わたくし稗田阿求は生まれてこの方ご飯が美味しく感じられたことがない。というのも生来体が弱く、何を食べても何を食べてもおなかいっぱいになるまで食べられたという試しもないし、夢中になって頬張るものもこの世には存在しない。女の子たるものスイーツに目がなく、脳みそが蕩けたプッチンプリンになるまで詰め込んでしまうものだと脳細胞では理解していても、私のおなかはその幻想を全力でぶち壊すのだ。
睡眠も余り好きではない。体調が良いときならばまだしも、常日頃体調が悪い私にとっては、鼻詰まりの睡眠など福神漬けとカレーの分量を逆さまにした大盛りカツカレーのようなものである。
よって私を満足させるものは三大欲求のうちで性欲しかないということも、致し方ないことなのである。といっても私の体は殿方とすったもんだネッチョネチョした瞬間ゲッターロボ(八雲紫が貸してくれたゲームに出てきたロボである。バラバラになって違う形になる素敵なロボ)のように生から死へとチェンジした挙句、ビームを撃たれたとしたら鼻から逆流してしまうぐらいには危険な行為なのである。
そんな私が辿り着く頂とは至極当然に、ムチムチな太股やうっかり覗いたミステリアスマウンテン。そして収穫間近のグミの実であることは自然の摂理であり、河童に高い金を支払って、この稗田家には無数の隠しカメラがセットされている。それを夜な夜な一人監視し、完全記憶能力で脳裏に焼き付けるのが阿礼の子としての役割なのである。
金が一体どこから出ているのか、という疑問がもちろん湧くだろう。
その答えは非常に簡単である。私の脳は完全記憶能力。そして、一人妄想のために鍛えに鍛えたこの筆力が、艶やかな肉体を平面なパピルスに再降臨させることを可能にしているのだ。
値段にバラつきはあるのだが、際どければ際どいほど高値がつく。さらにもっと言うなら、絵の売買は会員からシチュエーションなどの依頼を受け付けるオーダーメイド(notメイドさん。しかし、だれそれをメイドにせよという依頼は非常に多い)匿名性を大事にしている当倶楽部は、幻想郷における女性同士の健全な絡みを推進している。
まぁ、私の性癖などどうでもいい。非常にどうでもいい。キャベツ畑やコウノトリから赤ん坊が生まれてこないことぐらいにどうでもいい。それを知った夜、私は八雲紫と泣きに泣いたが、どうでもいいことだ。いつか葬ってやる、あの狐娘。
そんな、据え膳食わぬは女の恥と言われても据え膳を食べきれない私が、最近は丼でご飯を三杯食べて間食までするようになった。
私って妖艶だな。これは薄幸病弱美少女としてやべー人気でるな、と鏡の前で一人吐血していたあの私が、最近ではとりかめ波まで出せそう。(烏山秋羅という烏天狗が原作。超人気漫画の主人公パン・パスタが放つ必殺技。文々。新聞に毎日3ページずつ載っていたが、盗作疑惑で連載が滞っている)
まぁとりかめ波どころか、弾幕の一個も撃てやしないのが現実なんだけども、練習してたら代わりに乙女としては決して出てはいけないものが出そうになるのだけど。
ようはそのぐらい元気で、ご飯が美味しいということが伝われば幸いである。最近入ってきた死語で言うならばメシウマってことです。
今日はそんな、幻想郷の皆に元気を与える妖怪の女の子。風見幽香をストーカーした一年間を振り返っていきたいと思う。
付き合っていただければ、幸いである。
「死ね! 死ね! 幻想郷ごと滅べ!」
「あら農香さん。今日も元気にキレてますねー。ほら、そこにも害虫が」
「くっ!」
農家での研修を終えて、すっかり土弄りと麦藁帽子が似合うようになった幽香さんです。あ、いや今は農香さんでしたね。
「あんたは何! なんでずっと私に付き纏ってるのよ!」
「観察です。幻想郷縁起に纏めます」
「ふざけんな! 人間のくせに、人間のくせにぃ!」
「とかいって手はきちんと動かすんですね。意外と生真面目」
「明日から植え付けなのよ……! 話かけないでよ」
「大変ですねー。上白沢先生も、酷なことをします」
「あの半獣は……!」
「といっても上白沢先生も辛いんですよ」
「辛いって何がよ」
「腹筋が」
「あの野郎!」
「ダメですよ。女性に野郎なんて使ってはいけません。それに幽香さ……間違えた農香りんだって女の子なんですから、もっと綺麗な言葉を使わないと」
「その紫芋みたいな頭を畑に埋めて増やしてあげましょうか……? あ?」
「私が三人も居たらそれは便利でしょうね。家でくつろぐ役。まっさーじちぇあに腰掛ける私。縁側でまどろむ私」
「仕事しなよ!」
「三倍無駄飯食らい」
「ツッコミ入れるのも馬鹿らしくなってきたわ……私忙しいから帰ってくれない? あとで飴ちゃんあげるから」
「わかりましたよっと」
「二度とこないでね」
疲れた顔で手を振る彼女に踵を返して、私は家路についた。
人間友好度が最悪も今は昔。疲れた顔で手を振る彼女は、危険度が極高だった頃の圧迫感などどこに置いてきてしまったのか。
どこからどうみても、農家のお姉ちゃんになっていた。
スカートの裾を結ぶだなんていうとんでもなください格好も厭わないし、重そうな荷物を持ったお爺ちゃんお婆ちゃんを見つければ、ツンデレ風に(ツンデレとは、博麗霊夢と八雲紫の関係である、と教えられたが、あれはただ単にうざがってるだけだ)荷物を担ぐ。
寺子屋から戻る子供たちからスカートを捲られても「こらー!」と叫ぶ程度。
まともに対峙すれば、か細い命の火まで消し飛びそうになるぐらいに怖かった彼女は、一体どこに消えたのだろう。
はじめは面白がって笑い転げていた上白沢慧音も、最近では日々の仕事に忙殺され、からかいにすら来なくなっていた。
それどころか、最近では彼女に対して真面目な依頼もしているとかなんとか。
人間も妖怪も、ひょんなことから変わるものである。
変わったといえば、アリス・マーガトロイドも昨今ではよく人里に顔を見せるようになった。
彼女が服屋を開いたときには私もお世話になったが、半年ほど営業した後にとっとと撤収し、今はオーダーメイドのみを引き受けているそうな。
といっても、ハイカラなファッションの風を幻想郷に招き入れた彼女の功績は大きく、元々強かった女性の地位が最近ではさらに向上しているような気さえする。
ドキッ、女だらけの百合の園~ポロリもあるよ~である。意味がわからない。
「あー、超おなかすいたしっ♪」
お団子屋さんから漂ってくる匂いがこれほど殺人的に人を惑わせるものだとは。
買い食いをすると夕飯が食べれなくなるけども、風と一緒に流れてくる醤油団子のかぐわしい香りに勝つほどの精神力を、あいにく持ち合わせてはいないのだ。
「むしゃむしゃして食べた。今は反省している、っと」
晩御飯を食べ切れなかった私は、こう日記帳に書き残した。昨日の日記は「猫を産みたい」とだけ書いてある。
まぁ私は子供産める体じゃないんですけど、こないだ炬燵の中に寝てた猫娘が相当可愛かったため、一週間に一度はそう書き残すことにしている。
催したときなんかは、その記憶を頼りに興奮を鎮めている。ふぅ。
さてま、そんなこんなで風見幽香が農香と呼ばれ、人里で働くようになってから早いものでもう半年以上が経つのである。
先の飢饉も、喉元過ぎればなんとやら。一人の餓死者どころか、普段と変わらずに過ごすことができた。
しかし無理やり畑の力を使ってしまったため、今年は例年よりも若干出来が悪いだろう、とのこと。
農香の力も万能ではなく、ようするにスカートをまくりあげて下着をチラ見せすると、普段の1.2倍ほどの力が発揮できる、みたいな。
そのような類の力らしい。
それ、で、そのような力にばかり頼りきっていれば、畑は力を失ってしまうし、何よりも人間たちが怠惰に過ごしてしまう。
なので、ああいった緊急生産をすることはもうないというにも関わらず、風見幽香は以前の生活に戻らずに、風見農香として人里に住んでいる。
案外、人里での生活が水が合ったのかもしれない。
それに、なんだかんだいって風見幽香は人間たちに愛されていた。
なんていったって、飢饉を救った英雄であり、豊穣の神としての信仰を集め始めてもいる。胸も豊満だしね。
それに、怖いイメージからのギャップで落ちた者も多いとかなんとかかんとか。
毎日毎日求婚が絶えなくてめんどくさい、と口からエクトプラズムを発生させているのを見かけたことも一度や二度ではなかった。
「といっても、旧豊穣の神様がそろそろ嫉妬でもしそうなものだけど」
頬杖をつきながらそう思ったのが、たぶんいけなかったんだと思う。
あんな酷い事件が、起こるだなんて。その時は思っていなかったから。
その日は朝から、人里は大混乱だった。
作付けしていた作物が全て引っこ抜かれ、代わりにヤムイモが植えられていたのだ。
しかも、やたらとでかい。
人々は恐怖と困惑を抱えた表情で、口々に不安を漏らしていた。
集会所は老若男女を交えた未曾有の混乱であった。
私はここで、一体何を見るのだろうか。今からワクワクする。
「我々の主食は米であり、べじたぼーであり、決してこんなに大きく育つ芋ではないというのに!」
「種籾を、種籾を……! これはわしらの希望なのですじゃ!」
なぜか血反吐を吐いて倒れたお爺さんは無視するにせよ、引っこ抜かれた作物は、割りと大切に郊外へと植えなおされていたのが発見された。
それを見て、誰しもが確信に至った。これは、神の怒りであると。
蔑ろにされた神様が怒りをもってヤムイモを植えた。そして引っこ抜いた作物は捨てるには忍びなく、こっそりと植えなおす。
このような残忍な手口を使うのは、幻想郷広しと言えども、豊穣の神である秋穣子しかありえまい。
「やはり昨年、収穫祭を行わなかったからじゃあないのか!?」
青髭が目立つ田吾作が呟いた。田吾作は秋姉妹の大ファンであったが、最近農香りんファンクラブに入会していた。
好みというのはその時で変わるんや、とぼやく彼には、今年三つになる娘がいる。嫁が泣くぞ
「種籾が、種籾が」
「うるせぇよ!」
このままでは、幻想郷の食生活が熱帯になってしまう。と、なれば女の子の露出が多くなる。
すると私にとっては嬉しいことではないのだろうか? いいやそれは短絡的な考えである。
日本には四季があり、その時々によって女の子の露出が変わるからこそ素晴らしいのである。
年柄年中サラシやブラジャーが透けていたら、その有難味というのは薄れてしまうのではないだろうか?
