目がくらむばかりに紅く燃えていた葉っぱがすっかり落ちて、もう秋も終りになろうかという季節でした。
世にも珍しい氷の妖精が、今日も波立つ湖のほとりで遊んでいます。
「大ちゃん、見てみて! でっかいカエルがいたよ!」
「本当だ、本当だ。ねえ、追いかけようよ!」
氷妖精の名前はチルノと言います。その隣にいるのは大妖精です。ふたりはとても仲良しで、いつも一緒にいるのでした。
「そういえば、もうすぐ冬だねえ」
カエルを凍らして遊んでいると、大妖精が少しだけ寂しそうに言いました。
「大ちゃんも、冬の間動ければいいのに……」
チルノも寂しそうにそう言いました。
大妖精は冬をあまり好みとしていませんでした。自然そのものである妖精には、それぞれに苦手な季節と得意な季節があります。チルノは氷の妖精ですから、冬になればそれなりに元気になりますが、大半の妖精はどちらかと言うと春が好きなのです。ですから、冬の間は妖精と言うのはあまり外に出歩かないのです。
「でも、たまには一緒に遊べるから」
そうやって笑顔で大妖精は話します。でもチルノは少しだけ複雑でした。
「大ちゃん、無理しなくてもいいんだよ?」
「大丈夫よ。それに冬の間はレティがいるじゃない」
レティとは冬に現れる妖怪です。冬の間、チルノの遊び相手は大妖精からレティにかわるのでした。
「そうだねえ。でも、絶対に無理はしないでね」
それだけをチルノは強く願います。まっすぐで好奇心旺盛な氷妖精は、その心も透き通っています。
レティの家は深い深い森の中にありました。今にもおかしな妖怪がひょいと飛び出てきそうな、少し不気味な森の中を二匹の妖精が飛んでいます。
その二匹とはチルノと大妖精でした。
チルノと大妖精はレティがそろそろ起きるだろうと思い、家まで遊びにきていました。
「レティ、ねえレティ。もうすぐ冬だよ」
ドアをたたきながら、チルノが呼びかけます。すると、中からカギが開いて、青い服に身を包んだ妖怪が現れました。
「久しぶりだね、チルノ、大ちゃん」
「レティ、もうすぐ冬だよ。さあ、今日からしばらく三人で遊べるね」
「ああ、でも私の体調はまだまだ万全じゃないから、あまり遠くへはいけないよ?」
レティと呼ばれた妖怪は諭すようにそう言うと、マフラーを首に巻いて出かけていきます。その様子をじいっと見ていたチルノはたまらずレティに質問しました。
「ねえ、レティ。どうして寒さに強いレティがマフラーなんてしているの?」
「それはね、私に会った人たちに、ああもう冬なんだなあ、寒いなあって思ってもらうためさ。だってそうしないと、冬が冬で無くなるからね。皆が寒いと思わなければ、冬は永遠にやってこないのさ」
「ううん……よくわかんないや」
「もうすぐ冬が来るってことだよ」
レティはそれだけを言って思い切り空へと駆け上がりました。そうして、ふわふわと浮きながら、チルノと大妖精をちらりと見て嬉しそうに叫びます。
「今日は何をして遊ぶんだい?!」
顔中をくしゃくしゃにしてレティが笑っていたので、二匹の妖精もついつい嬉しくなって一緒に空へ駆け上がって行きました。
それからさらに数日後の事です。チルノがたまたま、湖から離れ、ぼうっと空を飛んでいる時でした。何やら遠くの方で、大きな音がします。ごおんごおんという暴風にも似た非常に耳に障る音でした。
「この音は何だろう?」
チルノがその音に近づくと、森の中で激しい弾幕が見えました。
そこにはレティの姿があります。ちるのはあっと声を掛けそうになりましたが、そうはしませんでした。そこにはもう一人の妖怪の姿があったからです。
「おおいレティ、お前の知り合いが来ているぞ」
「またそんな不意打ちをするなんて、実に姑息な妖怪だな、幽香」
