そろそろ潮時かねぇ、なんてことを思う。
どれほど永く過ごしてきたかはあんまり覚えていない。その場その場で飢えを凌いで何とかやってきたよな気もするし。そこそこ充実してたもんなんだろかって気もするし。でもまぁ、あれか。何事も引き際が肝要だってのはあるもんでねぇ。
仕方ない。
仕方ないかぁ。
はぁ。
ひもじいなぁ……
気持ちがしょぼくれると、空も似たよな感じになるってさ。夜が来るまであと少しな風だけど。お天道様はどんより雲に覆われて、森に隠れたこの場所なんか一足早くますます真っ暗。人っ子ひとり通りゃしないもの。驚かしてみたくっても、そも相手が居ないんじゃいっそう仕方なくなる。
じゃあ、その辺に居る妖怪は? 思い切って驚かしてみるとか。
一瞬考えて、直ぐ様ぶるぶると首を振った。滅相も無い。それがいっとう怖いやつだったら。自分なんかよりもよっぽど力が強くて恐ろしいやつだったら。出会い頭、簡単に壊されてしまうだろ。
今もほら。おーん、おぉーんって獣の声が聴こえる。こりゃあ化狗共の声だ。いやだいやだ。あいつら牙剥き出しで群れて襲ってくるんだもの。近付きたくもない。世の中、まっことさでずむに溢れてる。せちがらいなあ。
はぁ。
どこか、だれか、ひとりでも。
思い切り驚かせることが出来たなら。
ひもじい思いもしなくて済むのにな。
へっ、て。
自分で言ってて笑ってしまった。引き際がどうのこうの考えてたってのに。まだ腹具合を心配してる。
ぽつ、ぽつ、ぽつり。
やぁやぁ雨だ。降ってきたか。冬の雨ってのはうまくない、降るならせめて雪がいい。冬はね。おんなじよに寒くっても、冬の雨は身体の根っこから底冷えさせるもの。
とりあえず、今日は帰ろかな。どうせ明日は明日でまた来るんだし。
踵を返して、ぼろの我が家(ぼろでも屋根はあるから家は家)に戻ろうとしたとき。
『うぅ……ううぅ……』
声を聴いた。流石に狗の遠吠えじゃ無いことは判る。
こんな時分、夜も程近い森の中。こんな寒くて、一体誰が?
『うぅー……うあぁーん……』
泣いているのか。
声からするに、子供なのだろ。かわいそうに。どらちょっと顔でも拝んでみよかって、がさがさ草を掻き分けて声のする方にこっそり近付いていく。
後姿を見た。当たりをつけてた通りに、ほんとにちっちゃい子供だった。自分も身体は大きくないけど、それよかもっともっとちっちゃいお嬢ちゃん。
妙、だと思う。ここいらは結構森の奥深く。何の力も持たない子供がふらふら歩いて辿り着くにしたって、今の今まで無事で居られていたことが不思議。
「……ううぅ、ここ、どこぉ」
草葉の陰で思う。何処。何処、って、此処は。
声をかけようとして一瞬迷う。この子、そうか。
直感した。成る程、この子。「此処」の子じゃあ無かったってことか。お嬢ちゃん……お前は、「外」からやって来たのか。
「さむいよぅ」
そりゃ寒いよねぇ。もうちょっと中綿入ってそな服でも着てればまだ良いのに。その子ときたらたいそう薄着で、端から見てるだけでも寒々しい。おまけにこの雨。風邪をひくくらいじゃ済まないよ?
今。今いきなり飛び出して、大きな声を挙げたなら。それともあれか、低い声で「うらめしやぁ」って耳元で囁いてやれば。この子はきっと飛び上がって驚くのだろ。
そしたらちょっとはお腹も満たされて、ひもじい思いも紛れるのかも。こちとら化け傘だもの。相手は驚かしてなんぼってさ……
でも。でも。それはちょっと、あんまりなんでないかしらん?
そんな躊躇いが身体に出たのか、がさ、って草を揺らしてしまう。その音を耳にしてその子は「ひゃっ」と声を挙げてぴんと背筋を伸ばす……驚いたんだね。こんなんでも、ちょこっとだけ満たされちゃった。
ごめんね、ごめんね、お嬢ちゃん。
やさしく声をかけると、恐る恐るって感じでその子は振り返る。
「……うぅっ、……おっ、おねいちゃん、だれぇ」
べそかいてしゃくり挙げてその子は言う。びくびくしてるみたいだけど、根っから怖がってる風でも無いってのは腹具合から判る。誰、誰ってねぇ。
わちきかい? わちきはさ、ほら。あれだ。通りすがりのおねいちゃんだよ。お嬢ちゃんこそどうしたの、こんなところで。もう直ぐ夜になるから危ないよ、びっくりするだけじゃ済まないよ。この辺りはね、怖いやつらがいっぱい居るんだから。
「う、うん」
己の答えを待つよに言葉を挟みながら、その子は辺りをきょろきょろ伺ってる様子。
全く落ち着きが無い。
「ね、ねぇ。おねいちゃん」
うん、どしたの?
「ここ……どこ……?」
いかにも不安気な顔して、まなこうるませながらその子は尋ねてくるから。
落ち着かせるよに。つとめてやさしく声をかける。
此処、此処はね。ただの森だよ。ただの森なんだけど、ちょっと危ないの。だから今日はとりあえずお家に帰ろう。わちきの家に招待してあげる。ほらほら、雨降ってるし。風邪引いたらうまくないでしょ?