つまり、ヤムイモを人々に食べさせることで幻想郷を熱帯化させるということは許されざる暴挙であり、断罪されるべき事柄なのである。
「みんな、落ち着いて!」
「幽香さん!」
「いや、あれは農香りんだ! 麦藁帽を被っている!」
「本当だ!」
麦藁帽子で呼び名が変わるというのはとてつもなく可哀想だ。私が一人同情(あるいは爆笑)していると、彼女はキッと睨みつけてきた。
今夜のおかずはこれにしよう。
「ヤム自体は問題ではないわ。米がなければ、ヤムを食べればいいじゃない!」
「そうだそうだ!」
「俺はパンを銜えて角で女の子とぶつかりたい!」
群衆の心を一気に掴んだ。上手い。
将来は政治家にでもなるのだろうか。
「けれど、これはれっきとした農業テロよ。ヤムをえない事情ならともかく、私たちは手塩をかけて育てた作物を収穫する権利がある!
それを奪われ、ヤムを植えられるなんて許しがたい暴挙よ。私たちは、食べ物がないと生きられない。
今まで米を食べていたのに、明日からヤムを食べなさいと言われたらそれが許せる?
私は許せない! ヤムに罪はなくとも、胃袋は慣れ親しんだものを求めるわ。犯人が誰であろうと! 徹底的に糾弾することを誓うわ!」
「そうだそうだ!」
「糾弾しろー!」
その時、そう熱く語る彼女の背中から後光が差したような気がした。
「カリスマ……か。胸が熱くなるな」
いつのまにやら隣に立っていた上白沢先生は、ぐしぐしと目元を擦っていた。
風見幽香をこの道に引きずりこんだのは、間違いなく上白沢慧音その人の奸計であったはずだが、そのことを忘れているのだろうか。
いいや忘れているわけではあるまい。いつのまにか自分の罪を有耶無耶にし、歴史の藻屑にしてしまう算段なのだろう。
人間の里の守護者は案外腹黒い。だが、下着はいつも白い。
とりあえず、だ。
「けれど私は憎しみで犯人と接しない! 言い分を聞いた上で、わかりあえる妥協点を探ろうと思います! まだ、わかりあえるはずなのですから!」
このままだと耳が腐りそうだ。
人々がそれぞれの仕事へと散っていく。ヤムイモだろうがタロイモだろうがプルトニウムだろうが。畑で取れるものは世話をするのが農家の努め。
いつまでもぐだぐだ言ってられないのだ。種籾爺さんも普通に起き上がって集会所を出て行った。田吾作は嫁に殴られていた。
私も屋敷へと戻ろうかとぶらぶらしていると、例の二人(上白沢慧音と風見幽香である)が何やら話し込んでいるのに気づいた。
足かっくんをしてやろうかと思い後ろに回ったが、身長差がありすぎてできたもんじゃない。滅びろ巨乳ども。
「稗田の。私の後ろで何を?」
「……阿求じゃないの。こそこそ盗み聞きはいけないわよ、しっし」
丁寧に聞いてきたのが上白沢先生。野良猫でも追い払おうとしているのが風見農香りんである。私を蔑ろにする奴なんて、農香りんで十分だ。
「まぁ風見の。里で一番彼女らについて詳しいのはこの娘だと私は思うよ。収穫祭に彼女らを招いているのは里長だが、彼では話になるまい」
「まぁ、ね」
二人は揃って大きなため息を吐いた。
里のことに気を揉む農香りんっていうのもちょっとステキかも。
「それで、やはりお二方も秋の神様を疑っておられるので?」
「混乱を避けるために言わなかったが、幽香のところに犯行声明が届いていたんだよ」
「ほほう? それは是非とも聞きたいですね」
ずいっと顔を近づけると、農香りんに露骨に嫌そうな顔をされた。阿求ショック。
「えーと、『拝啓 風見幽香様 あなた様が私の信仰を横取りしてしまったせいで、肌はかさかさ唇はパサパサ。髪の毛はハリを失うし月のものは不順です。あげくの果てにバナナの皮ですっころぶし、タンスの角で小指を打ちました。その時の表情を天狗にパパラッチされ一面記事にされた上に、姉さんはその時の私について懇切丁寧に取材を受けやがりました。この恨みを晴らすべく、あなたを人里から絶対追い出してやりますからね。謎の美少女豊穣神』っていう手紙が今朝届いてたのよ。なぜか芋ハン付きで」
「去年は、知っての通り不作だったろう。その時に収穫祭をやれるほどの余裕もなければ、不作にした神様への信仰心もあるわけがない。
そこに丁度よーく、風見幽香が収まってしまったってわけだよ……。豊穣神の気持ちもわかるが、これでは逆効果だ」
「姉が謝りにきたしね。まったく、今は春だっていうのに大変そうだったわよ」
「要するに、神様に嫉妬されちゃったんですね。きゃー!」
あ、滑った? なんで二人とも呆れた顔してるの?