二人はそんな事を言い合いながら、目もくらむような弾幕勝負をしていました。やがて、木枯らしのように強く冷たい風が辺りに吹き始めると、次第にレティの力が強くなり、もう一人の妖怪を倒してしまいました。
「ああ、負けた。くそう」
「さあ、幽香。もう諦めて家でおとなしくしているんだ」
幽香と呼ばれた妖怪は何度かぶつぶつと文句を言っていましたが、そのうち森の奥へと消えて行きました。チルノは一人になったレティに話しかけます。
「レティ、今の妖怪はだれ?」
「ああ、チルノ。本当に居たんだねえ。流れ弾には当たらなかったかい? けがはないかい?」
レティの心配をよそに、チルノはぐいっと顔を近づけてレティに話しかけます。
「レティが喧嘩なんて、どうしたの?」
「あれは喧嘩じゃないよ。チルノ。あの妖怪は幽香と言ってね。冬があまり好きではないんだよ。だから毎年毎年、私がこの時期に出てくると、家から出るなと言って勝負をするのさ」
「そんなの、向こうのわがままじゃない!」
「そうかもねえ。けれど、幽香は勝負に負けるとおとなしく家に籠るんだ。もちろん、幽香は手加減してくれているよ。だから幽香にとっては私に負けることで冬が始まるという事なんだろうねえ。私も幽香に勝ってから、ようやく自分の季節がやってきたような気がするんだよ」
レティは何事もない様に話しますが、チルノには何となく納得ができません。
「冬が来るのなんて、だれにも止められないのにレティに当たるなんて失礼な妖怪ね」
「まあまあ。幽香の気持ちも分からなくもないからね。冬は生き物が暮らすには美しすぎるから」
レティはそう言うと、チルノの頭をくしゃくしゃと撫でました。普段はこうされるとすごく嬉しいチルノでしたが、この日ばかりは何となく不満げにしていました。
それから随分と日が経ちました。幻想郷は雪に包まれて、すっかり冬の様子を呈していました。
チルノはしばらくレティと遊んでいましたが、どうしても幽香の事が忘れられませんでした。
確かに冬は普通の妖怪が暮らすにはあまり便利とは言えません。けれど、だからと言ってチルノの大切な友人であるレティに迷惑をかけていいなどと言う道理もないはずだ、とチルノは考えていました。そこでチルノは幽香の居場所を突き止めて、一つ説教をしてやろうと考えました。そうしてその日から、幻想郷を飛び回り幽香を探していました。
そして一週間後、とうとう森の中で幽香を見つけました。どうやら薪を調達していたようでした。
「幽香! やっと見つけた!」
「……あら、あんたあの時の妖精ね。私に何か用かしら?」
「いつもいつもレティに迷惑をかけて、どういうつもりだい?」
「……あなたには関係ないわ」
幽香が無視して一歩を踏み出すと、チルノは幽香の目の前を遮ります。
「レティは何も悪くないんだよ」
チルノがそう叫ぶと、幽香は面倒くさそうに答えました。
「私は冬が好きでなくて、レティは冬が大好き。そんな二人が出会って、お茶会しましょうなんてならないでしょう?」
「どうして、冬がそんなに嫌いなの?」
「好きではない、と言って頂戴」
幽香はじろりとチルノを睨みました。
「私は花が大好きなの。でも冬は花がめっきり減って、幽鬱でしかない。この雪の白い色も嫌。白は美しいけれど、それだけ。花たちには死を与える色だから」
幽香はふいと余所を向いてチルノに冷たく言い放ちました。
「じゃあ、冬にも咲く花があれば幽香は冬を好きになって、レティとも戦わなくても済むんだね?」
「ええ。見つけられたら、の話だけどね」
この幻想郷にも冬に咲く花はすこしはありますが、そのどれもが小さく目立たないもので、ましてやこんなに雪が積もった土地では見られないのです。ですから、幽香はチルノの言う事が全く信用できませんでした。
こんな雪の日に何ができる。所詮は妖精の浅知恵よ。
そんな事を思っておりました。
