おやおや、久しぶりに会いましたね。
何か面白いことはないかと、そうお顔がおっしゃってますよ。
そうですね。せっかくお会いしたので、久しぶりにお話しますか。私の唯一の能力といえば、この幻術ならぬ言述により人の心を翻弄することですからね。いえいえ、別に魂を喰ろうてやろうとか、阿求さんの細身の身体を性的な意味で食べちゃおうとか、そんな不埒なことは一切考えていません。
ただ欲を言うならば、あなたのなかに悪魔に対する正しい認識を子種のように植えつけたいと、そういうわけなのですよ。大仰な話ではありません。私の話なんて噺家に比べれば、ぜんぜんたいしたことはないのですが――しかし、人間はどうも心が脆弱なせいか、悪魔的なジョークや、悪魔的物語を好むと好まざるとに関わらず、顔をしかめてしまいがちですよね。
わかりますよ。悪魔は倫理や道徳よりも計算と悪に重きを置いていますからね。人間は倫理や道徳という魔法に重心をおきがちですから、悪魔の魔法――悪徳や害意に対する評価が低くなりがちなのです。
ただ誤解されがちなのは、悪という概念ですね。人間の使う悪という言葉はうすっぺらいです。
悪魔の悪は、それ自体を目的とするものでなければなりません。ゆえに、悪魔が言述を使ってなす悪は、誰かを害することを目的とするものではなく、純粋な悪の果実なのです。魅惑的で蠱惑的な、人間の手には余る代物。すなわち、悪とは芸術なんですよ。
例えば、永遠亭の兎さん。てゐさんですが、あのお方もよくいたずらをして他人を害していますが、あのお方の場合いたずらすること自体が目的ではなく、おそらくは誰かに甘えるのが目的なのではないでしょうか。だから客観的には悪をなしているといっても、それは我々悪魔が言うところの悪ではないのですよ。
あの方に、奈落のような落とし穴に落とされたところで、命を落とすわけでもないですし、穴の上部でクシシと笑ういやらしい声が聞こえたところで、悪ポイントとしてはほとんどゼロに等しい価値しかないわけです。厳密に言えば、悪と呼ぶことすら躊躇してしまいますね。客観的な事実としての害があるゆえに、薄いながらも悪はあり、またそのことを因果的に成し遂げた意思もありますから、まったくゼロというわけではないのですが、まだまだ悪の華々しさに欠けると、私はそう思います。
かように、悪とは成しとげることすら難しいものなのです。
今回の趣旨は、あなたに『悪』をお見せすることです。真実、どこに出してもおかしくない。誇るべき悪魔の悪をお見せしようという趣旨なのですよ。
残念ながら私は小悪魔に過ぎず、言述使いとしてもさほど優秀ではないので心もとない限りですが、それでも、あなたのような小娘を翻弄することぐらいは可能でしょう。
おや、そのお顔はなんですか。ずいぶんと不敵な笑いですね。
なになに? 自分は合算で百年以上生きているから、大丈夫だと。
楽しみですね。あなたの顔が歪むのを見れるのかどうか、本当に楽しみです。
枕詞に、現代のわが国における言葉使いの話でもしてみましょうか。
それは『個人的には』という言葉です。
この言葉、ものすごく変ですよね。
一応説明しますと、例えば物事の好き嫌いを言う前にこの『個人的には』という言葉をつけくわえるわけです。
個人的に好きだが、個人的に嫌いだが、というふうに逆説の言葉が後に続くことが多いわけですね。
この言葉の用途と大意としては、およそ以下のようになります。
