十六夜 咲夜は悩んでいた。
上品な金色の模様が描かれたティーカップを見つめながら、眉を潜め難しい顔をし、時折思い出したように吐息を漏らす。頬を右手の指先で撫で、憂鬱そうにそれを眺めるその仕草からしても、状況は芳しくないようである。
彼女がこうも思い悩んでいるのは、この屋敷のお嬢様。レミリアの口から出た言葉によるもの。
不満を零す一言によるものだった。
『……美味しくない上に、面白みがない』
吸血鬼の好物である血液を固まらないように独特の手法で混ぜた紅茶。
いつも飲んでいるはずのそれを、レミリアは一言で切り捨てたのである。彼女の好物であるB型の血液を多めにブレンドしたというのに。それが否定された。
いつも以上の愛情を注いだはずなのに――
だからそのときの様子を自分で再現するため、台所を貸切にした状態で何度も何度も確認していた。紅茶の作法から始まり、自分の手の動き、そしてそれをお嬢様の手元へと運ぶ仕草。
そのすべてを思い出しながらやってみても自分に不手際があったとは思えない。
むしろいつもよりも丁寧だった気がするくらいなのだから。
カタンッ
「……どなたです?」
そうやって紅茶セットとにらめっこを続けていると、後ろから何かが壁にぶつかる物音。
妖精メイドが覗き見に来たのかと思い後ろを振り返れば。
「えへへ、すみません……」
ぺろっと恥ずかしそうに舌を出すよく見知った姿がそこにあった。彼女もティータイムのために茶葉を取りにきたのだろう。そう思って咲夜が見ていると、別の棚からコーヒー豆を取り出した。それを見てから咲夜は小さく息を吐く。
「……またコーヒーですか。
それを飲んで眠気を覚ますくらいなら、お眠りしてくださいと申し上げたはずなのに」
「すみません、パチュリー様は言い出したら聞かないもので。
『魔女は本来睡眠を必要としないからいいのよ』とおっしゃるばかりでして」
指を一本立て、主の口調を真似ながら言う。
その声があまりにも無理やり似せようとしているので、咲夜は思わず控えめに噴き出してしまった。
「あなたを咎めているわけではないのだから、謝らなくてもいいのよ。従者として主人の命令に従うのは本来のあり方ですもの。
あ、それと、先ほどのものまねは中々でしたわ」
「そ、そうですか? ありがとうございます。
あまり自信がなかったんですけど、って、そう言う咲夜さんはいったい何を。
先ほどからカップをずっと見ているようでしたけど」
恥ずかしそうに顔を頬をほんのり染める小悪魔の指摘を受けて、咲夜は従者同士の会話に花を咲かせている場合ではないのを思い出す。紅茶をもう一度、『美味しい』と言って貰うためにはもう時間を無駄にできないのだから。
そうやってまた真剣な表情に戻ってしまう咲夜の肩に、柔らかな感触が乗ってくる。
「駄目ですよ、そんな難しい顔をしては。
そんなんじゃいいアイディアなんて出てくるわけがありません。常に頭をすっきりさせて試すことこそが大事、と、パチュリー様もおっしゃっていましたから」
「ふふ、またパチュリー様の受け売りなのですね」
「ええ、私の中では尊敬すべき人ですからね、立場的に。
というわけで、一人で悩むより二人。ご相談にお乗りしますよ。一応、私の方がお姉さんですしね」
えっへん、腰に手を当て、そんな擬音が聞こえそうなくらい胸を張る。白黒の魔法使いや巫女等との弾幕勝負ではあまり頼りにならない小悪魔だが、さすがに図書館の司書のような役回りをしているため知識は豊富。もしかするとパチュリーの次に頼りになる存在かもしれない。
「そうね、一人より二人。良い言葉ですわ」
そんな元気の良い小悪魔におされるように、咲夜はその悩みをぽつぽつと語り始めたのだった。
「……ねえ、レミィ? これって嫌がらせのつもり?」
小悪魔に淹れてもらったコーヒーを口に運びながら、パチュリーは親友の吸血鬼が持ってきた異物を覗き込む。その液体は何故か上品なカップに入っているのだが、飲み物とは思えないほど淀んだ黒色をしていて、まるで自分で飲んではいけないと自己主張しているようだった。
その問いかけられた方はというと頬杖をつきながら立ち並ぶ本棚の方に顔を向けたまま。
まるでそれを視界に入れたくないとでも言うように。
「紅茶、らしいわよ?」
「……濁った黒い液体を紅茶と呼ぶのは初耳だわ」
「私も初体験よ。一瞬大掃除の後のバケツの汚水を思い出したくらいだもの」
「この危険物を製造した作者は誰っ――聞くまでもないわね。流水に触れないレミィが料理できるはずないものね」
「……ふん、料理をメイドが作るのは当たり前でしょう?