「いつまでも風見幽香の力に頼るわけにはいかない。あくまであれは緊急的な措置であって、今年は収穫祭を開くつもりだったんだが……」
「私もあんな気持ち悪い原稿読まされる羽目になるし、もううんざりよ」
淡々と流された。
仕方ないので私のほうから攻撃してみる。
「あ、あれって素じゃなかったんですね。気持ち悪いと思ってたのに」
「あんた私が気持ち悪いほうがいいの!? いいのね!? 笑いなさいよ! 笑いなさいよ!」
「うふふ、やっぱり農香りんっていじめ甲斐がありますね」
「ああもう静かにしろ幽香。阿求もあまりからかわない。なるべく穏便にこの問題を片付けたいんだ」
「そうですねぇ。私も幽香さんが人里に居たほうが嬉しいですし」
「阿求……。私、あんたのこと好きじゃなかったけど、そういう風に思ってたなら」
「面白いですし」
「やっぱ今のナシ! 吹き飛べ!」
やれやれ、乙女心というのはいつの世も複雑怪奇であるこって。
私と慧音と幽香ってすごく相性良くない? アイドルユニット組みませんか? って提案したら二人にゴミ虫を見るような目をされた。阿求ショック。
そんな私たちは今、妖怪の山へと向かっている。正確には、山の麓にあるきんにくハウスもとい八百万のプレハブ小屋であるけども。
この幻想郷、格式高い神様でなければプレハブ小屋に住んでいることはもはや常識。守矢の神々のように立派な神殿を構えているのは極稀なのだ。
溜まった厄を吸っきり解消。吸っちゃう厄エステ。
そんな怪しい立て看板をすり抜けた先に(すり抜ける際に上白沢先生は小指をぶつけた。爆笑)目的のプレハブ小屋はあった。
春だからなのか、厄ハウスの近くだからなのかあるいはそのどちらでもない理由からなのか。
ほかのプレハブ小屋に比べて明らかにそこだけ暗いオーラを放っている。そこから取れる暗黒物質を採取すれば、幻想郷が一つ吹き飛ばせるんじゃないかと思うぐらいに。
だとするならば私の必殺技は「上白沢です。呼ばれて参りました」「風見幽香です」「ダークネス稗田です」
おっと、考え事が口から出てしまったようだ。凍りついた空気を私のほっとな発作のフリで咄嗟に誤魔化す。
「む、胸が苦しいの……。こ、こ、を、緩めてくださらない……?」
「永久に呼吸で苦しまないようにしてほしいのかしら?」
それは困る。滑ったことに対して舌打ちをしつつ立ち上がると、呆れた表情の秋静葉と、その隣には覆面の女が座っていた。
間違いなく秋穣子だった。
「ワレワレハ、ウチュウジンダ」
おっけぇ、私の滑りなどこれで一気に消し飛んだ。
しかも表情は見えないけど、この覆面は超大真面目にやっているみたいだ。馬鹿だ。四月馬鹿だ。意味違うけど。
「ごめんなさい、妹が……」
「姉さん!」
しかもいきなり正体バレてる。私爆笑。連れの二人は頭が痛そうにしている。頭痛が痛いって奴だ。
「とりあえず、秋穣子。弁解は?」
仮にも神様に対して、だるそうにめんどくさそうに対応していいものだろうか。この半獣の傲岸不遜ぷりはたまに心配になる。
阿礼の子である私も結構乱雑に扱ってくるし、今度幻想郷縁起をこっそり書き換えようか。そうしよう。
「そこのムチプリが許せないのよ! ぽっと出で神様の仕事を奪い取っていって! 私はそのせいで女の子としての輝きを失ったのよ!」
「元々影薄いじゃないですか」
「五月蝿い紫芋!」
「ほう、私を芋娘と断ずるとするならば、あなたのアイデンティティがまた一つ失われることになるのではないかと思いますが」
「くっ……! 意外と弁が立つわね!」
この神様、案外虐め甲斐があるかもしれない。
強気にも腹黒にもなりきれない中途半端に漂ういい人の雰囲気(not芋の香り)が、つまりは弄られキャラとしての属性を加速させている。
こう、紐で縛られたりすると急に弱気になってお姉ちゃんお姉ちゃん! と泣き叫ぶようなタイプに違いないのだ。やっばい、少し催してきた。
平常心平常心。
「あなたの仕事を取るつもりじゃなかったのよ。ただね、それよりももっと大事なことって、たくさんあるっていうか」
「うっ……」
「秋穣子。あなたに聞くわよ。信仰を一時的にでも他所に取られることと、信仰してくれる人間たちが飢えに苦しむこと。
それで命を失ってしまうことって、どっちが大事? 考えなくたってわかるわよね」
「それは、そうだけど……」
「ヤムを植えたところで、大きな被害を人間たちが被ることはないわ」
露出が。
「ご飯は食べられるでしょうし、来年になればまたお米を作ればいいんだしね」
あ、私の心の声が無視されてる。
「でも」
「あんたがしてるのは、ただ駄々をこねているだけよ。そんなんで神様が務まるんなら、私だって神様になれるわ」
「……じゃあ、じゃああんたが神様になればいいじゃないの!」
あーらら、涙をいっぱい瞳に溜めて怒っちゃった。
と、思ったらプレハブ小屋から全力疾走へどこかへダッシュ。
神様も、人間みたいなところがあるのね。
「言い過ぎたかしら」
ここの妖怪も、人間なんて葉虫程度にしか思ってなかったくせに、面白い啖呵を吐くようになったと思う。
私の知っている去年までの風見幽香は、人間のことなんてアブラ虫一匹分の大きさも考えなかったような妖怪だった。
花と自分と、強者のみに興味関心を示して、自分に害するものだと判断したならば全力を持って潰しにかかる。
言い過ぎで傷つけてしまったか、なんていう感傷に浸るような妖怪では決してなかった。にやにや。
こんな気まずい空気の中で(私にとっては心地良い)、口を開いたのは秋静葉だった。
「妹は、ずっと悔やんでいたんです」
「悔やんでいた? 秋穣子がか?」
「ええ、上白沢さん。穣子は自分の力が足りず、守るべく幻想郷の人々を窮地に追い込んでしまったと、責任を感じているんです。
ヤムを植えたのだって、きちんと意味があったんです。ヤムはやりすぎですけれど、雑穀も一緒に作ってそういった飢饉に備えよ、という警告。
それにそもそも、穣子の力を十二分に発揮させるためには、収穫祭ではなく、前もって呼ばれないと駄目なんです」
「初耳だなぁそれは。収穫祭に毎度ゲストとして招いているが、そう言われたことは一度もなかったな」
「それがそもそもの驕りだったんです。飢饉が起きたところで、どうにでもなるんじゃないかっていう驕り」
しゅん、と肩を落とす秋静葉。
神様だって驕ることがあるのか。ちなみに私は奢りのご飯が好きだ。
とんとんとん、とチャブ台を指で叩く
「ふぅん。そしたら私は巻き込まれただけなんだ。そうなんだ」
「本当に、妹がすみませんでした。鬱屈していたのはわかっていましたけど、まさかこんなことをやらかすだなんて」
「いいわよ。ただお子様が癇癪を起こしただけなんでしょ? そんなことで気分を悪くするほど、私は子供じゃないわ」
「なんでも自分の思い通りにいかないと怒る超絶自己中だと思ってました」
「憎しみで人が殺せたら、今頃あんたは九回の転生じゃ済まないところね」
「ま、私の生死なんて結構どうでもいいんですけど、幽香さんはどうしたいんです?」
もちろん死にたくないに決まってる、だから論ずるべき問題ではないという意味であって。
目の前で殺気をムンムン漂わせている妖怪に、十度目の転生を阻止されていいわけがない。
「どうしたい? 決まってるでしょ」
「懲らしめる?」
「あんたは……。私をどんな妖怪だと思ってるのよ」
「危険度極高」
「嘘おっしゃい」
「もちろん嘘ですよ。放っておけないんでしょう。さ、行きましょう、秋のお姉さん。
わがままなお姫様は、茄子に割り箸を刺したものに乗った王子様を待っているはずですから」
「それは牛じゃないのか?」
「まさに慧音先生にピッタリ」
私の渾身のギャグで時が凍った。今ならチルノが見える。
「……行こう、この子に構ってたら日が暮れる」
「同意だわ」
「今代の阿礼の子は、やたらと激しいんですね」
「褒め言葉として受け取っておきますね」
そも、私は病弱なのだから、他の三人の精力を奪い取っておいたほうがバランスが取れるというものだろうに。
「豊穣の神様? 今日は見てないなぁ。椛に聞いたほうがわかるかもね」
谷河童の胸はとても大きかった。
作業服とワンピースが合体したような面妖な格好でなかなか気づけないけども、この子の胸は殺人的な双丘であることは間違いなく。
お前どこ見てんだって言われても、私は三人の後ろについているだけなので、そういったとこ以外に見るところもない。
ビバ、ハイパー合理化。超絶外来語。外来語と勝手に組み合わせるの大好きさ。
「にしても珍しい組み合わせだよねぇ。神様に半獣に妖怪にそれに人間。なんかお祭りごとでもあるの?」
谷河童が首を傾げている。そんなに珍しい組み合わせと思ったら、ここに妖精や亡霊を付け加えればオールスターだ。
「うんにゃ、あいにく神様探しだけだよ。思い当たる場所はないのか?」
「妹が行きそうなところって案外多くって……すみません」
半獣も神様も打つ手なしっと。
「あんまり派手に動くと、天狗の機嫌を損ねそうなのよね」
「天狗は縄張り意識が強いですからね」
そも、風見幽香が歩いていれば誰でも警戒する。
「でも椛だったら大丈夫じゃないかな? 天狗としてのあの子でなく、私の友人としてのあの子なら」
「ふぅん。山の妖怪ってのは面倒なのね、社会の一員ってのも厄介だわ」
「一匹狼の妖怪が人里に居る理由を考えるよりも、ずっとずっと単純なことじゃないの?」
そういって踵を返して、川へと飛び込んでいく河童。
その通り。風見幽香には人里に留まる理由など、何一つとして存在していないのだ。
