*注意*
「東方文明ごっこ・前編」の続きです
やっぱり長いです
――
第二幻想郷歴・紀元14世紀。この世界をふたつの異変が襲った。
ひとつは、守矢戦争と呼ばれる戦の終結直前に起きた『砂嵐異変』。
八雲文明指導者・八雲紫が、身動きできない式の目の前で式の式を執拗に愛でる、という拷問行為を行ったため、一時的に全プレイヤーのゲーム画面が砂嵐状態になるという不具合に見舞われた。
そして第二の異変、『紅雨異変』。
進軍するカタパルトの効果音が『らんしゃまー!』に変わり、それを迎え撃つライフルの銃声が『ちぇええええええん!』に変わるという不具合がはじめに観測された。
やがて、メッセージログにはいままで八雲藍が式と食べた夕飯のメニューが列挙されはじめ、プレイヤーの耳元では妙に色っぽい食事や入浴のお誘いのささやきが聞こえだした。
末期には全てのユニットが『橙』に差し替えられ、かつマップ上の天候が『血の雨』に固定されて全ての地形が赤く染まるという事態にまで陥った。
その全ての原因は、藍が橙を『おひざだっこ』しながらゲーム運営にあたっていたためであった。
事態を重く見た運営本部――というか唯一身動きのとれた河城にとりが、これ以上のゲーム続行は不可能と判断して進行を中断した。
その際、プレイヤーの側からも「食ったら眠くなってきたぜ」「嫌だ嫌だ、霊夢と飲めなきゃ嫌だ」「イナバが泡を吹いてるんだけど。べ、別に心配なんかしてないけど永琳が困るでしょ」といった意見が寄せられたため、一度日を改めて、この遊びは翌日から再開するという運びとなった。
「すいません、お手数かけます」
「いやこちらこそ、過剰な負荷をかけてしまって申し訳ない」
鈴仙と藍がたがいに謝罪しあう。
前回同様の被害を防ぐために、このゲームが終わるまで八雲の三名はバラバラに配置するということで合意に至った。
また同時に「イナバの扱いがひどくない? ねえひどくない?」という声が一部プレイヤーから上がったため、鈴仙と藍を物理的に近い位置に置き、協力して幻術をかけることでその負荷を軽減するという方策が採られた。
「あなた一人で全員分の中継とか、よく身が持つなと思っていたのですが……薬漬けにされていたとは」
「だって、お師匠様がすごく楽しそうだったから断れなくて。そんな権利もないんですけど。でもああいう扱いは慣れてるし……あ、また来た、あうう……」
鈴仙はいきなり両手で頭を押さえてしゃがみこみ、全身を硬直させてかたかたと震えだした。藍が驚いてその顔を見ると、彼女はうつろな瞳でどこか遠くを見てうわごとを発していた。
「いや、ごめんなさい依姫様、逃げません、もう逃げませんから。ああっ、やめて豊姫様、駄目、桃の皮は駄目、ちくちくします、許して、すみません、ごめんなさい――」
「おいっ、落ち着け。大丈夫、ここは地上だ、月じゃない、大丈夫だから」
藍に両肩を抱かれて何度か揺すぶられると、だんだんと鈴仙の意識はこちら側に戻ってきた。涙ぐんで息を荒くしている。
「はっ……すみません、お見苦しいところを」
頬を染めて見つめ返してくる鈴仙。可愛いかもしれない。いやいかん、私は橙一筋、浮気はいかんと気を取り直し、藍は両手を離した。
「まだ薬が抜けきってないようですが」
「う、はい。昨日から頻繁にフラッシュバックが。だいぶ落ち着いては来たんですけど」
ぽんぽんと軽くその肩を叩きながら、藍は優しく尋ねる。
「ならば無理をせず、日取りを伸ばしてもらいましょうか」
「いえ大丈夫です。私、期待されてるんだから。ここで頑張らないといけないから」
不憫な娘だという同情と、こりゃ苛めたくもなるわという共感を同時に抱く藍。ともあれ本人が問題ないと言うのだ。藍は鈴仙に背中を向けて、座禅を組む。
「であれば口出ししません。始めますよ」
「あ、はい。よろしくお願いします」
鈴仙もふりむき、同じ姿勢をとる。そして二人は意識を集中し、一度は中断した『文明ごっこの術』を再発動した。
「聞けい、者ども。私が代官の橙である。今後、私の言葉は紫様のお言葉と思って聞くように」
「ははー、お代官様ー」
胸を張ってふんぞり返る橙に、早苗と諏訪子は平伏するふりをする。その光景を神奈子は冷ややかに見つめていた。
「なにしてるの、あんたたち」
「お代官様ごっこ。私たち八雲の配下になっちゃったからね」
「お代官様、ホットケーキはいかがですか」
「食べるー! じゃなくて。うぉっほん、そのほう大儀であった。私の分をよこすがよいぞ」
きゃいきゃい言いながらホットケーキに蜂蜜をかける二人を、神々は生暖かい目で見守る。
「単にあの子が遊びに来ただけでは」
「そうとも言うね。橙をどこによこすかでちょっと揉めたんだけど、まあうちが一番無難でしょってことになって」
ふうんと神奈子は気のない返事をする。
「それはいいけど、ゲームとやらのほうはどうなの。あんた自信満々だったくせに、八雲の属国だって?」
「いやあ面目ない。ここの実力者どもの底知れなさをナメてたよ。でもま、まだ勝ち目もゼロじゃないから」
しゃべりながらも虚空で指を動かしている諏訪子が不気味だったが、そこは言わないでおく神奈子だった。
唐突に諏訪子が口を開く。
「だけど意外だね」
「なにが」
「神奈子がよ。今回の遊び、もっと反対されるかと思ってたんだけど」
ふっと神奈子は一息ついて、早苗たちを見る。
「そりゃ一時期のあんたみたいにずっと部屋にこもって一人遊びなんて、とても健康じゃないわ。病気よ。でも人付き合いの一環だっていうなら、べつに目くじら立てるほどのものでもないから」
「そだね。あのころは私もヤケになってたとこがあるし、ちょっと心配させちゃったかな。これが終わったらみんなで何か食べにいこうよ。場所なら確保しといたから」
「いいよ、変な気回さなくて」
神奈子はふりむき、その足で台所に向かった。皆なにやら忙しそうだし、今日の昼食は自分が作ってやろうか。粥しか作れないわけではないところを見せてやろう。
ついでに洗い物などをしてやってもいい。放っておけば早苗が勝手に片付けるのだろうけど、何から何まであの子に任せっきりというのもなんだし。
神としてそんな雑事に手を染めるのはどうなんだという気もしないではないが、こちとら気さくな性格に定評のある神々だ、そうふんぞり返ってばかりいる必要もない。
そう思い、神奈子はもう一度だけ居間にいる三人を振り向き見た。
橙と、早苗と一緒にホットケーキを食べてから、おもむろに諏訪子は手を叩く。
「はい注目。あなたたち、まったくゲーム画面見てないでしょ。なにしにここに集まったのか忘れてない?」
さっきまで諏訪子は、半分現実で食事しながら半分幻覚のゲームを操るという器用なまねをしていた。そんな彼女が完全に視界をゲームに切り替えると、二人もあわててついてくる。
「あ、早苗、お手拭きどこ?」
「はいどうぞ。あら、ほっぺたにお弁当がついてますよ、お代官様」
こいつら妙に仲良くなったなと諏訪子は微笑む。
「さて東風谷くん、今の世界情勢について簡潔に説明したまえ」
「ええっ? ええと、戦争中ですよね、レミリアさんと」
「いつから」
「……いつからでしたっけ」
ゲーム中断の少し前、紅魔文明が八雲文明に宣戦布告した。国境ぎりぎりに八雲軍が集結しているのは明確な威嚇行為である、との理由からである。
初撃こそ大量のカタパルトの犠牲によって勝利をおさめた紅魔軍だったが、その後の野戦は負けに次ぐ負け。
なにせ武装の質が圧倒的に違う。旧来のユニットでライフル兵を倒したければ、およそ三倍の数が必要になる。
「はいはいっ。わが八雲軍は、圧倒的兵力をもって紅魔軍を撃破中、であります」
普通、城攻めを行うとなれば最低でも守備側の二倍の兵力が必要なところだが、この戦の場合は同数でもまだライフルが有利だ。すでに紅魔文明の都市ひとつが落ちたとこは確認できている。
「そうだね、こっちは静かなものだけど」
紅魔が八雲に宣戦布告した時点で、属国である守矢も紅魔と再び戦争状態に入った。とはいえレミリアにこれ以上東進する余力はなく、守矢大陸上の紅魔都市は堅く防御を固めたのみ。
「魔法の森も、戦力グラフではこっちに勝っているのにまだ動かない。どうしてかな」
諏訪子の問いかけに、生徒二人からは回答がなかった。
「じゃあ、早苗」
「私ですか。なんか学校に行ってる気分に。ええと、量では勝ってるけど質で負けてるから、ですよね」
「そう。あの戦争のあとの技術交換で、うちも八雲も新兵器が作れるようになったから。ライフルとカノン、両方ともうちらしか持ってない。そりゃ圧勝するよ。というか私がそのポジションを狙いたかったんだけど……いまさらよね」
そこまで語って、諏訪子は教鞭をぺしぺしと手のひらに打ち付ける仕草をする。
「では問題。この八雲の快進撃は、いつまで続くのか」
はいはーいと橙が勢いよく手を挙げる。もうお代官様ごっこは飽きたらしい。
「もちろん、紫様が天下を統一するまでです」
迷い無く橙は言い切り、むふーと鼻息を漏らした。早苗は困り顔で首をかしげる。
「んー。そううまくはいかない、ってのが答えですよね、なんとなく」
「なんでよっ」
早苗に食ってかかる橙の首根っこをつかんで、諏訪子が答えを言う。
「世の中そう甘くはないから、だよ。誰だって一番を狙ってるのに、紫のトップ確定が面白いはずもない」
諭されて橙は不機嫌顔になる。
「じゃあどこの誰が紫様の邪魔だてをするってんですか」
「一番露骨なのは――戦争中のレミリアは別として――月人たちかな。ちょっと取引確認画面を見て」
本格的に授業っぽくなってきた。実のところ、特に状況に動きがない限りあと何ターンかは諏訪子のすることもない。暇つぶしがてらに、この二人に今の状況を教えることにしたのであった。
「まずこれ、『共通規格』。持ってるのはうちと八雲と、月人文明。この次に開発すべき技術は、なにはなくとも『ライフリング』なのよね。そろそろ月人でもライフル兵が出せるようになるはず」
画面を見つめながら早苗は難しい顔になる。言い出そうか少し迷ったあと質問した。
「ゲーム内の年号、1400年代ですけど……室町時代だっけ。まだそのあたりですよね」
「そうね。もっとみんな派手に戦争しまくってれば、科学の発達も遅れてたはずなんだけど。この調子だと江戸時代には戦車が出るわね」
その光景を思わず想像して、早苗は苦笑いを浮かべる。聞いてもピンとこない橙はぽかんとした顔になった。
「でも月の連中は、別にうちと戦争してませんよね。そいつらが強くなったからって……」
「ちっちっ。ここで第二の注目ポイント、各文明の所持金を見てみよう」
このゲームのシステム上、国庫に納められた金銭は簡単に増減する。重要なのは領地からの総収入であって、所持金の多少の浮き沈みは些細なことだ……よほど多額でなければ。
しかして紅魔文明は、その『多額』と言えるほどの現金を所有していた。
「紅魔は今、技術開発をやめて税金をみんな国庫に入れてるんだろうね。これ自体は戦争中ならよくあることなんだけど」
一度講義を止めて諏訪子は二人の顔を見回す。やってみてわかったけど、教師というのも案外楽しい商売だ。
「はい早苗」
「また私ですか」
橙に答えさせる気? と問うと早苗は黙った。
「さっきの戦でうちが同じことをしたとき、そのお金は何に使ったっけ」