それに料理がなければ直接噛み付けばいいし。
まあ、そんなくだらないことはいいとして。パチェの予想通り、これも咲夜の作品なのよ。
健康に良いものを混ぜたらしくて」
「何を混ぜたらこうなるのかあまり想像したくないのだけれど……
興味本位で聞いてもいい?」
紅茶の中に血を加えるので、通常の紅茶よりレミリアが飲むものは赤い。その特徴を見事に消せるということは、色の組み合わせが致命的なのだろう。
確か、赤と混ぜて汚い色になるものといえば……
「抹茶の粉……」
「見事に緑ね、健康には良さそうだけど」
ただ、まず間違えても口をつけようと思わない。
料理を完璧にこなす咲夜がどうしてこれを出そうと思ったのか、紅茶に関しての彼女の基準がいまだにわからない。
「この前なんて、どくだみ入れるし……」
「主人の健康を気にする、実にいい従者じゃないの。
それを拒むなんて、上に立つものとして恥ずかしくないのかしら」
「……じゃあ、パチェはどうなのさ。小悪魔が抹茶入りコーヒーとか入れてもってきたら」
「いつも疲れている小悪魔に飲ませてあげるわ。魔法で束縛してからゆっくりと味あわせるように」
「……鬼がいる」
「魔女よ、残念だけど」
改めてその紅茶を覗くと、なんだか緑の粉が分離を始めて余計に気持ち悪い世界を生み出しつつあった。ただ分離するほど長時間放置されているということは……
「飲まなかったのよね? これ」
「飲んだわよ、一口。すごく苦かったわ……」
強敵を思い出すように、遠い目をして語るが、その噂の『強敵』が目の前のテーブルの上にあるため、喜劇にしか映らない。
我侭なレミリアのことだから、いつも口に合わないお茶を残しているのではないか。そう思われがちだが、妙な匂いがしたり、得体の知れない味がうっすらとしたりする咲夜の紅茶を彼女が残したことはなかった。飲み終わったあと全身を小刻みに震わせていたときもあったが、作ってくれた恩義のためにしっかり飲み干す。
そのレミリアが さすがに今回ばかりは飲むのを拒否した。
「今まではちゃんとした紅茶だったから我慢してたけど、さすがに今回は言ってやったのよ。
『飲む価値がない、もう少し私に相応しいものを混ぜてはどう?』ってね」
「ねえ、まず混ぜるという行動を注意してはどうかと思う私は間違っているのかしら」
「…………ぇ?
え、ええ、もちろんよ。今度同じようなことがあったらそう言うつもりよ」
「……考えが及ばなかったのね」
時々、当たりのブレンドも生まれるので、それを楽しんでいるだけなのかもしれない。
そう思っていたパチュリーの予想はあっさりと外れてしまう。
紅魔館の一員としては、その方が喜ばしいのだけれど。
だって――
「……で? 一番気になっているんだけど、それ、もう飲まないの?」
「当然よ、誰がこんな……」
「じゃあ、捨てなさいよ」
「……うぅぅぅぅぅぅ、わかってるわよ」
直接台所に行かず、パチュリーから言ってもらわないと捨てることができない。
大好きな従者が、自分のために作ってくれたものをどうしても無碍にできない。
そんな小さな主だからこそ、彼女が親友に選んだわけなのだから。
ただ、直感というのだろうか。
パチュリーは何か嫌な予感を感じていた。
レミリアが言った言葉の中に、絶対に言ってはいけないものが含まれているような気がして……
――小悪魔、お願いだから頑張ってね。
咲夜と一緒に出かけさせた少し頼りない従者に思いを馳せたのだった。
「――へくちっ!」
「あら、風邪ですか?」
「いえいえ、体が丈夫なだけが取り柄ですから。こう見えて本なんて一気に十冊くらい運べますし」
大きめの買い物鞄を下げた小悪魔と咲夜は、人里の大通りの中を歩いていた。
ちょうど日が傾き始めるこの時間帯は夕市が始まる時間でもあり、段々と通りには人の波が生まれ始めていた。並ぶ様々な露店からは活気ある店主の声が響き、それに負けないくらいの声で注文を叫ぶお客。そんな中、彼女たちが探すのは夕食のおかずでも明日の朝食の材料でもない。
