風見幽香、自称幻想郷最強の存在。
彼女が最強かどうかは個人的に異論があるとして、その主張を容易に覆せるような存在が多くいないのもまた事実。
その風見幽香の弾幕をフィルムに収めていないのはやはり問題がある。そう、射命丸文は思った。
「うーん、困ったわね」
彼女は自宅でひとり呟く。風見幽香は自分に付きまとうなと言った。それからも何度か折を見て接近を試みているが、彼女が決闘形式としての弾幕対決以外に興味がないことが良く分かっただけのことだった。
しかしその程度でめげていてはジャーナリストの名がすたる。苦手な鬼にすら近づいて相手の弾幕のすべてを収めたというのに、風見幽香だけが例外というわけにはいかないのだから。
それに最近は新しくやってきた神々や地底や宝船の連中など、面白い被写体が増えている。いよいよ自分が動くときなのではないか。
「ま、まずは動かないとね。事件が起きるのを待っていたらスクープにならないし」
花の咲いている地域を適当に回るだけで彼女には出会える。もしそこにいなければ夢幻と幻想の狭間でまどろんでいる最中であろうから、日が悪かったと諦めるしかないのだが。
「あや?」
風見幽香を探していて珍しいものが目に入る。最近地上に出てくることがあるとはいえ、博麗神社以外であの鬼、星熊勇儀を見つけるとは。
無視してしまおうか、とも思ったがこちらが視界に捉えているということは、あの鬼くらいになれば気配を察しているはずだ。知らぬ振りをするのは見くびられることに繋がる。
仕方ない、と覚悟を決めて勇儀へと近づいていく。別に嫌いではないのだが、どうも鬼というのは苦手だ。
「どうもこんばんは」
「ああ天狗の」
「はい、射命丸文です」
勇儀の後方へと降り立った文。普通の相手であれば隣りへと降り立つのだが、やはり鬼相手には気が引けるらしい。
「お隣、よろしいですか?」
「勿論さ。どうだい一杯」
「それはありがたいですけど、鬼からいただけるだなんて、昔は考えられませんでしたよ」
「ハハハ、そんなときのこといつまでも引きずってどうすんのさ」
それはそうなのだけれども、と文は思う。
天狗も河童も、昔を知っているものは皆がそれを背負っている。かつて妖怪の山において自分たちを圧倒していた鬼たちの存在。その強烈な印象が、今こうして隣にいる星熊勇儀、そして伊吹萃香によって呼び覚まされているのだ。
「まぁほら、私たちは小物なんですから。そういうのを気にするんですよ」
「自分でそう言ってどうするんだい」
困った子だねぇ、と言いながら杯をあおる。横に腰掛けた文もそれにならうが、まだ少しぎこちなさがあるようだ。
だがそれでも杯を何度か交わし、そして会話を重ねるにつれて徐々に文もリラックスするようになっていく。
「へぇ、それで弾幕の収集を」
「そうなんですよ。やっぱりこれもひとつのスクープじゃないかって思うんですよね」
「確かに。常人は中々お目にかかれないものだからねぇ。それは萃香とかもやったのかい?」
「はい。快く受けてくれましたよ」
なるほどねぇ、とうなずきながら杯を飲み干す。この天狗、中々できると見た。弾幕をカメラに収めるということはそれだけ弾幕を回避し続けられるということだ。
「しかしそんだけの腕前があるんなら、もっと堂々としたらどうなんだい。私らと打ち合ったって引けを取るもんじゃないだろう」
「いやいやいや、そんなことはないですって。この前も幽香さんに取材申し込もうとして撃墜されたばかりです」
「ははっ、アイツはそういうの嫌ってそうだからね」
「困ったことに」
と言って彼女が苦笑すると、一陣の風と共に草花が揺れる。同時にひとつの気配が現れ、彼女たちの前に姿を現した。
「だから私に勝てたら付き合っても良いって言っているじゃない。私はいつでも構わないわよ」
