「多くの同胞が食卓で耐えがたい辱めを受けるこの日をはたして見過ごしてよいものか、という天啓が突如私の頭上に舞い降りました」
その日、射名丸文は部下とのコミュニケーションにバターを使うべきか考えていた。
しかし、彼女の二足が柔らかな雪を何度か踏み固めたところで、ご馳走を前にしたときの唾液のように口内に輝かしい言葉が湧き出るのを感じ、躊躇なくそれらを吐き出した。
「よって、ここにクリスマス撲滅の会を発足します」
「おー」
「おー」
空とミスティアが即座に賛同の声をあげる。
彼女たちが同族の唐突な提案に同意したのは、鳥類たる誇りによるものではなく、自身の持て余していた時間をささやかな楽しみで埋められるのではという期待からであった。
二人の体の奥底には崇高な使命にこそ注ぐべき情熱が、水の底に沈む泥土のように、もうずいぶんと長く横たわっているのだ。
空は自身の主人におそるべき一撃を与え、そのまま地上に逃亡した地獄鴉である。
ある日、空は反抗期に突入した。ぬるいミルクのように甘ったるい鳴き声をあげていたひな鳥は、巣立ちをむかえたのだ。
この変化に主人はひどく動揺した。
それまでの親から子へ注がれるべき愛情のすべてを、空が受け入れようとしなくなった。
主人は、自身の唇や舌で食事を食べさせてやれなくなったことを嘆いた。ひな鳥は親鳥との接吻により食事をするものだと、主人は信じ込んでいた。
主人には、空のほかにも愛する家族がいた。そのため、親切なペットたちは主人のそういった行為が間違った作法であることをやわらかな口調で説明した。
すると、主人は呆れたような視線と言葉を返した。
『これは純粋な育児行為であり、私にやましいことなど一切ありません。まれに劣情を抱いてしまうこともありますが、それは些細な失敗であり、誰もが経験してしまう間違いなのです』
『もよおしたままの子育てなんて経験があるのは、おそらくさとり様だけかと思われます』
『もよおすだなんて、まるで尿意のような言い方はやめなさい。はしたない』
『申し訳ありません』
『しかし、尿意をこらえながら目じりに涙を浮かべる空の姿はもよおしてしまいそうになりますね』
『はしたないですよ、さとり様』
主人の失敗は周囲に気を配っていないことだった。
廊下の角から誰かが突然現れるかもしれないということを、主人は失念していたのだ。
空は主人が嫌いではなかった。しかし、なにもかも主人にされるがままでは、どうしたって大人にはなれないと思っていた。彼女は立派なペットとして、主人を手助けできるようになることを望んでいた。
そのため、空は主人にむけての書置きを残し、地上を目指すことにした。
『たびにでます。さがさないでください。さがしにきたらしたをかみます。 うつほ』
成長を望む一方で、自身の貞操の危機を感じ取っての選択であった。
そして、その選択は主人に途方もない衝撃を与えた。床は底なしの穴となり、こみあげる吐き気や猛威をふるう頭痛との闘いを強いられた。空のつややかに波打つ黒髪の感触を思い出すように指を動かしてみたが、空気を握るだけだった。
主人はすぐに白旗をあげた。
そうして、退廃的な服装をするようになった。
幼児に似合うような衣服を着用し、目玉のアクセサリーを身につけたのだ。
突然の主人の奇行に、とうとうおかしくなってしまったのか、いやしかしおかしいのは以前からなのでは、とペットたちが騒ぎ立てた。
その騒ぎに、主人は優しく答えた。
『幼児の心がわからず、このような事態を招いてしまったのです。あの子の心を理解するには演じてみるのが最善です』
『落ち着いてください、さとり様。覚りの言葉とは思えません』
『黙りなさい。私は今、尿意を我慢する作業で忙しいのです』
『申し訳ありません』
『うぅ……この膀胱の痛み。これがあの子の心なのですね……』
『断じて違うと思われます。ところで、さとり様。妹のこいし様もしばらく家にはお帰りにならないとのことです』
ペットの言葉に主人は愕然とした。
眼球は今にも眼窩から飛び出しそうになった。第三の目は床に転がった。