紅茶に入れる隠し味で――レミリアに相応しいもの。
すでに『美味しい』というキーワードが行方不明になっているのが気になるところなのだが、そこは小悪魔の努力でカバー。咲夜が得体の知れない薬品を売っている店へ近づこうとすると、小悪魔が手を反対側に引っ張る等、静かな攻防が繰り広げられていた。
そしてやっと無難な果物や野菜を売っている露店を見つけ、咲夜がそちらへ向かうよう反対側から軽く押す。人波に押されたと見せかけて。するとその誘導のとおり、咲夜の足が店へと向いた。
「こんにちは、何か珍しいものはあるかしら?」
「あるにはあるが、何に使うか教えてくれないと薦めようがないよ」
中肉中背の男は営業スマイルを浮かべながら、咲夜の問いに答える。小悪魔からしてみれば、回り並ぶ色とりどりのものから甘めのものを選べばいいのではないか、と単純に思ってしまう。しかし咲夜の紅茶への思いはそんなに単純なものではないらしい。
「調味料のように、隠し味として使えそうなものならなんでもいいのですが」
「隠し味、ねぇ……
じゃあコレなんてどうだい? 少し刺激的だけど」
そうやって主人が進めたのは、三日月のような細長い姿をした。真っ赤な野菜。
その小指ほどの大きさの物体は明らかに……
『とうがらし』
さすがに落ち着くひとときを演出するためのティータイムに、そんな赤いだけが共通点のものを入れるなんて――
「……ありかもしれないわね」
「すみません、私にはそう判断できる要素が全然わからないんですけど……」
「とうがらしはね、殺菌効果が高くて、少量ならお腹にもいいと聞いたことがある。
小食のお嬢様には適していると思わない?」
「ええ、そこまで聞いていると至極ぴったりに思えるんですが。
前提にある紅茶というものの良さをまるっきり消しているような気がします」
「なるほど、良い意味で強く主張しすぎると」
「どちらかというと最悪の部類です」
かなり強めに対抗していると言うのに、小悪魔の対応にも無表情に――
しかも悪意なく冷静に、間違った方向に対応する。
紅茶という飲み物は瀟洒なメイド長をここまで変貌させてしまうものなのだろうか。小悪魔が身を引きながら恐怖に慄いていると、咲夜は無表情のまま春菊を手に取ろうとする。その手をがしっと掴み必死に首を激しく横に振る小悪魔の対応に少々不満そうな顔をする咲夜だったが、その誠心誠意がやっと通じたのかその手を引き――
パセリへと反対側の手を――
――その日。
露店の前で、無言で激しい組み手を繰り返す不審者二名が多数の住民に目撃されたのは言うまでもない。
「……やはり、あまりに無難すぎる気が」
「紅茶で冒険する人に言われたくないです……」
小悪魔の献身的で物理的な説得のおかげで、『混ぜるな危険』と張り紙を付けたくなるような材料が買い物袋に入ることはなかった。その代わりに甘味の多い野菜や果物が控えめに揺れている。小悪魔にしてみればこの果物を混ぜてミックスジュースとして出した方が絶対に喜ばれる気がするのだが、ここまで付き合ったのだからなんとか美味しい紅茶にしてやろうと躍起になっていた。
それでも料理人でもなければ、主に人と同じもの、というより人の欲望やら人そのものやらを食べる悪魔にとって、味覚は趣味とかそいういう類でしかないので――
とりあえず甘いものや、甘酸っぱいものを入れれば飲めるものになるのではないか、と思ったわけである。その無難な反応に咲夜が不満顔をしているというわけだ。
「いいですか、咲夜さん。
いつも料理を作る感覚で組み合わせればいいんです。
それで絶対美味しくなりますから」
「……そんなものでしょうか」
何故か小悪魔が先行し。咲夜がついていく状況。
立場がすっかり逆になったもの珍しい光景に、道行く人は興味深そうにその二人を眺め――そんな人影の中に見知った顔があったので咲夜は思わず立ち止まってしまう。
「あら、こんなところで奇遇ね」