「それが無茶だって言ってるんですよー」
「そうかしら。本気を出せばそうでもないでしょうに」
まあ天狗が本気で戦うなんてことはまずないだろうけど、と呟いて彼女は勇儀の横、ちょうど文とふたりで勇儀を挟むように腰掛けた。
「まさかアンタから誘ってくれるとは思わなかったよ」
「たまにはね。神社で騒々しく、とは異なる風情も良いと思ったの。そうしたら一番騒々しいのがいるけれど」
「あややや、手厳しいですね」
なるほど、どうりでこんなところに彼女がいるわけだ。まぁ筋目を重要視する勇儀の性格からして、山には近づかぬだろうし、人里に下りれば混乱があるだろう。そうなると山からも人里からも離れた太陽の畑縁辺地域以外は中々訪れ難いかもしれない。
「まま、一献」
「いただきましょう」
顔よりも幅のある杯で飲む勇儀に対し、幽香は猪口である。その対照は絵になると思ったが、カメラを構えるのは無粋なので文はこらえた。
「ふぅ。鬼の酒というのは概して口当たりの良さとキレがたまらないものだけど、相変わらず貴方はどぶろくなのね」
「私らはこうやってぐびぐび飲むもんだから、飲み口が良いのが最適さね。でも私はそれじゃあ満足できないのさ」
そう言う彼女に対し、幽香も甕(かめ)を取り出す。そのフタが外れると、中からは芳醇な梅の香りが漂ってきた。
「んー、たまらないね。どれ、今杯をカラにするから少しもらえるかい?」
「あ、私も欲しいです。良いですか」
「持ち出したものを惜しむほど無粋ではないわ。どうぞ、楽しんで頂戴」
柄杓ですくった梅酒をふたりの杯に注ぎ、そして自分の猪口へと注ぐ。勇儀も文もそれを待ち、一緒に口元へと運んだ。
「ほう…このとろける感覚と清々しい香りが最高さね。何十年も漬けておかないと、こうはならない」
「凄いですね。もっと甘みが前面に出てくるものかと思っていましたけど、そうじゃない。これは中々飲めるものじゃないですよ」
「ありがとう。手間がかかっているのは事実だから、そう言われると悪い気はしないわね」
幽香は小さく微笑を浮かべる。静かに目元を細めた微笑は、まるで夜風に揺れる花のようだ。
幽香と勇儀。かつて文が彼女たちの姿を見たとき、ふたりは実に嬉しそうに拳を交えていた。そのふたりがこうして並んで酒を飲んでいる。それはいつの頃からなのだろう、と彼女は思った。
「ところで、おふたりが一緒に飲むようになったのっていつからなんです?」
「それは興味かしら、それとも取材?」
「取材にしたいですけど、そうすると教えていただけそうにないんで、興味で抑えておきます」
「そう。賢明だわ」
記事にすれば妖怪の山のみならず、人里からも大きな反響が得られるだろう。だが、そのような見世物にされることをこの妖怪たちは望んではいない。
「勇儀、別に構わないでしょう」
「ああ、知られて恥ずかしいことじゃあない」
「だって。そうね…私たちが初めて出会った夜、実に刺激的な夜だったわ。そして夜が明ける頃、私たちはふたりで杯を酌み交わしたのよ」
思い出を反芻するかのように視線を夜空へと向ける幽香。気づけば手前の勇儀も似たような表情をしていた。
「あの夜のこと、地底でも時々思い出したもんさ。いや、忘れられるはずがない」
「私だってそうよ。あなたみたいな相手はそうそういなかったしね」
「思い出すねぇ。そう、あの日もこんな月が綺麗な夜だった」
そしてふたりは語り出す。出会いの夜というのはあまりにも野蛮な夜のことを。
太陽の畑は人里を挟んで妖怪の山とは正反対の方角、迷いの竹林すら抜けた幻想郷の奥地にある。その周囲には向日葵畑だけではなく、様々な花畑があり、四季に応じてそこを転々とする妖怪がいることが知られていた。
