Coolier - 新生・東方創想話

地蔵は斬れない

2009/12/14 19:26:27
最終更新
サイズ
10.4KB
ページ数
1
閲覧数
2233
評価数
14/64
POINT
3620
Rate
11.22

分類タグ


 閻魔は自分を受け入れない。――
 その事実に、八雲紫は両腕を組み直した。彼女のような奔放な気性にあって、ああいった存在との付き合いを余儀なくされるのは、相当の負担なる。
 平素なら口元を扇子で隠すぐらいのことはしたが、今日の彼女はむっつりとした顔を露わに、散歩をしていた。道士の衣装の所為で、ともすれば参内の途上のようにも見えたが、垂れる頭も寂しくなった、晩秋のすすきの原が広がっているだけだった。
 いや、一つだけ、あるにはある。そのことを紫はすっかり忘れていて、それがまた、腹立たしかった。
 道の先には、地蔵がある。あの閻魔は、地蔵から成り上がったと聞いていた。四季映姫のすました顔を初めて見たときは、なるほどと思ったものだった。

 その映姫が、まったくの石頭だった。
 内心、こんな幻想郷からの魂を受け入れてくれる閻魔に、感謝の念もあった。一応、紫も伊達に長生きはしてなかったから、通せる筋は全て通した。それでもなお、あの閻魔という奴だけは、油断がならなかった。
 万が一、閻魔に拒否されていたら、輪廻転生などというややこしい仕組みを、一から作らなければならなかった。それができなければ幻想郷を、楽園とは名ばかりの、魂の牢獄にするまでのこと。
 閻魔は、幻想郷を黙認した。
 しばらくは気味の悪さを我慢していた紫だったが、挨拶に向かった。それが二人の初対面だったわけだが、そのとき聞かされたのは、映姫が幻想郷担当の閻魔に就任していたことだった。
 これが悪意によるものか、好意によるものか、紫は判断がつかなかった。
 つまり、紫のような妖怪に任せるのは不安だから、閻魔を一人遣したのか。はたまた、幻想郷という枠組みに対する、彼らなりの投資なのか。
 そんな紫に、映姫は、こう言った。
「用が済んだのなら、さっさと帰りなさい。あなたは少し、穿ち過ぎる」
 少なくとも、映姫に対して取るべき態度は、それではっきりした。

 それでも、会わないわけにはいかない。デリケートな問題があれば、多少の我慢をしてでも話し合う方が、結果として労力は少なくて済む。自分の式の、藍には、そういう役目をさせられない。彼女はパートナーではない。とびきり優秀な、下僕である。
 ここ二十年ぐらいは呑気な日々だったが、外から迷い込む人間の数が増えてきていた。望んで幻想郷に辿り着いた者も、中にはいた。紫には腹案があった。それについての相談がてら、三途の川を渡ったのだった。
 映姫の執務室に入ると、正に地蔵みたいな大きさの少女が椅子に座っていた。それが正しく映姫だったが、大きな机を隔てて、紫に顔を向けた。
 無駄に自分の位置を高く作ったりしないだけ、人間の権力者とは違っていたが、大して慰めにはならなかった。
 開口一番、
「私は、あなたを自分と対等とは思っていません」
 と、一刀両断されたからだ。
「来るべきときが来れば、自分で判断なさい。私はそれに、何らかの決裁を下すでしょう」
 簡単に『一任する』とでも言えば、紫も眉根を寄せるようなことはなかったろう。
 紫は機械的に一礼すると、すぐに踵を返した。衛士の目が届かない場所にまで来てから、紫は柱の一つを蹴った。