「おやおや? お二方も夕食の買い出しか何かですかな?」
話し掛けられることが少ないその人物は、挨拶をされたことに純粋に驚きながらゆっくり咲夜に近づいてくる。人間に近い黒髪と、高下駄ならぬ高靴を履いた活発そうな少女。鴉天狗の文だった。
普段は話し掛けるだけで取材させろとかうるさいので、比較的避けられる傾向にある文に何故咲夜が話しかける気になったかといえば、手に手帖やカメラを持たずその辺の主婦と同じように買い物袋を下げていたから。
「そちらも、ということは今日は取材ではないの?」
「ええ、年末も近いということで、そろそろ忘年会の準備をしようかと。準備といっても酒の注文程度だけどね。私の家系は酒豪揃いだから、油断するとすぐなくなっちゃって」
「なるほど、それ以外は必要な食器類ってところね。
あそこの隅のお店などは、良心的な価格でしっかりしたものを扱っているわよ」
「おっと、それは良い情報を。
天狗が他の種族に教わるなど、これは一本取られましたな」
普段の取材中では考えられない軽い口調、実はこれが文の地だったりするのだが、どうしても取材のときのイメージが強すぎて多少不自然さを感じてしまう。そんな飾らない文と咲夜が世間話を交わしていると――
「さーくーやーさーーん! はやくいきますよーー!」
すでに別の店で品物を選び始めていた小悪魔に怒られてしまう。
まったくどちらの用事で来たのやら。
「そちらは相変わらず、中々忙しいようで」
「そうでもないのですが、これはある意味私の趣味のようなものだし。
紅茶の隠し味にいれるもので、レミリアお嬢様に相応しいものを探しているの」
「あの吸血鬼に相応しい、ということは偉そうな何か、ってところかな」
「まあ、それに近い形で……
何か心当たりがあれば、教えて欲しいのだけれど」
「ふむ、そうですな」
文は妖しく微笑むと、瞳を半眼にしながら咲夜へと向けようとして――
何かを思い出して苦笑する。
「こんど取材に協力していただくということでお教えしようかと思いましたが、さきほどの情報料がまだでしたし、無料でお教えいたしますね」
「あら、それは助かりますわ」
「妖怪の山の現人神が、何やら珍しい果物をある店から譲り受けたそうで。
なんとその果物は『果物中で一番偉い』とされるものらしいですよ。
まあ、外の世界の知識ですから確かめようがないのが悲しいのですが」
「一番偉い、果物……」
もしそれが本当なら、これほどレミリアにふさわしいものはない。
吸血鬼の中でも気品溢れるお嬢様に、名高い果物。
これは神の思し召しではないだろうか。
「しかもその果物を誰かに譲りたいとも言っていたので、今が良い機会かと」
「それはまたとない話ですね、急いで行ってみるとしましょう。
では、失礼を」
そう言って、メイド服の裾を掴んで丁寧に文に一礼した直後。
いきなり文の目の前から、霞のように消えてしまう。
文が目をパチパチさせながら、声を上げていた小悪魔の方を向いてもその姿はない。
「おやおや、能力を使ってまでとは。
随分と余裕のないご様子で」
人の増え始めた市の中、文は呆れたように肩を竦めてから。
咲夜オススメの露店を目指したのだった。
「へぇ、果物の中の、果物。
上品な甘さのものを紅茶に入れてみた、と?」
「はい、お嬢様。あのような失態を演じた後でも私の紅茶を試していただけるのであれば、是非とも味わっていただきたいと……」
すっかり日が沈み、夜の眷属の時間が訪れた頃。
夕食を終えたレミリアが満足げに唇をナプキンで拭く側に咲夜がやってきた。
そしてもう一度チャンスを頂きたいと申し出たのである。
「その果物というのは、どこから手に入れたのかしら」
「外の世界の果物、だったかしら? ねぇ、こぁ?」
「……はひ、そほです」
「妙に鼻声ね……」
同じテーブルについて、食後のデザートを楽しんでいたパチュリーは自分の使い魔の妙に赤くなった鼻を見て、心配そうに眉を潜める。風邪を引いたときもこんな酷くはならなかったのに、しかも咳をするわけでもなく、ピンポイントに鼻だけ。