「おねいちゃんの、お家?」
そう。おねいちゃんの家。ぼろいけど、お嬢ちゃんが入っても別になぁんも問題ないよ。屋根は無いよかあったほうがいいもんだって。ついでにさ、あれよ。外を出歩くときは、手元に傘があればいい。いつ雨が降ってもいいよにね。今みたいにさぁ。
「かさ。かさ、もってるよぅ」
おお、えらいえらい。そうだね、お嬢ちゃんは傘を持ってるんだね。ほら、早くさしな。雨の日には使ってあげないと。わちきもあるよ、自慢の傘が!
ばさぁっ、と思い切りよく手持ちの傘を広げる。一つ目つけて、べろを出してる傘。いかな自慢とはいえ、もうぼろぼろにくたびれてしまったお化け傘。
それを見たお嬢ちゃんは、まなこまん丸にして広がった傘を見てる。
ああ、しくった。驚かせちゃったか。いつもはそれでもいいんだけど、またちょっと満たされたお腹をさすりさすり、何だか申し訳ない気分。
「おねいちゃん、それすごいね!」
さっきまで泣きべそかいてた子が、満面の笑みを浮かべて言う……あれぇ?
不思議な心地。永く過ごしてきた時をあんまり覚えていなくても、多分こういうのって初めてな気がしてる。
こんなんでも、……や、満たされ具合は確かにほんの少しだけど。普通に驚かせたのとは、また何か違った。
うふふ。わちきの傘、すごいでしょ?
「すごい! びっくりした!」
――そうか。びっくりしたかぁ。こんなぼろぼろの傘でも……そうかぁ。
「わたしもさすよぅ」
もうさっきからしとしと雨は零れてて、身体も冷めちゃってるだろからあんまり意味が無いかもしれないけれど。これ以上濡れるよかは幾分ましというもの。
その子は言いながら、足元に落ちてたちっちゃい傘を拾い上げて。うんしょ、と広げる。思ってたよか大き目の傘だった。この子が持つにしては、ちょっとばかし。
ああ、そいつはいい傘だねぇ。
「ほんと?」
ほんとだよ。お嬢ちゃんちっちゃいからあれだけど、そうだね。わちきくらいになったなら、きっと丁度いい塩梅になる。
「うん!」
我が家へ続く路をゆく。ひとつの傘におさまってたなら、手でも繋いでいこうかとも思ったけれど。幾ら背丈が違うからって、傘ふたつ並べてそれも格好がよろしくないから。ただふたりして並んで歩きながら、何でもない言葉を零す。降り来る雨の音と同じよに、ぽつりぽつりと。
歩を進めていると、また遠くからけものの声が。
……狗の声だよ、お嬢ちゃん。怖いのかい? あぁほんとにそうだねぇ。あいつらほんとおっそろしいけど。大丈夫だよ。わちきが、うんうん、そうさ。おねいちゃんがね、一緒についててあげるから。狗っころなんてびっくりさせて追い返しちゃうよ……
おねいちゃん、か。なんだか、くすぐったいや。
* * *
昨夜はさめざめ空が泣いてたってのに、今日という日はからりと良いお天気。多分今の気分がしょぼくれて無いからだな、って何となく思う。
眠気まなこをこすりつつ、格子から差し込むひかりをぼんやり見つめていた。
安心して眠りにつける場所とは実に良いもの。森の外れ、ぼろっちいお堂が我が家。古物供養とでも言えばいいものか、そんな目的で建てられたらしいこの場所は付喪神(ばけどうぐ)となってしまった己にとっては心地よいところで。誰が作ったのかは知らずとも、その有難い恩恵に与る次第。
妖怪は夜が本分と言っていたのも今は昔、近頃は直ぐ疲れてしまう。だから寝るときは寝る。歳かしらん? やぁ、傘はぼろっちくても見た目はまだまだ若いよって。
一緒のお布団で(これも相当ぼろいけど)並んで誰かと寝るなんてのも初めてだったかも。己が持ってる化け傘以外では。
件の子と言うと、まだすやすやとかわいらしい寝息を立てている。そのちっちゃな肩に手をかけて、ゆさゆさ揺すりながら語りかける。
お嬢ちゃん。お嬢ちゃん。朝だよ、起きないと。
「んぅ……んー?」
おはよう。
「……おはよぅ、ございますー……?」
なんとなく疑問形に聴こえる。まだ寝てるからなんだろか。むくりと上半身を起こしつつ、頭が少しばかり揺れている。
ほらほら、いいお天気だ。その辺でも歩こうよ。
「うん、……ぅーん。あるく。おさんぽ? おねいちゃん」
赤子と話しているようだ。寝起きなら誰でもこんなんかもしれないけど。
そうそう、散歩するよお嬢ちゃん。お天道様のひかりには当たっておくもんだ。ほら、埃なんか被ってたらみすぼらしいじゃないの。今なら森もそんなに危なく無いし。
「いく!」
良いお返事だね。さ、いこっか。
促したところで、くぅ、と可愛らしい音が鳴る。
「おなか……ぺこぺこ……」
参った。この子、此処に来る前から暫く何にもお腹に入れてないのか。自分もそんなに満たされてるわけじゃないけど、ひもじいのは何だかんだでうまくない。
人里に赴いたところで、明るい内から化け傘妖怪が現れたってさ。非常に残念なことになるのは眼に見えてた。こんな真昼間じゃあ、似合わないにも程があろ。まして今は己ひとりでは無いのだから。
まぁ、とりあえずお嬢ちゃん。外に出よう。ちょっと寒いけどそこは我慢だよ。
「がまん……」
そう、我慢。大丈夫、お腹いっぱいにしてあげるからね。
「ほんと?」
……それはお嬢ちゃんのがんばり次第かな!