彼女の腹の内など、八雲紫でも見抜くことは不可能だろう。
横顔を盗み見ても、その理由を慮ることはできなかった。だからこそ、彼女は面白いのだけど。
「何じろじろ見てるの」
「いえ、幽香さんの凛々しい横顔に見惚れてしまいまして。どうやったら私は嫁に行けるのかなと」
「同性なんだから無理でしょうに……」
「あれま。幽香さんは異種族での婚姻を厭わないとおっしゃりますか。それは私にとっては朗報ですが」
「はいはい」
しっしと追い払う仕草にはとうに慣れた。そんなのを無視してしなだれかかるという選択肢もあるけれど、しかしここはあえて、素直に引き下がって見せる。
こうした行動は「え、どうして今日は引き下がっちゃうのかな。私にもしかして興味がなくなっちゃったとか」と焦らせる心境を引き出し、女の子の恋心を上手く操作するとかなんとか。八雲紫と一緒に、こういったテクニックを日夜研究している私に一分の隙などありはしない。
なぁに、相手が如何に年月を重ねた妖怪といえども、私は一秒一秒を全力で生きている人間の身、それも九回目となればその経験値というのは凄まじいものがある。
なんせ「今夜は寒いだろう。僕の隣で冷え切った体を暖めなよ仔猫ちゃん」と言って布団を捲るという秘奥義を編み出した私たちは、この幻想郷でも一番のジゴロ力を備えているとみた。
ちなみにそれを実戦で使えたことは、まだ一度たりともない。しかし訓練でできないことが、本番で出来るだろうか? いいやできない。
つまりは日々訓練を重ねている私たちの最強は揺るがないということだ。
ディモールト。
「ところで阿求」
「はいはいなんでございましょうか先生殿」
「端的に聞くが、風見幽香が豊穣神と成り代わることは可能なのか?」
「余裕です。というかもうなりかけてますからね」
「なりかけてる、とは?」
「ファン倶楽部ができているでしょう。あれはもはや信仰といっても過言ではありません。
彼らの集会所はつまりは神社。幽香さんに神格が備わるのも時間の問題でしょうね」
「うげぇ……」
「露骨に嫌な顔しちゃ駄目ですよ幽香さん。一応あなたのことを信仰してる人たちですよ。
それでですね。この状態が続くとたぶんアレです。秋穣子は」
「秋穣子は、妹はこのままだと死にます」
静葉さんはそれ以降唇を噛み締めて何も言わないし、上白沢先生も幽香さんも何も言わなくなっちゃいました。
信仰を失った神様は神格を失い、荒廃したプレハブ小屋はさらに崩壊が進んで、最後には影も形もなくなっちゃいます。
これは何も、珍しいことでもなんでもないわけで。
時が経つに連れて信仰されなくなった神様――外の世界で信仰されなくなったからこっちに逃げてきた守矢の二柱なんかが代表ですけどね。
何度も言いますが、決して珍しいことではないんです。
憶測ですが、消滅した秋穣子はそのまま風見幽香へと引き継がれ、幽香さんは妖怪から農耕神にランクアップ。
元からものすごい強い妖怪さんが豊穣神になったとしたら、幻想郷の豊作は常に約束されるようなもんです。
それがいいか悪いかなんか、私は知りません。里の人々は秋穣子が消えてなくなったとしても、信仰する対象が変わった、とだけ捉えることでしょうし。
私にはそれが少しだけ後味の悪いことだとは思いますが、時流というのは残酷であると捉えるだけですから。
ただし、秋穣子という神様が居たということは書き留めますし、私がたとえ死んだとしても、それは記録として残り続けることでしょう。
それがいいか悪いかなんか、私は判りません。
つまりこれは、風見幽香にとっての大きな選択が差し迫っているということに他なりませんでした。
風見幽香が風見農香として信仰を集めてしまっていること。
それは押し出すようにして、元から居た誰かを押し出すことにもなりかねない。
私はそのことに薄々気づいていましたし、もしかすると、本人もそのことに気づいていたのかもしれません。
「興味ないわ」
「え?」
「興味ないって言ってるの。私は帰るわ、面倒くさい」
そして彼女の取った選択の本意ぐらい、この半年間ずっと見てきた私には、すぐにわかるんですから。
「ごっこ遊びはもうおしまい。私は風見幽香、花を愛する大妖怪よ。元より人間なんてアブラ虫にも劣る害虫にしか思っていないし、信仰されたってうざったいだけよ。
あそこから離れるタイミングを見失ってたから今日までずるずる住んでいたけど、丁度いい口実になるじゃないの。あーせいせいした」
その場で伸びをする幽香さんを、私たち三人は言葉を失って見ていました。
だって彼女の表情は、何一つ清々しいなんていう感情は含まれてはいないんですからね。
「稗田の、それに半獣。よく伝えておくのよ。私はもう人里には戻らないって言うこと。私を見かけて、農香りんだなんて言ったら」
おしっこちびっちゃいそうなぐらいの圧力を持って、危険度極高の妖怪としての力を見せ付けるかのように辺りに殺気を撒き散らしつつ。
「欠片も残さず、殺すから」
そう言って彼女は、私たちの前から去っていきました。わんだほーな春一番を残して。
そのせいで花粉が舞って、くしゃみがいっぱい出ちゃいましたけどね。へくちん。
幻想郷縁起で鳴らしたわたくし稗田阿求は、濡れ衣を着せられ天狗ポリスに逮捕されたが、妖怪の山を脱出し、人里にもぐった。
しかし、人里で燻っているような女じゃあない。
筋すら捻じ曲げ、解釈次第でなんでも書いてのける命知らず、不可能を可能にし巨大な妖怪をも馬鹿にする、私、稗田阿礼は九代目!
私は、道理の通らぬ妖怪の山へとあえて挑戦したけど。
頼りになる神出鬼没の守矢の巫女に 助けを借りたいのですが駄目ですか。
駄目でした。
「ふーやれやれ、酷い目にあいました」
天狗はわんさかやってくるわ河童は臨戦態勢に入るわ厄神はくるくる回りながら「厄い厄い」と@にも似てる言葉を残していった。
私たち三人が解放されたのは、もう日も暮れてしまった頃になってからだった。今から帰るには、人間の足ではちょっぴり厳しい。
「と、いうわけで。私は一足先に帰らせてもらう。里を空けるわけにはいかないからな。明日早くに迎えに来るから」
「わかりました。今晩はプレハブ小屋でってことですね」
「あまり神様を困らせるなよ」
「私は閻魔も困らせるんですよ?」
「だから心配なんだ」
「ええ、まぁうちの屋敷の者に宜しく言っておいてください」
「わかった。それでは失礼させてもらうよ」
結局、妹さんである穣子さんの手がかりは掴めず終い。
農香りんは人里から離れる決意をしたっていうなんとも後味の悪いことに。
姉である静葉さんも先ほどから頷くばかりで言葉を発しないし、外では「春ですよー春ですよー」と五月蝿いし。
夜だから妖怪の山のほうに戻ってきてるのか。なんというか。
「あの、稗田さん」
「阿求って呼ばれるほうが、嬉しいかもしれません」
「じゃあ、阿求さん」
「はいはい」
「心配、じゃないんですか?」
「何がですか? 穣子さんのことです?」
「違います……その、風見幽香さんのことで」
「ああ、それなら心配することなんてありませんね」
「え?」
「彼女は元々、罠に嵌められて人里に居たようなものですし、彼女なりに考えて神様になりたくないって思ったんでしょう。
あの言葉に多少、本心と違うものが含まれていたとしてもです。これで表面上は、たぶん丸く収まりますからね」
風見幽香は農香を捨てて在野の妖怪に戻り、元通り、とまではいかなくとも、秋穣子は豊穣の神様としてまた信仰を集める。
これで全ては丸く収まることだろう。何の問題があるだろうか。いいや、ない。
観察対象がいなくなるというのは、それなりに寂しいものはある気はするけれど、それだっていずれは慣れるもの。
「そういう意味じゃないです。神様とか、本心とか丸く収まるとかじゃなくて」
「じゃなくて?」
「阿求さんは、阿求はこれでいいんですか? こんなことで、ちゃんとしたお別れもなくって。
それで風見幽香さんとの関係が切れてしまって、それでいいんですか?
私は彼女の、昔の姿しか知りません。誰とも馴れ合わず、木々や花を愛で、それ以外には欠片の興味も示さない。
でも、彼女は強かった。私のような木っ端の神どころか、天狗や鬼に匹敵するんじゃないかっていうぐらいに。
そんな彼女が人間の貴女に……。すごく失礼な言い方ですが、たかが人間にからかわれても困った顔をするだけだなんて。
本当は気づいているんでしょう? 彼女は穣子と自分を天秤にかけて、それでああやって退いたんだってことも」
「静葉さん」
「……はい」
「だからって、私が追いかけて何ができますか? あなたの妹さんが消えてもいいから、人里に残ってほしいと懇願しろと?
野に降り、それからも交友を持ってほしいとお願いしろと? それは、できないことです。
風見幽香は最低最悪の妖怪として人間達から認識されなければ、野に降ったとしても信仰を集めてしまうでしょう。
そうしたらあなたの妹さんは、秋穣子はその存在を保てますか? 秋穣子が人々を愛しているのはわかります。
しかし人々は熱狂的です。私は、秋穣子を過去の存在として扱い、今回のことを糾弾せよと。排斥せよと叫ぶ里の人たちをこの目で見たんです」
「それは……」
「信仰は信頼。一度でも転がり始めた物を止めるものは並大抵のことではありません。
誰しもが、このような事態を招くとは思ってはいなかったんですから。
風見幽香は、自らを悪に身を置くことで誰も傷つかない、悲しまない道を模索しようとしたんです。
私にそれを、止める資格などありません」
「でも、二人ともこれじゃあ寂しいです!」
寂しい?
