「貪、瞋、慢、無明、見、疑を六惰眠として、見を五つに分ける。合わせて十惰眠。さらに八十八に分けて九十八惰眠。お米かって言うの。そして、そこに十纏を加えて百八。その根本には、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒がある」
冬の屋根の上は、寒い。
何より、冬服が薄着すぎる。
尼の衣装は、質素であるべきだ。
そうしないと、尼入道の「尼分」が薄れてしまう。
そうしたら、私はどこへ行くべきか。
人里に行った時に、頭巾を外していったら判らなかったようで全員が振り返った。
ちうわけで、年末に向けてより尼らしくしようと学習をするわけである。
(何故、屋根上なのか)
「だって、中は姐さんと参拝客が」
年末である。
つまんねである。
違う。
寺に参拝客が集まる理由は、『聖輦船で行く、初日の出ツアー』の申し込みだ。
年末のしきたりとかないのか。
年始は、ちゃんと初詣いけよ。
「あと、姐さんに教わってたら年明けちゃうよ」
(だが、伝統ある尼さんだぞ)
「それはそうだけど……」
正直、姐さんの過保護っぷりは半端ではないのだ。
千年も離れていたからか、法界にいる間に誰かに感化されたのか。
過保護っていうより、溺愛だ。
特に、ぬえとかナズーリンへの溺愛がやばい。
まさか……。
(違うと思うぞ)
「そ、そうよね」
ネズミはわからないが、ぬえは姐さんよりも年上のはず。
……私からしても、そうは見えないけど。
(で、手伝わないのか)
「中に居ても居心地悪くてね、私は説法の一つも知らないし」
(人手がないより良いだろう?)
「ヒント、今は毘沙門天様の寅が来てる」
(なるほど……)
本家本元の毘沙門天が来ているとなれば、人の口から口へと飛び回る。
寅丸さん曰く、毘沙門天の弟子らしいけどそれは関係のない話だろう。
豪傑な毘沙門天が麗しい女性とあれば、男どもが寄ってくるのは道理。
ああ、空に南無三された烏合の衆が舞う。
ま、姐さんのことだから湖にでも落とすのだろう。
空から見たときは、中々大きなものがあったし。
おお、水柱が上がる上がる。
寅丸さんも相当に強いんだけどね。
それこそ、毘沙門天を名乗るくらいには。
「ところで、この寺には年末年始においてかけている物がある」
(鐘か?)
「解答が早いよ」
(何年、お主と組んでると思っとるか)
「うー」
阿吽もびっくり。
雲山の言うとおり、命蓮寺には鐘がない。
元が船だから、仕方ない。
そんなものを積んだら、船の航行バランスがうんたらかんたらってムラサが言ってた。
よくわからない。
地に建てるにしても、船として発てば鐘だけが残されてなんとも微妙。
「そんなわけで、大鐘はダメっぽい」
今から作ったのでは、もちろん間に合わない。
神社にも鐘はないし、寺は他にない、らしい。
つまり、除夜の鐘はウチの寺頼み……!
(違うだろう)
「だって、煩悩祓いは除夜の鐘の役目でしょう? 宴会に恋路にと迷う里人はどうするのよ」
(南無三されれば良いだろ)
「姐さんが過労死するじゃない!」
(せんだろ)
雲山が冷たい。
コンビ解消を視野に入れるべきか。
「姐さんに聞ければ、一番早いんだけど」
姐さんは、寅丸さんに寄り付く蟲をちぎっては投げている。
とても聞ける状況ではない。
しかし、煩悩の塊だな人里。
体裁とかはともかく、本当に祓ったほうがいいと思う。
うらやましいとかじゃないぞ。
本当だぞ!
あんなに群がられていいなーとか思ってないんだからね!