山の妖怪がこの辺りまで来ることは少なく、鬼を中心とした山の秩序を嫌う妖怪たちにとって、この地域は安らぎが得られる空間ともいえた。
そのひとつ、アザミが咲き誇る草原に、鬼の影。まずここで鬼の姿を見かけること自体が珍しいが、さらに目を引くのは鬼が膝を付いている点だった。
「くそぉ…私の負けだ、ひと思いにやってくれ!」
「鬼のそういった潔い態度は好きよ。じゃあ痛くないようにしてあげるわね」
無数の傷を負った鬼の前に立つのは、風見幽香。その服には一切傷がなく、若干スカートが土をかぶって汚れている程度だ。
彼女は鬼の角を掴むと、実に嬉しそうな口調でこう続ける。
「それじゃあ約束どおり、勝利の証として角をいただくわ。この傷が癒えるまで、貴方には敗者としての刻印が刻まれ続ける。ま、この一帯を得ようとした代償としては安いものね」
幽香の前にいる鬼は、山とは違うところで一旗あげようとした鬼のひとり。そして彼女に決闘を持ちかけられ、嬲られた。
だがこうして敗北を認めれば無駄な抵抗をせぬあたりが鬼らしい、というべきか。
彼女はその態度には関心しつつ、力任せに鬼の角をへし折る。
「がぁ…!」
激痛に悶絶する鬼にはもう興味がないといった様子の彼女は、手の内で角を転がすと、日傘をさして歩き出してしまった。
どこまでも続くアザミと月光が、幽香を照らす。
先ほど得た鬼の角を弄びながら歩いていた彼女だったが、ふと足を止めて日傘を閉じた。
そして先刻からずっと感じていた気配に言葉をかける。
「そろそろ姿を見せてくれても良いんじゃないかしら」
「いや、アンタの疲れが取れるまではって思ったんだけどさ」
「アレくらいなら準備運動が良いところよ」
「そうかい、じゃあお言葉に甘えるとするかね」
アザミを踏みしめる音を立てながら、幽香の死角より現れる人影。額から伸びた一本の角が象徴的な、鬼。
「それにしても…眺めていると思ったら、ひとの後ろからついてくるだけだなんて。大胆不敵に過ぎるんじゃないかしら」
「そういうつもりはなかったのさ。ただ霧になってみせたり、スキマから覗き込むなんてのは性にあわなくてね」
「なるほど、単純明快が一番ということね」
「その通り。分かってるじゃないか」
下駄で軽くステップを踏みながら、鬼は幽香の前に立った。こうしているときも杯を手放さぬあたりが実に鬼らしい。
「それで山の四天王がひとり、星熊勇儀ともあろう方がなんでこんなところにいるのかしら。別に花畑のひとつやふたつで喜ぶような身上でもないでしょう」
幽香はすぐに相手のことを見抜いた。その容貌、放たれる妖気から該当する候補は最強の鬼の一角とされる星熊勇儀しかいない。
「ハハハ、そんなことはないさ。これだけ綺麗なところを独占して酒が飲めたら、それは素晴らしいことだよ」
否定しないということは肯定と同じ。勇儀は笑いながら杯をあおる。
「で、アンタの名前を教えてくれるかい。そっちはわかっても、残念ながらこっちは分からないのさ」
杯を突き出して勇儀は言う。そういえば自分は先ほどの戦いでも名乗っていなかったなと幽香は思い出して、慇懃無礼に深々と礼をした。
「はじめまして。私は花を操る妖怪、風見幽香と言いますわ。以後お見知りおきいただきたいものね」
山の四天王といえば天狗たちから、そして鬼たちからも畏怖される存在。その勇儀に対してこれだけ不遜な態度が取れる相手も、そうはいない。
「幽香っていうのかい。私に似た良い名前だ」
「あら、そういえば音は一字違いね」
「だろう。これも縁かもしれない」
「貴方は意外とロマンチスト、なのかしら」
「いいや、ただ酔っ払ってるだけさね」
言い合ってふたりは笑う。その間幽香は勇儀のことを値踏みしていたが、どうにもとらえどころがない。権勢を笠に着るような様子もなく実に自然であり、それゆえの自若さというものを勇儀は持っていた。