咲夜と出かけて、戻ってきてから何かあったのだろうか。
「へぇ、その外の世界の果物を私のために?」
「ええ、もちろん。ただ一人、私の大切なお嬢様のために……」
「ふふふ、可愛い子。
いいじゃない、その紅茶とやら私が試してあげる」
と、レミリアが前髪を指で弾きながら。
主の威厳たっぷりに答えると――
ガタッ
咲夜がお辞儀するよりも早く、何故か小悪魔が自分の近くにある椅子で足を引っ掛けて倒れていた。食器を片付けようとして転んだだけ。ゆっくり身を起こす小悪魔を見ながらそう思ったパチュリーは、その行動を大して気にせずトントンっと軽く指でテーブルを打った。
「そんな珍しいものなら、私もいただいて――」
そう言い掛けた直後――
ビクッと小悪魔の羽が大きく震える。
そして言葉を続けようとするパチュリーに小悪魔が耳打ちした。すると、面白いくらいにパチュリーの片眉が跳ね上がるが、それでもそれ以外の表情を変えないのはさすがと言ったところか。
「いえ、いただこうかと思ったけれど。せっかく咲夜が持ってきてくれたものですもの。
今回は遠慮させていただくわ」
「あら、遠慮しなくていいのよ、パチェ」
「いいえ、また何か珍しいものが入ったら試させてもらうわ。
でもレミィは残さず味わいなさいね」
「ええ、もちろん。従者の愛を受け止めるのが主の務め。当然のことよ」
そんなレミリアのことばにうっすら頬を赤く染め、咲夜はそれを見られないように顔を下に向ける。そんな可愛いメイドの手を握り、その甲に口付けした。
「私のために準備してくれたもの、用意してくださるかしら」
「はい、喜んで……」
そう言って咲夜は時を止め、愛しのお嬢様を待たせないように準備しておいた紅茶の最終チェックを行い時を動かす。そしてそれに遅れること数秒、パチュリーもほぼ同時に準備を終えた。
「こちらでございます、お嬢様」
時を止め、綺麗に注がれたカップ。
その中には紅茶というより、乳白色に近い液体がある。
「ミルクティー仕立て、といったところかしら?」
「ええ、そのとおりですわ。
風味付けに、果物のエキスを」
「へぇ、中々じゃないの」
色だけを見ると、普通のミルクティーより白く見えるけれど異常は見られない。
しかも甘い果物と聞いているので味もおかしくはないはず。
これは数少ない当たりの部類かとレミリアの期待は跳ね上がるが――
一点だけ。
いつもにはない特徴が、そのカップにはあった。
「咲夜? なぜカップに透明なフタがついているのかしら?」
「まず、色を見ていただいてから、香りを味わっていただこうかとおもいまして」
「なるほど、そこまで私を焦れさせるとは憎い演出じゃないの」
そこまで勿体ぶる物なのだろうか。
そう思うだけで、レミリアの心は小躍りしてしまいそう。
それでも表情にはそれを出さず、ただ薄い笑みを浮かべるだけ。
ただ――
もしこのとき、少しでも冷静であったなら。
パチュリーが席を立ち、紅茶から逃げるように距離をとっていたのに気付いたかもしれない。
小悪魔が脅えるように、身を小さくしているのに気付いたかもしれない。
ただ、何も知らない紅い悪魔は。
促されるままその透明なフタを取り……
それを鼻の側まで持っていって。
ごふっ!?
盛大に、むせた。
そしてそのカップを慌ててテーブルの上に戻し、少しでも離れようと椅子から立ち上がろうとするが……
『……束縛せよ』
そこで、パチュリーの魔法が発動し、レミリアの体を魔法の鎖で椅子に繋ぎ止める。
そうやって動きを固定されたレミリアは軽いパニック状態に陥りながら、ジタバタと暴れ始めた。
「さ、さく! さくや! それを、それを早く退けて! お願い! 早く!
パチェも妙ないたずらしないで!」
「あら、レミィ。
さっき自分で言っていたわよね? 従者の愛を受け止めるのが主の務めって」
「いや、いやいやいや! そういうのじゃないって!
