事の始まりは、宇佐見蓮子が言ったこの言葉だった。
「幻想郷への境界、どうにか越えられないものかしら」
何の変哲もない、いつも通りの言葉。蓮子が毎日のように呟く言葉を、年が明けためでたいこの時間にも変わらずに言っているだけなのだ。
さすがに言い飽きたし、メリーこと蓮子の友人、マエリベリー・ハーンも聞き飽きたことだろう。この言葉に対する答えはいつも「そうねぇ」で終わるし、蓮子自身もそれで良いと思っている。もし思いついたのならすぐに言って欲しいものだ。
しかし。
この時間、二人の身体は大量のアルコールに侵されていた。
まるでやけ酒のようなスピードで飲んでいるのはウォッカだ。とても若い女性二人が年越しに飲む酒ではなかった。大人しく梅酒や甘酒でも飲んでいるのが普通だ、と他の人は良く言う。実際、去年まではそうだった。
何を間違えてこうなったのか、実はもう覚えていない。酒の力で記憶も幻想に散ってしまったのだ。
そんなわけで、メリーの返事はおかしかった。
「非常識になれば、越えられるわよ」
「…………は?」
「常識と非常識の境界でしょ、蓮子の仮説では」
「あ、うん。そうよ」
「幻想郷と私たちの世界の境界を隔てているのは、常識という壁なのよ!」
「だからそれ、今の言葉を要約しただけじゃない」
「長くなってるけどね」
どうやら、アルコールの力は偉大なようだった。突っ込むべきところも突っ込めない。そういうものなのか、あるいは単に馬鹿なのか、メリーだけ馬鹿なのか。
「それで、何?」
「蓮子、貴女は常識人だわ」
「そんなこと言ってくれたの、貴女が初めてね、メリー」
「常識人な貴女は、常識を捨てなければならないの。非常識になれたとき、幻想郷への扉が開きます」
「簡単そうね」
「そうかしら?」
真っ赤に染まった顔で、メリーは蓮子に意味深な笑みを向けた。特に恐怖を感じることもなく、素直にそれを見つめ返す。
「私たちは常識が何かを一応知っているわけだから、それと反対のことをすれば良いの。それだけのことでしょう?」
「論理的ね、新年早々蓮子らしいわ」
「年が変わったら人も変わるとか、おかしいでしょ」
だけど、そうはいかないのよ、蓮子、といってメリーはグラスを大きく傾けた。ウォッカの水位がみるみる下がり、再び姿を見せたメリーの顔がそろそろ危なくなってきているのは蓮子の酔った目にも明らかだった。
「常識が常識であるというのは、非常識な行動を大抵の人が行わないからよ。そして何故行わないかというと、行うことが出来ないからなの、倫理的に。超自我辺りがやめろと叫ぶ」
「メリーが論理的な返しをしてきた……。今年は不安だわ」
「失礼な。蓮子のパソコンで無限ループプログラム作っちゃうわよ。そして起動」
「やめて無限ループやめて」
「そういうわけで、大口を叩いた蓮子には幻想郷に行ってもらいます」
「願ったり叶ったりね」
非常識だろうがなんだろうが、今の蓮子には何でも出来る自信があった。アルコールのおかげで根拠のない自信が湧いてくるのだ。それに、幻想郷へ行くのが目的ときた。どんな要求でも応えてやろう。非常識な人間になってやろう。
「で、どうやって非常識になるの?」
「まず、服を脱ぎます」
「………………」
蓮子は絶句して、天井を仰いだ。少しだけ古びたその天井からでは時間も場所も読みとれず、気を紛らわせることは出来ない。
「……えっと?」辛うじて、訊き返すことだけしか出来なかった。
「常識に囚われた人は、人前で服を脱ぎません。逆転の発想よ、蓮子」
「…………それもそうね」
蓮子は納得して服を脱いだ。
なるほどメリーの言っていることは正論だ。適当にシャツを脱いでベッドの上に放り込んでから、私は今非常識だ! と幸せな気持ちに浸る。
これだけまともなメリーは初めて見た。アルコールはやはり偉大だった。彼女には常にアルコールを注いでおくべきだろう。そうすれば秘封倶楽部ももう少し弾けるに違いない。
「次は?」
「ちょっとベッドに座って」
「押し倒されたりするのかしら」
「そんな常識的なことはしません。掛け布団で身体を隠してみましょう」
「……こうかしら」
「そう、そんな感じ」
ぱしゃ。
一眼レフカメラの音だ。
マエリベリー・ハーンは変態だった。それも結構特殊な種類らしかった。
「非常識、非常識だわ……!」
「そりゃどうも。これで幻想郷へ行けるのかしら」
「まだまだよ!」叫ばれた。「世の中には星の数ほどの常識があるのよ!」
「星の数ほど逆のことを繰り返すの?」
「いや、蓮子は大抵のところでは非常識だからそんなに多くはないわ」