「それでここにいる目的、だったかい」
「ええ」
「そりゃカドのある連中がこの辺りでちょくちょくやられてるって聞いたからさ。あいつらが強いって言ってるんじゃない。鬼を倒すことに恐れを感じない妖怪がいるってのに興味が出てね」
山の四天王たちに比肩する妖怪は複数いる。人間の中でも鬼に対抗できるものはおり、実際鬼を退治するものもいた。
だが、普通鬼と必要以上に敵対しようとするものはいない。大した理由もなしに鬼に挑むということは妖怪の秩序に対して挑むことと同義であり、個々の鬼を倒す以上の意味を持っているからだ。
「身の程知らずを虐めただけよ。ちょっとした日課だわ」
「なるほど。そうやって学べばあいつらも少しはマシになるだろうさ」
「鬼の教育係になったつもりはないのだけど」
「結果的にはそうなるじゃないか」
弾幕での決闘がルール化される以前から、幻想郷での戦いは基本的に互いでルールを決めてから行うものだった。だから決闘で死者が出ることは少ない。
それが長く生きる妖怪たちの知恵なのだ。
「で、目標の私に出会えた貴方はこれからどうするの」
「そりゃあ当然、手合わせ願おうってことになる」
「あらあら、本当にここが欲しいのかしら」
「いいや。ただアンタがどんな酒を飲むかに興味がわいてきた。どうだい、私が勝ったらアンタの愛飲してる酒を一晩中いただく。私が負けたら、鬼の酒を一晩中振舞おうじゃないか」
ほう、と幽香は内心声をもらした。この鬼は面白い。自分が弄んできた鬼たちと違い、純粋に戦いを楽しもうという姿勢だ。
「その提案、受けましょう。丁度地梨を漬けたのが頃合なのよ」
「そりゃあ良い。是非とも勝っていただきたいもんだ」
「もう勝ったときのことを考えているの?」
「負けるつもりでやる戦いってのがあるとは思えないよ」
それもそうね、と応じて彼女は日傘を地面に置く。勇儀もならって杯を手放すと、ふたりは軽く間合いを取った。
「アンタ、さっきの様子だとパワーに自信がありそうだったね」
「ええ。貴方は力の勇儀なんて呼ばれてるようだけど、私に勝てるかしら」
「なら試してみるかい。一番単純な方法でさ」
右手を前に出し、かかって来いと手招きする。弾幕も術も使わない、そんな野蛮な方法での戦いを勇儀は提案しているのだ。
益々面白い、と幽香は思った。戦いには様々なスタイルがありそれぞれに長所があるが、やはり肉弾戦に勝るものはない。相手の表情が、感情が直に伝わる距離でのやり取りこそが戦いの醍醐味を最も味わるのだから。
「喜んで応じましょう。私も四天王がどれほどのものか、興味があるわ」
いつも以上の高揚感で声が上ずりそうになってしまう。今夜の獲物は最高だ。しかも戦いの楽しみ方を良く知っている。
誘った勇儀もそれは同様。目の前にいる相手との戦いに興奮が抑えきれない。いや、抑えるつもりもない。
「じゃあ行くよ」
「いえ、こちらから行くわ」
ほんの数歩の距離。ふたりは同時にそう宣言して踏み込むと、拳を相手の腹部へと叩き込む。
ドン、という鈍い音が同時に響き、ふたりの肉体がくの字に曲がった。
強い。相手の実力を軽んじていたわけではないが、やはり一撃を食らう前と後では印象が随分と変わってくる。
「ハハハッ」
この感触こそがたまらないとばかりに勇儀は笑い声をあげ、幽香へと追撃をかけていく。
繰り返される単純な殴打。それ以外の攻撃などいらぬとばかりに幽香の顔へ、腹へと叩き込む。
だがその連撃を続けさせてくれるほど相手は甘くない。顔面を捉えんとした勇儀の拳に拳をあわせてさばいた幽香は、お返しとばかりに拳を返していった。
「まだまだ、こんなものでは終わらせない、わよ!」
「そうかい、そう…かいっ」