『なんですって! いったいどうして!』
『先日の会話をこいし様も聞かれたようです』
『ああ、憎い! 愛する家族の仲をも引き裂くこの覚りの能力が憎い!』
『さとり様、現実から目をそむけてはいけません。おそらく、能力に関係なく嫌われたのだと思います』
『黙りなさい。私は今、悲劇のヘロインとして涙を流す作業で忙しいのです』
『申し訳ありません』
『うぅ……こいしも空も、どうして……あ、目薬がきれてしまったわ』
『ところで、さとり様。ヒロインの間違いでは』
『黙りなさい。中毒性があるという点ではたいした違いはありません』
『申し訳ありません』
主人もペットも空を追うことはしなかった。誰の舌を噛むのかが明記されていなかったからだ。
そのため、空は問題なく地上の光を浴びることができた。
まずは、なにをしようか。
期待と長時間の飛行から、空の胸は高鳴っていた。
そこにやってきた文の提案が、空にどう映ったかは想像に難くない。吊り橋効果である。
また、ミスティアにもやむにやまれぬ事情があった。
彼女は無職の夜雀である。
営んでいたヤツメウナギの屋台は現在、組合から営業停止を申し付けられている。ヤツメウナギと称して、豆腐に海苔を貼りつけて焼き上げたものを客に振舞ったためだ。
事態が発覚し、食品の偽装問題について追求されたとき、ミスティアは細くはっきりした声で発言した。
『鳥の唐揚げに無断でレモンをかける奴がいてムシャクシャしていた。反省はしていない。また機会があったらやってみようと思っている』
ミスティアは、自分が何者かの悪意により悲劇の場へ押し込まれたのだと喚き散らすよりも、真実を白日の下に曝け出すことを選んだ。
屋台を預かる身としての誇りが保身のための嘘を許さなかった。
しかし、うっかり共食いも告白してしまったことで、世論はミスティアを激しく非難。その瞬間、ミスティアは誇りを三角コーナーに叩きつけた。
見る者を魅了する鮮やかな逆ギレであった。
その後も燃え上がる民衆の怒りに、大多数が唐揚げを台無しにすることに快楽を覚えるのだとミスティアは悟った。そして、自分が少数派であることも。
彼女は唐揚げにマヨネーズをかける嗜好の持ち主だった。
営んでいた屋台でも、マヨネーズにマヨネーズを挟んだものをお通しとして客に振舞っていた。
『すばらしいメニューだ。ぶぶ漬けを上回る効果が期待できる』
黒髪のうさぎだけが絶賛したが、大半の客は二度と姿を見せなかったことがミスティアの少数派であるという恐怖に拍車をかけた。
ミスティアは少数派のショックを癒すために自宅療養を始めた。
療養は今年で四年目に突入している。
その歳月はミスティアにとって決して短いものではなかった。それどころか、はてしなく続く拷問のように感じた。
彼女は食事をして眠るといった、ひどく簡素な生活を続けていた。持て余した時間を考えごとに費やすこともしなかった。頭をじっくりと働かせれば、慰めになるどころか、かえってこのおそろしく単調な日々が呪われた宿命のように思えてならなかったからだ。
そして、予感は的中した。
ベッドの上で天井の染みを数えることにも飽きたミスティアを待っていたのは、履歴書の空白の説明に苦しまなければならない自身の立場だった。
屋台に戻ることは許されない。しかし、再就職しようにもミスティアの現状では、氾濫した川をこえた直後のメロスですら『自分、甘えてたッス』と持ち直す程度に絶望的なものであった。
このまま、惰性で寝食を続けようじゃないか。なに、その方がじつに獣らしい!
苦悶と諦めが、抗いがたい誘惑となってミスティアの脳髄でささやいた。
だが、と彼女はその考えに到達するたびに頭をゆすった。無職である鳥類の、つまり羽を使う機会を放棄した鳥の末路をよくよく知っているためだ。
『飛ばない鳥は、ただの肉だ』
かつて散った同胞の言葉はミスティアの心に深く刻まれていた。そして、その言葉が脳裏に浮かぶたびにミスティアの心のうちに次々と殺到するのだ。
共に過ごした日々が! 空を自由に駆けた姿が! 魅力的な味わいが!
