Coolier - 新生・東方創想話

人間らしく、妖怪らしく 肆

2009/12/06 20:54:15
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<前回のあらすじ>
 人里での騒動に巻き込まれながら、どんどんと人間の生活に溶け込んでいく慧音。子供たちからは感謝の意を込めて、少しいびつな帽子まで貰って彼女は幸せをかみ締めていた。しかし、その生活の裏で妖怪たちが不穏な行動をとり……
 人里に大きな波が押し寄せようとしていた。
 【前作 作品集93:人間らしく、妖怪らしく 参】





「閉鎖された空間、というのはお互いの認識で間違いないようね」


 時は遡り……


 異変が起きた満月から一ヶ月ほど前。
 霧の湖の側に、静かに洋館が移ってきてから一週間がたとうとした頃。
 
 目を引くほどの紅が特徴的なお屋敷の一室、レミリア・スカーレットの私室で会議が行なわれていた。その名目は、この奇妙な世界について。
 メイドに注文した紅茶を傾けながらその日までに知りえた情報を交換し合う。
 それもたった二人だけ。

「そうね、咲夜も人が住む里で同じような話を聞けたと言っていた。
 その情報は疑いようがない。それを理解した上で、私は決断をしなければいけない。
 そのための下ごしらえはどうかしら?」

 薄紅色のゆったりとした服に身を包んだ少女は紅茶を傾けながら頬杖を付き、目の前の魔女へと視線を投げ掛ける。次はあなたよ、と言わんばかりに。

「レミィが望む味付けにはならない。結論から言えばそうなるわね。
 とは言っても、ここには十分な食料があるから一年は平穏な生活を送れるでしょうけれど」
「香辛料をかける余地は?」
「そんな高級な物を使っても、料理に合わなくてはすべてが無駄になる。
 あなたの能力なら、それを十分感じ取っているはずじゃない。わかりきったことへの回答なんて無意味よ」

 その主の友人である魔女は遠まわしにこう言っている。
 『無謀』だと。
 その行為になんの意味もない。なんの利点もない。
 ただ全てが無駄に終わるという結論だけを言う。彼女が読んだことのある戦術論のようなものでも、今レミリアが立案したものは馬鹿げているとしか思えないのだから。

「わかっているわ、それでも私はそれを進めなくてはいけない。
 無謀であることをあなた以外に知られないように、進まなくてはいけない。
 私たちの力をこの世界に知らしめるために」

 そう、初めから。
 そんなことはどうでもいい。
 戦いの結果などは知る必要がない。
 戦いが終わる前に――

『理解させてやればいい』

 彼女の能力を、そして必要性を。
 ただ、それにはそれ相応の行動を見せつけなければならないだろう。そのためには舞台の上で踊る脇役たちの犠牲が必要になるわけだが、その調整を少しでも誤れば――
 すべてを失うことになる。

「それならあなた一人で歩けばいい。
 重い荷物を一つ捨てるだけで、膨大な賭け金を支払わなくて済む」
「パチェ、それは……」

 紫の魔女は、両肘をテーブルの上に付いたまま無慈悲にそう言い放つ。
 良き友人であり相談相手でもあるパチュリーは、彼女が犠牲にしたくないものを知っている。
 知っているからこそ、もう一度だけ確認する必要がある。
 それを守るために、一体何を賭ける必要があるかを。

「この館に働くメイド長と門番、それと私の使い魔。
 そして、もちろん私たち。
 さらにはこの作戦に関与することになる全ての者。
 それだけの命を、あなたの自己満足のためだけに賭けるのよ?」

 レミリアは激昂し、テーブルを蹴倒してパチュリーの胸倉を掴む。
 
 ――これだけ言えば、同じような行動を取るはず。

 そう思っていたパチュリーは冷たい視線を向けながら、わずかに身を固くした。
 しかし、予想は大きく裏切られることとなる。
 レミリアが、微笑んでいたから。

「わかっているよ、パチェ。
 そうやって私を興奮させて、私にとって何が大事かを気付かせようとした。少しの迷いが命取りになるこの場面で、私が揺るぎない意志を持っていなければ、すべてを失うから」

 パチュリーの友人としての厳しさ。
 それをしっかりと胸で受け止め、レミリアは肩で大きく息をする。自分の決意を再度冷静に考えようとしているかのように。

「さあ、パチェ。始めましょう? 迷い子のための、歌劇を」
「そうね脚本はどちらがお好みかしら?」

 そんな問いに、彼女はただ不敵な笑みを浮かべたまま。
 小さく、そして、愉しそうにつぶやく。

「悪魔は、悲劇しか生まないものよ?」




 ◇ ◇ ◇




 その満月の日。
 私はいつもの憂鬱な気分ではなく、ただ喜びに包まれていた。

 その姿は人ではなくなっているというのに。
 化物に変わってしまっているというのに。

 ただ、それを見ているだけで私の心はどんどんと澄みきっていくようだった。

「ふふ、これが帽子か。まったく困ったものだな」

 淡い蝋燭の光で照らされた職務机。畳の上で正座しながら、私はその上に載せられた奇妙な四角の物体を見つめていた。授業内容のまとめなんて全く行わず、職務を放棄したまま時折その帽子を人差し指で突くだけ。そうやって突く度に自分でもわかるくらい、表情が緩んでいくように感じる。
 だって、これは子供たちから初めて贈られた、感謝の意味を込めたもの。
 いつも寺子屋で教えてくれてありがとう、と。純粋な心が込められたもの。

