※なんだか若干不完全燃焼
美鈴とちっさくの物語ですが、パチュリーが主役です。
鈴の鳴る夜、昼間の月、別つ目、今作、の順番
咲夜、と呼ぶ声が。
私にとっての全てだった。
美鈴という妖怪は至極心配性で、私がちょっと怪我をするだけで大げさに騒ぎ立てるかしましい存在だ。
はじめは「ぎゃー!」という悲鳴。次にその手が伸びてきて、最後には小脇に抱えられ、ガクガクと揺れながら、高速で過ぎ去っていく景色を眺めることになる。
心配してくれるのはありがたいのだが、せめて抱っこかおんぶにしてほしい。積み荷か何かのように抱えられると、結構酔うしあばらが痛いのだ。
お互いが別の意味で必死になりながら図書館に辿り着く頃には、私は怪我とは違う症状に苦しむことになっている。
うぇ、と唸る私を迷惑そうに見てから、ゆっくりと頭を撫でてくれる魔女がいい人なのかどうか、私は未だ思案中だ(まぁひとではないけれど)。
美鈴いわく素直すぎるだけらしい。よくわからない。
それでも帰るとき必ず飴玉をくれる彼女は悪い人ではないのだろう。手を振ると面倒臭そうに振り返してくれる彼女のことが、私はわりと好きだ。まぁ、美鈴には負けるけれど。
そして、図書館からの帰り道、いつも私は美鈴と手を繋いで歩く。ゆっくりとした歩調、穏やかな声、繋いだ手から感じる美鈴の熱。そして囁くように「咲夜」と呼ぶ声が。
私にとっての全てだった。
■ ■ ■ ■
ふぅ、と意識が浮上していく感覚に、珍しく咲夜は駄々をこねる。いやだ、まだ抜け出したくない。そう思って目を閉じ続けるけれど、今までの温もりは夢だったのだと実感してしまった今、再びその世界にこの身を投じるのは無理だろうと思われた。
仕方なく目を開けて、そうして咲夜は実感する。あぁ、あれは夢だったのだ、と。
いつまでも経っても馴染まないこの部屋で、今日も浅い眠りから目覚める。ゆっくりと体を起こすと、ぶかぶかのブラウスが肩からずり落ちた。
あの冬の日に美鈴の部屋を出るとき、こっそりとくすねてきた彼女のブラウスだ。美鈴は気付いているようだったが、特に何を言うこともしなかった。ただ少しだけ困ったように笑って(今思えば照れていたのかもしれない)自分の頭を撫でてくれた。
「めいりん……」
あの別つ目からもう一年も経とうとしている。からりとした夏を過ぎ、少し物悲しくなる秋を歩き、咲夜は再び冬の入り口で立ち尽くしている。今はまだ振り返るには早すぎるけれど、この一年間に様々なことがあったと自負していた。もう隣に美鈴はいないけれど、今でも図書館の主はよくわからないし、ころりと転がる飴玉は毎回味を変えて咲夜を楽しませてくれた。
ただ確実に変わったことがあるのならば、咲夜はもう魔女に手を振らなくなった、ということだ。図書館に入るときは礼をして、言葉を受けるときは居住まいを正し、その場から去るときはスカートの裾を持ち上げる。
その変化に魔女はなにも言わなかったけれど、飴玉を渡してくれる手のひんやりとした感触はあの時から変わっていない。そして、頭を撫でてくれる手の優しさも。
今ではもう、魔女は座ったままでは咲夜の頭を撫でる事はできない。そうなれば、おのずとその機会も減っていく。それは自明の理だ。人間は変わっていくもの。成長し、様々なことを覚え、弱い体ながらに自立し生きていく。だからその時魔女が浮かべた寂しそうな笑顔が、咲夜にはどうしてもわからなかった。
なにを寂しがることがある。自分が自立していく事は喜ばしいだろう、と。問いかけたかったが、やめた。魔女はもう、いつもと同じ無表情に戻っていた。
「起きなきゃ……」
傍らの懐中時計に手を伸ばしながら、咲夜は自分に言い聞かせるように小さく呟く。
毎日毎日、このときの目覚めが本当に苦痛で仕方ない。若干低血圧の嫌いがる咲夜にとって、目覚めるという行為は拷問に近い。ぼーっとする頭と思い通りに動いてくれない手足、意識自体は大分覚醒してきていても、その二つが足かせをする。自分の思うとおりに行かないのが本当に腹立たしくて、舌打ちの一つでもしてやりたくなった。
「……面倒くさい、なぁ」