しかしすぐに勇儀も拳を打ち返す。そして対抗せぬ幽香ではない。
「楽しい、楽しいねぇ。まだまだ行けるんだろぅ?」
「そうね。もっともっと上げていくわよ」
気づけば互いが防御を考えずに打ち合う展開。
どちらが先に相手を圧するか。それだけを優先した意地の張り合いになっていた。
「そして、先に地面に膝をついたのは私だった」
悔しさを感じさせない口調で勇儀は言う。文はその表情を伺うが、一点の曇りもない。それが鬼らしさなのだろうが、天狗には中々理解しがたいものでもあった。
「正直意外ですけれど…」
「私だって驚いたよ。タフさには自信があったんだけどねぇ。そういや殴り合いなんてしばらくしてなかったと気づいたときには、コイツの勝ち誇った顔が前にあったってワケさ」
「こっちも苦しかったのだけれどね。ああいう瞬間というのは苦しさが吹き飛ぶわ」
幽香もそういうが、自慢するような嫌味さはない。ただ、戦いを思い出して反芻するかのよう。
「そしてその苦しみは、すぐに倍返しにされたのよ」
彼女はそう、続けた。
「いや~、はっはっは。凄い、凄いよアンタ!」
かぶりを振って意識を覚醒させながら、勇儀は大げさに笑う。その様子は楽しくて仕方がない、といったようだ。
「でしょう。そろそろ本気になってくれる気になったかしら」
今までのはほんの小手調べ。随分と激しい準備運動だった感じがするが、これからが本番なのだから。
「そうさねぇ。怪力乱神を操る程度の能力、ご覧じようか」
ペッ、と口の中にまじった砂を吐き捨てて勇儀は笑う。その笑みは幽香が今まで見てきた誰よりも獰猛。いかなる獣であっても敵わぬ表情だった。
ふぅ、と勇儀が小さく気合いを入れた刹那、幽香は思わず一歩退いていた。
なんという威圧感、そして重量感だろう。外見的な変化は何もない。ただ、力の勇儀と呼ばれた彼女が本来の状態となったのみ。
だというのに、幽香は圧迫される。その存在感に、目の前の敵が四天王と称される理由を認めざるを得ない。
「さて風見の。これが私の本気なんだが、そっちはどうなんだい」
軽い、いかにも軽い調子で鬼は問いかける。いや、実際彼女にしてみれば大したことではないのだろう。ただこの瞬間に自分を楽しませてくれるような相手にめぐり合えただけで、そこに大きな意義も価値もない。あるのは愉悦のみ。
「そうね。貴方にそこまでさせておいて隠し玉を後生大事にしておくわけにもいかないというもの。披露しましょう星熊勇儀、相手が貴方なればこそ」
幽香は足元に置いていた日傘を拾うと、勇儀から自らの肉体を隠すようにそれを開く。彼女が傘をくるりくるりとまわしながら身を翻す。そしてひらりひらりと舞うと、そこには先ほどまでと少々変わった姿の妖怪がひとり。
「ほう…こりゃまた随分と大げさな」
勇儀は唇の端を吊り上げて笑う。目の前に立つ女の背中には先ほどまでなかった緑と白、二対の羽。瞳を邪悪に染め上げ、艶然と立つ風見幽香。
「貴方が相手であるならば、いかなることでも過剰に過ぎぬと思うのだけど。そのあたり、ご当人はどうお考えなのかしら」
「んな御託はどうだって良いじゃないか。それよりどうだい、一発お試しってのはさ」
握りこぶしを作ってみせて勇儀は力比べを誘う。一発ということは、互いの攻撃を無条件に一度ずつ食らおうというのだろう。
面白い。
幽香は思わず笑みを漏らした。真剣勝負ならそのようなことはしないが、これはゲームなのだ。ならば楽しみつくさねばならない。
「せっかくのお誘いだもの、受けぬ手はないわ。それじゃあ貴方からどうぞ」
まるで席を譲るかのように日傘を置いた彼女は促す。受ける勇儀も同様で気軽にうなずいた。
「そうかい。じゃあ…行くよ」
勇儀は右肩を一度まわすと一歩、二歩とステップを踏んで右腕を振り上げる