声をかけながら、その実満たしてやれる保証なんて何一つ無かった。それでも何となく声に出して伝えておきたかった。
頭を撫でてやると、くすぐったそうに眼を細める。こんなにかわいらしい子が、当ても無くふらふらひとりで彷徨うなんてほっとけるわけ無いんだよ。
「わたしがんばるよ、おねいちゃん!」
気合万全、ちっちゃい両の拳を握り締めてお嬢ちゃんは答えるの。
何をどう頑張ったらいいのかも、きっと判って無いんだよこの子はさぁ。
そうだね、わちきも頑張るから。よし出かけよう!
ああそうだ、傘は忘れないようにしないと。晴れてるったってお天道様は気紛れだ。直ぐさまおへそ曲げて隠れっちまうかも。昨日の夜みたいに。
「うんっ。はい、これ。おねいちゃんのかさ」
ああ。……ありがとねぇ。そうだね、わちきはこれが無いとさ。わちきで無くなっちまうの。
「……よくわかんない?」
判るさその内。そういうことかって。きっと判るよ。
ぎぃぃ、と古めかしい扉を押し開けてお堂を出ると、お天道様はこれでもかってくらいに輝いてた。こんな角度の陽射しは、風が吹いてなければそこそこに身体もぽかぽかしてくる。
夜を生きるのが妖怪と言われる割には。己も大分の処、温(ぬる)くなったってことなのか。そんな下らないことも考える。
仕方ない。
仕方ないなぁ。
今はそんなこと考えてる場合じゃ無いんだってば。
今日はがんばらないといけないみたいし、ほんの少しだけ準備の為の物を風呂敷に包んで、肩がけに背負った。
雨が降っていないから。お堂を出て、今度は手を繋いで歩き出す。
ち、ち、ち、って小鳥が囀ってるのが耳に入る。良い朝だった。素直にそう思った。
自らの潮時を胸に抱きつつも、思いもしてなかった朝は来る。そんなものかもしれない。
右手左手、お互いに傘を持ち。
左手右手、お互いの手を握る。
せめて離さないでいよかだなんて。柄にも無いことを思ったのさ。本当、柄じゃない。
だって。己の寿命なんて、己がいっとうよく判ってるんだもの。
ああ、でも。
自分が消えてから後、この子を一体どうすりゃいい……?
* * *
色々なものを見たのだ。ふたりで。手を繋いで。一口に表現するとそうなる。
そんな一口を具体的な塩梅で審らかにしてくと。森は元々あるからいいとして、途中流れる小川を見て、魚がぴょんと跳ねるのを見て、暫くじぃっと眺めてて、そしたら川沿いには鼬が居て、それを小走りに追って途中つんのめって転びそになって、暫く進んだら洞穴があって、中に入ってくと熊が寝てて、びっくりして外に出ると鼬はけらけら笑ってて、どろんと消えてしまって。
今は川辺に腰を下ろして、水の流れをぼんやりふたりで眺めてる。
「なんだったのかな、いまの」
いたち、鼬だよお嬢ちゃん。あいつらもからかい好きだからねぇ……今のはそんな怖い輩じゃないよ。化け物には至ってない風だけど、相当近いのかなぁ。
「ちかい?」
そう。妖怪になるのが、近い。もうありゃあ程無く至る。
かつてのわちきの様にね、とは言わなかった。置き傘、失せ傘、忘れ傘って。名前は色々ついてたみたいだけれど。己は一体何だったのだろなぁ、って思うことも昔はあったか。たまにね。ほんとたまにな感じのお話だ。今はそれ程でも無い。先もそんな永くあるまいしね?