『わかっています。わかっていますとも。この作品が好きな人は多いようですし、たぶん高い評価がつくでしょう。ほのぼのは今の旬ですし流行りですし、それに流行のキャラクターを使っていますし、作者は有名人なのですからね。失礼ながら文章はあまりよろしくないですが、いちおう日本語として読める程度の能力には達しているわけですし、どうやらご人脈も豊かなようですし、批評家の評価は高いようですし、つまり、一般受けはいいようですし。わかってはいるのです。わかってはいるのですが、しかし承服しかねるのです。私はこの作品についてよりよく検討しましたし、よく鑑賞しましたし、あなたがたよりもずいぶん時間をかけて味わいつくしたのです。ですから、この作品を客観的に見れば、良い評価が得られるのだろうなというのはわかっているのです。けれど、こんな情動疾患のような、ただほのぼのしているだけの作品のどこがよいのか、もう一度お考えになったほうがよろしいのではないでしょうか。わかっています。あなたがたは馬鹿なのでそんなことを言ったところで、おそらく理解してもらえるとは思いませんし、誰かの心の中身をそっくり変えることなんてできませんし、説得するだけ時間の無駄かもしれません。けれど、馬鹿が移るような気分がして気持ち悪いのです。だから、個人的にはという枕詞をつけることにします。私が個人的にどう思おうが自由ですし、あなたがたが自由なように私も自由なのですから、文句を言われるいわれはありませんよね。もし、あなたがたが文句を言うのなら、あなたがたが文句を言う自由もなくなるわけですからね。それぐらいのことは理解する頭をお持ちでいらっしゃいますよね。私は謙虚にも自分を抑えて、あなたがたがこの作品のことを好きだという主張は、認めているわけです。だから、私のほうが勝手に、わたくしごととして、このクソ作品をけなすのはぜんぜんまったく問題ありませんよね』
だいたいこんな感じですかね。
ここにあるのは他者に対する甘えと自己防衛ですね。個人的にはという言葉を使うことで、実は公のなかに自己を埋没させて責任を回避しようというような気持ちがあります。考えの違う他人にわかってもらおうという気持ちが本当にあるのかないのかも曖昧な、ひどい言葉です。これを謙抑の精神と考えるのもまちがってはいないのですが、しかしすべての意見は、究極的には主観的なものなのです。私心を完全に消したとしても、その人の地位や立場がありますから、例えば編集者が私心を排してこの作品は良いと思うのでこの作品をプッシュすると言えば、それは一般人の言葉とは重みがまったく異なります。
要するにあらゆる発言は、厳密な意味で『個人的には』という枕詞をつけるまでもなく、個人的な発言なのですよ。
そうすると、わざわざそのことをひけらかす必要はありません。人間なんてわかりあえないほうが当たり前なんですから、わかりあえたらラッキー程度に思っておけばいいんですよ。他人なんてその程度の存在なんです。
私は、個人的には、そう思いますね。
ところで、こんな話をわざわざした理由についてですが、悪魔としては実にまずいことをしてしまったという、私の失敗談を話そうと思いまして、そんな話をしたのです。
この話をするのは私にとっては、自己の評価を下げることになりかねない。
しかし個人的には、まあそこそこ良い悪を成したと思ってるわけです。あなたがどう考えるかは自由ですが、あくまで個人的には悪なのですよ。そのことを十分に承知していただきたいわけです。
つまり――、他言無用と、かいつまんでいえばそれだけのことがいいたかったわけですよ。
その少女の名前は、えーっと、仮に花ちゃんとしましょうか。花ちゃんと出会ったのは偶然でした。花ちゃんは親とも早くに死に別れて、一人暮らしをしている少女なのです。しかも、その少女は生まれつき目が見えませんでした。おや心あたりがおありですか? しかしなにやら怪訝そうな表情をしていますね。さすが幻想郷中の知識を蒐集しているお方は違いますね。まあここで花ちゃんの本当の名前はたいした問題ではありませんし、あなたは他言無用を約束してくださいましたから、誰のことかわかったとしても、べつにいいでしょう。ただ、私の作り話ではなく、花ちゃんが実際にいるということを認識していただければ、臨場感もいや増すというものです。
話を続けましょう。
幸福にも、というべきでしょうか。
目が見えないという障害ゆえにいじめるほど、幻想郷の人間たちは情が薄いわけではありませんでした。
