「ねぇ、メリー」
「なぁに、蓮子」
「なーんで私達は今日この日にこんなところでこんなふうに集まったりしてるわけ?」
「さぁ?」
こんなふう、というのはこたつを囲んで二人分のケーキをつつき。
こんなところ、というのはわたくしマエリベリー・ハーンが住みついているマンションの一室で。
今日この日、というのは泣く子も良い子になるメリークリスマス。
「こんなんでいいのかしら。華の大学生活も一年目が終わろうとしているというのに、イヴにメリーなんかと二人きりで」
「わ、ひどい言い草」
「クリスマスイヴなのに。もっとこう、こう……はぁ、なーんで私にはロマンスが無いのかしらね。こんなに可愛い女の子を、世の男はどうして放っておくのかしら」
「蓮子、モテたいの?」
「……まぁ、正直モテたいというか……いや、うん、モテないよりはモテた方が良いんじゃない?」
「まぁ、そうかもしれないけど」
別に私もモテたくないわけじゃあないし、男に興味が無いとか、そういう趣味というわけでもないつもりだけど。
今のところ、恋愛だとかなんとか、なんとなーくそっち方面には傾ききれない。
と、言うよりも。
傾くとかそういうのじゃなく、こういうのって、誰かに半ば強制的に引き倒されちゃうもんじゃないのかなーと思うのは、ちょっと少女思考が過ぎるんだろうか、とか。
「蓮子って、恋愛の気配がしないのよねぇ」
「……なにか酷く侮辱されている気がするわ」
「なんだろう。蓮子が誰かに恋してるイメージ? 恋する女の子やってるイメージって浮かばないのよ」
「……とてもとても反論してやりたいけど、まあいいわ。たとえ普段はそういう雰囲気をかもし出していなくても、恋というのは突然なのよ。何かふとしたきっかけですとーんと堕ちるものなの」
「自信ありげに語る蓮子さん、これまでに恋愛の経験は?」
にやにや笑いながら顔を近づけてあげると、さて宇佐見の蓮子さんは百面相。
びくっと身を引いて、しばらく見つめ合ってるうちに弱々しげな表情に変わって、泣き出しちゃいそうになって。
「……はぁ。なんで、私が惚れちゃうようないい男はいないのかしら」
どこかしら自嘲げに呟いたかと思うと、しかしそこは彼女。
すぐに立ち上がって、私をちらっと見ると、ぐっと拳を握った。
「決めたわ。来年こそはかっこよくて優しくて年収一千万の男を見つける」
「大学生の分際で年収一千万の相手を……?」
まぁこの人、宇佐見蓮子というのはだいたいこんな感じで、夢の世界を視る私なんかよりもよっぽど夢を見ているようなひと。
夢見がちで少女趣味で、男に恋するよりは恋に恋をして、どちらかというともっともっと大きなものに恋をして。
誰かに引き倒されるよりは、誰かを轢き倒していくひと。
蓮子に轢き倒されている男のひとは実のところ程々に見るけれど、不思議なことに宇佐見蓮子は倒れた相手が見えないようになっているらしい。本当にこのひとは恋愛を求めているのかどうか、理想の男性を探しているのかどうか、正直なところ疑問に思わないこともない。
とまあようするに私の予想では、たいへん嘆かわしいことに、宇佐見蓮子に、少なくともしばらく春は来ない。
どちらかというと、春になっても気づかない人種だと思う。
「悪いわねメリー、来年のクリスマスは一人で過ごしてもらうわ」
「そうね、蓮子の理想の相手が見つかったらハンカチを噛んで身を引くわ」
というのが、だいたい三六五日ほど前のことになる。
ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽん、と呼び鈴を鳴らして、ワインなど嗜みつつこたつの中でうつらうつらしていた私を叩き起こし。
「メリーメリーメリーメリーメリーメリーメリーメリーメリーメリー」と一秒間に十回メリー発言で私を恐慌に落とし込みかつ疲弊させ。
チェーンロックを掛けたまま私が開いたドア、その隙間から手を突っ込んでロックを解除して。
さっきまでの私のこたつポジションに入り込み、コートとコンビニの袋をその辺に投げ出し、蜜柑を食べつつ私のノートパソコンを勝手にいじっている、それが宇佐見蓮子の現在にして現実だった。