「しましたっけ……あ、あれです。ユニットを強くしました、確か」
「正解。旧式の投石機をカノンにアップグレードした。同じことをレミリアたちももくろんでいるはず」
そう言って諏訪子はにこにこと笑う。今いろいろと聞いた話がどうつながるのだろう。早苗は腕組みして考える。黙っていてもそのうち正解を教えてもらえそうだけど、できれば自分で言い当ててみたい早苗だった。そうすればきっと、神様は褒めてくれる。偉いと言ってくれる。
「アップグレードと言っても、きっとライフルに勝てるのは同じライフルだけなんですよね」
「現状では、そうだね。擲弾兵でもいいけどあれもうちらが独占してるし」
「そのライフルを、そろそろ月の人たちも作れるようになる。ならレミリアさんはその技術を教えてもらって、一気に兵士を強化するつもりなんですね」
早苗のこの回答に対して、諏訪子はぱんと手を打った。
「その通り、早苗偉い!」
いやはあ……と赤くなる早苗。気にせず諏訪子は力説する。
「月の奴らはたぶん、ライフリング完成と同時にその技術を紅魔にタダでくれてやるはず。ライフル同士の勝負となれば、戦闘向きの志向があるレミリアの方が有利。この戦で紅魔軍がどんどんユニットを消耗しているのも、膨れあがった旧式部隊を削減したいからなんだろうね。ついでに大将軍ポイントも貯まるし」
困惑してこの話を聞いていた橙が、やがてがばっと立ち上がる。
「よくわかんないけど、そんな恐ろしい計画が裏で進んでたなんて! いますぐ紫様にお伝えしないと」
「ちょい待ち」
息を呑んで立ち上がった橙を、諏訪子は制止する。
「いま私が言ったことぐらい、紫だってとっくにわかってるよ。敵さんが対抗能力を得るまでに、どれだけ攻めきれるかがあいつの勝負だろうね」
結局、八雲軍がもう一つ紅魔都市を落としたところで戦線は膠着した。諏訪子の読み通り、ほどなくして紅魔軍はメイスや弓矢からライフルへと武装を転換し、都市を奪還するための反撃を開始した。しかし八雲軍の物量の壁は厚く、新たな国境線近辺は両軍のユニット処分場と化した。
「正直に言って、ここまでそちらさんが粘る理由がわかりませんわ」
もううんざり、という感情を込めて紫が訴える。
「だから言っているでしょ、返せ、私の街を返せ、今すぐ返せー!」
紫がレミリアに停戦を持ちかけたのは、もうこれで何度目かになる。だが何と言っても答えは同じ。NO一択。
「強がるのはおよしなさい。市民の不満はそちらのほうが深刻なはずよ」
紫の指摘通り、相次ぐ負け戦と強制労働によって紅魔国民の不満は国家運営に支障をきたすまでに膨れ上がっていた。駐屯兵を増やして暴動を押さえ込むにも限度がある。都市機能が完全に麻痺する街が出るのも時間の問題だ。
「まだユニットは作れるもの。戦争できるもの」
「経済を放棄するなら、今のところは、でしょう。じきに軍の維持費すら回らなくなるわよ」
もう何十ターンも前から、紅魔文明はろくに技術開発に資金を回していない。テクノロジーの入手は月人文明に頼りきりだ。しかしむこうも慈善事業でやってるわけではない。紅魔軍の経済破綻が始まってしまったなら、肩入れ先を博麗あたりに乗り換えるのだろう、というのはレミリアにもわかっていた。だとしても。
「あなたは私の領地を蹂躙した。これは万死に値する。永久に戦争をやめるつもりはない」
紫は渋面を浮かべてぎゅっと目を閉じ、扇の先端で自分の額をこつこつ叩いた。
「利害を考えなさい。このままでは共倒れ間違いなしよ」
「知るかっ」
そう叫んだところで、咲夜がレミリアに目配せした。あまり芳しい表情ではない。その意図を翻訳するなら『あちらの言い分も一理あります』といったところか。
「――と、言いたいところだけど、そちらが誠意を見せるなら最大限妥協してやってもいいわ。奪った街をどちらか返しなさい。それで手打ちにしてあげる」
紫の手元が震える。彼女はこう言いたかった。『立場がわかっているのか。本来そっちが賠償金を支払って然るべきところを、タダで停戦してやると言っているのがわからないのか』と。だがそれを言ったら完全に交渉は決裂だ。このお嬢様は本気で国が滅ぶまで戦争をやめないだろう。そんなものにつきあわされてはこちらもスコアトップから転落してしまう。
「……前向きに考慮しておきますわ」
震える声でそう告げられ、レミリアは勝ち誇った笑みを浮かべて交渉ウィンドウを閉じた。
一人うす暗い部屋に取り残された紫。
「駄目だあの小娘。早くなんとかしないと」
そうつぶやく傍らで、交渉の順番待ちだったのかすぐに新たな窓が開く。
「ゆっかりー……あらま、怖い顔」
「ちょっとね。とんでもない狂犬と隣り合ってしまった身の不幸を嘆いていたところ」
まだ渋い顔の紫につられて、幽々子も少し悲しげな表情になる。
「犬に噛まれたと思って忘れなさいな。今日はそんな紫に、プレゼントのお知らせよ」
幽々子は交渉テーブルにテクノロジーをひとつ乗せた。まだ紫も取得していない新技術。
「助かるわ、そろそろ取ろうと思ってたところだし」
素早く紫は受諾ボタンを押した。かたや幽々子は受諾せず、保留中。
「プレゼント交換。ゆっこ『化学』と『経済学』がいいなあ」
「足りないわね」
冥界文明の所持金の過半数を紫はテーブルに載せる。
「強欲ねえ、もう」
渋々ながら幽々子は承諾する。かつては大差がついていた八雲と冥界のテクノロジーも、近年では横に並びつつある。それもこれも長引いた戦争のせいだと紫は歯噛みする。
「では、こちらは忙しいのでこのくらいでね」
「ああうん、せっかちねえ」
手早く紫が通信を切ったところで、妖夢はやや声を潜めて主に語りかけた。
「だいぶお困りの様子でしたね、紫様は」
「ええほんと。あっちが防波堤になってくれなかったらうちもどうなってたことか。ともあれ、この戦もそろそろ手打ちでしょ、次を考えないと。そのためにあれを開発したのだし」
先ほど幽々子が渡したテクノロジー、『科学的手法』。近世と現代の境界に位置する重要ポイントだ。
「妙な名前の技術ですね。これがどんな発明なのか、まるで想像つかないんですが」
「技術と言うより、ある種の概念なんじゃないかしら。人間たちが幻想を捨てて科学を信奉するようになったという、発想の転換を表しているように思うわ」
長大なテクノロジーツリーを眺めながら幽々子はそう語った。科学的手法が起点となる技術は、物理学、電気、無線通信……いずれも幻想郷の一般住人にとっては噂でしか聞いたことのない代物だ。
「それにしても紫ってば、いまごろ泡を食ってるでしょうね」
唐突な発言に妖夢は首をかしげる。
「はあ、それはどういう」
「石油よ。みごとにまあ、うちとの国境と、レミリアちゃんとの国境にしか湧いていないじゃない。今の紫の領地だと」
科学的手法を獲得すると、石油資源の発見が可能になる。資源の埋蔵箇所はゲーム開始時にランダムで決まるのだが、それを人類が『重要資源』と認識するためにこの技術が必要なのだ。
「石の油、ですか。聞いたことはありますけど」
「外の世界の機械は、たいがい石の油を動力にしているのよ。油の取り合いで戦争になっちゃうほどらしいわ」
「ふうむ。たかが油で殺しあいとは解せませんが。そこまで価値の高いものなんでしょうか」
まだ納得できていなさげな妖夢に、幽々子は微笑む。
「そういうものらしいわ。あなたもぼちぼち勉強なさいな。外の文化に染まれとまでは言わないけど、知識ぐらいはね」
すました顔でお説教する幽々子だが、彼女も『油で動く機械』なるものを実際に見たことはない。外の世界に詳しい友人の言と、たまに妖夢が雑貨屋で仕入れてくる外の書物が情報源だ。
「精進します……あ、そういえば」
何かを思いだした妖夢が脇に置いてあったマニュアルを手に取り、付箋のついたページを開く。
「昨日気がついたのですが、この遊び、我々にも十分勝ち目があるのではないでしょうか」
幽々子は黙ってうなずき、話の続きをうながす。
「以下の勝利条件のいずれかを満たしたものが勝者となると、ここに記されています」
続けて妖夢は、マニュアルの内容をかいつまんで読み上げる。
征服/制覇勝利:全てのライバルの抹殺、または全世界の半分以上の領有。
宇宙勝利:科学技術を極め、別の星に旅立つ。
宗教/国連勝利:バチカン宮殿または国際連合の代表となり、『自国の勝利』を可決させる。
文化勝利:三つの都市で文化力を最高ランクに高める。
時間勝利:規定のターン数が経過したとき、最高スコアを獲得している。
「さすがにそのへんは確認したわよ」
「う、ですよね。だったらこの『文化勝利』。我々が狙うべきはここしかないと思うのですが」
冥界文明の現状を鑑みて、消去法でいくとそれしか残らない。
制覇などは遠すぎる夢だ。少なくとも八雲・紅魔をまとめて撃破しなくてはいけない。
同様に、国連勝利もあり得ない。多数決と聞くと一見平和的だが、世界人口の過半数を自国か属国下に置いて、独裁強行採決でもしなければ無理だろう。
宇宙も厳しい。そこで勝負したら八雲の圧勝だろうし、紫もそれをもくろんで動いている。
時間切れ待ち……その前にどこかが勝利の条件を満たしてしまう。
ならば文化勝利こそ冥界の狙う道ではないかと妖夢は考えたのであった。はじめから文化力増大の志向がついているし、大量に湧いて出てくる偉人を芸術家に偏らせればさらに底上げできる。
「あのね、妖夢」
冷静な口調で名を呼ばれて、妖夢はびくりと背を伸ばした。自分は何か間違ったことを言っただろうかと冷や汗を流す。
「少し考えてみて。私たちの文化力が、勝利を達成できそうなほどに高まってしまったら、一番面白くないのは誰?」
「えっと、紫様でしょうかね、やっぱり」
ふっと幽々子は息をつく。
「わかっているじゃない。抜け駆けしていいところだけもってくなんて、あの紫が許すはずないでしょう。いずれ大軍を差し向けられてしまうわ」
うっと呻いて妖夢は顔色を曇らせた。幽々子はゆっくりと語る。
「私は決して紫の邪魔なんてしない。いつだってあのひとについて行く存在――そういう前提があるから同盟関係でいられるの。要は体のいい囲われ者、おめかけさんなのよ。そう思わない?」
「いや、同意を求められましても」
どう返事をしたものかと、妖夢は困り顔になる。
「さーあ、次は何を貢ぎましょうかね」
やけに楽しげにそう言って、幽々子はまた画面を操作しだした。
<紅魔文明と八雲文明が和平を結びました>
「なんだ、終わっちまったのか? もっと潰しあってくれないと困るぜ」
「ここらが潮時だったんでしょう。仕方がないわ」
魔理沙とアリスはそろって渋い顔をしている。スコアトップの二大勢力があのまま消耗戦を続けていてくれれば、下位の勢力にもチャンスが巡って来たものを。
そしてもうひとり、交渉画面のむこうにいる人物が声をかける。
「で、どうなの。いけそう?」
「あー、うん、なんだ。時間の問題ではあるんだが……」
「難しいわね。やっぱり武装の質が高い。技術を盗みきるにはまだ時間がかかるわ」
言いよどんでいたところをびしりとアリスに指摘され、魔理沙は不機嫌になった。
「んだよ、もうちょいカッコつけさせろよ」
魔理沙の文句は無視して、霊夢は腕組みする。
「そのへんはさ、数の暴力で押しつぶすとか」