それでも今を生きる身、毎日毎日さ。己の存在意義ってやつ(あいでんてて、とか言ったか)に頭をくるくる巡らせてたら、それだけでさみしい心地になったりもする。だから昔を振り返っても仕方ない。意味が無いものね。そんなことしてたら、ますますさみしい。
「いたち、わらってたね」
そうそう。愉しそうだったでしょ? 愉しければ笑うの。嬉しくてもそうか。悲しんだり怒ったりすることもあるしね。
「おねいちゃんも、そう?」
……そうだねぇ。
昨晩歩きながら、妖怪についてのことは説明してあげてた。よく判ってなさげな風だったけど、感じだけでも心の裡に納めてくれたならそれで十分。
まぁ。少しは驚いてたみたい。でも逃げて行ったりはしなかった。とって喰ったりしないよって言ったお陰かもだけど、離れたらもっと危ないって判っていたんだろか。この子なりに。
「外」からやってきたらしい子。昨日は気付かなかったけれど、よくよく見たら素足だったもんだから、今日はお揃の下駄を履かせた。己の分はもう在るし、余らせたって仕方ない。それにもう。そいつに己が足を通すことはこの先多分無い。
随分と下駄を気に入ってくれたらしく、砂利道なんか通るとき殊更からころ音を立てながら歩いてた。ちっちゃな手で、己の手をぎゅっと握りながら。
それにしたってこの子は。べそべそ泣いたりしてたけど、自分のお家に帰りたいとはただの一度も言わないな。
……
思えば。妖怪に至るってのが何なのかって答えは、随分前に己で出したんだった――なんだなんだ。意味が無いとか言いながら、随分色々思い出すもんだね。
そうだ。特に己のような付喪神とか、今眼の前にいた鼬。あんな獣共とか。
化け物になる、それって。ただの物が。ただの獣が。笑ったり怒ったり悲しんだりするよになれるってこと。
勿論、化け物になる前からそんなことは考えたり感じたり出来るんだと思う。でもそれが外面(そとづら)に現れ辛い。きっとそれを周りの奴らに知って欲しくて、至る。至ってしまう。
答えを出したって、たったそれだけのことだった。それが悪いことか良いことかなんてのは、多分何時まで経っても判らないんだろなぁ。
よし、お嬢ちゃん。これからご飯を調達しよかね。
「ごはん?」
そう。お腹ぺこぺこなんでしょ? わちきもそう。だから此処ががんばりどころなの。
「うんっ」
風呂敷包みから糸を取り出す。先っちょに曲がった針と錘、あとは浮きのついた糸。もう随分前に川べりを歩いてたら、落っこちてた。こいつを傘に括り付けてやったら、お手製の釣竿が完成。あとは芋を捏ねて丸めた団子を餌にする。
たまに、普通の食べ物を口にすることもある。食べなくても朽ちることは無いのだろけど、あんまりにもひもじい時にはする。今みたく魚を釣ってみたりだとか。その辺にある木の実をとってみたりだとか。
お腹に物が詰まると、文字通り一杯になる。ひもじい思いは変わらなくとも、誤魔化すくらいは出来るってもの。
森に居る他の化け物みたく、ひとをとって喰い散らかす気には更々なれない。ひとは驚かせてこその賜物だ。
とりもあえず、お嬢ちゃんの傘にもおんなじ仕掛けをしてあげて。川の流れに合わせて糸を垂らして。ぼんやりそれが引き当たるのを待ってみる。
たまにったって、己だって随分手馴れたものだ。何たって竿が違うものね。己の半身、この化け傘は。ちょっとでもお魚が餌に喰い付いた素振りを見せたなら、直ぐに手触りで教えてくれる。そんじょそこらの釣竿なんかよか、余程引きがいいってものだ。ここいらでひとつ、お嬢ちゃんに良いとこ見せてあげないとね!
「わ、わ。なにこれ、どうしようおねいちゃん!」
……もう引いてんの? 早くないかしらん?
「ひっぱる? ひっぱっていい!?」
そうそう引っ張れ一気にいくの! ほらそこ!
「おさかな!」
おおぅ……お魚だ。鮒だね。でっかいなーこいつ。よくやったお嬢ちゃん、よぅしこの調子でどんどん行こうか! わちきも負けてられないなぁ。
「わたしもまけないよぅ」
ふふふ、言ったな。いざ尋常に勝負だね!
*
いや、うん。なんか判ってたんだけど。
お嬢ちゃんはたいそうお魚に好かれてるのか、ぽんぽん釣る。言葉通りにぽんぽん。あんまり釣れて食べる分には多すぎるってんで、いくつか川に戻しちゃうくらい。
翻って己はというと、これまた情けないくらいに釣れない。良いとこ見せようと思ってたのに、かっこ悪いなぁ……
「お、おねいちゃん」
んー……?
「そ、それっ。ひいてるよっ」
んんん?
おぅおぅやっと来たかちくしょうめ! 全く焦らしてくれる!
相棒の傘がさぼってたのかどうか判らないけど、今頃になってくぃくぃと手ごたえを己の腕に伝えてくる。重い重い、なんだこれ!
ざぱんっ、と音を立てて顔を出したのは、でっかいでっかい鯉だった。
「すごい!」
声を挙げるお嬢ちゃんはたいそうびっくりした様子。かく言う己もびっくりだ。川のぬしでも釣ったかって程じゃ無いにしろ、立派な鯉。
手元に寄せてびちびち跳ねてるお魚を眺める。まぁ、これなら。面目躍如といったところかな?