そうして、彼女は同胞の最期を目前にしたときと同じように両の手のひらをぴったりと合わせ、頬の内側をじっとりと湿らせるのだった。
こうした一連の流れを済ませた後に、これからどうしたものかと働きの悪い頭を虐めるのがミスティアの最近の日課であった。
そこに舞い込んできた文の提案は、ミスティアの現実逃避を手助けするにはあまりに十分すぎたのだ。
「では、各々意見を述べてください」
「はいはいはーい!」
「チンチンチーン!」
これが公の場であったら、自分たちが撲滅されるかもしれない。
文は即座に倫理的な危機を察知し、空とミスティアに注意を促した。
「『はい』は一度でお願いします」
「はい!」
「チン!」
「はい、では空さん」
「クリスマスってなに?」
世間知らずの地獄鴉なのだ。こういった行事に明るくないのも仕方のないことだろう。
文は、友の無知をこころよく受け入れた。
「クリスマスとは我々鳥類が美味しく焼かれ、人間どもの胃袋におさまる行事です」
文のおそるべき偏見が露呈された。
「チン!」
「はい、ミスティアさん」
「すでに、里で販売されていた同胞たちは私がすべて救出しておいた。ほめてほしい」
「行動が早いですね」
「サラマンダーよりはやーい」
「それで、どのようにしたのですか?」
「食べた」
「なるほど、ミスティアさんの共食いに関しては次の議題としておきますので、それまでに遺書を書いておいてください」
遺書の『遺』の字がわからないミスティアにとって、この要求は受け入れられるものではなかった。
ミスティアは少し膨れた腹をさすりながら、力強く発言した。
「チン!」
「はい、ミスティアさん」
「このような弾圧には断固として屈しない。発言を撤回してほしい」
「はい!」
「はい、空さん」
「スズメさんはカラスさんよりいろいろと小さいから、素直に従うべきだと思う」
空はミスティアの頭部を見つめ、次に視線を重力に従わせ、ある部分で下げるのをやめた。
ミスティアは、体の奥底から熱い湯気のようなものが噴出して顔にかかるのを感じた。頬は充血し、耳は真っ赤になり、全身が生ぬるい苛立ちで満たされた。
「大きいカラスは小さいことがステータスであることに気づいていない。認識を改めてほしい」
「どこが小さいといいのかがわからない……頭? 馬鹿な子ほど可愛いってこと?」
「チン!」
「はい、ミスティアさん」
「大きいカラスは馬鹿なので発言しないでほしい」
空とミスティアは同時にうなり声をあげた。
「静粛に! 二人とも、馬鹿みたいにうならないでください。私まで馬鹿だと思われてしまいます」
「カラスさんも馬鹿だと思う」
「うるさいカラスは自分だけ違うとでもいうような口ぶりをやめてほしい」
「私は馬鹿ではありません。カラスはスズメよりもかしこい生き物なのです」
「その通りだと思う。カラスさんはかしこい。私もかしこい」
「チン!」
「はい、ミスティアさん」
「スズメはカラスに劣ってなどいない。カラスはスズメ目の生物。うるさいカラスと大きいカラスは自分がスズメである立場を認めてほしい」
三人は同時にうなり声をあげた。
「話を戻します」
「はい」
「チン」
「ミスティアさん、私は発言を撤回するつもりはありません」
「発言を撤回しないのであれば、私は次から丁寧語で発言しようと考えている。あまり、私を怒らせないでほしい」
文は震え上がった。
倫理的な危機を招いていては記者として失格であり、なによりも会の継続が難しくなるのだ。
文は唇をうすく引き結び、重苦しい息を吐いた。
「わかりました。しかし、ミスティアさん。以降、軽率な行動は慎んでください」
「前向きに検討する。それよりも次の議題を決めてほしい」
「そうですね、食卓の主役がいないのであれば当初の目的をはたしたといえるでしょう。クリスマス撲滅の会はこれで解散します」
「チン!」
「はい、ミスティアさん」
「鳥肌、風見鶏、一石二鳥といった鳥を軽視する言葉があまりにも多い。こういった言葉が鳥類の差別につながることに気づいてほしい」
「では、これより我々は一石二鳥撲滅の会として活動します」
「はい!」
「はい、空さん」
「一石二鳥ってなに?」