ご近所に住んでいるおじいさんは、花ちゃんのことを孫のように思っておりましたし、お向かいに住んでいるおばさんは花ちゃんが暮らしていけるだけの生活の面倒を見てくれています。
花ちゃんはそこそこに幸せな人生を歩んでいったのです。少なくとも、花ちゃん自身は、個人的にはそう思っていたのですよ。
私と花ちゃんが出会ったのは、人里の花屋でした。
花ちゃんは目が不自由ではありましたが、ここ幻想郷は障害者を福祉によって守る制度は無いに等しいですから、他者の善意と自らの裁量で生き残る道を探さなければなりません。
それでようやく見つけた道が、花屋の手伝いだったのです。
花ちゃんは目が見えませんでしたが、代わりに花の微妙な匂いで、どんな花なのかピタリと言い当てることができました。それはもう、魔法のようでした。脆弱でなんの力もないかよわい少女が、魔法のような力を振るい、名前だけでなく、効用、花言葉、まじない的な要素もすべて網羅的に知っているのです。私の敬愛するパチュリー様も、花に関する知識だけなら負けてしまうかもしれません。
私はそのとき図書館になにかしら色を添えるつもりで花屋に寄ったのですが、偶然見かけた彼女がそっと花弁に鼻を近づける動作の、なんとまあ美しいこと。
まるで私たち悪魔の仇敵が、召喚されたかのような光景でした。
恐るべき宗教的な情景です。
それで、興味が湧き彼女に話しかけてみたのです。
「目が見えるようになりたくありませんか?」
「目がですか?」
「ええ。私はこう見えて悪魔をやっておりますんで、多少の魔法なら使えます」
「魂とかとられちゃうんじゃ」
「そんな野暮なことは言いませんよ」
「でも、お金持ってないですよ。食べていくだけでもギリギリなんです」
「私がおこなう魔法には一切費用はかかりませんよ。ただし、効果は一度きりですし、効用もおそらくごく短時間になるでしょう。おそらく一週間程度。ですが、あなたは花がどのような形をしているのか知りたくありませんか。いつも可憐な匂いをただよわせている花たちが、どのような色をしているのか、言葉以上の意味を知りたいと思いませんか?」
そういうふうに話をもちかけました。
ここで魔法の使えないあなたのために魔法についてのごく単純な説明をしておきましょう。ある概念が思い描ければ、その概念は存在する。これが魔法の基質です。そして、概念が重なれば魔法が生まれるわけです。魔法とはすなわち妄想であり、妄想が具現化することだと言えます。なんでもできるわけではないのは、魔法というのが妄想する主体によって支えられているからで、反魔法として、魔法を否定する妄想があれば、これもまた魔法的な力を生むわけです。魔法とは自己言及的ですからね。そして魔法の存在を魔法によって証明することは絶対にできません。公理系の無矛盾の証明は、同一の公理系でできないように、魔法の存在を魔法という体系のなかで説明することは無理なのですよ。
わかりにくいと思いますから、具体例で話します。
例えば、ここ幻想郷でもわりとポピュラーな魔法といえば、そうです『お金』ですね。お金は魔法としては相当強固でありますから、これを誰かが否定したところでもはや存在は磐石です。ですが、もしも仮にお金という概念すら存在しない原始の国があったとしましょう。その国の人たちにお金という概念を伝達したところで、決して理解はできないのですよ。いや――いずれは理解できるかもしれませんけれど、それは彼の国の人たちが有する魔法と、我々の持つ『お金』という魔法が接触しなければならないでしょう。例えば、物々交換という概念ができて、等価性という概念ができて、それから公平性という概念が正義やら法律やらと結びついて、強制する力、取り立てる力と結びつき、ようやっとお金がお金らしく存在できることになります。
そこにいたるまでは、お金はただの紙切れだったり金属の塊だったりするわけです。つまりお金の概念を、それら紙切れやら硬貨やらを見せたところで絶対に証明できないのですよ。
これが魔法の成り立ちです。