「やりたくない、というのが正直なところね。さっきの戦争がもっと長引いてくれたらならまた違ったんだけど。今押したら紫が援軍を出す可能性があるし、そこであまり消耗したらレミリアが怖いわ」
守矢戦争後、東方大陸はみごとに三すくみ状態となった。
守矢は失地回復を諦めた模様で、都市圏沿いに多くの要塞を建設して防戦の構えを見せている。数だけなら魔法の森が有利だが、技術で後れをとっているせいで攻めきれる陣容が整わない。紅魔は今のところ少数の兵力しか置いていないが、いざとなれば大量の援軍が送り込まれてくるのは目に見えている。
「気にせず死ぬ気で突っ込みなさいよ……ふわぁう」
面倒そうに言い放って大あくびする霊夢。
「なんだ、ずいぶん機嫌悪いじゃないか」
「ん、悪いのは機嫌じゃなくて、体調」
この巫女は本日すこぶる寝不足、かつひどい二日酔いだった。ゲームなんぞやってられん、というのが本音である。
「ったく萃香のやつ、一晩中べったべったと絡んできて。蹴ると泣くし、放置すると暴れるし」
幼児虐待は犯罪だぜ、と茶々を入れる魔理沙。アリスも呆れた顔をしている。
「それで朝までつきあって飲んでいたと。あなたもたいがいお人好しね」
はてさて、自分はお人好しなのだろうかと霊夢は自問する。
萃香と飲むのは嫌いではない。明日も予定があるからと断っても強引に杯を向けてくるようなやつだけど、裏も何もなしにただ自分と酒が飲みたいというものを拒絶してしまう気にはなれない。
紫の勧める遊びにつきあうのもやぶさかではない。なかなか奥の深そうなゲームだし、これを知り合いたちと共に楽しみたいと思う彼女の考えは理解できる。
その結果、二日酔いでガンガンと痛む頭を抱えてこまごまとした画面操作をするはめになった。人がよいと揶揄されるのも仕方なかろうか。
「なんでもいいけど、早くリタイアしたいわこれ。今は布団が恋しい」
とはいえ今勝負を投げたら最下位は確定だ。それはそれで困る。
どこかひとつでも勢力が滅亡してくれたら自分もさっさとやめられるのだが……などという発想が出てくるあたり、自分はさほど人がよくなど無いのだろうなと思う霊夢だった。
「なんだやる気ないなあ。シャキっとしろい」
「無理。頭痛い。誰かお水ちょうだい」
「うっし、『鉄道』完成! これで一息つけるかな」
画面から目を離してあたりを見回してみた諏訪子だったが、誰もいまの言葉を聞いてはいなかった。
「なるほど、写真機と印刷機を複合させた機械ってわけだね。作れないことはないけど」
「それって普通の記念写真と何が違うの」
「ええと……ちゃんとした写真だと、おめかししたりあれこれ指示されたりで面倒でしょ。そういうのじゃなくて、友達同士とかと軽く今日の記念に、っていうのが大事なんです」
「ふうん、悪くはないかしら。絵姿が書き上がるまでじっと待っているのって、どうも退屈だし」
「うわあ、なんたるお姫様……」
「んー、そういう用途なら一枚きりじゃ意味がないよね。焼き増し機能も必要かな」
「小さい写真でいいんです。その代わり一枚に同じ絵がいくつも写るようにして。あと台紙がシールになってて、ひとつずつはがせるようなら完璧です」
暇を持て余した娘さんたちが、わいわいと雑談に花を咲かせていた。
「そういえば、月には写真ってないんですか」
なんの気なしに早苗が尋ねると、輝夜は少しのあいだ考え込む。
「似たような物はあるけど、それをわざわざ紙に写す人は見たことがないわね」
「ほう、どんな原理ですかい」
興味しんしんににとりが首を突っ込む。
「原理は知らないけど、記録した映像を映し出す板、みたいなものよ」
「フォトフレームはあるんだ。月の技術は謎です」
「はいはいっ、写真なら前に天狗に撮られたよ。紫様のとかすごいんだから」
「それなら私も撮られたけど。弾幕写真はまた別の分類よね」
「弾幕写真? なんですそれ」
「文の趣味さ。一度相手をキレさせてから、本気の弾幕をカメラに収めるという」
「ううむ、命がいくつあっても足りませんね、そのご趣味」
延々と世間話を続ける少女たちの横で、諏訪子は一人地道に都市運営作業にあたっていた。なんの罰ゲームだろう、これ。
「あ、永琳『物理学』持ってたんだ。『蒸気機関』と交換しない?」
「悪くありませんが、もう少し色を付けていただかないと」
「じゃあ1ターンお金貯めるから待ってて」
なぜだろう、この事務的な会話がとてもむなしい。
「やっぱりカメラはいいよね、機械加工の結晶だよ。なんか最近妙にいいカメラが流れてくるようになったけど、外でなにかあったの」
「うーん、最近はデジタル……電気式のカメラが主流ですから、それでフィルムのカメラが幻想入りしてるんじゃないかと」
「ねー輝夜様。月の裏側には龍神がいて、会ったら五秒以内に逃げないとメガフレアを撃ってくるって本当?」
「誰に聞いたのそんな話……あ、予想はつくわ、答えなくていい。月のむこう側には私の住んでいた都があるのよ」
ぽかんとした顔で橙は尋ねる。
「へぇ。どんなとこなの、月の都って」
「どうしようもなく退屈なところよ。変化する事をやめてしまった、永遠に代わり映えしない場所。暇つぶしに不老不死になってやろうかと思うぐらいに。ねえ永琳」
「はい? まあ暇つぶしに姫様のわがままにつきあおうかと思うぐらいには、退屈でしたねえ」
横で聞いていた早苗が輝夜たちのほうを向く。
「月の人たちって、空気が無くても生きていけるんですよね」
「なに言ってるの。息ができないと死んでしまうでしょう」
「はあ。ということは、地上に月着陸のセットを作ったのではなく……月に行ってみたら本当に風が吹いていたから、星条旗がたなびいたんですね。驚きの真実!」
困惑顔の輝夜の横で、永琳が補足する。
「あなたがおっしゃってるのは、地上の人間がたどり着いた『月』のことですか。あれは物質としての月面だから、空気も水もありはしませんよ」
「ああ、そっち側の話ね。あんななにもないところに、旗を立てて石ころを持って帰ったとかいう」
「しかしよくまあ燃料推進なんかで物質宇宙を突破できたものです。そのやりかたでは、月の幻想面を認識できなかったのも道理ですが」
諏訪子の指先がぷるぷると震えている。やがて我慢できなくなり、立ち上がって皆に歩み寄る。
「あれはさ、科学の力だけで誰が最初に月に行くか、って競争だったの。というかハブんないでよ、のけ者にしないでよ、寂しいじゃない」
「諏訪子様? 別にのけ者になんか……うわっと」
構ってよ、もっと構ってよと駄々をこねながら抱きついてくる神様。その頭を優しくなでてやる早苗であった。
紅魔館館主私室。今日は曇りがちの天候のため日光も差し込んでこず、レミリアは物憂げに窓辺に掛けて外の風景を見やっていた。
「退屈、ね」
「こちらはけっこう忙しいですが」
「知らないわ。また戦争するなら呼びなさい」
こまごまとした内政作業など、およそレミリアの好むところではない。咲夜はわりとそちらのほうにハマっていたりするのだが。吸血鬼はちらりとメイド長のほうを見る。
「次はどんな編成で行こうかしら。さすがにライフル兵では時代遅れよね」
「ええ。上位兵種『現代歩兵』への転換を早急に進めたいところですが、さすがに八雲の一党に先を越されています」
窓辺から軽く飛び降り、レミリアはこつこつと窓枠を叩いていらだちをあらわにする。昨日は派手に粉砕してしまったので、やや手加減して。
ちなみに部屋の修繕自体は、彼女の友人が召還した大工妖精が一晩でやってくれた。やはり持つべき者は友である。
「そこを数で押すのも悪くないけど、またぞろ市民どもの不満が高まってしまうわね」
「ええ。ですから、もうしばらくお控え願えませんでしょうか。可能であれば『戦車』を主力に据えようかと」
レミリアは軽く首をかしげる。
「戦車? チャリオットを強化するの?」
「いえ。馬車の部類ではなく、それ自体が移動する戦闘機械です。類似の兵種がないので新規生産するしかありませんが、我々にはそのほうが好都合でしょう」
ふうんと気だるげに答え、レミリアは右手を差し出した。咲夜にマニュアルを手渡され、内容をチェックする。
「騎兵相当の移動力ね。悪くない……でも飛行機に弱いと書いてあるわよ」
「飛行技術なら、現在守矢が開発中だそうです。魔理沙に盗ませましょう」
思わず吹き出すレミリア。
「ごくまれに役立つのね、あの鼠も」
「ええ、極々まれになら」
まだ軽く笑いながら、レミリアはマニュアルをぽいと放り投げた。するとすぐに消えて、元の書机の上に置かれる。
「なにか軽く食べたいわね」
そう言い終わると同時に、咲夜の手の上に小ぶりのサンドウィッチの乗った皿が出現する。
「やっぱりいらない」
「だめです」
「……そう」
咲夜が微妙に怒っているのを感じ取り、レミリアはサンドウィッチをつまんで口に運んだ。便利だからといってあまり遊びすぎないほうがよさそうだと少し反省する。
「んむっ……月の連中も、もう技術を献上してこないのよね」
「そうですね。むこうもそろそろ勢力を伸ばしたい頃合いでしょうから」
「さすがに頼ってばかりもいられないか。今は何を研究……」
言いかけて、これは自分で画面を見たほうが早いかと思ってスライダーを動かしたレミリアの手が止まる。
「共産主義?」
「はい。我が国は現在、共産主義を開発中です」
なんだっけそれ、とレミリアは考え込む。聞いたことあるような、ないような。こういうときは当てずっぽうを言うに限る。
「国家の人口を、大いに増やそうという主義だっけ」
「いえその、繁殖的な意味の『産む』ではなくて、国民で平等に財産を共有しようという主義ですわ」
レミリアの眉がひくひくと動く。
「なに、そのくだらない考えは。富は持つべき者が持つべきでしょう。なかよしこよしで分けあおうなんて甘いやりかた、典型的な弱者の発想よ」
咲夜は首を横に振り、じっと主の目をみつめる。
「そのくだらない発想をたてに、ひとつの国家を運営しようというのです。貧民の救済という美名のもと、あらゆる個人財産を政府が自由に没収できます」
レミリアの眉がまたも動いたことを確認し、咲夜は説明を続ける。
「具体的には、都市の維持費を大幅に削減できます。我が国の財政はこれに大いに悩まされていますから。自由経済に比べて収入は減りますが、差し引きでは利益になります」
「ふん。意外に有効な制度というのはわかったけど。それにしても妙に熱心に勧めるのね」
咲夜はにこりと、いや、にやりと笑う。
「革命の達成には大規模な流血が必要、という狂気じみた信念が共産主義なのです。この方式を採用する国家では、必ずや血の雨が降ります。ゆえに『赤い思想』との別名があるほどです」
「ふむ……気に入った」
レミリアは立ち上がり、右手を高々と掲げる。
「我が紅魔文明は、子細整い次第速やかに共産主義を採用する。紅魔信仰を崇める者は、我がスカーレットの旗の下に集え!」
今ここに、神権制共産主義国家・紅魔連邦スカーレット共和国の設立が高らかに宣言された。
その後、数十ターンのあいだは特に大事件もなく時が流れた。その平穏の裏で各国は必死に軍備を増強し続けた。つかの間の黄金期も過ぎ去り、破局の時が迫る。
そして。
<八雲文明がアポロ計画を完成させました>
やっとここまでこぎ着けた。あとは宇宙に一直線……と、紫が感慨にふけっていると。
「はてさて、今回の本命馬、八雲氏がなにやら怪しい計画に着手した模様ですが。ついに詰めの段階に入ったと見ていいんでしょうかね、これは」