はぁ、と溜息をついているのは、いちおう蓮子なりの自己嫌悪なんだろうか。
「今年のクリスマスは一人で過ごすと思ってたんだけどな~」
「…………」
「な~」
「…………」
「ところで蓮子、何やってるの?」
私を無視してなにやら打ち込んでいる蓮子。パソコンの画面を覗き込むと、大手検索サイトによる検索結果があった。
打ち込まれた『クリスマスケーキ 一人用』と、検索エンジンが親切にも表示してくれた『もしかして:クリスマスケーキ 二人用』を見て無表情でいる蓮子。
こんな時どんな顔をすれば良いのかわからないから、とりあえず「……ハッ」と嗤ってあげると、蓮子は舌打ちしてパソコンを乱暴に閉じた。それ私のなのに、と口から出そうになるけど、その前に一つ気になることが。
「なんで一人用?」
「…………」
眼を逸らして口をつぐむ蓮子の両肩を、後ろから手を伸ばしてがっちり確保。
わ、ちょ、と慌てる蓮子を無視して、ゆっさゆっさと前後に揺らしてやったり、そのまましなだれかかってみたりしながら。
「ねえ、な~ん~で~?」
「……だって、クリスマスに二人分のケーキをメリーと二人きりで食べるって、なんだか…………えっと、負けた気がしない?」
「ふむぅ」
蓮子の肩に顎を乗せて、そのまま口元もそこに埋めたから、私の声は少しくぐもっていた。
既に、二人分のケーキは用意してあるんだけど。
私の唇の動きにか声の振動にか、蓮子はくすぐったそうに身体をよじる。それを押さえつけるように、私は蓮子の身体に両腕を回す。
「説明になってるけどなってないわねぇ。百歩譲って二人分のケーキを買わない理由になってるとしても、一人分のケーキを買う理由にはなってないわぁ」
「……ちゃんと、メリーのぶんも、買うつもりだった、よ?」
機械仕掛けの人形みたいに、ぎしりぎしりと笑顔を作る蓮子。
まぁいっか、と呟いてやると、ほっと息を吐いて。私もくすと笑った。
「……ところで、メリー」
「うん?」
「いつまで私の身体をロックしてるのでしょう」
「いつまでも」
蓮子の言葉の通り、私の両腕は蓮子の身体を背後から抱きこんだそのまま。
蓮子の両腕ごと抱き締めているので、抵抗と言えば肘から下をぱたぱたと動かすだけ。
小さな羽根で必死に飛ぼうとしている小鳥に見えなくもないかもしれない。ちょっと可愛いと思ってやると、それに反応したわけでもないだろうに、蓮子の顔がだんだんと赤みを帯びていく──いや、考えてみたら、さっきから赤かったような気もする。こういうスキンシップには意外と慣れてないのかもしれない。
「なぜに、いつまでも?」
「んー、なんとなく人肌が恋しい」
「メリー、あなた酔っ払ってるのよ」
「そうね、酔っ払いに免じて黙って抱かれてて」
言いながら私は飲みかけのグラスを手にとって、口に運ぶ。中途半端に温くなっていたそれに私が顔をしかめると、いつの間に持ち込んでいたのか、蓮子は傍らに置いていたコンビニの袋を、肘から下だけでごそごそとやり始めた。
「ワインと、少しつまみも買ってきたわ。安物だけど」
「うーん、さすが蓮子。大好き」
「わ、ちょ、こら」
改めて蓮子の首筋に頬を擦り付ける。
鼻を通り抜ける蓮子の匂いは、心が落ち着くような石鹸の香りが大部分。
私がひっついている熱さからか、それともここまで走ってでもきたのか、たぶん汗で、少し湿り気を帯びていて。
悪戯心に、舌の先端をちょろりと出してやる。
「ひゃあう!」
結果は上々で、蓮子は驚きに跳ね上がって、私のガードを抜け出して、バタバタと床を這って私から離れて、羞恥で染めた顔を私に向けて。
私が笑顔を向けてやると、蓮子は唇を尖らせて、じっと私のことを見ていた。何か、釈然としなさそうな感じ。
蓮子が何を考えているのかなんて往々にしてわからないから、私はただ、小首を傾げた。
しばらくそうしていたけれど、やがて蓮子は、はぁと溜息をついた。
既にケーキは用意してあると見せてやったら、予想以上に驚いて──と言うより動揺してるように見えた蓮子だったけれど、それはそれ。持ってきたワインをそこそこのペースで蓮子は空け、付き合わされた私もそれなりのペースで飲んでいて、我が家に置いてあったワインも、酎ハイも一缶ずつを残してほぼ底をついた。ビールはまだ残っていたけれど、さすがにここまで来てビールに戻る気にはならない。