長々と説明してしまいましたが、一言で言えば、魔法を知らない人に魔法を伝達するのは亀に二足歩行しろというようなもので、土台無理な話なのですよね。
だから、そういうものだと理解してください。
あなたがご存知の魔法については、まあ説明するまでもなく理解できるでしょう。
先に述べたお金もそうです。
お金は魔法としては相当原始的ではありますが、そうであるがゆえにこの魔法は究極に近いところにあるとも言えますね。
だから、花ちゃんがお金のことを心配したのは当然ですし、それに対しては、私が違う魔法を用いるのだと言って聞かせるのは合理的な答えだったと思います。理由はどうあれ、おそらく花ちゃんの周りの人たちは、お金を用意することができなかったわけです。もしもお金があるのならば、永遠亭に行き、目の治療薬を買うのが一番合理的ですし、確実です。けれど彼らはそうしなかったのです。隣に住んでいるおじいさんも、向かいのおばさんも花ちゃんの目を治そうとはしなかった。そのことは罪ではありません。閻魔様がどうおっしゃるかはわかりませんけれど、とりあえず抗弁としては、彼らもまた貧しかったし、そして誰が聞いたかわかりませんけれど、目が治る薬は、とても高価だと人里によく来るうさぎさんに聞いたらしいです。このうさぎさんはおそらくは鈴仙さんのことでしょう。彼女は仕事に対する熱意はありますが、あまり深く考えずに事務的に答えたのだと思います。
私も調べてみました。
あまり薬のことは詳しくないのですが、図書館の本で調べた限りでは、全盲を完治させるためには、満月アザミといって満月の光を百年浴びたアザミという香草の一種を薬の材料にするらしいです。この材料がものすごく貴重品でして、とても一般人が買えるような品物ではありませんでした。永遠亭の住民でいえば、一ヶ月うさぎたちと姫様たちが食べていけるほどの値段といったら、少しは想像できますかね。
ですから――、花ちゃんが目の治療をするのを拒んだのか、あるいは周りの人がそうなるように仕向けたのかはわかりませんが、経済的な意味ではもはや不可能としかいいようがなかったわけですよ。
さて、一方、魔法についてですが、これは言ってみれば妄想力が物を言うわけですから、物理的に満月アザミなんて高級品は必要ありません。
願えば叶う。
それが魔法の力の良いところなわけです。
ええ、もちろんダメなところ、不可能なことは魔法にだってあります。それは、いつだって現実原則の前に敗北するということです。「痛くないもん!」と強がってみたところで、やっぱり脛を強打したら涙が出るほど痛い。これが現実。そして痛いの痛いの飛んでいけと何度唱えたところで、やはりほとんどの場合は無力です。
その点、花ちゃんの場合は幸福だといえました。視神経が断裂しているだけで、脳に障害があるわけではないようです。私のつたない魔法でも少しの間なら視覚を取り戻すことができそうでした。そして花ちゃんは、視覚を一時的に取り戻すことを選んだのです。
それは――、
私にも想像できません。どういう光景に見えたでしょうね。
目が見えない人が急に見えるようになり、世界の全容を知り、色を知り、形を知り、そして光が溢れる世界を目の当たりにしたのです。
客観的に観察できた事情を言いますと、花ちゃんは最初絶句し、ああと呻いて、それから目を塞ぎ、まぶしさのあまりに両の手で覆ったのです。
ああ、なんと世界の美しきこと。
普段慣れ親しんでいる美しい光景も、実はずいぶんと感動を薄れさせているのかもしれませんね。
まるでまばゆい光線が身を貫いてくるような感覚だったでしょう。
花ちゃんは生まれたての赤ん坊のように、自分を突き刺す光線に脅え、そして恐怖していました。
でも一時間もすれば、徐々に冷静さを取り戻していきました。花ちゃんは幼い頃に両親をなくし、それからひとりで生きてきた強い女の子でしたから、光の痛みに耐えて、涙をぼろぼろと流しながら、それでも前を向いて、窓の外に広がる光景を目の中にいれたのです。
まばたきに慣れておらず、どうやってまばたきするのかも始めはわからず、やはり涙で前はほとんど無残なほどに歪んで見えたでしょうけれど――。