「うむ、宿題も出していないわけだしな。
 今日くらいは私も気を抜いてもいいだろう」

 そうやって自分の怠惰に理由を付けるなど教職者にとってもってのほか、と前任者からも怒られてしまうかもしれないが、今日だけは許して欲しい。ここまで二ヶ月の間、ずっと走り続けてきたのだから。
 薄い緑に変色した自分の長い髪を手でいじりながら、ふふ、っと微笑みを浮かべ――

 ふと、あることを思い出す。
 きっかけは、あの子供たちから贈り物を受けた状態の自分を客観的に感じることはできないか。そんな自分勝手な欲望だった。それでもどんどんその利用法が頭の中で組み上がっていく。
 何を利用するかといえば、当然ハクタクの能力についてだ。

 私の能力というのは、きっと、古い古い過去の出来事だけを読むだけではなく、最近起きた出来事、寺子屋や人里で起きたこと全てを文字で見ることができるのではないかと。その最近の出来事を読み取れば、あの寺子屋のうれしかった出来事や――

 私が襲われた、あの一夜の出来事。
 その主犯についてもわかるのではないか。
 そんな本当は知りたくない裏の事情まで、この能力は知り得てしまうのではないか。

 私はおそるおそる、自分の中のもう一つの存在。ハクタクの部分にそっと触れる。
 肉体的に触れたわけではない、精神世界の中で網の目を広げるように。
 その枝の一本をそっと、私の中の化物に繋げた。

「っ!?」

 ……なんて、簡単なんだろう。

 なんで、ここまで……
 この力を理解していなかったのだろう。
 私が、最近の人里周辺で起きた出来事を歴史として欲しいと願った途端に。その全てが私の周りに浮かび始める。

 その中には、他愛もない人里の日常だけでなく、そこに住まうものの行動すら情報として浮かびがっていた。
 私が求めていたものも。
 私が恐れていたものも。
 全てが含まれていて……
 淡い光の球の一つ、それに吸い寄せられるように私は手を伸ばす。

 ――それは、私を襲った者たちの歴史だった。

 どうして彼らがそこまで執拗に妖怪を憎むようになったのか。
 その記憶が全て、頭の中に入り込んでくる。

 嫌だ。
 嫌だ、いやだ、イヤダ!

 止めてくれと頼んでも、私の頭はその情報を読み取り続ける。

 一人は、妖怪に妻の命を。
 一人は、子供の命を。
 一人は、両親を。
 一人は、生活の全てを。

 妖怪に、奪われた。
 けれど、その犠牲になった者の中には不用心な行動を取ったり、妖怪を挑発したりと。その結果命を失うことになった者たちもいる。悪く言えば自業自得。自分自身のせいでこの世界から姿を消すことになっただけ。

 それでも、残された立場の彼らの憎しみは、消えなかった。
 その原因を理解しても、感情が納得できなかったから。
 何かしないと心が壊れそうだったから、彼らは妖怪を認めないという単純な行動を取る。
 妖怪を無意味に襲い始め――

「くっ!?」

 私はやっとの思いでその歴史から逃れ、荒い息を整えていたが――
 強制的に歴史を遮断したせいで、軽い目眩に襲われた私はそのまま畳の上に倒れこんでしまっていた。
 何も激しい運動をしていないというのに、肌はじっとりと濡れ、衣服が張り付く。
 大きく上下する自分の胸を別の生き物のように見つめながら、私は自分の頬にそっと手を置く。するとやはりそこには汗とは別の湿り気があった。失った人間たちの記憶に感化され、いつのまにか私も泣いていたのだろう。

 妖怪が許せないとか、そういう感情ではなく。
 憎むことでしか生きる価値を見いだせなくなった彼らが、悲しく過ぎて。
 失った人の記憶が、笑って過ごした歴史があったはずなのに。それを恨みにしか利用できなっている。そんな悲しすぎる彼らのことを思うだけで、胸が締め付けられるようだった。

 畳の上で深呼吸を繰り返しなんとか心を少し静めた私は、今度はもう一方の最近の歴史を調べてみることにした。もしかしたら妖怪も何か人間を刺激するような行動を取っているのじゃないか、そう思ったからだ。
 私は人里の中の歴史を収集するのをやめ、今度は人里周辺の妖怪たちを中心に世界を覗く。

 すると、彼らが奇妙な行動を取っていることに気づく。
 下級と分類される妖怪たちがいくつかの集団を作り始めていたのである。しかもその集団を作る前には、必ずと言っていいほどある種族が接触していたのだ。

 その種族は、『吸血鬼』
 幻想郷という世界の中でほとんど把握されていない種族。
 私は外の歴史でその種族のことをよく理解してはいるが、何故吸血鬼が?

 吸血鬼のことも確かに気になるところではあるが、その妖怪たちの集団が何かよからぬ行動を起こすのではないかと。
 私はその歴史の続きを読んでいき……

 ある行動を知る。

 しかもその歴史は、ついさっきのもの。
 私は居てもたってもいられず、その身を起して外へと駆け出そうとするが――

「あっ……」

 気づいてしまう。
 今の自分の姿を。
 醜い獣の血を感じさせるその姿を。

 今、この姿で人里をうろうろしたらどうなるか。
 そんなわかりきったことを考えて、私の体は震え始めた。
 
 失いたくない、何がなんでも――
 この生活を失いたくなんてない――

 今を無くしてしまうのが怖くて、化物と指をさされるのが怖くて。
 私の足は一歩も動いてくれない。
 でも、このままでは――もっと大事なものを失う気がする。

 迷いと、決意。
 相反する感情に翻弄されるまま、私は扉に掛けた手を動かすことができずにいた。
 そんな臆病な私を嘲笑うかのように、人里の危険を知らせる警鐘が鳴り始める。
 私がさっきみた歴史の続きが起ころうとしているのだ。
 悲劇が、人里に襲いかかろうとしているのだ。
 なのに――私は動けない。