残った缶にちびちび口をつけながら、細々とケーキをつついていると、唐突に蓮子が口を開いた。
「しかし、なーんで私にはロマンスが無いのかしら」
「それ、去年も聞いた気がするわ」
「こんなに可愛い女の子を、世の男はどうして……」
「はいはい」
いつかどこかでしたようなやり取り。
どうして蓮子に男ができないかって、その答えをなんとなくだけどわかっているのもあの時と同じ。
私達はこうやってあんまり変わらないでいるけれど、でも、いつまでもこうしていられるんだろうか。
蓮子が男に心奪われることはたぶん無いと思ってるけど、それも、『今の蓮子が』ってこと。
一年後の蓮子は、違うかもしれない。
「そろそろさ、そういう相手が見つかってくれないと……困る、よ」
少なくとも、一年前の蓮子は。
こんなふうに、ちょっと泣きそうになって言ったりなんかしなかったし。
一年後の私も、違うかもしれない。
それを証明するみたいに、私の中にも、一年前とは違って、蓮子に問いたいことができていたけれど。
「……ねぇ、メリー」
訊いてきたのは、蓮子が先だった。
「うん?」
「メリーって、そういう話、無いの?」
やっぱり、一年前とまったく同じに終わったりはしない。
蓮子はこたつに頬杖をついて、空になったワイングラスをぼーっと見つめて、言葉だけを私に投げてくる。
無いよ、と私は答えたけれど。
なんとなく心臓の辺りが薄ら寒くなって、どこかしら上ずった、不安定な声を返してしまったように思えて。
そもそもそんなことを気にしている私自身がよくわからない。
「……そう」
蓮子はこたつにもう片方の手もついて、両手で両頬を挟み込むみたいにする。
むにゅう、と掌で頬を大きく掴んで。前髪と掌の隙間に、こころなしか眼を細めて。
そう、と再び呟いた。
うん、そうよ、と私は返した。
蓮子は両肘をずるずると開いて、そのままこたつに突っ伏した。腕を枕にして、唸り声を上げていた。
私は、そんな蓮子を見ないようにして。
ケーキをひとかけら、口に運んだ。
蓮子って結局、どんなひとが好きなの?
頭の中に浮かんでいた問いかけを、だけど私の口は言葉にしてくれなかった。
それが、すごく、不思議なほどに、危うい話題に思えた。口にすべきでない気がした。
見てはいけないものを見て、立ってはいけない場所に立って、気づいてはいけないことに気づいたような。
蓮子のせいだ。
蓮子が、私にもそんな話題を振ってくるから。
勝手に働いた想像力は、私が蓮子に問う場面を映した。蓮子が答える場面を映した。あるいはお茶を濁す場面を映した。ところで、とふと思いついたように唇に人差し指をあてる蓮子を映した。なにげない仕草とは裏腹に、必死な目で問うてくる蓮子を映した。
メリーは、どんなひとが好きなの?
「なんで、私が惚れちゃうような、いい男は、いないんだろうなぁ」
蓮子の声が、私の想像に被さる。
顔を伏せたままにしてくれていて、よかった。
だって、蓮子とまともに目を合わせられる自信が無いから。
ああ、そっか。
何かふとしたきっかけですとーん、か。
…………。
……それは。
とてもとても、甘い誘いだった。
蓮子の今までの全てが違って思えて、言動に別の意味が見えてきて。
もしかして、傾いてしまってもいいんじゃないかとも思った。このまま轢き倒されてしまってもいいんじゃないかと思って。
でも、だめだった。
だって、私は、心の底で、間違ってると思ってる。
境界を探るという非合法を承認してくれる私の倫理観は、だけどこれに関しては、首を縦に振ってくれない。
どうしようもないところで、どうしようもないくらいに、否定してる。
頷いてしまったら、私は、私達は、もっと不幸になる。
だめ、だめなのよ。
蓮子。
……ごめん、なさい。
…………。
「……理想が高すぎるのよ、蓮子は。蓮子の希望に沿うひとなんて、たぶん、どこにもいないわ」
──私が、言ってやると。蓮子は少し沈黙して。
返ってきたのは、苦笑の気配。
「そう、かなぁ」
「そう、なのよ」
それよりも──。
それよりも、秘封倶楽部の次の活動先を、早く見つけましょう?