彼女はこれ以上ない感謝の念をもって、私の身体を抱き寄せて、まあ――感極まることは人間にはあることですからね。
私もまんざら悪くない気分でしたよ。
一週間。日にすれば七日。
花ちゃんに残された時間はあまりにも少ないものでした。その間、彼女にはなにもかもが新しい刺激の連続だったでしょう。これが紅い色。これが黄色。これが青。空といっしょだと思っていたけれど、ぜんぜん違うと、花ちゃんは私に教えてくれました。
彼女はずっと視覚を封印されてきたようなものでしたから、私たちよりもずっと純粋な感覚で、物事を見ることができたのでしょう。すべては輝いて、物の形がどのようなのか、物の色がどのようなものなのか、ずっとずっと知りたがっていたことなのですからね。
かわいらしいエピソードに、こんなことがあります。
花ちゃんは、自分の顔を見たことがなかったのですが(当然ですが)、鏡を覗きこんだときの表情はとてもおもしろいものでした。あれは、自分の子どもを覗きこむような表情に似ていると思います。少女らしいほんのりとした期待感と、それとともに一抹の恐怖があったのでしょう。自分の顔が平均的であるかどうかすら、彼女には判別がつかないのです。
じっと見つめていて、私の顔を見比べて、それで私って変じゃないよねと聞いてきた花ちゃんの脅えた顔は非常にそそるものがありました。ここであなたはどうしようもない醜女ですよと言えれば、悪魔的には結構ポイントがついたと思いますが、まあ思うところがあって、ここではきちんと答えておきました。花ちゃんはかわいらしい少女でしたから、かわいらしい顔をしていると答えたまでのことです。
花ちゃんは花屋の手伝いが終わったあとに、画用紙に色鉛筆を使って花の絵を描いていました。
これが恐ろしく巧いのです。もちろん芸術家が描いた素晴らしい絵には技巧的には遠く及ばないところでしょうけれど、本当についさっきまで目が見えてなかった娘が描いた絵だとは信じられないほどの出来だったのです。おそらく脳裏に刻みつけようとする必死の思いが、彼女にそこまでの絵を描かせたのだと思います。いや、それだけではないでしょうね。天稟の才能が彼女にはあったのでしょう。天の采配は残酷ですからどうしようもないことですが、もしももう少しだけ時間があれば、あるいはよく見える目さえあれば、花ちゃんは大芸術家になれる才能を秘めていたのですよ。
花のことをもっと知っておきたいの。
花の形をもっと知っておきたいの。
どんな色をしているのか、言葉の意味じゃなくて、私の感覚で知りたいの。
彼女は寂しそうに、そう言うのでした。
七日目になると、彼女は花屋の仕事もそこそこに一枚の大きな絵を描き始めました。
そこには、彼女が手伝いをしている花屋の花が、所狭しと描かれてあって、一本一本の茎、一枚一枚の花弁まで詳細に模写したものでした。
そんな絵をたった一日で描きあげたのは、大変驚くべきことですし、賞賛に値することでしょう。
その絵は今も花屋の一角に飾られてあって、おそろしいまでの精緻さに、客のひとりが絵だとわからずに手を伸ばしたこともあったとか。そして、そこに描かれた花たちには、確かな生気が感じられ、匂いすらも漂ってくるようだともっぱらの評判です。戦慄すべき魔法と言えるでしょう。ひとりの少女が生み出したにしては、あまりにも比類なき絵。全的存在を賭した絵だったのです。
そして、それこそが彼女と彼女の周りにいる人間たちにとっての最も深い絶望になったのです。
つまり、簡単なことでした。
人間は与えることを良いことだとばかり思っていますが、実際はそういうわけでもないのですよね。与えたあとに奪われればどうでしょう。人間の心はティッシュペーパーよりも脆いものです。見えない人間が見えないままであれば、そのことを我慢できます。
しかし――、見えない人間が七日間の栄光と賛美を受け、世界の素晴らしき情景に触れたあと、ひとえにすべてを失ったとしたら?