 段々と間隔の短くなる金属音を聞いても、私の体は動かない。
 何かしたいのに、何もできない。
 この扉の先へと進む勇気がない。

 しかし――
 

「きゃあああああああああ!!」


 その一歩を踏み出させたのは。
 聞き覚えのある小さな子供の悲鳴だった。




 ◇ ◇ ◇




 それはとても奇妙な光景だった。
 里へ向かって数十を越える妖怪が固まって向かってくるというのも奇妙なものなのだが……
 それ以上に、今の方が異常かもしれない。
 何せ、人里に向かっていたはずのその一団が、ある程度接近した状態でぴたりっと止まったのだから。まるで最初からそう決められていたかのように。

 満月の下、食料を得るという欲望を我慢して群れを止めたのだから。

 しかもその距離は、なんとか肉眼で小さな影が動いているように見える程度。
 物見やぐらの上の遠見用の道具があればまた別かもしれないが、この状態では人間の方から仕掛けることもできない。そのため妖怪が来る方向に固まっていた自警団員たちもどんな行動を取ればいいのか、よくわかっていないような状況である。

 もしこれが意味のある行動であるとするなら……

 ある一つの行動が自警団の団長の脳裏に浮かんだが、それは即座に否定された。
 下級妖怪というものが、そういった作戦行動を取るはずがないと思っていたからである。目の前に餌があればそれを必死になって取ろうとするはず、そういう知識しかなかった。きっとあの群れも満月に狂わされた妖怪たちが偶然集まってできたもの。だから今ああやって距離を取ったまま止まっているのは、妖怪同士で争いを始めたからだと、そんな認識でしかなかった。

 そうやって、妖怪を見下すから。
 大事なことを見落とすようになる。
 
 だってそうだろう?
 本能でしか行動しない妖怪がその姿を人間に近くして、餌をおびき寄せるような工夫、行動をとるのか?

 言葉を理解する知能を別のことに使うと考えれば思いつくはずのことなのに……


 
 そうやって里を守る男たちの横を、白髪の少女が駆け抜けていく。
 誰かの止める声も聞かず、ただ一ヶ所に向かって。




 
 
 その女の子はただ里の異変に気づいて少し外に出てみただけだった。
 その子の母親は他界していて、父親は自警団の団員との二人暮らし。
 だから今は彼女一人しか家に残されていない。そんな中ずっと鳴り続ける鐘の音が気になり、心細くなって外に出ただけ。
もしかしたら父親が自分を心配して戻ってきてくれるかも。
 そんな淡い期待も女の子の胸にあったかもしれない。
 
 そうやって入口の戸を少女が開けたとき。
 自分の方に向かってくる影を見つけた。
 でも、それは父親ではなく、自分より少し大きいだけの少女。大人の女性とは言い難い、そんな姿をした者だった。

「危ないよ」

 女の子は自分のことはさておいて、堂々と人里の中を歩いてくる少女に声をかける。
 注意するという意味だけでなく、自分の寂しさを紛らわせる意味もあったのかもしれない。注意された少女は周囲を見回してから、嬉しそうに女の子の元にやってくる。
 注意してくれたお礼でも言うつもりなのか、それとも何か会話でもしたいのか。
 月夜の下、女の子が近寄ってくる少女を見上げていると。

 急に、その視界の中で少女がふわりっと地面から浮き上がり。
 自分の体を抱きしめてきた。

 直後、地面の感覚がなくなり。
 少女は浮遊感に包まれる。
 その初めての感覚に、少女はただ怯えた。何をするのかと文句をその少女に言おうとして――

「ウフフ、オイシソウナコ ミ~ツケタ♪」

 その存在が、寺子屋で教わっている妖怪だと理解し、ただ叫び声を上げる。
 なんとかその腕から逃れようと全身をむちゃくちゃに動かす。
 でも、人間の――子供の力で妖怪に敵うわけがない。

 そのまま少女の姿をした妖怪は、その『餌』を群れへと持ち帰ろうと空を見上げ――

 月が、何かに覆い隠されていることに気付く。
 雲に隠れているわけではない、霧や靄でぼんやりと隠れているわけでもない。


「その手を、放してもらおうか……」


 宙を浮く何かが、偶然月と重なっただけ。
 夜風に長い髪をたなびかせ、月光に鋭い角を輝かせる。異質な存在。
 ソレが、人間の女の子を攫おうとした妖怪を見下ろしていた。
 その姿は明らかに『妖怪』
 妖怪のはずなのに、その人間を――
 食料を手放せと、言ってきた。

「ダメダヨ コレハ ワタシガサキニミツケタノ! ダカラ ダメ!」

 だからこの少女も、自分の獲物を横取りしに来ただけの妖怪だと思ったのだろう。
 しかし、それは違う。
 その証拠が――
 信じられないもの見るように、その『妖怪』を見上げる、人間の女の子の瞳。
 戸惑いながら、女の子は月の光を背に受けたその女性の妖怪を見上げる。

 その視線を、空に浮かぶ妖怪は少し寂しげに受け止め。
 力強く頷いた。
 その少女の意思に応えるように。


「たすけてっ! けーーねせんせぇぇぇぇええ!」


 その声に反応した妖怪が動いたのと、少女を抱える妖怪が逃げようとするのはほぼ同時だった。
 それでも子供を抱えるという不利な状況、しかも不意打ちを受けたとあって。逃げる妖怪の動きに乱れが生じる。
 空から迫るもう一方の妖怪はそれを見逃さず――妖怪の背中に直下型の蹴りを叩き込む。
 体勢を崩した妖怪は前のめりになりながら、手で平衡感覚を取り戻そうと女の子を手放した。投げだされた女の子は悲鳴を上げながら宙を舞うが、救い出した妖怪の腕によって優しく抱きとめられていた。