視線を合わせず、独り言のように紫はつぶやく。
「アポロ計画。外の世界では月面到達計画とも呼ばれていたけど。このプロジェクトを完成させた文明は宇宙船の建造を開始できるのです」
文はペンをくるりと回して、不敵に笑う。
「開始できる、と。それだけですか。完成はいつごろのご予定で」
「さあ。今ある技術では、ごく一部の部品しか作れませんから。そんなことよりあなたが興味あるのは、いつ誰が邪魔に入るのか、ではなくて?」
「何をおっしゃいます。私はあなたのご活躍を心より応援する者です」
にやにや笑いながらそう言われてもまるで説得力がない。
「勝利への目処が立ってしまった以上、戦争は回避できないでしょうね。反抗勢力は徹底的に叩くしかない。その手はずは整っているとお考えください」
「……と、自信たっぷりに語る八雲氏であったと。こういうのフラグが立ったとか言うんでしたっけ」
文は素早くメモを取りながら、独り言めかしてそうつぶやく。フラグといっても勝ちフラグと負けフラグがあるらしいが、こいつが期待してるのはもちろん後者なのだろうと予想がつく。紫はいらだった口調で告げた。
「なんにせよ、首位は私がいただきます。あなたには悪いけれど、大した波乱もなく順当にね」
「ふむ、なかなかすばらしいお説でした。ほかのかたにもインタビューしておきたいところですね。ではこれにて」
慇懃に言い放ち、軽く手を振って文は消えた。まったくもう、と紫は一人ひとりごつ。
<バチカン代表者選挙:レミリア・スカーレット or 棄権>
唐突にポップアップが表示された。紫は反射的に『棄権』を押す。
先の戦争で紅魔都市を奪って以来、紫にもごくわずかながら紅魔バチカン選挙の投票権が与えられている。
とはいえ、八雲領内で紅魔信仰が布教済みなのは、この元紅魔都市のみ。レミリアに代表権を与えるほうに投票しようが、棄権のほうに投票しようが結果に影響はない。
紅魔信仰が布教されているのは、当然ながら紅魔文明の全都市、および宗教を創始しなかった博麗文明の大部分である。ほかの勢力にもわずかに広がっているが、少数派だ。
定期的に開催されるバチカン会議だが、たいがいレミリアが紫に敵対的な決議案を提出しては、霊夢の反対票によって否決されてきた。今回も同様だろう。
<バチカン決議・八雲文明に宣戦布告:賛成 or 反対 or 拒絶>
マップ上で各都市の状況を確認していて、紫はあることに気がついた。すぐに幽々子への回線を開く。
「ねえ、ひとつ聞きたいのだけど」
「あら、なんの交渉かと思ったら」
さほど気にしていなかったが、冥界文明にも紅魔信仰が自然伝播したらしき都市がひとつあった。そこで懸念が生じる。
「レミリアの決議案、いつもどれに投票してる?」
「ん、もちろん反対票を入れてるわよ。さっきのも」
紫の唇がわずかにゆがむ。
「さすがに拒絶してちょうだいよ、宣戦布告は。ただの反対だと賛成多数で押し切られちゃうから」
『反対』と『拒絶』、似ているようで大きく異なる。反対というのは、会議の土俵に乗った上で票を投じる行為。拒絶の場合は決議案そのものを無視できる代わりに、市民の不満が一時的に増えてしまう。
「今回は仕方ないけど、次からお願いね」
「はいはい、気をつけるわよ。次から」
けろりとして答える幽々子。その態度に紫は一瞬だけ得体の知れない疑念を抱いたが、すぐその感情を無意識下に押し殺した。
「悪いわね、いろいろ頼んでしまって。これが終わったらなにかの埋め合わせをさせてもらうわ」
「よしてよ変な気使うの。私は私で充分楽しんでるから、ね」
優しげに幽々子が微笑んだとき、ターンが経過した。
そして同時に、二人の間の回線が強制的に切断された。画面端に次々とメッセージが表示される。これまでにないほど高らかに開戦のラッパが鳴り響く。
<バチカン決議・八雲文明に宣戦布告が可決されました>
<博麗文明が八雲文明に宣戦布告しました>
<魔法の森文明が八雲文明に宣戦布告しました>
<紅魔文明が八雲文明に宣戦布告しました>
<冥界文明が八雲文明に宣戦布告しました>
「なっ……」
宣戦布告案が通ってしまった。決議を拒絶しなかった文明は強制的に八雲と戦争状態に入る。八雲自身と、属国である守矢を除いては。
硬直する紫の目の前で新たな交渉ウィンドウが開く。レミリア・スカーレットはその瞳を赤々と輝かせていた。
「事後報告になってしまったけれど、言わねばならないでしょうね。八雲紫、貴公の首は柱に吊されるのがお似合いだ!」
言いたいだけ言ってレミリアはすぐに通信を終了した。紫ははっと我に返り、状況を分析する。
霊夢だ。彼女が賛成票を投じない限り可決はありえないはず。そう思っていたところで目の前に本人が現れる。
「悪いわね」
ただ一言そう告げる霊夢。
「悪いわよ。こちらを攻めてあなたになんの利益があるというの」
静かに怒りを燃やす紫に、霊夢は面倒そうに答える。
「だって紫、これ以上押してくるつもりはないんでしょ。だったら私があいつに食われかねないわ」
押し黙る紫。実のところ、レミリアの矛先が霊夢に向いてくれたら都合がいいな、ぐらいには考えていた。その意図に彼女も感づいていたらしい。霊夢の天性の勘の良さを甘く見ていた。
「それに、落ちてくれるなら別にどこでもいいから。誰であれ私より下の奴が必要なの。悲しいけどこれって戦争なのよね」
そんな台詞どこで覚えた。いや、単に口をついて出ただけか。などと紫が妙な逡巡をしているうちに戦場で動きがあった。無言で紫はウィンドウを閉じる。
レミリアの戦車部隊が押し寄せて来た。狙いは、元紅魔都市『ハートブレイク』。国境が近いので即座に隣接される。
八雲軍の主力は現代歩兵。よくバランスのとれた能力を持つ、使い勝手のいい兵種だが、これで正面から戦車に挑むのは自殺行為だ。
しかしながら、現代戦において単純な陸上戦力の差など大した問題ではない。
「先手はいただくわ……」
近隣の都市に駐留している『戦闘機』ユニットをひとつ選択、敵スタックへの機銃掃射を指示する。すぐさま紅魔都市から迎撃の戦闘機が出てきて、八雲の戦闘機は撃墜された。紫は軽く舌打ちする。
さすがに敵の防空網を突破しなければ空爆は不可能らしい。紫は次々と戦闘機を発進させた。紅魔が飛行技術を手に入れたのはごく最近だ。まださほどの航空戦力はないはず。
もくろみ通り、五、六回ほど戦闘機を出したところで敵の迎撃がなくなった。ここで真打ちの『爆撃機』をまとめて発進、戦車部隊への空爆を実行する。
『攻撃すれば反撃される』というのがこのゲームの基本的なシステムだが、空対地攻撃だけはその例外だ。防御側に対空ユニットが存在しない限り、攻撃側にとっては全くのノーリスクで一方的に打撃を与えられる。
激しい爆撃によって、紅魔戦車隊はまんべんなく中規模なダメージを受けた。この状態なら歩兵でも優位に立てる。
都市に駐留している部隊の過半数を突入させ、戦車隊を半壊状態に追い込む。さらに、後方都市で待機中だった騎兵隊を鉄道輸送し、敵スタックに混じっていた旧式のカノンを狙い撃って全滅させた。
次ターン。『ハートブレイク』に隣接済みの紅魔部隊に動きはない。その代わり敵後方から増援が押し寄せてきた。空爆によって一網打尽にされるのを防ぐため、進軍部隊を複数に分けて攻め寄せる腹なのだろう。
とにかく毎ターン迎撃し続けなければ一斉攻撃を受けてしまう。先ほど撃墜された戦闘機の補充を入れて、再度空戦を挑む。制空権確保ののち、再度の空爆および陸上部隊による攻撃。
「消耗が激しい……けれど、とにかく持たせないと」
急にのどが渇いてきた。そういえば、ここ半日ほど何一つ口にしていなかったと紫は気づく。藍、と呼ぼうとして寸前で思いとどまった。彼女はここにはいない。
孤立無援、という言葉が脳裏をよぎり、紫は頭を振ってその考えを追い出した。
「来たぜ来たぜ、今度こそ奴らに引導を渡す時だ。なあアリス」
「そうね。妙な邪魔が入る前にさっさと終わらせましょう」
魔法の森文明にとっては、中央大陸での戦争など大して興味はない。重要なのは、八雲も紅魔も海を越えて兵を送る余力などなくなった、という事実のみ。もう遠慮はいらない。開戦と同時に守矢領へと進軍を開始する。
「それにしてもまあ……」
「ん?」
珍しく言葉を濁したアリスを魔理沙は不思議そうに見る。
「いや、よくあんなに砦を並べたものだと思って」
守矢文明の国境線付近は、びっしりと『要塞』地形で埋め尽くされていた。よほど労働者の手が空いていたらしい。
「これどっから押したらいいんだ」
「この状態だとどこでも一緒ね。よほど都市圏を荒らされたくないようだけど」
守矢軍の主力は『機関銃兵』だった。やや世代遅れの感があるこのユニットが、防衛ライン全体に広く浅く布陣している。アリスは無言で策を巡らせた。手持ちのユニットのうち、どれを捨て駒にすべきか。
戦闘機の生産数はまだ少ない。今ある全機を突入させても防空網を破れない可能性が高い。ここは待機が得策だ。
次善の策は地上からの砲撃だが、いやらしいことに機関銃兵には砲撃巻き添えダメージ無効の特性がある。砲兵隊は都市防御を削るためにとっておきたい。
現在の最強兵種は戦車だが、敵部隊の中にちらほらと対戦車兵の姿が見える。こちらの数さえそろえばかまわず蹂躙してもいいが、今は虎の子の戦車を使い潰すのがもったいない。
ならば歩兵で押すしかない。要塞に籠もった相手への勝率は冴えないが、たとえ負けても敵を負傷させるぐらいはできる。
決まりだ。戦闘機は防空に専念、歩兵部隊をひたすら特攻させて敵戦力を削り、そこから戦車で踏み潰す。そして要塞を確保したら砲兵隊を運び込む。
「なんか無駄に損害がでかくないか」
「仕方ないわ。むこうは防御に特化してるんだもの。一度懐に入ってしまえば迎撃は受けない、はずだけど……ああもう」
いましがた奪った要塞の前に壁を作るように、守矢の機関銃部隊が接近してきた。だがあくまでも接近するだけ。
機関銃は登場する時代のわりに戦力が高い。そのかわり、自分から攻撃を仕掛けることができないという重大な欠点を持っている。
防御しかできないユニットだけで都市を守るなど、本来ならば愚の骨頂だ。目の前で城下町が略奪されていくのを指をくわえて見ているしかない。それを防ぐための要塞スパム戦術。魔法の森軍は、兵をただ一区画進めるごとに多大な犠牲を支払わなければならない。
「――という、時間稼ぎ作戦なのよ。なにせうちには土地がない、生産力も経済力もない。あるのは山ほど作った遺産と、八雲との同盟で得た技術力だけ。一刻も早く機関銃を出せるようにして、そいつで防衛線を埋める以外に手がなかったから」
とくとくと解説を続ける諏訪子の前で、早苗と橙はぽかんとした表情になっていた。
「ええと、つまり我々には、徹底して守りを固めるしか生き残りの道がないと。そういうことですか」
「まあそうね。都市の数で三倍の差がついちゃってるし、まともにやっても仕方がない」
そこまで言って、諏訪子は目の前に注がれたミカンジュースをごくりと飲んだ。今日はノンアルコールと決めている。外の世界にいた頃ならスーパーでいくらでも買えたこの手の飲み物だけど、幻想郷ではわりと貴重品である。少なくとも蜜柑のとれる季節にしか飲めない。橙が物欲しそうにしていたので残りは分けてあげた。少しずつ味わって飲んでいる彼女の横で早苗は不安げにしている。