花ちゃんは、私が始めて会った時のように、あの崇高な宗教画のような趣きで、花の匂いを嗅ぐことができなくなってしまいました。それどころか花の匂いを嗅ぐたびに、哀しそうなせつなそうな顔になるのです。かつての、鮮烈な色が、脳裏によみがえってくるのでしょう。
さらに悲惨なのは花ちゃん自身だけにとどまりません。
憂鬱そうな花ちゃんの顔は見るに耐えないものでした。特に花屋の店長さんや、隣のおじいさん、お向かいのおばさんは、とても心配そうな顔をしていました。絶望は確実に伝播するのです。
そして、あの絵。
あの絵を見た人間たちは、結構な確率で絵の作者が誰なのか聞くのです。
そして、全盲の少女が描いたのだと知り、もはや描けないことを知って、肩を落として帰っていきます。もはやこれ以外の素晴らしい絵は見れないのですからね。人の心を暖かな気持ちにさせる絵。しかし同時に絶望のどん底に叩き落す絵でもありました。絵が店内に飾られなくなったのは、花ちゃんの目が見えなくなって、すぐのことでした。
え?
私の失敗ですか。
そうですね、もし彼女があんな絵を描けると知っていたなら――それでより多くの人間たちに絶望を与えることができるとわかっていたのなら――、私はもう少し長く彼女の目を見えるようにしていたということですよ。なにしろ、魔法は一度しかかけられないと言ってしまった手前、もう二度と魔法を使うことはできませんからね。
なにより、私って、嘘をあまりつかないことにしているんですよ。嘘は一度だけでたくさんでしょう。ひひひ。
これで私の話は終わりです。
どうでしたか。小悪魔の悪もなかなかたいした美しさを持っているでしょう。おや震えてらっしゃる?
うふふ。風邪には気をつけて、それではごきげんよう。
※※※※
まあ待ってくださいよ。
震えているのは、小悪魔さんに恐怖したせいでもなければ、風邪をひいたせいでもありません。もともとからだは弱いですが、まだもう少しは持ちますし、持たせます。幻想郷のことを嘗め尽くすように記載するには、時間がいくらあっても足りませんからね。
震えてるのは、小悪魔さんのしたことに感動を覚えたからですよ。悪に対する感動です。悪ってこんなにすごかったんだなと、感動しきりです。小悪魔さんに限らず、悪魔さんたちってあまりここ幻想郷におられないので、どういう言語を有しているのか切実に知りたかったんですよね。なるほど、悪か。悪ってすごい。
さて、私の記憶が正しければ、あなたがおっしゃられた花ちゃんなる仮の娘さんですが、実はいま目が見えてますよね。私は見たことを記憶しそして忘れません。なので、この記憶は絶対です。もしも小悪魔さんが否定なさるなら、その子の前まで連れて行ってもいいですよ。うふふ嘘ですよ。そんなに目を伏せないでください。こぁーって言わないでください。意味不明じゃないですか。
しかし、それにしても。
見えないはずの少女の目が見えている。これってどういうことなのでしょう。小悪魔さんの前提では目が見えない少女で、一端は魔法で目が見えたけれど、また魔法の力を失い全盲になったのではないか。
そういう話でしたよね。
だとすると私の記憶違いでしょうか。最初から目が見えていたとか?