「もう大丈夫、後は先生に任せるんだ」

 胸に抱えた泣きじゃくる子供、その頭を優しく撫でながらも油断なく周囲に気配を配る。
 その姿を見て、攻撃を受けた妖怪が瞳を怒りに染めた。 

「……ジャマ スルンダ。タベナイクセニ!
 ワタシタチノ ナカマノクセニ!」

 妖怪の仲間。
 その言葉を受けて、彼女は悲しそうに、本当に悲しそうに満月を見上げる。
 
「悪いな、私は自分がまだ人間側だと思っている大馬鹿なんだ。
 だからお前たちの仲間じゃない」
「フン ソンナノシラナイ! バーカ! バーカ!」

 攻撃された背中を気にしながら、その妖怪は空を飛んで逃げていく。
 そして先生と呼ばれた妖怪は、涙を流す子供を家の中へと運んだのだった。

 その際に、自分の角を壁にぶつけ、大きな傷をつけてしまったのを家の持ち主に謝りながら。




 ただ、その物音を。




 一番気付かれたくない人物に聞かれていることを知らずに。




 ◇ ◇ ◇




 やはり、そうだった。
 歴史で見たあの映像は、本当だった。

 人里の一方向に集中した妖怪の群れ。
 それは、単なる『陽動』。
 妖怪たちも知っているから、妖怪退治の専門家と正面からやりあえばちょっとやそっとの被害では済まない事を。だから妖怪たちはより確実に、安全に獲物を手に入れる方法を――新しい『友人』から学んだ。
 その友人が言うには、こうだ。


「満月の夜、あなたたちが大勢一方向から人里に向かうの、そうすると人間たちは驚いてそっちに戦力を集中させるはず。そこで別行動の少数精鋭が人里に入り込み、人間を確保、全員のご飯を確保する。
 ねぇ? 簡単でしょう?」


 その命令通り妖怪たちは動きこの結果を生んだ。
 その一連の流れを歴史で知った私は、それを止めようとハクタクの姿のまま人里を飛び回っていた。
 しかし助けられたのは、この子で三人目。

 まだ犠牲に人間がいるかもしれないので、すぐにこの家も出なければいけないのだが――

「ひとりにしちゃやぁ……」

 さっき助けた女の子が、心細そうに私の手を握ってくる。
 これから先生は、他の人たちも助けに行けなくてはいけないと説明しても、首を左右に振るだけ。布団に寝かせてはいるものの、今の状況では素直に眠ってくれるとも考えにくい。自分も横になって子守唄を歌ってみたりしたけれど効果は薄そうだ。
 ただ、このままずっとここにいるという選択肢が取れるはずもなく――
 一体どうしたらいいものか。

 私がそうやって悩んでいると。
 何故か背中の、斜め後ろの方から何かが燃えるような音が聞こえてきた。


 まさか、さっきの妖怪がまた戻ってきたのか!


 子供を寝かしつけるのに夢中になって、油断していた。
 その音が妖怪のものなら、もう手遅れに違いない。
 今から反応しても、攻撃を受け止めるのが精一杯。

 だから私は子供を守るようにその音の方に向き直り――


 ……泣きそうになった。
 私を見下ろす、その驚いた顔に。挫けそうになる。
 一番正体を知られたくなかった人物に、こんな状況で――

「違う、違うんだ! 妹紅!」

 右手に炎を纏わせて、佇む見覚えのある人影。
 彼女はもう気付いているのだろう。
 だから私は『違う』としか言えなかった。

 違う――自分は人間を襲うような妖怪じゃない。
 
 そう言いたかったけれど、言葉にならなかった。
 その全てが、言い訳にしか思えなかったから。こんな醜い姿を隠し人里にしがみ付いて暮らしてきたのだから。それでもいつか妹紅にだけは、自分の本当の姿を曝け出そうと、そう思っていたのに。

 なんで――
 こんな満月の夜に――

「……慧音。慧音なんだよね?」
「ああ、そうだ。これが、私のもう一つの姿だ……」

 諦めたように私がそう言うと、妹紅は重い息を吐きながら私に背を向ける。

「そうか、薄々わかってはいたんだ。
 慧音が人間じゃないってことくらい。わかってた。
 でも、人間であって欲しかったんだよ。嘘でもいいから。
 ああやって、幸せそうにさ。先生、先生って……
慕われている姿を見てたら――願いたくなるじゃない。信じたくなるじゃない……人間であって欲しいって!」

 その肩が小さく揺れ、服の袖で顔を拭く。
 背を向けているせいで表情は見えないが――

「妹紅、泣いてくれているのか……
 こんな私のために」
「悪かったわね! 慧音が悪いんだから!
 昔の私みたいに、バカばっかりするから……」
「……ありがとう、妹紅。それだけで十分だ」

 私はそう言いながら、女の子の手を静かに自分の手から外し妹紅を背中から抱きしめる。
 頼もしかったはずのその背中は少しだけ弱々しくて、妹紅も女性なんだなと失礼ながらそう思ってしまった。

 私はそうやって静かに抱きついたまま、妹紅の耳元でつぶやく。

「妹紅、今人里に妖怪たちが入り込んでいる。
 外にいる奴は単なる陽動だ」
「……あれが、あの群れが陽動だっていうの!?」
「そうだ。だから私も人里の妖怪を追い出す手伝いをしようと思う。すまないが妹紅はこの子を連れて自警団まで行って、このことを報告してくれないか。この子の父親もそこにいるはずだから」
「でも慧音! その姿じゃ!」
「……この姿だからこそ、妖怪が少し前に人里のどこにいたか。それを知ることができるんだよ。
 人里のみんなを助けるには、この姿でいることが必要なんだ。
 それに、自由に戻ったりできないしな……
 だから、後は頼んだ! 妹紅!」