それでチョイスしたのがストリップと写真か、とは蓮子は突っ込まなかった。突っ込もうと考えはしたが、残念ながらメリーは真剣に酔っている。
それに実は蓮子も、酔っている。
「寒いわね」身体を抱いて蓮子は呟く。
「そんな恰好してるからよ」誰がさせたのか。
「服着て良いかしら」
「常識人は、寒い時に服を着ます」嫌な予感しかしない。
「…………」
「非常識な人は、水風呂に入ります」
拷問だった。
酔ったメリーほど怖いものはない。酔った自分ほど無抵抗な奴もいない。
馬鹿馬鹿しい。どっちも馬鹿だ。
「馬鹿とかいってると、馬鹿になるわ」
「だからどっちも馬鹿なのよ」
風呂場。
お湯の入っている場所には、当たり前のように冷たくなった水が蓮子を待っていた。単にお湯が冷えただけだが。
「入るの?」
「常識なら―――」
「わかったわかった……」そうしてそろりと、足を伸ばす。「……ひゃんっ! 冷たい!」
「OK、合格よ」案外、現実は優しい。
部屋に戻り、再びベッドの上で布団にくるまる蓮子。現実が優しいといったのはどこのどいつだろうか。
「ところで、さっきの私の叫び声、」
「可愛かった」
「録音とかしたりしてないよね?」
「録音なんて常識的な。私はちゃんと録画したわ」
「ハイレベルね。さすがはメリー。幻想郷に行けるだけのことはあるわ」
ぐいっ、と蓮子もグラスを傾けて肝臓に拷問を与える。アル中で死んだら彼岸に着く前に幻想を垣間見ることが出来るだろうか? いや、そんな常識的な死に方では不可能だろう。
「あー、ぎもぢわるい」
「常識人は、寝ます」
「非常識は?」
「…………寝ましょう」
メリーも諦めたようだった。
お互い、一瞬で飽きた。
とうとう高速で回転を始めた視界の中、蓮子はそのままの格好でベッドに倒れ込んだ。天井の色が原色のけばけばしいものに見えてきて、吐き気を催してしまう。
新年。
明けました。
おめでとうございました。
今年は、どんな夢を見るのだろう?
どんな境界を越えるだろう?
「れんこー」
「んー」
「常識人は、泥酔しませーん」
「なら、合格かしら?」
ぷつりと途切れる意識。
この馬鹿馬鹿しい戯れが、夢であれば良いなと思いながら。
そして見る初夢は、
―――そう、そこは少女が弾幕を放ちあう美しい戦場で。
次に目が覚めた時、
「幻想郷への境界、どうにか越えられないものかしら」
何の変哲もない、いつも通りの言葉。蓮子が毎日のように呟く言葉を、年が明けためでたいこの時間にも変わらずに言っているだけなのだ。
さすがに言い飽きたし、メリーこと蓮子の友人、マエリベリー・ハーンも聞き飽きたことだろう。この言葉に対する答えはいつも「そうねぇ」で終わるし、蓮子自身もそれで良いと思っている。もし思いついたのならすぐに言って欲しいものだ。
しかし。
この時間、二人の身体は大量のアルコールに侵されていた。
まるでやけ酒のようなスピードで飲んでいるのはウォッカだ。とても若い女性二人が年越しに飲む酒ではなかった。大人しく梅酒や甘酒でも飲んでいるのが普通だ、と他の人は良く言う。実際、去年まではそうだった。
何を間違えてこうなったのか、実はもう覚えていない。酒の力で記憶も幻想に散ってしまったのだ。
そんなわけで、メリーの返事はおかしかった。
「非常識になれば、越えられるわよ」
「…………は?」
「常識と非常識の境界でしょ、蓮子の仮説では」
「あ、うん。そうよ」
「幻想郷と私たちの世界の境界を隔てているのは、常識という壁なのよ!」
「だからそれ、今の言葉を要約しただけじゃない」
「長くなってるけどね」
どうやら、アルコールの力は偉大なようだった。突っ込むべきところも突っ込めない。そういうものなのか、あるいは単に馬鹿なのか、メリーだけ馬鹿なのか。
「それで、何?」
「蓮子、貴女は常識人だわ」
「そんなこと言ってくれたの、貴女が初めてね、メリー」
「常識人な貴女は、常識を捨てなければならないの。非常識になれたとき、幻想郷への扉が開きます」
「簡単そうね」
「そうかしら?」
真っ赤に染まった顔で、メリーは蓮子に意味深な笑みを向けた。特に恐怖を感じることもなく、素直にそれを見つめ返す。
「私たちは常識が何かを一応知っているわけだから、それと反対のことをすれば良いの。それだけのことでしょう?」
「論理的ね、新年早々蓮子らしいわ」
「年が変わったら人も変わるとか、おかしいでしょ」
だけど、そうはいかないのよ、蓮子、といってメリーはグラスを大きく傾けた。ウォッカの水位がみるみる下がり、再び姿を見せたメリーの顔がそろそろ危なくなってきているのは蓮子の酔った目にも明らかだった。