「少しだけ待ってて。冬の花はとっても小さいから、道具が無いと分かんないんだ。今からそれをとってくるから、少しだけ待ってて」
何重にも釘を打ちつけるかのようにチルノは待って待ってを繰り返します。幽香は適当にあしらって帰ろうかとも思いましたが、この妖精が必死に話している所を見ると、一度ぽっきりとその根性を折ってしまった方がいいな、と考えました。
どうせ屁理屈をこねて説得しようというのだからそれを真っ向から否定してやろう。
「いいわ。でも少しだけよ? 少し経ったら、私はもう帰るわ」
「よし。分かった」
チルノはくるりと反対を向いて、急いで飛んでいきます。そして森の向こうへと消えて行きました。
幽香はあった切り株に積もった白い雪を手で払いのけ、下にハンカチを敷いて座りました。森の中は鳥の鳴き声すらも聞こえぬほどしんと静まり返っており、それは夜の静かな森とは全く違う、ガラスのように透き通った静けさでした。普段なら風が葉を揺らす音が響き、動物たちの生き生きとした姿が見られる森も、雪の白く思い重圧に全てが遮られているように見えます。
冬は必要だけどやはり私は好きになれないねえ。
幽香は目を閉じて、無音にじいっと耳をすませました。
一体何分ぐらい待ったでしょうか、ようやくチルノが戻ってきました。そっと幽香が目を開けると、肩で息をしているチルノが目の前にいます。その手にはある道具が握られていました。
「これを使えば花が見れるよ」
差し出されたのは虫眼鏡でした。一瞬、幽香は分かりませんでしたが、雪を掘って、その下に花があるとでもいうのか、と考えました。
「これで何をするの?」
差し出された虫眼鏡を手に取ると、幽香は尋ねました。
「これで雪を見るの。ほらほら、覗いてみてよ! これが冬の花だよ!」
何を言っているんだ、と幽香は思いましたが、言われた通り、虫眼鏡で白く光る雪を観察します。
虫眼鏡でチルノが指差した所を見ると、そこには小さな結晶がきらきらと光っていました。
「……」
幽香は思わず黙り込んでしまいました。それもそのはずで、幽香は今まで、雪は丸いものだとずっと思っていたからです。
「これね、一つ一つ形が違うんだよ? だからこの花は無限にあるんだ」
幽花にしていれば、それらはとても花には見えません。けれど、美しい直線と無機的な美しさを持った結晶が太陽の白光をあちこちに反射させ、ときおりちらちらと紫色の光を見せる様子は、幽香をいい意味で呆れさせるには十分でした。
「これは花とは言えないねえ。第一、私の能力でどうにも出来ないから、それ以前の問題だ」
雪の結晶にちょっと意表をつかれた幽香は、小さな子どもみたいな言い訳をしてしまいました。
何を言っているのかしら、私は。
自分で言って、少し恥ずかしくなります。
虫眼鏡からそっと顔を離し、幽香はチルノの方を振り向くと、チルノはそんな幽香の言葉などお構いなしに満面の笑顔でこういいました。
「冬の花も、とっても綺麗でしょう?」
幽香はその表情を見て、ああこれはいけないなあと思いました。
どうやら幽香の方が花の事などどうでもよくなってしまったからです。
「……そうだね。美しい物には違いないっ」
余所を向きながら幽香がそう言うと、チルノはもう泣きだすんじゃないかと思う程ににいっと笑いました。
幽香は珍しく、本当に珍しくまだ冷たく青白い光を放つ星が空を覆っている時間に目を覚ましました。外はひんやりとしており、こんな世界で生き物が暮らしていけるのか、と心配になりそうなほどキンと澄んだ空気をしていました。
幽香は起き上がり、昨日の事を考えました。
昨日の昼の失態は、幽香にとってはかなり衝撃的でした。
私は冬から逃げ出したい一心で、何か大事なものを見失っていたような気がするなあ。
しかも、それを妖精に教えられるなんて。