 そう言って、私は駆け出す。
 残された妹紅は私を呼んでいたけれど、刻は一刻を争う。

 私は直前の歴史を頭の中に思い浮かべながら、人里にいる妖怪の位置を探ったのだった。
 



 ◇ ◇ ◇




 妖怪たちによる大規模な行動は幻想郷のいたるところで行われていた。
 それは緻密な作戦を立てた行動であったり、その場での思いつきのような行動であったり。
 統率のとれていなかった妖怪をここまでよく組織として纏め上げたもの――
 そう誰しもが感嘆する手際。
  
 ただ、その纏め上げた戦力が圧倒的力によって一瞬で排除された場所が――
 一つだけあった。

「ふむ、これは面白い写真が取れましたね。
 妖怪の大行進ですか、いやはや、本当に珍しい」

 妖怪の山の麓の、頂上へ向かう道の一つ。
 その入り口に異様な光景が並んでいた。ある一人を中心として放射線状に木々が倒れている。斜面の傾きなどまるで問題にならないように、全て等しく薙ぎ払われていたのだ。
 その中心に立つ人物こそ、鴉天狗の文。風を操る天狗の有力者の一人。
 葉っぱのような形の扇を片手に持ったまま、その周囲の状況を他人事のように写真に収めていた。

 しかし、自分の縄張りを大事にする天狗が自らの手で山を傷つけるようなことをするはずがない。
 
「……文様、あの、すみません」

 そうやって文が撮影に没頭していると、すぐ後ろに白狼天狗の一人が下りてきてその場に跪いた。
 降りてきたその白い髪の天狗の第一声を聞き、文は写真機を下ろし静かに彼女を見下ろす。

「おやおや、椛? 何故謝っているんでしょう?
 私はさっきの妖怪たちがどうなったかと、その答えを求めていたはず。
 必要以外のことを職務中にしゃべらないでくれませんか?」
「あ、す、すみませ……じゃ、なくて! ほ、報告します!
 先ほど文様が吹き飛ばした妖怪たちの群れのほぼ九割は我ら白狼天狗が確保し、洞窟に搬送している状況です。しかし……
 あの、若干力のある妖怪の一部には逃げられてしまいまして……
 でも、て、手を抜いたというわけでは!」

 笑顔をその表情に貼り付けてはいるが――
 椛は、知っている。
 上司の命令でやりたくもない緊急の仕事をさせられているときの文が、どれほど不機嫌極まりないかを。だから、椛は思わず謝ってしまっていたのだ。笑顔の奥に潜む、文の二面性を熟知しているから。

「へぇ、逃げられましたか。
 そしてあなたの不手際ではないと。
 ――で?」
「え、あの? 『で?』とは――っ!?」

 そんな文が、跪く椛と視線を合わせるようにしゃがみ込み。視線を合わせてくる。
 仮面のような笑みをより一層濃くして。
 これで職務を終えたと思っていた椛は、文の言葉に一瞬反応できず、脅えた視線を文へと返すが――

「きゃぃっ!」

 いきなり左耳を力任せに掴まれて、大きく全身を振るわせた。

「あのですね、椛?
 私は上司から、とても気の利く上司から、『妖怪の山を荒らす異分子の確保』を命じられているんですよ。人里の取材を放り出したままで。デスカラネ、そうやって簡単に逃げられたと報告されても困るんです。
 その逃げた妖怪というのは、あなたに勝る実力の持ち主でしたか?
 仮にも天狗と名の付くあなたより、素早い妖怪でしたか?
 ねぇ? 答えてくださいよ、椛」
「ち、違います! 我ら天狗と比べれば足元にも及ばない妖怪でした!
 わ、私の不手際で逃がしてしまっただけです!」

 優しい口調のはずなのに、椛の体の震えは止まらない。
 カチカチと奥歯を噛み鳴らして、必死に声を張り上げる。
 そうやって脅える椛の姿を冷たい目で見つめる文は、耳を掴んでいた手を離し。
 それを大きく振り上げた。

 ――叩かれるっ!

 そう思った椛は瞳をぎゅっと閉じて、力いっぱい拳を握り締めるが……

 ぽんっ

 やってきたのは、優しい衝撃と。
 その後ゆっくりと頭を撫でてくる暖かな感触。

「すみませんね、椛。冗談です。
 少々気に入らない仕事をさせられて苛々してしまいまして。
 まあその苛立ちに任せて、妖怪ごと周囲全てを吹き飛ばした私に責任がありますからね」

 文の言うとおり、妖怪の山を襲撃した妖怪たちは確かにここに居た。
 そこに不機嫌な状態の文が超高速で上空から迫り……
 地面すらえぐり飛ばすほどの巨大な爆風をぶつけて、その一団を一瞬で壊滅させたのだった。その吹き飛ばした妖怪の回収を犬走 椛を代表とする白狼天狗にやらせていた、というわけである。

「白狼天狗は私の至らぬ点を補助してくれたと、そう上司に報告しておきますよ」

 撫でる手を離しながら面のような笑顔ではなく、彼女本来の微笑を作る。
 そうやって、綺麗に締めようとする文だったが……

「うー、文様ぁぁぁ~~~!!」

 なんとも納得のいかない者がここに一人。
 可愛い部下が小さく犬歯を出して威嚇してくるが、文は何食わぬ顔でパタパタと手を振った。
 
「椛。私より意地悪な上司なんてもっと一杯いるんですから、そういう練習のために私がわざわざこうやって憎まれ役をかっているのですよ。
 その優しさに気付いていただきませんと」
「どうせ、気まぐれの癖に……」
「何か言いましたかぁ、椛ちゃぁん♪」
「いた、いたたたっ! 両耳はダメです! 反則です!!」