私は、そう宣告した。
「……うん。うん、そうだね」
蓮子は顔を伏せたままだった。ずず、と鼻をすする音が聞こえた。ひっく、としゃくりあげるような声が漏れた。ごめん、と蓮子が言った。なんでもないの、と続けた。うん、大丈夫、ほんと、来年こそはメリーには一人でクリスマスを過ごしてもらうからね。ちょっと理想下げるから。そうだね、早く次の活動先も見つけてくる。ごめん、メリー、ごめんね……。
私は、ぎっと唇を噛んで、爪を掌に食い込ませて、天井を眺めていた。正しくは、蓮子の方を見ないようにしていた。
私が泣かせた、私が否定した相手を、見ないようにしていた。
これでいい、これで正しいんだと、自分を肯定して肯定して肯定して、でも全ての肯定が、蓮子のぐしゃぐしゃになった声一つで吹き飛んでしまう。これで私が泣くなんてそんな酷いことはないから、どうにか抑えようとするけど、秘封倶楽部のパートナーとして私のことを自分勝手に引っ張り回す蓮子の姿が脳裏に浮かんで止まらなくて、いつしか私も鼻をすすっていた。
秘封、倶楽部。
蓮子がこの繋がりをどんなふうに思っているのかは知らない。
けれど、もしかして秘封倶楽部は、私達にとって幸福な繋がりで。
だけどそれ以上に、不幸な繋がりだったのかもしれない。
だって秘封倶楽部に、その先はない。私は変わる。蓮子も変わる。でも私達は、秘封倶楽部から、さらに変わることはないんだ。
今さらどうしようもないし、どうする気もない。
ただ、どうにかならなかったんだろうかと、神様を少しだけ恨む。
秘封倶楽部。
宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンの関係性。
幸運、だったと思う。幸福だったと思う。境界巡りのパートナー。ふとした時の暇潰し相手。秘封倶楽部という関係は、私達にとって素晴らしいものだった。
でも。
私と、このひとの関係としては、最上のものではなかった。
私達にはどうにもならないところでそれは決まっていた。神様の気まぐれだ。どうせなら、この先を望むことができる関係にしてくれたらよかったのに。
私は嗚咽を抑えきれなくて、漏れる声に気づいたんだろう、蓮子がゆっくりと顔を上げた。無様な私を見て、くしゃくしゃの顔をさらに歪ませて、メリー、と手を伸ばそうとするけれど、それは何かを恐れるみたいにして、途中でびくりと震えて止まって、力なく落ちてしまう。ちがう、ちがうよ。声に出そうとして、だけどぜんぜんうまくできない。私は蓮子が嫌いなわけじゃない。この先を想うことができないだけで、そうやって、私の涙を拭って慰めようとしてくれるあなたが嫌いなんじゃあないのに。
ごめんなさい、と蓮子が言った。呪詛みたいに繰り返した。口にするたびに秘封倶楽部が、私達の関係が壊れていく気がして、きっと蓮子もそれに気づいてるだろうに、いつまでもやめようとしなかった。
良いお話をありがとうございました。
秘封は切ない。google先生の悪行のあたりまではギャグだと思ってたのに。
沁みるように切ない、よいお話でした。
しかしGoogle先生は酷いなw
現実的に考えるとやはり難しいんですね・・・2人共早く幻想郷に行こうぜ!百合でちゅっちゅしたってなんの問題もない!むしろ常識と化している幻想郷に!w
切ないクリスマスイブからまた365日経ったらその時こそは幸せそうな2人が見たいですね。今でも幸せだし幸運な出会いだったんだろうけど。
蛇足になるかもしれないけど、続きが読みたいなぁ
こういった話を読む度、秘封好きでよかったと思う。
ちゅっちゅから見る境界の向こうとこっちの違いなんかを考えちゃうんだぜ。
素敵な話をありがとうございました。
きっと蓮子に轢き倒された男の一人は私だな
とても切ない蓮メリですな…
google先生は強いwww
逆にそれに対して揺れ動くメリーの心情がとても真に伝わって来て、なんともある種の心をかきむしられるような感覚になりました
「私が一番貴女のパートナーに相応しい」なんて類のたった一言で全てが解決しそうなのに、それが言えない乙女心的な感情が切実で胸が痛くなりますね
やるせない大学生活らしいクリスマスもリアルで、あらゆる面において共感できることが多いSSでした。とても面白かったです