食べる分にはさ、もう十分あるしねぇ。こいつは川に返してあげようか。いいかなお嬢ちゃん。
「うん。おねいちゃんは、やっぱりすごいね」
うふふ、ありがと。でもお嬢ちゃんだってすごかったさ。
また川に戻してやると、鯉はすぃと流れに紛れてあっという間に見えなくなった。次に釣ったら食べちゃうぞ。まったくもう。
枝串に刺して、火を起こして焼いて食べる。己はこれを食べたって、普段ならお腹が膨れるだけ、それだけだった筈なのに。にこにこ笑いながら味気ない焼き魚に齧り付くこの子の顔を見てると、なんだかね。ひもじい思いがうっすら無くなっていくような気がしたの。
結構長い間川辺に佇んでて、あと少しでまたお天道様が山の向うに消えていく。とっぷり夜になっちゃったら危なくなる。だからまたお嬢ちゃんを連れて、手を繋いで、ぼろっちい我が家に帰ろう。そうだ、帰らなきゃなんない。
隣で座ってるお嬢ちゃんはというと。お腹いっぱい満足したのか、うつらうつらと頭が船漕ぎ始めてる。その内こてんと己の肩に頭を預けて、眠ってしまった。別段困るでも無い、おぶって帰るのも良いかもねぇ。
よいしょ、ってこの子を起こさないように背負う。
ただ。ほんとに考えなきゃいけないこともある。この子が「此処」の子じゃあ無いってんなら、いずれ「外」に返してあげた方が良いのかな。ほんの短い付き合いだっていうのに、情がうつるってのはこういうのを言うのかなぁ。
当てはある。「此処」。そうだよ、幻想郷でさ。「外」から放り込まれてきた輩を元居たとこに戻すことが出来る奴。そいつに頼んでみるのもいいかも。それはまた明日のお話か。
森の中、ざしざし枯れ落ち葉を踏みしめながら歩く。背中越しに届く熱を感じながら。こんなあったかいのも、お布団に包まってる以外じゃあ無かったことなのかもしれないね……
そんなどうでも良いことを考えながら。
何事も無く我が家に辿り着ければ良かったのに。
『おーん……おぉーん……』
声を聴いた。流石にお嬢ちゃんの寝息じゃ無いことは判る。
こんな時分、夜も程近い森の中。こんな寒くて、……
声を耳にしてしまってからは早かった。ざぁって草の根を揺らしてから。直ぐにもう眼の前に現れる。
こんな寒くて、腹もぺこぺこになってるんだろ。
こんな寒くて、ひもじくなっちまったなら。
手当たり次第に襲いたくもなるってものか。
そうだろ? 化け狗共が。
『ぐぅうううう』
……くぅ。怖い。怖いよこいつらは。相手になんかしてられない。己らは帰って寝るだけなんだ。
ああ、でも。見回してみると、もう狗共の眼がそこかしこに広がってるのが判る。
飛べばいいか? 空に向って。そのまま逃げられるもんだろか。
駄目だ。こいつらもう、薄暗がりでも判りすぎるくらいにだらだら涎零しやがって。逃げ出そうもんなら、背中っから喉笛かっきられちまいそう。
こいつらは疾い。とんでもなく動きが疾い。前に襲われたことがあるから知ってる。あの時は、ここまで取り囲まれてる訳じゃあ無かった。だからもう、壊されたくない一心で。泣いて鼻水垂らしながら逃げ出したんだ。
騒ぐな、騒ぐなよぅ。この子が起きちまう。
「……おねいちゃん?」
ほら……言わんこっちゃない。
「ど、どうしたのぅ」
ああ、ああ。お嬢ちゃん。大丈夫だよ。わちきがついてる。だからちょっとさ、ひとりで立っておいで。
「う、うんっ」
お嬢ちゃんが背中から降りると、大したものでも無かった重みが消えた。きゅっと己の服の端を掴んで、怯えたようにぶるぶる震えてる。
『ぐぅうううぅう。化け傘風情が、連れ合いなんぞ持ちよって』
……
「ひぃ」
傍らから声を聴く。心底、身体の根っこから怖がってるのが判る。
己だって声を挙げたい。今直ぐに此処から逃げ去りたい。
でも。でも。
今は、今という時は。あの時とは違うだろ?
『震えているなぁ。叩いて裂いて喰い散らかしてやろうかぁ』
――黙れよ狗が。
『なんだとぉ?』
黙れって言ったんだ、狗!
空気が震える。腹の底から声を搾り出した。己でも驚いちまう程の声。お嬢ちゃんはまだ恐ろしさが抜けてないのか、小刻みに震えてる。己の服の裾を握る手からそれが伝わってくる。
『吠えるか化け傘よぉ』
『ぐぅううぅぅうう、こちとら腹が減って仕方ないのよ』
『いいなぁその顔はァ、実にいいなぁ』
『化け傘でも肉があるんだろおのれ等よぅ』
『もっと怖がれ。そんでその腸(わた)喰わせろって』
おのれ等なんぞに喰われてたまるかよ。
そりゃあびっくりさせたいの? へ、へへ、へったくそだな狗共が。なんだよその脅し方は?
そんなんじゃあ、腹はいっぱいにならんだろなぁ。
『訳判んねぇ。そんながたがたしちまってよ、何を言うかお前はァ』
はぁ、ああ、ちくしょう! 止まれよ震えてんの!
「お、おねいちゃぁん、うぅ、うううぅぅう」
お嬢ちゃんの顔は見ないようにした。べそかいてるだろから。もうその声が聴こえるから。
代わりに空を見上げる。ぽっかりあいた樹々の隙間からまんまるのお月様が覗いてた。
いい夜だ。本当にいい夜だ。妖怪が生きるのは、きっとこんな夜がいいんだ。
右手の傘を、ばさぁと広げる。
雨なんか、ひとっつも降りそうに無いねぇ。
『あぁ?』
おねいちゃん、だなんてさ。お、お、おのれ等。呼ばれたことも無いんだろ。
『ごたくはそれで仕舞いかよぉ』
仕舞いだよ。さぁ――嵐は好きか、狗っころ!
はじめ一振り、つめたい雨粒。
次いで二振り、ごぅと風舞い。
ぐるり三振りで稲光を巻き起こす。
手持ちの傘をぶん回す。己でも訳が判らなくなる位にぶん回す。
威勢よく叫ぶ。声だけでも張り上げろ! もう自分の面なんかどうにかなっちゃってるに違いない――涙だの鼻水だのよぅ、今は、今は、逃げながらこの面晒してる訳じゃあない!