「冗談でしょう。私はまぁ、観察対象がいなくなったら寂しいですけど。長くてもせいぜい残り十余年の人生です。
風見幽香だって、農香りん、だなんていう不名誉な名前で呼ばれなくなって、きっとせいせいしますよ」
なんで私はこんなに胸糞悪くなっているのだろう。ムキになって反論して、抑揚だってメチャクチャで。
「嘘吐きです。阿求は嘘吐きです。私は穣子がいなくなったら寂しいですし、そうならない道を一生懸命探ります。
阿求みたいに最初っから諦めて、大切な人を失うのを何もせずに受け入れるだなんておかしいですから」
いつのまにか、目の前の神様はくるんだ習字紙みたいにくしゃくしゃに泣いていた。
なんでいまさらになってそれに気づいたかって言えば、それは簡単な話で。
私だって泣いていたから、目の前がよく見えなかっただけのことだった。
◆
「ぶー。さぶいさぶい。春だからって油断してると、夜になるととんでもないわねホント」
私こと博麗霊夢は、あれから半年経っても中毒症状が治らない。なんじゃこりゃ。
幸い幻想郷には名薬師がいるため、定期的に通院をしているのだが、どうにもこうにも完治は遠いのだ。
口から変な泡を吹き出し、十一次元の真理に至るといった症状を発することはもうないのだが、それでも定期的に通院はしろと厳命されている。
「それもこれも、幽香のくそまっずい野菜を食べちゃったせいってのもねぇ」
いくらおなかが空いているからといって、栄養価の欠片もないきゅうりを大量に頬張って。
断面が七色に輝いているのを気にも留めずに数十本も食べるのはちょっと、自分でもないと思う。
「あーさぶさぶ。おでんでも買っていこうかな、買っていこう。寒いし、寒いなこりゃ」
ちょうど人間の里が見えてきた。ここで暖を補給し、ほこほこしながら神社に戻ればいい。
ついでに、幽香をからかっていくのもいい。というかそれが半分以上目的なんだけど。
あんにゃろーったらすっかり丸くなっちゃって、こないだ赤ん坊を抱いてたときだなんてどう反応したらいいやら。
慣れない手つきで危なっかしいのなんの。って私はハラハラしてたんだけど、隣に居る夫婦はすんごいいい笑顔なのね。
まったく、そいつの名前を出したら九割九分の妖怪は身構えるか逃げ出すっていうのに。
ニヤニヤ笑うのなんて、レミリアとか紫ぐらいのもんでしょうに。
そんなのが子供抱いてこっちに縋るような目線向けてくるってギャグとしか思えない。ほんとに。
さてどうからかってやろうか。っと、そのまえにおでん食べるけどね。味染み大根とか、餅入り巾着とか。
「……」
「なんであんたおでんやってるの」
地霊殿の主がおでん屋をやっていた。地霊おでんとかいう寒い語呂合わせに対し、深いことは考えないことにした。
あとこの妖怪、まるで喋らない。客とコミュニケーション取る気、まるでなし。
でも心が読めるからか、出汁をなみなみと注いでこちらに渡してくれた。
「代金は?」
「……」
相変わらず無表情で、手を振られた。いらないってことなんだろうけど、釈然としない。
「あららお姉さん。さとりさまのおでんを買ったんだ」
「ん?」
振り向くと、そこには鉢巻にハッピ姿の火炎猫燐。この娘ってやったらとお祭りに馴染む気がする。
って無言で頷かれても困るんだけど。
「さとりさまはね、口の中を火傷しているから喋れないんだ……。こう、ちくわがあるだろ」
「はいはい。大体言わんとしていることはわかった。子供じゃないんだから」
「……」
「さとりさま! さとりさまおいたわしや……」
「漫才はそこらへんにしときなさいってば、私はもう行くから。ちょっと幽香に用事があるの」
「幽香? 風見幽香?」
「そう、風見幽香」
「風見幽香なら、里から失踪したって聞いたんだけどなー?」
「は?」
知らなかったの? とでも言いたげな表情で、さとりは卵を渡してきた。ちょっとうざい。でも嬉しい。
「なんでも、普通の女の子に戻ります宣言をして野に帰ったとかいう噂だよ。
といっても、今朝演説をぶって、夜になっても帰ってこないってだけなんだけどね」
「ふーん……」
「……」
「はい、さとりさま大根ですよ。あーん」
こいつら心読む能力いらないじゃん。以心伝心じゃん。
「ふふ、寒いところでおでんを頬張る主とペット。どことなく淫猥な」
「あーあー聞こえなーい」
馬鹿どもの言葉を耳を塞いで無視しつつ、とりあえずは事情を知っていそうな慧音のところへと向かうことにした。
地霊おでんを頬張りつつ。
「結構美味しいから腹立つなこれ……」
地霊殿は本当によくわからない。
突如爆発したりこうしておでんを作り始めたり。一体どんなフレキシブルな生活をしていたら、そうなってしまうんだろうか。
「そういえば馬鹿烏は居なかったな。炉の仕事でもしてんのかしら」
一番おばかに見えるのに、実はあの子が一番真面目なんだと。
ふむぅ。おりんのほうじゃなくてあっちをペットにしたほうが良かったかなぁ。
まぁ紫が連れてきたのがおりんのほうだったってことなんだけど。
「はふはふ」
とりあえず卵が美味しい。卵なんて食べてたら、地獄烏には怒られるのかな。
そういえば射命丸とかミスティアなんかは、こういうの食べてたら結構嫌そうな顔するっけ。
鶏肉は食べちゃいけないから、兎でも魚でもなんなり食べろって。
兎を食べようって言うと、永遠亭の面々が嫌そうな顔をするしめんどくさい。
兎鍋も鳥鍋も美味しいんだけどなぁ。
「牛鍋とかだったら、慧音怒りそう」
「誰が牛だー!」
おおっと、いつのまにやら家の前まで来てたみたいだ。
とりあえずいきり立ってる様子なので、大根を食べつつ右手をシュっと上げてみる。
「お、おおう? 珍しいな、博麗の巫女が私を訪ねてくるだなんて」
「ほんとは幽香に会いに来たんだけどね。あいつ、どうしたの?」
「んー、ああ、それがちょっとややこしいことがあってな」
「ふぅん。とりあえず、上がっていい?」
「散らかってるが、余り気にしないでくれ」
「独身女なんてそんなもんよ。ぜんぜんへーき」
「なんかその言い方は引っかかるものがあるなぁ……」
「この辺気にしたら負けだと思うわ」
めんごめんごと得体の知れない何かに謝りつつ。
通された居間でおでんを食べてると、ほどなくしてお茶をお盆に載せた慧音がやってきた。
「粗茶ですが」
「出涸らしは三回目からが本番よ」
「客に出涸らしを出す馬鹿がいるか」
「私」
「そう言われると、博麗神社に客として行きたくないなぁ……」
「そうして頂戴。お土産は大歓迎よ。牛肉とか」
「だから私は牛じゃないんだって。とりあえず、幽香のことだな?」
「そうそう。幽香のこと」
「ちょっとややこしい事情があってな、行方知れずなんだ」
「ふむ?」
「まぁ、酒を入れようじゃないか。そっちのほうが話しやすい部類の話でな」
「へーい。他人の家で飲むお酒ほど甘美なものはないわよねえ」
「ほどほどにしてくれ、な?」
「我慢できない」
お酒を前にすると、幽香のことがだんだんどうでもよくなってきた。
これが俗に言う、花より団子ということか。
れいむかしこい。
「たかりにきたんだろー、そうなんだろー、そういえよー」
「これ結構美味しいわね。もっとちょうらい」
◆
戦うのが花の次ぐらいに好きである。花が咲き乱れて居る場所を求めてあっちへふらふら、こっちへふらふら。
幻想郷に来る前から自分よりも強そうな妖怪を見つければケンカを売ったし、戦いを挑んでくるお馬鹿さんが居ればあしらった。
恐怖に震えている顔に、追撃を入れるのが堪らない。やめてほしいと懇願する相手の言葉を聞き入れず、意識が飛ぶまで蹴りを入れるのが常。
徒党を組んで狩りたてる連中を一匹ずつ締め上げていくのはえも言われぬ快感だったし、追い込まれているときには、生を実感することができた。
そんなことをしているうちに、私のケンカ相手は幻想郷には居なくなっていた。