「防戦一方と聞くと、いかにも旗色が悪そうですけど。勝算はいかほどです?」
「ゼロ」
簡潔に即答する諏訪子。
「こっちにできるのは、むこうさんの進軍を遅らせることだけ。止めるのも押し返すのも無理。全滅は時間の問題かな」
「……どうするの。どうするんですか、なんでこんな」
言いかけて早苗は口をつぐんだ。諏訪子様を責めてはいけない、何の力にもなれなかった自分にそんな資格はないと反省する。
「勝ち目がゼロってのは、自分たちだけじゃってことだよね。きっと紫様が助けてくれます!」
力説する橙に向かって諏訪子は首を横に振る。
「ないでしょ。今の紫にそんな余裕あるはずない。自分が援軍をもらいたいぐらいだろうね、この局面じゃ」
なにも言い返せず、橙は不安げな表情でコップをテーブルにおいた。早苗はそれを片付けようとして立ち上がったあと、やや声を落として進言する。
「どうにかして魔法の森と講和を、ってのは無理でしょうか」
「今のスコア、見てごらん。八雲と紅魔が不動のトップ2で、あとはダンゴ状態。そこから周回遅れでうちらだよね。この世界大戦が終わっちゃう前に大陸を統一できないと、魔法の森がトップ集団に食い込むなんて無理な話よ。全力でうちらを潰すしかあいつらには道がないの」
早苗はがっくりとうなだれる。
「たはあ……それはもう詰んでませんか。いっしょに神奈子様に謝りましょうよ」
「まーだ。早苗さあ、私にあの名台詞を言わせる気?」
諏訪子は早苗の方を見上げ、にやりと笑う。
「最後まで希望を捨てちゃいかん。あきらめたらそこで試合終了だよ」
<八雲文明のハートブレイクが紅魔文明に占領されました>
八雲軍は苦戦していた。こんなはずではなかったと紫は歯噛みする。
紅魔軍がいつ攻めてきても負けはしないはずだった。撃退の準備は万全に整っていた……はずだった。
兵員生産力、兵の練度、国家の継戦能力、全てにおいて八雲は負けている。相手は超軍事国家なのだからあたりまえだ。しかしながら、科学技術による優越、そして政治力学によってその差は容易に逆転できるはずだった。それなのに。
紫は先ほど奪われてしまった都市に指を向け、駐屯ユニットの編成を確認する。
大量の紅魔軍戦車・歩兵隊に加えて、博麗軍の歩兵・砲兵隊も相当数が駐屯している。霊夢は、国境の防衛戦力を裂いてまで八雲攻めに援軍を送るという賭けに出てきたのだ。
普通に考えたらありえない暴挙だ。こんな飛び地を落としたところで、隣国に国境を圧迫されて都市はまともに機能しない。自国にとって何の利益もない遠征に、国防を犠牲にしてまで兵を出すなどゲームを投げているとしか思えない。
しかし霊夢には、そもそも八雲都市を落とす気などない。ただ純粋に、八雲軍に損害を与えることだけが目的らしい。
トップ獲得を目指して動いている紫やレミリアと違って、霊夢個人にとっての勝利条件は『ビリにならないこと』だ。博麗側の立場に立つなら、レミリアには常にどこかと戦争していてもらわなければ困る。ついでに、自分より順位が下の勢力が守矢だけでは不安が残る。可能ならば八雲も周回遅れグループに叩き込んでおきたい……という判断なのだろう。
いずれにせよ、今回都市を奪われてしまった原因は明らかだ。飛行機が足りない。まだ敵が対空歩兵を出していない現状では、爆撃機による空爆が最強の攻撃方法だ。そのためにはとにかく戦闘機を使い潰して制空権を確保しなくてはいけない。だがレミリアもそれに気がついて全力で戦闘機を量産してきた。航空戦力でも押されてしまったら、もはや対抗の手はない。
「もう1ターン早く言っとくんだったわ……ったく、痛すぎる」
今更悔やんでも仕方がない。念のため今後の作戦を詰めておこうと思い立ち、紫は幽々子への通信回線を開いた。
「はあ、散々だわ」
「このたびはご愁傷様で。いつもの余裕がないわよ、紫らしくもない」
ここ千年来の友人の、いつもと変わらぬ柔らかな微笑みを見ているとほっとする。今は彼女だけが頼みの綱だ。
「戦闘機の生産は順調かしら」
「ええ、いっぱい作ったわ。ねえ妖夢」
「はい。生産完了分だけで、二十ユニットを超えています」
半分幽霊の庭師が、まじめな顔ではきはきと答える。
「上出来ね。あと4ターンで今回のバチカン決議が無効になるわ。その頃には『ジェット戦闘機』が作れるから。停戦次第アップグレードしてこっちの前線に送ってちょうだい」
少々誤算は生じたが、反撃の準備は着々と進んでいる。パイロットの練度の差など、機体自体の性能差の前にはほとんど無意味だ。冥界が戦闘機を量産するかたわらで、八雲は爆撃機を作りためている。圧倒的な質と量で空を支配し、紅魔博麗連合に爆弾の雨を叩き込んでやるのだと紫が意気込んでいると。
「ところで飛行機で攻撃ってどうやるの?」
唐突に幽々子が聞いてきた。そう言えば彼女は初心者だった。というか諏訪子以外は全員が初プレイのはずなのだが、それにしては初心者離れした戦術を駆使してくるので失念していた。
「航空機はちょっと特殊なのよね。ユニットを選んだあと『攻撃』を押して、それから目標地点を指定」
ふうん、と何気なく答えて、幽々子は手早く画面を操作する。
「これで、こうやって、こうね」
<我が軍の歩兵が冥界文明の戦闘機に攻撃されました>
紫に見えている画面にだけ、このようなメッセージが表示された。
「は? ちょっと」
「たいしたダメージじゃないのね。もう一回、えいっ」
まるで無防備な八雲の国境都市に、冥界軍の戦闘機が次々と機銃掃射をしかけていく。
「あらま、攻撃できなくなっちゃったわよ」
「航空ユニットでは、地上ユニットにとどめを刺せないとありますね。都市の占領には地上部隊が必須のようです」
淡々と、硬い表情で妖夢が答える。
「なんなの、やめなさい!」
ぱんと扇を広げて、幽々子は口元を隠す。
「八雲紫ともあろう者が、どうしてこう簡単にひとを信じちゃったのかしら」
紫が何も答えないのを見て、続けて幽々子は語る。
「違うわね。あなたは、私を信じたことにするしかなかった。私のことなどかけらも疑っていないのだと、助けが本当に必要なのだと、そういう態度を見せて同情を買おうとした。まるで親にすがる子供みたいね。大好きよ、紫」
優美に、あるいは妖美に幽々子は笑む。
「――ずっと昔からね、興味があったの」
「なんの話」
大妖怪、八雲紫の怒りに満ちた視線を向けられて、かけらもたじろがずにいられる者などこの幻想郷に数少ないだろう。だが幽々子はそのうちの一人。
「私がいつか、決定的にあなたを裏切ったとしたら、そのときあなたはどんな顔をするのかしらね、って。本気で怒ってくれるかしら、それとも冷たく無視されてしまうかしら。まあ少なくとも、そのどちらかだろうなって思っていたんだけど――」
紫は肩を震わせている。幽々子は扇の陰から上目遣いでその表情を観察する。
「嬉しいわ、そんな……泣きそうな顔してくれるなんて。それほどまでに紫は私を好きでいてくれたのね」
「冗談でしょ。今ならまだ、冗談ということにしてあげる」
震える声で問い詰められて、幽々子は横目で妖夢を見る。
「騎兵隊、突撃」
「はっ。騎兵隊突撃!」
妖夢の操る騎兵隊ユニットが、空襲を受けたばかりの都市にまとめて襲いかかる。なすすべもなく八雲の国境都市は陥落した。
<石油の供給が絶たれました。これ以上戦車を生産できません>
<石油の供給が絶たれました。これ以上駆逐艦を生産できません>
<石油の供給が絶たれました。これ以上爆撃機を生産できません>
二方面からの攻撃による領土の損失によって、八雲文明は石油の産出ポイントを失った。この資源を前提とするユニットは一切生産できなくなる。
「あなたが言ったのよ。よそに取られるぐらいなら自分が奪う、って」
絶句する紫の表情を眺めて、幽々子はただ昏く笑っていた。
「だいぶ状況が動いたようだけど。全部あなたの計算通り?」
「いえ、困ったことに計算以上です。八雲が劣勢に転じるのが早すぎます」
なにやら悪の黒幕的な会話を交わしながら、差しで向かい合って煎餅をぼりぼりとかじる月の民二人。
「劣勢と言ってもまだうちが下なのでしょう。落ちてくれるのはありがたいんじゃなくて」
「そうでもないんですよ。八雲の得点の二割程度は、属国による加算分ですから。本国の国力だけなら我々と並んでしまっています」
音も立てず器用にお茶をすすり、輝夜はほおづえをついた。目の前の鉢が空になってしまったので指先でこんこんと卓を叩く。すぐに丁稚の妖怪兎が代えの煎餅を持ってくる。
「あまり早くかたがついてしまうと、あの吸血鬼が大きくなりすぎるというわけね」
「ええ。おかげでこちらも計画を修正しないといけなくなりました。一度動き出してからの速度が全てを決める戦いになります」
「その疾きこと風の如し、って?」
「まさしく。今は風林火山の『林』と『山』の段ですが、いずれ風火の時が来ます。永遠の沈黙を破って、須臾の間に全てを掠め取るのです」
淡々と永琳が語ると、輝夜は手を止めて不機嫌顔になる。
「その手の講義なら月に帰ってしなさい」
「あの二人にさんざんしましたよ」
「もう。とにかくさっさと終わらせましょ……私は何もしたくないけど。見ていてはあげる」
再び画面を操作しだした永琳を横目に、まだ少しいらだった口調で輝夜は言った。永琳は顔を上げ、わずかに笑みを浮かべる。
「ウドンゲですか?」
は? と輝夜は問い返す。永琳の笑みは変わらない。
「結局、八雲の式に借りを作ることになって。本当に未熟者。あれはわざとお仕置きされたがっているんでしょうか」
輝夜ははっきりと怒り顔になり、どんと卓を叩く。
「さすがにやり過ぎじゃない? 昨日なんか壊れかけてたわよ」
昨夜、ゲームを一時中断したあとのことだ。意識が戻ってもまだ記憶の混濁していた鈴仙は、泣きじゃくりながら必死に誰かに許しを請うていた。しばらく輝夜が抱きしめてあげていたら正気に戻ったのだが。
「限界は把握してますって」
「そういう問題じゃなくて」
真剣な瞳で見つめられる永琳。姫はたいそうご立腹のご様子だ。
「……あの子は逃げた。期待されていたのに、必要とされていたのに、ただ個人的感情によって故郷を捨てた。誰も責めたりはしませんけどね。本人が一番自分を責めています」
「だったら、もっと優しく……」
輝夜が口ごもったのを確認して、永琳は続ける。
「だからといって、ここを逃亡者が傷を舐めあう場所にしたくはありません。常に試練を与え続けなければ、あの依存心の強い性格は直りませんよ」
輝夜はへの字口になって再び煎餅をぽりぽりとかじる。もう一口お茶を飲んだあと、顔を上げた。
「永琳の弟子なんだから好きにしたらいいけど。でも絶対自分の趣味が混じってるでしょ」
「私の愛の鞭の一割は、優しさでできています――」
残る九割は個人的な嗜好らしい。
「なんにせよ、今回の失態については然るべき制裁を加えます。決定事項です。どんなお仕置きがいいかしらねえ……」
わざとらしくにたにたと笑いながら軽く身をよじる永琳。やっぱり趣味が悪い、と輝夜はぼやく。
そんなの言えた義理ではないのでは? と永琳は言いたかったが、口に出したらまたこじれるのでやめておいた。同じ竹林に住んでいる、あの宿敵なんだか親友なんだかよくわからない少女を陥れる算段をしているときの輝夜だって、お世辞にも趣味がいいとは言えないのだが。