さぁあ。空が泣くぞ、雨だ大嵐だ! 森が啼くぞ、ぎしりみしみし、揺らす樹の幹軋む程。びょうびょう吹かれる枯れ落葉、舞い上げられて渦を巻く。真っ暗闇を、でっかい音立てながらびかびか光で照らしてやれば。そのたんびに驚いて震え上がる狗っころの面が丸見えだ。いいなぁその面! 腹ぁいっぱいになっちゃうな!
傘は化け傘、わちきは多々良と申す者!
たぁんと見ろよ、うらめしやぁ、――
* * *
大嵐の後。
「お、お、おねいちゃん」
はぁ。は、はは。
「びっくりしたよぅ」
そうだろそうだろ。おとっときさ。ほら、わちきの言った通りだったでしょ? 狗っころなんて、びっくりさせて追い返しちゃうよって。
雨粒降らせ過ぎた所為で、ふたりともびしょ濡れになってた。これならさ、幾ら泣いててももう判らないって。
傘をぶん回してる間のことは、たった今のことだったってのにもうぼんやりし始めてる。
覚えてることと言えば。この子が途中でぎゅっと己の背中にしがみ付いてたことと。
狗の頭っぽい奴が、ガァと大口開けながら、たった一度だけ己に向ってきたことだ。
……
今はもう、狗共は居ない。尻尾巻いて逃げ出したんだろ。ざまみろって。
夜は静か。また空を見上げれば、まんまるお月様がこっちを見下ろしてる。
しっかと手を繋いで、また我が家へ続く路をゆく。
他愛無いお話をして、お嬢ちゃんはまた笑うよになった。己も今、おんなじ風な顔してるんだろか。
判んないけど。もう少しだけこうしていたい。
あと少し。
あのぼろっちいお堂に辿りつかなけりゃ、ずぅっとこうしていられるのか。夜を生きていられるのか。
……無理だろ。一歩一歩進んでいけば、どんどんその距離は詰まってくって。ほらほら、もう少しで辿りついちゃうよ。
「おねいちゃん」
うん?
「こわいことあったけど、おねいちゃんかっこよかったね! あしたはね、なにしよっか」
あした。明日かぁ。
どうしよかな、って。本気で考えたくなった。でも今の己は、お嬢ちゃんに伝えなきゃなんないことがある。
最早眼の前にあるお堂の前で、其処に入って寝る前に。入り口の処でお嬢ちゃんを促して、ふたりして腰を下ろした。
今は風ひとっつ吹いて無くて。雨も全然降らなくて。冬だから虫の音なんかも聴こえなくて。ほんとにほんとに静かだった。いい夜だなぁ……
ねぇ、お嬢ちゃん。そうだよ、今日は怖かっただろ? 恐ろしかっただろ? 「此処」に居るとね、そんな怖い目に逢うことが一杯あるんだよ。さっきは良かったさ。わちきがついてたもの。
「……う、うん」
傍らに置いてた傘をぎゅっと抱いて、この子は頷く。
やっぱりその傘、今のお嬢ちゃんにはちょっとばかし大きすぎるんだよねぇ。
己は素敵だと思うんだけどな、全くひとって奴はまっこと物を見る眼が無い。
この子が持ってた、紫色の傘。一つ目つけて、べろを出してる。こいつは化け傘。
お嬢ちゃんも。かつてのわちきと同じよに……誰かを、びっくりさせたかったのかい?
何の因果か。どんな曝され方をしてきたのか。お嬢ちゃんが「此処」に辿りついちまった境遇を、直接訊いた訳じゃない。けれど大方の想像はついちまう。だぁれにも見向きされぬまま、ながいながい間雨だの風だのに吹かれちゃって。色んなことを思っただろね? けれどやっぱり、だぁれにも気付かれない。
お家に帰りたいだなんて。この子が言う筈無かったんだ。「此処」は。「外」から忘れられっちまった輩が辿りついたりするんだって。
だから此処で。この幻想郷で。妖怪として生きるのが、この子にとってはきっと良い。
多分、この子が此処に来たのは。妖怪に至ってから間もないころだったのだろと思う。今はよく判らなくても、その内きっと思い出す。己が一体何であったのか。何の為にひとの型をとったのか。
お嬢ちゃん、……わちきね、ちょっと出かけなきゃなんない。ご用事があるの。
怖いことがあるかもしれないけど……ひとりでも、大丈夫かい?
「えっ。いつかえってくるの?」
それは判らないなぁ、大事なご用事なんだよ。でもでも、この家はお嬢ちゃんが使ってていいからね。きっとよく眠れるよ。
「じゃあ、まってるねっ」
――うん。ほら、そろそろ寝ないとだけど……おやすみの前にね、お嬢ちゃん。あげたいものがある。
やっぱりよく判って無い感じで、この子は首を傾げてる。これからあげるのは、大事なものだ。
この子が。お嬢ちゃんが「此処」で生きてく為に、きっと必要なもの。
始め逢った時は言わなかった。それで良かったと思う。だから今、あげられるんだもの。
わちきね、言ってなかったよね。お名前。わちきのお名前はさぁ……
「たたら!」
あ、あれぇ?
「おねいちゃん、じぶんでいってたよぅ」
あぁ、あぁ。狗っころ共に大嵐ぶちかましてた時か。
「うふふ。おねいちゃん、びっくりした?」
びっくりしたさぁ。お腹、ちょっとは膨らんだかい?