強い連中は組織を抱えていて、そう簡単に戦いに赴けない。それにこの狭い幻想郷では、名前も知れ渡ってしまったせいか、侮ってかかってくる妖怪もいない。
結局私は、一番大好きな花を愛では、ぼぅっと佇むといった、刺激の欠片もない生活を延々繰り返していた。
死のうかな、とぼんやりと思ったことさえある。
というのも、私がうかつに動けば幻想郷のパワーバランスというものがおかしくなるし、花を愛でてぼぅっと過ごすというのは、素晴らしいけれど刺激がない。
所詮は私など、在野の一妖怪。野垂れ死んだところで誰も悲しむ者はいないだろうし、それによってパワーバランスが大きく揺れ動くということもない。
そんな風に考えていた折だった。半獣が、私のところへと訪ねてきたのは。
半獣はそれなりの手練れではあるけれど、私にとっては食い甲斐のない相手だった。
まぁどうせ、邪魔だからどっかにいけとでも言われるのだろうと構えていたら、何のギャグか野菜を作れときたもんで。
退屈凌ぎに作ってみたら、食べれない、食えたもんではないと突き返される。
霊夢にあげればよくわからない中毒を起こすし、アリスには馬鹿にされるわ紅魔館の門番はなんでも食べるわ。
でもそれって、案外楽しい日々だったりして。
何の勘違いか、私はそのまま人間の里に居ついて、農香りん、農香りんって呼ばれることも悪い気はしなくって。
取材に来たときにはビクついていた稗田の小娘も、今では私に対してすっかりため口だった。
相手がその気になれば、粉々にだってされる。そんな相手に対して、歯に衣着せずに。
霊夢だとかアリスだとか魔理沙だとか、それなりに力を持っている連中ならまだしも。
何の力も持っていないただの人間が、私に興味を示していることがくすぐったくて。
心地よかったんだと思う。
「別に、いい機会だったわ」
こう呟くのも何度目だったかと自嘲した。
なに、もう一回刺激もない、花を愛でてふらふら歩くだけの生活に戻るだけだっていうこと。
今までずっとそうしてきたはずなのに。たった半年間ぬるま湯に浸かって日和っただなんて考えたくなかった。
「というか、ありえないし!」
人間の子供は、たった半年間だけであんなに変わってしまうものかって驚いたりもした。
名の知れた妖怪だって道を開ける私に対してスカート捲りをしてくる悪ガキだとか、しつこく求婚してくる若い男だとか。
なぜか知らないけど毎日差し入れをしてくる女の子たちに、それと、しつこく絡んでくる紫芋娘とか。
あんなに元気そうにしていたお爺ちゃんが、次の日にはぽっくりと逝ってしまって荼毘にふされたり。
それとは逆に、挨拶をするようになった夫婦に子供が生まれたり。
花を愛でているときはまた違う楽しさが、戦いとは違う刺激がそこには存在していたのは確かだけど。
でもそれが、他を犠牲にした上で成り立つ生活なんだとしたら、それが急に怖くなってしまった。
「おかしいわよね、私がいまさらそんなことで思い悩むだなんて」
屠った妖怪なんて数知れず。たかが木っ端の神様が一柱この世界から消えうせるなんてこと、大したことないはずなのに。
ワガママに、「ああそうですか。けど私は好き勝手に生きるから」って言えばよかったのに。
それぐらいの我を通すことなんか簡単なはずなのに、どうして私はそうしなかったんだろうかと。
考えなくとも、その答えを己の中に見出すことは簡単にできた。
単に、楽しい時間が終わってしまうのが怖かっただけだった。
きっと、豊穣の神として成り代わったとしたら、胸の中にずっとしこりが残り続けるんだろう。
追い落とされた神は、この世から消滅してしまう。姉を残して。
ずっと一人だった身には、妹が消えてしまうかもしれないという気持ちを理解するのは難しかった。
でも、たった半年間のことを失うと考えるだけでこんなに胸が痛いのなら。
「私が身を退けば、全部丸く収まるじゃないの、私は迷惑を撒き散らすだけなんだもん」
楽しいと思っていたのは私一人で、本当は上白沢慧音は私のことを疎ましく思っていたかもしれないし。
紫芋娘だって、私のことを物珍しいからと付き纏っていただけで、それ以上の感情なんてないんだろう。
人里の人間だって、一年もしたらきっと、私の事を忘れてしまう。きっとそうなのだ。
忘れられる痛みを味わうぐらいなら。私は自分から、拒絶する。
「はぁ……」
「あうー」
目の前の風景になんていうかもう、頭が痛い。
というのも、机には酒瓶を空けに空けて突っ伏している緑髪の妖怪。なぜ彼女は急に押しかけてきて腑抜けているのか。
連日の研究続きで睡眠を取るのも忘れてナチュラルハイになっていたところで、ドンガドンガとけたたましく戸が叩かれた。
誰だこんなときに訪問する奴は。魔理沙か。魔理沙だったら人形にしてやると勇んで戸を開けると、幽香が唇噛んで目をうるうるさせながら立っていた。
呆気に取られてるうちに押し入られて、あとは酒をがばがば飲みやがった挙句泣きじゃくるわ抱きつかれるわ。
理由を聞いたら泣きじゃくってマシンガンみたく話したと思ったら机に突っ伏してぐすぐす言うし。
嫌なことがあったら自棄酒したい気持ちもわかるけど、これじゃあまるで通り魔だ。
「もう」
なんとなく、私はこの子の頭を撫でてみたり。
泣いたり怒ったり笑ったり凹んだりって、持ってる力そのものが変わっていないのに変化をするって。
己を変えることができない妖怪にとっては、眩しく羨ましく映るものだったりする。
私自身は新参者の魔法使いという種族だけど、幽香の気持ちもちょっぴりわかる気がする。
弱味どころか、全てを破壊しつくすってスタンスの幽香が、人の家で酔い潰れているだなんて。
面白くって美味しいシチュエーションだ。
「ありすぅ」
「何? 水でも欲しい?」
「ごめんあさい……」
相変わらず突っ伏したまま、炭酸の抜けきったサイダーみたいな声で呟かれると、サラサラなかった怒る気も全部吹き飛んだ。
話してくれなくたって、大体の見当はつくし。
この子はいつのまにか、人間の里が大層気に入ってたようだし、誰かとケンカしてしまったということなんだろう。
些細な拍子に傷つけてしまって泣かせてしまうってことは、他人と関わっているのならば確実にぶつかるものだと思うし。
ところてんみたいに、安穏として座っていた居場所を押し出してしまうことだったり。
不用意に踏み荒らしてしまい、謝れない自分の弱さだったりして。
話す勇気がなくてただ荒れているのなら、私はその勇気が持てるまでは傍に居てあげようと思った。
それがこの子を友達だと思う、私の務めだから。
「さ、私も飲も飲も。幽香、片付けは手伝ってもらうからね」
「うあー」
◆
と、いうわけである。何がというわけなのかはさっぱりわからないのだけど、私は結局どうしたら良かったんだろう。私自身は単なる人間どころか人間以下のスペックしか持ち合わせていない超絶薄幸美少女であるからして、あいきゃんふらいなんて彼女を追いかけることなんてできやしなかったし、哨戒天狗でさえ見つけられなかった妹を見つけることだってできるわけがない。完全記憶能力が一体何の役に立った。こんなもんを持ってるがために、記憶の残滓もない私だった奴のために、幻想郷縁起を書くための三十年足らずの人生を歩まされてるっていうのが、この稗田阿求の赤裸々な人生であって、それ以上もそれ以下でもない。幻想郷で生活している妖怪どころか一般人以下の身体能力と、制約だらけの私ができることなんて、さっぱり微塵も存在していないっていうのが辛いっちゃ辛いところ。
かといって突然私がメントスコーラばりの爆発力を持ったスペシャル・ホールドを身につけたところで、結局泣いている女の子の一人も救えないっていうのが現実だったりする。だって私も、一応女の子の範疇だし。泣くときゃ泣くし、泣いてるときは包容力に溢れるお姉さまに慰めてほしいところ。しかし目の前で泣いているのは姉のはずなのにそういった豊満な姉属性からはほど遠い紅葉の神様だし、しかも今が春だからか目が頻繁に泳いじゃう。「ただいま。お姉ちゃん」ということは私の傷ついた防弾ガラスのハートを癒し抱いてくれるのは隣の家にある。吸っちゃう厄エステなる怪しげなプレハブ小屋であるということは明白であり、私の財布に入っているなけなしのお小遣いをそこにつぎ込むことを決意したときだった。