輝夜はそれ以上何も言わず、ぼうっとして外の景色を眺めだした。なんだかんだ言っても、こうして二人で無為に時を過ごしているときが一番落ち着くようだ。結局この話題についてはこれきりになった。
橙は楽しくなかった。まるで楽しくなかった。
「あー、ついに破られたね。防衛線を突破された」
「どのくらい持ちますか」
「よくて3ターン。さすがにここを落とされたら諦めるしかないよ」
守矢文明の一大生産拠点、第一分社。現有する全ユニットの実に七割がこの都市で生産されている。このゲームの細かいルールが未だ飲み込めていない橙だが、そこを魔法の森軍に取られてしまったら完全にお手上げだというぐらいはわかる。いまや自分のお代官様の地位も風前の灯火。いや、そんなことはどうでもよくて。
「ああっ。紫様ぁ……」
メッセージ欄に、またひとつ八雲の都市が落ちたとの表示が出た。これで四つめだ。
「まだか。粘るね紫も、石油ないわりに」
橙の耳がぴくりと動く。
「石油……それがあれば、紫様も反撃に出られるんだよね。今すぐ差し出しましょう!」
諏訪子が腕組みして答える。
「馬鹿言わないで、それじゃうちが終わる。紫だってもらえるものなら欲しいだろうけどね、そんなの私が飲むわけないとわかってるから要求してこないの」
属国といっても、決して心から宗主国に服従しているわけではない。より大きな脅威から身を守るために雨宿りしているだけ。
早苗が諏訪子のそばまでよってきて、そっと耳打ちする。
「あの、現状で八雲に従うメリットって、うちにありますか」
「まるでないわね。でも一度結んだ属国協定は、自分から破棄できないから」
こちらも橙に聞こえないようにこっそり答えた。
ターン経過。先ほど要塞防衛ラインを突破した魔法の森軍が、一斉に守矢都市に隣接する。
「さ、休憩タイムよ」
「休憩?」
「なんにもすることないから、このターンは」
そう言っている目の前で、戦闘機が次々と襲いかかってくる。防空部隊がフル出動するが、帰還できたユニットは半数以下だった。
「なんで、こうなっちゃったの」
うつむいたまま橙がつぶやく。ん? と諏訪子に聞き返されて顔を上げた。
「紫様も、諏訪子様も、この遊びが得意だったんじゃないんですか? その二人が手を組んで、なんでここまで追い詰められちゃうんですか」
諏訪子は軽くうなったあと、言葉を絞り出す。
「慢心、してたのかな。小手先の技では私らが有利だったけど、味方を増やす努力を怠っていたのかも。おかげで今じゃすっかり世界の敵だよ」
橙は大きく目を開く。
「世界の敵? じゃあ紫様は悪の軍団だって言うんですか。私たちを付け狙ってる奴らが、裏切って尻馬に乗ってる奴らが正義の味方だって言うんですか」
後ろ髪を逆立たせて橙が怒りをあらわにする。どうどう、と言って早苗が背中を軽く叩くが、落ち着く様子はない。
「善悪だなんて相対的なものよ。世の中にはワルモノが必要なの。どこの誰でもいいから、嫌われ者をみんなの敵だってことにして、それをよってたかっていじめれば世界の平和が守られたことになる」
橙はどんどんとテーブルを叩く。早苗はその握り拳にそっと手を乗せた。
「諏訪子様。そのお考えには賛成できません」
一度驚いた顔になったあと、薄目になる諏訪子。
「言うねえ早苗。嬉しいよ。今のは、このゲームではそういう戦略が有効だっていう話。もしかしたら現実でも、だけど」
よっこいせ、と言って諏訪子は席を立つ。
「ちょっとお手洗い。今のうちにね」
まだ納得できていなさげな二人に背を向け、彼女は部屋を出た。
次のターン。開始と同時に魔法の森砲兵隊が火を噴く。第一分社の都市防御は瞬時にゼロパーセントまで削り取られた。
「来た来た。次で総攻撃だね。その前に……」
所用を済ませて戻ってきた諏訪子は、最後の爆撃機部隊をまとめて発進させた。しかし空爆を行う前に次々と敵戦闘機に撃墜される。
「あら?」
「勝てっこないのはわかってる。ちょっとでもむこうのヒットポイントを削りたいだけ」
もはや制空権を奪われてしまった現状では、攻撃専門の爆撃機など無用の長物。だからこその悪あがき。ついでに都市に残された雑多なユニットもどんどん敵部隊にくべていく。
「機関銃と戦車以外はもういらない。どうせ巻き添えダメージ食らっちゃうし」
すっかりむつくれてしまった橙を膝に抱いて、早苗は悲痛な表情になる。
「あの。ごめなさい諏訪子様、ここまでして戦う意味って、もう……」
「たぶん無意味。きっと無駄な努力。次のターンは持つかもしれないけど、次の次には確実に落ちる」
そうまでして粘る理由がわからないが、きっと最後まで勝負を投げたくないのだろう、それがこのゲームに対する諏訪子なりの礼儀なのだろうと早苗は解釈した。
ターン経過。
まずは敵航空部隊によって、守矢の戦闘機はきっちり全滅した。次に対ユニット砲撃を受けて守矢戦車隊もほぼ壊滅。続いて突入してきた魔法の森戦車隊によって機関銃兵の一部が蹴散らされた。そして歩兵による一斉攻撃。
「終わっ……てない。耐えた!」
激しい殲滅戦ののち、都市には傷ついた機関銃兵がわずかに残されていた。攻撃側の戦力も半分以下になっていたが、すぐさま後方から増援が来る。
「お疲れ様でした」
「いやお疲れじゃなくて。早苗も祈ってちょうだい」
「はい?」
じっと画面を見つめて、諏訪子はささやく。
「どうか奇跡が起きますようにって。得意分野でしょ」
やや間を置いて、またひとつ八雲の都市が落ちたというメッセージが表示された。そして同時に。
<守矢文明は八雲文明の保護を離れ、独立国となりました>
「来たこれ」
「あれ。どうしたんです」
諏訪子はにんまり笑ってこのメッセージを指さす。
「宗主国ってのは、属国より明らかに強くないといけないの。八雲はこの戦いで領土を失いすぎた。うちを支配できるほどのパワーがもうなくなったと判定されちゃったのよ。ルール的に」
そう説明してから、諏訪子は交渉ウィンドウを開く。相手先はレミリア・スカーレット。
「これはこれはスカーレット書記長。このたびの御快勝まことにおめでとうございます」
もみ手をしながら芝居がかった口調で言う諏訪子に、レミリアはしかめっ面になる。
「私は忙しいの。くだらない用件ならさっさと消えなさい」
「いやいや、耳寄りなお話でございます。このたび我々も八雲の配下を離れたことですし、つきましては――」
独立国に戻ったことで、守矢は再び戦時交渉権を取り戻した。諏訪子は『降伏』を交渉テーブルに乗せる。
「我が守矢文明を、偉大なる紅魔連邦に加えていただけないでしょうか」
今にもウィンドウを閉じようとしていたレミリアの手が止まる。彼女は一瞬だけ眉を動かし、くっくっと含み笑いを漏らした。
「そういうこと。ふふっ、初めからそう素直に出ておけばよかったのよ」
<守矢文明は抵抗を諦め、紅魔文明の属国となりました>
停戦交渉成立。終戦の角笛が響き、魔法の森軍は一気に守矢領土からはじき出された。
「……やられた。まさか、こんなタイミングで」
「おい、どうなった」
呆然とするアリスの肩を魔理沙が叩く。
「またしても横槍よ。今度はレミリア」
うへえっ、と魔理沙はうめく。アリスはまだ放心状態でつぶやく。
「なんたる土下座外交……困ったわ、本気でまずい」
「そう深刻になることか? どうせ奴らはボロボロだろ、もう一回攻めればいいさ」
「だからよくないって!」
思わず叫んだアリスに魔理沙はむっとなる。
「そんな言い方ないだろ」
「ごめん。でもまずい。宇宙に行くつもりだった紫と違って、レミリアは本気で世界を制覇するつもりよ。属国の領土も勝利条件にカウントされる。いまの守矢を攻めたら、レミリアの次のターゲットが私たちになってしまうわ」
そう聞いて魔理沙の表情も硬くなった。
「ああ、うん。奴を敵に回すのは危険すぎるな。どうすんだ」
「いまの領土で宇宙を目指すしかないわ。八雲が落ちてくれたぶん、まだチャンスはあるかも」
<博麗文明と八雲文明が和平を結びました>
ふう、と紫は息をつく。悪夢の紅魔バチカン決議が期限切れとなったのち、いくつか技術を与えたら霊夢は兵を引いてくれた。すでに八雲文明は兵と都市の半分以上を失い、スコアは第六位にまで落ちている。
「宇宙は遠くなったけど、やるしかないか。次はあいつ」
言っている途中で、無意識に口に出していたことに気がつき口を閉じた。ひとりごとが増えるのは齢のせいか……いやいや、単に疲労が原因だからと思い直し、回線を開く。
「おっと。ちょうどいまさっき、あなたを亡き者にする算段をしていたところよ」
誇らしげに笑うレミリアに対し、はっ、と紫は息を吐く。
「あのねえ。何も獲物はうちばかりじゃないでしょう。降参よ、もう仕舞いにしましょう」
ひくひくとレミリアの頬が動くが、紫は気にせず続ける。
「なんなら、そちらの属国になってあげてもいいわ」
レミリアはちっと舌を鳴らし、牙を剥く。
「なってあげてもいい? 何様だ。願い下げだ」
「ちょっと、冷静に」
冷静に考えて、もはやレミリアの覇道は止められそうにない。ならばその下について身の安全を図る方が得策だ。むこうにしても八雲の最新技術が欲しいはず、この停戦には乗った方が得なはずであると紫は考える。
「そうね、冷静に考えてみると……あなたはとても信用できない。ここで潰しておくのが得策」
「だから、ねえ」
「うるさい。紅魔国民は八雲紫を血祭りに上げることを望んでいるわ」
「国民って、あなたと咲夜だけでしょうに」
乗り乗りのレミリアに、ついうっかり突っ込みを入れてしまった。彼女は何度かまばたきしてから顔を真っ赤にして怒鳴る。
「き、気分の問題よ、別にいいでしょっ。言ったはず、貴公の首は柱に吊されるべき。死ぬがよい!」
一方的に通信を切られて紫はしばし呆然とする。いったい自分はどこで何を間違ったというのか。小さな判断ミスはいくつかあったといえど、これほどまでに苦境に陥らねばならない理由がわからなかった。
とはいえ、ここでぼやっとしていられない。残る交渉相手はあと一人。正直に言って顔をあわせたくはなかった。あの手ひどい裏切りを思い出すと、怒りと悲しみの入り交じった感情で胸が締め付けられる。とはいえ。
「幽々子、話があるの。聞いてちょうだい」
画面のむこうの幽々子の表情に、紫はなんとなしの違和感を感じ取った。やや横目の上目遣いで自分を見つめているだけなのだが。
「もう気は済んだのでしょう。今までのことは全部許すわ。そろそろ私の味方に戻ってきて」
幽々子は答えず、ただ不吉に微笑んだだけだった。
「聞いているの? あなたは私を困らせてみたかった。驚かせて、怒らせてみたかった、それだけだったんでしょ。これ以上続ける必要なんてないじゃない」
言いながら動悸が速まるのを感じた。今の彼女の表情、どこかで見たことがある。だが思い出せない。いや違う、自分の理性の一部がその記憶の復元を拒否している。
「本当に強がりね。それでこそ紫なのだけど。可愛らしいわ、大好きよ」
陰湿な色情を帯びた、ねっとりとした視線が絡みついてくる。そして紫は理解してしまった。
ここにいるのは、いつもの子供じみたわがままで庭師を困らせてみたり、たまに含蓄深いことを言って庭師を感心させてみたりする西行寺幽々子ではない。まるで、そう……あのころの彼女だ。気まぐれに力を振りかざして、面白半分に人の命を奪っては陰気に笑っていた時代の幽々子だ。