でも、多分大方の妖怪はそう言った繊細で美しい自然の造形を逐一は把握していない、とも思いました。
幽香が花を扱うようになったのも、そうした自然の力を感じるためでした。自然と生き物は決して逆らうものではなく、手のひらと手の甲のように繋がり合ってあるものだ、というのが幽香の考えでした。
だからこそ、幽香は自分が今まで、冬と言う自然の事を全く理解しようともしないで、ただ直感に任せていた事を認識させられました。
ああ、今までは私がいけなかった。どうやらまだ私の知らない冬があるらしい。
そのままぼうっとしていると、ようやく紅い太陽が昇ってきました。昼とは違い、朝の太陽は、気味が悪いほど赤々と燃えていました。
ふと窓から外を見ると、雪に覆われた山々が太陽の紅い光を浴びて、目がくらむほどにぼうっと優しく燃える様な色をしていました。山の斜面にはくっきりと黒い影が浮かび上がり、光が当たる所は紅とも橙とも取れる、氷のように透き通った色を白いキャンバスにべたっと塗ったように広がっています。
これが冬の朝やけか、と幽香はまた驚きました。今までは冬は冬眠に近い生活だったから、こんな朝早くの朝やけなんて見た事がありませんでした。
一日ぐらい冬という季節を堪能してもいいかな、と幽香はちょっぴり思いました。
もう冬が終わり、雪も解け始めてきた頃、幽香とレティは再び会いました。
「やあ、幽香。なんだか今年は少しばかり行動するのが早いじゃないか」
「ええ、冬もまんざらじゃないなと、初めて気づいたわ」
レティはにやりと笑って、幽香に質問します。
「チルノの仕業かい? あの子はまっすぐだからねえ」
「冬の一面を妖精に教えられるなんて、まだまだ私も未熟だわ。まさか雪の結晶を花と表現するなんて、思いもしなかったもの」
レティは満足そうに云々と話を聞いています。そうして幽香に楽しそうに尋ねました。
「で、どうだい? 冬は素晴らしいでしょう?」
幽香は笑顔で答えます。
「好きでもないけど、嫌いじゃないわ。それだけ」
世にも珍しい氷の妖精が、今日も波立つ湖のほとりで遊んでいます。
「大ちゃん、見てみて! でっかいカエルがいたよ!」
「本当だ、本当だ。ねえ、追いかけようよ!」
氷妖精の名前はチルノと言います。その隣にいるのは大妖精です。ふたりはとても仲良しで、いつも一緒にいるのでした。
「そういえば、もうすぐ冬だねえ」
カエルを凍らして遊んでいると、大妖精が少しだけ寂しそうに言いました。
「大ちゃんも、冬の間動ければいいのに……」
チルノも寂しそうにそう言いました。
大妖精は冬をあまり好みとしていませんでした。自然そのものである妖精には、それぞれに苦手な季節と得意な季節があります。チルノは氷の妖精ですから、冬になればそれなりに元気になりますが、大半の妖精はどちらかと言うと春が好きなのです。ですから、冬の間は妖精と言うのはあまり外に出歩かないのです。
「でも、たまには一緒に遊べるから」
そうやって笑顔で大妖精は話します。でもチルノは少しだけ複雑でした。
「大ちゃん、無理しなくてもいいんだよ?」
「大丈夫よ。それに冬の間はレティがいるじゃない」
レティとは冬に現れる妖怪です。冬の間、チルノの遊び相手は大妖精からレティにかわるのでした。
「そうだねえ。でも、絶対に無理はしないでね」
それだけをチルノは強く願います。まっすぐで好奇心旺盛な氷妖精は、その心も透き通っています。
レティの家は深い深い森の中にありました。今にもおかしな妖怪がひょいと飛び出てきそうな、少し不気味な森の中を二匹の妖精が飛んでいます。
その二匹とはチルノと大妖精でした。
チルノと大妖精はレティがそろそろ起きるだろうと思い、家まで遊びにきていました。
「レティ、ねえレティ。もうすぐ冬だよ」
ドアをたたきながら、チルノが呼びかけます。すると、中からカギが開いて、青い服に身を包んだ妖怪が現れました。