「!?」
瞬間、幽香の意識は吹き飛ぶ。しかしその時間は長くは続かない。大地へと叩きつけられた痛みで彼女の意識は覚醒し、何が起きたかを理解した。
「ふぅ」
自分の一撃が幽香に大きなダメージを与えたことを満足するかのように、勇儀は息を漏らす。彼女の目の前で幽香はよろめきながら苦しげに立ち上がるが、顔には笑みを浮かべている。
「驚いた。貴方本当に強いのね」
「ハッ、予想以上だったかい?」
微笑で答えて幽香は握りこぶしを作る。次は自分の番、勇儀にこのままやらせるわけにはいかない。
「じゃあ、今度は私の番ね」
「ああ。やってご覧」
勇儀と違って幽香は能力で力を強化することは出来ない。だが、その拳に妖力や魔力を籠めることで威力を増幅させることが可能。
彼女は充分に力を体内にめぐらせると拳を固め、思い切り勇儀の顔面を振りぬいた。
「がぁっ」
打ち抜かれたような感覚。勇儀の肉体がよろめき、2歩、3歩と後退する。強烈な痛みで朦朧とする意識の中、しかし彼女は踏ん張った。
ここで倒れるわけにはいかないのだ。自分が倒れてしまえば幽香の拳が自分の拳と同等だと認めることになる。単純な威力だけで幽香に負けるわけにはいかない。その意地が彼女を支えていた。
「ハ…ハハ、中々やるじゃないか。私ほどじゃないにしても、さ」
頭を小さく振って意識を保ちながら勇儀は嬉しそうに笑う。幽香は勇儀の一撃で倒れ、自分は倒れなかった。
それは先刻の仕返しとして充分なものだった。
「いやぁ、あのときは気持ちよかった」
それはそうだろうと文はうなずきながら思う。幽香は勇儀に真正面からの対決を挑んだ。その挑戦を勇儀は一撃で白黒つけてみせたのだから。
「こちらは口惜しくて仕様がなかったわ。まさかあれほどのものとはね」
幽香の口ぶりにも先ほどの勇儀と同じように不愉快さはみられない。ただ当時幽香がプライドをいたく傷つけられたのは間違いないだろう、と思って文は幽香に問いかける。
「それで、当然おふたりはその後も殴りあったと思うんですが、幽香さんはどうやって士気を保ったんですか。普通自分よりパワーのある相手との消耗戦なんて、続ける気なくしちゃうでしょう」
「それは自分のスタミナを信じたのよ。目の前の相手が自分より先に倒れるはずってね」
なるほど、と文は苦笑する。らしい物言いではあるが、天狗のように体面を気にするものたちは出来ないことだろう。
「かはぁっ」
「くぅ!」
互いの拳が、蹴りが、肉体を傷つけてふたりは同時にうめいた。
幽香が勇儀の顔に拳を叩きつけると、勇儀が幽香の腹を蹴り飛ばす。
互いの肉体が崩れそうになるが、お互い踏みとどまると次の攻撃を繰り出していく。
「ほら、ほらほら!こんなもんじゃないよ。ダメになるまでついてきな!」
「ついてくるのはそっちよ。さぁ、どこまで耐えられるかしら?」
挑発しながらもみ合うのもつかの間、幽香に蹴り上げられた勇儀の肉体が宙を舞う。
素早く受身を取る勇儀だったが、眼前には両手を広げて跳躍する幽香の姿。彼女はそれをなんとか受け止めた。
組み合い、力比べをするように押し合う。勿論単純な力では勇儀が勝っているのだが、体勢で幽香が有利なために力を思うように発揮できないのだ。
「ふふっ、ふふふふ…」
幽香は笑みをこらえることができない。自分よりも腕力で勝っていることが分かっている相手を圧するこの瞬間、たまらない。
「く、くぅぅ」
見下された勇儀からすればこれほどの屈辱はないのだが、それよりも対抗心が先に来るのが、彼女だ。
不利な体勢で押し込まれているというのに、無理に幽香の腕を押し上げて行く。
「な…こ、このっ」
思わずムキになって幽香も押し返そうとするが、勇儀の勢いは止まらず徐々に幽香の両腕は抵抗を失い、そして
「がぁ、う、ぁぁぁ!」