 自分の子どもっぽさを自覚してはいる紫である。言ってみれば、彼女は怒りを露わにする程に、期待もしていた。
 幻想郷がどうなるかは、紫は大体、予測できている。予想ではない。星々の運行を眺め、大地を観て、川と共に流れて、そうして立てられた、予測だった。計算を根底から前提を覆されるようなことでもない限り、ここは彼女の思った通りの世界になる。
 それが楽しみで仕方が無いからこそ、映姫の挙止に影響されてしまうのだろう。それも、彼女はわかっていた。
 もしや自分は、彼女にも。
 足を止めて道端で考え込んでいると、秋風に乗って、赤ん坊の泣き声が聞こえた。
 この先の地蔵が、泣いたようだった。
 ――捨て子は珍しくなかった。既に郷内に住んでいる者が捨てる場合もあれば、どこからか引き寄せられた場合もある。
 捨て子は神隠しと違って、紫とは無関係だ。
 地蔵の前に敷かれた筵の上で、布に包まれた赤ん坊は、このままにしておけば、誰かに拾われることもあるだろう。それが妖怪か人間か、そしてそのどちらが幸せかは、紫の与り知らぬことだった。
 ただし、紫は地蔵の前に立ち尽くすと、やがて両腕を解いた。
 赤ん坊の上に、ふよふよと浮遊するものがあった。
 丸っこい形をした、半透明の、幽霊の赤ん坊みたいなものだった。
 赤ん坊は、半人半霊だった。
 ただの捨て子よりは珍しいが、それだけで紫の眼鏡に適うわけではない。彼女が身を任せるのは、自らの計算を貫く、閃きだった。
 彼女は赤ん坊を取り上げると、指先をちょいと回して、筵を飛ばした。その筵が地蔵に覆い被さったときには、紫と赤ん坊は姿を消していた。


「女子ですね」
 一瞥して、映姫は呟いた。
 紫は、すぐには何のことだかわからなかったが、自分が抱えている赤ん坊のことだと気付いて、ああ、と嘆息した。
「雄雌の仕分けのために、お見せしたわけではありませんことよ」
「そうですか」
 何事も無かったかのように、手元の書類に目を落とす。裁判以外でもやることは多い様子だったが、紫に「邪魔だから出て行け」と言うでもなく、筆を走らせては、判子を捺していく。
 それでも紫が帰らずにいるのを、秘書令の女が咎めようとしたとき、映姫が呼び止めた。
「これを――」
 映姫から書類を受け取った女の目付きは、険しくなったが、深々と礼をして、書類を手に部屋を辞した。
「今のは?」
「休暇届みたいなものです。実際に休暇がもらえるわけではありませんが、一定の効果は期待できますよ」
 悪戯っぽい言い方をされて、紫は喉の渇きを覚えた。
 もとより、閻魔に嘘が通じる道理は無いし、吐くつもりも無い。それにしても、何でも見透かされているというのは、気分の良いものではなかった。
 懐の赤ん坊は、紫に抱かれたきりすやすやと寝ていた。その子を、映姫に手渡す。
 映姫が、書類に向けるのと同じ性質の目を赤ん坊に向ける。紫は礼をして、辞そうとしたが、映姫が呼び止めた。
「この子は、三途の川に沈めてしまうのが、一番良いのでしょうね?」
「かもしれませんわね」
 紫は部屋を辞すると、すぐ傍にあった柱を、蹴った。衛士がぎょっとしたときには、紫はスキマに消えていた。