「久しぶりだね、チルノ、大ちゃん」
「レティ、もうすぐ冬だよ。さあ、今日からしばらく三人で遊べるね」
「ああ、でも私の体調はまだまだ万全じゃないから、あまり遠くへはいけないよ?」
レティと呼ばれた妖怪は諭すようにそう言うと、マフラーを首に巻いて出かけていきます。その様子をじいっと見ていたチルノはたまらずレティに質問しました。
「ねえ、レティ。どうして寒さに強いレティがマフラーなんてしているの?」
「それはね、私に会った人たちに、ああもう冬なんだなあ、寒いなあって思ってもらうためさ。だってそうしないと、冬が冬で無くなるからね。皆が寒いと思わなければ、冬は永遠にやってこないのさ」
「ううん……よくわかんないや」
「もうすぐ冬が来るってことだよ」
レティはそれだけを言って思い切り空へと駆け上がりました。そうして、ふわふわと浮きながら、チルノと大妖精をちらりと見て嬉しそうに叫びます。
「今日は何をして遊ぶんだい?!」
顔中をくしゃくしゃにしてレティが笑っていたので、二匹の妖精もついつい嬉しくなって一緒に空へ駆け上がって行きました。
それからさらに数日後の事です。チルノがたまたま、湖から離れ、ぼうっと空を飛んでいる時でした。何やら遠くの方で、大きな音がします。ごおんごおんという暴風にも似た非常に耳に障る音でした。
「この音は何だろう?」
チルノがその音に近づくと、森の中で激しい弾幕が見えました。
そこにはレティの姿があります。ちるのはあっと声を掛けそうになりましたが、そうはしませんでした。そこにはもう一人の妖怪の姿があったからです。
「おおいレティ、お前の知り合いが来ているぞ」
「またそんな不意打ちをするなんて、実に姑息な妖怪だな、幽香」
二人はそんな事を言い合いながら、目もくらむような弾幕勝負をしていました。やがて、木枯らしのように強く冷たい風が辺りに吹き始めると、次第にレティの力が強くなり、もう一人の妖怪を倒してしまいました。
「ああ、負けた。くそう」
「さあ、幽香。もう諦めて家でおとなしくしているんだ」
幽香と呼ばれた妖怪は何度かぶつぶつと文句を言っていましたが、そのうち森の奥へと消えて行きました。チルノは一人になったレティに話しかけます。
「レティ、今の妖怪はだれ?」
「ああ、チルノ。本当に居たんだねえ。流れ弾には当たらなかったかい? けがはないかい?」
レティの心配をよそに、チルノはぐいっと顔を近づけてレティに話しかけます。
「レティが喧嘩なんて、どうしたの?」
「あれは喧嘩じゃないよ。チルノ。あの妖怪は幽香と言ってね。冬があまり好きではないんだよ。だから毎年毎年、私がこの時期に出てくると、家から出るなと言って勝負をするのさ」
「そんなの、向こうのわがままじゃない!」
「そうかもねえ。けれど、幽香は勝負に負けるとおとなしく家に籠るんだ。もちろん、幽香は手加減してくれているよ。だから幽香にとっては私に負けることで冬が始まるという事なんだろうねえ。私も幽香に勝ってから、ようやく自分の季節がやってきたような気がするんだよ」
レティは何事もない様に話しますが、チルノには何となく納得ができません。
「冬が来るのなんて、だれにも止められないのにレティに当たるなんて失礼な妖怪ね」
「まあまあ。幽香の気持ちも分からなくもないからね。冬は生き物が暮らすには美しすぎるから」
レティはそう言うと、チルノの頭をくしゃくしゃと撫でました。普段はこうされるとすごく嬉しいチルノでしたが、この日ばかりは何となく不満げにしていました。
それから随分と日が経ちました。幻想郷は雪に包まれて、すっかり冬の様子を呈していました。
チルノはしばらくレティと遊んでいましたが、どうしても幽香の事が忘れられませんでした。