悲鳴を上げたのは幽香。腕を強引に吊り上げられ、あらぬ方向へと曲げられている。
「は、はは…どうだい思い知った…か!」
気合を込め、勇儀は幽香の肉体を大地に叩きつける。そしてうめく幽香の肉体を踏みつけ、踏みつけ、
「まだ、まだまだ…よっ」
その足を強引に掴むと、幽香はお返しとばかりに勇儀を引き倒す。続いて馬乗りになった彼女は、勇儀の頭部へと拳を叩き込み続ける。
だがそれもつかの間、すぐに勇儀は体を入れ替えると同じように幽香を殴打し、それをまた幽香が返した。
「フ、フフフッ、大分、息があがってきた、わね」
「そっち…こそ、きつそうじゃない、か」
どんなに体力自慢であろうとも、防御も考えずにぶつかりあえば急速に消耗する。その過剰なダメージは、ふたりの意識を朦朧とさせるのに十分すぎるもの。だというのに、ふたりは競うのをやめようとはしない。
「ハァ…ハッ、フフフ…どう、こうして見下ろされる気分は」
「ちぃ、くぅ……ハ、ハ、ハ、悪くは、ない眺め、だねぇ…」
くんずほぐれつ、鈍い音の繰り返しの果てに、幽香は勇儀を組み敷いていた。
勇儀の四肢を制した幽香には疲労の色が濃いが、顔にはサディスティックな笑みが浮かび、愉悦で瞳が輝いている。対する勇儀も体力的な限界が近いであろうに、挑発的な表情には変化がないようだ。
「あらそう?こちらもかなり良い眺めよ。こんな眺め、私以外誰も見ることができないんじゃないかしら」
右手で勇儀の両手を押さえ、左の拳を何度も打ち下ろしながら幽香はうれしくてたまらぬといった様子。
「はぁ、グッ!」
何とか振り払おうとする勇儀だが、身体が言うことを聞かない。まさか自分がこんなに打たれ弱くなっているとは、と彼女は自分をなじらざるをえない。
そもそも鬼に殴り合いをしかけてくる相手など普通いないのだ。鬼同士がそういった事態に陥ることはあるが、それでも自分に対して挑んでくるものなどほとんどいなかった。
(そのせいでこのザマたぁね…)
一撃の重みで勝っていてもタフネスが違う。相手だって最早限界に違いないが、圧している側と圧されている側、その差は歴然としていた。
かろうじて意識こそ保っているが、この場をひっくり返す妙案も浮かばぬし、力もわいてこない。ただ耐えるだけなど、自分の性にはあわないというのに。
「これで終わり、ね。星熊勇儀という名前に少しは期待したのだけど、こうしてしまえば凡百の妖怪たちとなんら変わらないものだわ」
勝利を確信した幽香のひとこと。だがそれは、勇儀の闘争心を刺激するのに十分すぎるひとことだった。
(なめてくれるじゃあないか。その顔、なんとしても苦痛にゆがませてやらないとねぇ)
ならば一瞬でこの場を崩してやらねばならない。それはどのタイミングか。おそらく今この瞬間しかないだろう。
幽香は拳を振り上げ、今まさに打ち下ろそうとしている。彼女の体が上向いてるこの瞬間に、全てを賭けるしかない。
「そう簡単に…」
「え?」
先ほどまで打たれっぱなしだった勇儀の様子が変わったのに気づき、思わず幽香の動きが止まる。これはいけないと思って離れようとしたが、気がつけば押さえていたはずの勇儀の両足に、己の両足が絡め取られている。
「やらせるわけにはいかないのさ!」
あわてて両手で勇儀を押さえつけようとするがもう遅い。幽香の右手を払った勇儀は、身を半ばまで起こすと相手の腰を両腕で押さえ込み、一気に締め上げた。
「が、あぁぁぁ…!?」
血管が押しつぶされ、骨がきしむ痛みに耐えられるはずもない。幽香が獣のような悲鳴をあげるのを聞いて、脂汗を流した勇儀の口元が小さく緩む。
「はっはっ…ハハハッ、どうだい風見幽香。そっちこそ痛みの前では凡百の妖怪のようだね」
「あ…ぐぅ…こんなもの…で!」