 一日、――
 八雲紫が、冥界の西行寺邸を訪れた。新春の挨拶以来、二ヶ月が過ぎていた。
 昼過ぎから宵っ張りまで、酒で頬をほんのりと赤らめて、幽々子との歓談を続けたものだった。
 その幽々子が、一足先に床に入った頃。主人に呼ばれれば聞こえる範囲で、仕事をしていた魂魄妖忌は、遅くて軽い夕食を済ませると、紫の機嫌を伺っておくことにした。
「今日はまた、随分と話題が尽きなかったようでございますな」
「あの子は、用事がある相手じゃないもの。楽しかったわ」
「……では、私に用事がありましたか?」
「そうね。今は、あまり楽しくないから」
 大概の者が聞いたら、侮蔑と取りそうな言葉だったが、妖忌は自分の顎鬚を触っただけだった。
 冥界の月は淡白で、紫は居間の、月光が届く縁側寄りの畳に、外向きに座っていた。妖忌は、月光の邪魔にならない場所に、座した。彼の半霊が、ころりと、膝の辺りに転がった。
「あなたのは元気が無いわね」
「ここ数年で、私自身も老け込みましたからな。こいつも相当でしょう」
 用事があるはずの紫の沈黙に、妖忌は、この話題を続けることにした。
「私が思いますに、老いといいますのは、あの世に逝く準備なのでしょう。しかし、私のような身には、まだまだ遠い場所でございます。それも長寿であるといえば、なるほど、嬉しい気持ちもありますが、業の深きは、未だ、皺の一つを顔に刻むのも、渋るのです。神や妖怪が長寿であるのも、業の深さでは似たもの同士だからではないでしょうか。易々と死ねるものと思うなかれ、と」
 紫は盃を傾けると、答えた。
「あなたの言は、私に対する皮肉のようでいて、違うわ。あなたはいつも幽々子のことを考えているのよ。あなたの今の論でいえば、今のあの子は、純真無垢だものね」
「憂いても始まりますまい。憂いや嘆きが深いのは不吉、と昔から申しましょう」
「そうね。あの閻魔にもそう考えてもらえれば、丸く収まるのだけれど」
 そこでようやく、紫は、先日の話を明かした。既に四ヵ月以上が経っている。
 今度は妖忌が沈思していたが、やがて、言葉を紡いだ。
「先程も触れましたが、私のような身は、業が深いのです。その赤子が長じれば、相応の気質を得ましょう。ましてや、あなた様の手の届く場所に捨ておかれるような、因果でありましょう」
「だから、殺した方が良い?」
「そうは申しませんが……もし私がその赤子を育てたところで、何も変わりますまい。精々、庭と剣術に親しむくらいでしょうか」
「あら、幽々子とも親しめるかもよ?」
「よもや、それが目的とは仰られますまい。あなた様は、そんなに感傷的な方ではない」
 今までとは違って、断言してみせる。しばし、二人の間では剣呑な雰囲気があったが、解けた。妖忌の方が、先に馬鹿らしさを覚えたようだった。頬の辺りを撫で付けて、息を吐いた。
「閻魔が白黒を付ける。そういうことなのでしょうな」
「そうよ。そして、あの赤ん坊も、とっくに死んでいるかもしれない。それが閻魔にとっても、一番気が休まる方法なはずだもの」
「は? ――あっ」
 妖忌が呻くのと、紫がスキマに潜り込むのとは、同時だった。

 それが、合図だった。
 妖忌が畳を叩くと、勢い良く跳ね上がった。紫の残した盃と、徳利が、宙を舞い、砕かれ、畳に投戟が、何十も突き刺さった。
 畳が崩れ落ちたときには、妖忌と半霊の姿は無かった。
 黒衣の者が、四名、縁側に現れる。一人だけ後ろを警戒していた者が、袈裟懸けに、斬られた。
「後ろ……?」
 頭領格の呟きを残して、三名は別々の方向に、散った。その内の一名は、地面に落ちた。その胴は、真っ二つにされていた。
「――歳を取ると、どこを見ているかより、どこを見ていないかが、わかるようになりもうして、な」
 屋根に着地して味方の屍骸を見遣っていた者は、その言葉だけで、死んだようなものだった。妖忌の唐竹割りは、頭蓋を砕いていた。
 その血飛沫が止むまで、妖忌はその場を動こうとはしなかった。
 高く茂った木の一本から、頭領格が刃を縦にして、突っ込んできた。それを太刀で難無く受ける。不安定な瓦の上でのことに、頭領格は唾を飲んだ。
「ぬしは、閻魔の所のだろう? 申し上げたき義があるのだったら、身を省みず、進言すべきだろうに」
「それを貴殿らにぶつけるのは、筋違いだと? ――四季様は、赤子を受け入れなさった。裁定者足るに、将来必ず、禍根となろう」
「……同情する。武芸にも長じた部下を失うことに、な」
 妖忌が、小手を返した。それは相手の呼吸と、正に攻撃に移ろうとした瞬間を、極めた。
 その刺客が殺せたのは、足で割った、瓦の一枚だけだった。
 覆面を斬られたとき、紫がそこにいれば、あの秘書令だとわかっただろう。その顔を、容赦無く、妖忌は切り刻んだ。
 そこで一瞬、妖忌の手が止まった。これで、女の素性が余人に知れることは、無くなっていた。
 血塗れの顔を崩して、女は叫んだ。
「感謝――っ!」
 妖忌に向けていた太刀で、自分の首を落とす。少しでも躊躇えば不可能なことながら、彼女はやってのけた。見事と称されるべきだった。
 妖忌は静かになった縁側に降り立つと、刀の血を拭った。
「……女子も、育て甲斐はあるやもしれぬな」