 そうやって椛を弄りながら、文はいつもより紅く見える満月を見上げる。

「さて、ここまできてあなた様は狸寝入りを決め込みますか?」

 この空の下にいるはずの、別の誰かに問いかけながら。







 妖怪の山の作戦失敗の一報、それを聞いても彼女は眉一つ動かさなかった。
 それより彼女が気になったのは――

「同行していたはずの咲夜に怪我は?」

 自分の大事なメイド長の安否だけ。
 それを尋ねられたパチュリーは空中に浮かんだまま、報告書に目を落とす。

「重症ではないものの、風によって全身打撲状態。足もくじいているそうよ」
「そう……
 無事ならそれでいいわ。後でねぎらいの言葉でもかけておいて」
「あなたがやりなさいよ」
「あの子、私の言葉を素直に受け取ってくれないんだもの。煩わしいくらい謙遜するの」
「主人なんだからそれくらい我慢しなさい」

 妖怪の山の惨敗。
 それはきっと大きなことであるはずなのに、彼女たちの会話にはその切れ端すら出てこない。まるで最初からわかっていたように、決まりきったことが起きただけと言うように。彼女たちはその報告書を投げ捨てる。投げ捨てられた紙は眼下のに広がる名も知らない森の中へと落ちていく。
 表では、妖怪たちの騒乱によって誘き出された有力な妖怪を各個撃破する手筈なのに。
 
 だって――
 今回のこの事件の真意はそんなものではない。
 彼女たちと行動を共にすると宣言した妖怪たちにも、それは話していない。

 だから二人は、妖怪の山の天狗など気にも留めていなかった。
 彼女たちは、拠点であるはずの館を小悪魔一人に任せ、幻想郷の中でも最も重要であるはずの拠点。
 神社へと向かっていた。

 パチュリーの話では、その神社にこの世界を維持する要因のひとつがあるということ。
 だからそこに対して行動を起こせば、最重要人物の関係者が姿を見せるはず。
 冬眠をしているはずの、スキマ妖怪に変わるこの場所の管理者が――
 
「……それで、レミィ?
 ここまではあなたの『運命どおり』なのかしら?」
「残念だけれど、しばらく運命は見ないことにしたの」
「なら、あの神社のほうにいるのが何者か、わからないということかしら?」
 
 魔女であるパチュリーの目では、その豆粒のようなものが人かすらわからない。
 しかし身体能力に優れた吸血鬼であるレミリアにはその姿がはっきりと見て取れた。

「……見えなくてもわかるでしょう? パチェ。
 静かでありながら、あの存在感。どうやら相当お怒りのよう」
「で、私とあなたで、アレをなんとかしようというのかしら?」
「当然」
「……簡単に言ってくれるわね、もぅ」

 近づくにしたがって、パチュリーの視界にもその姿がはっきりと映るようになる。
 胸の前で手を組み、静かに二人を見つめる人影。
 月明かりの元、大きな九本の尻尾を揺らすその姿は、情報どおり。
 九本の尾を持つ妖獣。

 妖獣は尾の数が多いほど強大な力を持ち、尾が長いほど博識と言われる。その幻想の獣の中で、最強と謳われる妖獣、そして、彼女はこの世界を管理する柱の一人、スキマ妖怪八雲紫の式。
 
「紫様のいないときに、やってくれたな――」

 九尾の狐、八雲 藍――
 無表情な顔を二人に向けて、空に浮かんでいるだけ。
 力を感じることのできないものなら、たったそれだけしか感じ取らないかもしれないが――

 パチュリーは思わず目を擦っていた。
 目の前には藍しかいない。
 彼女以外の存在を感じ取ることはできないし、こちらもレミリアと二人だけ。
 だからその場所には、藍の後ろには何もないはずなのに。

 牙を剥いた巨大な狐の姿が映った気がしたから。

 その気配に押され、思わずレミリアの顔色を伺うと――
 レミリアの口元が一瞬だけ引きつって見えた。
 彼女もそれを感じ取ってしまったのだろう、予想以上に強大なその妖怪の本性を。

「この世界の基盤となっている世界の流儀では、引越しをしたら隣人にその挨拶をしてまわるんだったわね?
 どうかしら、私の気持ち。受け取っていただけたかしら?」
「ああ、そうだな。やられたよ。
 こうなるとわかっていながら、私は何もできなかった」
「そう、気に入ってくれたなら嬉しい限りね。それであなたは何をしにきたというの?
 新しい客人の姿を見に来ただけなのかしら?」

 皮肉を繰り返しながら、レミリアと藍は油断なく自分の力を高め続ける。
 パチュリーも静かに、レミリアの影に隠れるようにその身を移動させていた。
 口元を相手から隠し、詠唱を悟られないように。

「ああ、素敵な品を頂いたお返しに、私も本気で当たろうと思ってね。
 久しぶりに、両手を使わせてもらうとするよ」

 そう言いながら、藍は組んでいた手を解き。
 ぶらりとその手を下げた。
 その行為が一体どれほどの危険さなのかはわからないが、威嚇行動として周囲に張り巡らせた妖気の圧力から判断すると――