空は慎みぶかく、いかにも興味ありげな表情でたずねた。
「一つの石を投擲して、二羽の鳥を落とすという昔の狩猟技術です。今は誰も使うことができませんが」
「そんなに難しいんだ」
「いえ、動物愛護団体がうるさいのです」
三人は言葉を落ち着けた。
形式にこだわる文は、解散の挨拶をもう一度すませ、それから四方を囲む真っ白な木々から抜け出すためにゆっくりと飛び立った。
空は次回の日程を忘れないよう、舌の上で何度も転がしながら大きな羽をゆらし、浮き上がった。
ミスティアだけが歌いながら歩いて、森の奥へと入っていった。
人里の上空を横切っていた文の目に、一人の青年が入り込んだ。
その青年がこちらにそのあどけない顔をむける。
思いもしない掘り出し物だ。
文の胸は高鳴った。まだ、ずいぶんと若いようでひげはあまり目立たない。それでいて、男らしさを感じさせる勇敢な顔つきをしている。ごつごつとした岩のような愚鈍さとは無縁の、すらりとした容姿は文の期待を大きく上回っていた。
ごくり、と欲求の副産物を彼女は二度三度、飲み込んでから青年に話しかけた。
「こんな素晴らしい日にお一人ですか」
「ああ、お恥ずかしいところをお見せしました。そして、ふかいご洞察です。天は人に二物を与えず、といいますが、妖怪はその例からもれるものなのですね」
男のやわらかな口調と物腰は、その内容も手伝って文の調子を高揚させた。
彼女は慎重にこれからいうべき言葉を探した。
「じつは私もさびしい思いをしていたのです」
「そうなのですか。それは意外ですね。あなたの周囲の男性は不幸なのか、あるいは目をひどく悪くしているものだと思いますよ」
「ふふっ、それであなたは?」
「僕は幸福者で目だって正常ですよ。あなたが心優しい方であれば、ですが。どうです、外は冷えます。もう少し温かい場所へ移りませんか?」
目論見の通りになった!
私はもう敗残者ではない。クリスマスという聖なる日をささやかに楽しむことができるのだ。こんな素晴らしい日を撲滅しようなどとおろかな真似をする輩がいるだろうか。いや、そんなものには天罰が下るだろう。そうに決まっている!
文は途方もない充足感から羽をぴくぴくと痙攣させた。
今なら普段以上に寛容になれることを文は感じた。
事実、青年の家へとむかう途中で、青年の友人が空を連れて合流したのだが、文はこころよく友を受け入れた。それが、自分よりもある一部分が大きく膨らんでいる同胞であってもだ。
文の慈愛は、青年の友人もまた負けず劣らずの美丈夫であったため、その勢力を増大させた。
「カラスさん! クリスマスっていいものだね!」
「その通りですよ、空さん。素晴らしい日です。美味い酒や料理で舌を満足させ、心のうちを潤してくれる殿方に酔いしれることができるのですから」
「もう楽しくて楽しくてたまらないの! クリスマスがこんなにも楽しくなれる日だったなんて!」
「ええ、ええ、素晴らしい日なのです。楽しみましょう。空さん」
二人の口からは生きることが幸せで仕方ないといった調子が、白い息とともに爆発した。
歩調は力強く、これから始まる時間がどれほど幸福なものなのか、二人は楽しそうに想像した。
「お二方、僕の家につきましたよ。さあ、遠慮なくお入りなさい」
「家の中には僕たちの友人がいます。彼らもなかなか愉快な奴らです。あなたたちを退屈させることはないでしょう」
青年たちの言葉に文と空は素直にうなずき、そしてすぐに家の中に入った。
目の前に広がるのは、華やかに装飾されたクリスマスパーティーの光景ではなく、ことごとく武装した男たちの姿だった。
そして、彼女たちの後ろにいた青年はその心地のよい声を響かせた。
「やあ、諸君! 主役たちのご到着だ!」
内容的にはよかったので2ちゃんねる的なノリの伏字とか変換にしてくれたらうれしいな
文と空……合掌。
作者さんには悪いけど、ある台詞に全部もってかれた。
バハムート・ラグーンは神ゲー
この方向でもっと見せて貰えるとうれしい。
でもクリスマスは死ね
しかしクリスマスにパルパルしてたらホイホイ付いていっちまったよ、カラス二羽。
なんとシュールな落ち。大好きなんだ、こういうの。
この持ち味は大切にして頂きたく思います。