引き剥がそうとすることをあきらめた幽香は、痛みで意識が吹き飛びそうになるのをこらえながら、勇儀の頭に向かい何度も、何度も執拗に拳を打ち付ける。
「はぉ、あっ、が!…しつこいねぇ、く、あまりしつこい、と嫌われ…がぁっ」
「それはこっちの…セリくぁぁぁぁぁっ、良い加減にぃ…!」
どんなに締め上げても拳が止まることはない。そのたびに意識を失いそうになるが、なんとか踏みとどまっている。
拳を叩き込んだその瞬間、一瞬だけ締め付けは弱くなるが、直後にはそれ以上の力で締め上げてくる。
互いに相手の限界の方が早く来ることだけを信じて、あまりにも野蛮な戦いは最後の瞬間を迎えようとしていた。
「か…はっ……」
声になりきらぬ悲鳴を搾り出し、幽香の身体が糸の切れた操り人形のように崩れ始めたのだ。
「ハァ、ハァッ、ハァァ…」
締め付けていた腕をゆるめた勇儀の視線の先で、幽香の身体は徐々に後ろへと倒れて行き…
ドンッ、という音がした。
何の音かと思えば、幽香の左手が大地を叩きつけて杖のように肉体を支えている。
…いけない。
勇儀の頭で危険信号が鳴り響く。その音につられるように勇儀は右の拳を握り締め、まさに今自分に拳を打ち放とうとしている幽香の顔面に照準を定めた。
「散りなさいっ」
「終わりさぁ!」
互いの拳が相手の顔に埋まり、ふたりは同時に昏倒した。
「…で、どっちが勝ったんです?」
「相打ちさぁ。つまんないことにね」
「なるほどなるほど。それで以後勝ったり負けたり引き分けたりの繰り返しってことですか」
「簡単に言ってしまえば、そうなるわね。まあちょっとした交流よ」
まったくとんでもないコミュニケーションだ、と文は苦笑する。出会い頭で弾幕を打ち合うということは幻想郷でもしばしば見られるが、骨肉の争いをしようと言い出す手合いはいないだろう。
「うーん、私にはそういうのは無理ですね。必要性がないですよ」
「要不要というのとは違うわね。あの閻魔みたいにいえば、白黒はっきりつけるのが楽しいのよ」
「だねぇ。ま、手加減なしでぶん殴って良い相手ってのも中々いないもんだし、さ」
そりゃそうでしょうとも、と苦笑が続く文。幻想郷の強者というのはどこかがずれている。暇さえあれば大小さまざまな異変を引き起こしたり、用もないのに冥界と顕界の狭間を希薄にしたり、生きてるうちから死後のことを説いて回ったりと無用なことばかりしている。
「…それもまた強者ゆえの娯楽なんですかね」
「ん?」
「あやや、ひとりごとですひとりごと」
「そうかい。じゃあつもる話はここら辺にして、呑みなおそうかね」
今までも語りながらずっと飲んでいたではないですかと言いたいが、文はそれをこらえた。集中して飲むことと、語りながら飲むことはまったく違うのだろう。
「それじゃあ…何に乾杯しようか」
「それはもちろん、貴方と私の肉体の頑丈さに、じゃないかしら」
「ハハハ、それでいこうか」
豪快に笑う勇儀に続いて、幽香と文は杯を傾けた。
かっけぇ……!マジかっけぇっす!
俺、姉御に一生付いていきます!
そんな気分になりました。
ひょっとして妹紅もこのクチですかね?
やたら似合いそうです。
こんな男前な方ばっかなのかね幻想郷は
もこたんはどうなんでしょうねー
原作だと結構女の子している部分もありますが、輝夜との関係もありますし
何よりタフなのが幻想郷のバトルジャンキーたちに注目されそう?
冬。さん江
難しいですねぇ
長く書くだけじゃダメですし、かといって短すぎると味気ないし
練習していきます
ずわいがにさん江
幻想郷の妖怪はそれぞれに趣味人的な部分があるのかなと
それが粋だったり、風流だったりと
蒼さん江
スペルカードルールという決闘ルールのおかげで、これからもイケメンな人妖が出てくるかもですね