「私ね、どうしても見てみたいの」
「やめなさい。正気に戻りなさい」
何をもって正気と呼ぶのか。死してなお冥界に縛られ、頑固親父を絵に描いたようなお目付役と、真面目で一本気な妹分との隠居暮らしを数百年ものあいだ強いられて、いつしか枯れ切ってしまったような性格のことを『正気』と呼ぶべきものなのか。そう紫は自問する。
彼女をこの遊びに誘ったのは失敗だった。たかが仮想世界の、たかがゲーム上のデータとはいえ、すでに百万を超える将兵が戦場に散っている。その濃密な死の香りが、封印されてきた幽々子の魔性を呼び覚ましてしまったのかもしれない。
「いつだって素敵な私の紫が、逆らえない暴力でめちゃくちゃにされちゃう所が見てみたいの。だからお願い、私のために陵辱されて。そして無残に死んでちょうだい」
「裏切り者、裏切り者!」
守矢家の居間でも、先ほどから修羅場が続いていた。
「なんとでも言ったら? さあて、生意気な元お代官様をどう料理してあげようか。ここから先は年齢制限付きのゲームになるよ」
両手の指をうごめかせながら言う諏訪子に対して、早苗はあきれ顔になる。
「その手のゲームは没収です。というかちょっと落ち着いて、橙」
「触んないでっ」
さしのべられた手を橙はばしりと振り払った。早苗が表情を曇らせるとすぐおとなしくなる。
「あ、ごめ……だけど、だけど」
涙ぐむ橙の肩に、背後からどんと手が置かれる。彼女はおびえた顔で振り向いた。
「何を騒いでいるの。もうすぐ晩御飯よ、あんたも食べていきなさい」
菜箸を片手に持ったままの神奈子が、少し怒った顔で立っていた。
「あ、すいません神奈子様、お手伝いできなくて」
「いいから。それよりゲームで喧嘩なんてよしなさいよみっともない。いったいなんなの」
感覚を半分だけ現実側に切り替えた諏訪子が、神奈子の顔を見上げる。
「ああ。紫がもうリタイア寸前だからレミリアにつくことにしたの。それで橙が怒っちゃって」
「あれま。優勝に一番近いんじゃなかったっけ、八雲殿」
「それが大荒れの展開でね。どう転ぶか私にもわかんないよこれ」
ふうんとさして興味もなさげに答えて、神奈子は橙の頭をなでる。
「だいぶ熱くなってるようだけど、ハレの日のいさかいをケの日にまで持ち込むものじゃないわよ。そりゃあ勝負は勝つに越したことはないけど――負けてもらっちゃあ困るけど、それでかえって損してたら馬鹿みたいじゃないの」
「そだね。私は自重してるほうだと思うけど。どうにも止まんなくなっちゃった人たちが……おや?」
何か言いかけた途中で諏訪子は言葉を止めた。目の前に交渉ウィンドウが開いたためだ。
「紫様っ!」
橙と早苗もあらぬ方向を見つめて驚いているのを見て、神奈子は首をすくめて厨房へ去っていった。
「ごきげんよう、橙、皆さん。これが最後の通信になるわ」
橙は両目を見開き、画面ににじり寄る。
「最後? なんのことですか」
「遅くとも10ターン以内に八雲文明は滅亡します。これはほぼ決定条項、逃れようがないわ」
そう聞いて諏訪子は首をひねる。
「どうしちゃったの。博麗以外とは講和できなかったの」
「あいつら、私を滅ぼすことしか眼中にないわ。そうはっきり告げられたもの」
背筋を伸ばしてわずかに微笑み、澄ましてそう語る紫。だがその瞳に力はなく、ありありと絶望の色が浮かんでいるのが三人には見て取れた。
「どうして、紫様、どうして」
「ちゃんと頭下げた? ごめんもう許してって言った?」
痛い所を突かれて、紫は口を閉ざす。這いつくばって、なんでもするから助けてくれと命乞いしていたなら、あの二人の態度も違っていた可能性は高い。だとしても。
「できるわけないでしょ! 私が、この八雲紫がそんな無様な真似できるわけ、できるわけ……」
いきなり大声を出したかと思うとすぐ視線を落とし、握り拳を震わせて紫は何度もつぶやく。ずいぶん余裕がないなあ、という感想を諏訪子と早苗は同時に抱いた。
「だったら……」
橙はまっすぐに紫の瞳を見つめる。
「だったら私が頭を下げます。紫様の代わりに土下座して、助けてくださいってお願いしてきます」
目を丸くする紫の目の前で、橙は『これどうするの?』と早苗に画面操作を質問している。
「やめなさい。あなたが言ったって聞く耳持つ相手じゃないわ。もういいのよ」
「よくありません!」
こちらも突然の叫びに、紫はぎょっとした顔になる。
「ごめんなさい。でも、よくなんかありません。私がなに言ったって誰も聞かないかもしれないけど。でも今ちょっとでも紫様のお役に立てるんなら、できることはなんでもしたいんです。最後まで諦めたくないんです」
橙は発言の途中でどんどん涙声になり、最後のほうはよく聞き取れないほどだった。それでも涙をいっぱいにためて、紫から目を背けずに言い切った。
紫は自分の口元を押さえ、身を震わせている。そしてぱっと扇を開いて自分の顔を隠し、その影で何度か深呼吸した。やがて扇が取り払われたとき、彼女は笑っていた。
「ありがとう、橙。でも駄目よ、私には私の意地があるの。今はわがままを言わせてちょうだい、お願い」
橙は唇を固く結んでいる。納得はできないけれど、主の主に『お願い』とまで言われてはもう言い返せない。
「つっても、そこまで追い詰められてなにができるの」
「これ以上、あいつらのサディスティックな願望を満たしてやるつもりはありません。ただのあてつけだとはわかっているけど……私自身の命をもって、この戦を終わらせます」
びくっとして橙が顔を上げる。その隣で早苗は引きつった表情になっている。
「命って、そんな大げさな」
「うるさいわ。滅びの美学にひたらせてちょうだい」
紫はメインメニューを開き、『リタイア』を選択した。<本当にリタイアしますか?>との小さなウィンドウが表示される。
「強くなったわね……いえ、あなたは元から強かった、それにやっと私が気づいただけなのかしら」
「なんのこと、紫様」
「橙、もう一つだけお願いがあるの」
優しく告げる紫に、橙は何度もうなづく。
「私や、藍のような者になることのみを目指しては駄目よ。あなたにはあなただけの輝きがあるのだから。いつでも見守っているわ。さようなら、私たちの、可愛い橙」
言い終わると同時に、紫は『はい』のボタンを押し込む。橙から見える通信画面は激しいノイズに覆い隠され、ぶつりと音をたてて閉じられた。
「紫、様? ゆかりしゃまぁ!」
<八雲紫がリタイアしました>
<八雲文明は滅亡しました>
言葉にならないうめき声を盛大にあげて、紫は仰向けに寝転がった。どうせ誰の目もありはしない。
指導者を失った元八雲都市は、以後『蛮族』の扱いとなる。この状態でも観戦やチャットなら可能なのだけど、そんなのはもうどうでもよかった。
「ああもう、嫌い。もういやよ、ゲームなんて大っ嫌い!」
恥も外聞もなくわめき散らし、ごろんとうつぶせになる紫。いままで気力で押さえ込んでいた疲労と眠気が猛烈に襲いかかってきた。今日一日ずっと敷きっぱなしだった布団のほうまでなんとか匍匐前進して潜り込み、枕を濡らす。それきり彼女の意識は遠のいた。
「あらまあ、一人脱落ね」
「さすがに追い込みすぎましたか。それより姫様、いまよりほかに好機はありません。動きますよ」
輝夜はうなずき、通信先を決定する。月人たちに再近隣の文明である、冥界文明に。
「ごきげんよう、幽霊さん……なあに、そのしみったれた顔は」
幽々子はうつむいたまま目を合わせようとしなかった。代わりに妖夢が答える。
「すみません、先ほどまで取り込み中で。して、いかなるご用で」
「ええとね。皆さんとっても盛り上がってるから、私たちも混ぜてもらえないかしらって」
はあ、と素っ気なく答える妖夢。さすがに幽々子は状況を飲み込めたようで、はっとして顔を上げる。輝夜はこほんと咳払いした。
「西行寺幽々子、並びに魂魄妖夢。貴公らの首は柱に吊されるのがお似合いよ」
<月人文明が冥界文明に宣戦布告しました>
冥界文明はきわめて重大な戦略ミスを犯していた。航空戦力の増強に固執するあまり、海上戦力がまるで整っていない。これまではそれでまったく問題なかった。この世界において、大規模な海上戦を想定して軍備を整えている勢力などなかったのだから――月人文明を除いては。
彼女らに対してもっと諜報力を割り振っておけば、ここ十数ターンのうちに月人文明の軍事力が猛烈な勢いで伸びていたことを確認できたはずだった。急いで駆逐艦隊を結成して海上に監視ラインを構築しておけば、月人軍の大艦隊が冥界領に接近中であることが事前にわかったはず。ぎりぎりまで引き寄せておいてから開戦すれば、航空部隊と連携して爆撃・雷撃の嵐を叩き込むことも可能だった。
紫との関係が決裂していなければ、事前にそういったアドバイスがもらえたことだろう。だがもう全てが手遅れ。
月人軍の駆逐艦隊が分散して、冥界文明の複数の港町に次々と隣接。海上砲撃によって都市防御を一気に削り落とす。潜水艦隊が一斉に浮上して、搭載された弾道ミサイルを全弾発射、格納庫を空にするまで打撃を加える。最後に輸送艦隊が接岸し、海兵隊による上陸攻撃。
わずか1ターン。現実時間にして二分程度のうちに、三つもの都市が月人文明の手に落ちた。
「なに、が。いったい何が。幽々子様、ご指示を。幽々子様」
何度か名を呼ばれて、やっと幽々子は妖夢のほうを見る。だがその瞳はうつろで精気が感じられない。
「ああ、うん。なんとかして」
「なんとかって……やってみますけど」
といっても、冥界軍の主力は対八雲戦線に向かっていた。西へ呼び戻すのに2、3ターンはかかる。
同ターン、先ほど落とされた港町のひとつで、月人文明所属の大芸術家ユニットが消費された。即座に都市反乱が収まり、文化圏が確保される。そして次ターン、大量の資金を消費して都市に『空港』が緊急建造された。月人軍のジェット戦闘機が着陸し、弾道ミサイルと戦闘ヘリが空輸されてくる。
<守矢文明がブロードウェイを完成させました>
「よし、っと。三点セットその一、完成」
「ブロードウェイって、あのニューヨークのブロードウェイですか?」
そう、と諏訪子がうなずくと、早苗は微妙な顔になる。
「それが世界遺産って……すごく違和感が」
「まあアメリカ人の作ったゲームだし、お国びいきは仕方がないよ。それにしてもとうとう出張ってきたね、月の連中」
早苗は少し黙り、考え込む。
「本当に戦争ばかりですね、この惑星」
「ん? 現実の歴史だって似たようなものじゃない。この程度ならおとなしいほうよ」
と言って諏訪子はちらりとあたりを見回す。橙の姿はない。八雲滅亡後しばらくは落ち込んでいた彼女だが、やっぱり人手が足りないからと神奈子に台所に引っ張られていった。気分転換として配膳を手伝うのも悪くなかろう。
「というかさ、一歩間違ったらこっちが獲物になっていたわよ。橙には悪いけど、紫が脱落してくれて助かった」
永琳と交わした昨日の口約束。彼女は律儀にもそれを守って、みるからに最弱勢力の守矢をしばらくは攻めないでいてくれた。しかし中央大陸が八雲と紅魔に二分されたままであれば、いずれ月人は手薄な東方大陸を奪いに来たことだろう。