そうそう、わちきのお名前、多々良っての。元々ね、名前が付いてたんだよ。多分……大事に使われてたんだと思う。お名前がね、傘の柄んとこにね、ほら。書かれてたの。
「ほんとだ!」
持ち主がおっ死んじゃったら、その内忘れられるって。そんで気付いたら此処に居たのさ。
でも、わちきは名前があったの。結構永く生きてきたんだよ。
「わたし……おなまえないよ……」
うん。だからさ。わちきのお名前、お嬢ちゃんが貰ってくれないかなぁ?
「たたら?」
そうそう。お嬢ちゃんはこの先、化け傘として生きてく。誰かをびっくりさせる為にゃあ、お名前を覚えて貰わないとね。ただの化け傘じゃ味気ないでしょ?
そうだよ、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんはきっといつか大きくなる……でも今はまだまだだからさぁ。
傘は大きいけど、可愛らしさが足らんな。
ちっちゃいお嬢ちゃんの傘。こがさ。
多々良小傘。よし、たった今から。
お嬢ちゃんのお名前は、多々良小傘だ。
「たたら、こがさ」
そうだよ。お嬢ちゃんは今、名前を持った。きっと永い間過ごせるよ、わちきのよにね。
さぁ、お堂にお入り。わちきはご用事済ませにいくから。お腹が空いたら、今日みたくお魚釣ってみてもいい。お嬢ちゃんならうまくやれるよ。
でもきっと……きっとじゃ無いか。必ずね、その内またひもじくなる。そしたら、誰かをびっくり驚かせてあげるんだよ。
ひもじいのが、すぅっと消えていくから。わちきが言うんだから間違いない。
化け傘妖怪、多々良小傘の名前を知らしめてやれ。そうそう、ひとをびっくりさせるなら、こんな静かな夜がいい。妖怪はね、夜をいきるものだから。あとね、お嬢ちゃんのその傘は大事にしてあげな。幾らぶん回してもいいけど、根っこから壊されちまったらいけないよ? お嬢ちゃんがお嬢ちゃんじゃなくなっちゃうから。
「うんっ!」
満面の笑みで返事をするお嬢ちゃんだ。こんな表情を、この先永く続けていって欲しいと思う。
笑うだけじゃなくって。哀しんだり怒ったりすることもあるやも。
それでいいんだ。
妖怪になっちまったなら。
それがきちんと、外面に表れるもの。
一度おやすみを言って、お嬢ちゃんがお堂に入ってくのを見送る。お嬢ちゃんが見せた笑顔のよに、それに負けない位の笑顔で。
ぎぃぃ、って戸が閉められてからまた呟く。おやすみ、おやすみ、って。
いい夜だなぁ。ほんとにね。こんなに静かなら、いきなり「うらめしやぁ」なんて出たらさ。どんな奴らでも驚くって。雨なんか降らしてやったら尚更さ。
立ち尽くしながら、また空を見上げた。お月様、まんまる。
そして手持ちの傘をみやる。ただでさえ元々ぼろぼろだってのに、ますますいっそうぼろっちくなっちゃった。
あの時、狗の親玉が己に向ってきた。思いっきりこの傘で、横っ面をぶっ叩いてやった。その顎が外れっちまうくらいにやった。
でも、でも、其処は流石の親玉。覚悟の力を込めたのか、怯まずばりりと噛みやがった。己の傘を。
己は思い切り叫んだのだと思う。喚き散らしながら、傘の先で狗っころの眼ん玉ぶっ刺した。
もう、その後のことはやっぱりよく判らない。
気付いたら狗共は居なかったし、嵐の後でぼんやりしてて。お嬢ちゃんに声かけられてからやっと我に返ったの。
潮時って言ったって、漠然としてた。
暫くの間、お仲間に会えたことだし、もう少し生きていても良かったって思ってたけど。
よりにもよってあの狗、傘を狙いやがった。
こいつの骨、折れちゃった。
もう一度だけ広げてみて。もうこいつじゃあ、雨も遮ることは出来ないよ。
ありがと、相棒。お前は己自身でもあったね。お前が居たから己が居たんだ。
だから、消えるときは一緒だよ。
多々良の傘は、これで仕舞い。
お嬢ちゃん。
だいじょうぶだよ。
またきっと、いつか逢おう。
ぽろぽろぽろ。
ほっぺに涙が伝ってた。あつい。雨はつめたいけど、涙はやっぱりあっついなぁ。
潮時だ。正に今だろ。覚悟してただろ。
なんで泣くんだ。
……判ってるさぁ。妖怪だからだ。傘のまんまじゃ、泣いても判って貰えないって。
ぐぃ、と服の袖で涙を拭う。
お堂の扉を眺めて。お嬢ちゃん、もう眠ったかなぁ?
眼の前の景色が霞んでく。あぁ、お月様ってあんなに眩しかっただろか?