美鈴の部屋で寝食を共にしていたときは、何もかもが楽しかったのに。
朝起きるときは美鈴が自分を呼ぶ声と共にだったし、食事だって嫌いなもの一つ出なかった。甘やかしてくれる大きな手のひらがただ大好きで、優しげな面差しが微笑んでくれるのが嬉しかった。
毎日を「生きている」と形容できた、すばらしい毎日だった。
「……めいりん」
呟いても、もう声は返ってこない。すぐさま振り向いて「なんですか」と言ってくれることは無い。たった少しの距離がとても遠くのように感じて、なんだか泣きたくなった。
美鈴はなんとも思っていないのだろうか、思っていないのだろう。
よく考えたら自分はあの人にとっての厄介者だったはずだ。突然現れて、ナイフを向けて。そしてコテンパンにやられて、気付いたら彼女の部屋だった。
あの人は違うといってくれたけれど、それでもまだ疑念は拭いきれない。自分は本当にお荷物ではなかったのだろうか。気軽に尋ねる事はもうできないからこそ、こんなにも苦しい。
「……美鈴」
小さな呟きは、部屋に溶けていく。
間もなく時計の針は七時を示そうとしていた。
■ ■ ■ ■
「珍しいわね」
図書館の主は、そういって顔を上げる。
緩やかに結われた紫の髪が主に従ってさらさらと流れていく様を見ながら、声をかけられた本人は小さく笑んだ。
「ご無沙汰しております。ノーレッジ様」
「そう呼ばれるのも、随分と久しいわ。用件はなに?」
図書館の主が見上げる視線の先。長い赤髪を背に流して、紅美鈴が少し困ったようにわらっていた。
「咲夜の、ことで」
そうして小さく呟く。その声は大きな体躯に似合わず、普段の彼女からもあまり想像できない。調子が狂うな、と思いながら、パチュリーはぱたりと分厚い本を閉じた。
「最近は、どうしているでしょう。具合が悪そうだったり、怪我をしていたり、とか」
「私が見るところ、そういう様子はないわ。日々成長している」
「そう、ですか」
とりあえず向かいに座るように促して、深い群青の瞳を覗き込む。特別これといった感情は読めなかったが、どこか茫洋としていて掴みどころがなかった。
「……何故、私にきくの」
その目を見つめたまま、パチュリーは問いかける。
「本人に聞けばいいでしょう。あの子も貴女に会えるのを楽しみにしているのではないのかしら」
わざわざ自分に聞きに来ずとも、本人に直接聞けばいい。喧嘩をしているわけでも、ましてあの子に嫌われているわけでもないのだから。
けれど、その言葉に美鈴は悲しそうに笑っただけだった。
その心の内を全て理解することなど、パチュリーにはできようはずもない。やるつもりだってないし、はっきり言って面倒くさいとすら思う。これだから人間は、と思いかけて、目の前のこいつは妖怪だったと思いなおした。
思えば、紅美鈴と言う妖怪は、全くもって不肖な存在だ。パチュリーのあらゆる字引をもってしても、いまだにその正体はわからないまま。血を調べても、肉片を培養しても、胎内にウイルスを送り込んでも、首をはねてみても。四肢を全て細切れにしてみた時だって、この妖怪は笑っただけだった。いたいなぁ、と呟いて、頭を粉砕されるまでこちらと会話だってしていた。
機能や構造はよくわからないが、心臓がないことだけは確認した。そのほかは全てあったが心臓だけはなかった。本人に聞いたら「大切なものは隠しておかないと」と言って笑った。そうして鋭い手刀で、パチュリーを一度殺した。
「貴女はいつだって迷っているのね」
思い出して、若干気持ちが悪くなってきたパチュリーを見返しながら、美鈴は微笑みを消す。そうして淀んだ群青の眼差しで、縋るようにこう言った。
「もう、間違えたくはないんです」
その呟きは悲鳴のようにも聞こえたけれど、パチュリーは耳障りな音だな、としか思わなかった。大概、いらいらするのだ。人間が嫌いだから、この人間染みた妖怪とはどうも仲良くなれずにいる。こうして見てみれば、咲夜のほうが大分妖怪染みているような気さえする。