(一輪よ)
「何よ!」
(星殿に聞いたところ、古い時代の鐘には一人で運べる程度の鐘があったらしい)
「ほう、それは興味深い」
(……編鐘というらしくてな、現在の和鐘の源流らしい。ナズーリン殿が、例の古物商のところで見たと)
「よし行こうすぐ行こうさぁ行こう」
そんなわけで、我々警護組は里はずれの店へど向かうのであった。
「あれ、一輪出かけるの?」
「年末に必要なものを取りに行ったのでしょう。たぶん」
「さぼり?」
「どうだろうね」
お八つ時の命蓮寺。訪れる人もまばらになり、遅めの昼食というわけだ。
「で、何時頃に船を飛ばします?」
「年が明けて、蕎麦とか片づけてからでいいんじゃないかしら」
「ところで、小傘は?」
「必死に蕎麦打ってるわ、星さんと一緒に」
「百人分だっけ。ぬえも運び方手伝いなさいよ」
「UFO使って配るよ。ムラサと違って効率的に」
「スパゲッティモンスターになんかしたら、ただじゃおかないんだからね」
「えっ」
「何よそれ」
「べ、別に?」
「二人ともほどほどにね」
「食事中にバタバタしないでくれよ。ほこりが立つじゃないか」
船は、夜明けを目指して雲を突き抜けることになった。
「でも、出航の合図がないっていうのは寂しいですよね」
「あ、それなら今一輪が調達しに行ってますよ?」
「そうなんだ。何を持ってくる予定なんだい?」
「ナズーリンさんは、存じてるんでしょう?
「さてね。聖の想像におまかせするよ」
「お蕎麦できたよー」
命蓮寺は、休憩明けの激務に備えて腹ごしらえを始めた。
今年も、まだまだ終わりそうにない。
「だあああああ! 間に合わないじゃないの雲山!」
(何を言う! お前が目移りするからーー)
「もう陽が沈んじゃったじゃない! 船発っちゃう!」
(ムーとかミーとかいう雑誌がなければ……こんなことには……)
もはや、空は黒に染まっていた。
東の空には、満月が浮かんでいる。
例年比でいえば、かなり丸い。
「店主にはふっかけられるし、もう散々だわ!」
(蕎麦食えないしの)
そう、私は昼食返上なのだ。
店主は、美味そうに食べていた。
ちくしょうめ。
「あっ、もう乗り込み始めてるじゃん!」
夜明けまでは、まだ時間がある。
それまでは、寒さのために中で宴会をするのだ。
雲を抜けて、確実に日の出を見るために高々度まで上るとのこと。
とてもじゃないが、人間が外で飲んでいたら凍死してしまう。
……巫女たちなら、死なないな。
「あ、一輪そろそろ出るよー」
「待ってー! 乗るから待ってー!」
荷物があるため、あまりスピードを出せない。
船が、稼働を始めたようだ。
「出航ー!」
ムラサの声と同時に、船が浮き上がる。
私は、通常の乗り込み口からではなく甲板に降りた。
船の外敵から乗務員を守るのが、私だ。
「待ってー!」
ぬえ、なんであんた乗り遅れてるの。
「蕎麦に悪戯してたー!」
何だと。
食べ物に悪戯した奴は、聖に南無三されるんだぞ。
よかったね。
「えっ」
「本当よ。姐さんは食べ物で遊ぶ奴に、とっても厳しいんだから」
無駄に浪費する寺を、物理的にも道徳的にも潰しにかかった時は怖かったなぁ。
「……種とってくる」
「早くした方がいいわよ」
ぬえが船内へと去るのを見届けて、私は鐘の設置に移る。
空は曇天。
雲を抜けるときは、雲山に守ってもらおう。
(望みの物ではなかったな)
「仕方ないわ。無いよりマシだもの」
(とりあえず、儂も手伝おう)
「ありがと」
船は高度を上げる。
もうすぐ、綺麗な月が見える。
時間通りなら、雲海の上で年明けのはず。
「じゃ、私は一輪さんに蕎麦を届けてきますね」
「ご主人、七味忘れてるよ」
「おっと」
これはうっかり。
群がる男衆は、およそ酒に潰れているのでした。
ちょっと弱すぎじゃないかな。
その程度で、毘沙門天にすがろうなど甘い甘い。
「うわっさむっ」
外はまだ、雲のまっただ中。
そろそろ月が見えますかね?