 間違いなく、この周辺の地図を変えられるだけの力を持っているようだ。
 しかし、その力なら。パチュリーのよく知る人物も保有している。

「……ほぅ、ここまでやるか」

 藍から発せられる気配を、押し返す紅い魔力。
 それがレミリアの体から立ち上り、周囲の妖力を弾き散らした。

「満月の夜の吸血鬼の力、ご教授して差し上げようかしら」

 そしてその撒き散らしたはずの魔力を一瞬のうちに右手に収束させ、無造作に紅の槍を生み出した。
 そのまま大きく振りかぶり――

「挨拶、代わりよ!」
「小癪な!」

 紅い閃光と、金色の閃光。
 その二つが開戦の合図となり、闇夜を照らす。
 挨拶代わりとは思えない初激は大気を、力場を歪ませながら突き進み。

 ぶつかりあった力は、大地を焼き払い、空を振るわせる。
 それが桁の違う大妖怪の本気の争い。


 ――そう、天狗の力も、九尾も、吸血鬼も。
 ――彼らの本気は、この幻想郷という小さな箱庭には収まりきらない。


「ついてこれるかしら!」

 そんな目をくらませるほどの光を受けながらも、レミリアは藍に向かって空気を撃つ。
 突風をぶつけて怯ませているうちに相手の懐へ飛び込み、一撃を食らわせる。小さな体をしていても吸血鬼が優れるのは強大な魔力だけではまい。
 むしろその身体能力こそが、恐れられる要因。

 天狗でも反応できるかわからないほどの速度で、レミリアは直進。
 藍が構えを取るよりも早くその腕を彼女の胸へと突き刺し――たように見えたのに。

 藍の体が空気中に溶けて消える。
 
「そちらこそ、ついてこれるかな?」

 彼女の速度がレミリアを上回ったわけではない。
 レミリアが藍を攻撃する直前。藍は体をほとんど動かさず、尻尾だけを大きく振り回していた。
 それだけで残像を残すように、一瞬のうちに横移動したのだ。

 尻尾があるからこそできる、人と同じ体の部分を動かさないまま一瞬のうちの重心を変える移動。
 藍の体の部分だけを見ていたレミリアにとっては、本当に消えたように見えたかもしれない。
 それこそが妖獣の基本。
 相手を騙す戦法の一つ。
 そうやって万全の体勢で避けた藍の目の前には、無防備な幼い吸血鬼の背中があって――

「レミィ!!」

 そこへ振り下ろされそうになった爪を、パチュリーの魔法が妨害する。
 そんな小さな隙を見逃さず、レミリアは空中で前転した直後に藍へ横薙ぎの蹴りを放った。しかし藍はそれをしっかりと受け止め、蹴りの威力を殺すように自ら後ろに下がって二人との距離を取る。

「……あんな戦法があるなんて、聞いてないんだけど」
「当たり前よ、九尾との戦闘経験なんてある方が珍しいわ。
 次から気をつけること」
「気をつけろといわれてもねぇ……」

 レミリアの速度に十分反応するその動体視力と、最小限の動きで回避するその技術。
 しかもその動きがほとんど体験したことのない動き方であるのだから……

「どうしたのかな? まさか今ので怖くなったか?」
「ふふ、少し作戦会議をしていただけよ。
 そうねあなたがそうやっておもしろい避け方をするのはわかった。
 なら、私はこうすればいい」

 そう言いながら自分の魔力を高め、両腕に集める。
 それはさっきの、紅い槍とは比べ物にならない力。

「中途半端な避け方をしても、無駄な一撃を放つまでよ」

 レミリアはその強大な。
 広範囲を薙ぎ払う光線を、目の前の九尾に向けて撃つ。
 しかしそんな一撃など藍は読みきっている。


 ――それでも争いを好む妖怪は、一度火がつけば止まらない。
 ――それが幻想郷の命を削ることになるとも考えず、ただ闘争本能を満たすためだけにその力を振るう。

 
 大きく横に動いてそれを避けてやればそれで終わり。
 そうやって動こうとした藍の周囲に、いくつもの魔方陣が一斉に浮かび上がった。

「繋ぎ止めなさい!」
「な、しまっ――」

 その声に従い、魔法陣から生み出された鎖が藍をその場に拘束する。
 さきほど藍が弾いたパチュリーの魔法。
 それは、レミリアを救うためだけでなく、この罠を仕掛けるためのものだった。振りほどこうにも、その動作をしているうちにレミリアの魔力の奔流が押し寄せる。
 逃げられないなら、耐えるまで。
 藍は歯を食いしばって両手を前に突き出し――


「――引きなさい、藍」


 不意に、藍の目の前に空間が開いた。
 膨大な魔力を何事もなかったかのように飲み込み、消えていく。それをあっさりやってのけたのは。


 それは先日、冬眠したはずの――
 

「お初にお目にかかりますわ。お嬢様」

 
 スカートの裾を掴み、西洋風のお辞儀をする八雲 紫その人だった。




 ◇ ◇ ◇




 慧音が伝えて欲しいと言った、人里の中に妖怪が入り込んでいるという情報。
 それを妹紅は急ぎ自警団に伝え、女の子を父親の元に預けた。

「今日くらい子供をまもってやりなさい」

 そう言い聞かせて。
 その妹紅の情報のおかげで、人里で密かに誘拐を実行していた妖怪たちはどんどんと追い詰められていく。ただ追い詰めたもののほとんどは空から妖怪の群れの方へと逃げていくそうなので、退治したという報告はまだ自警団の中に伝わっていない。
 妹紅はそうやって忙しく動き回る自警団の詰め所から出て、彼女も彼女なりに妖怪を探していた。

 昔の経験で、近くに妖怪がいればだいたい妖気でわかるし、すこしでも慧音の負担を減らしたかったから。
 そうやって家の明かりもほとんどついていない人里の中を駆け足で進んでいると、自警団らしき集団が一斉に先の通りを曲がっていくのが見えた。
 もしかして妖怪が見つかったのかとその後をついていってみると、なんのことはない。
 酒によってケンカした大人の介抱をしているだけだった。