 そして、妖夢と名付けられた少女が、妖忌に引き取られたのは、人間で言えば、まだ三つにならぬ頃だった。
 彼女が、四季映姫の元にいたことを覚えているかどうかは、映姫にしかわからないことだろう。また、覚えていたとしても、映姫と対応して、思い出せるわけもなかった。

 幾年もが経って、幻想郷が開花したとき、紫は一人、盃を傾けていた。
 本来なら妖忌とそうしたかったのだが、生憎、「死ぬ準備をしたい」と言って、幽居してしまっていた。
 冥界を桜で満たされたときには、幽々子のことだ、と割り切っていたのだが、今になってみると、あれにも少し、思う所があった。
 どうして、西行妖以外にまで、春を分けたのか。春というのがそういうものだから、と考えればそれまでだったが、紫には、冥界を満開にした妖夢の姿が、ありありと想像できた。
「今回は、会う機会があるのかしら?」
 あっても、あの頭でっかちは、受け入れはしないだろう。
 いつか妖夢と、全てを話して、盃を交わすことがあろうか。
 紫は、盃に落ちた花びらを、そっと、唇で吹き付けた。酒の滴を跳ねて、花びらは風に乗った。
何度書いても、映姫、紫、他の辺りは、興味が尽きません。お付き合いいただけた方、ありがとうございました。
司馬漬け
[email protected]
http://shimako.kan-be.com/index.html
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.2330簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
上から下への裁きが如く、理想の映姫と紫の関係を見ることが出来ました。
妖忌も秘書令も、登場するキャラクターが皆渋い役どころで、感嘆致しております。
よいお話をありがとうございました。
8.100名前が無い程度の能力削除
相変わらず剣戟の描写が冴えまくってますなあ
妖忌かっこいいよ妖忌
15.90名前が無い程度の能力削除
幻想郷のカオスにして秩序、その中に無限に近い計算を内包する紫と、
幻想郷の終点、その中に曖昧さの余地の無い限りなく正確な回答を出す映姫。

二人が象徴するのは生と死の対か、はたまた動と静の対か。
終盤、一瞬の交錯の中に出現する生死の境界もまた心地よく。

大人気ないゆかりんと妖忌おじいちゃんマジラブリー。
23.70名前が無い程度の能力削除
妖々夢での会話をおもうと、紫の態度に違和感が
能力的な相性は良くないみたいですが、苦手意識持ちすぎというか何というか、う~む・・・精神的に弱過ぎ?
24.無評価名前が無い程度の能力削除
一言書き忘れ

元気が無いからなのか何なのか分からないけど
>彼の半霊が、ころりと、膝の辺りに転がった。
何かええなぁ
30.80設楽秋削除
文章がとても緻密だと思いました。
この話自体は書く人によりけり、可とも不可とも取れない話でしょうが、司馬漬けさんが書かれると、「格好良い」に変わりますね。大変、妖忌が告げる最後の一言が格好良かったです。
31.100名前が無い程度の能力削除
えがった
32.100名前が無い程度の能力削除
こういうのが読みたかったんだ
33.100名前が無い程度の能力削除
司馬漬けさんの『白墨』がとても好きなので
今回のお話も良かったです。

あなたの書く紫と映姫が大好きです。
34.100名前が無い程度の能力削除
良いなぁ。
いや、よくもこの文体で人をニヤニヤさせてくれますね。紫の可愛いこと。
描写の取捨選択が見事、スパッとしててこういうの憧れちゃいます。
36.90名前が無い程度の能力削除
描写に憧れました。
38.100名前が無い程度の能力削除
老兵は死なず、ただ在るのみ・・・
41.無評価名前が無い程度の能力削除
おいおいみんな格好良すぎる
42.100名前が無い程度の能力削除
点数忘れ
43.無評価司馬漬け削除
予想以上に楽しんでいただけたようで何よりです。ありがとうございました。

コメントは全て拝読しましたが、一つずつお返事を書かせていただくと大変な長さになりそうですので、自粛致します。ご了承ください。
61.703削除
一人ひとりが持つキャラクター像。その一つを見せて頂きました。
この物語の先も楽しみにですね。
62.90非現実世界に棲む者削除
面白かったです。