確かに冬は普通の妖怪が暮らすにはあまり便利とは言えません。けれど、だからと言ってチルノの大切な友人であるレティに迷惑をかけていいなどと言う道理もないはずだ、とチルノは考えていました。そこでチルノは幽香の居場所を突き止めて、一つ説教をしてやろうと考えました。そうしてその日から、幻想郷を飛び回り幽香を探していました。
そして一週間後、とうとう森の中で幽香を見つけました。どうやら薪を調達していたようでした。
「幽香! やっと見つけた!」
「……あら、あんたあの時の妖精ね。私に何か用かしら?」
「いつもいつもレティに迷惑をかけて、どういうつもりだい?」
「……あなたには関係ないわ」
幽香が無視して一歩を踏み出すと、チルノは幽香の目の前を遮ります。
「レティは何も悪くないんだよ」
チルノがそう叫ぶと、幽香は面倒くさそうに答えました。
「私は冬が好きでなくて、レティは冬が大好き。そんな二人が出会って、お茶会しましょうなんてならないでしょう?」
「どうして、冬がそんなに嫌いなの?」
「好きではない、と言って頂戴」
幽香はじろりとチルノを睨みました。
「私は花が大好きなの。でも冬は花がめっきり減って、幽鬱でしかない。この雪の白い色も嫌。白は美しいけれど、それだけ。花たちには死を与える色だから」
幽香はふいと余所を向いてチルノに冷たく言い放ちました。
「じゃあ、冬にも咲く花があれば幽香は冬を好きになって、レティとも戦わなくても済むんだね?」
「ええ。見つけられたら、の話だけどね」
この幻想郷にも冬に咲く花はすこしはありますが、そのどれもが小さく目立たないもので、ましてやこんなに雪が積もった土地では見られないのです。ですから、幽香はチルノの言う事が全く信用できませんでした。
こんな雪の日に何ができる。所詮は妖精の浅知恵よ。
そんな事を思っておりました。
「少しだけ待ってて。冬の花はとっても小さいから、道具が無いと分かんないんだ。今からそれをとってくるから、少しだけ待ってて」
何重にも釘を打ちつけるかのようにチルノは待って待ってを繰り返します。幽香は適当にあしらって帰ろうかとも思いましたが、この妖精が必死に話している所を見ると、一度ぽっきりとその根性を折ってしまった方がいいな、と考えました。
どうせ屁理屈をこねて説得しようというのだからそれを真っ向から否定してやろう。
「いいわ。でも少しだけよ? 少し経ったら、私はもう帰るわ」
「よし。分かった」
チルノはくるりと反対を向いて、急いで飛んでいきます。そして森の向こうへと消えて行きました。
幽香はあった切り株に積もった白い雪を手で払いのけ、下にハンカチを敷いて座りました。森の中は鳥の鳴き声すらも聞こえぬほどしんと静まり返っており、それは夜の静かな森とは全く違う、ガラスのように透き通った静けさでした。普段なら風が葉を揺らす音が響き、動物たちの生き生きとした姿が見られる森も、雪の白く思い重圧に全てが遮られているように見えます。
冬は必要だけどやはり私は好きになれないねえ。
幽香は目を閉じて、無音にじいっと耳をすませました。
一体何分ぐらい待ったでしょうか、ようやくチルノが戻ってきました。そっと幽香が目を開けると、肩で息をしているチルノが目の前にいます。その手にはある道具が握られていました。
「これを使えば花が見れるよ」
差し出されたのは虫眼鏡でした。一瞬、幽香は分かりませんでしたが、雪を掘って、その下に花があるとでもいうのか、と考えました。
「これで何をするの?」
差し出された虫眼鏡を手に取ると、幽香は尋ねました。
「これで雪を見るの。ほらほら、覗いてみてよ! これが冬の花だよ!」
何を言っているんだ、と幽香は思いましたが、言われた通り、虫眼鏡で白く光る雪を観察します。
虫眼鏡でチルノが指差した所を見ると、そこには小さな結晶がきらきらと光っていました。
「……」