これ絶対、愛とかそういうのは入ってないって!」
「お嬢様……」
「ほら、凄く咲夜も寂しそうよ? それに美味しそうじゃないの、色だけなら……コホッ」
そう、色だけなら。
色だけなら、凄く美味しそうに見えるのだ。
濃厚なミルクと紅茶の風味、そしてほんのり舌に残る果物の甘さ。
その液体を見ているだけで、そんな味が想像できるというのに……
なんだろう。
この強烈な腐敗臭は……
まるで、台所にたまねぎを一ヶ月ほど放置したときのような。
まず間違いなくこの匂いに到達するまでには捨てるはずの、そんな我慢するというレベルを超えた生臭さ。
一度、咲夜が紅茶に魚のエキスを混ぜて――
『これが本当の血生臭さ』という爆弾のようなものを仕上げたことは合ったが――そんなレベルじゃない。何せ部屋の隅に避難したはずのパチュリーが、咳をしているくらいなのだから。
「小悪魔、よくこの匂いの中。下準備手伝えたわね……」
「……しぬかとおもひまひた」
小悪魔が鼻を赤くし、あの紅茶に脅えていたのはこういう裏事情があったから。
それでも楽しそうに準備をする咲夜に正直に伝えられなかったのだ。
「いや、絶対! 飲まない! 飲まないからね!
咲夜も咲夜よ! なんでこの匂いの中平気なのよ!」
「……そうですか? 特に何も感じませんが?」
「ウソよ! 絶対ウソよ!」
「……えっとね、人間は一定の刺激を与えられ続けると、その部分がマヒしたりするのよ。
ということで、レミィ、あーん♪」
涙目になって必死に逃げ出そうとするレミリアだったが。
パチュリーが魔法でそのカップを浮かせるのを見て、顔を真っ青にした。
もう生きているとは思えないほど、体を固めて。
「うそ、うそうそうそうそ! 冗談よね? 冗談よね、パチェ!
無理だって、それ絶対無理だって!」
何度拒否しても、カップはどんどんレミリアの顔に近づいてくる。
こうなったらもうカップごと壊すしかない!
レミリアは魔力を瞳に集めて……
「レミィ、言っておくけど。
そのままカップ壊したら、液体全部かぶることになるから」
ピタッ
「よし、目標停止! チャンスですパチュリー様!」
「おっけー」
匂いでテンションのおかしくなった小悪魔の指示のもと。
呆然とするレミリアの唇に。
『紅茶』という名の――
凶暴な匂いを放つカップが、触れたのだった。
断末魔のような悲鳴が響く紅魔館の中。
台所に置かれた、ダンボールという外界の箱には、見たことのない言葉でこう書かれていたという。
果物の王様 『ドリアン』 と。
後半のパチュリーがお嬢様を魔法て椅子に繋ぎ止める場面で一箇所文が変になっていますよ。
たしか値段高いんだっけ。
現地で収穫したてをいただいたのだが、匂いだけで死ねる。
20mは軽く漂ってくるあの独特のかほり。思い出すだけで吐き気が……
しかしすごく味がいいんだ
まろやかで、なめらかで、まるでマンゴープリンを果実にしたような。
だから余計に匂いを際だたせてもうマジで阿鼻叫喚っあ゛あ゛あ゛っ
想起「光輝くフルーツのトラウマ」ッス。五年以上前の話ですが。
ああ……咲夜さんの愛が怖い
愛の力は大きい
故に少しでもずれると死も生温い地獄をもたらすのですね。
フレーバードティーってレベルじゃねぇぞ!
レミリア
>画し味
隠し味
まぁ、現地の噂なんで信憑性は低いですけどw
咲夜さんの暴走がとても楽しい作品でした。
香りを楽しむとかは不可能でしょうが
なんでパチュリーがあんなに飲ませることに固執したのかもわからない。イジメじゃないか。
はっきりとしたキャラの崩しではなく静かなくずれかたをしているのがとても咲夜さんらしいと思え、楽しめました
そういうギャグの作品と感じたので、私はオチを素直に良いものと思えましたね。
嫌がっているのに(何の説明もなく)強引に飲ませようとするパチュリーも、
嫌がっているのに欠片も疑問も持たない咲夜も。
前振りの段階でパチュリーを怒らせておくとか、そういう手順を踏んで
いれば印象もかなり違うと思うんですけどねー。
ちなみにドリアンは採りたては甘いにおいがします。
この作品を読んで分かった、俺はこれからも嗅ぐことはないと思う
妖怪だから大丈夫だろうと面白がってやっているものばかりだと思っていたのだが、
案外この作品のように"愛"を込めていたのかもしれない。
愛ゆえに人(吸血鬼だが)は苦しまねばならぬのか!!
でもな、食うとしばらくきついんだ…臭いが
しかもジップロックしても臭いが溢れるんだ…
ドリアンはクサヤと並ぶ化学兵器。
高校生時の修学旅行で言った沖縄のホテルで、嫌いなクラスメイトの部屋にドリアンを放り込んだことを思い出します。