ところが八雲があっさり落ちてしまった。放っておいたら誰にも紅魔を止められなくなる。それで月人は、八雲のいたポジションを奪うべく冥界に兵を出すしかなかったのだろう――そう諏訪子は推測した。
「はあ。それで私たちは、ミュージカルを観て浮かれ三昧と」
「ふふん。遺産祭りはこんなものじゃ終わらないよ」
守矢文明の領有するたったの三都市、現在その全てで世界遺産が建造中であった。
「――ロックンロール、ハリウッド、そしてエッフェル塔。みんなそろえば文化出力が半端じゃなくなる。全世界に守矢文化を輸出してやるわよ」
「はあ。もはやがんばってくださいとしか。でもちょっとこれ、兵隊さんが足りなくないですか。また攻められたら今度こそ……」
「大丈夫、手は打っといた」
しばらくして後、紅魔軍のガレオン・フリゲート船団が守矢神社に入港した。ライフル兵やらカノン砲やらといった旧式ユニットが満載されたその船団が、船ごと守矢文明に寄贈される。
「来た来た。咲夜にね、いらないユニットくれって言っておいたの。よそ様に国防まかせっきりの平和主義国家だからね、うちは。軍事力は恵んでもらうのが一番」
夜闇に包まれた紅魔館。今夜は私室で食事を取ったレミリアは腕を組んで深く椅子に腰掛け、うつらうつらとしている。連日の昼ふかしのせいで睡眠不足だったらしい。咲夜はさっきから、ターン開始と同時に素早く操作を済ませて、あとはじっと主人の寝顔を見つめ、またターン開始とともにゲーム操作して……というサイクルを繰り返している。
本当のところは、いきなり『わっ!』と大声で叫んでみたり、レミリアの耳にふっと息を吹きかけてみたりしたいのだけど、絶対に激怒するだろうから自重している。
「おいーっす!」
「わひゃっ」
唐突に二人の目の前で画面が開き、遠慮なしの大声で呼びかけられた。驚いて跳ね起きたレミリアは椅子からずり落ちかけている。ナイス、と心で声援を送る咲夜。
「どう、飲んでる? れみ、りあ、うー!」
レミリアは無言で画面のむこうの子鬼をひっかいた。当然ながら、なんの手応えもなくすり抜けてしまう。あははは、っともう一つ笑い声がした。
「いきなりおっきい声出すのやめなさいって。寝てたみたいよ」
「なにをー。宴会中に寝るとは不届きなやつめー。にゃははは」
やや頬を赤らめた霊夢と、すでにべろんべろんに酔っぱらっている萃香がそこにいた。レミリアは怒りの形相で、ぶつりとウィンドウをクローズした。だがまたすぐに開かれる。
「ごめんごめん。あ、ちょっと、抱きつくなって」
しつこく過剰なスキンシップを試みてくる萃香を足蹴にしながら、霊夢は謝る。
「なんなの。つまらない話だったら怒るわよ。あんたたちが実害をこうむる怒りかたをするわよ」
「えっとね。ビリの奴が確定したことだし、うちもあんたの属国にしてもらおうかと思って」
レミリアは眉をひそめる。
「いいけど。ずいぶんとやる気がないのね」
日を改めて再開してから、霊夢がすっかり戦意を失ってしまったかに見えることがレミリアを不満にさせていた。本当は彼女とも本気で戦ってみたかったのだが。
「そうかな。私なりに最善は尽くしてきたつもりだけど」
まるで納得できないという顔のレミリアに対して、霊夢は軽く杯をあおってから説明する。
「今回の取り決めだとさあ、トップとビリ以外はみんないっしょじゃない。しかも途中からあんたがやたら伸ばしてきて、こりゃトップはないわーって思ってね。紫には悪かったけど叩き落してやったから、あとはさっさとあんたを一番にするのが私の最善手よ」
レミリアはやや考えたあと、フンと鼻をならして『属国』を博麗側の交渉テーブルに乗せる。
「じゃあいいわ、今回はそれで。いずれ別の形で決着をつけましょう」
咲夜は思った。永琳が自分たちを強力に支援した理由は、八雲の封じ込めだけが目的ではなかったのかも、と。霊夢を早期に勝負から下りさせることで、この未知数きわまる女を立ち回らせないようにしたいと、そのような意図があったのかもしれない。
<博麗文明は紅魔文明の属国となりました>
「それにしても、勝負中に宴会とはいい身分ね」
「本当は紫と残念会でもしたかったんだけど。いくら呼んでも返事がなくて、あれはふて寝してるわね」
自分から最下位に叩き落としておいて残念会もないものだが、そこら辺をあまり根に持つ気にさせないのが博麗霊夢の人柄だった。
「さっさとけりをつけたら、私もそっちに行くわ。じゃあ」
「じゃ」
通信終了後、レミリアは居住まいを正して咲夜に尋ねる。
「現状は」
「はっ。先ほど博麗を従えたことで、勝利条件達成まであとわずかとなりました」
いつのまにか手元に用意されていた冷水を飲みながら、レミリアは足組みする。
「そのわずかな領土、どこから得るかよね」
「ええ。旧八雲領の切り取りは順調ですが、それだけでは届きません」
「魔理沙たちも手下にする、とか」
「飲まないでしょうね、我々のトップ確定など」
「じゃあ冥界。そういえばあっちの戦は……」
言いながらマップを眺め、レミリアは絶句した。これまでの冥界領の、過半がすでに月人軍の手に落ちている。
「なにが起きたの。すごいペースじゃない」
「要因は複数ありますね。第一に、冥界文明は戦闘国家ではなかった。兵の絶対数が不足しています。一度防戦に回るともろいようです。第二にユニットの質、特にジェット戦闘機の有無です。制空権が取れなければ厳しいのはご存じの通りですし、旧式の戦闘機ではどうあがいてもジェット機に勝てません。第三に、戦術の切れに欠けています。戦略段階で、どう攻められたらどう守るというビジョンが明確ではなかったのでしょう。あえて勝率の低い戦闘を強いられる場面が目立ちました」
咲夜の、この立て板に水のごとき解説を適当に聞き流してレミリアは問う。
「ならばいまこそ冥界を従えるべきじゃないの」
「そんなのお構いなしに押してきますよ、月の連中は。正直に申しまして、いまあちらと事を構えたくはありません。兵力を無駄に消耗する恐れが大です」
レミリアはしばし熟考した。したけどやはりいいアイデアが浮かんでこないので、例によって咲夜にふってみた。
「どう攻める」
「本土決戦は非効率ですわ。あちらは宇宙を目指すでしょうから、どうしても技術では遅れを取ります」
咲夜はあえて全てを語らず、主人の次なる言葉を待った。
「となると、海のむこうか。押し切れるものかしら」
「ご安心くださいお嬢様。我々はまもなく手に入れます。全てを破壊する、究極かつ禁断の力を……」
そのころ妖夢は頭を抱えていた。
あまりにも一方的な展開だった。
そうとう作り貯めたはずの戦闘機部隊もすでに残りわずか。出撃しても落とされるだけなので待機中だ。あわててジェット戦闘機の前提技術を研究しだしたものの、研究が進む速度より都市を落とされて研究力の落ちるペースのほうが早い。おかげで、時間が経つほどに完成予想ターンが延びていくというおかしなことになっている。
とにかく際限なく続く爆撃の雨には閉口させられる。弱りきった都市に戦闘ヘリと戦車の群れが襲いかかり、あっという間に踏み潰される。
迎撃部隊を出そうにも、対空歩兵では戦車に勝てず、対戦車歩兵ではヘリコプターに勝てない。とはいえぐずぐずしているとまた爆撃を受けてしまう。思い切って特攻させてみるも、まるで通用せず屍ばかりが積まれていく。
「申し上げにくいのですが、幽々子様」
「……ん?」
八雲が滅んで以来、ずっと幽々子はこの調子だ。微動だにせず正座して無関心な瞳でゲーム画面を凝視している。妖夢に呼ばれでもしない限り反応はない。
「しっかりしてください! 申し上げにくいのですが、もはや抵抗は無意味かと存じます」
「そう。ではもう気が済んだのね、妖夢」
まなじりを吊り上げて主を見つめていた妖夢が、目を伏せてわずかにため息をつく。
「やっぱり、もうやる気なかったんですね」
「まあ、ね。でもろくに抵抗もしないで降参なんて納得しないでしょ」
「ええ、まあ」
こちらもすっかり戦意を失った調子で答える妖夢に、幽々子はうつろなまなざしを向ける。
「紫あっての私たちだったものね」
しばらく長い沈黙ののち、ターンが経過した。また月人軍の猛攻が始まる中、妖夢は問う。
「はじめから紫様をたばかるおつもりだったのですか。それともゲームを始めてからの思いつきで……」
「あなたに言わなくちゃいけないの?」
じろりとにらまれて妖夢は恐縮した。
「すみません、出過ぎたことを……」
眉をひそめ、幽々子は愚痴めいた口調でさらに言う。
「だいたい妖夢がいけないのよ。みんな妖夢のせいよ」
「そんなっ」
わけもわからず責められて妖夢は身をこわばらせた。口をもごもごと動かすが、何も言葉が出てこない。両目にじわりと涙が浮かんだ。
「なんてね。ちょっと、そんな顔しないの。いまのは怒ってもいいところよ」
やっと笑顔を見せた幽々子は、いたずらめいた視線で庭師を見る。
「もう、どうして私のせいに……」
怒っていいとは言われても、主に向かって堂々と非難などできない。だが彼女の行動に不可解な点が多かったのも事実。これ以上問い正すべきか否かで妖夢が迷っていると、幽々子はぽつぽつと語り出した。
「ふとね、思ってしまったの。妖夢はいつでも私のそばにいてくれて、それで私、けっこう満足しているのだけど。じゃああなた以外の全てを失ったとしたら、どんな気分になるのかしらね、って」
唖然として妖夢は主の横顔を見つめる。
「それで、紫様を……最も大切なご友人を、破滅に追いやったと」
「そう。私が彼女を死に誘ってしまった、もう決して戻っては来ない。そう思ってみたら……だめね、胸の中に大きな穴が開いたみたいで、元から亡霊のくせにもっと空っぽになってしまって。もう成仏しちゃおっかな」
「いや困りますよ。やめてください妙な実験は」
ひきつった笑みで抗議する妖夢を横目でちらりと見て、幽々子は膝もとにおかれた小瓶を手に取った。このゲームを始める前に鈴仙から渡された、永琳特製、幻覚破りの目薬。それを妖夢に手渡す。
「最期までわがままな主人でごめんなさい。妖夢、あなただけでも脱出して」
「え、はい?」
悲痛に訴えかけるような表情の幽々子に、妖夢は当惑する。
「ノリが悪いわね」
「ううっ。し、しかし、主人をおいて私だけ逃げるなど!」
突然始まった小芝居に、妖夢はやや堅い演技で応えた。幽々子はゆっくりと首を横に振る。
「こんな先の見えた戦などより、もっと大事な使命があなたにはあるのよ」
「私の、使命……」
表面上は真剣な眼差しになって、二人は見つめあう。
「もうおなかぺこぺこ。お願い、私たちの……おゆはんを」
「おゆはん、ですね。必ずや」
その言葉を聞いて満足げな笑顔を見せたあと、幽々子は後ろへ振り向き肩を震わせた。ここで吹き出してしまったら台無しだ。妖夢はさっさと目薬をさし、ぱちぱちとまばたきしている。
「紫、ごめんね、罪深い私を許して。もうじきそちらに行くわ……妖夢、達者で暮らすのよ……さよなら」
「幽々子様ーっ!」
こらえきれずにあふれる大粒の涙――にしてはかなり毒々しい色の液体を両目からこぼして、妖夢は力の限り主の名を呼んでみたのだった。
さて、後編読んできます
ドSゆゆさま……イイ!
続きwktk
まさかこんな展開になるとは。
橙がかわいすぐるでしょう?
諏訪子様頑張れ、超頑張れ。対人戦で文化勝利はロマン(キリッ
日本、どうなる。
しぶとく立ち回る守矢勢の今後が楽しみです。