幽香は思わず黙り込んでしまいました。それもそのはずで、幽香は今まで、雪は丸いものだとずっと思っていたからです。
「これね、一つ一つ形が違うんだよ? だからこの花は無限にあるんだ」
幽花にしていれば、それらはとても花には見えません。けれど、美しい直線と無機的な美しさを持った結晶が太陽の白光をあちこちに反射させ、ときおりちらちらと紫色の光を見せる様子は、幽香をいい意味で呆れさせるには十分でした。
「これは花とは言えないねえ。第一、私の能力でどうにも出来ないから、それ以前の問題だ」
雪の結晶にちょっと意表をつかれた幽香は、小さな子どもみたいな言い訳をしてしまいました。
何を言っているのかしら、私は。
自分で言って、少し恥ずかしくなります。
虫眼鏡からそっと顔を離し、幽香はチルノの方を振り向くと、チルノはそんな幽香の言葉などお構いなしに満面の笑顔でこういいました。
「冬の花も、とっても綺麗でしょう?」
幽香はその表情を見て、ああこれはいけないなあと思いました。
どうやら幽香の方が花の事などどうでもよくなってしまったからです。
「……そうだね。美しい物には違いないっ」
余所を向きながら幽香がそう言うと、チルノはもう泣きだすんじゃないかと思う程ににいっと笑いました。
幽香は珍しく、本当に珍しくまだ冷たく青白い光を放つ星が空を覆っている時間に目を覚ましました。外はひんやりとしており、こんな世界で生き物が暮らしていけるのか、と心配になりそうなほどキンと澄んだ空気をしていました。
幽香は起き上がり、昨日の事を考えました。
昨日の昼の失態は、幽香にとってはかなり衝撃的でした。
私は冬から逃げ出したい一心で、何か大事なものを見失っていたような気がするなあ。
しかも、それを妖精に教えられるなんて。
でも、多分大方の妖怪はそう言った繊細で美しい自然の造形を逐一は把握していない、とも思いました。
幽香が花を扱うようになったのも、そうした自然の力を感じるためでした。自然と生き物は決して逆らうものではなく、手のひらと手の甲のように繋がり合ってあるものだ、というのが幽香の考えでした。
だからこそ、幽香は自分が今まで、冬と言う自然の事を全く理解しようともしないで、ただ直感に任せていた事を認識させられました。
ああ、今までは私がいけなかった。どうやらまだ私の知らない冬があるらしい。
そのままぼうっとしていると、ようやく紅い太陽が昇ってきました。昼とは違い、朝の太陽は、気味が悪いほど赤々と燃えていました。
ふと窓から外を見ると、雪に覆われた山々が太陽の紅い光を浴びて、目がくらむほどにぼうっと優しく燃える様な色をしていました。山の斜面にはくっきりと黒い影が浮かび上がり、光が当たる所は紅とも橙とも取れる、氷のように透き通った色を白いキャンバスにべたっと塗ったように広がっています。
これが冬の朝やけか、と幽香はまた驚きました。今までは冬は冬眠に近い生活だったから、こんな朝早くの朝やけなんて見た事がありませんでした。
一日ぐらい冬という季節を堪能してもいいかな、と幽香はちょっぴり思いました。
もう冬が終わり、雪も解け始めてきた頃、幽香とレティは再び会いました。
「やあ、幽香。なんだか今年は少しばかり行動するのが早いじゃないか」
「ええ、冬もまんざらじゃないなと、初めて気づいたわ」
レティはにやりと笑って、幽香に質問します。
「チルノの仕業かい? あの子はまっすぐだからねえ」
「冬の一面を妖精に教えられるなんて、まだまだ私も未熟だわ。まさか雪の結晶を花と表現するなんて、思いもしなかったもの」
レティは満足そうに云々と話を聞いています。そうして幽香に楽しそうに尋ねました。
「で、どうだい? 冬は素晴らしいでしょう?」
幽香は笑顔で答えます。
「好きでもないけど、嫌いじゃないわ。それだけ」