「えーと、どなたさま?」
「わ、わお」
いきなり顔を覗きこまれた私は乙女のご多分に漏れず、赤面したりしなかったりしたわけで。
それが先ほどまで遁走をかましていた秋の神様の妹のほう。つまりは豊穣神であると認識した瞬間、なんだか私の奥底から怒りが沸々とわいて来た。
「一体どこに行ってたんで」
「えーと……お姉ちゃん。私明日、里に行こうと思うんだけど、一緒についてきてくれないかな」
おー驚いた。この娘は私稗田阿求の存在を完全に無視。まるで初めて会ったときの風見幽香のような完全なディスりっぷり。
ああそういえばあの時の風見幽香は、野生の猛禽類を見ているかのような「何しにいくの? 穣子」私の心臓はバクバク。ああちくしょう。私のモノローグ完全に無視するつもりだ。
「確かにさ、農香りんとかいうのはすごいよ。私なんかよりもずっと、強い力を持ってると思う。
でも私は、小さいながらも、本当に大した力なんかじゃないけど、ずっと人間たちを見守ってきたっていう自負があるの。
人間たちが私じゃなくて、あの妖怪を豊穣神って認めるのならそれは仕方ないけどさ。直接対決して決着がつかなきゃ、私認められない。
ヤムイモを植えたあげく消滅したなんていったら、お姉ちゃんだって恥ずかしいと思うし」
「穣子……!」
ああ抱き合いはじめやがったちきしょう。さっきまで私と熱い会話を繰り広げていた姉のほうも、妹が来た途端私を完全に無視しはじめたよ。
何? 私は間男とかそういう奴? 妹が帰ってくるまでのツナギ? それともなんだろう、私にとっての王子様は別に居るとかそういうことなのかな。
と、いうか、顔すら覚えられてなかったよね。妹のほうに。どんだけ存在感ないのかな私って。もっと自己主張したほうがいいのかな。
例えば露出を増やすとか。
すぐ露出に意識がイッチャウイケナイ子、稗田阿求でーす。ちくしょう。目の前の二柱私のことガン無視だよ。
私テンション高く振舞ってるけど、本当は居心地悪いから部屋の隅に移動して体育座りしてるよ。
掛け布団くださいよ。
被って寝るから。
次の日の朝は割りと最悪だった。
と、いうのも二柱は私のことを置いてプレハブ小屋を出ようとするし、外に出た瞬間リリー・ホワイトの弾幕をコサックダンスを踊るみたいな面妖な動きで回避せねばならなかったし。
上白沢先生は迎えに来てくれるって言ってたけど、二柱についていけばいいだろうと思ったら空を飛ばれて私は置いてけぼりにされてしまい、気合で空を飛べるかなと十分ぐらいがんばってみたけど「厄い厄い」とくるくる回ってる厄神が通り過ぎていった後にタライが中空から落ちてきて頭に激突するし。
薬草を取りに来たと思しき永遠亭の妖怪兎は私のことを視線の端で気にしつつ話かけられないぐらいシャイなのか結局話しかけてこなかったし。
私は残念な気持ちでその場で体育座りをしていた。
そして待つこと数十分。明らかに二日酔いの態様でおはようございますした上白沢慧音女史の後ろには、なぜかスベスベのお肌の博麗の巫女もご一緒してきた。
「あー……昨晩飲みすぎてしまってなぁ」
ヒトヲプレハブコヤニノコシテ、イイゴミブンデスネ。
「阿求かぁ。二柱は一緒じゃなかったの?」
オイテカレマシタヨ。
私がロボボイスで喋っている。つまりは機嫌が相当悪いということを察してくれたのか、霊夢さんは私に飴ちゃんを渡してきた。
「甘いものを食べたら機嫌もよくなるわ。私だったらそれでよくなる」
「とりあえず、二柱は里に向かったということで、いいのか」
ハイ、ソノトオリデゴザイマス。
「まったく。世の中何がどうなってどう転ぶか私には予測がつかんよ」
「なるようになるんじゃないの? だってみんなが悪くならないようにって努力してるんでしょ。
だったら、それは上手くいく。いかなきゃ、とんでもない性悪な神様が悪さしてんのよ」
「お前から神様って言葉が出るとは思わなかったな」
「一応巫女よ? 私」
「そういえばそうだった」
上白沢慧音の態度は一見して冷たいようにも思えたが、彼女は本質的には部外者で、結局は当人たちに任せる他に出来ることなどないのだ。
それは当然私も同じであり、へらへら笑っている博麗の巫女も同じことだった。
あの二柱が里に出向き、一つ演説をぶったところで状況が変わるだろうか?
残念ながらそれは非常に難しいことだと、私は思う。
嫉妬に駆られ、人の道――あの場合は神様の道だから神道と言うべきだろうか。そこから外れてしまったのは事実。
そんな彼女たちがいまさら叫んだところで、同情すら引けるか怪しい。
それにもう一人の当事者である風見幽香は、二度と里には来ないと息巻いてどこかへと去っていってしまった。
秋の二柱が余計なことをせずに、このことを有耶無耶にしていればまだ救いはあったように思えるけども、今のままでは逆効果だろう。
けれども、私は妙にワクワクしていた。
理屈で考えるならば、これは絶体絶命のピンチ、なのだろうけど。
博麗の巫女の言う通り、あがけばあがいただけ、それは報われて然るべき。
何の根拠もないけれど、どうにもならないと手をこまねいているよりも、一歩を踏み出した彼女らの姿を見届けるべきではないのだろうか。
そう、そうなのだ。大団円というものは、誰しもが必死でがんばって、そういうものが色んな方向から積み重なってようやく届く。
その時になって見なければ、どう積み重なっていて、自分がどの部分を担っているものなのかもわからない。
そんなようなものだったりする。
「阿求?」
「霊夢さん、早く里に行きましょう。大団円というものは、ちょっとばかしの勇気や努力で掴み取れるものだったりするんですから」
「はぁ?」
「ま、二柱も何かが吹っ切れたんだろう。私たちも道を引き返そうや」
吹っ切れたのは、私のほうなのかもしれない。
たとえ傍観者の一人に過ぎなくとも、それでもこれからのことに意味もなくワクワクした。
私は稗田の九代目。この眼で、耳で、面白そうなことは全て焼き付けてしまえばいい。
◆
目が覚めると、アリスの家にいた。
転がる空き瓶。
机に突っ伏して寝ているアリス。
そして頭の中では、がんしゃらがんしゃらと、金属を皿にボールの中に入れてシェイクしたような下品な音が鳴っていた。
「あったまいったぁ……」
あれ、昨日何してたっけか。
というかなんでアリスの家で寝てるんだっけか。
「み、みず」
魔力が供給されている限りは動く人形が、私の声に反応してコップに水を入れて持ってきてくれた。
それをひったくって喉に流し込むと、もう目の奥から渇きが潤されるようだった。
あー。
「泣きまくってたのか、私」
「ついでに吐くわ転がるわ抱きつくわ脱ぎだすわ大変だったわ」
鉄球よりも重い頭を声のほうへと傾かせると、そこには大層不機嫌そうな顔をしたアリスがあくびをしているところだった。
「おはようアリス」
「おはよう、幽香。さっさと支度なさい」
「支度って、どこに?」
「決まってるじゃないの」
「決まってるって?」
「まさか、あんた酔っ払ってたからって覚えてないの?
何度も何度も何度も何度も同じこと言ってたくせに。もう耳にタコができちゃったわよ」
「デビルフィッシュ?」
「もうそれでいい。里に行くんでしょ」
「え……」
私はもう、里には行かないって決めた。そのつもりだったのに。
「酔っ払ってびゃーびゃー泣いてさー。やれ植え付けがあるから行かなきゃいけないだのなんだの。
間引きをしないと上手く育たないとかどーたらこうたら。私の家で延々そんなことされたら、たまんないわよ!