指先。さらさら、って。粉になってくみたい。
風ひとつ無いってのに。夜に混ざって消えてくよ。
酷い面なんだろな、まったくもう。
最期。最期の時は笑おう。
こんなに嬉しいことは無いだろ。
嬉しいから、笑うんだ。泣いててもいいよ。涙零しながら笑おう。
だって。
わちきはねぇ。
名前を残すことが出来たんだ。
今の今から、お嬢ちゃんがわちきの代わりになるんだよ。
わちきはもう、夜に起きてらんないからさ、……
おやすみ、おやすみ、お嬢ちゃん。
――おやすみ。
* * *
そろそろ潮時かねぇ、なんてことを思う。
どれほど永く過ごしてきたかはあんまり覚えていない。その場その場で飢えを凌いで何とかやってきたよな気もするし。そこそこ充実してたもんなんだろかって気もするし。でもまぁ、あれか。何事も引き際が肝要だってのはあるもんでねぇ。
仕方ない。
仕方ないかぁ。
いやいや、そんなことあるもんか。
そりゃあ確かに最近やることも無くて暇なんだけど。ああ、お魚釣ったりするのはちょっと面白いやも?
ぼろぼろな塩梅の我が家。その扉を軋ませながら開いて、外に出る。
今日はちょっと考えがあって、お天道様が沈んでから動き出す。
あぁ、あぁ、いいなぁ。風なんかひとっつも吹いてなくて、雨を降らせるよな雲も無くて。お天道様が沈んだ直ぐ後くらいのこの時間。空は不思議な紫色で。これからきっと良い夜になるよな気がしてる。
空飛ぶ人間に出会ったり、そいつをびっくりさせて追い返すこともあった。その後でぶっ飛ばされたりもしたけれど。ほんとに容赦なかったなぁ、あの人間は。世の中、まっことさでずむに溢れてる。せちがらいなあ。
あの時は真昼間だったからうまくなかったのよね。
人間をびっくりさせるなら、やっぱり静かな夜がいい。
……そうだよね、おねいちゃん。
私はずっと待ってる。
もう今は、多分自分でも判ってるけれど。
あの日あの時、ずぅっと昔。ご用事があるといって、おねいちゃんは遠い所に行ってしまったんだ。「此処」では無い何処かへ行ったのだと。
でも、だからこそ。きっといつか、また逢えるよね?
下駄を履いて踏み出せば、からんと音が響く。勿論手元には相棒の傘を忘れずに。
この傘について、やれ茄子色だの良くないこと言われることは今もある。そうすると私が捨てられたときのことを思い出しちゃうし、心がべっこりへこんじゃう。
そんなときは。「いい傘だ」って褒められたときのことを思い出そう。
それだけで、私はなんだか嬉しくなってくるから。
ふわりと飛んで、森の遥か上に飛び立てば。
あぁ、あぁ、居るじゃない。あの時の人間だ。こんな夜に、何の用事があるのやら。
潮時を考えるのは、まだ少し先でいいや。
こちとらお腹もぺこぺこ、ひもじいの。
いきなり雨を降らせてやろう。びっくりさせて、追い返しちゃおう。
とくと見ろってば、この驚かしっぷりをさぁ。
思いながら、夜のしじまに向って飛び立つ。
とてもいい夜になりそうだから。今日はもう少し起きてよう。
傘は化け傘、わちきは多々良小傘だよ。うらめしやぁ、――
画面が・・・滲んで見えない・・・
独特の語り口がさらさら胸を流れます。よいお話をありがとうございました。
狗は……おにぃちゃん、かな……w
騙されました、驚いた
雨が降るなんて
この物語を読んでいる途中からぽつりぽつりと
読み終えたころには本降りになりまして
目の前の文字が滲むほどの雨が
まだ降り続いています
笑い乍、幸せを祈りましょう。
ポロポロと空から零れる涙には、きっと雨傘が必要なのですから。
いいセンスだ
今回も面白かった、だけぢゃなく次もそのまた次の作品も期待しとります
イイハナシダナー
良いお話でした。
でも心は温まりした。
おかしいな、室内なのに雨がやまないや…
美しい幻想郷、化け傘の生き方。どちらも素晴らしい。
あれ……おかしいな、なんだか雨が降ってきたみたいだ……
ああ貧弱な俺のボキャブラリが恨めしいよ
いこのさんの文章を苦手としていた私ですが、これは読んで良かった。
面白かったです。
当然100点です。
自転車のように時計のように、修理してくれるような店も無いわけで。
それでも傘は差して雨を避けるためのモノだから、自分はそのときまで大切に使ってあげようと思いました。
『化け傘』タグで小傘の話だと察しは付いていたけれど、ふ~む……
よもやプレストーリーだったとはねぇ。なんとも心憎い演出だよねぇ。
苗字は引き継がれるもの――当たり前すぎてつい忘れがちだけど、そこに着目した感性の鋭さに脱帽。
文句なしの100点ですな。
おしつけばましくもなく、大げさでもなく、さりげなさの美学だ。
このバランス感覚がかっこいい。
今度から傘大事にしよう
どっちの化け傘も渋可愛いなぁ
諦観入り混じらせつつも、なんだかんだで楽しそうに生きてる小傘はやはり素敵。
そして、ああそういうオチなのか……と鳥肌。ええ、見事にミスリードされました。素敵な話をありがとうございます。
素敵な文章とお話でした。
すばらしいお話をありがとうございました
こんな過去があった小傘になら驚かされてもいいよ
そして小傘がお腹いっぱいになったところを
持ち帰って食べちゃいたい
優しくも切ない話
俺も傘に名前をつけよう
独特の語り口が妙なおかしさと、そして切なさを醸し出していてとても良かったです。
鳥肌が……
なんて言ったらいいのかわかんね。