いえいえそれもまた違います。
なぜなら私は花ちゃんがかつては全盲だったこともまた記憶の片隅にあったからです。全部覚えていると、なかなか大変なこともありますんで、思い出すのに少し検索時間がかかりましたよ。
いやはや、あの娘ですか。
自己弁護するわけじゃありませんが、人間の論理を使うことをおゆるしいただければ――、私も何もしなかったわけではないですよ。個人的に資金援助をしてもよいと、花ちゃんに申しあげたことはあるのです。もちろん押しつけがましくないようにです。けれど、私が申し向けたころには、すでに彼女は見えないままで生きていこうと決意を固めていたらしく、そこらの事情はたぶん、うどんげさんに薬の値段を聞いた方の、なにかしらの発言が元になったのだと思いますね。もちろん配慮が足りないとは思いますが、それは希釈化されており、到底悪とも呼べないものです。ただ哀しい因果があっただけと言えます。最終的に決めたのは花ちゃんですしね。
さて、そのことはともかくとして、一体どうして花ちゃんの目が現在のところ見えているのでしょう。
これも言うまでもないことですが、彼女がそれを望んだからです。
望めば叶う。
願えば叶う。
それが魔法の力でしたね。
彼女はかよわい少女に過ぎなかったわけですが、あなたに魔法を教えてもらって、そして魔法を使えるようになったというのはどうでしょう。
少しばかりメルヘンが過ぎましたでしょうか。
簡単なことだと思いますよ。
彼女はお金がいくらかかってもいいから、借金してでもいいから、目が見えるようになりたいと切望したに違いないのです。
花ちゃんは目が見えないという絶望に浸されることによって、真の闇を知覚することができた。だから、闇の底で光っている希望という存在に気づけたわけですよ。
それが――悪というわけでしょうねぇ。うふふ。どうして立ち上がろうとするんです。小悪魔さん。
小悪魔さんばっかり喋ってズルイじゃないですか。私にも喋らせてくださいよ。
どうせこの会話はすべてオフレコ、書かないことを約束している以上、私は絶対に書きませんし、他言しません。そのことは心配せずとも良いのです。
彼女の決意は固まりました。
薬を使ってまた目が見えるようになりたいということです。
当然のことながら、永遠亭に打診をすることが必要になるでしょうね。
ここからは想像になるのですが、元々のあなたの計画では、ターゲットは花ちゃんではなくて、てゐさんだったのではないでしょうかね。あなたは冒頭で、てゐさんの落とし穴にはまったらしいじゃないですか。その点、あなたはてゐさんに復讐する動機があるわけです。
しかし、あなたの悪の美学によれば、単に暴力で復讐するのは美しくない。悪のために悪をなすというようなよくわからない制限がかかっているというじゃないですか。
ここに細いながらも、あなたと永遠亭を結ぶ線があるんですよね。
花ちゃんは、一度は善意で――小悪魔さんこぁーって叫ばないで――小悪魔さんに目が見えるようにしてもらったわけですから、当然のことながら、あなたがもしもまた花ちゃんが全盲になった後もお会いになっていたとするならば、花ちゃんに向かって、『私は永遠亭につてがあるからもしかすると安くで治療してもらえるかもしれない』とかなんとか言うことは、外形的には友情や信頼関係の現われと捉えられますし、嘘でもないことになります。
彼女は小悪魔さんのことを信頼しているでしょうし、冷たく事務的にあしらわれたらしいうどんげさんよりは、あなたを頼ることを選択するでしょう。
それで、あなたは――、
たぶん、てゐさんに素直に事情を話したのでしょうね。
ひとりの不幸な少女がいる。お金もない。けれど救って欲しい。こんなふうに、言ったんじゃないですか?
穴に落とされた損害賠償代わりに請求した?