だから、さっさといくわよ。あんたの場所を、取り戻しにね」
全身の骨がなくなってしまったんじゃないかって思うぐらいに、体はぐにゃぐにゃに弛緩しきっていたけれど。
アリスの手に引っ張られているうちに、だんだんと力が体へと戻ってきた。
そも、私は何を恐れていたのだろう。
「あんた、昔よりもよっぽど弱っちくなったわよね。ま、そのほうが私にゃ付き合いやすくていいんだけど」
私は孤独の苦味を知ってしまったから、もうそこには戻れないっていうだけ。
たった、それだけのことだったってことに、いまさら気づいた。
◆
さて、今回の物語の収束について私はどう述べればいいのだろう。
端的に表すならば、お団子食べたい、だとかそういた言葉で書き表すのも可能なぐらいに、大したこともない事件だったんだなって。
それでも私たちが少女である限り――例え妖怪であったとしても神様だったとしても、私は彼女らを少女と呼ぶ。
なんせ、彼女らの悩みとは私自身も含め、少女特有の悩みであって。
ひとつまみの勇気が足りず。
そしてひとつまみの勇気があったから収束した、という、ありきたりな話でしかない。
◆
私たちが里に戻ったとき、人々は仕事の手を休めて、秋姉妹の演説に聞き入っているところだった。
人々が囲む内で、壇上に立つは、秋を司る姉妹神。髪を振り乱し、人のもとまで降ってまで必死に訴えていた。
喉を枯らし、カミサマとしてのプライドなんて一欠けらも見せず。
しかし人々は白けていて、私たちの姿にもすぐに気づいた。
「上白沢先生。イモを植えてったのはやっぱり神様だったんだと」
「上白沢先生」「上白沢先生! 今日も麗しい!」
人間の守護者、歴史の半獣。やはり私のような子供とは違い、里の者からの信頼が篤い。
たちまち人々に囲まれた彼女は、そのまま神輿に乗せられているかのようにどこかへと運ばれていった。でらシュール。
「で、あんたは行かなくていいの?」
「私は傍観者ですよ。いつだって、今回だってそうです」
「ふーん」
「霊夢さんこそ、どうしてここに居るんです?」
「幽香をからかいにきたら拗ねてどっかいったとか言われて、そのまま乗りかかったふねー」
「ふねー」
「そうそう。ふねー」
「ふねー」
そう、この場にはもう一人大事な人物が足りていないのだった。誰しもが、心の中では焦れていたに違いない。
待ち望んでいたに違いない、主役の到着というものを。
唐突にざわめきはじめた人の群れが割れ、二人の女が歩いてきた。
金のウェーブと深緑のウェーブ、髪の色の違う姉妹のような二人。
「じゃじゃーん! 主役は遅れてやってくるものよ!」
「ちょっとまって、まだ気持ち悪いから」
古今東西、どんなストーリーでも主役というのは遅れてやってくるものである。
物語を終わらせるために。しかし、だからといって。
「……ねぇアリス、吐きそう」
「ちょっとここで吐いちゃだめよ! いままであなたが積み重ねてきた色々なイメージが崩壊しちゃう!」
二日酔いでやってくるというのは、如何なものか。
呆れて呆れて、秋の姉妹神は目を丸くしているし、リリー・ホワイトは空気を読まずに春を振りまいて。
なぜだか胴上げされている者もいる。アリスは注目されるのが少し気恥ずかしいのかポーズなんかを取ったりしているし。
自然なつもりなんだろうけど、もう角度つけてる時点でばればれ。あ、あそこにちょっといい男。
うーん。やっぱりアリス・マーガトロイド女史も女の子ってことか。
「も、もう大丈夫だと、思う」
「大丈夫? あんたうちにある備蓄のお酒、料理酒まで全部含めて飲み干しちゃったんだから。 いつか絶対弁償させるから」
「今言うことじゃぁ、なくない……?」
「ぶどう酒の恨みは戦争をも引き起こすわよ、割とマジで」
漫才しているうちは大丈夫。というかあの二人っていつのまにかあんなに仲良しになっていたんだろう。
少なくとも、半年前ぐらいには、アリス・マーガトロイドは風見幽香を少なくとも、苦手に思っていたように思えたけれど。
今ではアリスが、完全に手綱を握っていた。個人的人類の七不思議に数えておこう。
さて、あとは彼女らが壇上で、ストーリーを纏めるだけである。私はそれを心のメモ帳にこっそりと書きとめる用意をする。
つまりはそういうことなのだ。
「あー、えーと」
風見幽香が頬をポリポリと掻く。
集まっている人間。そして壇上に居る全員の視線が彼女へと集まった。
「こ、こんにちは」
全員がその場で滑った。
「違うでしょそれは」
アリス・マーガトロイドがすかさずツッコミを入れる。
さぁリテイクだ。
手に汗を握る。ついでに固唾も呑んでみる。
次に言う言葉如何で、古くは飢饉から始まったこの半年間とそれに伴っておきたこのヤムイモ異変。
秋姉妹が今後神で居られるのか、そして風見幽香が風見農香として人里に留まるのか。
そういった全てのことが決まるのだ。自然緊張も高まるというものだ。
「え、えっと皆さん。聞いてください」
誰しもが口をつぐみ。その後に続く言葉を待った。
「みんなで仲良く、宴会しましょ……。ほ、ほら! お酒とかジャンジャン出して呑んで騒いで全部水に流しちゃえばいいのよ!」
結局のところ、すべては有耶無耶である。
涙も悩みも全部纏めて、里を挙げての突発大宴会で有耶無耶に水に流されてしまった。
この間に何の密約が交わされたのかはわからないけども、宴会の上座には春なのに秋の姉妹神が座っていて、その隣には困り顔の幽香が座っている。
大方、私はふさわしくないからと辞退しようとして失敗してしまったのだろう。
次々に注がれる酒に辟易しつつも、必死で表情を作っているのが見て取れる。
姉妹神とのわだかまりも解けたのか、彼女らからも酌を受けている。もう心配はいらないみたいだ。
「気になる?」
「アリスさん」
「隣座るわよ」
「どぞ」
ちびちびと、こういった催事でしか出されないような芳しいお酒を飲みつつ、雰囲気に浸るのが何より楽しい。
私の代からだろう。妖怪が入り混じっているのに、誰も気にも留めずに馬鹿騒ぎをするだなんて。
先代のときの記憶などおぼろげにしか残っていないけれど、少なくとも、良い印象で書かれていた妖怪なんぞ一匹たりとも存在しなかった。
当然、風見幽香なんて墨書きででっかく、危険! としか書かれていなかったし。
今ではそれを枕元に飾り、吹き出して起床するのが日課となっている。有効活用されているね。
さて、ここに私なりに現在の彼女らへの私見を記そうと思う。
隣で楽しげに杯を傾けているアリス・マーガトロイドも、この半年で人当たりが随分良くなった。
里に出店した服屋はもう閉めてしまったが、以前の彼女であればこのようなアクティブさは見られなかったように思うし。
幻想郷縁起に描かれている彼女らの姿は、過去のある一点を記したものに他ならない。
時が先へ向かって流れている限り、人間や、長い寿命を持った妖怪であっても変わっていくもの。
言い方が悪いが、逃げ出して元に戻ろうとしたはずの風見幽香が、先を手に入れるために里へと舞い戻った。
ここに一体どのようなドラマがあったのか、それを知るにはアリス、幽香の二人のことをもっと知らなければならない。
九代目の命の残りはほんの十余年。
妖怪にとっては瞬きに満たぬこの時間で、私はどれだけ彼女らを知っていくことができるだろうか。
十代目として転生したときに、九代目としての私はどのようにして彼女らの心に住んでいるのだろうか。
しかし不器用ながら、私たちはこの日一日を歩んでゆく。元に戻ろうと反発してみたり、変わっていこうと力を込めてみたり。
生きるということは、なぜこんなにも素晴らしいことなのだろう。
生きているというのは、どうして角を立てあって、居場所を取り合い分かち合い。
この狭い狭い幻想郷で、私たちはどこへ行く?
「お祭りと聞いちゃぁ、鬼を差し置いてするだなんて許せないねー!」
小鬼が叫べば、そこでは突発で飲み比べ大会が始まる。そして、巫女が歩けば周りには妖怪たちが付き添い歩く。
人間の比率がやたらと低いのは、博麗の巫女としてはどうなのか。
というか、なぜ私は彼女らに囲まれているのだろう。
「稗田の一気がみたーい!」
「みたい!」
巫女が煽る。黒白魔法使いが煽る。なぜか隣で飲んでいた人形遣いまでもが全力で煽ってくる。
呑めませんといえば、場を冷ましてしまう最悪の状況なのではないだろうか。何たることだ。
ほら、私はまだ体も出来ていない子供ですし、そんな者に一気をさせるだなんて酷というかなんというか。
ああもう、お前ら黙ってそこで見てろ! 私の生き様見せてやる! なぁに、今死んだとしても寿命がちょっと縮むぐらいだっての!
「おー呑んだー!!」
「倒れたぞー救護呼べー!!」
そんなこんなで、今も風見幽香は風見農香として、人里に住んでいる。
次の事件は、またいずれ。
いきなり吹いた
農香りんのおかげで今日も元気だ野菜が旨い
人間ってたかくくってると、案外なんでも出来るもんなんだな。と思った。
阿求の誰よりも男らしい生き様に惚れそうになる。
こういう角度で阿求を描くのは面白い。
ギュンギュンに突き詰めるでもなく、ゆるくゆるく外溝を埋めていくような、この空気感は物語に良く合っていると感じた。
今年も来年もその先も、幻想郷は約束された豊作の地です。
乙です
譲子が消えちゃうとかいう話はどうなったのか。
最後ちょい曖昧ですね。
大事にはならず、酒飲んで騒げば全部流れる。
とても幻想郷らしくて良いと思います^^
のうかりんがかわいいw
>スカートの裾を結ぶだなんていうとんでもなください格好も厭わないし
旧作の衣装とどっちの方が仕事やり易いかな(下の裾が少々膨らんでそうなんだよなあ
もんぺりんは農作業得意だろうたぶん
こうゆう有耶無耶って良いっすね。あたたかく明るい田舎を感じました。
ダークネス稗田のタグが欲しいです。
あ、えっちないみじゃないですよ
少女とひとつまみの勇気のくだり、大好きです
そしてまさかの続きwww
シュールでカオスでギャグでシリアスでセンチメンタルで、そしてとても優しいお話でした。
何十作も積み上げてきた上に、この作品があるんだなー。
大作は長い時間を掛けて出来るものだと思っています。
羊さんの話は、色んな意味で楽しめますね。
さとり、まだ火傷治ってないんかいwww