部屋に通じる廊下から、聞き覚えのある声が響いてきた。
それは大雑把で、いつも能天気なことを語る女性の声。
その声が部屋の前に来たと思った刹那。
いきなり、部屋の入り口がスライドした。
「し~きぃさまぁ! わたしをーおいてぇぇなぁにもりあがっちゃってるんれすかぅ?」
「こ、小町!? 何故この場所がっ」
勢い良く開け放たれた部屋の入り口に立っていたのは、顔を真っ赤にした見覚えのある死神。さきほどまで話題に上がっていた小町本人だった。しかも大分酔っ払っているらしく、体を左右に揺らしており、言葉も呂律が回っていない。
「んふふ~、あたいにかかれば、しき様との距離をいじるらんて、ぞうさもらいことれすよ!」
「相変わらず、能力の無駄遣いに定評がありますね。まったくあなたという人はもう……」
せっかく、新人にいい話をしていたというのに台無し。
きっと楓も落胆しただろうと、正面を確認すると。
ほらやっぱり映姫の予想通り。
真剣な顔で、瞳を閉じ。
正座しながら小町の方向へ体の正面を向け。
三つ指を突き、丁寧に頭を下げ――
――あれ?
「小町先輩! 私、今年度から魂を刈る死神として頑張っております比良坂 楓と申します! まだまだ未熟者でございますが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします!」
「……え? えと、あの。なんです? この子?」
「ふふふ、可愛い後輩じゃないですか。小町先輩?」
正座をしたまま羨望の眼差しを向ける、見たことのない死神の少女。
それをみて珍しくオロオロする小町を肴に、映姫は嬉しそうに酒を傾けたのだった。
現在進行形で小町がどう悩んでいるか、なぜ転属願いを出したかを
書いていったほうが面白くなったのではないでしょうか
なんかダイジェスト形式みたいでいい話がもったいないと思います
オリキャラはかわいい、鷹揚(過ぎる気も?)な閻魔様もかわいい
とても面白かったと思います。
っていうか、小町らしいって思えました。小町好きなので、より一層って感じですね。
実は強い美鈴並の良さ
強いて言えばオリキャラは名無しの方が受け入れやすかったこと。あと
・呼び名は「四季」さま
これは守っていただきたかった
なるほど現代風の話にしてもおもしろかったかもしれませんね。
今度キャラを語る話を作るときはやってみたいと思います。
オリキャラについては、死神の制度を語るためにちょっとした性格を与えてみましたっ
>冬さん
小町さんは表面上何にも拘っていない、おもしろそうなことがあると顔を出すような感覚を持っているのですが。こういう裏事情があったらおもしろいかなと思いました。
>16さん
読みやすかったのならよかったです。
地の文が読みにくいという指摘も前作であったもので。
>18さん
そうですよね、美鈴もいいですよね。
今度また書いてみたいですっノ
>21さん
プロットしてたら足らないところがどんどん出てきてどうしようかと思いました。
それでもあまり長くなると不味いかなと思ったので。
>29さん
そうですか、名無しの方がよかったかもですか。
後は呼び名ですね。本当ですね原作では四季さまとなってますね。
その辺は修正させていただきますっ 失礼しました。