「こんなときに、なんて紛らわしい」

 妹紅はそうやって一人愚痴りながら何食わぬ顔でそのケンカしていた男たちの横を通り過ぎ、また妖怪を探す。そうやってどれだけ探し続けただろう。半刻ほど経っても妹紅の目にも耳にも、妖怪の反応はなかった。もうすでに全て逃げ出してしまったのかもしれないとそう思って、もう一度自警団の詰め所で情報を貰おうと踵を返した途端。
 私の脚に何かが抱きついてきた。
 一体なんだろうと視線を落とせば、それはさっき自警団の親に届けたはずの女の子。

「どうしたの? お父さんと離れたの?」

 まったく、あれほど子供を話すなと言ったのに。
 そう心の中で毒づきながら、私はその子供を抱き自警団の方へと進もうとするが、女の子は反対の方向に私の脚を引っ張ってくる。

「自警団はそっちじゃないよ?」

 ぐいっ

「お父さんはそっちにいないよ?」

 ぐいっぐいっ

 いくら彼女が宥めても、女の子は逆の方向に妹紅を連れて行こうとする。
 なんでそっちに行きたいのかと聞いても、答えない。
 答えずにただ、子供の力で一生懸命妹紅を引っ張る。

「もう、いい加減にしないと。お姉さん怒るよ」

 そう言って女の子を抱きかかえようとしたとき、女の子が引っ張る方角から自警団員の威勢のいい声が響いてきた。

「いたぞ! 最後の妖怪だ! 逃がすな!」

 そう言って三人の若者が、仲間を呼びながら通りを走っていく。
 これで、なんとか人里の騒ぎも一段落かと、妹紅は胸を撫で下ろすが。

 ぐいっぐいっぐいっ!

 女の子の引っ張る力が、強くなる。

 ぐいっぐいっぐいっぐいっ!!

 今にも泣きそうな顔になりながら、必死で妹紅の足を引っ張る。
 でも、何も言わない。
 何も話そうとしない。

「もぅ、だから何がしたいのよ。そうやって我侭ばっかり。お父さんも困ってるかもしれないよ。今頃必死になってあなたを探しているかもしれないのよ?」

 そう、まだ人里が安全ではないから自警団の詰め所に置いておくと、あの父親は言っていた。
 だからこの女の子もそこにいたはずなのだ。
 安全なところにいたはずなのに、わざわざ怖い事件がおきている人里の中を出歩くなんて、一体何を考えて。

 ――まてよ?

 自警団の詰め所にいた彼女が何か理由があって出てきたとするならどうだろう。
 そこで何かを知ってしまったから。
 何かを知ったけれど、口には出せない。
 父親が自警団だから、他の人に話せない。

 ぐいぐいっ!!

 そしてこの女の子がここまで必死になるとすれば、なんだ?
 こんなにも何かを伝えようとしている。

「誰にも言わないから、教えて、何があったの?」

 だから妹紅はできる限り笑顔で、その女の子を抱える。
 すると、女の子は霞むような声で小さくこうつぶやいた。

「せんせぇが……せんせぇがっ……」

 それだけ言って私の胸に顔をうずめて泣き出してしまう。
 今の人里で先生と言えば――

 慧音しか、いな――


 ダッ


 妹紅は、駆け出した。
 必死で駆け出した。

 彼女の頭の中では、さっきの若者の言葉が繰り返されている。

『最後の妖怪だ! 逃がすな!』

 その言葉は一体誰に向けられたものか。
 そしてこの女の子がこんなにも必死に伝えようとしたのが、妹紅の思うままであるのなら。

 なんて、茶番だ!
 人里を守ろうと尽力している彼女に。
 人間たちは何をしようとしている。

 また、裏切られるのか。
 また、裏切るのか。

 人間たちは、彼女を否定するのか。
 

 そうやって風のように夜の闇の中を駆けていくと、やっと自警団が足を止めている光景が目に入ってくる。
 十人以上の人間が、何かを取り囲み、代表の一人が今まさに妖怪封じの札を貼り付けようとしていた。

 四肢を押さえ込まれ、抵抗することを許されない。

 いや――

 抵抗すれば、人間を傷つけてしまうから抵抗できない。


 そんな優しい妖怪を押さえ込み。


「やめろおおおおおおおおおおおお!!」


 人間は、その札を緑色の髪をした妖怪の額へと――





 つづく
読んでいただきありがとうございます。

この話で終わりにするはずだったのに、伏線をしっかり片付けていくと妙な文量になるという……
何たる悲しさ。

ほとんどシリアス全編だから楽しんでいただけるか不安も残るのですが。

ではきっと次回こそ! しっかり締められればいいなぁ……


追伸:前回のあらすじが妙な位置にはりつけられているのにきがつきませんでした。
   初期のままお読みくださった方申し訳ありません。
pys
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コメント



0.800簡易評価
4.100名前が無い程度の能力削除
物語をゆっくりじっくり読むのも一興
物語が分けられれば分けられるほど
それぞれを楽しむ時間が増えるのです
予定なんて未定ですから

っつー訳で 次回に期待!
なんか逆に次回で終わるのかと思うと寂しい
でも、もうすこし欲しいくらいがちょうど良い量といったところか
そしてどのような結末なのか予想できそうでできない
そんなもどかしさが嬉しい物語
……なんか投稿ペースといい、内容といい、深さといい、技法といい
すべてにおいてパーフェクトな作品なんじゃないかと思う
その画竜点晴にあらためて期待!
10.100名前が無い程度の能力削除
続編キター!!
文と椛にニヤけまくりましたw
毎度の事ですが、感想を私の貧弱な語彙で書くのが勿体ないぐらい素晴らしかったです。