何故この妖怪は、こんなにも感情を上下させるのだろうか。えてして妖怪というものは自分よがりで勝手で、自己中心的な存在だというのに。血のつながりも儀式的な縁も悪魔の契約もないというのに、何故こんなにも。
どうでもいいはずのたった一人に心を傾けてしまうのか。
(だから、後悔するんじゃない……)
今でもまだ、後悔しているんじゃない。
思った言葉は、ぐっと飲み込んだ。結局自分は何一つ言ってやれやしないのだ。深く傷を抉ったところで、優しい言葉一つ、かけてやることなどできないのだ。
「まぁ、いいけれど」
結局、その日もパチュリーは美鈴を理解するには至らなかった。
閉じていた本を再び開き、会話はそこで中断される。
後にはどこか気まずい沈黙が残ったが、もう気にするのはやめようと思う。気にしたら負けだ。
「でも、貴女のそれは逃げでしょう。いずれ来る何かが怖いから逃げるなんて馬鹿のすることだわ。それから逃れられないのだとしたら、私はそれまでを大切にする」
「そんな簡単なことじゃ……」
「難易度なんて己で決めるものよ。ルナティックを選んだのは貴女。別にイージーを選んだところで誰も責めはしないというのに」
そうだ、誰も責めはしないというのに。
安全な道を通る事は、決して間違いではない。苦難を共にして、苦しいながらもエンディングを迎えられればそれは確かにとても充実感に満ちたものだと思う。けれど楽をしたっていいじゃないか。もう、幸せになってもいいじゃないか。
誰かが幸せになることを、どうして誰かが止めることができよう。そして貴女の幸せを、どうして貴女自身が邪魔をしようとするのか。
「誰も、幸せになっちゃいけない者なんていないわ。辛い道を必ず選ばなくてはいけないなんて決まりはないわ。貴女が貴女を苦しめるのは、そのまま咲夜を苦しめることでもあるのよ」
実際痩せたでしょう、あの子は。身長ばかりひょろひょろ伸びて。食事も喉を通っているのか。これだから人間の体は面倒くさい。
「許されない罪も、確かにあるでしょう。それでも幸せになることを邪魔するだなんて、それは誰にも許されないことよ。それが例え、自分自身のことであっても」
その証拠に、貴女はもう十分苦しんだ。
苦しみ、痛み、嘆き、後悔した。後悔したものは、前を見るべきだ。知識人は同じ過ちを犯さない。ならば、生まれ呼吸をしている者は全て生まれついての知識人だとパチュリーは思う。
学習し、後悔し、それを乗り越え昇華する。一度犯した過ちを繰り返すことなどない。
「あなたが「何」なのか、私は知らない。もう知ろうとも思わない。けれどね、生きているのだから前を見なさい。いつまでも暗い郷愁に囚われ続けているならば、誰も幸せにはなれないわ」
「……」
その言葉は、果たして美鈴に届いたのだろうか。それはわからなかったけれど、目の前の赤い妖怪は、小さく息を吐き出してから、机に額がついてしまいそうなくらい深く、一礼した。
そして、それはとてもとても綺麗なものだと、その時のパチュリーには強く思えた。
結局、どうしようもないのだ。
美鈴を救うことも、咲夜を救うことも、パチュリーにはできようはずも無い。ただ、自分は二人の間に挟まれているから状況がよく見えているだけ。
二人とも姿勢を正して、綺麗に微笑むけれど、その心がどんどんと蝕まれていっていることくらい、他者から見れば一目瞭然だ。
それでも、パチュリーには何もできない。
魔力を込めた飴玉を咲夜に渡したり、こうして美鈴を諭したり、それっぽっちのことしか、パチュリーにはできない。
それに罪の意識を感じるわけでは無いけれど、それでも口惜しいと感じている自分がいることに驚いた。
「愚かね」
そうして小さく呟いた言葉は誰に向けたものではないけれど、あまりにも物悲しい響きを含んでいた。それにパチュリーは苦笑して、ゆっくりと顔を上げる。
赤い背が去っていった大扉を一度だけ見て、ため息をつく代わりに、ただぎゅっと目を瞑った。
でも、たったひとつだけ
続きに期待。
続きに期待してます。
良いめーさくとパッチェさんでした。
続き、待ってるから。
を、幻想郷の外から見てる俺に言わせれば
めーさくは勿論パッチェさんももっと幸せになるべき