ちょっと苦しすぎる言い訳ですよそれは。それに理由なんてどうでもいいわけです。
ここでポイントとなるのは、満月アザミの値段ですね。嘘は一度しかついてないというのなら、たぶん満月アザミが高価であることは本当のことだったのでしょう。
てゐさんを通じて、その少女が救われることが決定したのだとしたら、永遠亭の財政が一時的に逼迫するのは、ほとんどてゐさんのせいです。
もちろん、てゐさんは断ることもできたはずですが――、そうなった場合、少なくともてゐさんの良心を傷つけることはできます。ここらの手腕は本当に舌を巻くほどだと思いますよ。小悪魔さんの悪魔的手法ってやつですね。
あるいは――、てゐさんならきっと少女を助けることを選択すると踏んだのでしょうかね。おやおやそんなにぷるぷる震えてどうしたんですか。私は小悪魔さんと違って、S心なんて微塵ももってないのに、なんだかえっちな気持ちになってきましたよ。
まあいずれにしろ、てゐさんの提案をいれて、花ちゃんは無事に目の治療を受けられ、その治療費は一時的に永遠亭が肩代わりすることになったのでしょう。てゐさんのおやつは、たぶん一ヶ月ほど停止されたかもしれませんね。ふふふ。
小悪魔さん。結果をまっすぐに見て、現実を見据えましょうよ。
あなたのかわいらしい小さな復讐心は、大きな善行になってしまいました。
あなたが先に述べた、失敗とはおそらくこのことを指していたのでしょうね。
個人的には、とあれほど長い前置きをした意味も今なら納得できます。
小悪魔さんの成し遂げた結果は、客観的に言えば見るも無残な善行です。悪ポイントで言えばマイナスです。もしも悪魔のお仲間さんや上司がいたら、おそらく小悪魔さんは叱られちゃうんじゃないでしょうかね。だから、こぁーって言わなくていいですから。かわいくてお持ち帰りしたくなっちゃいますよ。
はいはいわかりました。個人的には悪だったんですね。悪の美学を追及しつくした世にも珍しい悪だったわけですね、あくまで個人的には。
わかりました。そういうことにしておきますから。そんなに羽をパタパタさせないでくださいよ。
それにしても本当に楽しいお話でした。小悪魔さんにはもっとおもしろいお話をうかがいたいものです。今度こそ心の底から震え上がるような戦慄すべき悪の美学に満ち満ちたお話でもお願いしますよ。ねえ、悪の芸術家さん。
この悪魔?
んふふ、悪魔はあなたでしょう?
こぁかわいいよこぁ~
それにしても阿求さんドSだwww
もうそこだけで満足しちゃいそう
文章が好みです。
東方キャラに代弁させるんじゃなくて。
あとあっきゅんステキ
論理、なんて大層なものじゃないもの、を捏ね繰り回して相手を翻弄しようとする姿勢。
異様な価値観。そういった違和感が独特な空間を作り出し、異様な印象を与えますね。
"個人的には"大好きですよ。フフフ。
個人的にはあなたの書く小悪魔が大好きですよ ええ個人的にはですが。
小悪魔のなんと愛らしいことか。
小悪魔の歪んだ心理描写がいいですね。
ついでに言えば、筒井康隆や西尾維新も混ざってる感じが自分でもしてます。
個人的に皆に感謝。
後、個人的に悪魔が騙すのは半端に狡猾な人間であるのが好みですね。
馬鹿と賢人にはかなわないのが悪魔の美学と思いますよ。
こあもかわいいけど、あっきゅんもかわいいよあっきゅん
何がいいたいのやら
まるきゅーさんはこの手の本当に書きたい作品を読ませるために
普段の作品を撒き餌にしてるように見えるw
1か10の評価しか付けようが無いけど、あえて5の評価で。
小悪魔もなんだかんだでいい悪魔。
面白かったです。
盲目の女の子の描写はとてもリアルだったと思います。
ただちょっと気になったのは「安くでしてもらえる」って言い回しのトコ。
関西のほうの人なのかな?自分関東人なんでちょっと気になったってだけなんですけどね。
方言は自分で気づくのはほぼ不可能に近いんで、ありがたい指摘です。
筆主様が自分語りをしているとかそうじゃないとかどうでもいい。
重要なのはこの作品が素晴らしかったことです。
花ちゃんの健気さ、小悪魔のかわいらしさ、阿求の指摘。
登場人物が生き生きと描写されていて、お話にグイグイと引き込まれていきました。
小悪魔ものの中でもトップクラスに良い作品でした。
ご馳走様です。
ええ、まぁ個人的にですけれど。