「常識が常識であるというのは、非常識な行動を大抵の人が行わないからよ。そして何故行わないかというと、行うことが出来ないからなの、倫理的に。超自我辺りがやめろと叫ぶ」
「メリーが論理的な返しをしてきた……。今年は不安だわ」
「失礼な。蓮子のパソコンで無限ループプログラム作っちゃうわよ。そして起動」
「やめて無限ループやめて」
「そういうわけで、大口を叩いた蓮子には幻想郷に行ってもらいます」
「願ったり叶ったりね」
非常識だろうがなんだろうが、今の蓮子には何でも出来る自信があった。アルコールのおかげで根拠のない自信が湧いてくるのだ。それに、幻想郷へ行くのが目的ときた。どんな要求でも応えてやろう。非常識な人間になってやろう。
「で、どうやって非常識になるの?」
「まず、服を脱ぎます」
「………………」
蓮子は絶句して、天井を仰いだ。少しだけ古びたその天井からでは時間も場所も読みとれず、気を紛らわせることは出来ない。
「……えっと?」辛うじて、訊き返すことだけしか出来なかった。
「常識に囚われた人は、人前で服を脱ぎません。逆転の発想よ、蓮子」
「…………それもそうね」
蓮子は納得して服を脱いだ。
なるほどメリーの言っていることは正論だ。適当にシャツを脱いでベッドの上に放り込んでから、私は今非常識だ! と幸せな気持ちに浸る。
これだけまともなメリーは初めて見た。アルコールはやはり偉大だった。彼女には常にアルコールを注いでおくべきだろう。そうすれば秘封倶楽部ももう少し弾けるに違いない。
「次は?」
「ちょっとベッドに座って」
「押し倒されたりするのかしら」
「そんな常識的なことはしません。掛け布団で身体を隠してみましょう」
「……こうかしら」
「そう、そんな感じ」
ぱしゃ。
一眼レフカメラの音だ。
マエリベリー・ハーンは変態だった。それも結構特殊な種類らしかった。
「非常識、非常識だわ……!」
「そりゃどうも。これで幻想郷へ行けるのかしら」
「まだまだよ!」叫ばれた。「世の中には星の数ほどの常識があるのよ!」
「星の数ほど逆のことを繰り返すの?」
「いや、蓮子は大抵のところでは非常識だからそんなに多くはないわ」
それでチョイスしたのがストリップと写真か、とは蓮子は突っ込まなかった。突っ込もうと考えはしたが、残念ながらメリーは真剣に酔っている。
それに実は蓮子も、酔っている。
「寒いわね」身体を抱いて蓮子は呟く。
「そんな恰好してるからよ」誰がさせたのか。
「服着て良いかしら」
「常識人は、寒い時に服を着ます」嫌な予感しかしない。
「…………」
「非常識な人は、水風呂に入ります」
拷問だった。
酔ったメリーほど怖いものはない。酔った自分ほど無抵抗な奴もいない。
馬鹿馬鹿しい。どっちも馬鹿だ。
「馬鹿とかいってると、馬鹿になるわ」
「だからどっちも馬鹿なのよ」
風呂場。
お湯の入っている場所には、当たり前のように冷たくなった水が蓮子を待っていた。単にお湯が冷えただけだが。
「入るの?」
「常識なら―――」
「わかったわかった……」そうしてそろりと、足を伸ばす。「……ひゃんっ! 冷たい!」
「OK、合格よ」案外、現実は優しい。
部屋に戻り、再びベッドの上で布団にくるまる蓮子。現実が優しいといったのはどこのどいつだろうか。
「ところで、さっきの私の叫び声、」
「可愛かった」
「録音とかしたりしてないよね?」
「録音なんて常識的な。私はちゃんと録画したわ」
「ハイレベルね。さすがはメリー。幻想郷に行けるだけのことはあるわ」
ぐいっ、と蓮子もグラスを傾けて肝臓に拷問を与える。アル中で死んだら彼岸に着く前に幻想を垣間見ることが出来るだろうか? いや、そんな常識的な死に方では不可能だろう。
「あー、ぎもぢわるい」
「常識人は、寝ます」
「非常識は?」
「…………寝ましょう」
メリーも諦めたようだった。
お互い、一瞬で飽きた。
とうとう高速で回転を始めた視界の中、蓮子はそのままの格好でベッドに倒れ込んだ。天井の色が原色のけばけばしいものに見えてきて、吐き気を催してしまう。
新年。
明けました。
おめでとうございました。
今年は、どんな夢を見るのだろう?
どんな境界を越えるだろう?
「れんこー」
「んー」
「常識人は、泥酔しませーん」
「なら、合格かしら?」
ぷつりと途切れる意識。
この馬鹿馬鹿しい戯れが、夢であれば良いなと思いながら。
そして見る初夢は、
―――そう、そこは少女が弾幕を放ちあう美しい戦場で。
次に目が覚めた時、
なんかもう色々とステキです
● ● < 常識に囚われてはいけないのです!
" ▽ "
でも酔っ払い@少女泥酔中の人間の会話なら納得である
秘封はいいねーれんこかわいいしメリーかわいい