甲板は真っ白で、うっかり落ちかねません。
「一輪さーん?」
「あ、寅丸さんですか? まっすぐですまっすぐー」
「はいはーい」
寒い寒い。
このままだと、お蕎麦冷めちゃいますね。
おっとっと。
「はい、年越し蕎麦です」
「……」
「どうしました?」
「え、ああいえ、安心しただけです」
「?」
雲山さんにには、蕎麦の香りを楽しんでいただきます。
お、そろそろ雲を抜けますね……。
空が見える。
ぶわっ。
雲のわずかな抵抗を抜けて、船は月の光を一身に。
「あ、それが編鐘……ですか?」
「正確には、編鐘の一部ですけどね。完全な形では揃っていませんでした」
「なら、割引も?」
「いえ、体で払いました」
?!
あっえっ。
「ななななななななな?!」
「おかげで遅くなっちゃったんですよ。店の掃除とか自分でやれよって話ですよね」
「……あぁ」
煩悩は私ですか……。
毘沙門天の代理として、これではいけませんね。
「さて、そろそろ年が明けますね」
小槌を持った一輪さん。
半鐘よりも小さい、釣られた鐘が数個。
形式は違えども、命蓮寺らしくていいかもしれませんね。
「では」
「はい」
釣鐘よりも小さいが、より澄んだ音が空に響く。
煩悩を祓うと言うよりも、優しく諭すという印象を受ける。
ああ、聖ですね。
ややあって、月明かりに照らされた鐘突きは百八の音を鳴らした。
「明けましておめでとうございます」
「いいえ、こちらこそおめでとうございます」
「お、年明けたかー」
「あら、おめでとうございます」
「うえー……酔った……」
聖たちが、続々と現れた。
乗り込んだ人間は、全て潰れたらしい。
どれだけ強いんですか。
「ま、あんな鐘程度じゃ私たちは祓えないわね」
「そりゃね、千年物だもの」
「……この鐘、実は楽器だしね」
「いいんじゃないの? 気にする人間なんていないよ」
「そうですよ? 来年は私が作っておきますから」
「聖?!」
月見酒は進む。
雲海が、光に裂かれた。
本当に、飲み明かしてしまった。
姐さん、なんであんなにけろっと樽を空けられるの……?
ナズーリンも、ムラサも潰されてしまった。
星さんは、日の出を人間たちに知らせに中に入っていった。
「今年はいい年にしましょうね」
「ええ、貴女たちがいればいつだっていい年ですよ」
「……そうですか」
相変わらず、さらっと恥ずかしいことを言うなこの人は。
考えてみれば、封印が解けてから二人っきりになることがあまりなかった。
むぅ。
こうなると、若干恥ずかしいものがある。
千年前は、こんなことなかったのに。
「一輪、ちょっとおいで」
「?」
姐さんに手招きされ、ほいほいと近寄る私。
寄っているから、フラフラとした千鳥足。
危ない危ない。
ちょっとよろけた隙に、姐さんに手を引き倒された。
尼頭巾を取られ、膝枕に押し付けられる私。
「ちょっ姐さん?!」
「最近べたべたしてなかったから、ちょっと衝動がねー」
「やめてください! 恥ずかしいじゃないですか!」
「酔って寝ちゃったことにすれば、大丈夫よ。いい年にするんでしょ?」
「……まぁ」
まんざらでもない。
……寒い中、あれだけ除夜の鐘叩いたのに煩悩とれてないじゃん。
ダメじゃん。
……でもいいか、朝日綺麗だし。
気持ちいいし。
「帰る段になったら、教えてくださいね。警護もあるんですから」
「はいはい」
「まったく……おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
日の出の光が眩しい。
結局、勉強した尼知識は役に立たなかったな……。
まぁいいか。
「あ、仏法が知りたいなら私が教えてあげますからね?」
「うぁ」
気付かれていたのか。
さすが姐さん。
若干の不安を残しつつ、気持ちよさに身を委ねた。
明けましておめでとうございます。
おやすみなさい。
良い年を。
私もひじりんに南無三されてくる